ウグイスが鳴く西山へ行こう     

         文化9年芹江句碑建立記念の句集から「うめこよミ」    八木ほう水の世界
                                             作成 2008・1・3

 

   所蔵 松宇文庫
 「うめこよミ」は文化9(1812)年、下荻野村芹江(きんこう)が華厳山の稜線に句碑を建立した記念として作られた句集です。俳人小林芹江は今の厚木市と愛甲郡愛川町、清川村の境界に位置する通称、西山と呼ばれている山に遊び句を詠みました。句碑は「此山やこの鶯に人も居す」と、大きな自然石に刻まれています。父は麦穂庵村水と号する俳人で、下荻野村日吉神社に芭蕉の句碑を建立しました。
 芹江は文政2年3月11日、63歳で没しました。
 「うめこよミ」の序文は「津久井あかたの八木ほう水」が書きました。西山は鶯の声の聞こゆる里か、「鶯の嚶々鳴いて、其友をあつむる声をめてゝ俳諧の一句をうとふ」と序文を添えたのです。そして、荻野連49名も記念の俳句に名を連ね後世にその名を残しました。
 「うめこよミ」は、あたりの風景とともに既に俳句が生活の一部とし醸成していることを物語る貴重な資料となっています。
 
資料 「うめこよミ」の一部から
萩すゝき荻野の里に華厳てふ山あり、往昔空海法師華厳経を読誦(どくしょう)し、岩戸楯に蔵し玉ふよし言伝侍(はべ)りぬ、いはとたてかたく戸さして、動とも開事あたハす、奇異の霊場なり、里人芹江(きんこう)主四時この地に遊事年あり、松風の調に暑をワすれ、月の雲なきに掉鹿(さおしか)をしたひ、落葉をふミて時雨の袖もすてかたく、花鳥にうかれ出て、世の中のうきをのかる時なる哉、鶯の嚶々鳴いて、其友をあつむる声をめてゝ俳諧の一句をうとふ、かたハらの自然石に筆を染めて帰ぬ、ともとち是をたつねて、菅の根の長伝へんことをはかりて、石たくミをかたらひ、鳥の跡久しく残す事とハなりぬと津久井 あかたのほう水いふ
                            (印文 ほう水 四方庵)
    津久井 あかた:津久井懸(あがた) 郡ではなく、全国的にも珍しい懸と呼んでいました。
梅暦緒言
相州荻野郷有西山巍巍峭絶有石如筐、曰経石四時之景江山之望為一郷之冠、(中略)題命曰梅暦
                          文化壬申春三月水上山都々羅誌
  
    此山やこの鶯に人も居す  芹江(きんこう)

  
 
     華厳山之図

     うめこよみ四季混雑 
                             荻野連
     山の端やちいさき鳥か春を啼く            茂作
     桃灯を消せは桜の山路かな              祇石
     (4句省略)
     花の山杖つく老いのこゝろかな            鈍水 
     (29句省略)
     黄鳥やかしこく渡る枝にえた              岷江
     わすられぬ花を友から誘ひけり            芹江
     (17句省略)
     春の夜を笑ひ明かして仕舞けり            子徳

     黄鳥:うぐいす・うぐひす・鶯  

     順任到来
     遠山のけしきのりたる柳かな       イセ原  叙来
     (9句省略)
     彼岸会や別にもらすな厂翅檜(がんしかい)  半縄  完里

     厂翅檜:樹木名・あすなろ

     四季
     花の山けふも罪なき世にあへり           芦尺
     (41句省略)
     よき事のありあまりけり桜月        クホ沢 三芝
     (1句省略)
     笘舩や雨ほちほちと厂の啼        八王子 成章


