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いつの時代も旅は楽しいものです。「東海道中膝栗毛」書いた十返舎一九は「甲州道中記」も書きました。内の女房は阿多福だとか甘鯛のような面つきなんて、怒られそうなこと云いながら与瀬を通ります。茶店では鮎の寿司を食べながら「・やわらかでよい・・」と云い、こんなことも書いた。「舟渡しあり、渡し守に、川の名をとへば、さくら川といへり、比の川二度渡りて、程なく吉野の宿なり。比川、不二の雪とけて、比川に水ます。雪花に似たるもの故、桜川の名ありと。」
与瀬は甲州街道一宿の一つで弘化元年(1844)には、宿高390石、町並み6町50間、人口566人、戸数114戸、本陣1、旅籠6、問屋場1ヶ所があった宿場町です。
与瀬の宿にも多くの人々が行き交った、芭蕉や素堂も歩いた。与瀬神社絵馬堂は明治19年に建立された。そこに俳句を奉納した人々は愛川、田名、川尻、溝村など広範囲に渡っている。天井格子に描かれた赤い色はベンガラか、当時の人々の暮らしが見えてくるようです。 |