51年前の城山町の様子
                                 2006・1・15作成
 今年で城山町は誕生して51年目となりました。城山町は、川尻村、湘南村と三沢村の中沢地区が一緒になり誕生しました。51年前の合併の頃を「城山町広報」でちょっと探って見ました。
 当時は今と違って世帯数も少なく、合併を記念して門標を全戸数分、手書きで作ったことなど、どこか暖かな風情が伝わって来るような気がしました。また、広報3号からは一町民としての声など、今でも適用できそうな、ご提言のようにも思えました。そして、その事をあえて承知しながら、広報への掲載に踏み切った編集者たちの思いは、果たしてどのようなものであったか。

             「城山町広報」創刊号 昭和31年1月15日号から抜粋
    
   昭和31年1月 「城山町広報」創刊号     合併当時の城山町役場
城山町の将来
新町建設計画進む  
 城山町長 小磯武二
 町村合併によって城山町の発足を見たのでありますが、その建設計画は策定に当って地域全体について有機的な開発と合理的な経営によって、町民各位の所得水準の向上と、福祉の増進を図ることを目的として当時の財政力を慎重に勘案して現実に策定すべきでありましたが、当時の、県及び国の合併に対する指導要領は誠に総花的補助態勢を宣伝したためにやや財政力を飛び越えている感のある、5ヵ年建設計画が立案認定せられているのでありまして、この事は独り城山町ばかりでなく全国的に同様でありましょう。
 合併後9ヶ月を経た城山町においては当初の計画について、再検討を加えなければならないと思うのであります。即ち、現実性を持った計画でなければならないからでありまして、その現実性というのは合併による行財政力統合の効果を積極的な経営建設の上に活用するものでなければならないと言うことでありましょう。
 今、城山町に於いては既に議会議員を初め各種の行政或いは生産緒団体の統合が進められたのでありますが、尚、今後の残されている農業共同組合、或いは商工業団体、婦人会、青年団等々統一を図るべき幾多の問題がありまして早急に実現することを望ましく思うのでありますが、又町民各位の自主的な協力を必要とする丈に町民各位の福祉の増進を無視して統一を強要するものでもないし、と言って成行きにまかせる問題でもないと思うのであります。要はこれ等の問題は、各位の欲に言われている部落的な気持ちを捨てて帰すべき処に結集すべきであると思うのであります。
 斯くして城山町の行財政力統合の効果を把握することが出来ると思うのであります。
 今、この統合の効果によって事業面に於きましても久保沢、原宿の上下水道の改修、或いは、道路の舗装、或いは音楽室或いは三十年度公営住宅の建設も行われて、新町5カ年計画の一部が着々と実行せられつつあります。従って、将来全町に亘って5カ年計画がせらるることと確信する次第であります。
 その他行政機構の整備も急いでいるのでありますが、急いで無理のないように慎重を期して進み度いと思うのであります。これは要するに城山町一体性の確保を必要とするのでありまして名実共に自治団体としての基礎を強化してその発展の基礎を固めるために町民各位が速やかに旧村時代の意識を払拭して城山町としての自治意識に目ざめることが急務であります。
 ここに於いてこの度広報委員会が設置せられたことは誠に有意義なことで、あらゆる機会をとらえて城山町建設の広報活動を行うと共に公共的団体を統合して地区的観念を一掃して城山町の均整のとれた発展と総合性の確保に留意して前進を続けたいと存じます。
 城山町建設5カ年計画を列挙したいが紙面の都合上省略します。
農村婦人の声
 農村の婦人は男子と同様に農業に従事し、その上育児や炊事や掃除、洗濯等が重なり場合によっては男子以上の重労働となります。年中唯営々として牛馬の如く働くのみでこれという娯楽がありません。
 娯楽は人間生活の必要素でありますから婦人会として娯楽の質と量につきよく研究して必要な設計をたて農村婦人のレクレーションとして楽しむことが大事と存じます。(湘南婦人会長 斉藤きく)
わが町の教育の現況
教育委員会制度が、昭和27年11月に発足いたしまして、3ヵ年余りを経過いたしました。
 新生城山町になりまして、日が浅いので未だ軌道にのっていない感がありますが、荒筋を誌します。
