錫杖頭関連資料集
     川尻八幡宮の境内から出土した

   ○○製双龍十字文付八角錐型手錫杖頭

      正式名称  (○○せい そうりゅう じゅうじもんつき はっかくすいがた て しゃくじょう かしら)
      略式名称  手錫杖頭
025・8・31 玉虫厨子関連資料を追加する。
2025・9・1  広田小学校常設展示した資料掲示の予定を追加する。

                  撮影 2023・12・5 小池久男







十字文の右側上の部分に銀色に光るところがありました。





双龍部分の交差する下側は大きく腐食していました。
そこの下側に微細の緑青が付着していました。



遊環(ゆかん)の中央部に露出した(青)銅の部分が見られました





外側の金属部分が剥がれ青銅色をした金属が見えました。





(仮称)基礎の部分の黄銅と思われる黄色のした金属が見られました。






全体的には、黒ずんで見えますか、LEDの照明を当てますと、二次的な光を放ち、手で揺らしますと小さくシャワシャワと音を発します。
 尚、製作年に付きましては、明治元年に神仏分離令が太政官から発せられていますので、その明治の直前か、少なくとも江戸時代を想定しています。

       
       発見地:相模原市緑区:川尻八幡宮境内 常設展示:相模原市立広田小学校

      相模原市文化財展への発表資料から
            川尻八幡宮発見から広田小学校常設展示までの経緯
            広田小学校常設展示当日の式次第の栞
      

玉虫厨子 模造 宮殿部の構成図      大正10年 1921年 

玉虫厨子 模造 所蔵:奈良国立博物館
















宮殿部(くうでん)



須弥座部(しゅみざぶ)


台脚部


宮殿部(くうでん)の絵画
   
殿部正面扉二神将像(扉閉に鍵)   二神将像拡大図 『ウィキペディア(Wikipedia)より転写  側面(扉開)厨子の左側面

 
宮殿部背面霊鷲山説法図(りょうじゅせんじょうどず)
 この霊鷲山説法図の下側の洞窟内に四人の羅漢さんがおられ、その内の二人が「錫杖」を岩肌らしきところに立て掛けている。錫杖が描かれた日本最古の絵画となります。

      
面扉二菩薩像(扉閉)厨子の左側面 面扉二菩薩像(扉閉)厨子の右側面  二菩薩像拡大図 『ウィキペディア(Wikipedia)より転写
       
〈参考資料〉
 作者の吉田立斎(よしだりっさい)(一八六七〜一九三五)は正倉院宝物や奈良の古社寺の文化財の修復に従事するかたわら、密陀絵や撥鏤(ばちる)などの失われた古代の工芸技術の復元を行った人物である。玉虫厨子の模造は生涯に四度取り組み、これは最後の大正十年の作である。密陀絵を併用せず漆絵(うるしえ)だけが用いられていること、玉虫の羽を細かく切って金具の透彫部分に嵌め込んでいる点などがオリジナルと異なるが、全体としてきわめて忠実な高水準の模造である。実作品を間近に観察することができる立場にあった立斎の集大成ともいうべき品である。 (内藤栄)         聖徳太子1390年御遠忌記念 法隆寺展, 2012, p.162
                                                           所蔵:奈良国立博物館
1965 昭和40
1966 41
1967 42
1968 43
1969 44
1970 45
1971 46 ○、この年、奈良六大寺大観刊行会編 「奈良六大寺大観 第5巻 (法隆寺 5) 」が「岩波書店」から刊行される。
 pid/8798651
建築
東院伽藍/p1
夢殿/p2,21
東院南門/p8,30
東院四脚門/p10,33
東院礼堂/p12,36
東院回廊/p13,40
舎利殿絵殿/p17,42
伝法堂/p14,54
東院鐘楼/p18,62
北室院表門/p71
北室院本堂/p20,74
北室院太子殿/p80
工芸
玉蟲厨子/p81,109
伝橘夫人念持仏厨子/p98,128
蜀江錦/p106
四騎獅子狩文錦/p107,152
水瓶(胡面水瓶)/p108
綾/p154
金銅装唐組垂飾/p155
金銅鉢/p156
銅壺/p157
梵鐘(西院鐘楼)/p158
梵鐘(東院鐘楼)/p159
錫杖/p160
無文磬 雲形磬/p161
水瓶/p162
黒漆布薩手洗/p163
密教法具/p164
六器 花瓶 火舎/p167
阿弥陀三尊及び
  →二比丘像厨子/p168
黒漆六角厨子/p170
黒漆螺鈿卓/p172

〔□ダ〕太鼓/p174
鉦鼓縁/p177
論議台/p178
舞台/p179
燈籠(五重塔西南位置)/p180
絵画
扇面法華経冊子断簡/p181
蓮池図/p182,193
星曼荼羅図/p184,194
五尊像/p186
毘沙門天像/p187,196
閻魔天曼荼羅図/p197
孔雀明王像/p198
十六羅漢図/p199
聖徳太子像(孝養像)/p210
聖徳太子像(摂政像)/p211
聖徳太子勝鬘経講讚図/p212
聖皇曼荼羅図/p190,213
法相曼荼羅図/p188,214
天尊像/p217
金堂旧壁画/p191,218
建築
東院伽藍/p7
夢殿/p9
東院南門/p14
東院四脚門/p15
東院礼堂/p16
東院廻廊/p17
舎利殿絵殿/p18
伝法堂/p23
東院鐘楼/p28
北室院表門/p30
北室院本堂/p31
北室院太子殿/p32
工芸
玉蟲厨子/p35
伝橘夫人念持仏厨子/p45
蜀江錦/p52
四騎獅子狩文錦/p54
綾/p56
金銅装唐組垂飾/p57
水瓶(胡面水瓶)/p58
金銅鉢/p59
銅壺/p59
梵鐘(西院鐘楼)/p60
梵鐘(東院鐘楼)/p61
錫杖/p62
無文磬/p63
雲形磬/p63
黒漆布薩手洗/p64
黒漆布薩花器/p64
水瓶/p64
密教法具/p65
花瓶/p66
六器/p66
火舎/p66
香炉/p67
柄香炉/p67
鐃/p68
阿弥陀三尊及び
   →二比丘像厨子/p68
文欟木厨子/p69
黒漆六角厨子/p70
黒漆螺鈿卓/p70
黒漆塗箱/p71
〔□ダ〕太鼓/p71
鉦鼓縁及び舞台/p72
論議台/p74
燈籠(五重塔西南位置)/p75
七星剣及び無文剣/p76
大壇/p77
絵画
扇面法華経冊子断簡→
  →(観普賢経)/p79
蓮池図/p79
星曼荼羅図/p81
五尊像/p82
毘沙門天像/p83
閻魔天曼荼羅図/p83
孔雀明王像/p84
十六羅漢図/p85
聖徳太子像(孝養像)/p89
聖徳太子像(摂政像)/p89
聖徳太子勝鬘経講讚図/p90
聖皇曼荼羅図/p92
法相曼荼羅図/p93
天尊像(上清尊)/p95
聖徳太子絵伝貼付絵
  →(東院絵殿所在)/p95
金堂旧壁画/p97
五重塔旧壁画/p106
史料/p107
一 仏経?資財条(法隆寺縁起
  →?資財帳)(抄)/p107
二 法隆寺東院縁起/p107
三 聖徳太子伝私記(抄)/p108
四 法隆寺別当次第(抄)/p110
五 嘉元記(抄)/p111
六 伽藍諸堂舎本尊仏像?堂附
  →資財等目録/p112
参考文献/p117
図版一覧
図版一覧
建築 カラー
建築 グラビア
工芸 カラー
工芸 グラビア
絵画 カラー
絵画 グラビア
1972 47
1973 48
1974 49
1975 50
1976 51
1977 52
1978 53
1979 54
1980 55
1981 56
1982 57
1983 58
1984 59
1985 60
1986 61
1987 62
1988 63
1989 64
1990 平成2年
1991 3
1992 4
1993 5
1994 6
1995 7
1996 8
1997 9
1998 10 3月、大野敏が博士論文「古代・中世厨子の形態に関する建築的研究」を発表する。
序論 p1
はじめに p1
第一節 厨子の定義と範囲 p1
第二節 既往の研究 p2
第三節 厨子研究に関する問題点 p4
第四節 研究の方法 p5
第一章 飛鳥・奈良時代の厨子 p6
序 p6
第一節 飛鳥・奈良時代の厨子の遺例 p6
1-1 玉虫厨子 p6
1-2 阿弥陀三尊及び二比丘像厨子
  →(法隆寺蔵)p9
1-3 傳橘夫人念持仏厨子 p10
1-4 法隆寺夢殿内旧厨子 p11
1-5 法隆寺伝法堂内旧厨子  p12
1-6 当麻寺本堂内厨子 p16
1-7 正倉院蔵六角厨子断片 p18
1-8 東大寺法華堂内八角須弥壇(旧厨子)p18
1-9 法隆寺文欟木厨子 p19
1-10 竹厨子(法隆寺献物) p20
1-11 正倉院赤漆文欟木厨子 p21
1-12 正倉院黒柿両面厨子 p21
1-13 正倉院柿厨子 p22
1-14 正倉院棚厨子その一 p22
1-15 正倉院棚厨子その二 p22
1-16 正倉院蔵筒形厨子部材 p22
1-17 正倉院蔵厨子残片その一 p24
1-18 正倉院蔵厨子残片その二 p26
1-19 飛鳥・奈良時代の厨子の
  →遺例についての小結 p26
第二節 文献からみた厨子 p27
2-1 厨子 p27
2-2 仏台(台) p33
2-3 六角殿・六角漆殿 p35
2-4 宝殿 p38
2-5 宮殿 p38
2-6 文献からみた厨子小結 p40
第三節 飛鳥・奈良時代の厨子の系統 p41
3-1 厨子 p41
3-2 仏台 p42
3-3 六角殿 p43
3-4 宝殿 p44
3-5 六角殿・宝殿の類例と原型 p44
3-6 六角殿・宝殿の発生に関する推論 p46
3-7 宮殿 p49
第四節 飛鳥・奈良時代の厨子についての小結 p50
第二章 平安時代の厨子 p51
序 p51
第一節 平安時代の厨子の遺例 p51
1-1 清涼院黒塗厨子 p51
1-2 大山寺地蔵菩薩像厨子 p51
1-3 金銅装舎利厨子 p52
1-4 法隆寺夢殿旧厨子第一次改造時 p52
1-5 胎蔵界八葉院曼陀羅龕 p52
1-6 浄土曼陀羅龕 p52
1-7 千手観音・二天龕 p52
1-8 阿弥陀諸尊龕 p52
第二節 文献史料から見た平安時代の厨子 p55
2-1 厨子 p55
2-2 斗帳 p55
2-3 宝帳・帳 p55
2-4 仏殿 p57
2-5 宝殿 p58
第三節 絵画史料から見た平安時代の厨子 p58
3-1 源氏物語絵巻 p58
3-2 年中行事絵巻 p58
3-3 紫式部日記絵詞 p61
第四節 古代厨子の形式分類 p61
4-1 平安時代の厨子 p61
4-2 古代厨子の形式分類 p61
第三章 中世厨子の形式分類について p63
序 p63
第一節 中世厨子の遺例の検討 
1-1 宮殿系厨子 p63
1-2 帳房系厨子 p64
1-3 円形天蓋系厨子 p66
1-4 箱・筒系厨子 p66
1-5 天蓋・帳房折衷系厨子 p67
1-6 新たな折衷による新形式
  →(宮殿・天蓋折衷系厨子) p71
1-7 古代の系統で説明できないもの
  →(山華蕉葉系厨子) p71
第二節 中世厨子の形式分類 72
第四章 鎌倉時代〜室町時代前期の
  →宮殿系厨子 p78
序 p78
第一節 遺例の個別検討 p78
1-1 厨子自体の造立年代が明らかなもの p78
1-2 間接的に造立年代が推定できるもの p86
1-3 鎌倉時代〜室町時代前期頃の
  →造立とされているもの p91
第二節 建築細部の検討 p100
2-1 厨子の配置と平面 p100
2-2 軸部 p103
2-3 斗?・軒廻り p105
2-4 屋根 p108
2-5 柱間装置 p111
2-6 装飾細部 p112
第三節 鎌倉〜室町前期の
  →宮殿系厨子に関する結語 p113
結論 p154
序論註
第一章註
第二章註
第三章註
第四章註


