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8月22日、三宅宗議先生がお生まれになる。 |
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| 1958 |
33 |
24 |
○、この年、文章クラブ編集部編「現代日本新人詩集 1958年度版」が「思潮社」から刊行される。 pid/1358650
|
国井克彦/10
佐々木 双葉子/12
中鉢敦子/14
II
曙笑夢/18
伊藤容三/20
磯垣俊木/21
入田正夫/23
小田村政雄/25
大石享/26
大野健二/28 |
岡田克男/30
糟谷清/32
小沢弘久/34
小沢豊/36
可知武彦/38
蒲田忠夫/40
甲名伊静/42
木下博子/43
北沢雅英/44
斉藤憲子/46
佐賀利勝/48 |
塩沢弥生/50
渋田耕一/52
鈴木勝利/54
竹田桂子/58
竹村ひろし/60
玉田五郎/62
辻征夫/64
出来明/66
豊田喜代子/70
中川肇/72
難波彰男/74 |
野村良雄/76
原山林/78
平田好輝/80
福与甲子夫/82
古川三右エ門/84
伏木田土美/86
星野元一/88
三宅宗議/90
宮坂又男/92
宮脇礼二/94
宮芝瑛子/96 |
森田隆司/97
山本晋二/98
柚谷真司/100
III
石原吉郎/104
勝野睦人/106
田中武/107
好川誠一/108
執筆者紹介/111
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| 1959 |
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25 |
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| 1960 |
35 |
26 |
8月、女川町誌編纂委員会編「女川町誌」が「女川町」から刊行される。 pid/3019272
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序文
序 女川町長 木村主税
序 女川町議会議長 鈴木庄吉
編修者の言葉
→編纂委員長 菊地勝之助
本誌の出版まで
→編纂専門委員 相沢清六
例言
第一編 総説/p1
第一章 地理的考察/p1
第二章 歴史的考察/p79
第二編 築港・交通/p157
第一章 女川港の修築/p157
第二章 女川町の交通/p247
第三編 産業・経済/p305
第一章 女川町の漁業/p305
第二章 女川町の農業/p409 |
第三章 女川町の林業/p467
第四章 女川町の工業/p476
第五章 女川町の商業/p488
第六章 女川町の経済/p505
第四編 行政・財政/p517
第一章 女川町の行政/p517
第二章 女川町の財政/p576
第五編 教育・宗教/p631
第一章 女川町の教育/p631
第二章 女川町の小学校/p651
第三章 女川町の中・高校/p693
第四章 女川町教育委員会/p709
第五章 女川町の社寺/p722
第六編 警察・消防/p747
第一節 女川町の警察/p747
第二章 女川町の消防/p757
第七編 衛生・水道/p771 |
第一章 女川町の衛生/p771
第二章 女川町の上水道/p785
第八編 津波・凶荒/p791
第一章 女川地方の津波/p791
第二章 女川地方の凶荒/p810
第九編 観光・名蹟/p817
第一章 女川町の観光/p817
第二章 女川町の名所と史蹟/p829
第十編 江島・出島/p833
第一章 江島の地誌/p833
第二章 出島の地誌/p865
第十一編 民俗・風習/p879
第十二編 物語・伝説/p893
第十三編 人物・旧家/p903
第十四編 終戦前後の女川町/p943
追録/p987
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| 1961 |
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31 |
○、この年、宮城県立矢本高校定時制の教員となる。 |
| 1966 |
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32 |
○、この年、実験考古学の楠本政助さんと「石巻古代文化研究会」を立ち上げる。 |
| 1967 |
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33 |
○、この年、楠本さんと兄の樋口隆信さんと三宅宗議で図録『尾田峰貝塚出土遺物』を編集出版する。
また、三宅宗議が解説版「尾田峰の縄文文化」を「石巻古代文化研究会」から刊行する。 |
| 1968 |
43 |
34 |
○、この年、石巻古代文化研究会が矢本町(東松山市)の矢本横穴墓群を発掘する。 |
| 1969 |
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○、この年、石巻古代文化研究会が矢本町(東松山市)の矢本横穴墓群の第二次発掘調査を行う。 |
| 1970 |
45 |
36 |
○、この年、三宅宗議が「宮城県石巻工業高等学校研究集録 第1集」に「奈良時代の牡鹿郡に関する予察ー牡鹿柵と郡域をめぐってー」を発表する。 |
| 1971 |
46 |
37 |
○、この年、三宅宗議が「宮城県石巻工業高等学校研究集録 第2集」に「宮城県猪落郡出土の石器について」を発表する。 |
| 1972 |
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38 |
○、この年、三宅宗議が「宮城県石巻工業高等学校研究集録 第3集」に「宮城県石巻地方における律令古代の問題点」を発表する。・ |
| 1973 |
48 |
39 |
3月、「大田区の文化財第九集 太田区の板碑」が「大田区教育委員会」から刊行される。
○、この年、矢本町史編纂委員会編「矢本町史 第1巻」が「矢本町」から刊行される。 pid/9569632
|
表紙 題字 矢本町長 小山小太郎
発刊のことば 矢本町長 小山小太郎
序 町史編纂委員長 佐藤千晴
前編 矢本の生いたちと自然
序章 旧村名、地名の由来 高橋藤吾
一 矢本村/1
二 小松村/3
三 大曲村/8
四 赤井村/9
五 大窪村/11
六 塩入村/13
七 鷹来村/14
八 大塩村/14
第一章 地史 高橋清治
第一節 地勢/15
第二節 水田土壌/19
第三節 地質/22
第四節 矢本町周辺の地史/31
第五節 地下資源/33
第六節 気象/35
第二章 生物 佐藤千晴
第一節 見られなくなった生物/41
第二節 少なくなった生物/43
第一編 先史 楠本政助
第一章 旧石器時代/47
第一節 明石原人/48
第二節 旧石器の
→発見された県内遺跡/49
第三節 狩と漁の生活/50 |
第二章 縄文時代/53
第一節 古代人と石鏃/53
第二節 江戸時代の考古学/56
第三節 沼津貝塚の伝説/57
第四節 日本人の祖先/59
第五節 縄文時代の家畜/63
第六節 人骨/65
第七節 縄文土器の起原/73
第八節 土器黎明期の問題/77
第九節 洞穴遺跡/79
第十節 早期/83
第十一節 前期/88
第十二節 中期/90
第十三節 後期/91
第十四節 晩期/92
第十五節 石器/93
第十六節 呪術的性格の土製品/117
第十七節 縄文時代の漁撈活動/121
第十八節 自然遺物と現生動物/170
第三章 弥生時代/202
図版/205
第二編 古代 三宅宗議
第一章 古墳時代/267
第一節 時代のあらまし/267
第二節 文化の変遷/268
第三節 矢本の古墳/278
第四節 生活と社会/288
第二章 奈良時代/295
第一節 時代のあらまし/295 |
第二節 考古学からみた矢本/299
第三節 牡鹿郡の成立/314
