津久井郡が消えた

更新 2007・3・15 消える→消えたに変更
作成 2006・2・28

  明治3年(1870)、津久井縣から津久井郡に変わりました。137年間、津久井郡と呼んできたその名称が平成19年3月11日、合併により全域が相模原市となりました。
 津久井には様々な人たちが育ち、また様々な人たちが来ました。津久井の風物を紹介した「新編相模国風土起稿」探索の人々、考証学者小山田与清(ともきよ)が書いた「筑井紀行」の道に見る津久井の歴史など。
 大正7年(1918)には、旧内郷村で柳田国男ら10名が参加して、日本初のフィールド調査が行われました。津久井郷土資料館にはその頃の貴重な資料が残されています。
 戦後、新しい歴史観による研究も始まりました。木村礎による「封建村落 その成立から解体へ 神奈川県津久井郡です。津久井郡下を7年の歳月をかけ研究を進めました。そして、その研究を礎に多くの歴史学者が津久井から誕生しました。
 現在、津久井は多くの問題をかかえています。急速な過疎化、高齢化、道路網や公共下水道の遅れ、どれもが待ったなしの状況です。揺れ動く心情をともに手をたずさえ歩もうではないか。
 ただ、ひたすらに生き、死んでいった名もなき人々。津久井をこよなく愛してやまない人々。
 美しい津久井の自然、先人の努力に報い伝えて行こう。

      
翻刻  筑井紀行  津久井のすがた    小川良一著
小山田与清著 刊行 中野中学校郷土研究室
町田市立図書館 校訂 安西勝 後援 津久井郡各官公所教育組合
平成14年3月 発行
 
昭和25年9月発行
     
日本の町 その歴史的構造   封建村落 その成立から解体へ 神奈川県津久井郡
地方史研究協議会編 編者 木村 礎
昭和33年5月発行
昭和33年7月発行

     封建村落 その成立から解体へ 神奈川県津久井郡」 編纂の歴史
昭和23年 1948 1
昭和24年 1949 1
昭和25年 1950 秋、地方史研究協議会発足(現会長は高島緑雄)
昭和26年 1951 3月、会誌『地方史研究』第1号を発行
昭和27年 1952 3月、津久井郡与瀬町の本陣、坂本是成氏宅を訪れ文書の目録を作成する。8月、与瀬町の慈眼寺で坂本家文書の購読。参加学生6名
昭和28年 1953 8月、太井の泉蔵寺に合宿、中野町荒川の角田家文書の調査。10名をこえる学生が参加。地元津久井高校教諭小川良一氏の援助を受ける。
昭和29年 1954 8月、ほぼ全郡にあたる古文書の所在調査を行う。 宗京教授以下6名
昭和30年 1955 8月、24名が実習に参加、宿舎を二ヶ所に置き、各村文書の目録と内容の検討を行う。明治中学伊藤好一、田中充、横山十四男氏も参加。この実習から神埼彰利先生を始め、数人のいわゆる「津久井衆」が誕生する。この実習以後、根小屋功雲寺を調査拠点とすることができるようになった。ご住職敦岡白鳳氏ならびにご家族の援助があった。
昭和31年 1956 「実習」の他に調査も行い、「封建村落 その成立から解体へ」の原型ができ上がる。
昭和32年 1957 8月、「中間報告」。最終調査に入る。民俗学上の立場から西垣晴次氏が参加。
昭和33年 1958 5月、杉本敏夫が「日本の町 ≪その歴史的構造≫ 地方史研究協議会 雄山閣出版」で「山間村落と市場・相州津久井郡の久保沢町の場合」を寄稿する。
7月、 木村礎(編)が「封建村落 その成立から解体へ」を発行する。
序章 木村礎
第一章 近世初期津久井領の構造 神埼彰利
第二章 貢祖形態と貢祖負担 高島緑雄
第三章 村役変質の意義 伊藤好一
第四章 村落と林野 茎田佳寿子
第五章 商品経済 杉本敏夫
第六章 飢餓をめぐる諸問題 木村礎
補章
 一 天領における貫文記録の史料について 神埼彰利
 二 「組」について 煎本増夫
 三 家族構成と隷属農民 茎田佳寿子・神埼彰利
昭和34年 1959 鈴木重光や長谷川一郎等が中心となり「津久井郷土研究会」が発足、機関紙「筑井文化」を創刊する。
昭和35年 1960
昭和36年 1961
昭和37年 1962

