麻溝の牛蒡(ゴボウ)まつり  麻溝ごぼう音頭
作成 2010・10・5 
追加 2010・10・28 さがみはら農産物ブランド関連記事
追加 2016・4・21 「當麻通信 No 90」の記述を追加
追加 2018・1・8 「麻溝ごぼう音頭」の振付図を追加

   
    青年団運動会で踊る9人の娘さん
      
「公民館報 あさみぞ 第179号 市立麻溝公民館  発行 平成20年6月」より転写

 戦後の復興は、先ず食べることから始まりました。相模原市内では、相原の当麻田で畑地から水田への開田工事や満州から引き揚げて来られた皆さんや県内外から来られた皆さんで結成された開拓団によって大野台の山林開墾による食料増産の時代等がありました。また翌年からは食料増産のために、相模原畑地灌漑期成同盟が結成され相模原の農業は時代の要請に応え発展して行きました。
 こうした状況下の中、麻溝地区では牛蒡づくりが盛んになりました。麻溝ごぼうは味が大変によいと云うことで京浜や遠く大阪方面にまで出荷され、麻溝の畑という畑はごぼう一色になったと云います。
 その頃、麻溝小学校の四年生だった内田洋子さんは「学校のかく声器から景気のよい牛蒡音頭がきこえて来る。なんだかじっとしてはいられない気持ちになって急いで学校にいった。とても大勢の人出でした。ひんぴょう会の入り口には親子あひるがかざってあった。・・・・・・」と書き綴り、なんだかじっとしてはいられないと、子供たちにとっても楽しみの行事の一つになっていました。


       撮影 2010・10・19

麻溝のゴボウ畑
 上記の写真は、青年団の運動会で「ごぼう音頭」を踊っている貴重な写真です。頭には手ぬぐいの姉さんかぶり、かすりの着物に赤いたすきと赤い前掛けと云う姿で、県内外に出向き「麻溝ごぼう」の宣伝をし続け、その踊りは麻溝ごぼうと共に高い評価を受けました。
 麻溝ごぼう音頭は、左の楽譜の作詞作曲者欄に「戦後の食糧増産運動の中で、麻溝特産のごぼうが広まるよう願いを込めてこの曲が作られました。」とあるように農家の人々の願いが込められていました。
 曲想も「ヤレ打て、ソレ蒔け おらが麻溝ごぼうで光る」とか「故郷(くに)の糧(かて)積む 車が続く」とあるように希望と活気に満ち溢れた明るい曲想になっています。
 しかし、昭和30年代に入ると相模野台地にも工場誘致が始まり生産農家は栽培が重労働なこともあり、次第に作付面積が減少して行きました。
 そうしたことから、次第に「麻溝ごぼう音頭」も歌われなくなってしまいました。
 こうした事を憂い、「公民館報 あさみぞ 第179号 市立麻溝公民館  発行 平成20年6月」では麻溝探訪欄の中で「麻溝ごぼう音頭」を特集し末尾に「「ごぼう音頭」がいつの日にかまた麻溝の自慢の音頭として踊られる日が来たらどんなに素敵なことでしょう。」と結びました。(作詞 植村栄輔/作曲 石井歓)
旧相模原市におけるゴボウと大和イモの作付面積の推移(単位:ha)

相模原の畑作調査報告書より 相模原市教育委員会 昭和61年3月発行 



ポートレンチャーによる収穫作業 
  昭和44年から導入されました。
 相模原市南区麻溝地区で生産されているゴボウは、関東ローム層に覆われ土壌が粘土質のため砂地と違って収穫時には手間がかかり大変な労力を費やしていました。ポートレンチャーが導入される前は、ゴボウが痛まないよう丁寧にスコップや鍬を使いながら掘っていました。その後、ポートレンチャーや種蒔き時のシーダーテープの導入等も行われ、農家の経営形態の向上が次第に図られ、美味しい麻溝のゴボウづくりが進められて行きました。現在ではゴボウの生産農家も少なくなりましたが、昨年度からはゴボウ料理の発表会や品評会等も行われるようになりました。
 作物は異常気象に左右されやすく大変だと思いますが、美味しい麻溝ゴボウの継承にご尽力されて来られた農家の皆様方にあらためて感謝したい気持ちです。
 そして、内田○子さんが書かれたあの感動を再び呼び戻して戴けたらと思います。
                             撮影 2010・10・19 
 