8月、大橋一章編著「法隆寺美術論争の視点」が「グラフ社」から刊行される。  pid/14097861
1999 11
2000 12
2001 13
2002 14 ○、この年、「人間文化学研究集録 (12)」が「大阪府立大学大学院人間文化学研究科」から刊行される。 
「僊」と「仙」--神仙思想の形成と文字の変化 大形 徹 p.1〜30
『孟子』における家族とその"自律性" 宇尾野 宏之 p.31〜47
玉虫厨子絵とその典拠としての『法華経』 西尾 歩 p.49〜61
吉田松陰の国家観--山縣太華との論争を通して 洪 偉民 p.63〜75
印章に見る竹内栖鳳と斉白石 劉 新華 p.77〜89
宗教における「パラダイム」および「パラダイム変換」--
  →ハンス・キュングを通して Anna Ruggeri p.91〜109
日本におけるイオンフォームド・コンセントび法理について 宮崎 真由 p.111〜123
2003 15 ○、この年、「人間文化学研究集録 (13)」が「大阪府立大学大学院人間文化学研究科」から刊行される。 
黒死病の記憶--十四世紀ドイツの年代記の記述 佐々木 博光 p.1〜17
日中庭園から見る「神仙思想」--特に「石」を中心として 曹 岩 p.19〜40
歴史的都市における景観の保全と整備--
  →古都西安の事例を中心として Cao Ting p.41〜61
郭沫若の日本観 張 淑琴 p.63〜75
日本語特例科目の現状と課題--大阪府立大学留学生の
  →ケーススタディ 山口 雅代, 中山 英治 p.77〜86
日本語母語話者のOPIに関する一考察 木寅 (駒井) 裕子 p.87〜95
2004 16
2005 17
2006 18
2007 19
2008 20
2009 21
2010 22
2011 23
2012 24 3月3日〜3月20日迄、日本橋高島屋に於いて「法隆寺展:聖徳太子1390年御遠忌記念」が開かれる。 東京展
3月29日〜4月16日迄、大阪高島屋に於いて「法隆寺展:聖徳太子1390年御遠忌記念」が開かれる。 大阪展
 〔この展覧会に於いて「玉虫厨子 模造」が展示される。〕
2013 25 3月、山本勉が「仏像 : 日本仏像史講義 (別冊太陽)」を「平凡社」から刊行する。  
(下段に表記した頁数は図版頁をさす)
開講の辞/ 3
第一講 仏像の黎明 飛鳥時代/ 6
仏像の渡来と飛鳥時代の開幕/ 8
法隆寺の造像と飛鳥時代前期の金銅仏/ 9/18
飛鳥時代前期の木彫/ 12/28
飛鳥時代後期という時代/ 13
飛鳥時代後期の金銅仏と木彫/ 14/36
さまざまな新技法/ 16/45
第二講 古典の完成 奈良時代/ 50
平城京の寺と仏像/ 52
法隆寺の塑像/ 52/62
薬師寺金堂薬師三尊像と大金銅仏の系譜/ 53/66
興福寺西金堂の諸像/ 54/70
法華堂の諸像と東大寺/ 55/79
唐招提寺と西大寺/ 58/94
木彫の成立と捻塑系の新技法/ 59/100
神仏習合の成立/ 60
第三講 転形と模索 平安時代I/ 106
遷都と仏教の革新/ 108
転形の時代/ 109/118
承和様式の仏像/ 110/128
和様の萌芽/ 113/144
典型の模索/ 115/153
清凉寺釈迦如来像の請来/ 117
第四講 和様と耽美 平安時代II/ 160
平安時代後期の盛期と定朝/ 162
平等院鳳凰堂/ 163/172
和様の継承と耽美への沈潜/ 165/178
新時代への胎動/ 167/185
地方造像の拡大/ 169/194
南都復興の開幕/ 171
第五講 再生と変奏 鎌倉時代I/ 204
鎌倉時代の開始/ 206
運慶の御家人造像/ 206/216
康慶と南都復興/ 208/221
運慶と鎌倉彫刻の完成/ 209/226
運慶の周辺/ 212/240
運慶・快慶の二代目/ 213/246
鎌倉中期の京都・奈良・鎌倉/ 214/252
蓮華王院本堂の再興造像/ 215
第六講 伝統の命脈 鎌倉時代II 南北朝時代以後/ 256
鎌倉時代後期/ 258/268
南北朝時代/ 260/274
室町時代/ 262/279
桃山時代/ 263/285
江戸時代/ 264/288
仏像空間
1 法隆寺金堂/ 34
2 東大寺法華堂/ 90
3 唐招提寺金堂/ 96
4 東寺(教王護国寺)講堂/ 136
5 平等院鳳凰堂/ 174
6 中尊寺金色堂/ 198
7 浄土寺浄土堂/ 224
8 興福寺北円堂/ 236
9 妙法院蓮華王院本堂/ 248
掲載図版一覧/ 298
参考文献/ 301
あとがき/ 303
掲載図版一覧
作品名 |指定| 所蔵 |頁|
主要作品(彫刻・荘厳具ほか)
菩薩立像 重文 東京国立博物館/ カバー
菩薩立像 重文 新潟・関山神社/ 9
菩薩半跏像 重文 長野・観松院/ 9
釈迦如来坐像(飛鳥大仏) 重文 奈良・飛鳥寺(安居院)/ 9
釈迦如来坐像(竜門石窟賓陽中洞本尊) 中国・竜門石窟/ 11
観音菩薩立像 重文 大阪・堺市博物館/ 12
中の間天蓋 重文 奈良・法隆寺金堂/ 15
伝橘夫人念持仏厨子 国宝 奈良・法隆寺/ 15
塑像断片(川原寺裏山遺跡出土) 奈良・明日香村/ 17
方形三尊?仏(川原寺裏山遺跡出土) 奈良・明日香村/ 17
鍍金押出仏(山田寺遺跡出土) 奈良文化財研究所/ 17
釈迦如来および両脇侍像(釈迦三尊像) 
  →国宝 奈良・法隆寺金堂/ 18〜22

