カワラノギクの文学
                               更新 2007・7・15
                                      更新 2007・10・15 
光照寺追加

 文学にあらわれる花と云えば桜を意味しています。菊がいつごろから登場して来たかは分かりませんが、海辺の岩山に咲くキクや三本仕立てに丹精込めて育てた観賞用のキクなど文学としての可能性は十分にあります。桜とともにこれほど親しまれている花もそうはないでしょう。文学の世界からカワラノギクを訪ね、先人たちのキクに寄せる想いを探って見ました。

 菊花山からの景観
山頂の影が桂川にそそいでいるところ
  上川尻村の俳人、八木ほう水は追善句集「枯野の露」の
 なかでこんな句を詠んでいました。

 甲斐の国鶴の郡有菊花山 流水洗菊飲其水 人寿如鶴
  影そそぐ 流れは菊の 相模かな

 無天命  有天命 
  この時と花野へ心放ちやる

 菊花山(643m)は大月駅の南側に聳え、その影は長く桂川にまでそそぎます。菊花山があることで、大月の町が日陰になることから地元では貧乏山と呼ばれています。
 富士山を水源とする桂川は相模の国に入り名を相模川と変え、やがて菊の花咲く相模の国に流れ込みます。「この時と・・」で始まる句はほう水の墓にも刻まれている代表作です。心を花野に放ちやるほう水の心境は如何なものか。
 また菊花山は古くからの歌の名所で、「影そそぐ・・・・」で始まる俳句の視線は山の頂(いただき)からの景観とその広がりを持ち、やがて菊の花咲く相模へと想いを馳せています。追善句集「枯野の露」では「甲斐の国鶴の郡有菊花山 流水洗菊飲其水 人寿如鶴 云々」と風土記の一文も添えています。その意味は甲斐の国の鶴の郡と云うところに菊花山と云う山がありますよ。そこを流れる清流は、途中に自生している菊を洗い人々はその水を飲んでいます。その水を飲んでいることで、みんなが健康でまるで鶴のように長生きしていますよ。菊は古来からの不老長寿の妙薬と云われ菊は効くの例えもあります。
 ほう水には相模川沿いに多くの門人や俳句連の仲間がいました。遠く大月の菊花山を辞世の句の前面に配置したことから菊を愛でてきたほう水にとって「影そそぐ・・」の句は、ほう水ならでわの真骨頂と云えましょう。しかも流水洗菊と風土記の一文も添えていることから菊が河原に自生している特殊な菊であることを想起させています。菊花山の頂上にある珍しい菊花石とカワラノギクの二つを主題にしたほう水の代表句と云えましょう。
 「甲斐国志古跡部第十六ノ下 都留郡郡内領 菊花山」の項にも和歌の記載がありました。同じく風土記の一文を引用しながら権大納言藤原長家は夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)の中で歌を詠みました。長家は栄華を極めた藤原道長の六男で、鶴の郡に来られたのでしょう、菊花山の山頂に立ち
 「曇のうへに菊ほりうえて甲斐の国鶴の郡をうつしてみそる」と詠みました。

 長家は宇宙から地球を見ているかのような視点でこの歌を詠みました。そして、ひとしれぬ壮大な気持ちを人々に伝えました。菊花山の眺めにはそうした歌の魅力を引き出す力があるようです。

筑井紀行の中のカワラノギク

カワラノギクの再生地 相模川と串川の合流点  小山田与清(ともきよ)像

 国学者でもあり考証学者としても有名な小山田与清(ともきよ)は文化11年9月26日(太陽暦11月5日頃)、津久井地方を訪れ「筑井紀行」を著しました。

 小倉の滝はあづまの都近きわたりにかばかりの大きやかなるはなし。五丈ばかりもあるらん、いかめしき巌より音もとどろきたぎり落つるは、なかなかにあはれさえ過ぎておそろしくすごきさま也。
 ふたたび川をわたりて西の岸をとばかり下れば、くし川の川じりに出づ。ここの川原にかはら菊といふ花、所せきまで白う咲きたり。こはいにしへかわらよもぎと呼べり。


 小山田与清が訪れた、旧暦9月26日は今の暦で11月5日にあたります。ちょうどその頃は、カワラノギクの花が満開となり更に、文中に「所せきまで」とあることから河原は一面のカワラノギクで埋め尽くされていたと思います。こうした情景を目の辺りに、与清はさぞかし感動したことでしょう。
 場所は相模川と串川が合流するところで現在はその場所にカワラノギクの再生地が作られ、保護活動が続けられています。

 昭和33年7月、歌人柳原白蓮も斉藤篤太郎の招きで城山町の葉山島を訪れました。そして

 「ほろびたる ものは美し紫の野菊そよげり 古城のほとり」と詠みました。
 こうして、相模川の花、カワラノギクは多くの文人たちに詠まれ、そして語り継がれました。当時のカワラノギクは無尽蔵とも思えるほどに、きっと咲いていたことでしょう。
 近代に入り大量の砂利の採取やダム建設などによって河床が変化、また急激に領域を拡げる帰化植物の存在、カワラノギクにとって受難の歴史が続いています。このままにしている限り残念ながら絶滅は時間の問題でしょう。私たちに今何ができるか、その事が今、大きく問われているのです。

参考 大月市駒橋 光照寺の湧水と菊花石
                       大月市光照寺の撮影 2007・10・
 
  菊花山・東側からの景観         菊花山・西側からの景観

 
  前面北側・岩殿山                光照寺本堂

 
 湧水を集めた貯水漕 上段の貯水漕      下段の貯水漕

菊花山 大月、駒橋両村ノ南ニアリ或ハ駒橋村後光照寺ノ山腹ヨリ麗水湧出末ハ寺ノ境内ニ注ギ朝夕是ヲ汲其山ヲ菊花山ト云トゾ或云大月ノ分界ニ山上ニ登ルコト六町許ニシテ危岩峨々トシテ崎立セル所アリ此ヲ砕ケバ菊紋アリ、此処菊花山ナリトモ云・・・甲斐国志より

 
 谷川の湧水を利用した水場          本堂向かって右側・菊花石

     資料   写真のご協力「菊花山からの景観」 山の写真集
                  http://alpine.sppd.ne.jp/index.html
          枯野の露  八木ほう水追善句集 文政五年四月 
                    校訂 安西勝 発行 はぐさ会 昭和35年9月  
          甲斐国志  古跡部第十六ノ下 編集 松平定能 文化11年
                    復刻版 発行 天下堂書店 昭和42年4月 
          筑井紀行  小山田与清  校訂 安西勝 発行 町田市立図書館 2002・3
          斉藤篤太郎日記 昭和33年7月

           
戻る