台湾でなくなった石井留吉の消息    syousoku.html
   ー伝染病予防法成立の礎となった人々に手向けてー

2021・3・13  開始
2021・3・25 「まとめ」の文面を組み入れる
2021・3・27 伝染病予防法の一部を追加
2021・4・4 御兄様に宛てた高石高次郎の軍事郵便を追加
はじめに
 お寺の墓地の入口とか片隅だとか中央に無縁佛になってしまった墓石をよく見かけるようになった。昔からあったと思うが、そうは気にならなかった。これも年をとった証拠なのだろうか。
 3月1日、病院の帰り、旧津久井町の功雲寺と云う曹洞宗の寺に立寄った。鐘楼の南面に多くの無縁佛さんが並んでいた。古い墓石もあれば、最近作られたばかりの墓石もあった。その中にひときわ大きな墓石があった。正面右側から「明治二十七八年戦役於臺灣忠死 故陸軍歩兵一等卒石井留吉碣」とあり、裏側を覗くと「大正六年三月 再建」とあった。

「臺灣忠死 石井留吉」と刻まれている墓石
「戦死」ではなくて「忠死」であった。このことが何を意味するのか無性に知りたくなった。そして、私は無縁仏となってしまった「石井留吉」さんの死に際を辿ることは、将来にとっても決して無駄なことではないと直感した。恐らく、無念な死に方に違いないと思いました。私はある程度の分った段階で、細やかな御供養祭のようなことが出来ればと思っています。
 タイトルでは「台湾でなくなった石井留吉の消息」と記しましたが、時間的なことで云えば「澎湖島ノ役」以降からのことを考えることにしました。澎湖島ノ役では九百八十名の尊い生命がコレラによって奪われたと云います。
 台湾島内では、尚も激しい戦いが続き、また伝染病では何千何万と云う尊い命が奪われました。
 コロナ渦にあって、中々前に進みませんが、今の私に出来ることを随時記しておこうと思っています。


1860 万延元年
1861 文久元年
1862 2
1863 3
1864 元治元年
1865 慶応元年
1866 2
1867 3
1868 明治元年
 9・8改元
1869 2
1870 3
1871 4 11月、台湾に漂着した宮古島島民54人が殺害される。<宮古島島民遭難事件>
1872 明治5 6月、生き残った十二名は琉球に帰り、事件のことを日本政府に訴える。
1873 6 〇この年、備中国浅口郡柏島村(現在の岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起る。
1874 7 2月6日、政府閣議で、琉球島民の殺害を理由に台湾征討を決定する。
4月4日、西郷従道陸軍中将を台湾蕃地事務都督(都督)、大隈重信を事務局長に、事務局を長崎に設置する。
5月17日、政府「人民保護義務」を大義名分に台湾に出兵する。<牡丹社事件・征台の役>
資料/それにしても、せいぜい二、三百人しかいない生蕃の牡丹社討伐に大がかりな征台軍をくり出したものである。総兵力は三千六百人でその内訳は、司令部熊本鎮台司令長官少将谷干城、鎮台の歩兵台十九大隊と砲兵隊(山砲とダットリング機関砲)、これに熊本・鹿児島の歩兵第二十二大隊と東京第三砲兵隊からなっていた。そのほか人夫大工等の職人五百人を募集して輸送・兵站(たん)にあって、政商大倉喜八郎が責任者となっていた。   古野直也著 台湾軍司令部 p28〜29 より
5月22日、日本軍、台湾に上陸する。
10且31日、北京条約を締結する。
1875 8
1876 9
1877 明治10
1878 11
1879 12 6月27日、「虎列刺(コレラ)病予防仮規則」(6月27日政官布告第23号)を公布する。
7月14日、「海港虎列刺病伝染予防規則」(7月14日太政官布告第28号)を公布する。
1880 13 7月9日、「伝染病予防規則」(7月9日太政官布告第34号)を公布する。
1881 14
1882 明治15
1883 16
1884 17 〇この年、清仏戦争に関連して、フランス艦隊・鶏籠・滬尾・澎湖島を砲撃する。
  清、劉銘伝(りゅう めいでん)を福建巡撫兼督弁台湾防務に任命。
参考資料
明治一七年 八月二一日 清ハ軍艦若干償金モ同意カ 軍艦数艘.福州ノ基地位ハ我ニ好都合 榎本ヘ北京行電命 総署ノ回文ニ対シ英米独ニナライ回答 吉田二郎機密信中英回答恰好ニツキ之ニナラウベキ旨電命西郷海軍卿ヘ更ニ軍艦一艘差出ヲ要請長崎待機ノ盤城艦差立 仏議会東京征伐二三千五百万フランク支出議決 榎本清国ヘ忠告ハ票田ノ上タルベク一己ノ見ハ不可 →五九六ー1
〇明治一七年 八月二一日 (前文欠)開戦宣告ニ至ルベシ 明日内閣ニ出デ清仏開係ニツキ陳述イタス方ヨロシカラン明治一七年 九月 三日 仏窮セシカ仏公使青木ヘ相談ノ模様 今般ノ事変仏ハ目算違イカ 清ハ他国ノ虚喝ニ甘ンジタル形跡 我ハ平和維持肝要 台湾砂糖・石炭ハ望マシクモ維持困難 北海道一ツ持テ余シ内政改革遅々 中立論面倒ナラン →六〇一ー2
〇 明治一七年一〇月二四日 仏政府清国ニ対シ宣戦急ガズ 台湾封港ヲ仏外務卿「パシフィクブロクケエド」ニ拠ルト言明コノ名目不明 局外中立 石炭ニツキ申入レ 和清条約第二項ニツキ清国公使申入レヲ仏外務卿ヨリ照会 ソノ大意別紙機密信ニテ送付セリ (付)仏外務卿ジュール・フェリ宛蜂須賀茂韶仏文書翰写 一通 →六二八ー21
井上馨関係文書目録 国立国会図書館参考書誌部 編 国立国会図書館 1975 (憲政資料目録 ; 第10)
書翰の部より
1885 18 10月、清国政府は台湾を福建省より分離独立台湾省を設置、劉銘伝が初代台湾巡撫に任じられる。
1886 19 〇この年、劉銘伝が台湾に着任、洋務運動を中心に新政を推進、清賦事業(土地調査事業)の実施、鉄道の敷設、樟脳専売制度、郵便制度などを創設、理蕃事業も大□(山+科)□溪を中心に進展する。
1887 明治20
1888 21
1889 22
1890 23
1891 24 3月19日、立憲自由党が自由党と改称、板垣退助が総理に就任する。
〇この年、劉銘伝が離任、新政頓挫する。
1892 25 11月17日、後藤新平が内務省衛生局長となる。
1893 26 6月、「国家医学 (10)」が「国家医学社」から刊行される。 pid/1506244
消毒藥ノ効用及性質――論説 / 中濱東一カ
麻疹患者血液中ノ黴菌ニ就テ――論説 / P川昌耆
一二病毒ノ傳染關係ニ就テノ實險――論説 / 橋本C敏
強姦鑑定ノ一例 / 石川C忠
發作中ニ他殺ヲ行ヒシ臟躁兼癲癇患者ノ
   →鑑定例(承前) / 榊俶 ; 舟岡英之助

比較衛生制度論 / 後藤新平
明治二十五年中六種傳染病景况――雜纂
傳染病豫防及其屆出ニ關スル國法ノ草案
  
 → ドクトル、ワッセルフール
長崎市狂犬病調査報告
パストール氏治療法
傳染病と飲料水の關係
抄録
グロース=ワルテンベルヒ郡ニ於ケル虎列拉ニ對スル法規―醫制
  →ドクトル、リヒテル
鄙土ニ於ケル消毒 / ドクトル、アーシュネル
エセリッヒ氏膓内「バチルス」ノ毒素――黴菌學 / ギルベルト
コッホ氏「コムマバチルス」ノ服用試驗 / パステルリーク
麻疹痘瘡猩紅熱及ヒ黴菌ノ原因 / ドクトル、ドヨーレ
澳國千八百九十一年ニ於ケル傳染病――衛生學
窃盜數犯 遺傳素因 悖コ狂――精神病學
醫術開業試驗の改正――雜報

11月、 北白川宮能久親王が第四近衛師団長となる。
1894 27 1月、河合綱太郎発行兼編「防疫類集」が刊行される。 pid/837201  閲覧可能
伝染病予防規則 / 1
伝染病予防心得書 / 6
伝染病消毒法 / 24
伝染病性状概略 / 26
伝染病予防心得書改正ノ趣旨 長与専斉君之講説 / 42
伝染病予防及石灰乳消毒ノ件 中浜東一郎君講演 / 50
赤痢病予防ノ件ニ付 北里柴三郎君講演 /70
仝上 中浜東一郎君講演 / 84
仝消毒ノ方法 後藤新平君講演 / 98
伝染病予防掛員自衛ノ心得 / 115

6月5日、広島に大本営が開設される。
7月17日  陸軍省に恤兵部(じゅっぺいぶ)が設置される。 <陸軍省告示第八號>
自由党党報 (65)  自由党 (1891年) 自由党党報局 1894-07 /pid/3554609
黨論 中央政社――(第二) / 自由黨々報局
論説 我邦は亞細亞に於てモンロー主義の
   →實行を宣?すべし / 森本駿
論説 臺閣の諸公に質す / 三縁駿
時事 列國の傍觀 / 自由黨々報局
時事 列國と應戰するの覺悟 / 自由黨々報局
時事 眼中甞てC國なし / 自由黨々報局
時事 樺山中將 / 自由黨々報局
時事 開戰の先聲 / 自由黨々報局
時事 C國 / 自由黨々報局
時事 C兵と袁カ / 自由黨々報局
時事 朝鮮の内政 / 自由黨々報局
時事 弊政改革の詔勅 / 自由黨々報局
時事 要求個條 / 自由黨々報局
時事 韓廷改革委員 / 自由黨々報局
時事 傍觀する乎 / 自由黨々報局 時事 
日韓間の關係 / 自由黨々報局
時事 局面一變 / 自由黨々報局
時事 支那崇拜 / 自由黨々報局
時事 朝鮮 / 自由黨々報局
時事 開化黨と事大黨 / 自由黨々報局
時事 屬邦の待遇 / 自由黨々報局
時事 C、討つ可し / 自由黨々報局
時事 貴國は獨立國なりや / 自由黨々報局
時事 日Cの戰爭 / 自由黨々報局
時事 運命 / 自由黨々報局
時事 干戈相見ゆるの日 / 自由黨々報局
時事 勝敗の數 / 自由黨々報局
時事 名譽ある凱旋 / 自由黨々報局
時事 急發 / 自由黨々報局
時事 睡して去らん / 自由黨々報局
時事 戰機 / 自由黨々報局
時事 對外思想 / 自由黨々報局
時事 陸軍恤兵部 / 自由黨々報局
時事 新共和國 / 自由黨々報局
時事 新共和國の憲法 / 自由黨々報局
時事 對外自主派の宣言 / 自由黨々報局
外報 佛國大統領 / 自由黨々報局
外報 佛國内閣 / 自由黨々報局
外報 大平洋中の新共和國 / 自由黨々報局
外報 佛大統領暗殺後聞 / 自由黨々報局

8月1日、日本、清国に対し宣戦を布告する。<日清戦争の勃発>
8月26日、香川鉄夫が「日清開戦実記 : 朝鮮革新」を「交盛館」から刊行する。
pid/773862  
閲覧可能
惣論
朝鮮と我国との間柄
支那と朝鮮との間柄
東学党の事
東学党の強勢
清兵朝鮮の請に応して
   →派遣する事
日本の出兵
日本出兵の理由
天津条約
大鳥公使の入京
支那兵入韓の摸様
廟堂の対清政策
対韓策
東学党鎮定閔族の内情
袁世凱の魂胆
李鴻章の後悔
袁世凱氏大鳥公使に面語して
   →日本の撤兵を要求す
天皇陛下在韓の陸海軍兵へ
   矢っ印恩賜の御沙汰
韓廷に対する我勧告
大鳥公使の照会朝鮮政府回答
清国の無礼
大鳥公使朝鮮国王に奏議す
閔泳駿の辞職哀世凱の憤激
清国政府の仲裁熱
清国開戦主義に変
大鳥公使より朝鮮談判及項目
朝鮮政府大改革策を徴す
清国の虚喝
形勢一変局面一転す
仁川港局外中立に决す
朝鮮金宏集外務総理大臣に任せらる
朝鮮政府の改革委員
牙山の清兵
日本軍人の意気
清国内閣の大評定
朝廷新に局を置く
恤兵部(じゅっぺいぶ)を置かる
清国の処決を促すべし
京城の形勢
笑ふべき清国の照会
時機逼れり
韓廷改革を拒絶む
袁世凱京城を去る
支那の増兵愈出発す
清国の義勇兵は乞食なり
朝鮮人日本人に撤兵を依頼す
支那朝鮮両国に向て
   →直に戦を開くべし
国王大院君を召す
日韓両兵小戦の実況
朝鮮政府の大政革を実行す
豊島の海戦
牙山の陸戦
宣戦の大詔
局外中立
我軍凱旋後
捕拿艦操江号の事
我海軍の技倆
清国海軍の力量
日清両国海軍の対比
清帝宣戦の詔
10月28日、堀中東洲編「日清戦記 : 画入」が「文盛堂」から刊行(初版)される。
11月21日、旅順口を占領する。
11月、大淵渉著編「日清戦争軍記 大淵渉/出版」が刊行される。 pid/773982 閲覧可能
危機将に破裂せんとす
中和の
戦端
野津将軍
小挑戦
平壌の敵軍
清兵の総督
斥侯の戦死
山県大将と小川少将
李鴻章と袁世凱
平壌城外の死屍
清軍駆逐策
英清の間
我海軍、威海衛を衝く
対清策
野津将軍の進発
斥候兵の衝突
我軍の進発
清兵事情
清軍の挙動
李鴻章の末路
清太后日清の戦を知らず
張之洞と李鴻章
哥老会と曽記沢
清軍に統帥なし
清国の三将
台湾海陸軍総督
北洋艦隊の所在
砲台其他の防備
清廷の暴令
清国亡滅の兆
日対清要地
帝国軍艦
第一戦事彙驟報
雑記


参考資料
〇明治二七年 月二二日 益田孝ヨリ熊本連中ヘ申入レノ和窟的一件貴台ニ迷惑ヲ懸念 小野金六ヨリ古荘嘉門等ヘ催促佐々友房来訪 他日台湾攻取リノ後軍ニ附従シテ殖民的渡島ヲ企図 事ノ成否井上伯ニ伺イタシトノ依頼ナリ →五二一ー1
井上馨関係文書目録 国立国会図書館参考書誌部 編 国立国会図書館 1975 (憲政資料目録 ; 第10)書翰の部より
11月、鈴木純一郎編輯「日清戰争軍人名譽忠死列傳」を「尚古堂 : 弘文舘」から刊行する。
11月、牛台山人が「日清戦争軍人名誉忠死列伝 」を「尚古堂」から刊行する。
pid/773984
 閲覧可能
 注 「日清戰争軍人名譽忠死列傳」は鈴木純一郎編輯本と牛台山人本が同じかは未確認なので注意をお願いします。 2021・3・18 保坂
11月5日、鹿島長次郎編「日清戦争」が「興文社」から訂正発行される。 
初版同年9月25日
pid/773955  
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詔勅
日清韓三国の関係
朝鮮人の我国対する感情
明治十五年の変乱
朝鮮近世の国情
大院君と閔族との関係
明治十七年の変乱
在廷両党の破裂
我特派大使の派遣
京城の条約
東亜の形勢及び欧洲との関係
全権特派大使の出発
東学党の叛乱
日清両国兵勇の出発
日本国民の義気
清国飲食用品の輸出を禁ず

陸軍恤兵部の設置
樺山海軍々令部長の出発

日清両国の照合
袁世凱の帰国
日韓兵の小闘
大島公使の参内
大院君の参内

大院君の摂政
朝鮮政府の大改革
軍国機務処章程
各衙門の名号
豊島の海戦附海戦地の図
宣戦の勅詔
牙山の大勝利
京軍の出発
成歓の形勢
安城渡清國の伏兵松崎大尉戦死
左翼本隊の戦敵の本塁を奪ふ
清兵築堡の拙劣
牙山の本拠を占領す
京城の凱旋
歓迎の式場
松崎大尉の小伝
時山中尉の小伝

両国公使の引揚

天津領事一行の遭難
義勇団に就ての詔勅
朴泳孝及び武久警視の出発
威海衛の戦況 威海衛軍港図
公債募集
軍事公債条例
李鴻章の困難及総理衙門驚愕
劾奏三ヶ条
総理衙門の狼狽
韓廷の新叙任
清兵の北来
我兵の北進



11月、「竜南会雑誌 (31)」が「第五高等学校竜南会」から刊行される。 pid/1584926
論説
体育上の一考案 / 賀來熊次カ
何をか歴史といふ(承前) / 湯原元一
思想傳逹法に就て / 川田鐵彌
雜録
日光採集日誌 / 中川久知
時文摘話(第四) / K本植
ツュルゴー / 温知學人
ヘルムホルツ氏逝く
文苑
鰺魚記 / 聚遠閣主人
詣先人墳墓記 / 飯田御世吉カ
行軍歌 / 園哲雄
西征雜詠(其二) / 笠間梧園
新体詩及歌
雜報
天長節
行軍
恤兵部献金 / p61〜62
自炊
支部記事
志望學科別
寄贈雜誌

12月、寺尾直方, 杉本文太郎編「日清兵役忠死者之小伝」が「成文舎」から刊行される。
pid/774075
 閲覧可能
1895 28 2月2日、威海衛を占領する。
2月12日、清国北洋艦隊が降伏する。
2月24日付、「下文珠村青年会の美挙 小学校新築に寄附金、陸軍恤兵部へも寄附」のことが新聞に掲載される (デジタルアーカイブ福井)
3月6日11時、鹿児島丸外數隻が広島宇品港を佐世保軍港に向け出発する。
混成枝隊々長 陸軍歩兵大佐比志嶋義輝
第一師団後備歩兵第一聯隊ノ第一大隊(岩崎少佐・東京湾警備)
第一師団後備歩兵第一聯隊ノ第二大隊(岩元少佐・東京湾警備)
第一師団後備歩兵第十二聯隊ノ第二大隊(高橋少佐・下関海峡警備)
臨時山砲中隊        (荒井大尉)
騎兵   工兵   輜重兵各々若干
3月15日午前9時、混成枝隊が澎湖(ほうこ)列島占領に向け、佐世保軍港を出発する。
    朝な夕なとき磨きたる劍太刀光あらはす時は來にけり  比志嶋枝隊長
聯合艦隊(比志嶋枝隊)の構成
松島・橋立・厳島・吉野・浪速・秋津洲・高千穂・西京経丸
輸送船:鹿児島丸・金州丸・小倉丸・新発田丸・豊橋丸・萬國丸・千代田丸
3月21日、旗艦「吉野」が座礁する。
3月23日、澎湖島攻撃を開始する。
3月24日正午、澎湖島馬公城及び同砲台を制圧する。
3月26日、澎湖島諸島全域を占領する。
資料 征台顛末」 其九 虎病ノ猖獗(しょうけつ)
三月廿八日暴風雨アリシ頃ハ最惨最旺ノ時ニシテ實吉海軍々醫総監モ入城実際のノ状況ヲ視察シ又検疫部ヲ設ケテ三田村海軍軍醫大監其長トナリ海軍醫官之ヲ助ケ鋭意事ニ従ヒ亦各部隊ニ於テモ怠リナク舎営ノ掃除ヲ行ヒ従軍人各自ノ衛生ニ一層ノ注意ヲ惹起セシメシカバ漸次病勢相衰ヘシニ加ヘテ醫師看護夫ノ渡航益々多ケレバ四月十九日ノ頃ニ至テ始メテ其ノ避病院ノ閉舎ヲ告ゲタリト云フ而シテ其死者ノ数幾何ト願レバ馬公城ノ東南陽明門ヲ出テ□十五町混成枝隊軍人軍属ノ墓ト題セル一大石碑ノ立テル所ニ就イテ之ヲ數フルコトヲ要ス墓ハ一號ヨリ七號ニ至ル所謂一堆ノ土饅頭其下ニ永眠セル同胞ハ實ニ其數左ノ如シ
一號 二百四人
二號 七十八人
三號 二百二十人
四號 六十八人
五號 百八十一人
六號 百八十一人
七號 四十八人
合計 九百八十人
此中幸ニシテ馬革ニ包メルモノナキニアラズト□□多クハ是レ虎疫ノ惨毒ニ罹リテ世ニモ憐(あわ)レナル最後ヲ遂(と)ゲタルモノ但此墓地前ハ海ニ面ン左ハ圓頂山ヲ望ミ右ハ馬公城ニ對シ土地高燥ニシテ風光佳絶加フル濶大清浄而シテ墓碑ノ高約五間煉瓦ニセメントヲ塗り清人特ノ技ニ加フルニ費金ヲ□マズ宏壮ニシテ雄潔稍々(やや)人意ヲ慰ムルニ足ルモノアリ云フ
     
猖獗(しょうけつ):悪い物事がはびこり、勢いを増すこと。猛威をふるうこと。 
    鋭意(エイイ):心をはげましてつとめること。
                          香風外史著「征台顛末 p166〜167」より
征台顛末」 其十 澎湖
逸事
大慈大悲/虎病蔓延シテ人夫ハ殊ニ其病毒ニ發シ其數大ニ滅シ累々タル死屍之ヲ焼クヲ例トスレドモ今ハ之ヲ行フノ人ナク又其燃料ニ乏シ己ムヲ得ズシテ一大士穴ヲ穿テ五十若クハ六十一所ニ之ヲ埋メテ葬ルハ時ニ當リ最モ感謝スルニ足ルベキハ本願寺派遣使ノ
懇篤ナル盡力ナリケリ東本願寺ノ松江賢哲 西本願寺ノ名和淵海ノ両師及ビ其従者僧侶三名ハ常ニ火葬ノ事ヲ幹旋(あっせん)シ爲ニ裏正角避病舎ノ死亡者ハ一人ノ土葬ニ附セシ者ナカリキ遺骨ハ各々紙に封シテ其故舊親戚ニ送レリ又避病舎掛員ハ煩忙ナルヲ以テ死亡者ノ遺物ヲ区別スル等ノ事ハ甚ダ困難ナリケリモ是レ亦本願寺僧ノ盡力ニヨリテ適當ナル處置法ヲ施シ得タル誰カ其大慈悲ニ感泣セザラシヤ喉氣ノ毒ニ堪エザルハ名和師ノ従者是レナリ一名ノ従者ノ貴世喜三郎ハ此ノ如ク周旋奔走中何時シカ病毒ニ感染シテ間モナク死亡シタレバ同僚松田常吉ハ泣ク〔く〕其遺骨ヲ火葬塲ニ運ビテ涙ノ中ニ葬リタリキ何ゾ知ラン其身モ亦其病ニ感染シテ次ノ日ノ夕ベニ同ジ火葬場ニ焼カルヽ身トナラントハ
       ※いつじ(逸事):世間に知られていない隠れた事柄。
       懇篤(こんとく)懇切丁寧で、心がこもっていること。また、そのさま。

                                
香風外史著「征台顛末 p171〜172」より                           
3月、(栃木県)伏木誠一郎/(栃木県)船田茂一郎編「征清軍人忠死列伝」が「(東京)積文社」から印刷される。pid/773695 閲覧可能  注 「澎湖島ノ役」での忠死者についての記述はありませんでした。 保坂
3月、伊能嘉矩編「戦時教育修身訓 第1編」が「普及会」から刊行される。
 pid/757623 
閲覧可能
一 宣戦ノ詔勅
二 我ガ国体ノ特殊
三 我ガ国ノ陸海軍
四 軍人ニ賜ハリタル勅諭
五 金鵄動章
六 軍旗ノ護持
七 戦時
八 徴発
九 捕獲審検
十 局外中立
十一 戦時大本営
十二 大本営ヲ広島ニ進メラル
十三 大元師陛下の御励精
十四 皇后陛下の御慈仁
十五 皇太子殿下の御孝徳及び御武徳
十六 山県陸軍大将人臣の栄を極む
十七 徳孤ならず
十八 国民一般ノ敵愾心
十九 軍事公債ノ募集(其一)
二十 軍事公債ノ募集(其二)
二十一 恤兵
二十二 日本帝国朝鮮ヲ啓誘ス
二十三 日清交戦ノ起因
二十四 大鳥公使ノ談判
二十五 我ガ軍朝鮮国王城ニ入ル
二十六 軍事ニ関スル臨時議会
二十七 軍事費
二十八 豊島の戦
二十九 成歓及牙山の戦
三十 松崎陸軍大尉の勇武