釈迦如来および脇侍像 重文 奈良・法隆寺/ 22
菩薩立像 重文 奈良・法隆寺/ 23
如来坐像(N145号) 重文 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)/ 24
如来立像(N149号) 重文 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)/ 24
菩薩半跏像(N155号) 重文 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)/ 24
観音菩薩立像(N165号) 重文 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)/25
観音菩薩立像 重文 大阪・観心寺/ 25
光背 東京・根津美術館/ 25
観音菩薩立像(救世観音) 国宝 奈良・法隆寺夢殿/ 28、29
四天王立像 国宝 奈良・法隆寺金堂/ 30〜33
観音菩薩立像(百済観音) 国宝 奈良・法隆寺百済観音堂/ 34、35
弥勒菩薩半跏像 重文 大阪・野中寺/ 36
如来立像(N153号) 重文 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)/ 36
観音菩薩立像(N179号) 重文 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)/36
阿弥陀如来および両脇侍像(伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像) 
  →国宝 奈良・法隆寺/ 37
天蓋付属奏楽天人像(たて笛) 重文 奈良・法隆寺金堂/ 37
日光菩薩立像(薬師三尊像左脇侍) 重文 奈良・興福寺東金堂/38
仏頭 国宝 奈良・興福寺/ 38、39
観音菩薩立像(夢違観音) 国宝 奈良・法隆寺/ 40
釈迦如来倚像 重文 東京・深大寺/ 41
薬師如来坐像 国宝 奈良・法隆寺金堂/ 41
観音菩薩立像 重文 島根・鰐淵寺/ 41
薬師如来坐像 重文 奈良・法輪寺/ 42
虚空蔵菩薩立像 重文 奈良・法輪寺/ 42
伝六観音菩薩立像 観音菩薩・勢至菩薩・普賢菩薩 
  →重文 奈良・法隆寺 重文 奈良・法隆寺/ 43
菩薩立像 重文 奈良・金龍寺/ 43
菩薩半跏像 国宝 奈良・中宮寺/ 44
弥勒仏坐像 国宝 奈良・當麻寺金堂/ 45、46
四天王立像 持国天・増長天 重文 奈良・當麻寺金堂/ 47、48
法華説相図 国宝 奈良・長谷寺/ 49
塔本塑像 浬槃像土 国宝 奈良・法隆寺五重塔/ 53、64
薬師如来像 台座 国宝 奈良・薬師寺金堂/ 54
盧舎那仏坐像 国宝 奈良・東大寺大仏殿/ 57
金銅八角燈籠 国宝 奈良・東大寺大仏殿/ 57
十一面観音菩薩立像 重文 山口・神福寺/ 60
十一面観音菩薩立像 国宝 奈良・聖林寺/ 61、105
塔本塑像 文殊菩薩坐像 国宝 奈良・法隆寺五重塔/ 62
塔本塑像 維摩居士坐像 国宝 奈良・法隆寺五重塔/ 62
塔本塑像 維摩詰像土 国宝 奈良・法隆寺五重塔/ 62、63
塔本塑像 羅漢像 国宝 奈良・法隆寺五重塔/ 64
金剛力士立像 重文 奈良・法隆寺中門/ 65
薬師如来および両脇侍像(薬師三尊像) 
  →国宝 奈良・薬師寺金堂/ 66〜68
聖観音菩薩立像 国宝 奈良・薬師寺東院堂/ 69
釈迦如来坐像 国宝 京都・蟹満寺/ 69
八部衆立像 国宝 奈良・興福寺/ 70〜76
十大弟子立像 国宝 奈良・興福寺/ 77、78
薬師如来坐像 国宝 奈良・法隆寺西円堂/ 78
不空羂索観音菩薩立像 国宝 奈良・東大寺法華堂/ 79〜81
執金剛神立像 国宝 奈良・東大寺法華堂/ 82
伝日光・月光菩薩立像 国宝 奈良・東大寺法華堂/ 82、83
四天王立像 国宝 奈良・東大寺戒壇堂/ 84〜87
金剛力士立像 国宝 奈良・東大寺法華堂/ 88
弁才天立像 重文 奈良・東大寺/ 88
梵天・帝釈天立像 国宝 奈良・東大寺法華堂/ 89
十二神将立像 迷企羅・波夷羅 国宝 奈良・新薬師寺/ 92
盧舎那仏像台座蓮弁線刻画 国宝 奈良・東大寺/ 93
誕生釈迦仏立像および灌仏盤 国宝 奈良・東大寺/ 93
八角燈籠火袋羽目板 音声菩薩像 国宝 奈良・東大寺大仏殿/93
千手観音菩薩坐像 国宝 大阪・葛井寺/ 93
慮舎那仏坐像 国宝 奈良・唐招提寺金堂/ 94、95
鑑真和上坐像 国宝 奈良・唐招提寺/ 98
行信僧都坐像 国宝 奈良・法隆寺夢殿/ 99
阿弥陀如来および両脇侍像(阿弥陀三尊像) 
  →重文 奈良・法隆寺伝法堂/ 99
伝薬師如来立像 重文 奈良・唐招提寺/ 100、101
伝衆宝王菩薩立像 重文 奈良・唐招提寺/ 101
伝獅子吼菩薩立像 重文 奈良・唐招提寺/ 101
帝釈天立像 国宝 奈良・唐招提寺金堂/ 102
四天王立像 多聞天 国宝 奈良・唐招提寺金堂/ 102
二天王立像 重文 奈良・唐招提寺講堂/ 102
伝楊柳観音菩薩立像 重文 奈良・大安寺/ 103
十一面観音菩薩立像(伝日光菩薩像) 重文 福井・多田寺/ 103
梵天立像 重文 奈良・法隆寺食堂/ 104
四天王立像 広目天・多聞天 重文 奈良・法隆寺食堂/ 104
十一面観音菩薩立像 国宝 京都・観音寺/ 105
日光、月光菩薩立像 重文 京都・神護寺/ 110
釈迦如来立像 国宝 京都・清凉寺/ 117
薬師如来立像 国宝 京都・神護寺/ 118、119
十一面観音菩薩立像 国宝 大阪・道明寺/ 120
菩薩坐像 国宝 京都・宝菩提院願徳寺/ 120、121
薬師如来坐像 国宝 奈良・新薬師寺/ 122、123
薬師如来立像 国宝 奈良・唐招提寺金堂/ 124
千手観音菩薩立像 国宝 奈良・唐招提寺金堂/ 124
四天王立像 国宝 奈良・興福寺北円堂/ 125
弥勒仏坐像(試みの大仏) 重文 奈良・東大寺/ 126
維摩居士坐像 重文 奈良・法華寺/ 126
不空羂索観音菩薩立像 国宝 京都・広隆寺/ 126
薬師如来および両脇侍像(薬師三尊像) 国宝 福島・勝常寺/ 127
如意輪観音菩薩坐像 国宝 大阪・観心寺/ 128
五菩薩坐像 金剛宝菩薩・金剛業菩薩 
  →国宝 京都・東寺(教王護国寺)講堂/ 129
五大明王像 国宝 京都・東寺(教王護国寺)講堂/ 130〜132
四天王立像 国宝 京都・東寺(教王護国寺)講堂/ 133、134
梵天坐像 国宝 京都・東寺(教王護国寺)講堂/ 135
帝釈天坐像 国宝 京都・東寺(教王護国寺)講堂/ 135
五大虚空蔵菩薩坐像 国宝 京都・神護寺/ 138
阿弥陀如来坐像 国宝 京都・広隆寺講堂/ 139
十一面観音菩薩立像 国宝 奈良・法華寺/ 140
十一面観音菩薩立像 国宝 滋賀・向源寺/ 141
千手観音菩薩立像 重文 滋賀・延暦寺/ 142
五智如来坐像 重文 京都・安祥寺/ 142、143
阿弥陀如来および両脇侍像(阿弥陀三尊像) 
  →国宝 京都・仁和寺/144、145
阿弥陀如来および両脇侍像(阿弥陀三尊像) 
  →国宝 京都・清凉寺/146、147
薬師如来立像(伝釈迦如来像) 国宝 奈良・室生寺金堂/148、149
地蔵菩薩立像 重文 奈良・安産寺/ 149
薬師如来および両脇侍像(薬師三尊像) 
  →国宝 京都・醍醐寺五大堂/ 150、151
千手観音菩薩立像 重文 京都・東寺(教王護国寺)/ 152
大威徳明王坐像 重文 京都・醍醐寺/ 152
釈迦如来および両脇侍像(釈迦三尊像) 国宝 奈良・法隆寺上堂/152
千手観音菩薩立像 国宝 京都・法性寺/ 153
阿弥陀如来坐像 重文 京都・岩船寺/ 154
四天王立像 持国天・広目天 重文 京都・六波羅蜜寺/ 155
薬師如来坐像 重文 京都・六波羅蜜寺/ 155
千手観音菩薩立像 重文 京都・醍醐寺/ 156
阿弥陀如来立像 重文 京都・真正極楽寺/ 157
十一面観音菩薩立像 重文 京都・遍照寺/ 157
薬師如来立像 重文 京都・平等寺/ 158
不動明王坐像 重文 京都・同聚院/ 158、159
天蓋 国宝 京都・平等院鳳凰堂/ 164
阿弥陀如来像 台座 国宝 京都・平等院鳳凰堂/ 164
阿弥陀如来像 光背二重円相部 国宝 京都・平等院鳳凰堂/ 164
阿弥陀如来坐像 重文 京都・安楽寿院/ 166、182
五大明王像 不動明王 重文 京都・大覚寺/ 167
阿弥陀如来坐像 国宝 京都・平等院鳳凰堂/ 172、173
雲中供養菩薩像 国宝 京都・平等院鳳凰堂/ 176
阿弥陀如来および二十五菩薩像 重文 京都・即成院/ 177
日光・月光菩薩立像 重文 京都・広隆寺/ 178

