絵図で見る    
   津久井町(旧中野村)の湧水群

   相模原市津久井町中野地区の近世は中野村と呼ばれ森戸・仲町・上町あたりでは「川和の市」が置かれ賑わってい
  ました。北側を相模川が流れ、不津倉と川坂には「渡船場」も設けられ物資の輸送が盛んに行われました。西側には大沢
  川が流れ水田もありました。また南側の丘陵地帯からは無数の湧水が流れ込み、その湧水を利用して人々の暮らしが
  ありました。奈良井の観音寺の境内から湧きだす名水は特に「お茶の水」と呼ばれ津久井城主が茶の湯に利用したとも
  伝え、観音寺と津久井城を結ぶ道を特に「水汲みの道」と呼んでいます。
   不津倉・川坂の集落では湧水や大沢川の水を利用して用水路や山沿いの5箇所では新田も作られ稲作が行われてい
  ました。
   蛇口から簡単に、当たり前のように利用している水道水ですが、忘れかけた無数に発達した湧水群を訪ねながら当時
  に生きた人々の生活ぶりを訪ねて見ましょう。地下水汚染の事もありますが、防災上、防災上不可欠な要素もあり日常の
  管理等、万全の体制を備えておく必要があろうかと思います。

                                                        
                           南   中野村絵図 天保14年(1843)9月

                           北   「津久井の古地図」津久井町史編集委員会編 転写

                                        撮影2007・2・10
      
  「水元(みずもと)」の水源地

    
  
水本山青雲寺(通称:上の山観音)山からの湧 「水汲みの道」の石碑  中野神社のすぐ東側 厳島神社の池
  水をサイフォンの原理で水を揚げて水槽に溜めています。
 
    
  
    中野神社前の湧水                  「いずみ」の隣の受水槽と水源

    
  燈篭 「金比羅大権現・秋葉大権現・愛宕大権現 文政十年」

    
   諏訪神社 ツバキ                              水汲みの道

    
     観音寺からの景観               観音寺仁王門
 
タブ・ツバキ・セキショウ  湧水地

   観音寺 清泉の由来記




    
     観音堂・モミ                         観音寺本堂 

    
   樹勢が衰えてきたタブ  万霊塔 文政十一戌子(1828)年 
                   奈良井村 願主 八木仁兵衛  
 
      
参考資料
     つくい町の古道 津久井町教育委員会 第2刷 平成4年9月発行
      ふるさとの民話と伝承 中野まちづくり委員会・中野地域振興協議会 平成12年12月発行
      津久井町史 資料編 近世1 津久井町史編集委員会 平成16年3月発行
      津久井の古地図 するさと津久井 第3号(特別号) 津久井町史編集委員会編 平成14年3月発行

                
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