第四節 律令の生活/329
第五節 矢本の葬制/344
第六節 舎人と道嶋宿禰/361
第七節 桃生城と蝦夷の反乱/375
第三章 平安時代/385
第一節 時代のあらまし/385
第二節 考古学からみた矢本/387
第三節 平安初期の情勢/400
第四節 牡鹿郡と桃生郡/404
第五節 平安後期の矢本/412
第三編 中世 佐藤雄一
第一章 鎌倉時代/423
第一節 武者の世/423
第二節 源頼朝の奥州支配/424
第三節 鎌倉武士の東北移住/426
第四節 長江氏と深谷保/426
第五節 長江氏と在地農民/430
第二章 南北朝時代・室町時代/433
第一節 建武政府の
→成立と東北地方/433
第二節 南北朝時代の長江氏/435
第三節 室町時代の長江氏/436
第三章 中世の城館/440
第四章 矢本町の板碑/443
年表/465
編集後記 教育課長 新田耕造
・ |
○、この年、三宅宗議編著「古代における海道地方の政治と文化 (矢本町史 ;
第1巻) (古代)」が「矢本町」から刊行される。
宮城県図書館 請求記号:K203/1973.5 図書登録番号:1007820366 別刷
秋田県立図書館 請求記号:21-トガシ/100/683 図書登録番号:128834629 別刷
○、この年、「石巻地方の歴史と民俗 : 宮城県石巻工業高等学校創立十周年記念論集」が「石巻工業高等学校」から刊行される。 pid/9569110
|
序 宮城県工業高等学校長(前宮城県石巻工業高等学校長) 河合正夫/1
発刊に寄せて 宮城県中新田高等学校長(前宮城県教育庁文化財保護室長) 大場恒一/2
激励の辞 宮城県石巻工業高等学校校医 佐久間昌彦/3
発刊にあたって 宮城県石巻工業高等学校長 和田宗一郎/4
先史・古代
石巻市田代島仁斗田貝塚 石巻古代文化研究会会員 楠本政助/5
女川町出島山下貝塚第二次調査報告 宮城県小牛田農林高等学校教諭 辺見鞆高/25
矢本町赤井字星場出土のへら書き土器 宮城県古川工業高等学校教諭 三宅宗議/49
河北町和泉沢古墳群の調査 宮城県教育庁文化財保護課技術主査 佐々木茂〓/62
中世
石巻地方における中世的開発に関する一考察―特に長者伝説の分析から― 秋田大学文学部講師 遠藤巌/75
石巻市専称寺廃寺跡の名号板碑について 石巻市立女子高等学校教諭 佐藤雄一/83
『葛西盛衰記』について 石巻市立図書館司書 千葉賢一/90
近世
キリシタンと石巻地方 宮城県飯野川高等学校定時制主事 紫桃正隆/106
近世における桃生郡の新田開発 宮城県矢本高等学校教諭 高橋藤吾/119
『牡鹿郡水沼村當人数御改牒扣』にみる五人組 石巻市立住吉中学校教諭 木村敏郎/132
石巻市西三軒屋遺跡の発掘調査 石巻市教育委員会社会教育課文化係 中村光一/139
幕末・維新時における仙台藩領の豪農―桃生郡深谷地方を中心として― 石巻市立石巻中学校教諭 阿部昭吾/151
祝田浜敵討考 石巻市教育委員会参事兼石巻市図書館長 橋本晶/165
民俗
削りかけることについての考察 東北工業大学助教授 杉山寿/191
宮城県における家と巫女のオシラ神について 宮城県河南高等学校教諭 小野寺正人/209
石巻市祝田浜の両墓制について 宮城県石巻工業高等学校教諭 鈴木東行/219
石巻地方の地理と地質 宮城県女川高等学校教諭 菅原祐輔/238
執筆者紹介/242
あとがき 宮城県石巻工業高等学校図書館長 伊藤和彦/243
表紙 東北工業大学助教授 杉山寿 |
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| 1974 |
49 |
40 |
4月、三宅,宗議が「下田遺跡発掘調査概報」を「高清水町教育委員会」から刊行する。 |
| 1975 |
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41 |
○、この年、芹沢長介先生(東北大学教授)の推薦により日本考古学協会の会員となる。 |
| 1976 |
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| 1977 |
52 |
43 |
3月、三宅,宗議, 佐藤,信行, 金野,正, 鴇田,勝彦, 桜井,幸喜, 佐々木,徳雄, 白鳥,伝が「瀬峰町文化財調査報告書 がんげつ遺跡」を「瀬峰町教育委員会」から刊行する。 |
| 1978 |
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44 |
3月、三塚,信一, 高橋,守克, 佐藤,信行, 鴇田,勝彦, 桜井,幸喜, 三宅,宗議が「一迫町文化財調査報告書3上ノ原A遺跡」を「一迫町教育委員会」から刊行する。
8月、星野昌治が「第58回 越谷市郷土研究会」に於いて「埼玉県東部付近の民間信仰板碑 ー越谷市を中心にしてー」について発表する。 |
| 1979 |
54 |
45 |
9月、「新版考古学講座持論(上)祭祀・信仰 p214〜247雄山閣」に久保常晴が「仏具」について記述する。

三具足 埼玉県領家 実相寺 |
←
|
三具足・五具足(全文)
仏前の供養具で、花瓶・燭台・香炉の三者を前机に置いたものは三具足、香炉、花瓶・燭台を二対置いたものを五具足という。『勅修百丈清規』に中央に香炉・右に燭台、左に花瓶を置く配列を記しているところから中国の禅宗にすでに行われていて、わが国では鎌倉末期ごろより行われるようになった。室町時代には各宗が用いている。東京都多摩貝取の鈴木氏所有の文安四年板碑に三具足が見える。奈良唐招提寺に永正一三年、滋賀県聖衆来迎寺に天正一五年の中国風の三具足が伝えられている。
|
・ |
| 1980 |
55 |
46 |
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| 1981 |
56 |
47 |
7月、「月刊染織α 通巻(4)号」が「染織と生活社」から刊行され、同号に「蘇った日本最古の仏幡 法隆寺の蜀江小幡が復元」と云う見出しで京都の「龍村美術織物」が復元したことが掲載される。

日本最古の仏幡の断片 |
→ |

復元された「蜀江小幡」 |
|
8月、女川町誌編纂委員会編纂「女川町誌 2版」が「宮城県女川町」から刊行される。
|
序文
序女
川町長 木村主税
序女
川町議会議長 鈴木庄吉
編修者の言葉
編纂委員長 菊地勝之助
本誌の出版まで
編纂専門委員 相沢清六
例言
第一編 総説/ 一
第一章 地理的考察/ 一
第一節 女川町の概観/ 一
第二節 位置・地勢/ 四
第三節 港湾・島嶼/ 五
一、女川の港湾
二、女川の島嶼
第四節 土地・面積/ 七
第五節 気候・季節/ 一〇
一、女川地方の気候
二、女川地方の季節
○仙台七十二候
第六節 地質・生物/ 一五
一、女川地方の地質
二、女川地方の生物
○江島海浜の生物群
第七節 住民・戸口/ 二四
一、藩政時代の戸口
二、仙台藩の人口政策
○尾浦表御百姓取立願
三、明治以後の戸口趨勢
四、各地区の人口分布
○各部落姓氏別戸数調
第八節 聚落・島氏/ 六三
一、浦宿
二、大沢
三、針浜
四、女川・鷲神小乗・
→宮ヶ崎・石浜
五、高白浜六、横浦
七、大石原・野々浜
八、飯子浜
九、塚浜・小屋取
一〇、桐ヶ崎・竹ノ浦・尾浦
一一、御凪別浜・指ヶ浜
一二、江島
一三、出島
一四、寺間
第二章 歴史的考察/ 七九
第一節 古代の女川/ 七九
一、女川の遺跡概観
二、縄文時代の女川
三、弥生式時代の女川
四、古墳時代の女川
五、奈良時代の女川
六、平安時代の女川
第二節 中世の女川/ 一〇九
一、平泉平定と奥州経営
二、蔦西氏と牡鹿地方
三、北畠顕家と多賀国府
四、建武新政と東北地方
五、建武新政後の奥州
六、南北朝時代の石巻 |
七、中世の女川地方
○女川町内の古碑
第三節 藩政時代の女川/ 一一八
一、仙台藩の封土
二、藩祖政宗の深慮
三、仙台藩の職制
四、郡方役人
五 村方役人
○女川浜大肝入の記録
○安永書出より見た女川の開拓