十二神将立像 珊底羅・安底羅 国宝 京都・広隆寺/ 179
薬師如来立像 重文 京都・大蓮寺/ 180
阿弥陀如来坐像 国宝 京都・法界寺/ 180
薬師如来坐像 国宝 京都・仁和寺/ 181
十一面観音菩薩立像 重文 奈良・西大寺四王堂/ 182
千手観音菩薩坐像 重文 京都・峰定寺/ 182
普賢菩薩騎象像 国宝 東京・大倉集古館/ 183
阿弥陀如来坐像 重文 京都・法金剛院/ 184
炎魔天騎牛像 重文 京都・醍醐寺/ 184
阿弥陀如来および両脇侍像(阿弥陀三尊像) 重文 奈良・長岳寺/185、186
大日如来坐像 重文 和歌山・金剛峯寺/ 187
不動明王坐像 重文 京都・北向山不動院/ 187
千体千手観音菩薩立像 重文 京都・妙法院門跡蓮華王院本堂/ 187
毘沙門天立像 重文 東京国立博物館/ 188
観音菩薩・勢至菩薩坐像 重文 愛知・七寺/ 188
大日如来坐像 国宝 奈良・円成寺/ 189〜191
地蔵菩薩坐像 重文 静岡・瑞林寺/ 191
二天王立像 重文 奈良・東大寺/ 192
不動明王立像および童子坐像 重文 香川・與田寺/ 193
大日如来坐像 京都・浄瑠璃寺/ 193
吉祥天立像 重文 福岡・観世音寺/ 194
十一面観音菩薩立像 重文 福岡・観世音寺/ 194
不動明王および二童子立像 重文 大分・真木大堂/ 195
大威徳明王騎牛像 重文 大分・真木大堂/ 196
阿弥陀三尊像(ホキ石仏第二群第一龕) 国宝 大分・臼杵市/ 196
地蔵菩薩および十王坐像(ホキ石仏第一群第四龕) 
  →国宝 大分・臼杵市/ 196
金色堂中央壇諸尊 国宝 岩手・中尊寺金色院/ 197〜199
金色堂西北壇諸尊 国宝 岩手・中尊寺金色院/ 200
普賢菩薩騎象像 重文 山形・本山慈恩寺/ 201
釈迦如来坐像(伝阿弥陀如来像) 重文 山形・本山慈恩寺/ 201
文殊菩薩騎獅像および侍者像(文殊五尊像) 
  →重文 岩手・中尊寺大長寿院/ 201
文殊菩薩騎獅像および侍者像(文殊五尊像) 重文 山形・本山慈恩寺/202
薬師如来および両脇待像(楽師三尊像) 重文 神奈川・宝城坊/ 203
十一面観音菩薩立像 重文 神奈川・弘明寺/ 203
仏頭 重文 奈良・興福寺/ 206
観音菩薩立像(楊貴妃観音) 重文 京都・泉涌寺/ 214
阿弥陀如来坐像 重文 静岡・願成就院/ 216、217
毘沙門天立像 重文 静岡・願成就院/ 217
不動明王および二童子立像 重文 静岡・願成就院/ 218
阿弥陀如来および両脇侍像(阿弥陀三尊像) 重文 神奈川・浄楽寺/219
毘沙門天立像 重文 神奈川・浄楽寺/ 219
不動明王立像 重文 神奈川・浄楽寺/ 219
大日如来坐像 重文 東京・真如苑/ 220
地蔵菩薩坐像 重文 京都・六波羅蜜寺/ 220
不空羂索観音菩薩坐像 国宝 奈良・興福寺南円堂/ 221、222
法相六祖坐像 伝行賀 国宝 奈良・興福寺南円堂/ 222
四天王立像 多聞天 国宝 奈良・興福寺中金堂/ 222
弥勒菩薩坐像 重文 京都・醍醐寺三宝院/ 223
四天王立像 広目天 重文 和歌山・金剛峯寺/ 223
阿弥陀如来および両脇侍像(阿陀三尊像) 国宝 兵庫・浄土寺浄土堂/224
八大童子立像 国宝 和歌山・金剛峯寺/ 226、227
大日如来坐像 重文 栃木・光得寺/ 228
梵天・帝釈天立像 重文 愛知・瀧山寺/ 228、229
聖観音菩薩立像 重文 愛知・瀧山寺/ 229
金剛力士立像 国宝 奈良・東大寺南大門/ 230、231
弥勒仏坐像 国宝 奈良・興福寺北円堂/ 232、233
無著菩薩立像・世親菩薩立像 国宝 奈良・興福寺北円堂/ 234、235
四天王立像 持国天・増長天 国宝 奈良・興福寺南円堂/ 235
俊乗上人坐像(重源像) 国宝 奈良・東大寺俊乗堂/ 238
大威徳明王坐像 重文 神奈川・光明院/ 239
十二神将立像 午神 重文 東京・静嘉堂文庫美術館/ 239
十二神将立像 巳袖・戌神 重文 東京国立博物館/ 239
阿弥陀如来および両脇侍像(阿弥陀三尊像) 重文 埼玉・保寧寺/240
阿弥陀如来および両脇侍像(阿弥陀三尊像) 重文 静岡・函南町/240
竜灯鬼立像 国宝 奈良・興福寺/ 241
空也上人立像 重文 京都・六波羅蜜寺/ 241
文殊菩薩騎獅像 重文 奈良・安倍文殊院/ 242
僧形八幡神坐像 国宝 奈良・東大寺/ 243
阿弥陀如来立像 重文 奈良・東大寺俊乗堂/ 243
維摩居士坐像 国宝 奈良・興福寺東金堂/ 244
梵天立像 重文 奈良・興福寺/ 244
金剛力士立像 阿形 国宝 奈良・興福寺/ 245
弥勒菩薩立像 重文 奈良・東大寺中性院/ 245
薬王菩薩立像 国宝 奈良・興福寺中金堂/ 245
風神像 国宝 京都・妙法院門跡蓮華王院本堂/ 246
二十八部衆立像 婆藪仙人 国宝 京都・妙法院門跡蓮華王院本堂/246
毘沙門天・吉祥天・善賦師童子立像 重文 高知・雪蹊寺/ 246
千手観音菩薩坐像 国宝 京都・妙法院門跡蓮華王院本堂/ 247
阿弥陀如来および左脇侍像 重文 奈良・法隆寺金堂/ 250
弘法大師坐像 国宝 京都・東寺(教王護国寺) 西院大師堂/ 250
聖観音菩薩立像 重文 京都・鞍馬寺/ 251
六観音菩薩立像 准胝観音菩薩 重文 京都・大報恩寺/ 251
不動明王坐像 重文 神奈川・明王院/ 251
釈迦如来坐像 重文 京都・大報恩寺/ 252
不動明王坐像 重文 大阪・天野山金剛寺/ 252
十一面観音菩薩立像 重文 京都・宝積寺/ 252
釈迦如来立像 重文 京都・戒光寺/ 252、253
地蔵菩薩立像 重文 奈良・伝香寺/ 253
愛染明王坐像 重文 奈良・西大寺/ 253
初江王坐像 重文 神奈川・円応寺/ 254
阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏) 国宝 神奈川・高徳院/ 254、255
阿弥陀如来および両脇侍像(善光寺式三尊) 重文 神奈川・円覚寺/259
法燈国師坐像 重文 和歌山・興国寺/ 259
聖徳太子立像(南無仏太子像) 奈良・伝香寺/ 260
聖徳太子立像 重文 京都・佛光寺/ 260
釈蓮如来立像(清凉寺式釈迦) 重文 神奈川・称名寺/ 260
蔵王権現立像 重文 奈良・金峯山寺/ 264
善財童子立像・十一面観音菩薩立像・善女龍王立像 岐阜・高賀神社/267
釈迦如来および両脇侍像 釈迦如来 京都・清源寺/ 267
文殊菩薩騎獅像および侍者像(文殊五尊像) 
  →重文 東京国立博物館/ 268、269