猛暑による影響を激しく受けた麻溝のゴボウ畑   麻溝のニンジンと後方の大和芋畑


「土つき四キロ袋入りゴボウ」の出荷風景 麻溝農協前
麻溝ごぼう音頭
              
三
ハアー きのう京浜 今日大阪と
故郷の糧積む 車が続く
お国自慢の 品くりだして
はるばる国の ソレ台所
ヤレ積め ソレ蒔け
おらが麻溝ゴボウで光る
種が築いた この栄え

  
 市場 生産組合倉庫前の掲載されていたポスター  
資料@
牛蒡まつり 麻溝小5年 内田洋子さん  昭和26年 「文集相模原三集」より
 大山の峰がはっきりと見える。青空の中に白い卵形の雲が二つ三つ浮いて、とても美しい朝だ。
 学校のかく声器から景気のよい牛蒡音頭がきこえて来る。なんだかじっとしてはいられない気持ちになって急いで学校にいった。とても大勢の人出でした。ひんぴょう会の入り口には親子あひるがかざってあった。それはさつまいもで作ってあるのでおどろいてしまった。牛蒡をはじめその他の野菜が第二校舎全部にいっぱいなあらべてあった。どれもこれもみんな立派な物ばかりでした。
 しんせきの谷戸のおじさんの牛蒡が一等に入っていたのでうれしかった。午後から「こうどう」でえんげい会をやった。あねさんかぶりで赤のたすきをかけた中学生の牛蒡おどりはとてもよかった。
 牛蒡まつりの一日を楽しく遊んで、相模川の夕景をながめながら家の帰った。

     阿部太郎 「時代(とき)の語りべ −相模野の小さな星たち−」 文芸社 発行2000・4
資料A
 昔、東京で品評会があった。ゴボウが一等になり記念に自転車をもらった。帰りはその自転車に乗って当麻の宿まで帰った。   当麻山無量光寺で聞いた話 採話:2010年の春

西暦 和年号           ゴボウにまつわる主な出来事
1945 昭和20年
1946 21年
1947 22年 9月 相模川の洪水で磯部頭首工大破、取水不能となる(キャスリン台風)
1948 23年 5月 麻溝・上溝農協設立
6月 大野・田名種豚(後に田名畜産)農協設立
10月 田名農協、澱粉工場操業開始。
 この頃、座間博が中心となり「麻溝ゴボウ生産販売組合」を組織、その後田名、勝坂や上依知方面迄、組合員を広める。(最盛期は70ヘクタール、400戸の栽培農家を数える)
〇この年、食料増産のため相模原畑地灌漑期成同盟(会長相模原町々長小林与次右衛門))が成立。
1949 24年 2月 相模原開発畑地灌漑事務所開設
3月 畑地灌漑事業着工
12月 麻溝小学校・子供麻溝農協を設置し、児童の貯金奨励
1950 25年
1951 26年 〇この年の文集に、麻溝小5年生の内田洋子さんが「牛蒡まつり」の事を書き綴る。 
佐藤千代江さんから聞いた話
   踊りが全国一等賞
 昭和26年
・小山に年ごろのはたちの踊り手が9人いたので、それで何とか都合が良いのでまとまったのでしょう。
・踊りを教えてくれた人は麻溝小学校の山口英男先生でした。
・地域の青年団の運動会にもあちらこちらで踊り、県にも行きました。
・中でも東京の読売ホールで行われた「はたち祭り(20歳の集い)」に行き、全国一になったことをよくおぼえています。ほかの参加者は出来合いの“また旅もの”などで、創作の踊りは人目をひいたのでしょう。終わりのあいさつで、徳川夢声さんが激賞、「この踊りをアメリカにもっていっておどりましょう。」と言ってくれました。(実現しませんでしたが)
・そろいの衣装の絣は、上溝の藤田屋で買ったのでしよう。
・振付は三番の終わりまでが異り、(石井)漠さんの斬新なものでした。      
      「當麻通信 No 90」より  



1952 27年 6月、「神奈川県立相原農蚕高校(現相原高校)同窓会」が「相模原町の名産麻溝ごぼう」を発行する。
〇この年、安西克己さんが、「第五回全國農林産物品評会」牛蒡の部で一等となり、記念の自転車を授かる。
1953 28年 10月、 「(財)国土計画協会・国土」に、神奈川県 企画審議課が「神奈川県相模原における畑地灌漑の概況」を報告する。  参考 灌漑地区内の営農状況については古山地区が選定され報告がなされていました。