三十一 喇叭手白神源次郎氏の義勇
三十二 喇叭手の最後(軍歌)
三十三 朝鮮京城に於ける凱旋
三十四 討清軍歌
三十五 平壌ノ戦
三十六 平壌大捷ノ歌
三十七 玄武門の先登者原田重吉氏
三十八 工兵川崎伊勢雄氏の剛胆
三十九 大島陸軍少将の死守
四十 平壌城頭の白旗
四十一 中和に於ける我が斥候兵の勇戦
四十二 平壌攻撃の苦戦
四十三 我が軍の紀律(其一)
四十四 黄海の大海戦
四十五 黄海大捷ノ歌
四十六 霊鷹高千穂
四十七 志摩海軍大尉の志気
四十八 伊東海軍中将の胆勇
四十九 松島艦の二水兵
五十 赤城艦能く戦ふ
五十一 任務を重んじ身命を軽んず
五十二 决死の艦隊白旗を棄つ
五十三 我が兵の将に事ふること父の如し
五十四 我ガ軍鴨緑江ヲ渡ル
五十五 閑院宮殿下の御武徳
五十六 鴨緑江に於ける我ガ三勇兵の冒険
五十七 軍功嘉賞の勅語
五十八 鳳凰城ノ占領
五十九 九連城頭天長節を祝す
六十 我軍ノ紀律(其二)
六十一 金州半島ノ略取
六十二 我ガ艦隊大連湾ニ拠ル

六十三 金州に於ける我が軍の仁愛
六十四 斉藤陸軍少佐恩威併せ用う
六十五 金州城門の一勇兵
六十六 乃木陸軍少将の博愛
六十七 懸軍万里君を忘れず
六十八 我が軍の紀律(其三)
六十九 我が軍の紀律(其四)
七十 我ガ軍旅順口ヲ抜ク
七十一 中万陸軍少尉の勇死
七十二 花岡陸軍少佐の忠死
七十三 旅順に於ける海軍の応援
七十四 重傷を忍び力を将の為めに致す
七十五 藤堂軍曹の誠忠
七十六 可児陸軍大尉の鉄腸
七十七 西陸軍少将ノ襟度
七十八 勝ちて誇らす
七十九 戦勝の余威
八十 君子国の兵
八十一 日本人の義心
八十二 清兵の残忍暴虐
八十三 旅順戦評
八十四 復州城ノ占領
八十五 清国媾和使来ル
八十六 支那太沽砲壱番兵ノ暴戻
八十七 帝国内ニ於ケル清民ノ綏撫
八十八 邦人の忠武清民の凶暴
八十九 敵兵救護
九十 赤十字社看護婦従軍歌
九十一 清国陸海軍に軍医の設けなし
九十二 貴婦人の誠意
九十三 軍人優遇
九十四 在予備後備軍人の奉公
九十五 中田氏父子の忠実
九十六 従軍夫卒の救護
九十七 日清両国兵体格ノ比較
九十八 公平ナル外人ノ観察
九十九 世界ニ於ケル我ガ国
百 日本ノ進歩


4月1日、後藤新平が臨時陸軍検疫部事務官長に任命される。
4月7日付、「東郷青年会の美挙 恤兵部献納」のことが新聞に掲載される。 (デジタルアーカイブ福井)
4月8日、高橋高次郎が御兄樣宛てに澎湖島からの戦況や伝染病等の状況を伝える。<軍事郵便>
資料:「津久井町史 資料編 近代・現代」から「86 明治二十八年四月 軍事郵便澎湖島戦記」(部分)
謹呈春暄之候貴家益清栄大賀此事ニ御座候、陣ば久しく御無音に打絶へ候段偏ニ御免被下土候、扨我が簾(聯)
隊には弐月7日東京出発するや三月六日まで滞在、即澎湖島攻撃隊として広島出発し宇品港より鹿児島丸・豊橋・金洲・小倉に乗込其他四隻人夫貨物等を積込即日午后壱時三十分抜錨七日午前六時三十分長門下の関に着し八日午前抜錨有名なる玄界灘を経て九日午前八時佐世保軍港に着し投錨す、十四日まで滞在中隊交互衛生の為上陸散歩許さる、其間に出戦の準備を悉く整へ十五日当港出発、吉野・松島・高千穂・浪速・八重山・秋津洲艦及西京丸の護衛にて奏楽万歳を祝して港内を出づ、十六日火燧灘に至りたるとき風劇しく怒涛船を衝き殆ど転没せんとする如き惨状を呈するに至る、十七日前日に倍し海水屡々(しばしば)甲板を濡す、揖の鎖切断し船は左右に転じ他艦に衝突せんとする、船長は非常旗を樹て他船に知らす。其内舟子鎖を繋ぎ始めて動揺を止む、其危険なること例ふるに忍びず、午前十一時頃より漸く順風に趣き十八日帰穏琉球島を遥(か)に左方に見る、十九に順風早朝甲板に昇れば台湾島を遥(か)に左方に見る、廿二三の小島を過ぎ午后一時澎湖島の内久良の島に着し投錨す、廿二日まで淀泊、廿三日午前九時より攻撃に向け海軍は敵の砲台を劇しく砲撃し陸兵上陸の掩護(えんご)をなす、敵兵も対砲す、陸兵は艇舟にて追々上陸午后一時頃全く終わり、第一大隊先頭にて戦闘隊形にて前進するや敵前方の高地を占め烈しく発砲す、又砲弾屡々我后方に落つ、午后四時頃敵を撃退、即ち后方の高地に引上げ前硝を張り警戒す、廿四日払暁攻撃を始む、敵の砲台より榴散弾(りゅうさんだん)我隊中に落つるも一つも命注(中)せず、我山砲は是に引換へ一つも命注(中)せざるなし、敵苦戦遂に砲台を捨てゝ退却す、我突喊(とっかん)砲台占領す、同万歳を唱へ敵を追撃、漸時休憩十二時頃又進撃するに、敵の砲弾雷の如し、我兵奮戦敵の根拠地なる馬宮城を占領す、敵は前方の魚王島に遁逃す、城内に突入なしたるときの愉快なる逃ぐるを砲殺或は突殺し残り居るは捕縛或は拘留、午后一時頃に至り聯隊一同城内に集合万歳を祝す時魚王島砲台より雷の如き砲弾馬宮城外に落つ、后屡々なるも我接せず、廿五日海軍陸戦隊魚王島に上陸、大佐相当官以下五拾名斗(ばかり)捕縛本国に送り澎湖島全く平定し第一大隊は城外兵営に、第二・第三は城内に屯す
〇馬宮城の外部は高さ一丈五尺余
(約4・5m)・厚さ二丈もある土塀にて、皆石灰を以て塗り四方に門を構え其堅固なる平壌城も及ばずと言ふ、其内には武器庫弾薬庫将校の常宅水雷営砲台或は商人もあり、総戸数数千余戸あり総て人家は城外とても同じく石を積み土を塗り瓦を以て家根を葺き矮小にして不潔臭気鼻を打つ
〇此島は大小三十六より成れり、全島草木更になく、作物は黍・蜀黍・南京豆・砂糖・葱の類・水菓の類・甘蔗なりまた豚・牛・鶏を育ひ又漁業をもなす、普通人民は粗食米などは食せず殆んど獣類の如し、薪は黍蜀、黍殻を以てし又豚牛の糞を石に練付乾し上等薪となす、下等人民は普通素足にて歩す、気候は当時我七月下旬と同じく八十度内外なり、養蚕はせざれども城内にて二三匹の庭起
(にわおき)位の蚕虫を見る、一般野蛮人民なり
〇分捕品は弾薬無数、武器は大砲八門、小銃二千余挺、其他旗類・太鼓・ドラ・米穀は何千俵なるを知らず、此戦我艦隊佐世保を出船するや終首仏国軍艦従ひ日本軍の声援をなす、今日に至り未不去、敵の余力は壱万二千余にして僅我二千余の寡兵に破られ敵の戦死は原野に満ち、我戦死は僅ニ六・七人負傷者は三十人余なれども
気候の変りしにや未船内にあるより伝染病起り今日に至り病勢熾(さかん)にして三日に至るまで一千弐百人余も鬼籍に上り、其惨状見るに忍びず実有形の大敵には恐れず、無形の敵に襲われ一時当惑なせども只今は追々撲滅する姿なり、小子幸ひ弾丸・病には更に罹らず一層強壮なれば不恐御安心被下度、扨(さて)又営内には日用品酒類も販売所もあり恤兵部(じゅっぺいぶ)よりは麦酒・日本酒・葡萄酒など兵士に下さる、己に夏服も渡り、未帰国する様子は更に無之候、先は概略御通信申上候間諸事御承知の上御安心被下度候頓首再拝二伸/(略・3行)/清国澎湖島馬宮城兵営ニ而
明治廿八年四月八日  高橋高次郎
御兄樣
突喊(とっかん):突撃号令に応じて、一斉に叫び声をあげること
鬼籍(きせき):死んだ人の名や死亡年月日を書きしるす帳面。過去帳。点鬼簿。
注 文面の内容につきましては歴史的資料としてそのままを掲載しました。御容赦のほどお願い申上げます。2021・4・3 保坂
4月17日、下関条約を締結、台湾の「割譲」が決まる。
参考資料/
〇明治二八年四月一五日 講和解決セン 金額ハ二億テール 譲地ハ金州半島・台湾・濁湖島 及ビ欧州諸国ノ条約ニ準ジ通商条約訂結 難点ハ支那政府会計ノ困難ト戦争未及ノ占湾割譲ノ二点 露仏ト協力膨湖島占領妨碍ノ企テ 露内心大陸分割不同意 英ハ傍観 露朝鮮ニツキ申入レ疑イナシ 陸奥病気昨今軽快 →三〇二ー3
〇九九、松岡康毅/5 明治二八年四月一八日 調和ノ条約台湾徒手領有快絶 今後ハ文治善後ノ大計重要 北海道主管論北海道局新設建議沖縄諸制度調査ニ江木干之派遣明治三九年一月九日 農商務大臣就任挨拶 →二五二ー4
井上馨関係文書目録 国立国会図書館参考書誌部 編 国立国会図書館 1975 (憲政資料目録 ; 第10)書翰の部より
4月23日、独露仏三国、遼東半島の清国へ返還を勧告する。<三国干渉>
4月29日、御前会議、三国干渉の受入れを決定する。
5月10日、遼東還付の詔勅発布。
   同日、海軍中將樺山資紀が海軍大将、及び臺灣総督に任じられる。
5月20日、近衛師団が旅順口を出航する。 ※ 近衛師団の駐屯地金州からの出帆日が未確認
5月23日、台湾民主国の独立が宣言される。
                台湾民主国独立宣言書
 日本清国を欺凌し、わが国土台湾の割譲を要求す。台民朝廷に歎願を重ねるも効を奏せずして終れり。倭奴不目攻めきたらんことわれすでに知る。
われもしこれを甘受せば、わが土地、わが家郷みな夷狄の所有に帰す。しかれどもわれもしこれを甘受せば、わが防備足らざるが故、長期持続し難し。われ列強と折衝を重ねしも、いずれも援助を期さば台民まず独立せよと主張せり。それ故わが台民敵に仕うるよりは死することを決す。また会議において(in Council)台湾島を民主国とし、すべての国務を公民によりて公選せられたる官吏を以て運営せんことを決定せり。この計画のため、且つ倭奴の侵略に抵抗せんがため、新政府構想の中枢たるべき人物必要ならん。この人物によりて、わが郷里および平和を保つべし。それ故、夙に敬仰せる巡撫承宣布政使唐景ッを台湾民主国総統に推挙せんことを会議において決定せり。 公印すでに刻せられ、初二日酉刻(陽暦五月二十五日午前九時)を期し、全台湾の紳民によりて上呈す。当日払暁を期し、すべての士農工商、籌防局に参集し、厳粛にこの壮挙を始むべし。遅誤なきことを乞う。
                全台民の名においてこれを布告す

    
official Declaration of Independence 
                         of the Republic of Firmosa.
 ※ 「台湾軍司令部 1895〜1945」の著者古野直也はこの名文を丘逢甲の作であることを推測しました。(保坂記)
5月24日、樺山資紀(すけのり)が横浜丸に乗船、宇品を出航する。
5月25日、台湾民主国成立を宣言、式典が行なわれる。
   総統に台湾巡撫の唐景ッ(とう けいそん)、大将軍に劉永福、
   副総兼団錬使に客家系台湾籍の進士丘逢甲(きゅう ほうこう・詩人)が推挙される。
5月27日午前8時、横浜丸が沖縄中城湾に寄港、北白川宮能久(よしひさ)親王が率いる近衛師団の輸送船と相会する。
5月29日、近衛師団が澳底(おうてい)に上陸する。
6月1日、瑞芳を日本軍が占領する。
6月2日、鶏籠(キールン)港の外海の艦上で李経芳(りけいほう)と樺山総督が台湾接受の手続きを行なう。
6月3日、鶏籠を日本軍が占領する。
6月4日夜、唐景ッ、滬尾(こび)に逃れ、ドイツ船で廈門(アモイ)へ。
6月7日、日本軍、辜顕栄(こ けんえい)の案内で台北入城、抗日ゲリラ各地で抵抗、ほどなく丘逢甲も対岸に脱出する。
資料:台北城内は大混乱だった。将兵らは逃走資金を求めてさまよい、狼藉を働く始末だった。外国貿易でのしあがった買弁的豪商をはじめとする上流階級は、抗日どころか、今では自分たちの権益と安全を守る 必要から、日本軍の無血入城をむしろ歓迎する情勢となった。彼等は冒険男の辜顕栄(こ けんえい)を鶏籠に派遣して、日本軍の入城を案内させた(六月七日)。辜はその功労で、後に台北保良局長に任ぜられ、幾多の特権を享受して、台湾きっての政商となった。一九三四年には台湾人で、初めての貴族院議員に勅選された。だが、彼は日本当局には重宝がられた反面、生涯を通じて台湾民衆からは「辜狗(辜の犬め)」とか「漢奸(裏切者)とののしられた。
   載國W著「台湾 ー人間・歴史・心性ー p63」より
6月13日、吉田鍵吉編「日清戦争名誉戦死者人名録」が「金城書院」から刊行される。
pid/774042 閲覧可能
戦死之部
朝鮮国成歓
朝鮮国平壌
清国大孤山沖
清国中和
清国魔天領
清国竜頭
清国土城子
清国旅順口
清国蓋平城
清国蓋平河左岸
清国蓋平城南方
清国蓋平城西南方
清国馬充子
清国蓋平城東方
清国二台子
清国観里庄附近
清国双竜山
清国徐家園子附近
清国後亭子斉
清国海城附近
清国威海衛
清国鹿角嘴砲台
清国歓喜山
清国海広村
清国唐王山後
清国鳳林集
清国孫家屯
清国大平山
清国七里溝南方
清国牛荘
清国田庄台並附近
清国金州
国百尺崔附近砲台
清国大風屯
清国砂河沿附近
清国東羊
清国寛甸県
清国台湾澎湖島
清国大房身
清国□同子溝
清国安山站
死因負傷之部
清国嶺後村野戦病院
清国孤山後野戦病院

清国凰林集定立病院
清国劉家村定立病院
清国柏頂砲台
清国東羊病院
清国東溝
清国椅子山

清国鳳凰城
清国三台子
清国牛荘
清国海城舎営病院
清国海城第二野戦病院
清国蓋平野戦病院
清国右家子
清国営口野戦病院
清国孫家崗子野戦病院
清国刑家窩甫野戦病院
清国海城舎営病院
清国大孤山戦地病院
清国旅順口兵站病院
清国砂河沿衛生部
清国刑家窩病院
清国万家窩附近
清国双竜山
清国高刊
負傷之部
朝戦国平壌
清国威海衛
生死不明之部
清国寛甸県
湾甸子附近
老爺
追加之部
戦死
負傷
戦闘地
6月22日、新竹(しんちく)を占領する。
6月、「自由党党報 (86)」が「自由党党報局」から刊行される。 pid/3554623
時事 臺灣上陸の公報 / 自由黨々報局 / p19〜20
時事 臺灣の授受 / 自由黨々報局 / p20〜20
時事 講和條約草案 / 自由黨々報局
時事 朝鮮獨立の布告 / 自由黨々報局
時事 半島の還附 / 自由黨々報局
時事 臺灣獨立 / 自由黨々報局
時事 旅順及大連灣の巨砲 / 自由黨々報局
時事 朝鮮閣員の交迭 / 自由黨々報局
時事 韓廷 / 自由黨々報局
時事 朝鮮協會 / 自由黨々報局
時事 朝鮮大獄の落着 / 自由黨々報局

6月、「愛知学芸雑誌 (44)」が「愛知学芸雑誌社」から刊行される。 pid/1557060
英國駐剳特命全權公使加藤高明君肖像
臺灣島民政局長官水野遵君肖像
7月、「少年世界 1(13)」が「博文館」から刊行される。 pid/1841881
各國凱旋門の圖
凱旋(うれしいな) / 武内桂舟
臺灣戰記(一) / / 1297
學校樹栽日 / 牧野文部次官 / 1301
朝鮮獨立誓告會 / / 1341

7月、「少年世界 1(14) 博文館p55」に「台灣戰記(二) 」が掲載される。 pid/1800845
7月、長尾司馬編 「軍国祝文新演説」が「積善館」から刊行される。 pid/865610
征清凱旋歓迎会趣意
征清軍隊凱旋歓迎会の祝辞
征清祝捷会の辞
征清戦捷祝賀会趣意書
第○師団の征清凱旋将校慰労会の趣意書
伊東海軍中将の凱旋を祝す
野津陸軍大将の凱旋を祝す
大島混成旅団長の戦功を祝す
第一師団長陸軍中将山地元治君の凱旋を祝す
原田重吉氏の凱旋を祝す
定遠号轟沈の水雷艇手平田福次郎の
   →無事皈朝を祝す
軍役夫皈朝慰労会祝辞
金鵄勲章叙賜されたるを祝する辞
凱旋解隊帰郷兵慰労会祝辞
友人某氏の従軍を送る辞
某師団の将校兵士台湾に在るを慰問する状
戦時交渉国より帰朝の公使を慰問する状
戦海より皈朝の軍艦歓迎の文
従軍布教師某の皈朝を祝す
占領地に駐屯せる某師団の将士に
   →送る慰問状
故有栖川大将宮を奉吊する文
其二
大寺陸軍少将を祭る文
故軍事大探偵鐘崎三郎君を祭る文
故陸軍歩兵中尉守永直一君を祭る文
故陸軍歩兵小尉長崎武之助君を祭る文
赤城艦長故海軍少佐坂本八郎太を祭る文
喇叭手白神源次郎氏を祭る文
征清戦死者招魂祭々文
松崎大尉の霊を祭る文
戦闘負傷者の病院に在るを慰問する文
看護婦の皈朝を慰労する文
解雇軍夫救護会趣意書
従軍新聞記者優待会趣意書
戦時赤十字社に加入を勧誘する文
陸軍恤兵部へ献金を謀る書
小学生徒恤兵の事に付謀る書
日本赤十字社救護員に送る慰問状
粛で還幸を送り奉る
山県有朋君閣下の勲功を頌す
諸氏の祝辞演説
祝捷大会の祝辞・東京市長三浦安
仝市会議長の祝辞
仝祝辞・東京新聞記者惣代
仝祝辞・発起人総代園田幸吉
凱旋祝賀軍隊歓迎会祝辞・
   →発起人総代住友吉左衛門
大阪の平和祝賀会に於て・
   →伊藤総理大臣の演説
同・山県陸軍大将の演説
凱旋祝賀会祝詞・京都知事渡辺千秋

(略)
8月4日、苗栗(びょうりつ)を占拠する。
8月20日、枢密顧問官陸軍中将高島鞆
(とも)之助を台湾副総督に任じ、南進軍の司令官とする。
8月26日、台中を占拠する。
8月28日、八卦山
(はっけざん)の砲台を陥れ彰化(しょうか)を占領する。
8月、「少年世界 1(15) 博文館 p1520」に「臺灣戰記(基隆陷落)/
(三)」が掲載される。 pid/1841883          ※通番がなかったので仮に(三)を付与しました。 2021・3・3 保坂 
8月、「婦人雜誌 10(1)(91)」が「婦人雜誌社」から刊行される。 pid/1580143
演説 / p1〜8
忠死者追吊法會演説 / 名和淵海 / p1〜8
御傳記 / p9〜12
慧燈大師畧傳(接續) / p9〜12
第二 御學問の事 / p9〜10
第三 北國へ御下向 / p10〜12
法話 / p12〜13
一口法話 / 蒔田藉夫 / p12〜13
掟門 / p12〜13
報告 / p13〜19
千島土産 / 里見法爾 / p14〜19
雜記 / p19〜21
北海道土人アイヌ――(畫入) / p19〜21
雜説 / p21〜22
前田正名氏女學校にて演説大意 / p21〜22
月報 / p22〜24
大谷派本山新御門主の結婚式 / p22〜23
小松宮妃殿下御諭旨 / p23〜23
女ヘ師渡韓 / p23〜23
築地別院大追吊法會 / p23〜24
寒熱兩地從軍兩布ヘ使 / p24〜24
播州婦人愛樂會 / p24〜24
追吊注話別册刋行 / p24〜24
島上下郡佛ヘ婦人ヘ會 / p24〜24
演文實語ヘ――(附録) / p1〜4


