相原中継所の歴史
  世界初三千キロの無装荷ケーブル
                                 
           追加2012・2・26 年譜と大地沢地区の一部を追加
           追加2012・2・28 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫(関連記事)へリンク

松前東海大総長
 大正末期から昭和の始めにかけて我が国は慢性的な経済不況におおわれていました。失業者の増大、円貨の暴落による国際収支の悪化など様々でした。
 そんな当事の状況下の中で躍動感に満ち満ちた二人の若き青年がいました。松前重義博士と篠原登博士です。これまで外国製品に頼っていた電気通信機材を自主技術の開発によって国産化しようというのです。
 昭和6年満州事変が勃発。そして翌年の3月には満州国が建国されてゆくその頃、二人の博士によって世界で最初の無装荷ケーブルによる搬送方式が学会に発表されたのです。
 「長距離電話に無装荷ケーブルを用いるなんてとんでもない事だ。無装荷ケーブルでは通話電流がすぐに減衰して遠方に届かないからこそ、ケーブルに装荷して減衰を少なくしているのだ。」と、当事は装荷ケーブルが学会の常識になっていたのです。
 その論文には無装荷ケーブルにした場合、反響現象や位相歪等によるひばりの鳴くような音が入らない。声の伝播時間に問題がない。何よりも経済的。そして遮断周波数がない事から理論上では無数の搬送回線が得られるなど数多くの利点がある事を報告しています。
 この方式を実証するための実験はその後も続けられおびただしい数の特許とともに遂に昭和14年、東京〜新京間に無装荷ケーブルルートが完成したのです。
          
 世界中が注目した3千キロにも及ぶ無装荷ケーブルは中野を基点に、ほぼ50km間隔に中継所を設けながら最終的にはハルピンまで布設されました。
 この長大な設備を中継する相原中継所にはF−6搬送装置(1回線中に6回線を収容する装置)が設置されていました。当事発生していた障害には温度変化や真空管等の劣化によるレベル変動障害が最も多かったと言われています。また珍しいところでは鳥の大群による雑音障害等も発生したそうです。

  相原中継所の人々(町田市相原町根岸地区)     2005・7・23 撮影
  
     相原中継所の前で        無装荷ケーブルが埋設されていた大戸付近

 昨年暮、その当事相原中継所でご活躍されていた諸先輩にお集まりいただいて記念撮影を行いました。その表情には偉業をなしとげてこられた何かふつふつとした情熱を感じました。
 今INS構築時代にふさわしく、我々もまたエネルギッシュに燃えようではないか。 
                           さがみ野 昭和58年新年号より  保坂記
  
   
 埋設されたケーブルは鑓水方面から相原中継所を経て大地沢で山越え、梅ノ木平を経由して西に向かっていました。コンクリートの塊(5ヶ所)はその当事に作られたもので近年までケーブルが所々に露出していました。

                              撮影2012・2・4
  
 梅ノ木平と後方の高尾山             露出している無装荷ケーブル

  
 大地沢から梅ノ木平へ向けた山道に見る布設の標識

 
                  
           世界初三千キロの無装荷ケーブルが完成するまでの年譜
1912 大正1年 朝鮮海峡に電信海底線を布設(吉見ー岩南 116海里)
鳥潟博士らTVK式無線電話を発明。
1913 大正2年
1914 大正3年
1915 大正4年
1916 大正5年 逓信省電気試験所で真空管式無線電話の研究を開始
1917 大正6年 鳥潟博士ら無線式有線電話を発明。(搬送の始め:電話線路に高周波を通す多重電信電話)
1918 大正7年 鳥潟博士ら、世界初電力線搬送実施(鬼怒川の発電所〜変電所)
1919 大正8年
1920 大正9年 装荷線輪、日本に初めて施設(米国輸入品) 東京ー名古屋(2.9mm架空銅線に14km間隔)
1921 大正10年
1922 大正11年 初の大阪ー神戸102対重信装荷ケーブル開通
1923 大正12年 日本初市内電話自動化 大連市(5000端子)
1924 大正13年
1925 大正14年
1926 昭和1年
1927 昭和2年
1928 昭和3年 初の装荷長距離ケーブルが開通(東京ー神戸)、京都御大典模様を東京へ電送(初の写真電送)
1929 昭和4年
1930 昭和5年 国産ケーブル、装荷線輪により、東京ー岡山の長距離重信装荷ケーブル工事竣工。
国産自動交換機(ストロージャ)中野で改式
1931 昭和6年 朝鮮海峡の吉見ー岩南海底電信ケーブルで搬送電信ならびに電話回線の試験実施
1932 昭和7年 ※逓信省で無装荷ケーブル搬送方式提案(松前重義、篠原登)
無装荷ケーブル方式実験
  