 学校は、中学1校(相模丘)、小学校2校(川尻、湘南)により義務教育が実施され、社会教育は城山町公民館を中心に、各部落のクラブを分館として、公民館活動が、おこなわれております。又就学前の子供を対象として、幼児学園も、城山町公民館(川尻地区)、中沢クラブ(中沢地区)、小倉湘南寺(小倉地区)、葉山島東林寺(葉山地区)4箇所に開設され、指導員3名にて、巡回指導にあたっています。
 社会教育は昭和27年度より県社会教育研究村指定により公民館を中心に、各種団体の社会教育が行われています。
 公民館も、県研究公民館としてその活動も着々と効果的な利用に進んでいます。
 毎年農閑期(1月より3月まで)成人学級が開かれて、町内の婦人(年齢20才より25・6才)の教養向上のための、学級が開設されている。又婦人会を中心とした、料理講習、講演等も適当な時期に開かれ公民館活動の一端として大いに重視されています。
 社会教育は、なかなかむずかしいが、身近から一つ一つ効果を挙げるよう、社会教育委員会にて計画されています。
 学校関係では、中学校には今年明るい音楽室も出来た。川尻小学校、湘南小学校も県のいろいろの研究実験校に指定されて、活発な研究と指導に、校長始め職員は、頑張っております。
 又PTAを始め、学校教育については、父兄の御協力によって、当局始め教育委員会としても皆様に対しては感謝しております。よい子供、明るい子供を作ることを目標に、よい教育が実施されるよう、努力しております。
 教育は、学校教育と、社会教育を2面として広い範囲です。町の将来の発展に、あらゆるものが教育に負う所が甚大でありますので大事な教育関係にあたっている委員会は、これから一層の努力と研究をして、よい町にすること、よい子供にすることに精進したいと、折角努力しております。
 教育は非常にお金のかかるものであります。地球上荷物にも替えがたい、大切な人間を育成するのであるから、当然の事と思います。特に本町は昔から教育に熱意を示されておりますので、他町村より一歩前進して、種々の施設をしております。そのため財政上の負担も大変骨が折れます。幼児学園4箇所の経営や、公民館活動がその1例です。本郡下におきましても、公立の幼児学級は、藤野町に設置されているのみです。この城山町が、1町に4箇所が経営されているということは、町の方々の教育への熱意の賜であると思います。尚、本町は、相模原市や東京都に隣接してもおり、又右辻の通り特殊な教育施設がありますので、他町村より大いに恵まれておると同時に、その反面、教育には、他町村以上にお金が必要であることも考えられます。こうした事情のために、常々一般町民の方々の御協力は勿論、PTAの方々の、特別な御協力をいただいております。等委員会としても深く感謝しておる次第です。
 教育が、国家隆昌の因であり、人類最大の事業である、と多くの人々の口にされてはいますが、橋梁や、道路の構築の様に目立たない為に、中々実際には金をかけていただけないのが、現在の一般情勢です。幸いに本町は、責任者の方々や、一般町民各位の御熱意により、今日までの成績をあげておりましたが、率直に申しまして、未だしの感もありますので、今後共、尚一層の御理解と御努力を願いまして、明るい子供を作るため、よい町にするために、奮斗致したいと思います。
 紙数に制限がありますので、具体的なことについては、又の機会にゆずります。
こだま
▲新生活運動小話。風呂敷が映写機に早がわりした話。T町でもS町でも合併記念式典に来賓や町民に染抜きの風呂敷をくばったようだ。これがなか大金が要るもので、千戸として15.6万円。貰ってくやしくもないが「ハハン、風呂敷か」という程度。二、三度買い物をぶらさげるのに便利だけで忽ち古ぼけて消えて了うそこでこれを廃して、その金で我が町は映写機一台を購入した。町の唯一の文化施設と言えよう。 公民館に遠い地区や生徒達は早速タダで映画がたのしめるわけ。
▲わが町の合併記念品はもっと実質的に役に立ち、その真心のこもったよい物を頂いた。それは立派なひの木の門標である。財産区の伐りぬき材で、而も一千枚の製作は考案者の勤労奉仕や、達者な吏員達が眠い目をこすり乍ら書いたもの。これで今頃また、川尻村何の誰兵衛、湘南村何エ門なんてとぼけた表札を下げている家など一軒も町内にない。一寸した頭の切りかえでこんな様に工夫できるこれがほんとうの新生活運動というものだ。
                「城山町広報」 2号 昭和31年4月15日号から抜粋

