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昔、神奈川県で金属バットによる殺人事件がありました。その後も五日市の連続殺人事件や神戸の事件、つい最近では秋葉原の無差別殺人事件など痛ましい事件が後をたちません。
一時期、城山町の有志でこうした痛ましい事件が二度と起こらないよう何回かの会合を行いながら話し合ったことがありました。私たちに今、何ができるか、子供たちは、社会や地域はと熱心な話し合いを重ねました。結論を醸し出すまでには至りませんでしたが今思うと良い経験をしたと有り難く思っています。
「宵待の日」の企画は?と首を傾げたくなるようなタイトルですが、上記のことを踏まえながら、人々がどんな風にしながら辛いこと、楽しいこと、悲しいこと、哀しいこと、喜ばしいことなどに向き合い生きて来られたのか綴っておきたかったからです。私がそんな思いにかられたのは、相模湖町の沼本と云う地域に行った時からでした。その地域は津久井湖の誕生によって立ち退き廃拠となったところで普段は草に覆われ、年に何回かの満水時のみ水面になるというところです。
高台から道志川の河原に下りるように崖沿いの道を下ると、突然、覆屋の中に大きな石仏群が見えて来ます。あたりは人影もなく恐ろしいくらいの静けさの中で、木々の奥に太陽に輝いだ草原が見えて来ます。
「あの草原に人々が暮らしていたのだ。」静まり返った草原と石仏群、ここに人々はとんな暮らしをしていたのだろうか・・・、当時の人々はどこへ行ってしまったのだろう。
私たちは確かに思い出の中にも暮らしている。結婚、出産、病気そして別れのことなど・・・・、あのころの人たちはどんなふうにしなが
ら生きて来られたのだろう。そんな日常の普通のことを綴って見たいと思います。
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