    畑地灌漑用水路と古山地区
三、灌漑地区内一部落における営農の実態
 
調査地である相模原町古山部落は、昭和二四年の陸稲作から灌水が始められた所で部落の耕地は相模原沖積地(下地)と相模原台地(上の原)とにまたがって居り、総戸数一〇九戸のうち農家が九二戸である。一戸当たりの経営耕地は七・四反(内水田〇・七反、畑六・七反)である。/農業生産の中核は畑作で、陸稲、甘藷、麦、養蚕が加わった典型的な畑作地域の特徴を示している。最近商品作物として、ごぼうの適地として、関西市場にその声価を獲得するに至るようになった。/この地区の農業経営は最近十数年間にかなり著しい条件変動にさらされた。それを代別すると(一)耕地の変動と(二)兼業機会の増加と(三)畑地灌漑の導入である。/耕地の変動は軍用地の買収ー解放を通じて一種の階層平準化が行われた、これに耕作面積の小さな階層に対して優先的に解放地の割当がなされ、従ってこの過程においては下層階級
の相対的上昇が行われたのであった。/第二の兼業機会の増加は軍需産業との結合から戦後の駐留軍労務の提供水道工事々業への労務等農業兼業者の比率が六五%と極めて高いことである。而もこの兼業者はあらゆる階層に分布し、上層農家の兼業率が高いことも著しい特徴をなしている。(略)
11月23日、安西克己さんが、「第六回全國農林産物品評会」牛蒡の部で優秀賞を受賞する。
〇この年、「麻溝園芸農協」と名称を変えていた「麻溝ゴボウ生産販売組合」は再建された「麻溝農協」と合併する。
1954 29年
1955 30年 30年代に入り組合運動が不振に陥り、以後衰退の道を歩む。
1956 31年
1957 32年
1958 33年 8月 首都圏整備法による市街地開発区域(第1号)に指定され工場誘致が始まる。
1959 34年 〇この年、現在の「麻溝園芸組合」が設立。30歳代の働き盛りの農家20名が参加。組合長に中島豊さん選ばれる。
1960 35年 1月 麻溝農協、有線放送事業開始
1961 36年
1962 37年
1963 38年
1964 39年 3月 相模原畑地灌漑事業完了
1965 40年 11月 第1回・相模原市農業まつり開催
1966 41年 9月 台風26号襲来
1967 42年 7月 鶏にニューカッスル病が発生、養鶏農家が大打撃を受ける。
1968 43年 〇この年から足柄農協への凱旋販売も始まる。
  販売については当初より麻溝地区のみ共選共販で横須賀青果等へ市場出荷していた。
1969 44年 〇この年、麻溝地区に集団的技術導入資金県下第1号でポートレンチャーが導入され大幅に省力化が図られ品質も著しく向上する。
 それ以前は耕運機の導入がやっとで、ゴボウのように深耕を必要とされる野菜の栽培は多労を要した。春から秋の間は養蚕を始め他の農作業があるため、冬の打ちにスコップと鍬だけで畑を60〜75センチの深さまで掘り天地返しを行った。10アールの畑をなし終えるまでに二十日間もかかったそうだ。種子の蒔き方も播種機が導入されるまでは古自転車の車輪を改造しリムの部分で畑に播種位置の印をして丁寧に種子を落としたそうだ。収穫作業は最も重労働を極め、鍬や鉄の棒も利用してスコップで掘り上げるというものだった。
1970 45年
1971 46年
1972 47年 小田原農協へも販路を拡大させる。
 販売の方法は年末に注文をとって販売するもので「土つき四キロ袋入りゴボウ」として出荷していた。
1973 48年
1974 49年
1975 50年
1976 51年
1977 52年 〇この年から、加工業者とも取引を行う。
 量的には少ないものの、規格荷送にそう気をつかうこともなく手間がかからないことから徐々に増えて行った。また県内各市場は四キロ入りビニール袋で出荷される。
1978 53年
1979 54年
1980 55年
1981 56年
1982 57年
1983 58年 〇この頃から、間引き労働の省力化を目的としたシーダーテープ播種の利用が増加。
1984 59年
1985 60年
1986 61年
1987 62年
1988 63年
1989 平成元年
1990 2年
1991 3年
1992 4年
1993 5年
1994 6年
1995 7年
1996 8年
1997 9年
1998 10年
1999 11年
2000 12年
2001 13年
2002 14年
2003 15年 〇この年、「さがみはら農産物ブランド協議会」が設立される。「さがみはらのめぐみ」の名称やマークの表示等を行いながら積極的な「さがみはら農産物ブランド」のPR活動が開始される。
2004 16年
2005 17年
2006 18年 4月2日、「相模原市民桜まつり」において、「さがみはら農産物ブランド協議会」が「さがみはらのめぐみ消費拡大キャンペーン」を行い、地元の料理・おふくろの味として「さがみはらのめぐみ」に認定されている野菜等を使った「ごぼうと豚肉のうどん」の販売、パネル展示等を行う。
2007 19年
2008 20年 〇この年、農家女性のグループ「相模原市アグリレデース(旧相模原市女性農業者連絡協議会)が中心となって行うゴボウを使った料理の活用を提案。昔ながらの家庭の味だけではなく、若い世代にも受け入れられる料理を提案しようと、豚肉とゴボウの梅味噌(みそ)」や「ゴボウのビビンバ風」など新しい料理法の研究が始まる。
2009 21年 11月8日、「第45回相模原市農業まつり」が淵野辺公園中央広場で行われ、相模女子大学健康栄養学科 食育・調理学研究室のゼミ生と寺嶋先生等によって、「さがみはら農産物ブランド協議会」に協力、地場野菜を使った「ごぼうの菓子や洋風ごぼうの煮込み」等、ごぼう料理の紹介や試食会が開かれる。
12月15日、「さがみはら農産物ブランド協議会(会長・中里敏明市農協組合長)」が市役所本庁舎正面市場広場に於いて市内の農家が育てた「ごぼうの共進会」を行う。
    農家の20人から出品された20点(1点あたり5本)を県農業技術センター北相地区事務局の職員が形や重さ、色などを審査、
      優秀賞2点、優良賞4点を選んだ。