     四季
     まことなきうき名にもあへ日の永き   上毛ヒノ 米水
     (34句省略)
     ふミならす朽木わらしや春の水      厚木   玉珂



     華厳山の黄鳥のいしふみを賞して

     月日経て朽ちぬためしそ黄鳥の
            こゑのひと句を石にゑりてハ  秋長堂 物簗

     うくひすの声もたかねに月星と
            ひを建て山の奥床しけれ    鶯歌亭 登志久

     年の関ありとも知らぬ山里に
             鶯ハ音をはるのあけぼの   知足菴 友成 


     いたつらに歩行木の間や啼蛙        ホリ   ○○  
     (17句省略)
     折くへて茶ハさきへ煮紅葉哉         古人  萩菴


     山にいたりし時
     経石や鶯の音のいれところ         古人  村水


    英一蜒画   花押

  昼中は鴉の

     あそふ鵜舟

         かな    


           東都 
           朱雁
 東都朱雁の句と英一蜒の画


     名も知らぬ鳥の来にけり梅もとさ       十一才 長之助
     (13句省略)
     黄鳥を聞とゝけたり春二日                 他阿


     咲花のたかひにおしめ沖の舩               ほう水
     人去て夕花陰の月夜かな                 其竹
     見渡すや月に外山の花思ふ                星布
     草の戸や丸くなるとも春の月                成美
     床夏も麦になるやら雪の艸                 みち彦
     山深き花につなける月日かな               葛三


     戯花眠月  (中略)
     翠○深鎖華厳境
     百囀流鶯春可燐

     前松石亮山叟題     

   ウグイスの鳴く里に想う。
 私の古里では、ご馳走を食べた時に、母は「ほうべったが西山に飛んで行った」とか、「こりゃうまいぞ、ほうべった西山へ飛んでっちもうぞ。早くこー」なんと云って子供たちを呼びました。私は子供心に「西山はどこだろう」とか「ほうべったが飛んでったら、困るな」なんて思いながら暖かなほうとうだとか、熟柿を納屋から出してきて食べたものでした。西の方には何かいい所がありそうなそんな予感をめぐらし子供時代を過ごしました。
 上川尻村、八木ほう水の俳句の世界を訪ねて私は、「ああ、ここにもあった。ここにもあった」と彼の人脈の広さにあらためて驚いているのが現状です。中でも相模原市立博物館の指導もあって厚木市史近世資料編(3)文化文芸を閲覧させて戴いた時には驚きました。編さんに携わった人たちの行動力と云うか精力的なご研究の成果に私は圧倒されたのです。ご研究は市内だけに留まらず研究の範囲は広く青森や奈良、大阪まで及んでいました。そして、更に分冊として作者別の検索表までできていました。そして、「あとがき」には、こんなことばも添えられてありました。
 「(上略)本書は、近世文化史における市域文化の位置付けを探求すべく、在地資料に限らず、広く資料収集を行いました。しかし、それは手探りの状態から始まり、現在も志半ばであり、決して満足のできるものではありません。本書の収集内容やその編集方法においても、大方の御批判を待ちたいと思います。(下略)」と結んだのです。 編さんに携わった人たちの熱意がそのまま伝わってきそうなそんな気配が致しました。こうした原動力は果たしてどこから来るのでしょう。それは紛れもない郷土愛か、その先人たちの労苦に報いるため、私たちは今後どうあるべきか、何だか問われているようなそんな気が致します。
 「梅ごよみ」の冒頭、「うめこよみ四季混雑」の項には地元「荻野連」の人々、49名の俳句も連ねてありました。当時の人口からすれば相当な数となります。その中には句碑を建てた芹江(きんこう)の句も勿論含まれてあります。季節はちょうど今頃なのでしょうか、梅が咲き、ウグイスが鳴く頃です。荻野の人々は仏果山から高取山までの山塊を西山と呼び、なれ親しんで来ました。49名の俳句にはそうした西山への思いがこめられています。それが集落の西側に連なる山なのです。200年も前の出来事ですが、永久に時代が変わろうとも西山を愛でる人々の気持ちは変わらないと思います。どうかこの西山が、いつまでも守られますように。

           花の山杖つく老いのこゝろかな    鈍水 
      
   移動した発句石を見に行こう    
   2008年1月20日(日) 集合場所 9時30分 上荻野分館前
         コース 上荻野浅間神社→ 華厳山→高取山(昼食)
             →発句石 →新八十八ヶ所石仏群 →東谷戸入口バス停
                      西山を守る会のホームページ
       
        発句石   此山やこの鶯に人も居す  芹江(きんこう)

      参考資料
      アルペンガイド18 丹沢  山と渓谷社 
        「さそわれて丹沢大山」パンフレットの部分に一部加筆 1990 発行 丹沢大山観光キャンペーン推進協議会 秦野市商工観光課
        厚木市史 近世資料編(3) 文化文芸 平成15年11月発行 厚木市教育委員会   

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