資料 「駿河台日本史」 第1号(1953年)〜第8号(1957年)
第1号〜第3号
第4号(津久井特輯) 津久井の検地に関する諸問題  神埼彰利
太井村における農民構成について 高島緑雄
近世後期における農民の生活 安部秀而
近世中期以降太井村における農間余業の展開と農民階層の分化 石原敬彦
荒川番所 小林好枝
明治初年太井村荒川に於ける家族形態と土地所有形態 井上隆男
吉野村宗門改帳の研究 石原敬彦
第5号 武州多摩郡廻り田新田に於ける村方三役についての一考察 宮川康
第6号 (小平特輯) (省略)
第7号 幕末ー明治前期武蔵野新田地域における畑作経営ー 武蔵野国多摩郡廻り田新田 飯島端治
小川新田初期の性格 宇土明子
近世初期村落成立期に於ける入会の歴史的意義 煎本増夫
近世初頭青山村の検地について 曽根怜子
近世後期農民の考察 ー青山村「宗門人別帳」を中心としてー 黒坂哲也
上長竹村における一名寄帳の考察 ー特にその記載の問題を中心にー 松本和夫
宗門帳の社会史的分析 ー下長竹村における家族構成と農民層の分化ー 横井孝
近世初期に於ける寺領の研究 ー津久井郡根小屋村功雲寺の場合ー 城戸清吾
第8号 旗本知行の一実態 −三給村について− 武田守弘
近世領主経済の一考察 渡辺三千子
江戸中期から後期にかけての一地主の性格 高橋英男
近世村落構造と林野利用 ー近世後期貢租組と御林利用についてー 脇坂順雄
中藤村に於ける労働力の問題と豪農の一考察 窪田雅夫
幕末ー明治初期中藤村における商品生産の展開ー 藤谷明
農間余業の問題について −近世末期の箱根ヶ崎において− 光田静枝
箱根ヶ崎の伝馬と助郷について 鈴木澄子
飢餓と村落構造 −相州津久井郡下長竹村の場合− 堀内祐子
津久井に於ける名主の性格について 安岡モト
近世津久井に於ける村方出入の一例 藤崎健一
千木良村の宗門帳より見た農民階層の動き 真鍋慶子
近世期における土地所有より見た農民生活の一考察 ー検地帳を中心とした澤井村を例としてー 関口和子
相州津久井県沢井村における飢餓について ー主として天明の飢餓ー 田村悦子
津久井根小屋村に於ける江戸末期の久保田家の経営 江崎知博
村方地主制について 山本晴夫
津久井の山 −その極一例− 名児耶節子
         
筑井文化    創刊号 津久井郡勢誌(復刻 増補版)
特集 津久井城跡考    津久井郡勢誌復刻増補版刊行委員会
津久井郷土研究会  昭和34年 発行 昭和53年12月 発行


         
わたしたちの津久井 わたしたちの津久井
津久井郡小学校教育研究会  津久井郡四町教育委員会
昭和42年3月初版 昭和59年3月 5版



はじめに

 この「わたしたちの津久井」は、3・4年生のみなさんが、津久井のことをべんきょうするための資料として役だつようにつくってあります。
教科書といっしょに、しっかりつかってください。
この本をつくるのに、とくに考えたことは、
@3・4年生のみなさんが、社会科のべんきょうをするのに役だつものにしたい。
A世の中の進歩や動きをよく考え、それらに合わせて津久井郡をとらえていきたい
B表やグラフ、しゃしんなどは、できるだけ新しいものを、とり入れたい。
C社会科のべんきょうの時間でなくても、津久井郡のことを知るために、いつでもりようできるようにしたい。
 「ああ、そうか。わかった。」というだけでなく、じぶんからすすんでしらべ考えたりすることができるものにしたい。と、いうようなことです。
 この本は、3・4年生を中心として書かれてはいますが、5・6年生にも、学習に役だてていただくようにくふうしました。町のうつりかわりや、今の町のようすについて話し合い、これからの津久井郡について考えてください。
 この本をつくるために、資料や写真、ご意見など、きょう力してくださった多くのかたがたに、心からお礼を申しあげます。


 
                   「わたしたちの津久井・はじめに」より  昭和59年3月 5版 


    
津久井の自然観察 津久井歴史散歩
津久井郡広域行政組合 著者 小川良一
平成3年3月発行
昭和63年5月 発行

           
私たちの相模原 中学校社会科副読本 津久井歴史ウオーク
相模原市教育委員会 著者 前川清治
昭和56年 初版発行 平成元年 第9版改訂発行 
平成15年3月発行
 


 
  発行所 津久井郡農業協同組合
  平成元年8月6日 発行


 写真集 山河幾星霜 創立三十周年記念誌
 (前略)この津久井郡農協の歩んだ歴史を記念して、「十年のあゆみ」、「二十年のあゆみ」の記念に続き、三十年は写真集で綴ろうと昨年四月以降、編集活動に入り、組合員百三十八名の皆様から、八百点を越える多くの貴重な写真の提供をいただきました。
 ご協力いただいた写真や資料の一つ一つが、先人たちの血のにじむ苦労と努力、汗の結晶として、今、平穏な私たちの里、津久井を築いた歴史そのものとして、深く胸をうたれながら編集作業が続きました。
 貧困な山里、津久井の協同活動史は、産業組合から戦時下の農業会へ、さらに戦後の農業協同組合活動へと激動する国政と、社会経済の嵐に立ち向かい津久井郡民一体となっての戦いの歴史でもありました
。(下略)
   編集後記より原文をそのまま記載しました。

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