第四節 明治以降/ 一三五
一、明治初期の宮城県
二、地方制度の変遷
三、郡制の設置
○歴代牡鹿郡長調
○桃生牡鹿地方事務所長調
略
口絵目次
一、上空より見た女川港
二、女川港の展望
→(女川第一中学校より)
三、女川港の展望(角浜山上より)
四、女川港の展望(熊野神社より)
五、望郷山と学校植林
→(女川第一小学校より)
六、女川駅前
七、女川港内金華山一の鳥居
八、女川港入口と越木根灯台
九、女川町魚市場の全景
一一、女川町魚市場の内部
一二、尾浦湾のかき筏(対岸は出島)
一三、女川漁港の景観
→(消防団楼上より)
一四、女川第一中学校(白山神社より)
一五、女川町役場
一六、.女川第一小学校(浦宿)
一七、女川第二小学校(女川浜)
一八、浄水池附近より見た水源地
一九、女川町上水道の浄水池
二〇、熊野神社(鷺神浜)
二一、白山神社(女川浜)
二二、照源寺の本堂と庫裡
二三、大震災の記念碑(町役場前)
二四、古文書(江島木村正氏蔵)
二五、女川地方から発掘された土器
二六、女川地方から発掘された
→石器と骨角器
二七、法華壱字石塔(独国和尚の筆)
二八、同石塔(裏)
二九、足島の海猫(その一)
三〇、同(その二)
三一、女川魚港岸壁に浮游する水母
三二、縄文時代の鉢(尾田峰)
三三、縄文の残つている
→弥生式の壷(田ノ畑)
三四、古墳時代の土師器(田ノ畑)
三五、石棒・骨製の矢筈・石のやじり・
→はなれ鈷と石匙・
→貝塚のある遣跡・石斧
三六、天皇陛下女川町へ行幸(女川駅)
三七、現女川町長及び議長等
三八、歴代女川町長及び議長
三九、女川町議会議員 |
四〇、女川町役場・教委首脳部職員
四一、女川町誌編纂委員(巻末)
挿絵目次
一、塚浜のもちの木/ 二〇
二、高辺崎海岸(今の郵局附近)/ 六七
三、高辺崎の郵便局附近(新市街地)/ 六七
四、土偶(内山遺跡出土
→稲井村沼津出土)/八五
五、縄交時代の交様(その一)/ 八七
六、同(その二)/ 八八
七、縄文後期晩期の土器文様(尾田峰)/八九
八、田ノ畑の土器交様/ 九二
九、飯子浜の古碑/ 一一六
一〇、四子の崎灯台/ 二四三
一一、浦宿海岸を通る女川線/ 二七九
一二、イケ掬いの光景/ 三三四
一三、ランプ網/ 三三五
一四、漁船からさんまの水揚/ 三四二
一五、いわしあぐり網船/ 三七六
一六、日水のキャッチャーボートの
→浮ぶ女川港/ 三九五
一七、日水女川工場の全景(石浜)/ 三九六
一八、クジラの大きさと種類/ 三九七
一九、日水の鯨加工場/ 三九七
二〇、浦高札に関する古文書/ 四四六
二一、女川ポゾラン工場内/ 四八七
二二、江島の小中学校/ 六七六
二三、女川中学校の水産実習室/ 六九六
二四、女川中学校の図書室/ 六九六
二五、竹浦と尾浦との境の名松/ 七四三
二六、金華山島の埠頭/ 八二二
二七、江島の船着場/ 八三四
二八、海猫の群棲する足島/ 八五九
二九、海猫の艀卵の瞬間/ 八五九
三〇、海猫の飛び舞ふ足島海岸/ 八六〇
三一、善知鳥/ 八六〇
三二、波聴岩と詩/ 八六三
三三、江島の一風景/ 八七九
三四、江島娘の頭上運搬/ 八八四
三五、羽黒大権現奥院の碑/ 八九四
三六、御殿峠の展望(石浜より)/ 八九六
三七、栄存法印の用いた香炉/ 九〇一
三八、差塩の岩窟(福島県)/ 九一六
三九、独国和尚の墓碑(福島市)/ 九一八
四〇、独国和尚愛用の硯と
→数珠(女川)/九一九
四一、独国和尚の石塚(亀岡)/ 九二〇
四二、女川浜の補陀閣(女川)/ 九二一
四三、補陀閣の額(女川)/ 九二一
四四、独国和尚墓碑の表(女川)/ 九二一
四五、独国和尚墓碑の裏(女川)/ 九二二
四六、望郷山頂の碑
→(右井竣雲氏作並に害)/ 九六三
四七、尾田峰囲貝塚より発掘の土偶/ 九八八
四八、減水した女川港内の光景/ 九九七
四九、角浜より見た
→港内満水の時の光景/九九七
五〇、岸壁破壊の光景
→(阿部喜商店地先一帯)/ 九九八
五一、水産実験所方面満水の
→時の光景/九九八
五二、女川港岸壁の漂流物/ 九九九
・
|
※ 「ハンドアックス状石器」どこに??記述か? 2025・10・22 保坂 |
| 1982 |
57 |
48 |
3月、鴇田,勝彦, 桜井,幸喜, 三宅,宗議が「鬼ノ神山貝塚 野山遺跡」を「七ヶ浜町教育委員会」から刊行される。 鬼ノ神山貝塚・野山遺跡(PDF) ※製塩土器 1430円
10月26日〜11月7日迄、五松山洞窟遺跡の第1次調査を行う。
11月21日〜12月30日迄、五松山洞窟遺跡の第2次調査を行う。 |
| 1983 |
58 |
49 |
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| 1984 |
59 |
50 |
○、この年、三宅宗議が「宮城県における八世紀の文字資料 2 (研究集録 ; 第25号のうち)」を「宮城県高等学校教育研究会国語部会」から刊行する。
宮城県図書館 請求記号:K202/ミ7/イ2 図書登録番号:1000257525 |
| 1985 |
60 |
51 |
○、この年、石巻高校に職場が変わる。 |
| 1986 |
61 |
52 |
7月21日〜8月14日迄、赤井遺跡第1次発掘調査が行われる。

赤井遺跡第1地区のSB02 掘立柱建物跡(南から) (三宅撮影) |
二区画を設定して発掘した結果、次のような遺跡群が発見された。
第1地区
掘立柱建物跡 三棟
材木塀跡
溝跡
竪穴住居跡一軒
第2地区
掘立柱建物跡 三棟
「詩と考古学のワラジを履いて」より転写 |
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| 1987 |
62 |
53 |
○、この年、「赤井遺跡 第1次発掘調査報告」が「矢本町教育委員会」から刊行される。
6月、日本歴史学会編「日本歴史 (469)」が「吉川弘文館」から刊行される。 pid/7910525
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美福門院藤原得子 / 橋本義彦/p1〜14
平治の乱について / 松島周一/p15〜32
吾妻と吾妻山 / 高橋富雄/p33〜36
歴史手帖 盛田家文書整理始末記 / 目崎徳衛/p36〜38
年番通詞の印 / 片桐一男/p38〜40
明法博士中原章世 / 利光三津夫/p41〜43
「千島異聞」考--初期会沢正志斎の思想形成/栗原茂幸/p44〜62
国家総動員法をめぐる政治過程 / 古川隆久/p63〜80
「延喜式覆奏短尺草」補考 / 虎尾俊哉/p81〜84
初期議会のころの野口勝一 / 森田美比/p85〜90
「養和2年記」について / 山下克明/p90〜96
文化財レポ-ト-212-赤井遺跡
→--古代牡鹿柵推定地の調査/三宅宗議;進藤秋輝/p97〜102
書評と紹介 『長岡京古文化論叢』
→--中山修一先生・古希記念事業会編/林陸朗/p103〜104 |
「日本建築史論集(1〜3)」
や味太田博太郎/吉田早苗/p104〜107
書評と紹介 『日本中世の領主制と村落』上・
→下--島田次郎著 / 鈴木国弘/p107〜109
「論集中世文化史」多賀宗隼 / 竜福義友/p109〜112
書評と紹介 『森有礼』林竹二著作集
→--林竹二著/田崎哲郎/p112〜113
書評と紹介 『森有礼』人物叢書
→--犬塚孝明著/田崎哲郎/p112〜113
書評と紹介 『異文化遍歴者森有礼』
→--木村力雄著/田崎哲郎/p112〜113
〔日本史関係〕 雑誌論文目録 / 小川博/p114〜121
新刊寸描/p122〜123
新刊書案内/p124〜125
学界消息/p126〜128 |
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| 1988 |
63 |
54 |
3月、三宅宗議, 茂木好光編※「五松山洞窟遺跡:発掘調査報告(石巻市文化財調査報告書 第3集)」が「宮城県石巻市教育委員会」から刊行される。 pid/13247024
