ふるさとの甲府       furusatonokoufu.html
2024・6・15 作成


        星輪地蔵堂
星輪地蔵の由来
明治四十年の大洪水で荒川が決壊して、この西下条も大変な被害を受けました。
 星輪地蔵もお堂と共に流されてしまいました。
 頭に星の輪も載せた、高さ一メートルの大きな星輪地蔵は行方不明になってしまいました。村内の老母が病にかかり、星輪地蔵の祟りで供養すれば治る、という事で村人総出で探しましたが見つかりませんでした。
 仕方なく、今の場所にお地蔵さんを建て、供養したところ、労母の病気は治ったのです。以来、星輪地蔵を「うやまい」信仰を重ね、中組の「守り神」として尊敬し現在に至って居ります。
 上条には、頭に日(太陽)の輪を載せた日輪地蔵、中条には、頭に月の輪を載せた月輪地蔵があり、下条には星の輪を載せた星輪地蔵です。
 日、月、星は、気象に関係し、農業を守るお地蔵さんでもあります。また、一里ずつ置かれているので「一里地蔵」とも呼ばれています。
         平成二十六年十月十一日/吉岡 譲著

  
板碑型(一石型)六地蔵(左側)と七地蔵     北斗七星をあらわした七地蔵(右側)

参考資料
甲斐国志 巻之四十四 古蹟部第七  巨摩郡中郡筋
稲積荘 当筋ノ上条、中条、下条、北山筋ノ石田、篠原ニ係リ山梨郡ノ小瀬、小曲辺ニ及ブ東鑑ニ及ブ稲積荘小瀬村トアリ(彼条下ニ委シ)抜隊語録ニ甲州路稲積県ノ居住空山常恵居士之三十三年之遠忌云々明王寺ノ神主左京元亀二年ノ・・略・・・
○国母郷 稲積国母地蔵ノ縁起云養老中行基菩薩本州ニ来リ南山ヲ(つんざ)キ洪水ヲ治メシ時地蔵大士ノ像ヲ刻シテ篠原ノ岡ニ祭リ法城寺ト号ス 治暦中新羅三郎上条ヘ移シ 永禄中信玄古府ヘ移シ 後又板垣ノ郷 東光寺ニ移シテ今ニ現存セリ(東光寺条下ニ詳ニセリ)・・・略・・・・・
   @ 手や爪で裂く。 A 強く破る。
甲州記追加ニ行基菩薩杖頭ニ地蔵大士ノ像ヲ刻ミ篠原岡ニ安置セシガ洪水ニ漂ヒ西郡ノ上高砂ノ域ニ止マリシヲ村人取リ挙テ祀之浮御堂ト号ス後ニ弘法大師壱尺余ノ像ニ模作シ杖頭ノ旧像ヲバ頭ノ内ニ収メ中郡古上条ニ遷シ置キ日輪法城寺ト云勅額ヲ申下シ嵯峨ノ法金剛院ノ末寺トナス淳和帝天長十年ノ事ナリトアリ(法金剛院ハ律宗ノ寺ナリ)此書杜撰微スルニ足ラズ高砂村ハ近時水渦ニ羅リ浮御堂ノ旧跡モサダカナラザリキ軍艦ニ甲州上古ハ湖ナリト聞ク上条地蔵菩薩ノ御書ニテ南ノ山ヲ切テ一国ノ水悉(ことごと)ク富士川ヘ落ルニヨリ国中平地ト成テ今如ナリ件サルニ因テ上条地蔵堂トハ申セドモ寺号ヲバ法城寺ト申ス此文字ハ水去リテ土トナル云義アリ法城寺破レバ甲州ハ衰微ナリ末代マデモ甲州ヲ持ツ将(はた)ハ此寺上条法城寺ヲ建立有ルベシ此寺ニ嵯峨ノ策彦和尚五年ノ間住玉ヒ候ト云々今古上条村ニ地蔵堂一字ヲ存ス龍光院之ヲ摂ス石地蔵一〔タイ〕田間ニ在リ法勝寺ノ遺構ナリト云(以下略)


甲斐国志 巻之七十九 仏寺部第七 巨摩郡中郡筋
一 瑠璃山東光寺(二日市場村)同宗和田法泉寺末黒印百弐拾坪開山快岳悦和尚、本尊薬師
一 見富山永正寺(中条村)曹洞宗龍華院松黒印二百三拾坪月輪地蔵堂ヲ兼帯ス除地百坪
一 天童山福寿院(西西条村)同宗同末黒印七百七拾壱坪本尊地蔵 末二ヶ寺




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