9月、木村銀次郎 (痴軒居士)が「日清戦争凱旋みやけ」を「光世館」から刊行する。
pid/773961
閲覧可能
開戦の宣布
混成第十二旅団附属第一糧食縦列
混成第十二旅団附属第一糧食縦列員の住所姓名
小倉滞在
門司港解纜
仁川港の滞軍
仁川港滞軍中の所感
花園港の上陸
大連湾の上陸
左半縦列
右半縦列
金州城
清の敗兵我縦列西長嶺子の宿舎を襲ふ
旅順口陥落の概況
旅順口及び其附近の地理
勅語捧読式
行政庁と貧民救護
兵站病院と施療病院
秣代用品の運送
鎮魂祭
日本帝国と清国戦死者の碑
陣中の元旦
恩賜の物品と恤兵部の寄贈品
栄成湾の上陸
岳家庄と広家庄の露営
柳家庄土人の待遇
無名村の宿営
第十一旅団長大寺少将の略伝
林家院の駐軍
医官と凍傷患者
温泉湯
鳳林集の勅語捧読式
威海衛と劉公島
丁汝昌の節死と北洋艦隊の降伏
旅順口に回航 /
羊頭窪と柏蘿嵐子の待命
羊頭窪の鎮魂式
柏蘿嵐子の勅語捧読式
第二糧食縦列行軍日記
清国人の風俗
清国の農事と貨車
清国の旌表碑
清国の義墓と民人の墳墓
清国の降参
輜重兵第六大隊の祝宴
9月、「少年世界 1(17) 博文館」が刊行される。pid/1841885
口絵 田中一等卒勇武の圖 / 武内桂舟 臺灣戰記(四) / /p 1721 講演 虎列拉(コレラ)病に就て / 中村平輔 / 1725
9月、「自由党党報 (92)」が「自由党党報局」から刊行される。 pid/3554629
論説 朝鮮國の獨立 / 鈴木充美
時事 臺灣府及彰化縣の盪平 / 自由黨々報局
時事 生蕃酋長の歸順 / 自由黨々報局
時事 ボル子オ島買入の風説 / 自由黨々報局
9月、「自由党党報 (93)」が「自由党党報局」から刊行される。 pid/3554630
論説 朝鮮國の獨立――(續) / 鈴木充美
論説 日本國の外交上〔より〕露C公債を論す / 森本駿
雜録 露領K龍江南の防備 / 豫洲
雜録 伯林外交社會――(三) / 自由黨黨報局
雜録 髯と英雄――(下) / 自由黨黨報局
時事 / 自由黨黨報局
第九議會 / 自由黨黨報局
日露條約の公布 / 自由黨黨報局
生蕃の待遇 / 樺山資紀
臺灣凶徒の死刑 / 自由黨黨報局
駐C英國公使 / 自由黨黨報局
遼東問題 / 自由黨黨報局
新三國同盟 / 自由黨黨報局
朝鮮に於ける採鑛事業 / 自由黨黨報局
9月7日、後藤新平が再び内務省衛生局長となる。
9月8日、乃木希典、臺灣遠征の命を受け、ゝ金州を出発し大連から澎湖島に向かう。
10月9日、嘉義を占拠する。
10月10日午前6時、南進軍司令部及び伏見宮貞愛(さざなる)親王が旅団の輸送船19隻が澎湖島を出航、11時に布袋嘴(ほていすい)に上陸する。
10月11日午前3時、乃木旅団が半枋寮(  )に上陸をする。
10月12日、乃木旅団が北方に進んで東港を占領する。
10月15日、常備艦隊の吉野・浪速・秋津州・八重山・大和・西京丸の六艦が打狗(高雄)の砲台を砲撃、陸戦隊四百餘名が上陸して占拠する。
10月16日、乃木旅団が更に北に進んで鳳山(ほうざん)を占領する。
10月20日、台南を中心に抗日の戦闘を指揮していた大将軍劉永福、安平から英国船に搭乗して、廈門に撤退する。
10月21日、乃木旅団が臺南に進むが城内は皆開いたままとなり戦はここに終結する。
10月22日、北白川宮能久親王が臺南の豪族呉昌記の所有する家屋に入り静養する。
その後、この地(呉昌記(ごしゅうき)所有の地が寄附され地)に拝殿を建て、明治三十五年以来は臺灣神社の附属御遺跡となり大正14年10月31日官幣中社に列しられて臺南神社となった。
10月28日午前7時、北白川宮能久親王がなくなる。(享年49歳)
10月、「振天府」を皇居内に着工する。
11月1日、臺灣最南部桓春(こうしゅん)に乃木旅団の一部が鎮定、占拠する。
11月3日、日本、劉永福の脱出を確認して全島の平定を宣言する。
11月、台湾の基隆の地に2156名を火葬した「軍人軍属火葬場之碑」 が建立される。
 
 軍人軍属火葬場之碑 
 T12・3 石坂荘作編「北台湾の古碑 p37」より
 軍人軍属火葬場之碑
基隆石硬港忠魂堂硬石 高 五尺 巾 二尺五寸五分
建立 明治二十八年 光諸二十一年 西暦一千八百九十五年
 (表面)

 軍人 火葬場之碑
 軍属

 (裏面)
明治二十八年台湾□歿起也 従軍之士或罹于敵鋒或觸于
瘴癘在基隆而死者實 二千一百五十有六人也 當時□□□
際不□一一葬焉乃於此所行火葬挙其遺骨致諸家郷今又
更収□灰而
焉以建碑云 明治二十八年十一月
  ※罹(り):かかる。病気にかかる。こうむる。  于(ウ):ここに ゆく  
  ※瘴癘(ショウレイ):特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病。マラリアなど。
  ※(エイ)うめる。うずめる。埋葬する。
台湾における忠死についての論考
 
いやもっと具体的な犠牲は、新しい植民地として日本のものになったはずの台湾占領が、厖大なエネルギーを国民にしいた事実だった。台湾を清国から奪ったものの、軍事占領を戦後になってはじめなければならなかった軍は、戦争そのものの十倍近い二万七千名の死者を数えたのである。陸軍総兵力の三分の一をこえる五万の兵と三万ちかい軍夫の動員のうち、二万七千名の死者は戦勝の酔いをさますのに十分だった。もっともそのうちの戦死は百六十四名と伝えられるが、マラリアは近衛師団長であった北白川宮の命までも奪っていった。住民のゲリラ闘争はそれでも終らず、激しい弾圧と軍政が実施された。経済的に、このときまだ台湾は何の利益も生まなかった。民衆に帰ってきたのはインフレと、それにすぐつづいて進行する戦後恐慌であり、かつ国内自身の荒廃だった。
    飛鳥井雅道著「近代の潮流」 p89より
11月5日、南進軍が臺南城外で此の役における戦業死者の招魂祭を行なう。
皇軍の凱旋/(略)十一月一日桓春城を占領した。こゝにおい全島が全く鎮定に帰したのである。此の役「におけるわが軍の戦死者はわづかに百六十四人、負傷者は五百十五人で過ぎなかったが、病死者は實に四千四百七十八人の多きに上り、病気治療の爲、或は内地に送還せられ、或は臺灣の病院に残ったものは非常の多数に上ったのである。(略)  北垣姜次郎著「大國史美談 巻7」 p291〜292より
11月13日〜22日に至る間、近衛師団は、臺灣を去って海路宇品に至り凱旋する。
1月13日、後藤新平、台湾におけるアヘン政策に関し、内務大臣及び台湾事務局総裁伊藤博に意見書を提出する。
11月、堀中東洲編「日清戦記 : 画入」が「文盛堂」から刊行(増補6版)される。
pid/773938 閲覧可能  初版:明治27年10月
総論
征清起因
朝鮮国内乱東学党蜂起
大鳥公使仁川より儀仗兵を率ひ京城に入る
我大鳥公使大院君を護衛して参内す時に
   →閔族之を拒んで発砲す
韓廷官制の改革
日清海戦南陽湾頭豊島の激戦
成歓並に安城渡の激戦及ひ牙山の堅塁を屠る
宣戦の大詔
我軍混成旅団清軍を成歓牙山に一掃して
   →朝鮮京城の我本営に凱旋す
威海衛の砲撃
大本営大会議
日韓同盟の条約
車駕親征
平壌攻撃我北進軍部署
欧米諸国の局外中立
三軍の勇奮
北征軍第一軍指令長官陸軍大将
   →山県有朋竜山の本営を発す
北征軍第一戦即ち黄州城の陥落
平壌合団各分署の攻撃
師団本隊の攻撃
師団作戦の方略
清軍降伏及ひ平壌陥落
平壌箕営の険
五大敵将の向ひたる場所
平壌清兵の数
平壌役我兵士の大勲
平壌役我軍死傷人名
敵兵死傷生擒及分捕品
黄海海洋島激戦
黄海海戦日清両艦隊の隊列
西京丸の奮戦
比叡の奮闘
沈没焼棄敵艦乗込将校
比叡赤城両艦の戦死者
戒厳令実施
海軍指令部長樺山中将呉港に帰る
第一軍鴨緑江を渡り虎山の敵兵を破り遂に
   →九連城を陥落す
我第二軍は連合艦隊之れを掩護して
   →清国金州に上陸す
第一軍大東溝附近及大東県の
   →清兵を討ち鳳凰城と占領
占領地の政令
第一軍司令官山県大将の告示
第二軍上陸点は盛京省南岸の
   →花園河口
第二軍司令官大山大将の諭告
勅語
清廷の迂闊
第二軍の行動及金州城攻撃部署
金州城の総攻撃及陥落
大連湾砲台の攻撃
摩天嶺の敵軍
軍用電信架設
秀厳占領
金州行政庁の規則
第二軍民政庁
我艦隊威海衛を進撃す
旅順口総攻撃及占領
我艦隊旅順の攻撃
海陸二軍へ賜へる勅語
征清軍への勅使
清国李鴻使として
   →米国人デツトリング氏来朝す
草河口の激戦
第二軍復州城を占領す
柝木城の占領
海城の占領
缸瓦塞激戦
蓋雄平占領
栄城湾の上陸及び栄城県の占領
清国の請和談判拒絶顛末
威海衛の激戦及び占領
威海衛攻撃に於ける我艦の動作
我水雷艇の激戦敵艦の沈没
清国北洋艦隊降伏及丁提督
威海衛占領の陸海軍に勅語を賜ふ
英艦台湾に向ふ
大平山附近の戦
牛荘城激戦及ひ占領
営口占領
田庄台攻撃及ひ占領
一二両軍に勅語と賜ふ
征清大総督の親任
勅語
御沙汰書
大総督府詰の武官

澎湖島占領

馬公城占領
請和談判
休戦条約の締結
占領地総督府総督任命
媾和条約批准勅令
別約
詔勅
台湾我版図に入る
彼我の授受
三貂湾の上陸
偽共和政
基隆の平定
基隆陥落遂に総督府と量く / 311
台北の平定
新竹県占領
彰化城を陥ゐる
近衛師団の南進
近衛及第四旅団の連絡
嘉義占領
劉永福遁走の一
劉永福遁走の二
樺山総督に賜ひし勅語と令旨
能久親王殿下の御帰京
近衛師団長宮殿下の薨去と悼み奉る

遼東半島還附条約調印済
   →並に償金の授受
近衛師団の凱旋

12月、「教育報知 (498) 」が「東京教育社」から刊行される。  pid/3546419
台灣行志願のヘ育家は何故に繁昌する乎
東京府ヘ育會に望む
凱旋祝典に際し各學校の企劃如何
台灣ヘ育獨立の日
コ川家康公御遺訓 / 翠樹園主人

12月、「自由党党報 (98」が「自由党党報局」から刊行される。 pid/3554633
時事 台灣征討費 / 自由黨黨報局
12月28日、台湾北部の島民が蜂起する。
1896 29 1月6日、混成第七旅団、台湾征伐に出発する。
1月30日付、南部台湾守備隊司令官として遠征していた乃木希典が友人宛てに手紙を投函する。
資料(私信):「台湾施政も誠に苦々敷事計(にがにがしきことばか)り、人民の謀反も無理からぬ事に御座(ござ)候。乞食が馬をもらひたる如く、飼ふ事も出来ず乗る事も出来ず。此向(このむ)きにて参り候(そうらわ)ば噛まれ蹴られて腹を立てたる揚句(あげく)、世間の笑ひ物と相成抔(あいなるなど)は恥入(はじいり)候次第に御座候。今後も混雑は益々相加(あいくわわ)り可申(もうすべく)候」と書いている。乞食の譬えは文人将軍でなくてはとても出てこない。絶妙な自嘲といわねばなるまい。
 日清戦争に勝った日本は、東アジアにおける帝国主義的国際秩序の舞台に積極的に関与し、東洋の盟主たろうとしていた。台湾の売却はもとより、台湾から撤退ももまた許されることではなかった。日本にとっては資本主義経済の成熟をまたずに、帝国主義への転化を強行することが必須の課題であった。それゆえ、最初の植民地である台湾の確保と安定的な経営は至上命題の一つとなる。

             載國W著「台湾 ー人間・歴史・心性ー p67」より
1月、「教林 (31)」が「教林社」から刊行される。  pid/11206463
<抜粋>抜粋
臺灣感化論/川崎紫山
臺灣に神道を宣傳せよ/石川彜
時事論(承前)/福羽美靜 / 8〜
俳諧/一茶庵

能狂言臺灣/樂前主人
久坂義介の數へ歌につきて日C勝劣の原因に及ぶ/渡默齋
臺灣布ヘ日誌(承前)/松浦綱治
故近衛師團長陸軍大將北白川宮殿下追悼祭/松浦綱治 / 50〜
臺南手記(承前)(山口透)/ / 48〜
戰跡巡教日記(承前)/塚田菅彦 / 52〜

3月31日、台湾総督府条例公布(軍政を民政に移す。)される。
3月、「教育報知 (508) 」が「東京教育社」から刊行される。pid/3546429
遼東半島還付ヘ授概論 / 三成 / p5〜6 臺灣特報 / 伊能 / p26〜27 獨立大學修學費 / 寺田勇吉 / p27〜28
4月1日、広島に設営さえた大本営が閉鎖される。
  同日、第二次伊藤内閣に拓殖務省が設置され、高島鞆之助が就任する。
4月14日、台湾総督府衛生顧問嘱託となる。
4月20日、臺灣の守備に当ってきた第二近衛師団が仙台に凱旋する。
4月、鬼雄外史が「日清戦闘実記 : 絵本」を「金桜堂」から増補再版する。 
pid/774056
  閲覧可能
東洋問題朝鮮国の内乱 遺恨十年東学党の蜂起
日清両国の出師 朝鮮局面の一変
日韓小戦大鳥公使の入城 弊政改革大院君の新内閣
豊島海戦済遠広乙二鑑の敗走 操江号捕獲運送船憫然の沈没
安城成歓の激戦日軍の大勝利 牙山本拠の陥落清兵の大潰走
大本営の移進 平壌城の占領
大孤山港沖の海戦 大日本艦隊の大捷
日本第一軍鴨緑江の渡渉 虎山九連城鳳凰城の略取
日本第二軍花園口の上陸 金州大連湾土城子の占領
東亜空前一大戦捷 旅順口占領
死灰再燃金州の後戦 柝木城及海城の占領
第三師団雪中の苦戦 缸瓦砦感王塞の略取
近衛師団台湾に向ふて賊徒を征伐さる
我軍新竹附近の草賊を伐ち該処を略す
彰化台湾府の陥落
台南府陥落して台湾分く戡定す
乃木旅団蓋平の占領 第一第二両軍の聯絡
栄城湾の上陸威海衛の陥落 劉公島の孤立丁汝昌の降伏
第一第二両軍の活動
第一軍牛荘を陥ゐる
第二軍営口を略す
両軍の鋭気田庄台を破る
我軍台湾に向ひ澎湖全島を占領す
和講調ひ平和復す
近衛師団台湾に向ふて賊徒を征伐さる
我軍新竹附近の草賊を伐ち該処を略す
彰化台湾府の陥落
台南府陥落して台湾分く戡定す
5月、農美重由編「諸府県小学教員検定試験問題集 : 附・答案 第2編 歴史之部」が「熊谷久栄堂」から刊行される。 pid/814755 閲覧可能
尋常科
(一) 三種ノ神器ノ由来ヲ問フ
(二) 祭政一致ト云フ◇ヲ説明セヨ
(三) 
神武天皇東征シテ大和ニ
   →入リタル道筋如何

(四) 政権ノ武門ニ帰セシ理由ヲ述ベヨ
(五) 租庸調ノ区別ヲ記セ
(六) 楠正成ノ伝ヲ記セ
(七) 徳川時代漢学ノ隆興如何
(八) 坂上田村麿ノ事蹟ヲ記スベシ
(九) 天孫降臨ノ次第ヲ記セ
(一〇) 天智天皇ノ御盛業ヲ述ベヨ
(一一) 徳川吉宗卿ノ政績ヲ問フ
(一二) 西南ノ役ヲ略記セヨ
(一三) 後光明天皇ノ御事ヲ記セ
(一四) 国造、執権、管領ハ
   →何時頃ニアリシ
   →官職ナルカ其職掌ヲ略記セヨ
(一五) 
神功皇后三韓征伐ノ概略ヲ問フ
(一六) 承久ノ変ノ原因ヲ挙ゲヨ
(一七) 左ノ事秉ノ大略ヲ問フ
(一八) 神武帝東征ノ概略ヲ記セ
(一九) 足利時代我邦外交ノ有様如何
(二〇) 奈良朝、院宣ノ政、及荘園トハ
   →如何略解セヨ
(二一) 保元平治二乱ヲ略述セヨ
(二二) 上古ノ服装ヲ記セ
(二三) 鎌倉幕府ノ制度如何
(二四) 天草騒動ノ因縁及ビ結果ヲ
   →詳述セヨ
(二五) 崇神天皇ノ御政治ヲ記セ
(二六) 左記ノ記載事項ノ年代ヲ問フ
(二七) 豊臣氏征韓事実ノ大要ヲ問フ
(二八) 左ノ人人ノ事蹟ノ大略ヲ問フ
(二九) 弘安大捷ノ顛末ヲ略記セヨ
(三〇) 元弘ノ乱ノ源因及其事業ノ
   →大要ヲ問フ
(三一)
 台湾征討ノ始末
   →(明治七年ノ事蹟)ヲ略記セヨ

(三二) 壬申ノ乱ヲ略記セヨ
(三三) 関ケ原ノ戦ノ顛末ヲ問フ
(三四) 徳川家斉卿ノ事蹟ヲ略述セヨ
(三五) 奈良朝時代ニ於ケル重ナル
   →出来事ヲ記セ
(三六) 徳川幕府ノ組織ヲ略説セヨ
(三七) 徳川幕府ノ頃外様諸侯ト称セシ
   →モノノ主ナル名ヲ記スベシ
(三八) 南北朝ノ分立並ニ合一ノ次第ヲ説明セヨ
(三九) 和気清麿、北畠親房、徳川光国、
   →勤王事業ハ如何
(四〇) 乗仁帝ノ御事蹟ヲ記セ
(四一) 新井白石ノ略伝ヲ記セ
(四二) 池田光政、松平定信ノ治蹟ヲ述ベヨ
(四三) 有名ナル歌人画家学者及勤王家各
  →四名ヲ挙ゲヨ(徳川氏前二名、同時代二名)
(四四) 大化ノ新政ヲ記述セヨ
(四五) 天武天皇ノ御盛業ヲ記スベシ
(四六) 徳川光国ノ事蹟ヲ問フ
(四七) 足利氏末世ノ有様ヲ叙シ
   →織田信長ノ事業ヲ記セ
(四八) 奈良朝及平安朝ノ大凡ノ年数及ヒ
   →其間ニ輩出セシ学者五名ヲ挙ゲヨ
(四九) 山田長政及僧空海ノ略伝ヲ記セ
(五〇) 帝国憲法発布ニ至リシ次第ヲ叙セヨ
高等科
(一) 徳川家康ノ略伝ヲ問フ
(二) 鴉片戦争ノ顛末ヲ問フ
(三) 普魯西国ノ発達ヲ説ケ
(四) 戦国時代ノ重ナル武将十人
   →其割拠地ヲ記セ
(五) 普仏戦争ノ顛末ヲ記セ
(六) 唐ノ盛ナリシ時ノ国域ヲ問フ
(七) 天慶ノ乱ノ顛末ヲ問フ
(八) 羅馬法王ガ政治上ノ権力ヲ得又
   →之ヲ失ナヒシ理由如何
(九) 左ノ諸項ノ読ミ方及解釈ヲ記ルセ
(一〇) 源平時代戦争ノ有様ヲ問
(一一) 清朝(支那)ノ起リシ顛末ヲ記セ
(一二) 左ノ事項ヲ説明セヨ
(一三) 十字軍トハ何ゾ其源因及結果ヲ問フ
(一四) 足利将軍家ノ系統ヲ示セ
(一五) 保元ノ乱ヲ記セ
(一六) 鎌倉時代ニ於ケル宗教ノ有様ヲ問フ
(一七) 唐朝盛衰ノ概略ヲ問フ
(一八) 後三条天皇ノ御盛徳ヲ記載セヨ
(一九) 北米合衆国独立ノ顛末ヲ記セ
(二〇) 我邦維新後左ノ事項ノ年ヲ記セ
(二一) 仏教伝来ノ影響如何
(二二) 康熙〔コウキ〕(清ノ聖祖)乾隆
   →(同高祖)二帝ノ事業ヲ説ケ
(二三) 木戸孝允、大久保利通、
   →両公ノ小伝ヲ記セ
(二四) フレデリツク大王及ピータース
  →大帝ノ事業ヲ問フ
(二五) 我邦外国交通ノ沿革ヲ記セ
(二六) 支那三国時代、唐朝ノ興リシ時、
   →清朝ノ興リシ時、亜米利加洲ノ発見
   →セラレシ時、耶蘇基督ノ生レシ時
(二七) 徳川幕府ガ諸侯ヲ配置セシ状況
   →及其理由如何
(二八) 唐朝文物ノ景況如何其我邦ニ
   →影響セシ概略ヲ記セ
(二九) 神代ノ有様ヲ略記セヨ
(三〇) 十八世紀政論ノ発達及其結果如何


5月、松本正純 (紀山)が「近衛師団台湾征討史」を「長谷川書店」から刊行する。
pid/773643
閲覧可能
発端
台湾島の授受
三貂角上陸
瑞芳の戦
基陸攻撃
台北府の占領
新竹偵察隊(佐々木中尉之を率ゆ)
坂井新竹枝隊
台北新竹間連絡枝隊(渋谷騎兵中佐之を率ゆ)
兵站線路掩護隊(三木少佐之を率ゆ)
第二旅団上陸
山根混成枝隊
坊城大隊
水路輸送護衛小隊
内藤枝隊
第一期掃攘
山根枝隊
内藤枝隊
松原枝隊
第二期掃攘
内藤枝隊
山根枝隊
師団新竹に向ふ

尖筆山攻撃前記
尖筆山攻撃
苗栗附近の偵察
苗栗附近の攻撃
苗栗の攻撃
山根枝隊大甲に向ふ
左縦隊頭家口(とうかせき)
  →附近の激戦
彰化攻撃前記
彰化の攻撃
渋谷騎兵捜索隊及千田掩護隊
彰化の滞陣
師団の南進
五日(十月)
六日(十月)
七日(十月)
八日(十月)
九日(十月)
右側枝隊前衛の南進
附台湾戡定
台南の天長節
台南の招魂祭
嗚呼我近衛師団長能久親王薨矣
凱旋

6月15日、三陸地方に大津波が発生する。
7月、「教育報知 (519)」が「東京教育社」から刊行される。 pid/3546440
大日本ヘ育會の解答を促す
師範學生應募の不景氣なるは何故ぞや
殉難の節
文部大臣專任の日を俟つ
朱子ヘ育哲學――(承前) / 石田林藏
雜録
臺島雜俎――(五) / 梅陰子 p18〜19
栃内泰吉氏の死時 / p24〜24 (00
臺灣總督府直轄學校位置
/ p25〜25
8月、「反省雑誌 11(8)」が「反省雑誌社」から刊行される。 pid/10296083
口繪
朝鮮梵魚寺(山内、不二門、大雄殿、同壁畫)/K.OGAWA.
浦鹽斯コ夲願寺(同港セメノフスカヤ街の殿堂及其内部)/K.OGAWA.
社説/
佛耶兩教徒の會合を評す
論説
禁酒論/井上圓子
朝鮮梵魚寺/淮右生
唐代の思想界/小柳司氣太
加藤博士の宗教意見
宗教は國民に必要なるか
軍隊教會堂
臺灣開教師の同盟
臺灣の末寺
臺宗論要
8月、「自由党党報 (113) 」が「自由党党報局」から刊行される。  pid/3554648
世界 英國の新戰艦 / 自由黨
世界 露C銀行と滿州鐵道 / 自由黨
世界 C國新開港塲沙市の情况 / 自由黨
黨報 臺灣視察報告 / 山田泰造
黨報 三陸海嘯視察日記 / 愛澤寧堅

9月18日、〜翌年12月28日まで、第二次松方内閣が誕生する。
  樺山資紀が内務大臣、陸軍・拓殖務大臣に高島鞆之助が就任する。
10月、兵事雑誌社編「兵事雑誌 (5)」が刊行される。 pid/1523222
  