宮城県図書館 請求記号:K709.53/イ1/ウ3 図書登録番号:1007727314
三宅,宗議, 茂木,好光, 山口,敏, 金子,浩昌, 鴇田,勝彦, 岡村,道雄, 久野,雄一郎,
見城,敏子, 山内,文, 財団法人元興寺文化財
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要約/五松山洞窟遺跡は、弥生時代と古墳時代の遺構を併せ持つ遺跡である。弥生時代の遺構は、後期から末期までのもので、火を利用したものと、動物を解体した痕跡が見られるため、この洞窟を拠点とした漁労等の個人活動を行なっていたと推察される。古墳時代については、角石群を利用した埋葬施設が主体となっている。人骨は合計19体で、そのうち2体は、骨格の特徴にアイヌ的特長が見られ、家族墓的様相が見られる。それらは、6世紀から7世紀にかけての古墳出土の副葬品・供献品と同質で、同じ内容であり、被葬者の生前の地位身分が伺われる |
※本報告書の作成にあたり「石野博信さん(24回生 奈良県立橿原考古学研究所研究部長(当時)は関係文献の収集などで便宜をはかってくださった」と、一筆が添えられてありました。 2025・10・25 保坂 |
| 1989 |
64 |
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| 1990 |
平成2年 |
56 |
11月、三宅宗議が「空から「考古」する」を「ヤマト屋書店」から刊行する。 pid/13206770
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AI による概要/三宅宗議さんの「空から『考古』する」とは、石巻地方の高校教諭で考古学者の三宅宗議さんが、セスナ機から遺跡を空撮し、考古学的な知見と組み合わせた冊子『空から「考古」する』で紹介したものです。この冊子は、当時の石巻かほくの記者と共同で制作され、上空から遺跡を観察することで、その全体像や地形との関係性を分かりやすく解説しています。 |
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| 1991 |
3 |
57 |
・ |
| 1992 |
4 |
58 |
10月、三宅宗議, 阿部清一が「照源寺の創建とその時代 (照源寺叢書 ; 第4)」を「曹洞宗板橋山照源寺」から刊行する。pid/13270406 ○、この年、石巻市史編さん委員会編「石巻の歴史 第8巻 資料編2 古代・中世編」が「石巻市」から刊行される。 |
| 1993 |
5 |
59 |
○、この年の2月から翌6年8月にかけ、都道環状8号線の建設工事に伴う発掘調査が大田区光明寺界隈で行われる。 「光明寺荒塚古墳1号墳」は直径23.4m、高さ4mの円墳
○、この年の夏、三宅宗議が川崎市民ミュジアムに於いて開催された「板碑シンポジウム『石に刻まれた古文書』 (東国文化研究会主催)」に参加、「考古学の立場から石巻市など北上川下流域の井内石板碑について」の知見を報告する。
|
(続き ここで、考古学の立場から石巻市など北上川流域の井内石板碑についての知見を報告したのだが、会場の雰囲気はいささか異様だった。板碑専門家たちの批判が坂詰秀一氏(立正大学教授)と私に集中したが、好意的な感じがしなかった。中でも驚いたのは、私に対する次のような批判である。仏教信仰の所産である板碑を、モノ扱いするような考古学はケシカラン!/当日の反省会では発表者の一人から「三宅さんの考えが一般化するには十年かかるだろう」と言われた。これが板碑研究の現状だと思った。 |
○、この年、石巻市史編さん委員会編「石巻の歴史 第6巻 特別編」が「石巻市」から刊行され、三宅宗議著「井内石板碑の成形技法と頭部形式」論文が所収される。 pid/13197985 |
| 1994 |
6 |
60 |
・ |
| 1995 |
7 |
61 |
○、この年、石巻高校定時制を最後に定年退職する。 |
| 1996 |
8 |
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・ |
| 1997 |
9 |
63 |
3月、環8光明寺地区遺跡調査会(野本 孝明、小松 清、麻生 順司、福田 良、河合
英夫、小山 裕之、大谷 忠雄、山口 敏、橋本 眞紀夫)が「環8光明寺地区遺跡調査報告書1,
2」を「環8光明寺地区遺跡調査会」から刊行する。
中世/板碑(主尊種子確認)636、人骨(火葬20・骨化後火葬1・土葬1・他は骨微量など)
蔵骨器89+(宝篋印塔五輪塔部位)49、陶器38、かわらけ146、銭貨2、常滑大甕10
○、この年、埼玉県越谷市に移住する。 |
| 1998 |
10 |
64 |
6月、入間田宣夫編「葛西氏の研究 (関東武士研究叢書 ; 第2期 第3巻)が「名著出版」から刊行される。 pid/13903099 |
| 1999 |
11 |
65 |
・ |
| 2000 |
12 |
66 |
○、この年、学術文献刊行会編集「日本史学年次別論文集 中世2-1998年」が「朋文出版」から刊行される。
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中世村落と都市 / 前川 要
一蓮寺門前町の成立 / 秋山 敬
伊勢湾西岸部における中世港町の状況 / 伊藤 裕偉
中世都市杵築の発展と地域社会 / 長谷川 博史
荘園景観復原研究の課題 / 石井 進
十二?十三世紀の陸奥国石河荘 / 遠藤 巌
中世岩淵の景観 / 谷口 栄
中世香取社領のほまち田について(ノート) / 鈴木 哲雄
中世史料にみる瀬ケ崎・室ノ木 / 西岡 芳文
掘り出された中世から / 野村 一寿
是時名と散田 / 寺下 一義
寺院縁起の成立と在地の情勢 / 橋本 章
中世後期における東寺散所について / 宇那木 隆司
戦国期小倭郷成願寺と村の復元 / 矢島 有希彦ほか
中世荘園における侍の機能 / 小林 一岳
十三・四世紀の垂水西牧榎坂郷 / 福留 照尚
帳簿にあらわれた村の拠点 / 黒田 智
安芸国三田郷の耕地景観と「村」 / 前田 徹
肥前名護屋の中世と近世 / 本多 美穂
中世における水利・耕地の開発・村落の形成 /吉良国光
怡土庄故地を歩く / 服部 英雄
豊後国大野荘の祭祀組織について / 吉良 国光
中世における天皇御霊と謚号 / 中村 勇麿
中世伊予河野氏の婚姻関係と『予陽河野家譜』/西尾和美
『蔭涼軒日録』に見る酒について / 渡辺 大門
中世前期の温暖化と慢性的農業危機 / 西谷地 晴美
中世における在地社会と天候 / 田村 憲美
中世造東大寺長官ノート / 畠山 聡
「社僧」再考 / 野地 秀俊
十五世紀の醍醐寺における洗浴について / 国原美佐子
室町期における奈良福智院地蔵堂の再興と
→「勧進憑支」/阿諏訪青美
寺院の武力に関する覚書 / 中沢 克昭
蓮如の「王法為本」説と戦国期社会 / 遠藤 一
越前と蓮如 / 金竜 静
本願寺教如の花押 / 小泉 義博
猿島門徒と妙安寺 / 今井 雅晴
中世禅僧の文殊信仰 / 上田 純一
平泉中尊寺の構想と現実 / 藤島 亥治郎
武蔵国金鑽談所について / 山口 興順
総州願成寺の探索 / 桃崎 祐輔
一向一揆以前 / 林 譲
戦国末期畿内における一法華宗僧の動向 / 河内 将芳
中世粉河寺の寺内組織とその再編 / 高木 徳郎
中世の星尾寺 / 高橋 修
海の明恵 / 古田 雅憲
周防国氷上山興隆寺修二月会についての一考察/森茂暁
中世における伊勢国の大社 / 井後 政晏
中世伊勢神宮史の諸問題 / 平泉 隆房
中世における宇佐八幡宮の造営 / 中村 康孝
新羅明神と藤原鎌足 / 黒田 智 |
一六世紀京都の風流踊にみえる
→二人の人物像について / 河内 将芳
史の平家・儒の平家 / 清水 真澄
凝然の歴史叙述についてのノート / 市川 浩史
十四世紀政治思想における<普遍> / 市川 浩史
中納言定家と上卿故実 / 五味 文彦
藤原定家の生活環境 / 工藤 健一
