セイノカミ 
撮影 2005.2.26
追加 2010・11・14 帰還した半在家のセイノカミ
追加 2010.11.21 田名葛輪地区を追加
追加 2016・10・25 当麻宿半在家・谷ケ原・根小屋地区を追加

      
   相模原市 堀の内                 堀の内 自然石のセイノカミ

 路傍の神様、道祖神は別名セイノカミとも云われ中部地方を中心に古くから信仰されています。相模原市内では田名だけしかない特異的なセイノカミを民俗的な立場から考えてみましょう。
 セイノカミは神奈川県が特に多く、その中でも特に相模川流域や大山山系では伊勢原、秦野盆地、相模川の支流小鮎川沿いに集中しています。中でも田名地区は更に多く堀の内にあるセイノカミは関東三大○○と云われています。
 田名地区にどうしてこんなに多いのかまったく分かりませんが、実にユーモラスな光景だと思います。
祭りの形態 
 セイノカミ祭り(ドンド焼、セイトバライ)は1月14日小正月の日に行なわれます。オンベ竿(御塀をつけた竹の竿)を中心にして、正月の飾り物を積み重ね火を放ちます。昔は小屋を作って遊んだり、通行人から賽銭をせがんだりしたそうです。
 城山町小倉では同日「セイノカミオンマラサマ」と大声で唱えながらどんど焼きを行なったと云われています。この時中心に立てたオンベ竿の倒れた方向に子供が生まれると昔から云い伝えられています。
オンベ竿の原型
 同じような風習は中国雲南省にも伝承されています。同じく小正月の日ですが、オンベ竿に似た竹を広場に数本立て、その周りを男女が踊りながら豊年を予祝します。(野会的要素がある)日本神話の中にも同じようなところがあります。イザナミとイザナギのミコトが柱のまわりをまわってやがて結婚するという場面です。オンベ竿にはそうした生産信仰的なところが見受けられます。
セイノカミの原型
 オンベ竿を中心とした「モノツクリ」の行事は国内でもかなりの報告例があります。南九州に伝わる「ハラメウチ」は奇祭とされハラメン棒(所によっては男根に似せている)を手にした子供たちが大地をたたいたり、お嫁さんに子供が生まれるよう尻をたたく風習が伝えられています。
 このハラメン棒について私論ではありますが、東南アジアの原始農耕民に伝わる堀棒に多くの類似点が見うけられます。
 堀棒の使い方は、山地の草木を焼いた後、簡単な棒で穴を堀りそこに種を蒔きます。農耕民にとって堀棒は大切な道具となります。道具としての堀棒がいつしか生産を意味するための性器信仰と結びついた。諸説も多くありますがこれがセイノカミの原型ではないかと思います。
                     昭和57年 「さがみ原よもやま話」より

      
    @「さがみ野」 S57.7月号より  Aなくなった凹石 半在家のセイノカミ

       
      境内裏のセイノカミ           陽原 自然石のセイノカミ

      
    B当麻山無量光寺境内のセイノカミ     田名地区のセイノカミ(撮影の時期不詳 )


      
    葛輪のセイノカミ   「葛輪出土の石棒について」の碑文より
出土地点 葛輪2797番地地先
出土時期 昭和48年秋
昭和62年12月吉日 葛輪自治会

      
    田名地区のセイノカミ(撮影の時期不詳 ) 津久井郷土資料館所蔵 城山町向原山王社境内

     撮影2006・5・22    撮影2006.7.17
         
     中沢 三島神社境内  大島 古清水 稲荷社  根小屋中野 飯綱神社 

                          撮影2008・2・11
      
     相模原市津久井町韮尾根       相模原市津久井町荒屋敷

                          撮影2008・8・12
      
    津久井町青野原諏訪神社境内   田名坂上

      
    相模原市津久井町青山       津久井町串川 中野堂境内

       撮影2008.7.15     撮影2010・9・5
      
    相模原市旧相模湖町寸沢嵐(すあらし)  相模原市上大島

   
   旧城山町・谷ケ原・八坂神社(旧社地)
      宝暦 六丙子六月吉日
            施主當所
奉納牛頭天王廣前    小池久兵衛
                  同 蔵〇
    子孫繁昌祈所敬白     



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旧津久井町・根小屋(県立津久井湖城山公園事務所入口)

     
           ↑ 当麻宿の道祖神  撮影2016・4・20

   
    半在家の道祖神   ↑ 撮影2016・2・28
               
   
    相模原市緑区旧藤野町佐野川 八幡神社境内  撮影2008・12・13


     
   座間市座間神社境内      相模原市磯部地区 石楯尾神社境内
   

  還って来た半在家の陰石と無量光寺の陽石
       貴重な民俗文化財をみんなで守りましょう 
                            撮影2010・10・19
 
なくなった半在家の陰石があったコンクリートの囲跡   なくなった無量光寺の陽石があった場所(石祠の右側礎石)


無量光寺無縁仏の中にあった陰石と陽石
 私は、昭和57年、相模原電報電話局が発行する局内報「さがみ野」に掲載するため、半在家のセイノカミを取材をしたことがありました。当時は陽石と陰石が共にあり、前面に五輪塔や宝筐印塔の笠部が置いてありました@。その後の経緯は分りませんが、平成17年にHPへの掲載をすることになり再度、写真撮影に当地を訪れました。驚いたことに陰石がなくなっていましたA。その頃、無量光寺内の熊野神社前の礎石のところにも陽石のあることを知っていましたので併せて写真を撮っておきましたB。
 その後、私は同寺五十二代霊随上人に興味を持ち始め、寺に通ううちに、なくなっていた陰石と陽石が同寺の無縁仏内にひっそりとあるのを偶然見つけました。

 今春、私は運悪く交通事故に遭ってしまい入院生活を
余儀なくされましたが、先輩である地元田名の四谷に在住する原さんに、このことをお伝えしたところ快くお引き受け下さり、地元自治会や永年石仏調査をして来られた皆さま方によって、無事もとの地に帰還されそうな雰囲気となってまいりました。
 この事を後世に伝えるため記録としました。   2010・10・28 保坂記

11月14日、元の場所に帰還したセイノカミ   撮影2010・11・14 
 
無量光寺の境内             半在家のセイノカミ


コンクリートで固定された無量光寺のセイノカミ
     修復施行 2010・11・16
 平成22年11月14日の午前中、田名半在家自治会々長他2名と「田名を知る会」の会長と私とで当麻山無量光寺に集合、厳粛な内にセイノカミ御帰還の行事を無事済ませました。男根石は元々あった寺の境内の熊野社の礎石の上に安置し、女陰石も元々あった半在家に運びました。女陰石は安置の前に、自治会館の脇から湧出している清水で洗い清め白い布に包んで花咲く道中を歩いて運びました。そして、女陰石は元々から残っていたコンクリートの穴にピッタリと納まり隣りの男根石の脇に安置されました。私はこうした現場に終始立ち会うことがで
き、感動的な一日を過ごさせて戴くことができました。
 半在家自治会と田名を知る会の皆さまのご厚意に対し、あらためて感謝しこうした信仰がいつまでも続く事を祈念したいと思います。
                   2010・11・16追記    

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