愛染明王坐像 重文 東京国立博物館/ 269
金剛力士立像 重文 京都・勝持寺/ 270
興正菩薩坐像 重文 奈良・西大寺愛染堂/ 270
文殊菩薩騎獅像 重文 奈良・般若寺/ 271
大日如来坐像 重文 大分・金剛宝戒寺/ 271
十一面観音菩薩坐像 重文 京都・法金剛院/ 272
阿弥陀如来坐像 重文 京都・医王寺/ 272
弥勒菩薩立像 重文 神奈川・称名寺/ 272、273
水月観音菩薩坐像 神奈川・東慶寺/ 273
釈迦如来および両脇侍像(釈迦三尊像) 静岡・方広寺/ 274
釈迦如来坐像 岡山・妙圀寺/ 275
大日如来坐像 栃木・遍照寺/ 275
一鎮上人坐像 重文 京都・長楽寺/ 275
釈迦如来および両脇侍像(釈迦三尊像) 重文 京都・安国寺/ 276
千手観音菩薩立像 大阪・千手寺/ 277
吉祥天倚像 重文 奈良・興福寺/ 278
釈迦如来坐像 東京・光厳寺/ 278
大日如来坐像 重文 京都・東寺(教王護国寺)講堂/ 279
大日如来坐像 京都・智恩寺/ 279
智真上人立像(一遍像) 重文 京都・長楽寺/ 280
達磨大師坐像 重文 奈良・達磨寺/ 280
大日如来坐像・金剛薩?坐像・尊勝仏頂坐像 重文 和歌山・根来寺/ 281
十一面観音菩薩立像 重文 奈良・長谷寺/ 282
十一面観音菩薩および両脇侍像 奈良・大福寺/ 283
地蔵菩薩坐像 神奈川・建長寺仏殿/ 284
釈迦如来および両脇侍像(釈迦三尊像) 東京・増上寺/ 285
釈迦如来坐像 奈良・伝香寺/ 286
十二神将立像 亥神・丑神 重文 京都・東寺(教王護国寺)金堂/ 286
薬師如来および両脇侍像(薬師三尊像) 
  →重文 京都・東寺(教王護国寺)金堂/ 286、287
五大明王像 大威徳明王 栃木・中禅寺五大堂/ 288
慈眼大師坐像(天海像) 重文 栃木・日光山輪王寺護摩堂/ 289
十二天立像 月天・毘沙門天・火天 栃木・日光山輪王寺護摩堂/ 289
四方四仏坐像 阿弥陀如来・弥勒仏 東京都建設局/ 290
釈迦如来坐像 東京・寛永寺/ 290
愛染明王坐像 重文 長野・長雲寺/ 291
後白河法皇坐像 重文 京都・長講堂/ 290、291
五大明王像 降三世明王 香川・根香寺/ 291
理源大師坐像 京都・醍醐寺三宝院護摩堂/ 292
不動明王坐像 奈良・元興寺/ 292
不動明王および眷属像 奈良・宝山寺/ 292、293
九品阿弥陀如来坐像 東京・浄真寺/ 294
十八羅漢坐像 羅怙羅尊者 京都・萬福寺大雄宝殿/ 295
弥勒菩薩坐像(布袋像) 京都・萬福寺天王殿/ 295
釈迦如来および随侍像、五百羅漢像 東京・五百羅漢寺/ 296
釈迦如来坐像および五百羅漢像 神奈川・建長寺/ 297
絵画
東大寺戒壇院扉絵図 重文 奈良国立博物館/ 58
両界曼荼羅図(伝真言院曼荼羅) 国宝 京都・東寺(教王護国寺)/ 108
仁王経五方諸尊図(東方) 重文 京都・東寺(教王護国寺)/ 111
興福寺曼荼羅図 重文 京都国立博物館/ 236
建築・伽藍
西院伽藍 奈良・法隆寺/ 10
金堂 国宝 奈良・法隆寺/ 11
夢殿 国宝 奈良・法隆寺/ 12
金堂堂内 奈良・法隆寺/ 26、27
五重塔 国宝 奈良・法隆寺/ 52
金堂 奈良・薬師寺/ 54
法華堂 国宝 奈良・東大寺/ 55
金堂 国宝 奈良・唐招提寺/ 59
法華堂堂内 奈良・東大寺/ 90、91
本堂堂内 奈良・新薬師寺/ 92
金堂堂内 奈良・唐招提寺/ 96、97
講堂 重文 京都・東寺(教王護国寺)/ 111
金堂 国宝 大阪・観心寺/ 112
根本中堂 国宝 滋賀・延暦寺/ 112
金堂 国宝 奈良・室生寺/ 114
上醍醐薬師堂 国宝 京都・醍醐寺/ 114
講堂堂内 京都・東寺(教王護国寺)/ 136、137
本堂堂内 京都・浄瑠璃寺/ 162
金色堂 国宝 岩手・中尊寺金色院/ 170
鳳凰堂堂内 京都・平等院/ 174、175
金色堂堂内 岩手・中尊寺金色院/ 198、199
南大門 国宝 奈良・東大寺/ 210
蓮華王院本堂(三十三間堂) 国宝 京都・妙法院門跡/ 214
浄土堂 国宝 兵庫・浄土寺/ 224
浄土堂堂内 兵庫・浄土寺/ 224、225
北円堂 国宝 奈良・興福寺/ 236
北円堂堂内 奈良・興福寺/ 237
蓮華王院本堂堂内 京都・妙法院門跡/ 248、249
大雄宝殿 京都・萬福寺/ 266
資料・像内納入品
釈迦三尊像 光背銘記 国宝 奈良・法隆寺金堂/ 11
四天王像広目天 光背銘記 国宝 奈良・法隆寺金堂/ 13
釈迦如来および脇侍像 光背銘記 重文 奈良・法隆寺/ 22
釈迦如来および脇侍像 釈迦如来像底 重文 奈良・法隆寺/ 22
如来像(N145号)像底 重文 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)/ 24
光背銘記 東京・根津美術館/ 25
薬師如来像 輪宝・仏足文 国宝 奈良・薬師寺金堂/ 54
釈迦如来像 納入品 絹製五臓 国宝京都・清凉寺/ 117
月輪および蓮台(阿弥陀如来像納入品) 国宝 京都・平等院/ 163
大日如来像 台座墨書銘 国宝 奈良・円成寺/ 169
地蔵菩薩像 像内墨書銘 重文 静岡・瑞林寺/ 169
運慶願経 国宝 個人/ 171
五輪塔形銘札 重文 静岡・願成就院/ 207
阿弥陀如来像 像底 重文 神奈川・浄楽寺/ 207
大日如来像 X線写真 重文 東京・真如苑/ 209
大日如来像 X線写真 重文 栃木・光得寺/ 209
金剛力士像阿形持物金剛杵部材 墨書銘 国宝 奈良・東大寺南大門/ 210
金剛力士像噂吽像内納入 宝篋印陀羅尼経奥書 
  →国宝 奈良・東大寺南大門/ 210
弥勒仏像 像内納入品 国宝 奈良・興福寺北円堂/ 211
大威徳明王像 納入文書奥書 重文 神奈川・光明院/ 211
快慶署名例(阿弥陀如来像足柄)/ 212 重要
2014 26
2015 27
2016 28
2017 29
2018 30
2019 令和元年 3月、大橋一章, 片岡直樹編著「法隆寺 : 美術史研究のあゆみ」が「里文出版」から刊行される。
総論  法隆寺美術理解のために
第一章  金堂釈迦三尊像と薬師像
第二章  救世観音像
第三章  百済観音像
第四章  金堂四天王立像
第五章  夢違観音像
第六章  五重塔塑像群
第七章  行信僧都像
第八章  
玉虫厨子
第九章  伝橘夫人念持厨子
第十章  金堂壁画
第十一章  御物聖徳太子二童子画像
第十二章  太子信仰の成立