 總督府軍務局將校及皇土臺灣島民 / 口繪
11月5日、明治天皇が初めて「振天府」を訪れる。
12月、「振天府(しんてんふ)」が完成する。
 
 振天府  出典 明治天皇御写真帖 発行 昭和2年1月 第50版より
歴史的資料振天府(しんてんふ)至仁至慈我が明治天皇には日清戰役に於ける忠勇なる陸海軍将卒の勲績を永遠不朽に傳へしめ給はんとの御思召を以て宮城内に一府を造り、戦死者の寫眞及び姓名録を蔵め、且つ陸海軍より奉献せる戦利品を収蔵あらせられ、之を、天府と名づけさせられた。
 振天府記明治二十七八年之役我師海運並進、席巻遼東、勢振天下、清帝割地約貸以乞和、凱旋将士獻所獲兵器諸物、上曰此物不足貴、然皆朕将士□血枕屍萬艱報效之所致不可不傳之後世、因勅造一府以蔵之、名曰振天府、府成、上又曰凱旋者受賞有差、而死者不與、朕大(うれい)焉、宣微親王以下 諸将校
肖像録士卒姓 名併蔵諸府、 使朕子孫及朕子孫之臣民者観斯府以知征清将士之盡忠、嗚呼聖恩之渥孰不感泣 屬者勅彰仁親王書此額、 臣琢記其由、 謹案張四知元總論曰、 世祖潤色鴻業、大闡嘉獻、坐致太平、四振天威、我皇之聖徳固非元主可此、 但此語足以頑我皇之盛業歟、
 此の後三十三年北清事変の後、之に準じて懐遠府
(かいえんふ)を建てさせられ、三十七八年日露戰役の後、更に建安府を造営あらせられた。      出典 明治天皇御写真帖 発行 昭和2年1月 第50版より
1897 明治30 3月、高橋光正編教育叢書 ; 1 歴史修身談 : 新体教育」が「林甲子太郎」から刊行される。 pid/758653
<抜粋>
建国
神武天皇

本武尊
神功皇后
仁徳天皇

八幡太郎義家
二宮尊徳
皇政復古
西郷隆盛
日清戦争
台湾鎮定
英照皇太后



3月9日、伝染病予防法案が第10回帝國議会の貴族院に提出され「第一讀會」が行なわれる。
3月11日、伝染病予防法案の「第一讀會」が続けられ高木兼寛等が質問する。
3月19日、千家尊福特別委員長が「最モ急ヲ要スルコト」として動議を提出、賛同を得て「伝染病予防法案」の「第一讀會」を続ける。また、藤村紫朗、久保田譲、松岡康毅、曽我祐準も同様に発言する。(政府委員からの説明なし)
3月22日、伝染病予防法案の「第二讀會」が行なわれ政府委員として後藤統新平が答える。
3月23日、伝染病予防法案が第10回帝國議会の衆議院に提出される。
3月24日、伝染病予防法案が衆議院で採択される。
4月1日、(明治30年法律第36號)「伝染病予防法」が制定される。 
5月1日、内務大臣伯爵樺山資紀が「内務省令第十一號/伝染病予防法施行規則」を発令する。
pid/2947433 閲覧可能
  
                                                       内務大臣 伯爵樺山資紀 ↑
 
      官報 1897年05月01日」より  大蔵省印刷局 [編] 日本マイクロ写真  
8月、台湾総督府軍務局海軍部編纂「台湾小史」が刊行される。
  出典:斎藤実関係文書目録 書類の部 1 (海軍・朝鮮総督時代) 国立国会図書館専門資料部 編 国立国会図書館 1993・11 (憲政資料目録 ; 第17)
9月2日、高島陸軍大臣が兼務していた拓殖務省が廃止され、その業務を内務省と台湾事務局が引き継ぐ。
9月、「教林 (51)」が「教林社」から刊行される。 pid/11206484
<抜粋>
伊勢二所大神宮役夫工また大嘗會米の事/栗田ェ / 13〜
元寇に對する佛家の僻見/かしのや / 31〜
台灣島民にさとす/しほのや / 32〜
附録/ / 9〜
辨誤/故 堀秀成 / 9〜
9月、「済生学舎医事新報 (57)」が「済生学舎医事新報社」から刊行される。 pid/1477587
〔一〕傳染病豫防接種法ニ就テ / 北里柴三カ
〔二〕痲疹ニ就テ / 山根正次
〔一〕壓迫性脊髓炎 / 馬島永コ
右屍體剖見記事 / 竹崎季
〔二〕大動脈孔狹窄兼閉鎖不全 / 高田耕安
〔一〕加答兒性黄疸ニ就テ / 栗本秀次カ
〔二〕赤痢ニ就テ / C水幸雄
〔三〕秋田殺人蟲 / 河津貞治
〔一〕地方自治體ト傳染病豫防事務 / 後藤新平
〔二〕傳染病豫防ニ就テ / 三宅秀
〔第一〕解剖及生理門 (1)腦内聽神道

(1)格魯布性肺炎ノ經過ニ就テ
(2)鬱血乳頭ノ豫後ニ就テ
(3)新「ツベルクリン」製劑實驗彙報
(4)新治療彙報
(略)

12月、香風外史 (市毛浅太郎)編「征台顛末」が「日進堂」から刊行される。
pid/773746
 閲覧可能
第一篇 征台前ノ状勢略説
第一章 日清交戦ノ由来
第二章 日清交戦ノ成行
第三章 媾和談判ノ成行
第二編 征台前記
第一章 澎湖島ノ役
第三編 征台中記
第一章 戦争前ニ於ケル清兵ノ動静
第二章 基隆ノ役
第三章 台北附近ノ鎮定
第四章 新竹ノ役
第五章 安平鎮ノ役
第七章 瀧〔タン〕坡ノ竹林戦
第八章 牛欄河ノ小競合
第九章 大姑陥ノ攻撃
第十章 大姑陥河盂ノ大撃攘
第十一章 台北新竹間ノ土匪撃攘
第十二章 苗栗附近ノ戡定
第十三章 台湾府ノ戡定
第十四章 彰化府ノ大攻撃
第四編 征台後記
第一章 □南ノ計画
第二章 近衛師団嘉義ノ大攻撃
第三章 南進軍ノ出発
第四章 山口混成師団ノ進撃
第五章 伏見混成旅団ノ進撃
第六章 台南ノ平定
第七章 民政
1898 31
参考資料
〇明治三一年一月二一日 (芳川顕正宛) (写)台湾事務局内務省ヘ移転変更ハ困難 各省局ト違イ書記官ハ特例トスル外ナシ →六四五ー8
井上馨関係文書目録 国立国会図書館参考書誌部 編 国立国会図書館 1975 (憲政資料目録 ; 第10)書翰の部より
3月28日、児玉源太郎が第4代総督、後藤新平が民政局長として着任する。
11月3日、匪徒刑罰令を公布、極刑で抗日ゲリラに対処する。
資料:明治三十年から三十四年までの間に捕らえた土匪の数は八千三十人、殺戮した者は三千四百七十三人、また明治三十五年の大征伐にさいして捕虜とし裁判によって死刑とした者は五百三十九人、「臨機処分」に付して殺戮した者は四千四十三人の多きを数えた、と記している。「臨機処分」とは。招降策に応じて出頭してきたゲリラを帰順式の名をかり、一つの場所に集めて一斉射撃で虐殺するという、およそ武士道とは無縁な仕打ちである。すさまじい辣腕政治でなくてなんであろう。    載國W著「台湾 ー人間・歴史・心性ー p69」より
1899 32
参考資料
〇 明治三二年三月一六日 後藤新平面会将来ノコト示談 帰台ノ上児玉ト相談希望ニ添ウベシ 台湾銀行株式後藤ノ話ニテハ山県同席承知
アレバ伊藤ヘ申述
井上馨関係文書目録 国立国会図書館参考書誌部 編 国立国会図書館 1975 (憲政資料目録 ; 第10)書翰の部より
7月、 松本一が軍事教育会軍事新報部編「軍事新報 2(109)p1〜1 軍事教育会軍事新報部」に「拜觀振天府」を発表する。 pid/1888112
7月、拜觀將校が「教育報知 (616)
p18〜18東京教育社」に「振天府」を発表する。 pid/3546537
10月、軍事教育会軍事新報部編「軍事新報 2(123)
p12〜14 軍事教育会軍事新報部」に「振天府拜觀之記」が掲載される。 pid/1888126
10月、東京社編「東洋學藝雜誌 16(217) 」が刊行される。 pid/3559175
論説 硫酸銅の植物に及ほす作用――(第二百十五號の續、完) / 服部廣太カ / p411〜423
論説 土俗的標本の蒐集と陳列とに關する意見 / 坪井正五カ / p423〜427
雜録 植物雜記 / 松村任三 / p427〜430
雜報 
振天府拜觀 / p436〜436
1900 33 1月、「振天府拝観記」が「陸軍中央幼年学校」から刊行される。
1月、巌谷小波が「少年世界 6(1)
p20博文館」に「振天府」を発表する。 pid/1800812
3月、關根正直が「学窓余談 4(3)
p189春陽堂」に「振天府拜觀の記」を発表する。
 また、「同号
p197」に小笠原長生が「[軍事 明治廿七八年戰役軍人 龜鑑戰死者談」を発表する。  pid/1852657
1901 34 8月、多賀宗之が「家庭軍事談」を「文武堂」から刊行する。 pid/842856 閲覧可能
第一回 初陣《上》
其一 充員召集
第二回 初陣《下》
其二 国民軍召集
其三 義勇軍
第三回 出発と行軍
其一 出発
其二 行軍
第四回 宿営
其一 舎営
其二 露営
第五回 前哨
其一 小哨
其二 歩哨
第六回 敵兵捜索
其一 斥候
第七回 伝命
第八回 緒戦
第九回 戦闘
第十回 負傷兵と担架卒
第十一回 決戦
第十二回 凱歌
其一 戦争
其二 振天府
附録
第一回 一軍旗
二軍紀
三服従
第二回 一服装
二突撃
第三回 一軍隊の剣術
第四回 軍橋
第五回 武器の話
第六回 新兵の学科
第七回 不動の姿勢

10月20日、台北縣の劍潭山(けんたんざん)に三神と北白川宮能久親王の英霊を祀る臺灣神社が落成する。
10月27日。台湾神社鎮座式が行なわれる。
0月、下田歌子が「新題詠歌捷径」を「三省堂」から刊行する。 pid/873584 閲覧可能
靖国神社 / 22 振天府 / 23 国旗 / 25
1902 明治35 4月、「養徳 (2) 」が「養徳社」から刊行される。4pid/11211263
官幣中社北野神社眞景/小川一眞
日英同盟と吾人のコ義/ / 1〜

菅公に關する評論/井上哲次カ / 11〜
神宮と皇室及人民との關係/篠田時化雄 / 30〜
職原抄問答/
故 堀秀成 / 42〜
振天府拜觀の記/磯部武者五カ /
44〜
5月、宮川鉄次郎/記「振天府拝観記」が「保成堂」から刊行される。pid/767041  閲覧可能
(略)仰ぎ見れば故有栖川大将宮、故北白川中将宮、故大寺、福原、山根の三少将を始め陣歿将校の眞影生けるが如し就中故有栖川北白川両殿下の御眞影は大形にして鮮明、余は右の方咫尺(しせき)に拝見したるを以て有難さに涙溢るゝ思ありき、此御眞影の直下、壁に接して三段の棚あり上段中央に一巻、中断及下段に十数の巻物を袱紗(ふくさ)の上に安置す皆、錦〔ラン〕の表装軸は光りまばゆき水晶を以てす是れ實に陣歿せる将校及相當官以下下士兵卒等の姓名録なり上段の一巻には戦死者の芳名一千六百七十八人を納め他の數巻には病死者の氏名八千九百四十八人を録す、明治廿七八年の役我将士の陣に歿す者實に一萬六百二十六人  陛下深く其忠勇國事に死せるを嘉(よ)し特に戦死病歿せる将士の氏名を徴せられ永く御手元に遺し置かる、聖慮の渥き死者の栄や大なりと謂ふべし、老将軍は此由来に次で語るらく、此の巻物に陣歿者の姓名を録し給ふに當り、其字體、行間の明け樣から、表装見かへしの工合(ぐあい)まで皆、陛下直々の仰せによりて其通りに出来(しゅったい)したものであります。猶ほ陣歿者の寫眞を集めよとの仰(おほ)せを受けましたるにつき夫々取集めにかゝりましたが何分多人数の事なれば寫眞のなきものもあり漸やくにして将校及び相當官の分を集めました、中には浴衣姿のものもありまして御手元に差出すに躊躇しましたが夫にても苦しがらずとの仰せにつき其儘差出しました 陛下には其寫眞につきて一々其氏名其履歴其戦功より父母兄弟妻子の事までも細々(こまごま)と御尋ねあらせられ永大の保存に堪ゆるやう残らず不變色の寫眞にせよとの仰せがありましてそれを御手づから額面へ御挿しになったのでありますそれに此額縁は廃銃の木部で作ったので総てが皆 陛下御自身の御思召(おぼしめし)に出来たものであります誠に軍人の名誉國民の誉れ私共感泣の外はありません 皇后陛下此れを御覧になりました御時(おんとき)にも深く 天皇陛下の御思召の程を御感泣あらせられました」と語り来りて将軍の眼(まなこ)に涙充(み)つ余亦た感涙禁ずる能(あた)はず余が側(かたは)らに在りし一武官(此日余等(このひよとら)と共に拝観を許されし将校数名ありき)の如きは感に堪ず涙滂沱(ぼうだ)として巾(きん)を沾(うる)ほすを見たり(略)
陣歿(じんぼつ):戦場で命を落とすこと。
咫尺(しせき):1 距離が非常に近いこと。2 貴人の前近くに出て拝謁すること。
滂沱(ぼうだ):涙がとめどもなく流れ出るさま。
6月、「養徳 (4) 」が「養徳社」から刊行される。pid/11211265
公吏の神宮參拜に就いて/ / 1〜
支那の將來と我國民の覺悟/ / 5〜
振天府拜觀の記/磯邊武者五カ / 39〜
森縣凍死軍人義捐金人名外數件
7月、平田久が「新聞記者之十年間」を「民友社」から刊行する。 pid/897415 閲覧可能
振天府 / 45
台北の盛事 / 53
台湾神社鎮座式 / 54
台湾神社の大祭 / 61
8月、石川正作が「高等小学作文全書 巻之4 p50 東洋社」に「三〇 振天府」を掲載する。
pid/867121 閲覧可能
8月、磯部武者五カが「養徳 (6) p31〜 養徳社」に「振天府拜觀之記(完)」を発表する。 pid/11211267
12月、川島庄一郎が「実業補習読本 巻3 p101松村三松堂」に「第二十四課 振天府拝観の記」を発表する。 pid/868147 
〇この年、友岡正順が「國民必讀軍事一斑」を「鈴木安雄/出版社」から刊行する。 pid/1084215
第一編
第一章
第一 國體
第二 憲法
第三 護國ノ義務
第四 兵役ノ義務
第五 軍人ノ任務
第六 軍隊ノ任務
第七 軍人精神
第八 忠孝
第九 愛國心
第十 大和魂
第十一 尚武
第十二 恊同一致
第十三 名譽
第十四 耐忍
第二章
第一 徴兵ノ詔書
第二 徴兵ノ沿革
第三 徴兵令 /
第四 徴兵官
第五 徴兵ノ體格
第六 徴兵ノ學力
第七 徴兵適齡年表
第八 徴兵適齡屆
第九 徴兵適齡者ノ心得
第十 陸海軍現役兵志願者ノ心得
第十一 六週間現役兵志願者ノ心得
第十二 徴兵檢査
第十三 徴兵ノ抽籖
第十四 現役兵及ビ補充兵編入順序
第十五 陸海軍現役兵及ビ補充兵證書
第十六 當籖者ノ心得
第十七 陸海軍現役兵及ビ
   →補充兵入營時期
第十八 入營者父兄ノ心得
第十九 近衛第七師團及ビ
   →海軍入營兵集合地
第二十 新兵入營前ノ心得
第三章
第一 兵役ノ區分
第二 陸軍團隊ノ編制
第三 兵種ノ區分及ビ性能
第四 武官ノ階級
第五 尊稱及ビ稱呼
第六 上官
第七 兵卒
第八 軍紀
第九 風紀
第十 秩序
第十一 服從
第十二 命令
第十三 禮式
第十四 服裝
第十五 服制
第十六 軍旗
第十七 勳章
第十八 從軍記章
第十九 靖國神社
第二十 振天府
第二編
第一章
第一 入營并ニ誓文
第二 入隊式
第三 給養班
第四 起居ノ定則
第五 日課
第六 教育順次
第七 教育檢閲
第八 勤務
第九 檢査
第十 風紀衛兵
第十一 面會
第十二 炊事塲
第十三 酒保
第十四 醫務室
第十五 衛戍病院
第二章
第一 野外演習
第二 行軍
第三 軍歌
第四 宿營
第五 射撃
第六 兵語
第七 檢閲
第八 觀兵式
第九 退營式
第十 現役滿期
第三章
第一 恩給
第二 褒賞
第三 陸軍懲罰令
第四 陸軍刑法
第五 陸軍諸官衙
第六 陸軍諸學校
附表
第一 陸軍常備團隊配備表
第二 陸軍管區表
附圖
一 陸軍服制略圖
一 旌旗略圖
一 勳章記章略圖
一 陸軍常備團隊配備略圖

1903 36 1月28日、北白川宮能久(よしひさ)親王の銅像が東京丸の内近衛師団歩兵營の正面前に建立され、除幕式が行なわれる。
1904 37 〇この年、伊能嘉矩が「東京人類學會雜誌 19(220) p.373-37」に「臺灣島民(漢族)の檳榔子を嚼む風習」を発表する。  
〇この年、参謀本部編纂「明治二十七八年日清戦史. 第5,6巻(第6(下)-9篇)」が刊行される。
pid/1151998
閲覧可能
第八篇 南清及直隷ニ對スル作戰 / 237
第三十五章 澎湖島の占領 / 237
一 澎湖島占領ノ準備 / 237
ニ 澎湖島ノ攻略 / 244
三 澎湖列島占領後ノ情況 / 269

四 澎湖列島清國軍の情況 / 273
第三十六章 直隷平野作戰ノ準備 / 281
一 作戰ノ計畫 / 281
ニ 直隷平野作戰準備運動 / 290
第九篇 平和克復 / 305
第三十七章 媾和 / 305
一 媾和談判開始及休戰ノ締約 / 305
ニ 媾和成立及批准交換 / 312
第三十八章 凱旋、復員及占領地守備 / 321
一 征清軍ノ撤去 / 321
ニ 奉天半島の守備及撤去 / 332
三 混成第十一旅團ノ威海衞駐屯 / 351
附録 凱旋及復員一覧表
1905 38 3月、八尋慈薫編「実地応用軍国と布教 後」が「興教書院」から刊行される。 pid/816400
仏道と武道・佐藤巌英師
忍と不忍・赤松連城師
決死の前日・南条文雄師
戦争と婦人・小野島法□師
忠勇傷病の慰め・高木櫪堂師
遺族の方に告ぐ・村上璋真師
確然不動の覚悟・安藤州一師
俗諦の機法一体・慶哉子師
求法征士に与ふる書・安藤義導師
追弔の精神・名和淵海師
/ 119p
追悼の赤心・□井隆信師
念仏軍中の記事
攻囲軍中念仏の声
真正なる仏天の加護
口に出さねど心の念仏
信仰力の大なるを知る
鉄道橋下の念仏
担架に乗れる傷兵の念仏
感すべき負傷兵の書翰
夜を徹して法義を談ず
忠死者の状況 / 177p
輸卒の勤務
軍中の教話
追弔の詞
東郷大将の弔詞
乃木大将の弔詞
文芸学舎の弔歌
忠死者追弔会
大島庁長の弔辞
台北庁長の弔辞
戦死者追悼式
島地黙雷師弔文
京都協同団追弔会
高野山の古石塔
呑まれたるハリス博士
出征軍人の箴語
死生は因縁
我軍馬の忠実
貞婦の真心
ソメイ、尊徳の訓言



1906 39 11月、「醫海時報 (648)」が「醫海時報社」から刊行される。pid/11183206
歐米視察談(承前)/高木兼ェ男 / 3〜
後藤新平氏の辭令/ / 8〜
高安道純氏の訃/ / 8〜
救濟金庫支出/ / 8〜
傳染病研究所落成式/ / 8〜
<抜粋>
1907 明治40
参考資料
〇明治四〇年三月一二日 有賀ヨリ台湾樟脳オ聞キアラン 物産会社取扱イ岩井長官明言ノヨシ コノ辺ニテセルロイド着手許可乞ウ 品川織物王子製絨ヘ譲渡 宮地久 重ナル株主ハ川崎 承認乞ウ →三九一ー1/井上馨関係文書目録 国立国会図書館参考書誌部 編 国立国会図書館 1975 (憲政資料目録 ; 第10)書翰の部より
5月、「弘道 (182) 」が「日本弘道会」から刊行される。 pid/6057727
<抜粋>
雜録 日C協約の全文 / p45〜46
雜録 列國東洋の海軍力 / p47〜47
雜録 孔子祭典會 / p47〜48
雜録 戰艦安藝進水式 / p48〜48

5月、石川成章が自然之妙趣」を「上宮教會出版部井洌堂/山中孝之助」から刊行する。
pid/899676
 閲覧可能
第一章 修養閑話
第一 自然観察の四方面
第二 春の自然観
第三 夏の自然観
第四 秋の自然観
第五 冬の自然観
第二章 古人の修養
第一 演劇「地震加藤」
第二 大石良雄と良雪和尚
第三 人格的感化
第三章 今人の修養

第一 振天府拝観記
第二 波動
第三 包容と排斥
第四 感謝と慙愧
第四章 感光清談
第一 福寿草
第二 信仰の妙味
第三 信者の態度
第四 仏陀の心
第五 今日
第六 夢想と現実
第五章 時論一束
第一 死仏教と活仏教
第二 一世紀後の我が宗教界
第三 軍事教育と宗教教育


5月、「実業の日本 10(9) 」が「実業之日本社」から刊行される。 pid/3551688
表紙 日本府縣機械製粉比較地圖
表紙 内外産製粉原料供給比較圖表
口繪 澁澤倉庫十周年紀念園遊會と其經營者
口繪 米國價格均一商店の内部と其經營者
卷頭 實業的一勝利
卷頭 『云ハナカツタ方ガ却テ妙』――矢野翁書翰 / 矢野二カ
新事業と新人物 滿洲に於ける邦人の新事業及其經營者
主張 商業ヘ育は大學を要せざるか
經世論壇 頓挫せる新事業は如何にすべきか / 松崎藏之助
名士の名士觀 余の見たる人物――安田善次カ / 雨宮敬次カ
名士の名士觀 余の見たる人物――朝吹英二 / 雨宮敬次カ
名士の名士觀 余の見たる人物――五代友厚 / 雨宮敬次カ
奮鬪の勝利者 加奈陀漁業の成功者 及川泰次カ氏奮鬪經歴 / 天地
樂天生活 余の實驗せる樂天生活 / 大隈重信
(略)
人格の修養 福澤翁の人格 / 浮田和民
健康 誤解せらるゝ有害の運動法と最良の運動法 / 津崎亥九生
健康 神經衰弱全快實驗談 / 園田孝吉
健康 世界人豪の健康維持法 / 曾水
當今の人物 村井貞之助氏 / 岳淵
東京勸業博覽會 第二號館にて注目すべきもの / 瓊川

百花欄 振天府拜觀記 / 搏c義一
百花欄 救世軍の老偉人
百花欄 一口ばなし / 嬌溢
百花欄 風流羊毛集 / こてふ
百花欄 新刊紹介
7月、柴田勇之助編「明治詔勅全集」が「皇道館事務所」から刊行される。
pid/759508 
閲覧可能
    台湾賊徒掃討に付近衛師団長北白川宮能久親王殿下へ勅語 / 軍事69p    台南賊徒掃蕩に付台湾総督樺山資紀へ勅語 / 軍事70p
1908 41 4月30日、軍艦「松島」が澎湖島馬公に停泊中、爆発し254名が殉職する。
   大山巌の嫡男・大山高もなくなる。
1909 42 5月1日、根小屋村、青山村、長竹村が合併して串川村が発足する。
1910 43
1911 44 1月、「新公論 26(1)」が「新公論社」から刊行される。pid/11005471
大和民族の元氣/大隈重信
旭日昇天の精神/志賀重ミ
外人の眼に映じたる旭日の日本/岡田哲藏
人物評論/ /
未成品後藤新平論/一畝生
太陽神話/高楠順次カ
日本國名の出處/嶋上弘
森林より見たる南北/田中喜代次