真宗文化史の研究 / 籠谷 真智子
琵琶の時代から笙の時代へ / 相馬 万里子
舞々考 / 山路 興造
延年芸能の声と話法 / 松尾 恒一
物売り歌謡研究序説 / 小野 恭靖
茶会記論の試み / 谷 晃
輔仁親王伝 / 関口 力
兼好書状の真偽をめぐって / 高橋 秀栄
事書、目安について / 岩元 修一
中尊寺供養願文の研究史と毛越寺説 / 川島 茂裕
内容が改竄された『興福寺奏状』の異本について/城福雅伸
入寺語録の構造と年表 / 山口 隼正
葦の髄から天井のぞく / 勝俣 鎮夫
「相良家文書」の青墨花押について / 漆原 徹
相模国円覚寺境内絵図の作成過程に関する一考察/佐藤道雄
中世史料にみる「蝦夷」について / 工藤 大輔
沼津市霊山寺の中世石塔群の調査 / 吉沢 悟
鎌倉武士団と板碑造立 / 久保田 順一
中世相模における再利用板碑 / 渡辺 美彦
同じ年月日を刻む複数基の板碑について/栗岡真理子
武蔵型板碑の銘文配置 / 三宅 宗議
埋められなかった中世一括埋納銭 / 内山 俊身
後北条氏関係文書に見られる「糊付」の封について/鳥居和郎
宮城歴史科学研究 (47/48)
→宮城歴史科学研究会 2000-02/pid/4421967
第2回歴史学入門講座/1〜25
講演 公文書館と史料保存 / 高野修/p1〜20
コメント / 大藤修/p21〜24
参加記 / 佐藤大介/p24〜25
板碑をどのように史料化するか
→--『仙台市史』特別編5を読んで / 三宅宗議/p26〜47
参加記 2.11信教・思想・報道の自由を守る宮城県民集会、
→弓削達氏「平和な21世紀の世界を、
→どうしたら作れるか」を聴いて / 丸山仁/p48〜51
参加記 「日の丸・君が代の押しつけに
→反対する県民集会」 / 大平聡/p52〜55
声明「日の丸」「君が代」の国旗・国歌法制化に
→抗議する声明/仙台城本丸の石垣保存に
→関する声明/55〜59
[声明] 「日の丸」「君が代」の国旗・国歌法制化に
→講義する声明 / 宮城歴史科学研究会/p55〜57
[声明] 仙台城本丸の石垣保存に関する声明
→ / 渡辺信夫 ; 大石直正 ; 入田宣夫 ; 今泉隆雄 ;
→ 大平聡 ; 大塚徳郎/p57〜59 |
○、この年、三宅 宗議が「宮城歴史科学研究47・48合併号」に「板碑研究の新しい方法論とは何か」を述べる。
特に、拓本・実測図・写真・釈文・観察表の5つの方法による板碑の考古学的資料化の重要性
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| 2001 |
13 |
67 |
6月、大石直正, 川崎利夫編「中世奥羽と板碑の世界 (奥羽史研究叢書 ; 1) 」が「高志書院」から刊行される。
9月、「石造文化財 1」が「佛教石造文化財研究所」から刊行される。 2001.9
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仏教考古学と「石造文化財」 / 坂誥秀一 著
湯河原・城願寺土肥一族石塔群の調査 / 松原典明
論攷/塔婆形格狭間を有する石塔類について/松原典明 |
資料紹介/中国石造交脚菩薩像
新刊紹介/播磨定男『石造文化-歴史学への誘い-』 /吉田美弥子
大石直正・川崎利夫編『中世奥羽と板碑の世界』 / 本間岳人 |
○、この年、三陸河北新報社編「石巻圏20世紀の群像 上巻」が「三陸河北新報社
」から刊行される。 |
| 2002 |
14 |
68 |
○、この年、「歴史考古学 50号 」が「歴史考古学研究会」から刊行される。
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〔歴史考古学研究会創立〕25周年記念特別号 p.2〜184
山形県の経塚とその特色 川崎 利夫 p.6〜19
山形市内の石造遺品--漆山字伊東原の層塔 加藤 和徳 p.20〜23
置賜地方の中世六面幢概観 小野田 政雄 p.24〜29
日光男体山頂遺跡出土の種子札 時枝 務 p.30〜36
北関東における宝篋印塔の二形態--周辺部の石造文化を考える 磯部 淳一 p.37〜47
安産信仰を伴う富士塚の石室 青木 忠雄 p.48〜57
三鱗文兵具〔クサリ〕太刀残欠考--中世の武蔵御嶽神社と武蔵国府 齋藤 慎一 p.58〜61
庚申の当たり日について--暦から見た庚申塔造立のお日柄 嘉津山 清 p.62〜75
武蔵型板碑の製作技法--東京都大田区萬福寺の蝶型蓮座板碑を中心に 三宅 宗議 p.76〜98
韋駄天山遺跡の現状と課題--越後国奥山荘北条の中世墓 水澤 幸一 p.99〜109
当尾・西小墓地の旧景観 狭川 真一 p.110〜120
地蔵像を中心とした十三仏碑について 片岡 長治 p.121〜125
「高野山町石」鎌倉武士の一断面 八田 洋子 p.126〜141
近世六十六部廻国行者の造像例--松江市所在の二例を中心に 鳥谷 芳雄 p.142〜148
山口県の近世石造狛犬 内田 伸 p.149〜166
『歴史考古学』創刊号〜50号総目録 p.167〜183 |
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| 2003 |
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8月、千々和到が「板碑と石塔の祈り (日本史リブレット ; 31)」を「山川出版社」から刊行する。
12月26日付、朝日新聞(石川県版)に、石川県珠洲市野々江本江寺遺跡から最古の木製笠塔婆が発掘されたことが掲載される。
発掘された笠塔婆と板碑 所蔵:石川県埋蔵文化財センター |
←木製笠塔婆 額
←木製笠塔婆 竿
←木製板碑
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| 2008 |
20 |
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3月、三宅宗議が東北学院大学大学院の集中講義で「関東における板碑研究の現状 ー考古学的研究を中心にー」を発表する。
12月6日〜2月22日に於いて「板碑が語る中世 : 造立とその背景」企画展が埼玉県立嵐山史跡の博物館で開催される。また、埼玉県立嵐山史跡の博物館編集「碑が語る中世
: 造立とその背景 : 企画展展示図録」が「埼玉県立嵐山史跡の博物館」から刊行される。 |
| 2009 |
21 |
75 |
1月24日、「板碑が語る中世 : 造立とその背景 : 平成20年度シンポジウム」が「女性教育会館研修棟講堂」に於いて開かれる。
2月6日付読売新聞に片岡正人記者が「板碑から中世を読む」の見出しでシンポジウムの様子を報告する。
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1月24日行われたシンポジウムで磯野治司が中国・唐代の幡(バン)について「極楽往生するための功徳として葬送に必要な仏具。目的も形状も描かれたモチーフも、板碑と酷似している。年代がかけはなれているが検討に値する。また諸岡勝が埼玉県の初期の板碑には近在の古墳の石棺に使用されていた石材(青石)を再利用した事例等を掲載される。 |
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| 2010 |
22 |
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3月11日、東日本大震災が発生する。 |
| 2012 |
24 |
78 |
3月、「石川県埋蔵文化財情報 第 27 号」が「石川県埋蔵文化財センター」から刊行される。
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巻頭図版(金沢城下町遺跡(丸の内7番地点)、北方池の下遺跡、長池カチジリ遺跡)
平成23年度上半期の発掘調査から ……… … 正 実…(1)