昭和31年4月 城山町の世帯数と人口
部落名 世帯数
都井沢 65 162 201 363
谷ケ原 86 179 211 390
久保沢 143 347 349 696
向 原 69 192 193 385
原 宿 71 201 218 419
町 屋 58 151 188 339
小 松 56 168 159 327
穴川・風間 60 173 174 347
中 沢 91 270 231 501
小 倉 133 346 350 696
葉山島 81 230 217 447
合 計 913 2419 2491 4910
 
 舗装工事に従事するダンプカー
ローラー、ダンプカーの響き
城山町の銀座道り
久保沢の舗装工事がすすめられ
町民の協力によって
町の道路にふさわしく
これでほこりのついた食料品も姿を消すわけ










婦人会 定期総会(中沢地区)
 中沢婦人会の定期総会が3月26日にあった。
 同会は昨年9月発足以来、日が浅いにもかかわらず役員一同大馬力で張り切っている。
 新年度の実行項目として
  1、会員の理解と協力を要望する。
  2、衛生思想の普及と清掃の実行に努力し、これまで屡々講習会等を開いてきたが更に毎月一日を
   清掃デーとして実行すること。
  3、時間の励行に努める会合の機会を可成多くしてお互いに話し合って意思の疎通を図ることに努
   める。
  4、新生活運動を展開する。
  5、会員の義務貯金を励行する。
    以上が新年度の実行項目にして申合わせた。(新年度役員名は省略)
 尚婦人学級では3月20日夜読書会を開催教育事務所林指導課長指導のもとに一般人も参加「家庭を明るくするには」を中心に討論を行い盛大に意義ある会合を了った。
十万円の花嫁御寮
 川尻婦人会は、この程新生活運動の一つとして、日用品物資共同購入の歩合金が五万円貯まったので、花嫁衣裳を二組新調し、地区の結婚式に貸出し好評を博している。一回1200円の使用料で十万円の花嫁が即座に出現というわけ。

川尻小学校PTAの1年間の歩み
 桜の花を窓外に見ながら4月3日総会を開き役員として、会長佐藤義一、副会長八木武雄、小林ツネ、 書記藤井利(学校)、会計小林義正、小磯幸雄(学校)を決定予算250205円で昭和30年度のスタートをきった。
 4月以来PTAの学校教育に協力した行事の概略を列挙すると、
  1、学校林の下刈、植林して数年学校の児童の伸展を思わせるように、すくすくと伸びている。7月
   8日、8月10日の2回にわたって各部落から出た父兄の手で、将来の学校のためと念しつつ下
   草刈を行った。
  2、部落懇談会、出席は良好とはいえないまでもまあまあといったところ、親と教師と、ひざつき
   合わせ子供の問題を語り合う有益な一刻をすごした。
  3、動会、例により準備のために一日の労働奉仕、当日は役員総出で後援をする。
  4、ストーブ用薪作り、町村区割変更により特に財産区議会にお願いし、薪材を提供していただき
   12月7日から1月8日にかけて伐り出し、運搬、薪割等の勤労奉仕をした。
  5、社会見学、1月25日東京方面にバス1台で行く。
  6、社会科研究発表会に協力、川尻小学校が県の実験学校を委託され、その研究のためにでき
   得る限りの援助をし、児童の学習効果の高揚に資する処少なくなかったように思う。研究発表は
   2月8日で役員も出て発表の仕事を一日お手伝い申し上げた。
  7、映画会、2月8日昼夜2回にわたって映画会を開催した。「太陽の子供」他数篇上映。以上行
   事のあらましを記したが、約12万円の体育施設充実の仕事をなし、尚理科施設充実のために
   財産区より多大な後援をいただく併せてPTAから5000円の補助をした。

可愛い子供を犯罪から守りましょう
 お子さんの問題で、おこまりのことはないでしょうか。子供の時期は一日一日が成長して居りますがそれだけ変化も多いわけですから温かく見守ってやり、もし親子の間に溝を生じた等で次のような変化が見えたときは一人よがりの処理をしないで一刻も早く学校の先生や警察の少年係に相談して正しく導いてやりましょう。

 なやむより先づ 相談にひと走り
 1 反抗の態度に出るようになったとき
 2 生活に暗い影がみえたとき
 3 服装、言葉使い等が変わってきたとき
 4 金使いが荒くなったとき
 5 うそが多くなったとき
 6 外出が多くなったとき
 7 変な友達が訪ねて来るとき


押し売りの予防心得
1 押売り禁止の立札、貼紙を提出すること
2 みんなで協力して協同の力で追い帰すこと
3 押売りは家の中に入れない
4 機転をきかせて追い帰すこと
5 遠く離れて応対すること
6 最初からはっきりことわること
7 押売りの品物には手をふれないこと
9 押売りに同情しないこと
10 警察(駐在所)へすみやかに届出ること
防犯だより
祭典の警戒に出勤
 防犯協力会では8月17日の盆おどりを始め中沢、川尻の祭典の警戒に出動した。特に27日には各部落から繰り出された、ミコシ、ヤタイを見ようと2千人近くの人出で久保沢の商店街は身動きもできない混雑となったので防犯協力会では会長以下全役員が街頭に立って交通整理を行い一人の事故者も起こさなかった。呼笛を持った役員の手際よい交通整理はお巡りさんそこのけの見事な整理ぶりに警察でも舌をまいたり驚いたり感謝したり。
納涼盆踊り大会 
8月17日夜8時から総合グランドで例年の盆踊り大会が行われた。今年は町内有志の絶大なる御援助をいただき豪華な花火が上げられた。菊の花や仕掛け花火のナイヤガラ瀑布は実に壮観であった輝々夜空の下に老いも若きもこぞって踊りに陶酔した。約3000人の観衆はみなこの一夜を心ゆくまで楽しくすごしたことでしょう。この一夜は明日への健康の原動力であったろう。