大小人物の追分/後藤新平
傳染病侵入の三門戸/北里柴三カ
余が理想とせる美人/巖谷小波
今の日本畫家が現代を描く事が出來ぬ/鈴木大拙

10月9日、澎湖島馬公公園に「舊軍艦松島及殉難忠魂記念碑」が建立され、その除幕式が行なわれる。
1912 45 5月、『海軍』編輯局編「軍艦松嶋之紀念」が「画報社支店」から刊行される。
pid/845191
 閲覧可能
第二十章 日清役に於ける松島掉尾の活躍澎湖島占領
第二十一章 日清戦役に於ける松島
第二十二章 晩年の松島、澎湖島沖に爆沈す
第二十三章 築地水交社に行はれたる松島殉難者の葬儀
第二十四章 遭難地に忠魂碑の建立の□起る、除幕式の概況

6月、西村才介 (南溟漁人)が解剖せる台湾」を「昭文堂」から刊行する。
pid/766944 
閲覧可能
「一」台湾の不透明体政治
「二」台湾自然界の現状
「三」南部台湾と北部台湾
「四」台中遷都論
「五」動物の台湾耶、
   →植物の台湾耶
「六」誤解されたる台湾
「七」妙な台湾視察の流行
「八」失敗せる糖業政策
「九」後藤新平式色彩
「十」御祭り騒ぎの鉄道全通式
「十一」吏臭に満ちたる台湾
   →鉄道及、鉄道ホテル
「十二」佐久間総督閣下
「十三」内田民政長官閣下
「十四」逐はれたる大島久満次
「十五」歴代の総督中誰が一番豪い
「十六」濁つて吹く台湾の吏風
「十七」台湾の自称夫人気質
「十八」長官閣下の視察振り
「十九」鮮明を欠く愛国婦人会
   →台湾支部
「二十」樟脳専売の真相
「二十一」台湾銀行の財閥
「二十二」台湾事業界の人物
「二十三」疑問の阿里山
「二十四」大仕掛なる理蕃事業
「二十五」骨抜きになりし台湾の新聞
「二十六」喰ひ物にされし林本源
「二十七」移民は糖業策の犠牲
「二十八」全島港湾の現状
「二十九」女学校と中学校の半面
「三十」特別会計の内容
附録


1913 大正2年 12月15日付、「東洋經濟新報 第六百五十四號」に「社説 臺灣島民の怨恨深し (東洋経済 2(大1-15))」の記事が掲載される。
〇この年、帝国聯隊史刊行会編「歩兵第五十三聯隊史」が「帝国聯隊史刊行会」から刊行される。 pid/941974
第一章 帝國陸軍發逹の大要
一、 明治初年の草創時代
二、 西南の役
三、 整備時代
四、 日C戰役
五、 日C戰後の發逹
六、 北C事變
七、 日露戰後に於ける發逹
八、 日獨戰役
九、 平和克復
第二章 吾聯隊の創設及編成
一、 日露開戰の事情
二、 作戰の經過概要
三、 吾聯隊の創設編成
四、 軍旗授與
第三章 出征及守備
一、 出征
二、 平和克復
三、 占領地守備
第四章 奈良衛戍
一、 所屬變更
二、 陣營移轉
第五章 皇室と吾聯隊
一、 五箇條の勅諭
二、 御大喪と御踐祚
三、 明治天皇御大葬
四、 昭憲皇太后御大喪

五、 御大禮並大禮觀兵式
六、 御眞影拜受
七、 軍旗祭と邦彦王殿下
八、 皇太子殿下賜謁
九、 儀杖衛兵服務
第六章 西伯利事變と聯隊の北滿派遣
一、 歐洲大戰爭參加
二、 沿海州地方討伐
三、 ェ城子事件
四、 大正八年八月より
   →九年三月に至る間
五、 武裝解除戰以後
六、 金廠附近の掃蕩
七、 内地歸還
第七章 忠勇事蹟
一、 忠死者六十一名
二、 事蹟の一
第八章 雜件
一、 特命檢閲
二、 大演習記事
三、 銃種交換
四、 侍從武官來營
五、 ヘ育總監來營
六、 師團名譽射撃優勝
七、 聯隊名譽射撃優勝中隊
八、 守備隊派遣及轉出
九、 第十一中隊の轉出
附録の一
吾聯隊の環境
附録の二
我ク桙フ先輩
下士の優遇及其の志願心得

1914 3 1月、宮本芳之助編「青年の事業」が「東京社」から刊行される。 pid/907595 閲覧可能
上卷
第一章 年事業の旨意
第二章 事業經營の困難
第三章 年時代の活氣
第四章 年團體の本領
第五章 辛抱競べの覺悟
第六章 自修年の前途
第七章 年事業の種類
第八章 配達事業の有望
第九章 新聞配達の事業
第十章 壯腕健脚の利用
第十一章 獨立事業の發達
第十二章 國風一般の改良
第十三章 井上文相の慷慨
第十四章 東京見物の案内
第十五章 誘惑防禦の心得
第十六章 自修自學の効果
第十七章 C粗兩様の讀書
第十八章 團體年の資格
第十九章 團體組織の方法
第二十章 學資補給の便法

下卷
第一章 九州年の上京
第二章 うたよみの車夫
第三章 七歩の詩
第四章 人生の運不運
第五章 行商の實例
第六章 大商店の粗漏
第七章 小判のなる樹
附録

一 振天府拜觀記 / 83
一 芝濱離宮拜觀記 / 91
一 ケル灣沿岸の旅行記
一 新馬術家
一 興京に行軍記事中の一節

1915 4 11月、「実業の世界 12(22);新領土發展號」が「実業之世界社」から刊行される。 pid/10292930
總論
發刊の辭
明治天皇の偉コを體して
  →新領土の民に臨むべし/澁澤榮一

歐洲の燒太りと日本の準備/三宅雄二カ
新領土の經營と第三國/坂谷芳カ
植民地施設當面の急務/目賀田種太カ
日本帝國の國是/仲小路廉
朝鮮滿蒙竝に臺灣經營策私案/大木遠吉
海外發展の三方面/堀切善兵衞
帝國の植民/田中義一 /

内地と植民地との電信連絡/利光平夫 / 46〜50
軍國主義を排して第日本帝國の
  →國是を論す/野依秀一
殖民地經營の根本政策/稻田周之助
帝國の殖民政策/建部遯吾
近世各國の殖民的活動/山本美越乃
拓殖局設置其他の問題/宮尾舜二
殖民地施設の統一/門田正經
露西亞の南下と滿蒙經營/根津一
貿易と殖民/堀越善重カ
帝國の南北膨脹論/竹越與三カ
大日本主義/赤池濃
南支鐵道の將來/白岩龍平
大陸發展の聲を事實にせよ/中野天心
支那に於ける日本商人の發達/佐原篤介
朝鮮の部
大陸政策と朝鮮/兒玉秀雄
最近余の觀たる朝鮮/田中穗積
日韓合併の功は誰の力ぞ/尾高次カ
朝鮮文化の遺蹟/關野貞
萍の樣な朝鮮政治/井時敬
朝鮮統治制度案/内田良平
日韓交渉の三千年/中村久四カ
朝鮮の富源と其開發方策/峰八カ
朝鮮併合五ヶ年/記者
朝鮮の地理人情及風俗/記者
朝鮮の事業/記者
朝鮮の商業/記者
朝鮮に於ける銀行會社評論/記者
朝鮮に於ける成功者列傳(順序不同)/記者

台湾の部
臺灣と我輩/後藤新平 / 283〜290
臺灣より南へ發展の好時機/内田嘉吉
糖業より見たる臺灣の價値/下阪藤太カ
臺灣の現在及將來/荒井泰治
臺灣は南進の立脚地/赤石定藏
對支實業の振はざる所以/赤司初太カ
臺灣水産業の現状/岡秋介
三井の植林事業/記者
歴史上より見たる臺灣/伊能嘉矩
臺灣の人情風俗/山崎直方
臺灣の富源開發策/松岡正男
臺灣統治二十年/記者

臺灣に於ける事業/記者
臺灣の商業/記者
臺灣に於ける銀行會社評論
臺灣の成功者列傳(順序不同)/記者
樺太の部
樺太とパルプ工業/藤原銀次カ
樺太の水産業/伊谷以知二カ
樺太の地誌と歴史及生活/記者
樺太の施設/記者
樺太の産業/記者
樺太に於ける銀行會社/記者
附録 満蒙の
滿蒙の移民商工業及日支銀行/白仁武
支那の蒙古經營/稻葉君山
滿蒙の文明史綱/小川運平
滿蒙經營策/月孫生
蒙古富源實査記/木村直人
代表的日支合辨事業
  →本溪湖煤鐵公司/島岡亮太カ
南滿州鐵道株式會社の事業/記者
撫順炭坑の概觀/記者
蒙古の生活振り/古山生
滿州の商業/記者
滿州に於ける銀行會社評論/記者
滿州に於ける成功者列傳(順序不同)
滿鮮見たり聞いたり/金子幸吉
臺灣巡遊記/武井文夫
うめ草集


1916 大正5 11月、「東洋時報 (218)」が「東洋協會 」から刊行される。  pid/11187601
口繪
新任東洋拓殖會社總裁石塚英藏君
協會記事
寺内伯爵長谷川總督招待會
談論
鮮滿視察談(三)/小松原英太カ
日支提携と新重商主義/尾崎敬義
海外に於ける商工業の
  →發展(承前)/宮尾舜治
朝鮮鐵道の經營概况/大屋權平
滿洲に於ける甜菜糖業と
   →土性/澁谷紀三カ
雜爼
臺灣島民に行はるゝ求雨/伊能嘉矩
臺灣の林業/松波秀實
支那に於ける列國の鐵道競爭
   →(完結)/吉田虎雄
日露貿易の將來如何/善生永助
通信
臺灣通信
馬來半島各州年度報告(下)
彙報
立太子禮
大演習行幸
長谷川總督に勅語
寺内伯に優詔
李〔コウ〕公御歸鮮
議會召集
東拓總裁任命
朝鮮兩長官任命
支那副總統及外交總長新任
黄興氏逝去
蔡鍔氏逝去
南滿洲製糖創立
三線問題解决
鴨麹]結氷期

旅順の造林

對滿貿易活况
滿洲の製粉業
朝鮮十月貿易概况
朝鮮の林業發達
朝鮮山蔘調査
朝鮮綿布製織業
臺灣蠶業普及
臺中育種事業
比島の臺灣牛輸入
南洋の水産
南洋輸出炭盛况
臺灣茶と樟腦
支那明年度歳出豫算
支那と製鐵業
米國大統領再選
東拓臨時總會
吉原前東拓總裁逝去
黄興追悼會
漢文東洋報
皇上〔エツ〕兵恭紀
立太子禮恭紀
新任朝鮮總督
李〔コウ〕公入京
臺灣總督談話
記美使談話
黄克強逝去
記支那副總統就任事
朝鮮製紙情况
吉林材木之利記北滿小麥
臺牛出口
臺灣郵便貯金情形
1917 6 1月、「東洋時報 (220)」が「東洋協會」から刊行される。 pid/11187603
口繪
津浦鐵道黄河鐵橋
談論/
滿洲視察談(五)/小松原英太カ
歐洲の經濟戰爭(承前)/鶴見左吉雄
東蒙古に於ける天然曹達一附化學工業の一政策/鈴木達治
南洋の産業及貿易/浮田ク次
南支那視察談/潮惠之助
雜爼
風俗上より觀たる臺灣島民の新正(上)/伊能嘉矩
露國西伯利征服の由來/松尾音次カ
遊歐追想談(六)/丸山通一
灣風蛇縁録/英塘翠
滿洲の甜菜糖
通信
臺北通信
彙報
第三十八回帝國議會開會
大正六年度豫算綱要
各殖民地豫算
豫算綱要説明
殖民地豫算説明
昨年主要輸出品目
五年度對支貿易
朝鮮銀行成績
滿洲工業界近况
臺灣統治現状
南臺灣の強震
撫順炭坑爆發
東拓制度改正
滿蒙物産館
島牛肉輸出
内務次官更迭
所屬植民專門學校記事
新刊寄贈書目
漢文東洋報
記鴨麹]採木公司
蒙古羊毛記聞
滿洲藝麻之利
興設滿蒙物産館
記滿洲滑石
朝鮮製絲記聞
採蔘時期
李完用伯談話
臺糖有起色
臺灣民政長官談話
山本君談話
鮮煙頓有起色
1月9日、厦門に逃げ帰っていた旧大将軍劉永福が亡くなる。
2月、「東洋時報 (221);2月」が「東洋協会」から刊行される。  pid/11187604
東洋時報第貳百拾壹號目次
   →(大正六年二月二十日)
談論
島視察談/小松原英太カ
印度經濟事情/矢田部保吉
東蒙古に於ける天然曹達(承前)/鈴木達治
植民地衛生/下P謙太カ
開戰二年半後の南洋/井上雅二
資料
獨逸の島築港並埠頭經營に付
  →島埠頭局に於て調査せる參考資料
臺灣に於ける柑橘/阪東睦三

雜爼
歐洲戰亂と日支貿易/善生永助
南支那に於ける建築上の經驗談/福井房一
露獨の關係/寒翠生
臺灣島民の新正(下)/伊能嘉矩
通信
臺北通信
彙報
紀元節宮中餔宴
議會解散
總選擧詔書
臨時調査官制
臨時調査説明
支那名士來朝
肅親王王子留學
鄭家屯事件交渉顛末
朝鮮の鐵鑛
朝鮮の製紙原料
臺灣木材好况
滿洲陸運界近状
滿洲興業界近况
滿蒙の牧羊
滿鐵硝子業計畫
濟南の日本莫大小
協會記事
漢文東洋報
臺灣震災述記
記臺灣吉克樹
臺灣酒精情形
記臺灣石油
臺灣發見銅鑛
記臺藍
上海公選市會議員
鮮紙紀要
鮮地大寒
新開漂白法
白仁長官談話
柞蠶情形
製造硝子紀聞
記人蔘/
鄭家屯事件交渉完結
肅邸王子來學
支那簡派特使
陸君來京
3月、台湾で忠死した石井留吉の墓標が再建される。
〇この年、宮田竜市が「入営準備予習教育教科書」を「広文堂」から刊行する。 pid/906932
詔勅並讀法
内編
第一章 軍人の責務と名譽
第二章 兵役の種類
第三章 兵種及び性能
第四章 軍隊の編成
第五章 師團司令部所在地
第六章 軍人の階級
第七章 服制
第八章 營内の模樣
第九章 中隊長以下の階級
第十章 起居の概要附營内の模樣
第十一章 入營者の心得
第十二章 敬稱
外編

第一 振天府拜觀記(宮川鐵次カ)
第二 御製と御歌
第三 陸軍兵の生活(坪内雄藏)
第四 海軍兵の生活
第五 四十二日兵(コ方粹雨
附録
豫習ヘ育豫定表
上官官氏名表
餘白録 笑話(一)
笑話(二)
即事(乃木希典)
明治天皇御製 述懷、折にふれて
明治天皇御製 親、誠


10月、松下長平/帝国聯隊史刊行会編「近衛歩兵第三聯隊史」が「帝国聯隊史刊行会」から刊される。pid/941861  閲覧可能
第四章 日清戰爭と我が聯隊
一、 開戰の理由及其發端
二、 大詔喚發・大纛前進
三、 皇軍連戰連捷
四、 聯隊の動員及出征
五、 平和克復と勅諭
六、 臺灣に向ふ

七、 龍潭坡の第一戰
八、 坊城大隊敵の重圍に陷る
九、 密使重圍を突破す
十、 糧食隊の奮戰・全滅
十一、 潭仔乾・彰化の激戰
十二、 全島戡定
十三、 瘴煙蠻雨 (聯隊長旅團長相次で斃れ師團長宮亦薨ず)
十四、 凱旋
〇この年、陸軍中將兩角三郎が軍事討究会編「戦陣叢話 第6輯p55」に「明治二十七八年戰役近衞師團臺灣臺北城の攻撃」を発表する。 pid/1133293
1918 7
1919 8 9月、「上毛及上毛人 (34) p22〜24上毛郷土史研究会」に「上毛人日C戰役忠死者 / 縣廳文書」が掲載される。pid/3567224
1920 9 4月、「朝鮮公論 8(4)」が「朝鮮公論社」から刊行する。 pid/11186952
排日運動の三大原因/廣江澤次カ
戰前戰後の各國物質騰貴率比較表
   →/外務省通商局第二課
米國に於ける植物性油需給状况/向井忠
現代ヘ育の缺陷(其の一)/國井泉
公論餘滴
歐大陸より一筆啓上/木村雄次
支那に於ける貨幣問題/一記者
一大鐵道會社設立の成否/辻本雪堂
株界崩落と朝鮮に及ぼす影響
恐慌は自然の勢/吉田鮮銀營業局長
瓦落は爆發の因/韓漢銀專務取締役
金融收縮の好響/池田商銀營業課長
樂觀は許されぬ/中村殖産銀行理事
地株は反應せん/京城某株式店主
沈まり行く相場/影山百三十支配人
是からが肝腎だ/鹽川殖銀營業課長
讀者論壇
一、京城東部繁策に就て/山本梅涯
二、不忠實なる普選提出者/谷川梁溪
所澤京城朝鮮海峽斷飛行/一記者
人間の機械化/三木生
あくびの後
新設會社及銀行
臺灣銀行職員異動
殖産銀行職員異動
朝鮮食料品會社設立
三井物産會社棉花部獨立
病間漫録/三島桃水
花見小路より/村P生
藝者の噂
大學生の一面/三水生
病床に仰〔臣+ト〕して(其の三)/山口皐天
隈閣失政史論/高橋燧洋
事業と投資
藝者番附
讀者の聲
公論文壇
小品文/石森胡蝶 選
短歌/角田不案 選
俳句/木靜軒 選

5月、「東洋時報 (260)」が「東洋協會」から刊行される。  pid/11187645
談論
東洋協會の責務/後藤新平
「ホン・カーライ」總督の植民政策と
   →朝鮮の經濟的施設(一)/嶺八カ
東部西比利亞旅行談(中)/烏居龍藏
支那國民の傳説的國際思想/牧野義智
極東露領に於ける邦人の漁業/牛島實
研究
道ヘに就て
一、道ヘ概觀/山口察常
二、日本風習上に及ほせる道ヘ思想の
   →影響/補永茂助
三、道ヘに於ける城隍廟の地位
   →/後藤朝太カ
通信
米英の天下(海外私信)
臺北より
彙報
李王家慶典
臺灣實行豫算
在京臺灣學生數並に專門學校卒業生
鮮人ヘ育機關
朝鮮會社銀行拂込資本額
東拓移民近状
特別議會召集
鐵道省及國勢院新設
司法大臣新任
東洋及南洋に關する雜誌文藉
東洋漢文報
李王世子大喜恭紀
齋藤總督諭告鮮民
總督訓令府官
蒙恩赦者
臺灣製腦紀聞
臺灣製鹽情形
臺灣米穀大登
鮮牛移進内地之數
朝鮮産棉有搗ス
朝鮮貿易
記巴耳布事
滿洲公學堂長

8月、林茂淳が「国勢調査について : 国民必読」を「銀光堂出版部」から刊行する。
pid/955775 閲覧可能
なぜ大正九年に行ふか
暦年の末に○の附く年に
日本に取つて都合の好いこと
西洋紀元と神武紀元
六百六十一年目
第二回国勢調査
庚の年
なぜ十月一日午前零時に行ふか
動態と静態
人口分布の状態を激変するの虞ある行為は
   →之を避けしむ
団体旅行

台湾島民、調査の主旨を体す
旅行中の人
貸座敷と料理店
閏年
閏年は四で割切れる
閏年及び国勢調査施行の年を記憶する便法
国勢調査をすると、どんな利益があるか
男と女とどつちが多いか
働き盛りの者が多いか少いか
日本人の繁殖力
マルサスの人口論

人が罪悪を為す原因
人数の多きは終局の勝利
人間の粗製濫造
大正八年の人口増殖数
行方不明の者
百七歳の老婆
実際此の世に居ない人
国勢調査で、どんな事柄を調べるのか
駿河で調べた事項
甲斐で調べた事項
台湾で調べた事項

東京市で調べた事項
<抜粋>
1921 大正10
1922 11 1月、「東洋 = The oriental review 25(1)(280)」が「東洋協會」から刊行される。 pid/11187231
口繪 支那三峽中の險/東洋子
新春大觀(卷頭言)/永田秀次カ
新轉機に立つ植民政策/後藤新平
滿蒙と日本/早川千吉カ
活動的平和觀の促進を要す/末松偕一カ
朝鮮の開發と精神的ヘ化の必要/守屋榮夫
植民的發展の眞意義/永雄策カ
内地及植民地の相對批判
内地より/井上角五カ ; 岩佐瑳藏 ; 泉哲 ; 早川鐵治
  →尾崎敬義 ; 建部遯吾 ; 高木信威 ; 坪井九馬三
  →鶴見左吉雄 ; 内藤久ェ ; 江木翼
殖民地より/今村鞆 ; 奉天商業會議所 ; 東ク實
  →高木友枝 ; 山西恒カ ; 松井民治カ ; 小松吉久
  →古城梅溪 ; 森御蔭 ; 末松偕一カ
東洋の意義/山口察常
支那建國の植民的事情/松井等
太平洋に於ける米國の領土獲得と其軍備/内田ェ一
海外に於ける日本人/橋田丑吾
剩す天地の一角/玉置佐一
野蠻人の心理/守屋コ夫
目白山房雜話(四)/林下人
支那に於ける胡麻の産出状況/酒井忠道
植民地言論機關一斑/編輯部圖書係
朝鮮産石炭の經濟的價値(二)/編輯部
光明は海より(漫畫)/しゆくらう案
話中有話/宮原天樵
原始觀念に顯はれたる犬/伊能嘉矩
武斷主義と誤傳せられたる
  →寺内元帥/K田甲子カ
臺灣實業界の人物月旦/SS生
植民地大官のことども/木公冠者
滿鮮行歌(歌)/橋田東聲
『椰子の葉蔭』より(歌)/下村宏
改題小言・後藤會長論新使命(漢文)
書齋から街頭へ
「比律賓と日本」の著者/松波仁一カ
支那陶器新説/渡邊秀方
支那内爲替に就て/田中忠夫
支那佛ヘ思想史/橘惠勝
支那革命外史序の一節より/北一輝
東洋雜誌文籍總覽/編輯部
北滿秘話 馬賊を索めて/崔國
編輯後記/ /豫告をかねて/ /
六號挿話/ 他山之異誌(中挿廣告欄)
古疊の埃/ /口舌の雄
僑務局の設立/ / 朝鮮の旅
表紙圖案の縁由
春聯二三
東洋活動寫眞館の建設