発掘調査略報
北方池の下遺跡(珠洲市) ………………………………………………(2)
水白モンショ遺跡、小竹ボウダ南遺跡、小竹スナダ遺跡(中能登町) …(4)
畝田 C 遺跡、畝田・無量寺遺跡(金沢市) …………………………… (6)
金沢城下町遺跡(丸の内7番地点)(金沢市)……………………………(8)
額新町遺跡(金沢市) ………………………………………… ………(10)
長池カチジリ遺跡、横江古屋敷遺跡(野々市市) …………… ………(12)
米永ナデソオ遺跡(白山市) ……………………………………………(14)
平成23年度上半期の遺物整理作業 ……………………………… …(16)
環日本海文化交流史研究集会の記録 …………………………… …(19)
はじめに ……………………………………………………長 三浦純夫(19)
珠洲市野々江本江寺遺跡出土木製塔婆類について … 伊藤雅文…(20)
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発掘された木製板碑部分名称と実測図(S=1/10)) |
中世日本海域の墓標 その出現と展開−九州− …… 中恒次郎…(23)
山陰における中世前期の墓標と墓 ………………… ………中森祥…(26)
福井県の中世墓標の出現と展開について
−福井県における中世墓の展開と石造物− …………… …赤澤徳明(29)
加賀・能登における古代末〜中世前半期の墓地と墓標 ……安中哲 徳(32)
富山県の様相 ………………………………………………島田美佐子(35)
越後の墓標−14世紀以前を中心にして− …………………水澤幸一(38)
東北地方の塔婆類と野々江本江寺遺跡出土塔婆 …………山口博之(41)
討論と展望 ……………………………………………………魚水環…(44)
調査研究
埋蔵文化財センター周辺遺跡の紹介 ………………………岡本恭一(47) |
5月、日本考古学協会総会・研究大会のセッション「板碑研究の最前線」で時枝努と磯野治司が報告を行う。
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時枝努報告から/三宅宗議(自分)で引用するのもおかしいが、当日配布された発表要旨の一部を紹介しておきたい。/時枝努氏(立正大学教授)は「趣旨説明ー板碑概念」の中で、板碑の考古学的研究は平成初年ごろから活発化したと述べている。「板碑の実測図が作成され、詳細な観察記録が公表され」るようになったとし、板碑製作の工程などが議論できる資料的環境が整えられたとしている。「その背景には、石器研究で培われたノウハウを板碑に適用し、板碑の考古資料としての特色を読み取る方法を積極的に開拓した三宅宗議らの努力があり、板碑研究の基礎を打ち立てたことの意義は大きい」とも述べている。また、氏の論文注で「三宅宗議の武蔵型板碑に関する論考だけでも(論考名省略)多数にのぼる。これらの一連の研究を積み重ねることで板碑研究の基礎的な方法論が培われ、それが若手の研究者に大きな影響を与えた」と評価している。/磯野治司氏(埼玉県北本市役所)は「板碑の研究史と起源」の報告の中で、板碑研究の画期となったのは、平成五年、川崎市民ミュージアムで開催された「石に刻まれた中世」であったとし、「坂詰秀一の講演及び三宅宗議の報告によって提起された考古学的な視点や実践例によって、板碑研究の方向性」が明確になったと述べている。そして、平成年間に入ってからの首都圏での板碑研究の方向性とは、a産業的な研究、b技術論論的な研究、c機能的な研究、d資料論的な研究であるとする。三宅はabdの三分野で新しい方向を示しているとした。 三宅宗議著「詩と考古学のワラジを履いて」より転写 |
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| 2013 |
25 |
79 |
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| 2014 |
26 |
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1月、石川県珠洲市野々江町から出土した「野々江本江寺遺跡出土品」が県指定有形文化財に指定される。
4月25日(金)〜5月25日(日)迄、石川県埋蔵文化財センタにおいて「野々江本江寺遺跡出土品」展が開催される。
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大型の木製板碑と木製笠塔婆の2種類計4点があり、板碑はヒノキ、笠塔婆はアスナロでつくられています。これまで『餓鬼草子』などの絵画でしかみられなかった平安時代の木製塔婆類が実際に出土したもので、全国的にも稀有な例です。平安時代以降の墓地や葬送のあり方を知るための貴重な資料 |
10月6日、埼玉県比企郡小川町にある緑泥片岩の採掘遺跡「下里・青山板碑製作遺跡」が国史跡に指定される。
○、この年、女川町教育委員会が内山遺跡の発掘調査を行う。
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女川町の遺跡で記憶に残るのは鷺神の内山遺跡である。大きな遺跡で、畑に散らばる縄文土器や石鏃、石匙、石斧などをたくさん拾い集め、例によって美術準備室に運んだ。それから何日か経ったある日、不思議なことが起こった。河北新報に内山遺跡が発見されたという記事が出たのである。発見者は石高生とあり、私の名前まで出ている。驚いて杉山先生のところに行き、どこから新聞に伝わったのか尋ねた。知らないということだった。/この内山遺跡は2014年、女川教育委員会によって発掘調査された。区画整理にともなう行政発掘である。震災復興事業であり止む得ないことだが、調査が終わり遺跡は破壊された。女川町の重要遺跡が消滅した。私は青春を想起させる物証もなくなった。 「詩と考古学のワラジを履いて p20〜p21より転写 |
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2月、三宅宗議が「同窓会報 鰐陵 第57号 p10〜p30 宮城県石巻高等学校鰐陵同窓会」に「詩と考古学のワラジを履いて」を寄稿する。
詩と考古学のワラジを履いて - [特別寄稿] (PDF) |
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12月、千々和到, 浅野晴樹編「板碑の考古学」が「高志書院」から刊行される。
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「まえがき」にかえて……………………………千々和到(國學院大學教授)
第1部 板碑づくりの技
板碑の製作技法……………………………………三宅 宗議
緑泥石片岩の分布と特質…………………………本間 岳史(埼玉県文化財保護審議会委員)
板碑石材の採石・加工場…………………………高橋 好信(小川町教育委員会)
第2部 武蔵型板碑の分類と編年
12世紀 定型化以前の「板碑」…………………伊藤 宏之(東京都台東区文化財保護調査員)
13世紀前半 武蔵型板碑の型式編年……………磯野 治司(北本市教育委員会)
13世紀後半 武蔵型板碑の類型化と分布………村山 卓(埼玉県埋蔵文化財調査事業団)
第3部 武蔵型板碑の編年と地域性 14~15世紀
多摩川流域の板碑…………………………………深澤 靖幸(府中市郷土の森博物館)
多摩地域の伊奈石板碑……………………………本間 岳人(池上本門寺霊宝殿)
下野の板碑…………………………………………齋藤 弘(栃木県立学悠館高等学校)
北武蔵(埼玉県)の板碑…………………………諸岡 勝(埼玉県教育委員会)
房総の板碑…………………………………………倉田恵津子(聖徳大学他非常勤講師)
第4部 板碑の編年と地域性
東北地方日本海側の板碑…………………………山口 博之(山形県立博物館)
