西暦 |
和年号 |
生息環境の変化と研究史 |
1945 |
昭和20 |
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1946 |
21 |
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1947 |
22 |
6月14日 相模ダムの竣工式が実施される。 |
1948 |
23 |
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1949 |
24 |
・ |
1950 |
25 |
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1951 |
26 |
・ |
1952 |
27 |
・ |
1953 |
28 |
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1954 |
29 |
・ |
1955 |
30 |
・ |
1956 |
31 |
・ |
1957 |
32 |
10月25日、秋山守がカワラノギクを採取、標本データ KPMーNA0102037 山北町中川(1972年の集中豪雨で絶滅) |
1958 |
33 |
・ |
1959 |
34 |
・ |
1960 |
35 |
・ |
1961 |
36 |
9月28日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ KPM965 寒川(寒川町) |
1962 |
37 |
10月13日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ KPM961・KPM963 寒川(寒川町) |
1963 |
38 |
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1964 |
39 |
10月25日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ KPM22429 中津川平山橋(清川村) |
1965 |
40 |
4月、城山ダムの完成式が行われる。「津久井湖」と命名する。 |
1966 |
41 |
・ |
1967 |
42 |
・ |
1968 |
43 |
・ |
1969 |
44 |
・ |
1970 |
45 |
・ |
1971 |
46 |
・ |
1972 |
47 |
6月22日、自然環境保全法 |
1973 |
48 |
・ |
1974 |
49 |
・ |
1975 |
50 |
・ |
1976 |
51 |
・ |
1977 |
52 |
・ |
1978 |
53 |
・ |
1979 |
54 |
10月26日、平塚市博物館所蔵カワラノギクの標本データ 2929 一ノ宮(寒川町) |
10月31日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ FLK27809 相模川(座間市)、FLK27811・FLK27813 上大島(相模原市)、FLK27814 昭和橋(相模原市) |
1980 |
55 |
6月12日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ FLK27812 高田橋(相模原市) |
6月15日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ FLK27810 上大島(相模原市) |
11月8日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ FLK27816 座架依橋(座間市) |
1981 |
56 |
・ |
1982 |
57 |
・ |
1983 |
58 |
11月2日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ FLK27817 中新田運動公園(海老名市) |
1984 |
59 |
・ |
1985 |
60 |
10月25日、県立博物館所蔵カワラノギクの標本データ FLK27815 昭和橋(相模原市) |
この年、倉本宣、曽根伸典が「多摩川における固有植物群落の保全と河川敷の利用」を「造園48雑誌」に発表する。 |
1986 |
61 |
・ |
1987 |
62 |
・ |
1988 |
昭和63 |
・ |
1989 |
平成 1 |
・ |
3月、「いきいき未来相模川プラン推進協議会」発行の「ハロー3相模川」の表紙にカワラノギクのスケッチが掲載される。 |
・ |
・ |
1990 |
2 |
11月、河又猛が磯部頭首工(右岸)の下流1キロメートルのところで初めてカワラノギクに出会う。この時分は社家・中新田・上郷・猿ヶ島・座間・高田橋・小倉橋の7ヶ所に自生地があった。 河又猛2001・6・6「「カワラノギク」あれこれ」より引用 |
・ |
1991 |
3 |
・ |
1992 |
4 |
6月5日、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」 |
10月、相模川と串川の合流点でカワラノギクの群生地を確認する。(相模川事典 1994 平塚市博物館) |
