相原中継所の歴史 世界初三千キロの無装荷ケーブル 追加2012・2・26 年譜と大地沢地区の一部を追加 追加2012・2・28 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫(関連記事)へリンク
その論文には無装荷ケーブルにした場合、反響現象や位相歪等によるひばりの鳴くような音が入らない。声の伝播時間に問題がない。何よりも経済的。そして遮断周波数がない事から理論上では無数の搬送回線が得られるなど数多くの利点がある事を報告しています。 この方式を実証するための実験はその後も続けられおびただしい数の特許とともに遂に昭和14年、東京〜新京間に無装荷ケーブルルートが完成したのです。 ![]() 世界中が注目した3千キロにも及ぶ無装荷ケーブルは中野を基点に、ほぼ50km間隔に中継所を設けながら最終的にはハルピンまで布設されました。 この長大な設備を中継する相原中継所にはF−6搬送装置(1回線中に6回線を収容する装置)が設置されていました。当事発生していた障害には温度変化や真空管等の劣化によるレベル変動障害が最も多かったと言われています。また珍しいところでは鳥の大群による雑音障害等も発生したそうです。 相原中継所の人々(町田市相原町根岸地区) 2005・7・23 撮影 ![]() ![]() 相原中継所の前で 無装荷ケーブルが埋設されていた大戸付近 昨年暮、その当事相原中継所でご活躍されていた諸先輩にお集まりいただいて記念撮影を行いました。その表情には偉業をなしとげてこられた何かふつふつとした情熱を感じました。 今INS構築時代にふさわしく、我々もまたエネルギッシュに燃えようではないか。 さがみ野 昭和58年新年号より 保坂記 ![]() ![]() ![]() 埋設されたケーブルは鑓水方面から相原中継所を経て大地沢で山越え、梅ノ木平を経由して西に向かっていました。コンクリートの塊(5ヶ所)はその当事に作られたもので近年までケーブルが所々に露出していました。 撮影2012・2・4 ![]() ![]() 梅ノ木平と後方の高尾山 露出している無装荷ケーブル ![]() ![]() 大地沢から梅ノ木平へ向けた山道に見る布設の標識 ![]() 世界初三千キロの無装荷ケーブルが完成するまでの年譜
参考 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ - 新聞記事文庫 切抜帳一覧:逓信事業 第8巻 列国を尻目にして電話の画期的発明 : 一回線ケーブルで六回線OK : 逓信省技師の殊勲 (神戸新聞 1935.5.16 (昭和10))[逓信事業 8-004] モシモシ”興亜建設”へ日・満・支を声でつなぐ : 世界に誇るケーブル完成輝く通話祝賀式 (国民新聞 1939.9.28 (昭和14))[逓信事業 8-262] 誇りの日満声の聯絡 : 世界最長東京奉天間無装荷式ケーブル : きょう晴れの開通式 (大阪朝日新聞 1939.9.30 (昭和14))[逓信事業 8-263] (所蔵:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫) 電気通信自主技術開発史 搬送電話編 編集 日本電信電話公社技術局電気通信自主技術開発史編集室 発行 (社) 電気通信協会 昭和47年5月 関東電信電話百年史 中 下 発行 関東電気通信局 昭和43年3月 (表紙) 「昭和十四年 日満連絡線ノ分擔並通信料金分配改定協定(其ノ三) 電務局外信課」 (表紙)「日満連絡装荷ケーブルの完成に際して 逓信省工務局 昭和14年9月」 堺村誌 堺村誌編纂委員会 発行 昭和50年12月 戻る |