陸奥北部の板碑……………………………………羽柴 直人(岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター)
北東日本海型板碑の展開と他型式の影響………水澤 幸一(胎内市教育委員会)
近畿の板碑…………………………………………本田 洋(多賀町立博物館)・
佐藤亜聖(公益法人元興寺文化財研究所)
畿内北部と山陰地方の板碑………………………西山 昌孝(歴史考古学研究会)
畿内周辺部における板碑の展開…………………伊藤 裕偉(三重県教育委員会)
阿波の板碑…………………………………………西本 沙織(徳島市教育委員会)
九州の板碑と地域性………………………………原田 昭一(大分県立歴史博物館)
あとがき……………………………………………浅野 晴樹(埼玉県立嵐山史跡の博物館) |
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3月、「国指定史跡下里・青山板碑製作遺跡保存活用計画書」并びに「概要版」を小川町教育委員会が刊行する。
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平成26年10月6日、板碑製作遺跡のうち下里地内の割谷、西坂下前A、内寒沢の3地区が「下里・青山板碑製作遺跡」として国の史跡に指定されました。史跡は、我が国の歴史や文化を正しく理解するためになくてはならないものであると同時に、将来の文化の向上発展の基礎となるものであり、貴重な国民的財産です。そして、その価値が損なわれると二度と回復することができません。
この遺跡は、板碑の生産や流通はもちろん、板碑に象徴される中世の精神文化や中世社会の様相を知る上でも極めて重要なものです。一方、遺跡の多くは山間部に所在し、日常的な管理、自然災害や盗掘等による破壊の危険性などの問題もあります。
遺跡を適切に保存し、その価値を確実に次世代に伝えられるよう、将来にわたる保存・管理・活用・整備の基本的な考え方を示す「保存活用計画」を策定しました。
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保存活用のあるべき姿
板碑を通じて中世の信仰や社会の複合的な研究を推進する。
A 板碑を通じた研究の成果を社会に還元し発信する拠点とする。
B 板碑によって地域を理解する歴史教育の場とする。
C 地域の多様な文化財や自然と調和・共存する持続可能で未来につながる史跡を目指す。 |
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概要版より複写しました。 2025・9・2 保坂
3月、「女川町文化財調査報告書第6集 内山遺跡 〜女川町東日本大震災復興事業関連遺跡調査報告書T〜」が「女川町教育委員会」から刊行される。 |
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4月1日、文化財保護法が改正される。
地域における文化財の保存及び活用を総合的かつ計画的に行うことができるよう,
文化財保存活用地域計画制度が創設される。
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牛久市 (茨城県)
富士吉田市(山梨県)
松本市 (長野県)
王寺町 (奈良県)
益田市 (島根県)
平戸市 (長崎県)
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参考/平戸市文化財保存活用地域計画
平戸市においては、古くは日本最古級といわれる旧石器類が発見された入口遺跡が残存しているほか、遣隋使・遣唐使の玄関口や南蛮文化・キリスト教伝来の地として賑わいを見せた歴史文化を有するが、文化財を地域社会総がかりで保存する体制の整備や文化財の活用による地域活性化が課題となっている。このため、地域住民・来訪者・文化財関係者により文化財を守る仕組みによる文化財保存体制の強化を行うほか、重要文化的景観の整備や新たな観光コンテンツ開発を契機とした歴史文化の理解促進方策などの取組により、市内の文化財の保存及び活用を推進することとしている。
文化庁HPより |
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5月、「季刊考古学 147号」が「雄山閣」から刊行される。
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板碑と宗教 (特集 板碑からみた神仏) 時枝 務 p.14-16
面の構成 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑を読む) 三宅 宗議 p.17-20
図像 : 嘉禄・寛喜銘板碑の復元 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑を読む) 新井 端 p.21-24
種子 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑を読む) 三宅 宗議 p.25-28
蓮座と仏具 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑を読む) 村山 卓 p.29-32
真言と偈頌 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑を読む) 諸岡 勝 p.33-36
板碑の紀年銘 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑を読む) 太田 まり子 p.37-40
板碑と顕密仏教 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑と宗教) 菊地 大樹 p.41-44
専修念仏系の板碑 : 浄土宗・真宗・時宗 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑と宗教) 野口 達郎 p.8,45-48
題目板碑 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑と宗教) 本間 岳人 p.49-52
禅宗 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑と宗教) 小田部 家秀 p.9,53-56
修験道・神道 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑と宗教) 時枝 務 p.9,57-60
民間信仰 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑と宗教) 伊藤 宏之 p.61-65
寺院と周辺 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑造立の場) 吉田 義和 p.10,66-69
墓地に立つ板碑 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑造立の場) 磯野 治司 p.11,70-73
聖地 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑造立の場) 野澤 均 p.74-77
「霊場」における板碑造立 : 松島 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑造立の場) 田中 則和 p.12,78-81
板碑の廃棄状況 (特集 板碑からみた神仏 ; 板碑造立の場) 砂生 智江 p.82-85
宗教史と板碑研究 (特集 板碑からみた神仏) 磯野 治司 p.86-88
最近の発掘から 会津盆地西縁山地の山寺調査 : 福島県会津坂下町高寺山(たかてらやま)遺跡 吉田 博行 p.89-90,93-94