1993 |
5 |
・ |
12月9日、カワラノギクの播種(猿が島)
12月12日、カワラノギクの播種(海老名市中新田地先、厚木市旭町時先) |
12月29日、生物の多様性に関する条約が発効される。 |
この年、倉本宣、井上健・鷲谷いづみが「多摩川中流の流水辺における河辺植生構成種の分布特性についての研究」を「日本造園学会誌56」に発表する。 |
1994 |
6 |
1月19日、カワラノギクの播種(海老名市上郷地先)
1月26日、カワラノギクの播種(猿が島)
3月24日付の東京新聞から 「相模大堰建設地自生のカワラノギク 保全実施を申し入れ 市民団体 放置すれば絶滅も 自然保護団体の「相模川キャンプインシンポジウム」(岡田一慶代表)は二十三日、長洲知事と県内広域水道企業団の高瀬孝夫企業長に対し、相模川・相模大堰建設計画地に自生しているカワラノギクの保全策について申し入れ書を郵送した。(略)」 |
4月、中田政司が「週間朝日百科植物の世界 2号アザミ ノジギク ハマギク」の中で「園芸ギクが野生ギクを滅ぼす?」を発表する。 |
・ |
10月30日と11月1日、神奈川県内広域水道企業団がカワラノギクの自生が確認されている猿が島、移植地のある海老名市河原口及び相模大堰計画地の周辺を調査する |
12月、神奈川県内広域水道企業団が「相模川のカワラノギクについて」を発表する。
調査結果の全文
現地調査の結果、厚木市猿が島において、カワラノギクの自生が確認された。また、厚木市猿が島・旭町地先・海老名市上郷・河原口・中新田地先において河又氏が蒔種あるいは移植したカワラノギクが確認された。
相模取水施設の計画地及び湛水区域ではカワラノギクは確認されなかった。
河又氏は、平成3年秋に厚木市猿が島地先、海老名市中新田地先(相模興行滑ヌ理地)においてカワラノギクの自生を確認、その後、平成4年から自宅でカワラノギクの栽培を始めると共に、平成5年には厚木市猿が島・旭町地先・海老名市上郷・中新田地先に蒔種を行った。
また、平成6年夏には海老名市中新田地先(相模興業滑ヌ理地)の自生地が残土の流入により自生には不適な状況と判断されたことから、海老名市環境保全課等の協力を得て、自生していた37株を移植した。このとき自宅での栽培株498株をあわせて移植した。
河原口地先の移植地は良好な管理がなされており、調査日には写真ー3・4に示すように多くの花が咲いていた。 表ー1は河又氏の資料を元にカワラノギクの現況について整理したものである。 |
この年、倉本宣、鷲谷いづみ・牧雅之・増田理子・井上健が「多摩川におけるカワラノギクの種子期の動態」を「造園雑誌57」に発表する。 |
1995 |
7 |
1月7日付の東京新聞から「「カワラノギク」が激滅 多摩川と相模川の一部の河原だけに自生 海老名市が保護へ 県立フラワーセンター苗の育成始める (略)海老名市では、すでに昨年夏から試験的に相模川の上郷の上流に百平方bほどの保護地をつくり、保護に乗り出しているほか、絶滅を防ぐため大船の県立フラワーセンターで苗の育成を始めている。(略)」 |
・ |
この年、倉本宣が「多摩川におけるカワラノギクの保全生物学的研究」を「緑地学研究15」に、また倉本宣、鷲谷いづみ・井上健が「多摩川におけるカワラノギク固体群の分断化とその保全における種子散布の役割」を「日本造園学会誌58」に発表する。 |
1996 |
8 |
3月、鷲谷いづみと矢原徹一が「文一総合出版」から「保全生態学入門」を刊行する。
3月、倉本宣と井上健が「多摩川におけるカワラノギクの生育地の特性についての研究」を「ランドスケープ研究59−5」に発表する。
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10月、守山弘と竹内和彦が「週間朝日百科植物の世界131号 人間がつくった植生」に「川と人とのかかわり」を発表する。 |
12月25日付 神奈川読売版より/県警が現場検証 相模川残土不法投棄に関連しての記事から
「(略)県は不法投棄の事実が発覚してから何度も口頭や文書で不法行為の中止と現状回復を求める指導を繰り返してきたが、会社側は応じず、今月十八日には河川法違反容疑で、この会社とその代表者を県警に告発していた。
残土が不法投棄されている現場のすぐ下は、絶滅危惧種に指定されているカワラノギク(キク科)の群生地。」
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1997 |
9 |
・ |
・ |
この年、倉本宣・鷲谷いづみ・井上健・北野健が「多摩川におけるカワラノギクの種子による移植」を「環境システム研究25」に、また、倉本宣・加賀屋美津子・井上健・可知直毅が「カワラノギクの個体群構造と実生定着のセーフサイトに関する研究」を「ランドスケープ研究60」に発表する。同年、「カワラノギクを守る会(代表河又猛)」が発足、その後増殖圃場を磯部頭首工下流左岸・水灌橋下の両岸・中新田・厚木市岡田の五ヶ所を造成する。 |
1998 |
10 |
・ |
5月、倉本宣が「保全生態学研究 第2巻第1号」に「カワラノギクの保全生物学と保全実務」を発表する。 |