2月8日、樺山資紀が亡くなる。(享年84歳)
5月、杉山靖憲が「台湾歴代総督の治績」を「帝国地方行政学会」から刊行する。
 pid/931064
 閲覧可能
第一代 故伯爵樺山資紀 / 1
第二代 故公爵桂太郎 / 65
第三代 故伯爵乃木希典 / 75
第四代 故伯爵兒玉源太郎 / 83
第五代 故伯爵佐久間左馬太 / 167
第六代 男爵安東貞美 / 195
第七代 故男爵明石元二郎 / 215
第八代 男爵田健治郎 / 245
1923 12 8月、柴田廉が「臺灣同化策論 : 一名「臺灣島民の民族心理學的研究」」を「晃文舘」から刊行する。  pid/3456378 
第一章 詞セ
一 文化的同化論
二 日本植民學の創設
三 同化政策と民族精神
第二章 同化の原理
一 臺灣に於ける同化問題
二 同化及び民族の意義
三 民族精神の固定性と可變性
四 異民族間の了解難
五 同化の民族心理的基礎
第三章 臺灣人の民族思想
一 從來の觀察態度を評す
二 根本思想の一=敬天思想
三 根本思想の二=孝道思想
四 根本思想の範圍に就て
第四章 改隷以後の心理的變化
一 心理的變化の意義
二 心理的變化の經過
三 臺灣人啓蒙時代に入る
第五章 基本政策を論ず
一 同化政策の二分類
二 基本政策の保守的性質
三 民族的自覺と基本政策
四 基本政策の一=宗ヘ政策
五 基本政策の二=ヘ育政策
六 基本政策の三=社會ヘ化政策
七 基本政策の四=通婚政策
第六章 誘導政策を論ず
一 誘導政策の性質
二 國語普及と臺灣語學習
三 言論の指導と言論機關
第七章 結語
補説
第一 天上聖母物語
一 支那の神々の分類
二 聖母の家系と出生
三 生前の靈能と昇天
四 支那の宗ヘ行政と褒封
五 天上聖母に對する信仰
第二 城隍爺の研究
第三 中元祭(盂蘭盆)の
   →意義及び其の祭儀
一 幽鬼崇拜と普度 /
二 中元と普度との關係
三 臺北龍山寺に於ける祭式
(1) 龍山寺の信徒。
(2) 祭典執行機關。
(3) 祭典の準備。
(4) 祭場の設備。
(5) 祭典第一日。
(6) 祭典第二日。
(7) 祭典第三日。
(8) 産溺孤魂の救出。
第四 匪亂と迷信との關係を論ず
第五 對支文化施設の目標
第六 壓迫の意義を論じて
   →警察の改善に及ぶ
第一 誤解されたる臺灣
第二 壓迫とは何ぞや
第三 本島人の自由觀念
第四 壓迫を感ずる原因
第五 臺灣の實情と壓迫の感觸
第六 待遇上のェ嚴と壓迫の感觸
第七 警察改善の根本方策
第八 結語
第七 臺灣議會運動の心理的解剖
第一 心理的觀察の必要
第二 讀書人社會の墜落と民心
第三 學問修業と讀書人の不平
第四 自治制施行と民心の要求
第五 議會運動と讀書人救濟
第八 臺灣議會運動と士族大會及
   →水平運動との要求上の脈絡
第一 政治論と法律論
第二 階級保存の努力
第三 政治運動の形態
第四 士族保存の運動
第五 水平運動との共通點
第六 運動の誘導策如何
附録
嗚呼無感激のヘ育
巖頭少女を弔ふ
寂光
大臺灣の歌
生活雜咏
阿蘇の秋

〇この年、加藤玄智編「現下の社会問題と思想問題」が「愛国社」から刊行される。 pid/968684
人種差別の撤廢 前臺灣民政長官 法學博士 下村宏
白人の世界か黄人の世界か 東京高等師範教授 文學士 中村久四郎
世界改造と國字問題 東京帝大名譽教授 理學博士 田中館愛橘
世界的一大秘密結社 東京帝大助教授 文學士 今井時郎
特種部落の研究 文學博士 遠藤隆吉
科學と工業 東京帝大教授 理學博士 長岡半太郎
自治生活の新精神 東京市長 子爵 後藤新平
群衆心理 東京帝大助教授 文學博士 桑田芳藏
歐米より見たる日本の思想界 貴族院議員 理學士 堀田正恒
食糧問題の解決 東京帝大教授 農學博士 稻垣乙丙
將來の宗教 文學博士 推尾辨匡
哲學と生活 東京帝大教授 文學博士 桑木嚴翼
3月、石坂荘作編「北台湾の古碑」が刊行される。 pid/1885451 閲覧可能 ガリ版刷和本
     
注 発行年月は奥付がなかったので「序」文の年月に従う。
二百餘年前の北臺灣見取圖 / 頁外
呉安康一行巡遊紀念 光緒十三年 / 1
潘慶辰一行同遊紀念 光緒四年 / 2
葛王〔コウ〕一行同遊紀念 光緒二十年 / 3
海外洞天 同治十三年 / 4
張士瑜探勝紀念 光緒十三年 / 5
仙洞 光緒十二年 / 6
慈虫 / 7
夏献綸同遊紀念 同治十三年 / 8
山上有人 / 9
三十三天天外天 / 10
葉文瀾一行同遊紀念 光緒二年 / 11
別有天地 明治丗八年 / 12
慈雲遠蔭 光緒元年 / 13
一字一石最勝塔 明治丗二年 / 14
汲水告示 光緒二年 / 15
蘭字洞 其の一 / 16
其の二 西暦千六百六十一年 / 17
其の三 西暦千八百七十七年 / 18
其の四 西暦千六百六十七年 / 19
其の五 西暦千六百六十四年 / 20
佛國軍人戰死者紀念碑 西暦千八百八十五年 / 21
佛國戰死者墓碑 西暦千八百八十五年 / 22
亜歴山馬鬼斯之碑 西暦千八百九十年 / 23
「ラプテク」號難破紀念碑 西暦千八百七十四年 / 24
「ヘンリー」之石碑 西暦千八百六十七年 / 25
「チヤーレス、エドワード」之紀念碑 西暦千八百七十一年 / 26
「サミエル、モエース」之紀念碑 西暦千八百七十六年 / 27
基隆神社碑 大正八年 / 28
墓地践踏禁示標 / 29
墓地践踏禁示碑 光緒七年 / 30
昭然萬禪碑 光緒四年 / 32
招魂碑 明治丗一年 / 34
頌コ紀念 明治四十年 / 35
澤通群黎 明治四十年 / 36
軍人軍属火葬場之碑 明治廿八年 / 37
近衛師團戰死者之墓碑 明治丗一年 / 38
双龍之瀧 明治廿九年 / 39
曠宇天開 光緒十五年 / 40
土地境界標 光緒三年 / 41
竹仔嶺招魂碑 / 42
採炭禁[止]碑 乾隆元年(推定) / 43
金鷄貂祖谷暁示碑 道光二十一年 / 44
田□峠御遺跡紀念碑 明治四十四年 / 46
瑞芳御遺跡紀念碑 明治三十一年 / 47
大□塚碑 同治十年 / 48
劉明燈三貂嶺題詩 同治六年 / 50
双溪之御遺跡 / 52
討匪暁諭碑 咸豊六年 / 54
崇コ橋 道光十六年 / 56
北白川宮征討紀念碑 明治廿九年 / 57
雄鎮蛮煙 同治六年 / 58
虎字碑 同治六年 / 59
北路開路紀念碑 同治十三年 / 60
〇この年、吉野利喜馬が「北白川宮御征台始末」を刊行する。出版社/吉野利喜馬  pid/1906414
近衞師團旅順口乘船臺灣に向ふ / 3
澳底(おうてい)御上陸より基隆占領まで / 5
基隆及ひ臺北の情況 / 21

基隆御出發より臺北御入城まで / 26
臺北附近の掃蕩 / 31
殿下の御日常 / 37

臺北御出發より苗栗占領まで / 45
後□〔ホウロン〕御出發より彰化占領まで / 60
彰化御出發より嘉義占領まで / 75
嘉義御出發より臺南御入城=御薨去ま


1924 13
1925 14 12月、枠本乙吉編「近衛師団南国征討史」が「台北活版社」から再版される。 初版:同年11月
pid/988321
閲覧可能
発端
台湾の授受
近衛師団戦闘詳報
基隆攻撃
台北府の占領
宿営の諭告
兵站線路援護隊
第二旅団上陸
山根混成枝隊
坊城大隊
各路輸送護衛小隊

内藤枝隊
比志島混成枝隊
第一期掃攘
軍隊区分
新竹県方向偵察報告
山根枝隊
内藤枝隊
松原枝隊
第二期掃攘
内藤枝隊
山根枝隊
師団新竹に向ふ
尖筆山攻撃前記
尖筆山の攻撃
苗栗附近の偵察
苗栗附近の攻撃
苗栗の攻撃
山根枝隊大甲に向ふ
左縦隊頭家□〔とうかせき〕附近の激戦

彰化攻撃前記
彰化の攻撃
勅語、令旨
渋谷騎兵捜索隊及千田援護隊
彰化の滞陣
師団の南進
嘉義総攻撃
右側枝隊及前衛の南進と軍隊区分
南進軍行軍計画表
樺山総督の祭文
高島南進軍司令官の祭文
第二師国枋寮上陸 佳冬
  →(茄苳脚)の戦況 台南入城
嗚呼我近衛師団長能久親王薨矣
勅語
凱旋

1926 大正15 1月、「実業 8(1)」が「実業社」から刊行される。 pid/1541052
年頭の辭
臺灣文化政策と自治的發達 / 後藤新平
政治經濟と道コ觀念 / 澁澤榮一

景氣恢復の曙光 / 春名高義
税制改革に就きて / 矢野恒太
氣候的天惠に富める臺灣 / 田健治カ
赤化即排日 / 菊池武コ
大奮起せよ内地人 / 古賀三千人
内地人の悲鳴は自業自得 / 枝コ二
對外政策及殖民政策より見た臺灣 / 富地近思
不合理なる官封を撤廢す可し / 高島鈴三カ
臺南の藥店三幅對
臺灣發展に伴ふ内地人の現状 / 櫻井貞次カ
臺灣は經濟發展の一路へ / 邨松一造
臺灣の運輸機關及港灣設備を
   →改善すべし / 三卷俊夫
臺灣産業研究
産業の主位を占むる臺灣の農業
驚異に價する糖業の發達
勃興の機運にある臺灣の工業
健實なる發展をなしつゝある臺灣の鑛業状態 )
臺灣の水産状態
樹種豐富なる臺灣林業の近況
本年の流行裝身具
蕉實直移出問題顛末 / 大坪與一
臺灣名士訪問録 / 鐵尾生
アンドリウス商會表彰式
ヂヤンケンポン――日本とアメリカと
   →猶太 / 酒井勝軍
米作法は改良出來ぬか / 加藤三カ
新年御歌御題と國民の覺悟 / 加藤万作
財界易斷大正十五年大觀 / K田至誠堂
やあとこせの伊勢 / 赤堀又次カ
人物と事業
口繪
10月、菅原佐賀衛が「日清戦争小史」を「偕行社」から刊行する。 pid/942028 閲覧可能
第一章 開戰の原因
第一節 戰爭前日C韓三國の關係
第二聖 日C兩國の韓國出兵
第三節 成歡附近の陸戰
第四節 豊島附近の海戰
第二章 開戰及韓國よりC軍の掃蕩
第一節 我國の宣戰及各國の態度
第二聖 日C兩國の作戰計畫
第三節 第五師團首力並第三師團
   →一部の出征
第四節 第五師團の平壤に向ふ前進
第五節 平壤の戰鬪
第六節 黄海の海戰
第七節 第一軍の鴨麹]に向ふ前進
第三章 東部遼東半島の平定
第一節 鴨麹]の戰鬪
第二節 賽馬集方面の掃蕩及岫巖の占領
第四章 旅順半島の平定
第一節 旅順の攻略其一
第二節 旅順の攻略其二
第三節 旅順の攻略其三
第四節 金州の防禦及旅順攻略後の状況
第五章 遼河平原の平定
第一節 海城の占領及缸瓦寨附近の戰鬪
第二節 草河口方面の掃蕩及鳳凰城の逆襲
第三節 第一軍司令部の岫巖前進及
   →第二軍一部の蓋平派遣
第四節 第三師團の海城防禦
第五節 遼河平原掃蕩計畫
第六節 第一師團の北進及大平山附近の戰鬪
第七節 鞍山站の占領及敵の第五回海城攻撃
第八節 牛莊及營口の占領
第九節 田庄臺の戰鬪
第六章 山東半島の攻略
第一節 我軍の上陸及日C兩國海軍の状況
第二節 威海衛南岸堡壘團の占領
第三節 北洋水師の殲滅及我軍の山東撤去
第七章 直隷進撃の準備及南方海面の領有
第一節 澎湖群島の占領
第二節 大本營一部の渡C及我全軍の
   →金州附近集中
第八章 媾和及凱旋
第一節 媾和談判其一
第二節 媾和談判其二
第三節 媾和談判其三
第四節 批准交換及三國干渉
第五節 出征軍の凱旋
第九章 臺灣の平定
第一節 近衞師團の上陸基隆及臺北の占領
第二節 新竹及彰化の占領
第三節 嘉義の占領及第二師團の上陸
第四節 臺南の占領
第五節 討伐軍の凱旋

1927 昭和2年 6月、「社會事業 11(3);六月號 社會事業協會」が刊行される。 pid/10341175
卷頭言/原泰一
論説
農村の社會生活と農村學校/田制佐重
ヘ育と自由の必要なる理由/小原國芳
研究
貧民法制の比較研究 (一)/海野幸コ
不良住宅地區改良法の要旨/藤野惠
失業問題の要約的研究 (完結)/淺野研眞
自由欄
勵みたるものは必ず之をとる
同胞融和運動に就て/名和淵海
吾が足跡を偲びて/山中兼太カ
第一線に立つ人々
乳幼兒愛護デーに際して/三好豊太カ
コドモ愛護宣傳/三田谷啓
施療機關の充實普及と實費診療の必要/紀本參次カ
斷想二片/猪俣喜藤
特別記事

「何が彼女をそうさせたか」を見て/高島巖
「何が彼女をそうさせたか」座談會記事/原泰一
   → 藤野惠 ; 川上喜一 ; 山崎巖 ; 高島巖
1928 3 2月、臺北沖縄縣人會編「牡丹社遭難民墓碑改修報告書」が刊行される。 所蔵:鹿児島大学 附属図書館
1929 4 3月、「事業之日本 8(3)」が「事業之日本社」から刊行される。 pid/1540957
臺灣産業開發促
殖民政策の變遷と臺灣の思出 / 後藤新平
臺灣博覽會創設に當りて / 入間川七五カ
まだ見ぬ臺灣の産業に就て / 松崎半三カ
國立公園候補地阿里山に登る
基隆と台北と高雄の状况
嘉南大〔土+川〕工事完成近づく――四千八百万圓の工費、
  
十五万甲の灌漑面積、期間十ケ年、今やその工成らんとす
寳の島臺灣産業の鳥瞰記
好望の臺灣パインアツプル鑵詰工業――鳳梨の小野農場と
  →高雄内外食品の工場を見る
臺灣に於ける思想問題
問題の臺灣電力會社の將來――臺灣産業開發の使命一に繋りて
  →日月潭水力の完成に在りを云ふ、今や新總督工事再開を目論む、
  →會社の前途や如伺、記者親く日月潭を踏査して、その規模の雄大を見、
  →而て十万キロ消化の無謀に非ざるを知る
臺灣の寶庫日月潭を見る――阿里山は山の美、
  
日月潭は水の美、前者はヒノキの名産地と共に又
  
國立公園候補地、後者は水力の寳庫
岐路に立てる台灣糖業の前途
台灣總督川村竹治氏を知る迄 / 秋田實
臺灣輸出茶のアメリカに於ける不當課税問題
  
 ―(本誌四月號掲載の豫定)
學窓を出づる年に――(就職不難の論) / 小竹即一
佛蘭西の國難突破に鑑み擧國一致難關を
  →突破せよ / 水野錬太カ
安田王國陣容變る――(森廣藏君の保善社入り) / 一記者
時計王服部金太カ氏はどう動く / 竹の里人
本山彦一氏の新聞經營振り / 白假面生
卒業生の捌け口
春來る郊外電鐵の名勝
何故に無關心なるかネツスル問題 / 一記者
〇この年、「澎湖事情」が「澎湖庁」から刊行される。  pid/1109819
一 土地氣象
(略)
二 戸口
戸數人口
人口密度
馬公市街
島外出稼者
三 行政機關
沿革
行政機關
四 財政
歳入
歳出
五 警察
民情
犯罪
保甲
六 衞生
一般ほ状態
醫療機關
一般傳染病
マラリア病

長壽者と盲目者
飮料水
馬公水道
七 社寺宗教
神社
宗教
八 教育
小學校
公學校

實業補習學校
幼稚園
改良書房
教育會
九 社會教育
青年會
國語普及
馬公海洋少年團
一〇 社會事業

澎湖普濟院
澎湖窮民籌濟會
臺灣社會事業協會澎湖廳支部
日本赤十字社澎湖廳委員部
愛國婦人會澎湖廳幹事部
一一 農業
地味
農業戸口
耕地
農業施設計畫
主要農産額
蔬菜
マスクメロン
一二 畜産
農家主要收入
養豚
養鶏
黄牛水牛
山羊
牛乳
家畜傳染病
一三 林業
領臺前後の状況
領臺後の造林指導
現今の状況
保安林
一般造林
耕地防風林

苗圃
名木由緒木
造林地
適樹
一四 水産
水産の寳庫
膨湖廳水産會
漁業組合
漁獲高
水産製造高
其の他
水産施設計畫
一五 工業
原料缺乏
落花生油製造
水産製造
一六 礦産
文石
〔石+老〕砧石
亞炭
一七 商業
商業
馬公
貿易
市場
一八 交通通信
道路
海上交通
通信
航路標識
一九 金融
銀行
産業組合
講會其の他
二〇 官公署會社
官公署
會社
二一 名勝舊蹟
媽宮城址
媽祖宮
施將軍廟
觀音亭

クールぺー中將碑
千人塚

澎湖社
文石畫院
紅木〔テイ〕城址
嘉蔭亭
萬歳井
萬軍井
田中井
松島艦遭難記念碑、松島記念館、公園
廣丙號遭難記念碑
第十六號水雷艇遭難記念碑
奈良丸遭難記念碑
海水浴場
萬人塚
上陸記念碑
通梁の榕樹
ボクハラ遭難記念碑
七美人墓
北島燈臺
漁翁島燈臺
西興落霞
二二 澎湖の歴史
(一) 澎湖の地名の由來
(二) 龍宮の傳説と澎湖
(三) 倭寇と澎湖
(四) 日本甲螺と澎湖
(五) 紅毛と澎湖
(六) 鄭氏時代の澎湖
(七) 清朝時代の澎湖
(八) 清佛戰役と膨湖
(九) 日清戰役と澎湖
附圖

1930 昭和5
1931 6 〇この年、陸軍中將兩角三郎が軍事討究会編「戦陣叢話 第6輯」に「明治二十七八年戰役近衞師團臺灣臺北城の攻撃」を発表する。
〇この年、「少年少女教育講談全集 4」が「講談社」から刊行される。  pid/1742387
<抜粋>
日C戰爭 高陞號撃沈
露國の野心
慈母の死
『東クを信ぜよ』
旅順口閉塞の壯擧
日本海大海戰
露國艦隊の行方
1932 7
1933 8 2月、秋笹正之輔が「日本資本主義発達史講座 ; 第2部 資本主義発達史 植民地政策史」を「岩波書店」から刊行する。pid/1439777 閲覧可能
一 日C戰爭以前 原始的蓄積期 に於ける植民地政策
二 臺灣に對する政策 12
三 朝鮮に對する政策 18
四 滿蒙に對する政策 30
〇この年、台北帝国大学理農学部農業経済学教室編「農林経済論考 第1輯」が「養賢堂」から刊行される。 pid/1717038
論考
一 農村社會學者としてのフレデリック・ルプレー…岡田謙
二 日本煙草史考…管菊太カ
三 熱帶栽植農業論…根岸勉治
四 臺灣バナナの經濟的研究…鹿討豐雄
五 臺灣蕃人の燒畑農業…奧田ケ 野村陽一カ 山内朔カ
六 臺灣に於ける農林業經營方式の新傾向に對する一考察…木繁
七 城隍爺の信仰に現はれたる臺灣島民の法律思想…搏c福太カ
八 Gehoferschaftの研究…奧田ケ 島内滿男
九 森林地租論…深谷留三
十 森林火災保險に於ける永久保險…八谷正義
資料
一 日本に於ける甘藷傳播に關する若干の資料…奧田ケ 松本光之
二 土地割替制度の特殊事例…奧田ケ 島内滿男
三 臺灣に於ける舊慣の賣買契約…李添春
四 〔ク〕瑪蘭に於ける熟蕃の移動と漢族の植民…根岸勉治
1934 9 軍医としての鴎外先生  山田弘倫 著 医海時報社 1934/pid/1209912
<抜粋>
臺灣軍々醫部長 / 64
醫務局第一課長事務取扱 / 96
近衞師團軍醫部長 / 97
陸軍々醫監第十二師團軍醫部長 / 97
研究會の講評 / 105
野菜の馬食 / 109
ベルツの觀た年森 / 110
傅染病?究所移管問題 / 383
1935 昭和10 2月、岩手県教育会盛岡市部会編「郷土資料 : 修身科補充教材」が「岩手県教育会盛岡市部会修身研究部」から刊行される。 pid/1275500 閲覧可能
第一篇 個人編
一 規律
入間野チヨ(孝行、忍耐)
二 勇氣
雷久保ラク(勤勉、職業、公益、産業を起せ)
菅野藤吉カ(沈勇、臆病であるな)
栃内泰吉(責任)
玉山六兵衛(責任)
(略)
5月、東洋文化協會編纂 「開國文化八十年史」が「東洋文化協會」から刊行される。
<抜粋>
東北地方御巡幸 四七
御巡幸当時の供奉人名表、利根川鯉漁天覧図、函館港煙火天覧
   →上高野村御通輦、東北御巡幸当時御乖用の御馬車。
(略)
日清戦役、広島大本営御前会議 六五
大本営御前会議図。
平壌の戦、玄武門 六六
平壌の戦、玄武門平壌朱雀門外小丘上の敵保畳より
   →平壌南部を望む堡畳、玄武門。
第一軍及び第二軍司令部 六七
第一軍及び第二軍司令部、第一軍司令部幹部第一軍司令官山県有明、
   →第二軍司令官大山大将以下将校及び相当官。

偉勲の三景艦 六八
松島、厳島、橋立。
軍艦赤城の苦戦 六九
赤城艦長坂本八郎太、大同江に凱旋せる赤城、血染の海図。
春帆楼に於ける日清媾和談判 七〇
全権陸奥宗光、清国全権李鴻章、全権李経芳筆蹟、春帆楼玄関、
   →春帆楼上の会議室、媾和談判図。
北白川宮殿下の御征台 七一
北白川能久親王殿下、御幕営中の宮殿下瘴癘の気を冐して御進軍
8月、唐沢信夫が「台湾島民に訴ふ」を「新高新報社」から刊行する。
pid/1272927 閲覧可能
辯論
民衆政治の爲めに
危險思想とは何ぞや
吾等何を求むるか
臺灣議會を評す
弱者の味方
無軌道時代
地方自治と不景氣對策
正に更始一新の秋
新聞人の使命
千仭の功を一簣に缺く勿れ
臺北高校盟休事件の批判
減俸事件側面觀
南總督に希望す
時事偶感
總督任期制と留任運動
市民大會批判
建國の大精神に歸れ
地方自治制批判
御建替は××祓ひから
自由人の立場から
臺灣統治の三角關係
主張
總督政治の危機
臺灣を愚弄する勿れ
不自由極まる自由人倶樂部
僞電怪文書亂舞時代
總督任期制と異動阻止運動
新聞許可主義を撤廢せよ
國防の充實か外交の工作か
去勢された帝都の言論界を評す
怪蘭船事件旁聽記
林陸相の軍隊式人事
批判
州市協議會員の選任振
裏の裏を見よ
色揚した府評議會
武官總督説側面觀
日支衝突事件の批判
地方制度改正案の檢討
フアツシヨの沒落
生氣を失つた臺灣官場
官僚王國更生策問答
電燈値下運動批判
日月潭請負問題八面觀

昭和六年朝鮮に於ける
  →地方選擧の實情を語る

隨筆
地方長官氣質
感服しない官服
民勅罵倒論
内地人に苦言
J・F・A・K
舊廳舍の獨語
機密漏洩問答
阿房塔下怪聞録
短評
更正の日本に檄す
自問自答
始政紀念日考
昭和維新は迫る
鶏鳴曉を報ず
鳩に豆鐵砲
光輝ある年日本
官界游泳術
官吏身分保障令
農村問題側面觀
勅任官とメクラバン
〇この年、松本正純が「台湾征討史」を「台湾懇話会」から刊行する。 pid/1233336
發端
臺灣島の授受
三貂角上陸
瑞芳の戰
基隆攻撃
臺北府の占領
新竹偵察隊(佐々木中尉之を率ゆ)
坂井新竹枝隊
臺北新竹間連絡枝隊
   →(澁谷騎兵中佐之を率ゆ)
兵站線路掩護隊(三木少佐之を率ゆ)
第二旅團上陸
山根混成枝隊
坊城大隊
水路輸送護衛小隊
内藤枝隊
第一期掃攘
山根枝隊
内藤枝隊
松原枝隊
第二期掃攘
内藤枝隊
山根枝隊
師團新竹に向ふ
尖筆山攻撃前記
尖筆山攻撃
苗栗附近の偵察
苗栗附近の攻撃
苗栗の攻撃
山根枝隊大甲に向ふ
左縱隊頭家□〔とうかせき〕
  →附近の激戰
彰化攻撃前記
彰化の攻撃
澁谷騎兵搜索隊及千田掩護隊
彰化の滯陣
師團の南進
五日(十月)
六日(十月)
七日(十月)
八日(十月)
九日(十月)
右側枝隊前衛の南進 附 臺灣戡定
臺南の天長節
臺南の招魂祭
嗚呼我近衞師團長能久親王薨矣

