セイノカミ
![]() ![]() ![]() 相模原市 堀の内 堀の内 自然石のセイノカミ 路傍の神様、道祖神は別名セイノカミとも云われ中部地方を中心に古くから信仰されています。相模原市内では田名だけしかない特異的なセイノカミを民俗的な立場から考えてみましょう。 セイノカミは神奈川県が特に多く、その中でも特に相模川流域や大山山系では伊勢原、秦野盆地、相模川の支流小鮎川沿いに集中しています。中でも田名地区は更に多く堀の内にあるセイノカミは関東三大○○と云われています。 田名地区にどうしてこんなに多いのかまったく分かりませんが、実にユーモラスな光景だと思います。 祭りの形態 セイノカミ祭り(ドンド焼、セイトバライ)は1月14日小正月の日に行なわれます。オンベ竿(御塀をつけた竹の竿)を中心にして、正月の飾り物を積み重ね火を放ちます。昔は小屋を作って遊んだり、通行人から賽銭をせがんだりしたそうです。 城山町小倉では同日「セイノカミオンマラサマ」と大声で唱えながらどんど焼きを行なったと云われています。この時中心に立てたオンベ竿の倒れた方向に子供が生まれると昔から云い伝えられています。 オンベ竿の原型 同じような風習は中国雲南省にも伝承されています。同じく小正月の日ですが、オンベ竿に似た竹を広場に数本立て、その周りを男女が踊りながら豊年を予祝します。(野会的要素がある)日本神話の中にも同じようなところがあります。イザナミとイザナギのミコトが柱のまわりをまわってやがて結婚するという場面です。オンベ竿にはそうした生産信仰的なところが見受けられます。 セイノカミの原型 オンベ竿を中心とした「モノツクリ」の行事は国内でもかなりの報告例があります。南九州に伝わる「ハラメウチ」は奇祭とされハラメン棒(所によっては男根に似せている)を手にした子供たちが大地をたたいたり、お嫁さんに子供が生まれるよう尻をたたく風習が伝えられています。 このハラメン棒について私論ではありますが、東南アジアの原始農耕民に伝わる堀棒に多くの類似点が見うけられます。 堀棒の使い方は、山地の草木を焼いた後、簡単な棒で穴を堀りそこに種を蒔きます。農耕民にとって堀棒は大切な道具となります。道具としての堀棒がいつしか生産を意味するための性器信仰と結びついた。諸説も多くありますがこれがセイノカミの原型ではないかと思います。 昭和57年 「さがみ原よもやま話」より ![]() @「さがみ野」 S57.7月号より Aなくなった凹石 半在家のセイノカミ ![]() ![]() 境内裏のセイノカミ 陽原 自然石のセイノカミ ![]() ![]() B当麻山無量光寺境内のセイノカミ 田名地区のセイノカミ(撮影の時期不詳 ) ![]() ![]() 葛輪のセイノカミ 「葛輪出土の石棒について」の碑文より
![]() ![]() ![]() 田名地区のセイノカミ(撮影の時期不詳 ) 津久井郷土資料館所蔵 城山町向原山王社境内 撮影2006・5・22 撮影2006.7.17 ![]() ![]() ![]() 中沢 三島神社境内 大島 古清水 稲荷社 根小屋中野 飯綱神社 撮影2008・2・11 ![]() ![]() 相模原市津久井町韮尾根 相模原市津久井町荒屋敷 撮影2008・8・12 ![]() ![]() 津久井町青野原諏訪神社境内 田名坂上 ![]() ![]() 相模原市津久井町青山 津久井町串川 中野堂境内 撮影2008.7.15 撮影2010・9・5 ![]() ![]() 相模原市旧相模湖町寸沢嵐(すあらし) 相模原市上大島
![]() ![]() ↑ 当麻宿の道祖神 撮影2016・4・20 ![]() 半在家の道祖神 ↑ 撮影2016・2・28 ![]() 相模原市緑区旧藤野町佐野川 八幡神社境内 撮影2008・12・13 ![]() ![]() 座間市座間神社境内 相模原市磯部地区 石楯尾神社境内 還って来た半在家の陰石と無量光寺の陽石 貴重な民俗文化財をみんなで守りましょう 撮影2010・10・19 ![]() ![]() なくなった半在家の陰石があったコンクリートの囲跡 なくなった無量光寺の陽石があった場所(石祠の右側礎石)
11月14日、元の場所に帰還したセイノカミ 撮影2010・11・14 ![]() ![]() 無量光寺の境内 半在家のセイノカミ
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