第17回
巨木を語ろう全国フォーラム
    兵庫県柏原(かいばら)町で開かれる
                             平成16年9月25日
 山間の小さな城下町、兵庫県柏原町で「巨木を語ろう全国フォーラム」が開催されました。全国から約700名が集い、「人と自然と巨木」と題し岩槻邦男先生による基調講演が行われました。第2部ではコーディネーターに元NHKアナウンサー・樹木医の松田輝雄さんが登場、地元「木の根橋」の保存活動を行っている地元崇広小学校の子供たちによる活動報告や各地の巨樹・巨木の現状報告などが行われました。
 フォーラムの最後に子供たちが再び登壇、「フーラム宣言」が声高らかに発せられました。

          フォーラム宣言

    兵庫県柏原町から16年ぶりに、再び全国のみなさんに呼びかけます。
    悠久の歴史を風や雪に耐え、そこに住む人々の営みを見続けてきた
    ふるさとの巨木」は、親から子へ、子から孫へと、私たちの思いを
    子孫に伝えてくれる、何にも代えがたい地球の財産です。
    巨木を大切にすることは、その地球の未来を問われているとき、豊か
    な自然と人類生存にも関わる、21世紀の大きな課題のひとつです。
    私たちの町、柏原町から始まったこの「巨木を語ろう 全国フォーラム」が、
    全国の多くのみなさんに支えられて、今日まで継承していただいた
    ことに感謝し、これからも巨木を守り、森や自然を大切にされる運動を
    全国と世界に広げていくことを、ここに宣言いたします。

               平成16年9月25日
            第17回 巨木を語ろう全国フォーラム
                  柏原町立 崇広小学校 6年
                  「ふるさとの巨木」研究グループ

  
 樹齢は1000年以上とも推定される古木で、目通り幹径6m、樹高21m、枝張各25mを測る氷上郡では最大のケヤキである。
 本樹の根の一本が太く成長し、真下を流れる奥村川をまたいで対岸の地下にもぐり込み、長さ10mにも及ぶ自然の橋梁を形づくっていることから「木の根橋」とも称されている。その形成過程については明らかでないが、本樹の縁辺は万寿元年(1024)に創建された柏原八幡神社の参道にもあたり、奥村川に架けられていた土橋に沿って根がのびたものと考えるのが妥当のようである。現代の奥村川は、織田信包(のぶかね)の開いた第1次城下町時代に掘割として利用するため拡幅され深くなったもので今我々が目にする木の根橋をとりまく景観は、この時代に形づくられたといっても過言でない。
 近年、道路整備など周辺の環境変化が著しく、本樹の生育にも影響を与え樹勢に衰弱がめだちはじめていたが、路面を透水性のある舗装に変更したり、対岸の根上に位置する役場庁舎の一部を撤去するなどの努力により、その樹勢は回復しつつある。
 大ケヤキは柏原を代表するランドマークであり、町のシンボルとして町民にも親しまれており、ケヤキやマツとともに町木に選定されている。
             柏原町指定文化財図録 柏原町歴史民俗資料館発行 資料より

  
  台風18号の傷跡が生々しい神戸電鉄粟生沿線の山々 
       (南側斜面) 竹や広葉樹の葉は台風による塩害でしょうか枯れていました。 

  
    (北側斜面)


  
                        会場となった県立丹波の森公苑
 
  
 全国巨樹・巨木林の会 総会(AM)

  
 「ながさき巨樹・巨木林をみる集いの会」からの報告

  
 「巨木を語ろう全国フォーラム」の会場(PM)     子供たちが全世界に向けて発信にフォーラム宣言

  
 相模原から参加された会員            なごやかな交歓会



太鼓やぐら        木の根橋に集う人々
  最上階には「つつじ太鼓」という大太鼓があり、時報や火事大水などの警報、
  登城の合図、参勤交代で江戸から藩主が帰藩した時などに打ち鳴らされていました。


         八幡神社 天正10年(1582)8月、普請に着手 三重塔 文化10年(1813)

  
 銅鐘  高さ90cm 口径58cm  相(あい)の間のある本殿と拝殿が連結した珍しい
 国指定 重要文化財        複合社殿、桃山時代初期の建築様式  
 「丹波国氷上郡高山寺康応己巳卯月十六日」 (1389) 

  昔、明智光秀の軍勢が成松の弘浪(こうろう)山の高山寺から持ち帰り
  軍鐘として使用していたと云われています。

  
  町の歴史に詳しい西山さん、後ろの榊は2月18日、午前0時から行われる
      厄除神社の祭礼で神の降臨する依代の木だそうです。

  神社には「三十六歌仙」を始め沢山の扁額が奉納されていました。
  
 厄除神社向拝部の蛙股(かえるまた)  天保14年(1843)に奉納された境内図の扁額

  
 近江八景の一部  「唐崎夜雨」    柏原観光案内所隣 もちのき科たらよう 
   夜の雨に 音をゆつりて 夕風は よそに名たつる から崎のまつ 

  
  台風の傷跡が生々しい

  
 柏原藩陣屋跡               銅製二宮金次郎像

  
 フォーラムを支える人々     柏原の自然や歴史、文化を語るふるさとガイドのみなさん

  
 フォーラムを支える人々        昭和6年八幡神社に奉納した柏原踊歌の扁額

 私は、フォーラムに初めて参加させて戴き、総会では「日本一のウラジロガシは残った」と題したお話をさせて戴きました。
 翌日は八幡神社を中心に町内を歩きました。偶然出会った西山さんからは神社の歴史を教えて戴きました。木の根橋脇の階段を下りて川にどんな生物がいるか観察しました。懐かしい魚がいました。ゴリに似た魚の稚魚でした。私はその魚の名前を知りたくて観光案内所にいた「ふるさとガイド」のみなさんにお聞きしました。一緒に川にも下りました。「何だろう」そう思ったガイドさんは年配のオジサンをお連れしてみんなで何だろうと考えました。そのオジサンは今度はバスの運転手さんに聞きました。「ちちんた」というのだそうです。みんなで大喜びしました。「木の根橋」のある川に「ちちんた」と云う名の魚がいる。面白いな、何という愛嬌のある魚だろう。
  昭和11年、野口雨情が山間の城下町、柏原に来ました。そして「柏原小唄」をつくりました。長期滞在をしたそうです。私にはどうしてこの町に来たのか、また長期滞在になったのか不思議でなりませんでした。でも「チチンタ」のお蔭でよく分かりました。献身的で明るくて、探究心があって、親しみがあり、雨情さんもきっと楽しくてしょうがなかったと思います。
         柏原小唄       野口雨情

          名さへ目出度い入船山に 町のまもりの八幡宮
          青葉かくれの三重の塔を 啼いて空ゆく 時鳥(ほととぎす)  
          見たか柏原太神川に かけて渡すは木の根橋
          咲いて見事な桜の陰に 春の花見は鐘ヶ坂
          町の真中櫓の上で つつじ太鼓がひるねする
          丹波柏原忘れてなろか 山の中だが城下町

          誰と別れか入船山の 夜明け鳥が啼いている
          庭の老松昔の名残り 今もしのばす御殿跡
          昔思えば鐘ヶ坂峠 幾度涙でこしたやら
          天の橋やら雪さえかけて 鬼の架橋見え隠れ
          鬼門封じて名高い寺は 丹波柏原円城寺
          いとしなつかし譲葉山の 下は柏原忘られよか

          
         
ダカ、タニシ、カワニナ、ヌマエビなどが生息していた柏原の農業用水路
   
    みなさんどうもありがとうございました
     
戻る