2020 2
2021 3
2022 4
2023 5
2024 6
2025 7
2026 8
2027 9
2028 10


「雪国の春」角川文庫、角川学芸出版 1956(昭和31)年7月30日初版発行
『真澄遊覧記』を読む /四
徳岡は自分の地図には見えぬが、前沢の町に近い小部落の名であった。こういう村々の百四十年前の正月が、目に見るように詳しく伝わったのは、珍重すべきことだと思う。二日の朝は子供たちが年礼にくるのに、痩馬と称して松の小枝に銭をさして与えることは、出羽の雄勝の村も同様であって、この辺ではこれを戯れて馬に乗せるといっていた。明きの方ということは雷さまの年を越した方角のことで、それによって村老はまた田作りの豊凶を卜うらした。年を越すとは昨冬の雷鳴が、その方面に聞こえたということと思うが、近世の暦の八将神はっしょうじんのものものしい名前なども、やはりこういう民間の古い習わしから、出ていたことが考えられるのである。三日は申さるの日であったので、家々の馬を引き出して遊ばせた。駒形山信仰の支配する土地だけに、馬の神の祭はおろそかでなかった。六日が節分で豆焼きの灰占はいうらは炉端に行われた。豆をまくことも他の地方と同じであったが、この辺の唱え詞は、
天に花さけ地にみのれ
福は内へ鬼は外へ
というのであった。今でもそういう老人などがあるかどうか。尋ねてみたならばおもしろいであろう。七日の朝はこの土地では白粥しらがゆに豆を入れたもので、七草をはやすというのはいろいろの食器を俎板まないたに置いて、それをマワシ木(擂木)でたたくことであった。若菜を得る途は雪の村にはなかったのである。十一日はハダテと称して、仕事初めの日であった。雪の上に畝を立てて、薄すすきの穂や藁わらなどを早苗さなえに挿し、ああくたびれたと冗談をいう者もあれば、小苗打ちどうしたなどと小児らに戯れて、歌をうたいまた酒を飲んだ。
 いわゆるカセギドリのやってくるのは、この村などでは十二日の午前からであった。ケンダイと称する藁製の蓑笠を着た様子から、鶏のことだと考えていた者が多く、逃げて帰るときにケケロと鳴いてみたり、他村の群れと途中で逢った時は、雌鳥か雄鳥かとまず尋ねて、雄鳥といえば蹴合いをしようといって掴み合い、雌鳥と答えば卵を取ろうといってもらった餅を奪い合った。主人が憎まれている家ばかりはカセギドリの若い者が入ってきてあばれ、廏うまやの前にある木櫃を伏せて、杖でその底を突き立ててスワクエスワクエといった。その言葉の意味はもう不明になったが、なお老人たちはこの訪問者の服装が案山子かかしとよく似ており、その身に着けた鳴子、鳴りがね、馬の鈴、木貝と名づくるラッパのような楽器などが、鳥追い、鹿追う秋の田の設備と同じいのを見て、これは田の神の姿であり、スワクエはその呪文のごときものなることを、想像していたらしい様子である。この役はたいてい若い男が、願掛けまじないのために勤めるものであった。例えば重病で死にかかった者などが、幸いに本復しますれば来年はカセギドリに出ますといって、村の鎮守の社に祈るのは普通であって、それゆえにおりおりは三十から四十に近い人が、この群れに加わって餅もらいにくると記してある。十五日は黄金餅と称して、粟の餅をつく習いがあった。家によっては十一日の物ハダテすなわち雪の上の田植を、この朝執り行う例もあった。山畠の雪の中に高い柱を立て、一方には杭を打ってその間に縄を張り、ヒサグワクという麻糸の糸巻、瓢箪ひょうたんなどをつり下げた所もあった。杭の頭には古草履、古藁鞋わらぐつの類を、いくらともなく縛りつけてあったという。

『真澄遊覧記』を読む/五
 こうして端から書き抜くと長くなるが、真澄のように方々の正月を、一人で見てあるいた人はないのだから、ことにその観察には教えられることが多い。仙台の近村で今も行わるる田植踊り、いわゆる弥十郎・藤九郎のエンブリ摺すり一行は、徳岡の村では十八日の朝やってきた。本来はカセギドリの群れから分化したものと、自分らは推測しているのだが、もうこの時代からこの地方でも伎芸となって、これを業とした部曲があったらしい。田植の祝言の中には注意すべき文句が多かった。例えば早乙女には妊娠を喜んだ心持が述べてある。田人の一行の中には瓢箪の片割れに、眼鼻を彫り白粉を塗ったものを、被ってくる者もあったという。ついこの間幸田こうだ先生から朝鮮のヒョットコだといって贈られたのが、やはりこの瓠ひさご製の素朴なものであった。この箇条を読んだのはあたかもその次の日であって、思わず顧みて棚の上の朝鮮の面と、顔を見合わせて笑ったことであった。
 この年の日記にはまだいろいろの話の種があるが、前を急ぐゆえに今は皆省略する。次の寛政元年は陸中の東山、大原の近くなどで正月をしたものであろうか。夏に入って六月の上旬にいよいよこの辺を立って、再び北上の路に就いた。その紀行が「岩手の山」である。野辺地のへじの馬門まかどから狩場沢かりばさわへ、南部領から津軽領へ、入ってきたのが七月六日、それから青森を過ぎ内湾の岩づたいに、三廏みうまやから宇鉄うてつへ出て便船を求め、盆の魂迎えに飢饉で死んだ親姉の名を、しきりに呼んでいる夜半の時刻、松前をさして渡海したことが、「外が浜づたひ」という一巻には述べてある。
 松前滞在の日記は五種ほど今あるが、その間がきれていて踪跡が明らかでない。彼とやや似た境遇の漂泊者が、あるいは信仰を種とし、あるいは文学によって、幽かに生活の便宜を得ていたこと、口蝦夷くちえぞの外部文化に触れているアイヌらが、なお半ばは仙人のごとく取り扱われていたことなど、新しい印象はいくつもあるが、ことに珍しいのは松前城下の正月の記事であった。
 それは寛政四年子ねの春の日記で、標題を「千島の磯」と記している。この時は真澄は大館山おおだてやまの麓の、天神社の脇に借宅をして、寂しい独身生活をしていたが、あまりに雪が深いので外の正月も森閑として、おりおりは城内の士人の歌の会などに往来しても、目につくような街頭の行事はなかったようである。五日には城中に万歳まんざいを舞わしめらるべしとあって、おりふし来合わせて冬籠りをする旅役者沢田の某という者が、臨時に万歳になって召されたと記してある。十四日の宵のみは町家にも儀式があった。子供が手に持って唱え言を述べあるく短い杖を、松前ではゴイハイ棒といった。すなわち羽後飛島とびしまのヨンドリ棒、越後の道祖神などと一つのもので、古くからこの方式ばかりは日本人が、いかなる雪の国にも持って行かずにはいられなかったことが想像せられる。

    
 相模原市中央区上溝 成田山(不動堂)           鰐口
     
  鰐口(表)                       鰐口(裏)

越中劍岳先登記  柴崎芳太郎
 越中の劍岳は、古来全く人跡未到の劍山として信ぜられ、今や足跡殆ほとんど遍あまねかられんとする日本アルプスにも、この山ばかりは、何人なんぴとも手を著つけ得ざるものとして、愛山家の間に功名の目標となれるが如き感ありしに、会員田部隆次氏は、「劍山登攀とうはん冒険談」なる、昨四十年七月末『富山日報』に出いでたる切抜を郵送せられ、かつ「先日山岳会第一大会に列席して諸先輩の講演、殊ことに志村氏の日本アルプスの話など、承うけたまわり、すこぶる面白く感動仕候つかまつりそうろう、その中に、劍山登り不可能の話有之これあり候に就きて、思い出し候間あいだ、御参考までに別紙切抜き送り候、……なお小生のその後、富山県庁の社寺課長より聞く所に拠よれば、芦峅寺あしくらじにては、劍山の道案内を知れる者有之候えども秘伝として、漫みだりに人に伝えず、極めて高価の案内料を貪むさぼりて、稀まれに道案内をなせしことあるのみなりしが、今回の事にて、全くその株を奪われたる事になりしとか申もうし候、この記事が動機となりて、今年より多くの登山者を出すを得ば、幸さいわいこれに過ぎずと存ぞんじ候」と言える書翰を附して編輯者まで送付せられたり、(その後辻本満丸氏も、この記事の謄写とうしゃを、他より獲えて送付せられたり)聞く所によれば、『富山日報』のみならず、同県下の新聞にも大概出でたる由にて、劍岳を劍山と、新聞屋の無法書きは、白峰を白根、八ヶ岳を八ヶ峰などという筆法と同じく、おかしく感ぜらるれど、ともかくも登山史上特筆する価値あれば、左に全文を掲ぐ(K、K、)