最近の発掘から 板碑を伴う中世の墓域 : 埼玉県毛呂山町崇徳寺(すうとくじ)跡 佐藤 春生 p.91-92,95-96
考古学の旬(第5回)古植物学からみた縄文文化観の変換 小畑 弘己 p.97-104 |
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3月、「赤井官衙遺跡群 赤井官衙遺跡 矢本横穴(東松島市)」が国指定文化財〈史跡〉に指定される。
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指定日:令和3年3月26日 東松島市赤井字星場
概要/牡鹿の郡家(ぐうけ:郡の役所)あるいは『続日本紀』天平9年4月条にみえる「牡鹿柵」と考えられる赤井官衙遺跡と,その南西に位置する役人などの墓域の矢本横穴墓群からなる。/赤井官衙遺跡では、7世紀中葉頃に関東地方からの移民によって溝と塀で囲まれた大規模な集落が営まれる。官衙として整備されるのは7世紀末頃で、官衙は倉庫院と居宅と考えられる2つの区画から構成されている。移民を中心とした集落の形成と、それにもとづいた官衙、ないしは城柵の造営という変遷をたどれる遺跡であり、7世紀中葉から8世紀にかけての律令国家成立期の東北地方の経営を考える上で重要である。/矢本横穴は、丘陵東向き斜面の中腹に、約1.5kmにわたって営まれた横穴墓群(よこあなぼぐん)である。これまで113基の横穴墓が発見されており、赤井官衙遺跡に移民の集落ができたころから官衙が廃絶したころまで墓域として使われたことが判明している。横穴墓の形態は、千葉県の東上総地域に特有の「高壇式横穴墓(こうだんしきよこあなぼ)」に類似ししたものが多い。金銅装圭頭大刀(こんどうそうけいとうたち)、革帯(かたい)、「大舎人(おおとねり)」と墨書された須恵器などの遺物が出土しており、牡鹿郡家ないしは牡鹿柵に勤めた役人などの墓域と考えられる。 宮城県HPより転写 |
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赤井遺跡が国(史跡)に指定されるまで
7 赤井遺跡を発掘する
私は先の「3 古代史の常識を疑う」で、奈良時代の牡鹿柵は星場囲を中心とする赤井遺跡にあると推定した。そして、そこに牡鹿郡領の牡鹿氏(道嶋氏)の居館跡があり牡鹿郡家跡があると推定した。この仮設の考古学的証明が私の課題としてのこされていた。/1985(昭和60)年、五松山洞窟遺跡の調査が終わり、職場を石巻高校に変えた。そのころから、地元赤井の新田耕造さん、渥美敏範さん、斎藤稔男さんら「道嶋探索グループ」は、牡鹿柵跡の発見を目ざして活動を始めた。矢本町文化財保護審議会も強い関心を示し、三宅を講師に招くなどして研修を重ねた。渥美さんによると、赤井地区の人たちも地区内に奈良・平安時代の官衛遺跡、とりわけ牡鹿柵跡があることに興味関心を示し、赤井遺跡の本格的調査を要望する機運が高まったという。/かくして、町教委員は86(昭和61)年度に発掘調査を実施することとなった。その直接の発端となったのは、星場の土地造成中に大きな方形の掘り込み跡が等間隔で発見されたことである。町教委の人と私が現場を見て驚き、県多賀城跡調査研究所の進藤秋輝さんに通報した。進藤さんは現場に駆けつけ、一言「これは重大なこと」と言った。/◆/発掘調査の実施にあたって、担当課である町教委社会教育課は、県文化財保護課と県多賀城跡調査研究所に指導助言を求めた。それによって、多賀城跡調査研究所が中心となり、県文化財保護課、東北歴史資料館が全面的に支援する調査体制をつくることになった。赤井遺跡発掘調査委員会(鈴木貴答委員長)をつくり、調査担当とした。/ここに至って、私の個人的な課題は矢本町の公的な調査研究事業となり、県の専門的な調査研究機関のバックアップによって本格的に解明されることになったのである。うれしくて、ありがたいことだった。/私は、この発掘調査の現場指揮を進藤秋輝さんにお願いした。進藤さんは多賀城研の研究第一科長であり、古代城柵官衛遺跡研究の最前線に立つ気鋭の研究者である。赤井遺跡は重要な城柵管衛遺跡であると私は考えていたから、その実質的な調査担当者は高い専門性を有する人でなければならない。幸いにして、快諾を得た。(以下略) 「詩と考古学のワラジを履いて」 P26〜P27 |
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3月、別府大学紀要委員会編「別府大学大学院紀要 23号」が「別府大学会」から刊行される。
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きぬがさ(4)場をしつらえる天蓋 段上 達雄 p.1-16
アンナ・フロイトの児童分析と自我心理学 : 父フロイトから受け継いだもの 中野 明コ p.17-36
大分県酒造組合選抜酵母の小仕込み製造清酒の特性 藤原秀彦, 小野浩輝, 難波桃子,
小松潤平, 麻生益直, 岡 啓湖 p.37-43
慶長5年8月22日の米野の戦い、同月23日の瑞龍寺山砦攻めについての一柳家の首帳に関する考察 白峰 旬 p.45-63
臼杵石佛の参拝(訪問)者に関する研究(1)宇佐美博之氏所蔵参拝記念芳名録から見える特質 仲嶺 真信 p.65-72
大分県宇佐に残る伊藤金二郎の軍艦模型について : その史料的価値 安松 みゆき p.73-84
別府大学臨床心理相談室のこれまでとこれから 小野 貴美子 p.85-94
中学1年生へ「SOSの出し方に関する教育」の実践から見えてくる
→その効果と今後の課題 稗田真由美,□所亮博, 小野貴美子 p.95-101
柑橘アレルギー患者における好塩基球活性化マーカー
→CD63及びCD203c発現に関する検討 高松伸枝, 近藤康人, 拓殖郁哉 p.103-108
選びとられた景 浅野 則子 p.1-8 |
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4月22日〜5月21日迄、石川県埋蔵文化財センター展示室に於いて「加賀郡傍示札」と「野々江本江寺遺跡出土品」展が開かれる。
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野々江本江寺遺跡出土品」は、平安時代以降の墓地や葬送のあり方を知るための貴重な資料です。大型の木製板碑(ヒノキ)と木製笠塔婆(アスナロ・スギ)の
2 種類計 4 点からなり、これまで『餓鬼草子』などの絵画資料でしかみられなかった平安時代の木製塔婆類が遺跡からみつかった、全国的にも稀な例です。平成
19(2007)年に珠洲市野々江本江寺遺跡から出土し、平成 26(2014)年に県指定有形文化財(考古資料)となりました。(案内文) |
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9月3日、三宅宗議が「旧城山町民俗収蔵庫(川尻小敷地内)」に於いて15枚の板碑群を検分する。
11月22日、三宅宗議が「第22回 たつご教室」に於いて「板碑について」を語る。(予定)
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たつご教室案内文/ 川尻小学校敷地内には給食センタのあった時代がありました。その後、旧城山町内の民俗資料を集めた収蔵庫ができましたが、現在は非公開のままになっています。その中には15枚の板碑が保管されたままになっています。
今回は、日本の代表的な板碑研究者でもある三宅宗議さんから板碑の特徴や造られた時代背景、また、何故消滅して行いったか、また、「秩父の青石」と云われる原産地はどこか等、様々な角度から語っていただきます。
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板碑の検分調査を行う長澤学芸員と三宅先生(右) |
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