2010 22年 12月、「さがみはら農産物ブランド協議会(山口研一会長)」が相模原産「ごぼう」のブランド化に向け、市内で初めてごぼう料理のレシピ集の募集を行う。 タウンニュースNo234号12月16日号より
2011 23年
2012 24年
2013 25年 〇この年、寺嶋則子・米澤加代・小暮更紗・小林雅・関友恵が「相模女子大学紀要 第77号」に「相模原産麻溝牛蒡の研究」報告を行う。
2014 26年
2015 27年
2016 28年 4月17日、中島聰さんが「當麻通信No90」号を発行、「麻溝のごぼう」と「ごぼう音頭」を特集する。
4月20日、「ごぼう音頭と石井登様とごぼう娘が語る会」(会長:中島聰)が麻溝公民館で開かれる。
7月25日中島聰さんが「麻溝ごぼう音頭」の振付をされた石井漠先生の記念碑(浅草・浅草寺の奥山)を訪ねる。
9月1日、「会報 麻溝ごぼう音頭 第1号」が「麻溝ごぼう音頭保存会 白井良幸会長」から発刊される。
11月23日、麻溝農業まつり特設会場において復活「麻溝ごぼう音頭」を初演、好評を博す。
     
   2016・JAまつり  「麻溝ごぼう音頭」の初演前の舞台裏
2017 29年
2018 30年 1月7日、前9時より神奈川TV「かながわ旬菜ナビ」の番組で「麻溝ごぼう音頭」が紹介される。(8日、再放映)
2019 31年







                               (振付図の作成 保坂)
         取材にあたり、麻溝地区座間照義さまを始め、麻溝公民館、麻溝農協の皆様には大変お世話になりました。
           あらためて御礼申しあげます。

参考資料
麻溝公民館五十年のあゆみ  麻溝公民館創立50周年記念事業実行委員会 発行 平成12年11月
公民館報 あさみぞ 第179号 市立麻溝公民館  発行 平成20年6月
写真集 さがみ野の流れ 相模原市農業協同組合 発行 平成5年10月
相模原市農協二十年史 相模原市農業協同組合 発行 昭和58年10月
阿部太郎著 「時代(とき)の語りべ −相模野の小さな星たち−」 文芸社 発行2000・4
第40回JAまつりのパンフレット (裏面) H28 素人演芸・郷土芸能大会プログラム 
     順番9 踊り ごぼう音頭 佐藤千代江 他6名 予定時間 11;40 7支部

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