城山自然の家 2012−3号
 神奈川県相模原市緑区小松川のほとり
 平成24(2012)年7月号
       
 私は昭和42年から隣町の町田市相原と云うところに住んでいました。毎日の通勤は横浜線を利用していました。その頃は、沿線に霧が立ち込め電車の遅れることがよくありました。電車から発する霧笛もよく聞きました。最近はそのようなことがなくなった気がしています。これも温暖化による気候の変化なのでしょうか。

掲示板の「城山さんぽ」から(部分)
 平成2年に入り、小松の中島福久松さんから小松や穴川地区に伝わる天気予報があるといわれ、お話を聞きに行ったことがありました。
 「城山自然の家」の掲示板にも書きましたが、こんなことをおっしゃっていました。
 「とばっ口(谷戸の入り口)の方から吹きつけてくる雨の時は「こりゃあ明日も雨だー」と云った。ま
た、 龍籠山の方から吹きつけてくる雨の時は「明日は、いい天気だんべえー」と云った。それから底冷えのする冬の日などは「この分じゃ、山は雪だんべえよ」とも云った。」と、「城山自然の家」は平成6年3月に建てられましたが、外壁がログハウス風木造建造物のため一部で壁が腐りかけてしまいました。建物をよく見ると西南北の壁は風雨の影響がないためか外壁はしっかりとしていましたが東側の下の方の部分が腐りかけていました。通常は誰もいないので正直なところ「荒れてしまった。」と云う感じです。
 でも、「自然観察の目」でもう一度、建物を観察しなおすと妙なところで納得をしてしまいました。それは福久松さんから聞いていた昔からの「言伝え」でした。東側の傷みは東側から吹き付けた強い風雨が原因だったのです。
 福久松さんは既にお亡くなりになりましたが、今から思うと「良い話を聞いといた。」とつくづく感心しています。
 昔から伝わる特色のある民家の構造や屋敷林のある風景など、長い間に培われた風土というものをあらためて思いおこしました。
  
東側から見た景観              西側から見た景観

こんな拾い物をしました。
  
 クスサンの繭    オオミズアオ
 「城山自然の家」の周辺は緑がいっぱいです。自然の家からすぐ近くの坂道を歩いていると歩道の枯葉の中にヤママユガの仲間のクスサンと云う繭が二つ落ちていました。繭は穴だらけでまるでレース糸で編んだ袋のような形をしていました。繭のかたちから「すかし俵(だわら)」と呼んでいます。繭の色は茶褐色をしていて、大きさは縦が
6cm、横が2.5センチもありました。
 6月28日、南風に乗ってどこからかオオミズアオの死骸がどこからか飛んできました。生きていれば全体が青白く4枚の羽の中央部には黄白色の小紋がついています。前羽の縁(ふち)は色あせていましたが茶色をしていました。本当は赤茶色で、クスサンよりも色彩がゆたかです。縁ぞいの茶色い色をしているところは骨のように硬(かた)くなっていて、大きな体を支えながら飛べるようになっていました。向かって右側だけの羽の長さは6.8cmもありました。
   撮影2012・7・23

ヤママユガの繭
 前に、広田小学校の玄関の明りに飛んできたと子供たちが大騒ぎしたことを思い出しました。
 7月23日、セミの鳴き声調査で小倉山の山道を歩いていると緑色をしたヤママユガの繭が落ちていました。クスサンは繭の上の部分に穴が開いていたのにヤママユガは真ん中に穴が開いていました。もう一つの繭も真ん中に穴が開いていました。ガの仲間によって、それぞれが違うんだね。
 
               (仮)城山自然の家だより
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