 余は三十六年頃より三角点測量に従事して居ますが、去さる四月二十四日東京を発して当県に来る事となりました、劍山に登らんと企くわだてましたのは七月の二日で、先まず芦峅村に赴おもむき人夫を雇やとおうと致しましたが、古来誰あって登ったという事のない危険山ですから、如何いかに高い給料を出して遣やるからといっても、生命いのちあっての物種ものだね、給料には易かえられぬといって応ずる者がありません、しかし是非とも同山に三角測量を設けざるべからざる必要があるというのは、今日既に立山には一等測量標を、大日山と大窓山には二等測量標を建設してありますけれども、これだけでは十分な測量が出来ませんからで、技術上是非ぜひ劍山に二等測量標の建設を必要とするのであります、前年来屡次るじ登攀とうはんを試みましたが毎時登る事が出来ず失敗に帰しましたが、そのために今日では同地方の地図は全く空虚になって居る次第であります、これは我々の職務として遺憾いかんに堪えぬ次第で、国家のため死を賭としても目的を達せねばならぬ訳わけであります、そこで七月十二日私は最も勇気ある
測夫 静岡県榛原はいばら郡上川根村 生田信(二二)/人夫 上新川郡大山村    山口久右衛門(三四)
人夫 同郡同村       宮本金作(三五)/人夫 同郡福沢村      南川吉次郎(二四)/人夫     氏名不詳
の四名を引率して登山の途に就き、同日は室堂むろどうより別山を超こえ、別山の北麓で渓を距へだたる一里半ばかりの劍沢を称する処ところで幕営し、翌十三日午前四時同地を出発しましたが、此処ここは別山と劍山との中間地で黒部の上流へ落合う渓流が幅三米突メートルばかり、深さ六、七尺もありました、なおその地方は落葉松からまつ等の周囲一丈ばかりもある巨樹、鬱蒼として居ますが幸さいわいに雪があったから渡わたれたものの、雪がなかったら危険地でとても渡れないだろうと思います、それより半里ばかり東南の谷間を下り、それから登山しましたが、積雪の消えない非常な急坂がありまして一里ばかりの雪道を約五時間も費やしました、その雪を通過すると劍山の支脈で黒部川の方向に走れる母指との間のような処に出ました、もっともこの積雪の上を徒渉としょうするのにどうしても滑りますから鉄製の爪あるカンジキを穿はいて登るのであります。
 この積雪地よりは草木を見ず、立山の権現堂ごんげんどうより峰伝えに別山に赴く山路の如く一面に花崗片麻岩かこうへんまがんにてガサガサ岩の断崖絶壁削るが如く一歩も進む能あたわず、引率せる人夫四名の中氏名不詳とせし男は此処より進む能わずとて落伍しました、残りの一行は更に勇を鼓し一層身軽にし双眼鏡、旗、鍋の外ほかは一切携帯せずに進むこととなりましたが、その苦しい事は口にも述べられぬほどです。上の方に攀登よじのぼるのに綱を頭上の巌にヒョイと投げかけ、それを足代に登りかけると上の巌が壊れて崩れかかるという仕末しまつで、その危険も一通りや二通りではありません、こんな処が六十間もありましたが、其処そこを登りますと人間のやや休息するに足る場所がありましたからホッと一休みしました、また其処よりは立山の権現堂からフジという処を経て別山に赴くほどの嶮路で花崗片麻岩のガサ岩ばかりであります。かくて漸ようやく絶頂に達しましたのは、午前十一時頃でありました、この絶頂は円形のダラダラ坂で約四、五坪もありましょう。むかし何時いつの時代か四尺五尺位の建物でもありましたものか、丁度その位の平地が三ヶ処ばかりありました、しかし木材の破片などは一切見当りません。一行がこの絶頂に於て非常に驚いたのは古来いまだかつて人間の入りし事のないちょうこの山の巓いただきに多年風雨に曝さらされ何ともいえぬ古色を帯おびた錫杖しゃくじょうの頭と長さ八寸一分、幅六分、厚三分の鏃やじりとを発見したことである。鏃は空気の稀薄なるためか空気の乾燥せる山頂にありしがため

かさほど深錆とも見えないが、錫杖の頭は非常に奇麗な緑青色ろくしょういろになっております。この二品は一尺五寸ばかり隔へだててありましたが、何時の時代、如何なる人が遺のこして去りしものか、槍の持主と錫杖の持主とは同一の人かもし違って居るとすれば同時代に登りしものか、別時代に登りしものか、これらはすこぶる趣味ある問題で、もし更に進んで何故なにゆえにこれらの品物を遺留し去りしか、別に遺留し去ったものでなく、風雨の変に逢うて死んだものとすれば遺骸いがい、少くも骨の一片位はなくてはならんはずだが、品物はそのまま其処そこに身体は何処どこか渓間たにまへでも吹飛されたものか、この秘密は恐おそらくは誰だれも解とくものはあるまい、なお不審に堪えざるはその遺留品ばかりではない、この絶頂の西南大山の方面に当り二、三間下に奥行六尺、幅四尺位で人の一、二人は露宿し得るような岩窟がある、この窟の中で何年いつか焚火した事があるものと見え蘚苔せんたいに封ぜられた木炭の破片を発見した事である、この外には這松はいまつの枯れて石のようになりたる物二、三本と兎うさぎの糞二、三塊ありしのみである、この劍山の七合目までは常願寺じょうがんじ川等にあるような滑沢かったくの大きな一枚岩であるが、上部は立山の噴火せし際降ふり積りしと思わるる岩石のみである、東南の早月はやつき川方面の方は赤褐色を帯べる岩で、北方は非常の絶壁でその支峰もいずれも剣を立てたるがごとく到底攀ずる事が出来ない、かくて一行は当日午後一

  2024・5 「たつご教室」資料より
時に下山し始め同四時に前夜の宿営地に無事引上げここに第一回の登山を終った。第二回には三角点測量標を建設せんものをと
 測夫 鳥取県東白郡市勢村 木山竹吉(三六)/人夫 中新川郡大岩村 岩木鶴次郎(二四)その他を率いたが、二等三角点を設けんとせしも、名にし負おう嶮山とて機械及材料を運上はこびあぐる事能わず、止やむを得ず四等三角点を建設する事とした。それも四本を接合せて漸く六尺位になる柱一本を樹たてたに過ぎない、この接合せるようにしたのは無論運搬が困難であるからであります、立山の高さは不明であります、立山に居りて見れば劍山の方が高く見えますけれど劍山では立山の方が高く見えます、大抵同様の高さかと思わる、立山の高さですか、それは二千五百米突以上という事になっています 云々うんぬん

底本:「山の旅 明治・大正篇」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年9月17日第1刷発行/2004(平成16)年2月14日第3刷発行
九条錫杖経 和訳
手執錫杖 しゅじしゃくじょう
當願衆生 とうがんしゅじょう
設大施会 せつだいせえ
示如実道 じにょうじつどう
供養三宝 くようさんぼう
設大施会 せつだいせえ
示如実道 じにょうじつどう
供養三宝 くようさんぼう

以清浄心 いしょうじょうしん
供養三宝 くようさんぼう
発清浄心 ほっしょうじょうしん
供養三宝 くようさんぼう
願清浄心 がんしょうじょうしん
供養三宝 くようさんぼう

當願衆生 とうがんしゅじょう
作天人師 さてんにんしん
虚空満願 こうくまんがん
度苦衆生 どくしゅじょう
法界圍繞 ほうかいいにょう
供養三宝 くようさんぼう
値遇諸仏 ちぐしょうぶつ
速證菩提 そくしょうぼだい

當願衆生 とうがんしゅじょう
真諦修習 しんたいしゅうじゅう
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう
俗諦修習 ぞくたいしゅうじゅう
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう
一乗修習 いちじょうしゅうじゅう
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう
手に錫杖を持って
まさに願わくば衆生と共に
大きな施しの集りを設け
ありのままの真実の道を示して
仏・法・僧を供養しよう
大きな施しの集りを設け
ありのままの真実の道を示して
仏・法・僧を供養しよう

清らかな心を持って
仏・法・僧に供養しよう
清らかな心を起して
仏・法・僧に供養しよう
清らかな心を願って
仏・法・僧に供養しよう

まさに願わくば衆生と共に
天人と人間との師になって
無間の願いを満たし
沢山の苦しむ人々を救う
法の世界をとり囲んで
仏・法・僧を供養しよう
諸仏に出会って
速やかに悟りを得なさい

まさに願わくば衆生と共に
真理の道を修行し体得したなら
仏の広大無辺の慈しみと哀れみを得て
全ての衆生を導こう
世間の道を修行し体得したなら
仏の広大無辺の慈しみと哀れみを得て
全ての衆生を導こう
唯一の真実の道を修行し体得したなら
仏の広大無辺の慈しみと哀れみを得て
全ての衆生を導こう
恭敬供養 くぎょうくよう
佛寶法寶 ぶっぽうほうぼう
僧宝一體三寶 そうぼういったいさんぼう
當願衆生 とうがんしゅじょう
檀波羅蜜 だんばらみつ
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう
尸羅波羅蜜 しりやはらみつ
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう
セン提波羅蜜 せんだいはらみつ
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう
毘梨耶波羅蜜 びりやはらみつ
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう
禅那波羅蜜 ぜんなはらみつ
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう
般若波羅蜜 はんにゃはらみつ
大慈大悲 だいじだいひ
一切衆生 いっさいしゅじょう