    昭和31年 キャンプ場の利用状況 
学校名 湘南小学校使用 明音寺キャンプ場
神橋小学校 150 0
潮田中学校 0 150
老松 70 0
港北 0 300
町田南 50 0
日吉台 80 0
菊名小学校 70 0
天理教東京少年部 0 150
横浜市内中学校 0 500
六角橋中学校 0 200
  計  420 1300
夏の明音寺キャンプ場
今年も又7月の末から横浜方面の中、小学校の児童生徒や県下のキャンパーが橋本駅を下車し徒歩又はバスを利用して観光城山の明音寺キャンプ場や小倉橋周辺の河原で楽しいキャンプ生活がなかなか賑やかであった・・・
  近年湘南地区では県でも知られたキャンプ場である。この自然に恵まれた適地のある事がこの町としてもたいへん有利であります。以上の効果を上げるべく城山町の観光活動として誘客については皆さんの御協力御願い致します。




「こだま」
 広報第三号を迎えて
 城山町になじんで大分たった。私達は町という名に非常なあこがれと希望をいだいていたが、今、町の姿を見て感ずることは、余りにも変わっていない姿に驚くとともに、その前途に一抹の淋しさを抱くのだ。
 さて私達は何故「明るい町」への推進がなされて行かないか、もっと真剣に考えたいと思う。
 その原因を分析してみると第1に町民の感受性の涸渇であろう。町の情勢がどうなろうとも蚊が刺した程にも感ぜず、毎年同じ生活を機械的に続けているだけの人人。第2に、どうせ町には金がないのだから要求してもやってくれないし、憎まれるよりだまって利益の分配だけは預ろうという人人。第3は、何かやろうとすると時間を費やすし、予算もないのだから、最小限度のものだけやっておこうという一部の指導的立場の人人。
 以上の人々が町の構成メンバーに多いのではないだろうか。
 ここで町の発展を考えるとき、今こそ、経営者及び指導者の統率能力が大きく要求される時期であると思う。進歩的な活動的である、発刺とした町政は、一つにこの指導力、統率力にかかると言ってよい。近代の経営社会において、その統率力を維持し発展せしめてゆく重要な要素の一つは「汝自身の分析である」と言われている。
 そこで思うことは、もっと赤裸々な意見をお互いにのべてよく理解し合うことに懸命に努力すべきではないか。理解してこそ始めて進歩向上があるのではないか。(一町民)

              

               
昭和33年 山の下草刈
     
和年号 西暦 その頃の出来事
昭和20年 1945
昭和21年 1946
昭和22年 1947
昭和23年 1948 3月17日 川尻中学校を相模丘中学校と改称
4月 川尻村農業協同組合誕生(久保沢)
11月21日 相模丘中学校校舎落成。
昭和24年 1949 4月 川尻婦人会結成される。
昭和25年 1950
昭和26年 1951 7月 川尻村農業委員会発足。
昭和27年 1952 11月 川尻村教育委員会発足。
昭和28年 1953 9月 町村合併促進法公布。
10月 季節保育所(4ヶ所)開設。
昭和29年 1954 3月  相模湖モーターボート競走組合規則できる。
4月 相模丘音頭制定。
9月1日 中沢地区、川尻村に合併を申し入れる。
9月 川尻・湘南合併促進協議会規約できる。
11月15日 新町名を「城山町」と決定する。                                  町名は一般から公募、応募数は300、134の新町名のうち23が「城山」の名称。
昭和30年 1955  
3月 県道 依知〜中野線開通、葉山島に県道開通記念碑建立される。
4月 城山町誕生。
5月 中原町営住宅が完成。
10月 第1回町議会議員選挙。
11月 城山町体育協会発足。
昭和31年 1956 1月 城山町観光協会発足。「城山町広報」が創刊される。
4月 間の原町営住宅が完成。 
昭和32年 1957 2月 県議会で「相模川第2次河水統制事業」(城山ダムの建設)案承認される。
3月 城山町種豚組合が発足。
昭和33年 1958 2月 谷ヶ原町営住宅が完成。
3月 川尻酪農組合の集乳施設が完成。
3月 小倉地区に養魚場が完成する。
5月 町道・小松〜大戸線の改良工事が完成する。
昭和34年 1959 3月31日 平和島モータボート初開設。
4月 葉山島〜橋本間バス路線開通
7月 城山町青年団が結成される。
昭和35年 1960 10月 城山町章制定される。
昭和36年 1961
昭和37年 1962
      
           資料  時の流れ 相模丘中学校創立50周年記念誌
               町制30周年記念 広報しろやま 縮刷版

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