1936 11 12月、「史蹟調査報告 第1輯 北白川宮能久親王御遺跡」が「台湾総督府内務局」から刊行される。 pid/1071656 閲覧可能
北白川宮能久親王御進軍行程一覽表
御遺跡
臺北州
一、 澳底(おうてい)御上陸地
二、 頂雙溪御舍營所
三、 三貂嶺之嶮
四、 瑞芳御舍營所址
五、 圓窓嶺司令所
六、 基隆舊海關御舍營所
七、 水返脚御舍營所
八、 臺北御駐營之址
新竹州
九、 桃仔園御休憩所址
一〇、 桃仔園御舍營所址
一一、 中□〔ちゅうれき〕御舍營所
一二、 新竹御舍營所址
一三、 牛埔山御露營地
一四、 尖筆山司令所
一五、 中港御舍營所
一六、 後□〔ホウロン〕御舍營所
一七、 苗栗司令所
一八、 通霄御舍營所址
臺中州
一九、 大甲御舍營所
二〇、 牛罵頭御舍營所
二一、 大肚御舍營所
二二、 大肚御露營地
二三、 大肚御遺跡戰線御視察之所
二四、 八卦山司令所
二五、 彰化御駐營之址
二六、 □港西〔ナンガンシー〕御舍營所
二七、 北斗御舍營所址
臺南州
二八、 □桐巷(ツートン/しどうきょう)
   →御舍營所址
二九、 三疊溪御舍營所
三〇、 □仔頭〔〕司令所

三一、 嘉義御舍營所址
三二、 安溪□〔あんけいりょう〕御舍營所
三三、 果毅後御舍營所址
三四、 灣裡御舍營所
三五、 大目降御舍營所
三六、 臺南安海街御舍營所址
三七、 御終焉之地
北白川宮能久親王御進軍行程一覽圖
圖版
第一 近衞師團の底上陸
第二 澳底御上陸地附近
第三 澳底御露營
第四 澳底御上陸御露營記念碑
第五 頂雙溪御舍營所
第六 御遺跡三貂嶺之嶮
第七 瑞芳御舍營記念碑
第八 圓窓嶺司令所記念碑
第九 基隆舊海關御舍營
第一〇 基隆御舍營記念碑
第一一 水返脚御舍營所
第一二 臺北城北門
第一三 臺北御駐營所舊布政使衙門
  →(大正六年北白川宮成久王竝同妃兩殿下
  →同所に設置せられたる陸軍部へ御成)
第一四 同所内御使用の一棟
第一五 臺北御駐營の際御使用の寢臺
第一六 臺北御駐營記念碑
第一七 桃仔園御休憩所址
第一八 中□〔ちゅうれき〕御舍營所仁海宮
第一九 中□〔ちゅうれき〕御舍營記念碑
第二〇 新竹御舍營所潜園爽吟閣
第二一 牛埔山御露營記念碑
第二二 牛埔山御露營地御成(大正十五年
  →北白川宮大妃殿下同地再度の御成)
第二三 同上(大正六年北白川宮成久王竝
  →同妃兩殿下御手植)
第二四 尖筆山
第二五 中港御舍營所
第二六 同所にて御使用の寢臺
第二七 
後□〔ホウロン〕御舍營所
第二八 苗栗司令所記念碑
第二九 通霄御舍營記念碑
第三〇 大甲御舍營所文昌廟
第三一 大甲御舍營記念碑
第三二 同記念碑除幕式
第三三 牛罵頭御舍營所
第三四 同所にて御使用の寢臺
第三五 大肚御舍營所□溪書院
第三六 大肚御露營記念碑
第三七 大肚溪畔戰線御視察之所
第三八 同地御進軍記念碑
第三九 八卦山司令所記念碑
第四〇 彰化城東門
第四一 彰化御駐營所舊臺灣府衙門の一部
第四二 彰化御駐營中御使用の寢臺
第四三 □港西〔ナンガンシー〕御舍營所
第四四 同所にて御使用の寢臺卓子
第四五 □港西〔ナンガンシー〕御舍營記念碑
第四六 濁水溪御徒渉之址
第四七 □桐巷(ツートン/しどうきょう)
  →御舍營記念碑
第四八 三疊溪御舍營所
第四九 □仔頭司令所
第五〇 嘉義御舍營記念碑
第五一 安溪□〔あんけいりょう〕御舍營所
第五二 果毅後御舍營所址
第五三 灣裡御舍營所
第五四 灣裡臺南間御使用の擔架
第五五 大目降御舍營所
第五六 同所にて御使用の寢臺
第五七 臺南安海街御舍營所址
第五八 同所現状
第五九 御終焉御遺跡(臺南神社境内)
第六〇 御遺跡所(臺南神社境内)御成(大正
  →六年北白宮成久王竝同妃兩殿下御成)
第六一 同上(大正十五年北白川宮大妃殿下
  →再度の御成)
第六二 能久親王御使用の品々


〇この年、西郷都督樺山総督記念事業出版委員会編「西郷都督と樺山総督」が刊行される。 pid/1219753
一 明治七年征蕃の役 / 1
二 西ク從道小傳 / 29
三 樺山資紀小傳 / 59
四 我が父を語る / 77
五 西ク都督と樺山總督の記念事業實行經過 / 87
資料篇
一 臺灣信報 / 1
二 處蕃提要(抄) / 49
三 樺山資紀臺灣記事 / 139
四 大久保利通日記(抄) / 369
五 處蕃趣旨書 / 373
六 大倉男囘顧談 / 415
七 征蕃役關係文獻目録 / 423
八 征蕃役戰病死者名簿 / 433
1937 12 〇この年、台湾教育会編北白川宮能久親王御事蹟」が「台湾教育会」から刊行される。
 pid/1228366

御系譜
御履歴
御年譜
第一編 御事蹟
一 御幼時
二 輪王寺宮御附弟
三 王政復古と戊辰の役
四 孛國御留學
五 御軍職時代
六 C國御出征
七 臺灣守備
八 澳底(おうてい)御上陸
九 基隆御攻略
一〇 臺北御駐營
一一 新竹地方御平定)
一二 中港より大甲へ
一三 彰化御占領
一四 彰化御滯陣
一五 御南進
一六 嘉義御占領
一七 御病中の御進軍
一八 臺南御入城
一九 御薨去
二〇 國葬
二一 後記
二二 臺灣神社と臺南神社
北白川宮能久親王御進軍
  →行程一覽表
北白川宮能久親王御進軍
  →行程一覽圖
第二編 御遺蹟
一 澳底(おうてい)御上陸地
二 頂雙溪御舍營所
三 三貂嶺之嶮
四 瑞芳御舍營所址
五 圓窓嶺司令所
六 基隆舊兵營御舍營所址
七 基隆舊海關御舍營所
八 水返脚御舍營所
九 臺北御駐營之址
一〇 桃仔園御休憩所址
一一 桃仔園御舍營所址
一二 中□〔ちゅうれき〕
  →御舍營所
一三 新竹御舍營所址
一四 牛埔山御露營地
一五 尖筆山司令所
一六 中港御舍營所
一七 後□〔ホウロン〕
  →御舍營所
一八 苗栗司令所
一九 通霄御舍營所址
二〇 大甲御舍營所
二一 牛罵頭御舍營所
二二 大肚御舍營所
二三 大肚御露營地
二四 大肚御遺跡戰線御視察之所
二五 八卦山司令所
二六 彰化御駐營之址
二七 鹿港御遺跡所
二八 □港西〔ナンガンシー〕
   →御舍營所
二九 北斗御舍營所址
三〇 □桐巷(ツートン/しどうきょう)
   →御舍營所址
三一 三疊溪御舍營所
三二 □仔頭司令所
三三 嘉義御舍營所址
三四 安溪□〔あんけいりょう〕御舍營所
三五 果毅後御會營所址
三六 灣裡御舍營所
三七 大目降御舍營所
三八 臺南安海街御舍營所址
三九 御終焉之地
第三編 資料
征臺役に於ける近衞師團の
  →行動と北白川宮殿下の御遺跡に
  →就いて 陸軍歩兵少佐 門脇幹衞
追懷記 北白川宮家令 恩地轍
出征中に於ける殿下の御逸事
  → 北白川宮家從 山本喜勢治
故北白川宮殿下征臺略記
  →近衞師團參謀 河村秀一
竹園遺話 西村時彦

故能久親王殿下御容體書 (官報)
御病中の師團長宮殿下
 →近衞師團軍醫部長 木村逹
御葬儀 (官報)
御葬儀の御模樣 (日本)
能久親王を臺灣に
  →奉祀する議 西村時彦
臺灣神社の御鎭座
  →臺灣神社宮司 山口透
能久親王を奉祀せる神社
  → (臺灣總督府文ヘ局)
御銅像の建設と御事蹟の
  →編纂 陸軍歩兵中佐 落合偉平
靖臺當時の實況 近衞歩
  →第一聯隊從軍者 澤熊海三
篇外雜纂
口繪寫眞解説
資料解説
御事蹟御遺跡の訛傳
御事蹟參考書解題
戰史參考書解題
跋に代へて

1938 13 〇この年、宿利重一が「児玉源太郎」を「対胸舎」から刊行する。  pid/1239291

年譜
兒玉家々譜
母元子と嶋田蕃根
その環境を見よ
遠祖には兒玉黨
櫻尾ノ局ありて
天は試煉を降す
兒玉次カ彦忠炳
『日本野史』の奪還
義兄の椏ゥ法は
好漢兇刄に仆る
女丈夫に辟易す
再度の悲運辛し
嶋田蕃根翁とは
廢藩置縣の先驅
國寶は抑止さる
典型の師弟交遊
新陸軍の再建へ
天授の名將とは
大阪の兵學寮へ
大村益次カ永敏
悲喜交々抵りて
山田顯義の風鑑
妻子は大阪表へ
火藥庫を死守す
兒玉・川上の駢進
メツケル少佐と(1)
メツケル少佐と(2)
メツケル少佐と(3)
メツケル少佐と(4)
小坂千尋を配す
試煉?危機來
果斷の陸軍次官
後藤新平を拔く
臺灣總督
「新領土估るべし」
問題の民政長官(1)
問題の民政長官(2)

罷免者千八十人
福建省割讓せず
厦門事件の片鱗
米田侍從の差遣
祝と中村ありて
糖業ヱピソード
財政終に獨立す
經綸家の要諦へ
人心の機微にも
「萬里鎭南呼快哉」
政治家として
桂太カの夢枕へ
兼任の陸軍大臣
時代の具象化か
寺内正毅の登場
伊藤侯に萬聲す
焦眉の行政整理
内務大臣として
文部大臣も兼ぬ
待望の「兒玉内閣」
滿洲軍總參謀長
緊迫の對露交渉
英米の財界へも
田村怡與造逝く
問題の參謀次長
作戰計畫の徹底
絶好のバッテリー
劫久に不如人和
旅順攻圍督戰行
總參謀長の辭表
二〇三高地論爭
第二旅順督戰行(1)
第二旅順督戰行(2)
奉天會戰に捷つ
「點火して消防へ」
參謀總長―終焉
困惑の滿鐵經營
ハリマンの斷念
滿洲經營委員會(1)
滿洲經營委員會(2)
總理大臣滿洲行
戰後の軍備問題
奇才永遠に眠る



1939 14
1940 昭和15 7月、「日本と世界 (165)」が「文明協会」から刊行される。  pid/1578421
臺灣の近情 / 小林躋造 / p1〜29
座談記事
事變下の臺灣島民 / 文明協會 / p32〜46
蘭印の資源と軍備に就いて / 大宅由耿
日本工業の西洋への挑戰 / アーネスト・O・ハウサー
大隈會長の名古屋岐阜高知巡り / 戸田石山
本會記事

〇この年、仲小路彰が世界興廃大戦史 第25巻」を「戦争文化研究所」から刊行する。 pid/1022520
第十六篇 決定的勝利 / 271
第一章 澎湖島遠征準備 / 273
第二章 澎湖島砲撃 / 276
第三章 直隷平原決戰計畫 / 280
第四章 戰爭の損傷 / 285
第十七篇 東亞新體制の確立 / 287
第一章 和平工作 / 289
第二章 日清兩國間の休戰定約 / 293
第三章 媾和成立 / 395
第四章 日清兩國間の媾和條約 / 396
第五章 三國干渉 / 306
第六章 凱旋 / 310
1941 16 〇この年、鹿野忠雄が「人類學雜誌 56(10) p.522-528」に「臺灣原住民族に於ける數種栽培植物と臺灣島民族史との關聯」を発表する。
〇この年、信夫清三郎が「後藤新平 : 科学的政治家の生涯」を「博文館」から刊行する。 pid/1877317
序篇 政治と科學
第一篇 醫政家としての後藤新平
第一章 衞生行政の開拓
第一節 醫家となるまで
第二節 衞生行政への寄與
第三節 相馬事件
第二章 社會政策の先驅的提唱
序節 社會改造の理念としての社會政策への邁進
第一節 著書『國家衞生原理』および
   
『衞生制度論』にあらはれた後藤新平の國家觀
第二節 社會政策の内容と實踐
第二篇 新統治領行政家としての後藤新平
第一章 臺灣民政長官としての臺灣經營 / 101
第一節 領臺直後の臺灣放棄論と後藤新平の批判 / 101
第二節 臺灣の近代化 / 106
第三節 臺灣統治の根本原則 / 122

第四節 後藤新平の臺灣經營の歴史的意義
第二章 南進論にもとづく大陸政策の實踐
第一節 南方政策の契機としての臺灣の地位
第二節 南方政策の基調としてのアジア文明の開發論
第三節 對岸經營と厦門事件の顛末
第四節 三州田起義と孫文援助
第五節 中國社會の特質の理解にもとづいた「地方紳士」との提携
第三章 日露戰爭と後藤新平の國際政策
第一節 日露戰爭を有利に展開すべき干渉招致論
第二節 「無形の大所得」を論じて
   →日露戰爭の大義を高唱した媾和論
第四章 滿鐵總裁としての滿洲經營
第一節 滿洲經營の歴史的意義と滿鐵の使命
第二節 滿洲經營の根本原則としての文裝的武備
第三節 滿洲經營における政治と科學との結合
第四節 大陸政策確立の方途
第三篇 國際外交家としての後藤新平
第一章 大陸政策の根本義(巖島夜話)
第一節 大陸政策の指導原理としての大亞細亞主義論
第二節 大亞細亞主義論の基調としての新舊大陸對峙論
第二章 新舊大陸對峙論にもとづく對露政策の實踐
第一節 帝政ロシアとの國交調整
第二節 帝政ロシアの没落とシベリア出兵
第三節 ソヴェト・ロシアとの國交恢復
第三章 國際政策確立のための大調査機關設置論
第一節 大戰後の新情勢に對應するための國策確立の要望
第二節 科學的・綜合的な大調査機關の設計
第四篇 國民的指導者としての後藤新平
第一章 政治の指導
第一節 科學的政治の實現
第二節 官僚主義の批判
第二章 民衆の指導
第一節 政黨の批判と普通選擧論
第二節 自治的精神による少年團の指導
第三節 政治の倫理化と國民の指導
終篇 近代日本史における後藤新平の地位
〔附緑〕
職業衞生法…後藤新平 / 365
年譜
索引
11月、鷲巣敦哉が「台湾保甲皇民化読本」を「臺灣警察協會/東都書籍株式會社臺北支店 (発売)」から刊行する。 pid/1916580
第一部 臺灣の歴史を語る
一 C朝時代の臺灣
臺灣は昔西洋人活動の地 C朝の支配は僅かに二百餘年
濱田彌兵衞の舊鬪 臺灣に於ける日本人
今は開山神社の祭神 鄭成功の臺灣經略一斑
C朝始めて臺灣を占領 明治七年日本軍の臺灣討伐
五年小反十年大亂の臺灣 情けない支那の派遣官吏
二 臺灣の領有と平定
朝鮮は日本の生命線 日C開戰と臺灣の領有
あわてた船中での臺灣引渡し 本島人はかくして日本國民となつた
澳底上陸より基隆占領まで 北白川宮殿下の御困難
騷々しかつた臺北城内 一視同仁の施政開始
臺南で威張つてゐた劉永福 近衞師團南部征伐の苦心
三 土匪の跋扈と其の平定
行政事務開始の苦心 正月元旦から土匪の騷ぎ
容易でなかつた土匪の掃蕩 土匪はC國腐敗政治の産物
兒玉總督の土匪掃蕩策 本心を知らない土匪の搨キ
最後まで殘つた林少猫 かくて全島の土匪を一掃
四 北白川宮能久親王殿下と本島人
第二部 保甲壯丁團の話
一 保甲はいかにして生れたか
土匪の擡頭と雲林の大匪擾 古莊内務部長善後策に奔走
始めて嘉義地方に自衞組合を設く 本島老人の進言に基く
名のみあつて實なし 振はなかつた昔の保甲
内務部長各縣に創設を奬勵 保甲編成の標準と監督法を定む
保良局と臺北地方の保甲 中々組織の進まなかつた地方の状況
壯丁團あつての自衞保甲 壯丁團はこうして設けられた
保甲制度の強化=條令の發布 兒玉總督土匪對策の一方法
保甲局存廢のいきさつ 保甲書記が認められるまで
全島の保甲全く統一せらる 保甲條例施行細則標準の發布
くわしく定めた保甲規約 時勢の進歩にいくらかの變更
保甲と役場との摩擦を避けよ 助長行政を助くるに至つた事情
二 保甲壯丁團の功績
土匪騷ぎと保甲壯丁團 大きな官威のうしろだて
流言と煽動に乘せられて なげかはしい壯丁反抗事件
本島民情のひどい變化 思想善導に力のなかつた保甲
惡風の改善と保甲 これからも努力を要す
本島統治の功績の半分 警察補助機關としての保甲の活動
ヘ育や産業や道路の方面にも 助長行政につくした大きい功績
一致團結銃後のつとめ 事變と保甲壯丁團の活動
三 保甲の種々の問題と強化
保甲を廢してよいか 笑ふべき保甲の廢止意見
保甲のよいところは連帶責任 連座處分は果して過酷か
いつも聞く保甲不振の非難 重大事件にこの感が多かつた
保甲刷新の根本の問題 幹部によい人を得ること
保甲壯丁團員の精神訓練 各地方のいろ[イロ]の施設
聯合保甲協會の成立を見るまで 全島統一すべきもの
一保甲は何百戸が適當か 保甲強化策の研究問題
尊い保甲壯丁團の使命を自覺せよ 本島人の微兵は先づ壯丁團員から
第三部 皇民化の話
一 日本の國體と臣民たる道
皇民化とはどんなことか 本島民情變遷の一斑
理想の日本臣民とは ヘ育勅語の御趣旨を守れ
大日本は神國なり 我肇國(建國)の精神
皇統連綿二千六百年 義は則ち君臣、情は則ち父子
先づ國恩を知れ 敬神と尊王は一つ心
盡忠報國の精神 忠孝も亦一つ心
二 一視同仁の臺灣統治
我が皇室と臺灣 限りない御仁慈
帝の位を纂奪する支那 外國殖民地統治の實状
今も尚臺灣が支那領であつたら ある朝鮮人の打あけた話
始政記念日は臺恥記念日か 裏も表もない我仁政の始まり
三 これまでの本島人の進歩
内地人と提携融和 陋風改善は其一歩
阿片吸咽の弊風 三大陋習の隨一
纏足の由來とその廢滅 衞生上、人道上極惡の風習
むさくるしい辮髮の風習 もとはC朝の暴政に原因した
臭かつた當時の状況 衞生忠想の進歩發達
起伏を免れなかつた 内地化運動の歴史
四 皇民化運動上大切なこと
自覺し自發的たれ 盲目的追從の弊
日本人になり切る心 支那民族意識を棄てよ
有産智識階級の活動 最も皇恩に感謝すべき人々
感激なくて皇民化なし 朝鮮の人々の比較一例
五 皇民化への實際問題
數多い皇民化策 萬能?功の方法はない
國民ヘ育は國家の大本 先づ義務ヘ育制の實施
國家觀念養成の急務 國旗尊重運動の精神
國防精神の涵養 『臺灣はお互の手で守れ』
敬神思想の啓發 皇室御敬神の御手本
國語を常用せよ 皇民化の第一階梯
本島人獨特の家族制度 皇民化は家庭生活の改善より
自他を禍する迷信 弊習改善の前途尚遼遠
支那式日常生活の蝉脱 皇民化を外形で計る
臺灣芝居と音樂の問題 情操ヘ育の一方策
内地式姓名の改正 日本皇民意識披露の好機
もつと日本人らしくなれ 最後の苦言

1942 17 7月、南崎雄七が「技術評論 19(8)(234) p32〜36日本技術協会」に「東亞共榮圈の傅染病に就いて」を発表する。 pid/1502944
9月、「日本医事新報 (1044)」が「日本医事新報社」から刊行される。 pid/3452446
特別課題 豫防接種問題の檢討 / 南崎雄七 ; 矢追秀武 ; 長塚高島 ; 平野憲正
     →小山武夫 ; 内田三千太カ ; 齋藤文雄 ; 安齋博 / p13〜25
ビタミン戰に備へよ / p31〜31
近畿版 / p36〜36
翼賛會大阪支部が主體で國保普及協力懇談會 / p36〜36
神戸に南方衞生懇話會設立 / p36〜36
大阪地方勤勞協議會の結核對策 / p36〜36
大阪の傳染病激減 / p36〜36
<抜粋>

9月、「台湾医学会雑誌 41(第4附録)」が「台湾医学会」から刊行される。 pid/1512935
   
 原著 /臺灣島民大腿骨ノ人類學的研究 / 黄文苑 p1〜126
10月、「臨床文化 11(11)」が「医薬聯合社」から刊行される。 pid/1497069
東亞共榮圈の傳染病(1) / 南崎雄七 / p27〜32 萩原朔太カ追想 / 坂本越カ / p44〜45
11月、「臨床文化 12(3)」が「医薬聯合社」から刊行される。 pid/1497070
東亞共榮圈の傳染病について(2) / 南崎雄七 / p1〜4 後藤新平の文化政策と臺灣醫界の瞥見 / 春山行夫 / p26〜38
11月、春山行夫が「臨床文化 12(3)p26〜38 医薬聯合社」に「後藤新平の文化政策と臺灣醫界の瞥見」を発表する。 pid/1497070
東亞共榮圈の傳染病について(2) / 南崎雄七
國民の健康は國家の富(第三回) / ボール・ド・クライフ ; 高崎正造
後藤新平の文化政策と臺灣醫界の瞥見 / /春山行夫
リルケの詩 / 石中象治
編輯室から