當願衆生 とうがんしゅじょう
十方一切 じっぽういっせい
無量衆生 むりょうしゅじょう
聞錫杖聲 もうしゃくじょうしょう
懈怠者精進 けだいしゃしょうじん
破戒者持戒 はかいしゃじかい
不信者令信 ふしんじゃりょうしん
慳貪者布施 けんどんしゃふせ
瞋恚者慈悲 しんにんしゃじひ
愚痴者智慧 ぐちしゃちえ
驕慢者恭敬 きょうまんしゃくぎょう
放逸者攝心 ほういつっしゃしょうしん
具修万行 ぐしゅまんぎょう
速證菩提 そくしょうぼだい
謹み敬って供養をしなさい
佛宝・法宝
僧宝が一帯となって三つの宝となる
まさに願わくば衆生と共に
布施の修行をしなさい
仏の広大無辺の慈しみと哀れみを得て
全ての衆生を導きなさい
戒律を守る修行をし
仏の広大無辺の慈しみと哀れみを得て
全ての衆生を導きなさい
苦を耐え忍ぶ修行をし
仏の広大無辺の慈しみと哀れみを得て
全ての衆生を導きなさい
努力をすることの修行をし
仏の広大無辺の慈しみを哀れみを得て
全ての衆生を導きなさい
心を集中し安定させる修行をし
仏の広大無辺の慈しみと哀れみを得て
全ての衆生を導きなさい
智慧を磨く修行をし
仏の広大無辺の慈しみと哀れみを得て
全ての衆生を導きなさい

まさに願わくば衆生を共に
ありとあらゆる
無数の人々が
錫杖の声(音)を聞いて
怠け者は精進をしなさい
戒律を破った者は戒律を守りなさい
不信心の者は信仰をしなさい
欲張りな者は布施をしなさい
起こりっぽい者は慈悲を持ちなさい
愚か者は智慧を磨きなさい
おごり高ぶっている者は敬いなさい
身勝手な者は心を改めなさい
沢山の行を修めて 
速やかに悟りを得なさい
當願衆生 とうがんしゅじょう
十方一切 じっぽういっせい
邪魔外道 じゃまげどう
魍魎鬼神 もうりょうきしん
毒獣毒龍 どくじゅうどくりゅう
毒蟲之類 どくちゅうしるい
聞錫杖聲 もんしゃくじょうしょう
催伏毒害 さいぶくどくがい
発菩提心 ほつぼだいしん
具修万行 ぐしゅまんぎょう
速證菩提 そくしょうぼだい

當願衆生 とうがんしゅじょう
十方一切 じっぽういっさい
地獄餓鬼畜生 じごくがきちくしょう
八難之處 はつなんししょ
受苦衆生 じゅくしゅじょう
聞錫杖聲 もんしゃくじょうしょう
速得解脱 そくとくげだつ
或癖ニ障 さくちにしょう
百八煩悩 ひゃくはちぼんのう
発菩提心 ほつぼだいしん
具修万行 ぐしゅまんぎょう
速證菩提 そくしょうぼだい

過去諸佛 かこしょぶつ
執持錫杖 しゅうじしゃくじょう
己成仏 いじょうぶつ
現在諸佛 げんざいしょぶつ
執持錫杖 しゅうじしゃくじょう
現成仏 げんじょうぶつ
未来諸佛 みらいしょぶつ
執持錫杖 しゅうじしゃくじょう
當成仏 とうじょうぶつ
故我稽首 こがけいしゅ
執持錫杖 しつじしゃくじょう
供養三宝 くようさんぼう
まさに願わくば衆生と共に
ありとあらゆる
悪魔や外道
ばけものや鬼神
毒のある獣や毒気のある龍
毒虫の類も
錫杖の声(音)を聞いて
毒の害から伏せ
菩提心を起して
沢山の行を修め
速やかに悟りを得なさい

まさに願わくば衆生と共に
ありとあらゆる
地獄・餓鬼・畜生といった
八つの難所で
苦しみを受けている衆生が
錫杖の声(音)を聞いて
速やかに悟りを得て
迷いと愚かさの2つの災いや
108の煩悩に悩む者も
菩提心を起して
沢山の行を修め
速やかに悟りを得なさい

過去の仏様達も
錫杖を持って修行し
すでに仏になられた
現在の仏様達の
錫杖を持って修行し
現に仏となられた
未来の仏様達も
錫杖を持って修行をしたら
まさに仏に成れることでしょう
それ故にわたしは、敬礼しよう
錫杖をもって
三宝にご供養しよう
故我稽首 こがけいしゅ
執持錫杖 しつじしゃくじょう
供養三宝 くようさんぼう

南無恭敬供養 なむくぎょうくよう
三尊界会 さんぞんかいえ
恭敬供養 くぎょうくよう
顕蜜聖教 けんみつしょうぎょう
哀愍摂受 あいみんしょうじゅ
護持弟子 ごじでし
それ故にわたしは、敬礼しよう
錫杖をもって
三宝にご供養しよう

つつしみうやまって
仏法僧三尊にご供養し
帰依しよう
顕教と密教との聖なる教えに供養しよう
あわれみお救いたまわらんことを
どうぞ、この教えを護持する弟子を

観音経(部分) 和訳
呪詛諸毒薬 しゅーそーしょーどくやく   
所欲害身者 しょーよくがいしんしゃー 
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
還著於本人 げんじゃくおーほんにん

或遇悪羅刹 わくぐーあくらーせつ
毒龍諸鬼等 どくりゅうしょーきーとう  
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき  
時悉不敢害 じーしつぷーかんがい 

若悪獣圍繞 にゃくあくじゅういーにょう    
利牙爪可怖 りーげーそうかーふー
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
疾走無邊方 しっそうむーへんぼう 

〔ガン〕蛇及蝮蠍 がんじゃーぎゅうぶっかつ 
気毒煙火燃 けーどくえんかーねん
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
尋聲自回去 じんしょーじーえーこー

雲雷鼓掣電 うんらいくーせいでん
降雹〔ジュ〕大雨 ごうばくじゅーだいうー
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
応時得消散 おうじーとくしょうさん
呪詛や諸の毒薬に、
身を害せんと欲(せ)られん者、
彼の観音の力を念ぜば、
還って、本の人に著きなん

或は、悪羅刹(らせつ)、
毒龍、諸の鬼等に遇わんに、
彼の観音の力を念ぜば、
時に悉く敢えて害せざらん。

若しは、悪獣に囲繞(いにょう)せられて、
利(と)き牙爪(きばつめ)の怖るべきに、
彼の観音の力を念ぜば、
疾く無辺の方に走りなん。

〔虫+元〕(とかげ)蛇及び蝮(まむし)蠍(さそり)、
気毒の煙火の燃ゆるごとくあらんに、
彼の観音の力を念ぜば、
声に尋(つ)いで自ら回(かえ)り去らん。

雲りて雷(いかづち)鼓(な)り、掣(いなずま)電(ひらめ)き、
雹(あられ)降り、大雨〔ジュ〕(そそ)がんに、
彼の観音の力を念ぜば、
時に応じて消散することを得ん。

    
   あきる野市 普門寺塔頭 新開院薬師堂                薬師堂内 
神仏分離資料
鶴ケ岡八幡宮境内に建立されていた薬師堂は明治3年5月に取り壊され諸仏は一時北条政子や実朝と縁の深い寿福寺に運ばれたがその後、あきる野しの新開院薬師堂に移された。

   撮影2024・8        撮影2025・8・20
    
  昭和47年、二宮神社本殿裏より出土した「金銅仏薬師如来立像」
  ※ 同じ薬師如来立蔵ですが、光線の具合で違って見えましたので参考資料として掲載しました。 保坂 
参考資料
大和久震平著論文「古式錫枚の形状」PDF
山梨県埋蔵文化財センタ調査報告集第260集 2009・3 山梨県教育委員会 
 山梨県内中世寺院分布調査報告書  常説寺出土錫杖頭を所収
西尾歩著 玉虫厨子絵とその典拠としての『法華経』 PDF
上原和著 玉虫厨子の様式年代論として(一)〜最終未確認
蓑輪顕量著 日本撰述の偽経についてPDF
長谷川智治著 玉虫厨子絵の山岳表現について : 霊鷲山図を中心に
長谷川智治著  法隆寺 玉虫厨子考--舎利供養図を中心に
長谷川智治著 山岳表現考 : 古代中国から法隆寺の玉虫厨子ヘ
週間朝日百科 日本の国宝 No26 香川/善通寺他 発行 1997・8・17
米原寛著 剣岳信仰」をめぐる若干の考察
神仏の習合と分離の研究史 〜川尻八幡宮の境内から発見された手錫杖〜
川尻八幡宮
故郷の甲府

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