この年、倉本宣・加賀屋美津子・井上健が「カワラノギクの局所個体群の大きさが訪花昆虫の訪花頻度に及ぼす影響とカワラノギクの保全手法」を「環境システム研究26」に、また石浜史子が「絶滅危惧植物カワラノギクの地域個体群の時空間的変遷」を「東京大学教養学部基礎科学科第二卒業論文」として発表する。この年、広域水道企業団が相模大堰のダムサイドに760uのカワラノギク圃場を造成する。 |
この年、井上健(共同研究者:倉本宣・鷲谷いづみ・海賀信好)が「とうきゅう環境浄化財団 学術研究NO190」で「カワラノギクの個体群と生育環境の復元についての研究」を発表する |
1999 |
11 |
・ |
・ |
この年、倉本宣・篠木秀紀・増渕和夫が「多摩川における丸石河原の変遷に関する研究」を「明治大学農学部研究報告118」に発表する |
2000 |
12 |
3月、米森由佳と倉本宣が「多摩川における増水による種子散布と増水後の護岸植生についての研究」を「ランドスケープ研究63−5」に発表する。 |
・ |
この年、倉本宣・加賀屋美津子・井上健・石浜史子・鷲谷いづみ・嶋田正和・可知直毅・牧雅之・竹中明夫・増田理子が「多摩川のカワラノギク保全のための緊急アピール」を「保全生態学研究5」に発表する。 |
2001 |
13 |
・ |
11月17日、倉本宣が「県内広域水道企業団社家取水管理事務所」において「カワラノギクの生態と保全」について講演を行い、門沢小学校と大谷小学校の子供たちが体験発表をする。 |
12月28日(受付)、倉本宣と小林美絵が「ランドスケープ研究65巻4号」に「多摩川におけるカワラノギクのレストレーション」を発表する |
この年、小川潔と倉本宣が「岩波書店」かわ「タンポポとカワラノギク」を刊行する。同年、広域水道企業団が相模大堰のダムサイドに880uのカワラノギク圃場を増設、その広さは1640uとなる。 |
2002 |
14 |
・ |
2月28日、倉本宣が相模川における「カワラノギク保全のための丸石河原の造成について」提言を行う。 |
4月14日、城山町小松地区に始めてカワラノギクの種まきを行い生育実験を開始(光量不足で失敗)する。 |
6月28日、ほたる案内所に「カワラノギクを守る会」会長他13名が来る。 |
9月10日、内水面試験場ビオトープ場にカワラノギクの苗を移植する。 |
10月30日、高橋章が広田小学校3年1組の学級通信「ポケット25号」に「カワラノギク号」としてカワラノギクを特集する。 |
11月3日、川尻八幡宮の菊まつりに初めてカワラノギクを展示する。 |
・ |
11月16日、倉本宣が「県央地区農政事務所講堂」において「相模川におけるカワラノギクの保全活動の現状と課題」について講演する。 |
11月24日、相模川水系土砂管理懇談会が「サン・エールさがみはら第1研修室」において「相模川水系土砂管理懇談会報告会」を行う。
相模川水系土砂管理懇談会(国土交通省京浜工事事務所・桂川相模川流域協議会・相模川倶楽部・桂川をきれいにする会) |
・ |
2003 |
15 |
3月、相模川水系土砂管理懇談会が「相模川の健全な土砂環境をめざして」と提言する。 |
・ |
2004 |
16 |
3月31日、羽村自然友の会、「カワラノギクの保護・育成のための実践的調査研究」をまとめ出版 |
2005 |
17 |
11月14日、城山町の小林町長が初めてカワラノギクの自生地を視察する。 |
2006 |
18 |
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3月、秋山幸也が「相模原のカワラノギク −衰退と復活、そして再生へ−」を「相模原市立博物館研究報告15」に発表する |
7月23日、カワラノギクを守る会総会
8月23日、相模原市市民企画提案型事業補助金採択申請書を提出する。 |
9月18日・10月29日 除草作業とお花見会(湘南小東の中州) |
11月5日 県立相模三川公園内 カワラノギクのお花見会(カワラノギクを守る会) |
2007 |
19 |
3月 セブンイレブンみどり基金発行の「みどりの風」に「カワラノギクの歌が聞こえる」が掲載される |
3月4日、 相模湖交流センタにて「カワラノギクの移植についての」検討 相模川流域協議会市民部会 |
5月12・13日 「若葉まつり」でカワラノギクを紹介する。 |
6月2・3日、さがみはら環境まつり(麻布大学)でカワラノギクを紹介する。 |
9月6日〜7日未明、台風九号が関東地方を襲う(城山ダム放流有)。相模川が氾濫し大島河原の形状が変化したため、カワラニガナの自生地が流失僅かとなる。2009・6・2、その保護のために柵を囲い保護活動を開始する。
10月21日 もみじまつりでカワラノギクを紹介する。 |
2008 |
20 |
8月28日〜29日(夜)、未曾有の濠雨、津久井の各地で山崩れが発生する。(城山ダム放流無) |
10月30日、NPO法人「愛・ふるさと」が中津川河川敷1万uにカワラノギク3万株を復活させる。 |
この年よりカワラハハコの生育実験を開始する。 |
2009 |
21 |
この年よりカワラヨモギ・カワラナデシコの生育実験を開始する。 |
2010 |
22 |
・ |
2011 |
23 |
・ |
2012 |
24 |
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2013 |
25 |
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