宇都宮ー小山0・9mm電信ケーブル使用(折り返し500Km)
1933 昭和8年 無装荷ケーブル方式実験
  大阪ー神戸0・9mm電信ケーブル使用(折り返し720Km)
1934 昭和9年 無装荷ケーブル搬送方式試作試験開通(尾道ー美郷 7・5km)
長距離市外電話網の基本方式として無装荷ケーブル搬送方式採用決定。
同軸ケーブル伝送理論を米国、S,A,Scheiknoff,L・Espenshied他が発表  
1935 昭和10年 仙台ー福岡、武雄(佐賀県)の主要幹線路の装荷ケーブル化完成。
1936 昭和11年 ATTおよびベル研究所は試験用同軸ケーブルを世界で初めて布設。
(ニューヨークーフィラデルフィア)
日満間無装荷ケーブルルートの先行の一環たる28P無装荷鉛被紙海底ケーブル布設(小野田ー刈田 下関海峡20km)
1937 昭和12年 安東ー奉天(282km)無装荷搬送方式開通 3ch
名古屋ー大阪 電信ケーブル利用無装荷搬送方式開始(上名古屋・大垣・膳所・大阪)
朝鮮海峡第1無線装荷海底ケーブル布設 (福岡ー釜山)
1938 昭和13年 大阪ー奉天 無装荷搬送方式による直通電話開通。
同軸方式実用化実験施行(日本独自方式)
  
横浜市日吉電話局附近12・5Km布設(4心ケーブルで、1号・2号)
1939 昭和14年 東京ー名古屋(中仙道ルート=国際ルート)無装荷搬送ルート完成。3ch
東京ー奉天無装荷搬送方式による直通電話開通(2700km)
無装荷3CH搬送方式から6CH方式へ実用化
1940 昭和15年 北京ー天津  新京ー奉天 6ch 無装荷搬送方式開通 
新京ー東京 (約3000km)日満無装荷搬送方式ルート完通 6ch
1941 昭和16年 仙台ー盛岡、彦根ー麻生津 無装荷搬送方式開通。 6ch
渋谷ー島田(200k)同軸ケーブル布設一部試験通話(世界大戦で挫折)
1942 昭和17年 名古屋ー大阪(奈良ルート=国際ルート)無装荷搬送方式完成。 6ch
哈爾賓(ハルピン)ー新京 無装荷搬送方式完成
1943 昭和18年 同軸入複合搬送ケーブル実験実施 東京ー足柄
台湾縦貫無装荷搬送方式開通。 3ch
米国、無装荷ケーブル搬送K2方式(12ch)発表
1944 昭和19年
1945 昭和20年
1946 昭和21年

   参考 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ - 新聞記事文庫 切抜帳一覧:逓信事業 第8巻
        列国を尻目にして電話の画期的発明 : 一回線ケーブルで六回線OK : 逓信省技師の殊勲
           
(神戸新聞 1935.5.16 (昭和10))[逓信事業 8-004]
         
モシモシ”興亜建設”へ日・満・支を声でつなぐ : 世界に誇るケーブル完成輝く通話祝賀式
              (国民新聞 1939.9.28 (昭和14))[逓信事業 8-262]

         
誇りの日満声の聯絡 : 世界最長東京奉天間無装荷式ケーブル : きょう晴れの開通式
              (大阪朝日新聞 1939.9.30 (昭和14))[逓信事業 8-263]

       所蔵:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)
       電気通信自主技術開発史 搬送電話編 
                 
編集 日本電信電話公社技術局電気通信自主技術開発史編集室
             発行 (社) 電気通信協会 昭和47年5月
 
            関東電信電話百年史 中 下 発行 関東電気通信局 昭和43年3月
            (表紙) 
「昭和十四年 日満連絡線分擔通信料金分配改定協定(其ノ三) 電務局外信課」
         (表紙)「日満連絡装荷ケーブルの完成に際して  逓信省工務局 昭和14年9月」
        
堺村誌 堺村誌編纂委員会 発行 昭和50年12月

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