中沢の山王様
                               追加2009・7・12 淵野辺本町庚申塔
                               撮影2005.1.20
  
 年代不詳    (37×11cm)    伊奈石       破損が著しくなってきた背面部分

   

 中沢の山王様はもと、祠の中に祀られていました。山王信仰は一般的には江戸時代の初期頃から始まりました。神奈川県では1600年代の後半に石像物が集中的に造立されました。中沢山王様の造立年代は不明ですが、境内の前面に寄進されている2基の三猿塔は、元禄6年(1693)、元文2年(1737)と刻まれていることから本尊の山王様はそれらより古く感じられます。
 高さ37センチと小柄ながら顔立ちは南洋系を思わせ、手は3本で合掌をしているようにも見えます。前面にある猿のお顔は極端にデフォルメされ頬づえした猿はあたかも「城山の考えるサル」と云っても過言でないでしょう。顔をデフォルメしたことによって参詣者は自由な発想の中で様々に思いを寄せたことでしょう。
  

  
    向かって左側の三猿塔 元文2年(1737)  七沢石

  

  
 向かって右側の三猿塔 風化が激しく文字の判読が厳しくなってきています。元禄六年(1693)伊奈石
 城山町の石仏のほとんどは、丹沢に産する通称七沢石と呼んでいる火山礫凝灰岩と云う石で第3紀の時代に海底爆発によって生まれた石です。材質は柔らかく信州高遠から移り住んだ石工たちによって広まりました。山王様と、前の東側にある三猿塔は五日市方面で産する伊奈石でできています。硬砂岩の中に微量の石英が含まれているのが特長です。
 この三猿塔は七沢石が導入される前の古い時代のものです。
  
元文2年(1737) 七沢石 元禄6年(1693) 伊奈石

 
    石段 伊奈石   安永七年(1778)四月 

  
  中沢 山王林              三嶋神社 エノキ(現在は伐採されてありません)

   
元禄14年(1701) 念仏供養 庚申供養塔 下九沢     六地蔵
 
  
田名 享保元年(1716)   庚申供養塔 淵野辺本町5丁目 根岸橋右岸 宝暦8年(1758)戊寅12月
 七沢石の最も古い作例は、市内荻野にある宝永3年(1706)の題目碑と石切り場に近い七沢観音寺に忠兵衛、長五郎、甚助ら8名の石工たちが正徳2年(1712)に奉納した水鉢と云われています。
 七沢石の切り出しは18世紀初頭から行われ各地に広まって行きました。旧相模原市内では、宝暦8年(1758)、淵野辺本町に造立された「庚申供養塔」が比較的古く七沢石でできていました。
                 参考 厚木市郷土資料館 第9回収蔵資料展 職人の道具より

相模原市 牛の額 天明 2年壬寅(1782) 陽原 正徳元年(1711) 半在家 享保17年(1732)

       
       半在家  三猿搭(拡大図) 享保17年(1732)

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