12月、南崎雄七が「臨床文化 12(5)p15〜17 医薬聯合社」に「東亞共榮圈の傳染病について(3)」を発表する。 pid/1497071
〇この年、台北高等商業学校南支南洋経済研究会編「南支南洋研究 第37号」が「南支南洋経済研究会」から刊行される。
泰国護謨事情
仏印護謨事情
泰国華僑の経済勢力の変遷
泰国華僑勢力の減退状況
律賓華僑史
泰国に於ける台湾本島人の活躍状況及び将来に就て
カラハ族
台湾島民信仰生活の囘顧
台湾の寺廟に就て
〇この年、春山行夫が「台湾風物誌」を「生活社 1942pid/1043943
熱帶
北方から南方へ
南方發展への發電所
美しき島
風物誌について
紀行文への訣別
自然と文化
基隆―臺北
基隆
公園都市
南方文化の前線
南十字星
靜かな朝
總督府の訪問
府廰
總督府の官制
情報部
文教局と國語の普及
初等教育
臺灣の「國語讀本」
舊慣調査
土地調査
舊慣と立法
祭祀公業
南方施設
熱帶産業調査會案
南方施設費の累進
南方總督論
總督政治の擴充
南方企畫院の必要
志願兵制度
總督府圖書館と文獻
地名
地方志
臺灣の歴史
『愛書』と臺灣書誌
後藤新平のイマジネーシヨン
博物館と南方研究資料
高砂時代
蕃語文書
濱田彌兵衞
スペインとオランダ時代
鄭成功
清朝時代
劉銘傳
領臺後
高砂族室
『科學の臺灣』
街上にて
煙草
臺灣の植物相(臺北帝大 1)
理農學部
鼠の研究
植物學と農學
〔セキ〕葉室
臺灣の植物相
熱帶農業の研究室(臺北帝大 2)
熱帶の土壤化學

成土母質と腐植
炭酸ガスとアンモニアガス
赭土地帶
臺大纖維委員會

熱帶の植物資源
エヂプト綿
シサル
栽植農業
農業試驗所
デリスと蓖麻
兒玉將軍と農業試驗所
害蟲と敵蟲
瓜實蠅

フトヲアゲハ
文政學部と大學圖書館(臺北帝大 3)
南方史學
臺灣史資料の蒐集
土俗研究室
大學圖書館
夜の繁華街
醫學部と臺灣南方協會(臺北帝大 4)
生體人類學
手掌理紋
醫學的動物學
毒蛇
航空と傳染病
熱帶生理學、生化學
皮膚の色素沈着
臺灣南方協會
石炭
林本源邸、植物園、大橋國民學校
新聞
林本源邸
植物園
臺大の豫科
臺灣の文學者
大橋國民學校

臺灣の地的環境(臺北帝大 5)
地質學教室
化石
第三紀層以後

山嶽
海岸
河川
リヒトホーフェン
東亞共榮圈の地質調査
貝類と有孔蟲類
段丘
臺灣の村落居住型
熱帶醫學研究所
マラリア
マラリアの原蟲學
アノフェレス
マラリアの防遏
細菌血清學科
蛇毒血清
熱帶地の衞生
氣候の影響
家屋
所長室訪問
島内一周
臺北
草山―北投―淡水
平鎭―新竹―臺中
埔里―嘉義
阿里山―臺南
高雄―鵞鑾鼻
東海岸

あとがき
凡例 / 419

〇この年南崎雄七が「医学と衛生 南方生活必携」を「教材社」から刊行する。 pid/1069769
保健風土編
馬來半島
地勢
氣候
植物
動物
人口
政治
産業
昭南島地方の衛生と疾病
蘭印と瓜哇
蘭印の氣候・人口・其他
蘭印の産物
蘭印の食物
瓜哇人の衛生
瓜哇の醫師
蘭印の醫療施設
藥劑
蘭印の疾病
泰國
氣候
住宅
衣服

食物
疾病
佛領印度支那
地勢
氣候
住民
疾病 /
比律賓
地勢
氣候
動物
民族
文化
衛生
熱帶衛生編
熱帶の氣候とその影響
熱帶に適しない體質
衣服の注意
蚊帳
ダツチワイフの利用
帽子
熱帶の食物
食物と健康
熱帶生活と酒精飮料
水に就ての心得
住宅の注意
睡眠と休養
感冐の豫防心得
胃腸疾患の豫防心得
手指の衛生的注意
跌足は禁物
神經衰弱の豫防
性病の豫防
皮膚病の注意
やもり
さそり
赤蟻
密蜂
豫防注射に就て
健康診斷
東亞共榮圈と言葉
熱帶疾病編
マラリヤ
ペスト(黒死病)
コレラ
膓チフス
パラチフス
肺炎
流行性腦脊髓膜炎
破傷風
痘瘡
テング熱
發疹チフス
黄熱
鸚鵡病
恙虫病
ワイル氏病
熱帶「フランベジア」
再歸熱
カラ・アザール
性病
軟性下疳
黴毒
第四性病
結核
癩病
十二指腸蟲病
蛔虫病
フイラリア症
日本住血吸虫病
皮膚病
脚氣
ペラグラ
熱帶性鵝口瘡
甲状腺腫
蛇蛟症
神經衰弱症
慢性麻藥中毒症
眼病
熱射病及び日射病

1943 18 1月、南崎雄七が「臨床文化 12(8) 医薬聯合社」に「東亞共榮圈の傳染病について(4)」を発表する。 pid/1497072
海軍軍醫道 / 田中肥後太カ / p1〜5
東亞共榮圈の傳染病について(4) / 南崎雄七 / p19〜23
メンデルのことども / 今井喜孝 / p24〜29
柿のうまい食ひ方 / 中野重治 / p35〜36
2月、南崎雄七が「臨床文化 12(12) p12〜14医薬聯合社」に「東亞共榮圈の傅染病について(5)」を発表する。 pid/1497073
    
九大温研見學記 / 市川爲雄 / p21〜25
2月、 南崎雄七が「東西医学 10(2)
p140〜149 東西医学社」に「東亞共榮圈の傳染と本邦波及對策」を発表する。 pid/1591791
3月、南崎雄七が「臨床文化 13(3) p13〜22 医薬聯合社」に「東亞共榮圈の傳染病について(6)」を発表する。  pid/1497074
    
私の病氣 / 野田宇太カ / p57〜59
南崎雄七著 「東亞共榮圈の傳染病について(1)〜(6)」の内訳
通番 雑誌巻号 発行年月 内容 pid
(1) 11(11) 1942-10 pid/1497069
(2) 12(3) 1942-11 pid/1497070
(3) 12(5) 1942-12 pid/1497071
(4) 12(8) 1943-01 pid/1497072
(5) 12(12) 1943-02 pid/1497073
(6) 13(3) 1943-03 pid/1497074
6月、山田弘倫が「軍医森鴎外」を「文松堂書店」から刊行する。pid/1069409 閲覧可能
軍醫生活の略歴
小池正直氏の推薦文
官費留學生
航西日記
獨逸留學中の動靜
歸朝第一聲
我國兵食の確定
蛙原(カイロツパラ)
戰時糧食區分意見
壁濕檢査
實習の妙手
菟逸會
鴎外邸玄關
日清戰役の先生
水筒の酒
三等軍醫の國手
民間醫師の奮起
臺灣軍軍醫部長
青年學生より見た森校長
老小使が消化力優秀
種本を持つて居らぬ
醫務局第一課長事務取扱
近衞師團軍醫部長
陸軍々醫監第十二師團軍醫部長
研究會の講評
野菜の馬食
ベルツの觀た青年、森
普通教育の軍人精神に及ぼす影響
小倉在住當時の手紙
北清事變一面の觀察
洋楽の盛衰を論ず
アルバトロス
銅像銘
本が眼前にちらつく
辛抱を強調

乃木將軍を批判
純眞と悲憤
一視平等
語學試驗
ペツテンコーフエルとコツホ
第二軍軍醫部長
小の虫を殺して大の虫を助ける
從卒の閣下觀
漢字音訓讀みの試驗
先生の活動
横川唐陽叱らる
同級生の月旦
博覽強記
先生一期の失態
衞生隊演習
研究會の計論
軍醫總監、醫務局長
犬の尻尾の挨拶
臨時脚氣病調査會
假名遣ひ
會長と餘技
視察出張
分團長に示す辭
森は仙人だからネ
チフス豫防接種
濟生會問題
校長室
圍碁の哲學
參禪二回の悟道
醫者と坊主との人事
傳染病研究所移管問題
擔いだり擔がれたり
名はなんでもよい
淡々たる情味


11月、北垣恭次郎が「大国史美談 巻7」を「実業之日本社」から刊行する。
pid/1041515
 閲覧可能
第六十七章 臺灣の征討
臺灣の形勢
近衞師團先づ臺灣に向かふ
樺山總督臺灣を受領
唐景ッの遁走と臺北の占領
南進軍の活動と劉永福の遁走
北白川宮能久親王の御薨去
臺灣神社
皇軍の凱旋
高島鞆之助
樺山資紀


1944 19
1945 昭和20
1946 21
1947 22
1948 23
1949 24 7月10日、旧陸軍中将根本博が通訳の吉村是二とともに台湾の基隆に到着する。
1950 昭和25 〇この年、井出季和太が「講和会議と台湾の帰趨」を「雨田書屋」から刊行される。pid/2994454
まえがき
第一章 日本領前後の臺灣史概觀
第一節 日本領前の臺灣
第一 蘭領時代附スペイン時代
第二 鄭氏時代
第三 清朝時代
第二節 日本領時代の臺灣
第一 日本の合法的領臺の經緯
一 講和條約の締結
二 臺灣施政大綱
三 臺灣受授顛末
四 中國側の反約策動
五 叛軍の平定
(一)臺灣民主國設立の陰謀
(二)全島の平定
第二 日本臺灣統治に對する外國人の認識
第三 日本臺灣統治の根本方針と
   →臺灣島人の政治運動
第二章 日本臺灣統治の實績
第一節 概説
第二節 各論
第一 戸口調査と人口の増加
第二 土地整理事業
第三 臺灣の風土と衞産施設
第四 惡習の矯正
一 阿片禁止政策の完成
二 纒足の矯正
第五 土匪討伐事業
第六 保甲制度の施行

第七 理番事業
第八 水利事業計畫
第九 電力事業計畫
第十 鐵道の敷設と築港計畫
一 鐵道の敷設
二 築港計畫
第十一 内臺財政の依存性
第十二 米糖産業の發逹
一 米産業の改良増殖
二 製糖業の發逹
第十三 貿易の振興
第十四 文化の向上
一 ヘ育
(一)學校
(二)社會ヘ育
二 基督ヘの傳道事業
第十五 南支南洋に對する施設
第十六 舊慣調査事業の實施
一 舊慣調査の事由
二 舊慣調査の制度
三 舊慣調査の成績
四 蕃族調査事業
「附録」臺灣慣習研究會の組織
第十七 産業調査會の開催
一 臺灣臨時産業調査會
二 臺灣熱帶産業調査會
三 臨時臺灣經濟審議會
第十八 結語
第三章 臺灣接收の經緯
第四章 蒋政權の臺灣管理
第一節 政局の變遷
第二節 産業經濟の頽廢
第五章 臺灣の歸趨と對日和會議
第一節 國共政權の臺灣に對する主張
第二節 臺灣島民の動向とその提案
第三節 對日講和會議と世界の平和

1951 26
1952 27 11月、旧串川村(現:相模原市緑区)青山神社境内に「殉国碑」が建立され「石井留吉」の名が刻まれる。
1953 28
1954 29
1955 昭和30 4月1日、串川村、中野町、鳥屋村、青野原村、青根村および三沢村の一部(大字三井)と合併して津久井町が発足する。
5月、「新聞月鑑
= News mirror 7(76)」が「新聞月鑑社」から刊行される。 pid/3556356
<抜粋>
周中共代表が台湾の緊張緩和策で声明 セイロン代表が台湾の信託統治を提唱 
    
政治委が植民地主義に反対決議 / 日経 ; 毎日 ; 読売 ; 朝日 / p28〜28
バンドン会議終る・最終コミユニケ発表さる 成果をあげたA・A会議(毎日社説) / 朝日 / p29〜29
会議の意義(解説)A・A会議の収穫(解説) / 毎日 / p29〜31
小児マヒを克服、ソーク・ワクチンの効果公表 各国続々と発注 厚生省が実験用に輸入許可 
    →フランスでも小児マヒ用ワクチンに成功 / 読売 ; 毎日 ; 日経 / p103〜103
小児マヒの絶滅へ・輝くソーク博士の業績(解説) / 星野 ; 森永 ; 東京 ; 毎日 / p104〜104
1956 31
1957 32
1958 33
1959 34 1月、 IMHが「世界週報 40(2)(1854) p64〜65 時事通信社」に「時論ダイジェスト――忘れられた台湾島民〈リポーター誌から〉」を発表する。 pid/2751386
1960 35
1961 36
1962 37 2月、「台湾青年 (15)」が「台湾独立建国聯盟日本本部」から刊行される。 pid/7886308
(英文省略)
社説 (1947年)二・二八を迎えて
特集 体験記 私の二・二八への覚書/李伯仁
特集 体験記 非憤の極み,八堵の大虐殺/一学生
特集 体験記 私は嘉義の戦闘に参加した/幸彦
特集 体験記 台北で見たこどもi/簡世民 /
特集 体験記 台南の二・二八と私/王育徳
特集 体験記 犠牲者十一氏の経歴
特集 体験記 「台盟」の骨を拾う/章漫亀
特集 体験記 二・二八前の小暴動
特集 体験記 二・二八,アメリカの報告--中国白書より
日華協力委員会と石井光次郎氏/ 表2
李氏、ケネディ長官に質問す
台湾、今日と明日 私立励行中学の惨殺事件から難民第二集団の末路を見る
台湾、今日と明日 励志社は「公娼舘」か?
台湾、今日と明日 米駐台人員、全面的交迭か?
台湾、今日と明日 許一君,その後
世界の中の台湾 一番重要なことは台湾島民の意思
世界の中の台湾 一年四ヵ月ぶりの台湾
世界の中の台湾 台湾の漫画界
世界の中の台湾 日の当たらぬスポーツ界
世界の中の台湾 政治的リアリズムと二つの中国=
矢内原忠氏を偲ぶ
学会彙報
読者の便り

1963 38
1964 39 〇この年、日本近代史研究会編「図説国民の歴史 : 近代日本の百年 第7 (道は六百八十里)」が「国文社」から刊行される。  pid/3042479
開く政党と官僚の大舞台
帝国議会の開会式挙行/明治天皇の臨席のもとに
第一回帝国議会/冒頭より波乱ふくみ
自由党土佐派の寝返えり
「忠良」の議員を選びなおせ/選挙大干渉
大日本帝国議会 / 口絵
一世を風靡したオッペケペー節
権利幸福きらいな人に自由湯をば飲ましたい
日本アルピニズムの黎明期/近代登山史を拓いた人々
千山万嶽の崩れたる如く/磐梯山の噴火・濃尾大地震・三陸津波
東京の空の下/ニコライ堂の鐘が鳴る
外人画家の目にうつった日本風俗/The Japan Echo≠謔
大隈重信襲わる/条約改正失敗
ロシア皇太子の遭難/大津事件
アジア遠大の策のために/大陸浪人と中国調査
大陸に戦う日に備えて/陸海軍特別大演習
郡司大尉・福島中佐の冒険旅行
日英改正条約の調印/ロシアをけん制するために
広がりゆく鉄道網/東海道線と東北線の全通
郵便事業の発達
産業革命/軍事工業と紡績業を中心に
日蔭の街/資本主義の恥部
勝利の美酒を酌みながら/第四回内国勧業博覧会
なんじ臣民よく忠によく孝に/教育勅語の発布
青年作家の群れ/新文学の創始者たち
翻訳探偵小説の流行
明治中期の美術界/岡倉天心と黒田清輝
ヨーロッパ音楽の流入/音楽取調掛から音楽学校へ
世紀末の思想と文化/象徴主義・耽美主義・実存主義・ナロードニキ
明治の青年の愛の手紙=^透谷をめぐって
明治政府末路の一戦/元勲総出の内閣
朝鮮の内政改革と単独干渉/日清戦争前夜
軍事行動を開始せよ/日清談判ついに破裂
日清戦争
陸に海に戦闘の火ぶたを切る
渡るにやすき安城の激戦
長門の浦を船出して/大本堂広島に進出
火筒のひびき遠ざかる/平壤の戦と黄海海戦
鴨緑江をこえて/旅順功略
北洋艦隊全滅す/威海衛占領
下関講和条約と三国干渉
戦勝の蔭に泣く/皇軍の凱旋
特別寄稿
人物研究(7) 中上川彦次郎 (栂井義雄)
上野動物園史のひとこま (林寿郎)
文明論から史論へ/佐野史学の伝統 (松島栄一)
第二インタナショナルの成立
三国同盟対二国同盟/激化するヨーロッパ列強の対抗
台湾島民独立≠フ悲願ならず/台湾武力接収 / p95
日本の策動に操られた大院君/朝鮮閔妃殺害事件 / p97

さくいん歴史地図 / 内外かわら版(7)
ひとくち人名辞典 / 年表
1965 昭和40 12月、「台湾青年 (61)」が「台湾独立建国聯盟日本本部」から刊行される。 pid/7886354
主張 新たなる段階
論説 難関目前にあり--台湾に目を向けよ / 黄有仁
論説 国共合作は誰のためか / K.K.
論説 台湾農業の集約的土地利用--経営規模の零細性と人口圧力の問題
論説 中華民国は生死の関頭に立つ / p表II
論説 台湾的公教人員待遇問題 / 張宏一
論説 第三者的観感与態度 / 鉄牛
論説 蒋政権の恐怖政治に抗議する / 伍東山
論説 ある台湾の中国人からの手紙
台湾,今日と明日 結局は台湾代表
台湾,今日と明日 招商局の赤字3000万ドル
世界の中の台湾 “島民自立待”ちか
世界の中の台湾 日本は台湾独立を援助せよ
世界の中の台湾 日本外務省の二つの見解
三面鏡
読者の便り / p表II
創作 脱出(最終回) / 孫明海
〇この年、国立国会図書館参考書誌部 編「桂太郎関係文書目録 (憲政資料目録 ; 第3)」が刊行される。
(附録)桂太郎略年譜
明治二七年 甲 午 四八歳
三月七日 上京(同一四 帰任)。
八月四日 第三師団に動員令。
九月一日 名古屋出発。同八日 宇品出帆。同一二日 仁川上陸。
  →一三日 京城到着。十月二三日 義州到着。同二六日 九連城占領。
一一月一三日 海城占領。
明治二八年 乙 未 四九歳
三月一日 甘泉堡占領。同四日 牛荘城占領。同九日 田庄台占領。
  →同一六日 第三師団を率いて缸瓦寨に移駐。四月一一日 金州に移駐。
  →六月二〇日 大連湾出発。同二三日 宇品に到着。同二五日 名古屋に凱旋。
八月二〇日 子爵。
九月一一日 日本赤十字病院に入院(一〇月中旬退院)。
明治二九年 丙 申 五〇歳
五月二六日 上京。
六月二日 台湾総督(同一三 台北赴任)
同二四日 澎湖島を経て厦門に到着
同二七日 長崎に到る。同三〇日 佐世保に到る。
七月二日 下関に到り、上旬上京。
一〇月一二日 台湾総督辞任。
同一四日 東京湾防禦総督。
明治三〇年 丁 酉 五一歳
一月五日 神奈川・静岡両県下の防衛視察に出張(同九帰京)。
三月五日 英照皇太后御大葬に供奉して京都に出張(同一〇帰京)。
同一六日 常総地方の防衛視察に出張(同二一 帰京)。
五月二四日 千葉地方衛防視察に出張(同二七 帰京)。
七月二〇日 由良及び下関砲台巡視(八・二 帰京)。
明治三一年 戊 戌 五二歳
一月二一日 陸軍大臣。

1966 41 5月24日、旧陸軍中将根本博が町田市能ケ谷の自宅で亡くなる。(享年74歳)
〇この年、国立国会図書館参考書誌部編陸奥宗光関係文書目録 (憲政資料目録 ; 第4) 」が刊行される。
一〇、 伊藤博文書翰
100 明治二八年三月三〇日 日清講和条約調印ノ件
101 明治二八年三月三一日 休戦ニツキ某代議士書面還附
102 明治二八年四月二日 別紙川上操六ノ電報 李鴻章ニ報知ノ必要有無問合セ
103 明治二八年四月二日 露国公使館武官ヲーガツク我国対露疎遠・英国接近ニ疑惑表明 自国兵力増強示唆 柴五郎 川上操六
104 明治二八年四月二日 休戦条約第三条 英訳文言疑義 柴五郎・末松謙澄・川上操六・デニソン・中田敬義
105 明治二八年四月四日 澎湖島ヨリ電報
106 明治二八年四月四日 澎湖島・ロンドンヨリノ電報
107 明治二八年四月五日 近衛・第四師団移動 大総督府出発報知 川上操六
108 明治二八年四月六日 李鴻章ヘ一応照会得策
109 明治二八年四月六日 清軍休戦不徹底 李鴻章詰責ノ必要
110 明治二八年四月六日 露京報告暫時秘密保持要請
111 明治二八年四月九日 講和談判 李経芳
112 明治二八年四月一六日 休戦条約案一読希望
113 明治二八年四月一六日 日清両国全権下関引払
114 明治二八年四月一九日 講和条約調印尽力感謝 発熱見舞
115 明治二八年四月二一日 政府対独態度ヲ駐独公使ニ返電 青木周蔵
116 明治二八年四月二五日 三国干渉 仏公使ト林董対談ノ意了承 露国ニ勧告再考要請ノ件
117 明治二八年五月二日 米国ヨリ電報到着 回電手配 林董
118 明治二八年五月三日 三国千渉対策 榎本武揚意見 政党仲間焦土論 ロンドンタイムス記事 加藤高明・山県有朋・末松謙澄
119 明治二八年五月三日 水野遵台湾派遣ニツキ無任所外交官ニ任命依頼 樺山資紀
120 明治二八年五月七日 露仏返答延引 講和条約批准故障出来不可測 西徳二郎
121 明治二八年五月八日 批准交換休戦延期ヲ各大臣ヘ通知依頼 黒田清隆
122 明治二八年五月二二日 内務大臣書翰ニ対シ前説主持
123 明治二八年六月一日 三国干渉要概 在外使臣ニ送附見合セ要請
124 明治二八(カ)年六月四日 板垣退助トノ面会 訛伝回避ノタメ見合セ提案
125 明治二八年六月一七日 松方正義挙動言議ニ対シ決断必要 山県有朋ニ内話依頼
126 明治二八年七月三一日 野村靖宛書中東坂一句意図問糺シ
127 明治二八年八月七日 日清戦役恩賞ノ件 山県有朋・西徳二郎
1967 42 〇この年、村上兵衛が「近衛聯隊旗」を「秋田書店」から刊行する。 pid/9545404
(略)
第三章 近衛師団の編成と日清戦争の前後
1 近衛師団編成さる / 90
2 明治二十年前後の九段界隈 / 92
3 明治二十年代の近衛聯隊の雰囲気 / 95
4 明治大地震 / 102
5 出発の軍隊 / 104
6 日清戦争の経過 / 108
7 近衛師団、転じて台湾にむかう / 112
8 台湾全島平定さる / 116
9 北清事変前後 / 119
(略)
1968 43
1969 44
1970 昭和45 1月、中島昭三が「国学院法学 7(3) p.206〜236」に「台湾出兵」を発表する。
 
1971 46
1972 47
1973 48 6月、瀬川善信が中央大学法学会編「法学新報 80(6) p.1〜42」に「台湾出兵(明治7年)問題」を発表する。
1974 49
1975 昭和50 4月5日、蒋介石が亡くなる。
1976 51 10月、岩本努が歴史教育者協議会編「歴史地理教育 (255) p38〜49歴史教育者協議会 」に「栃内泰吉の御真影殉職とその後(上)--三陸大海嘯八〇周年によせて」を発表する。 pid/7939428
11月、岩本努が歴史教育者協議会編「歴史地理教育 (256) p66〜76歴史教育者協議会 」に「栃内泰吉の御真影殉職とその後(下)--三陸大海嘯八〇周年によせて」を発表する。 pid/7939429
1977 52
1978 53 9月、栗原純が史学会編「史学雑誌 87(9) p.p1328〜1353」に「台湾事件(一八七一-一八七四年)--琉球政策の転機としての台湾出兵」を発表する。
1979 54
1980 昭和55
1981 56 1月、長谷川義記が「海外事情 = Journal of world affairs 29(1) p.p69〜80」に「近代日本の初期植民地政策事情--台湾協会史・覚書」を発表する。
1982 57
1983 58
1984 59
1985 昭和60 3月、今別府敏雄が雅粒社編「時の法令 3月23日(1243) p39〜41朝陽会」に「伝染病予防法(明治30年法律第36号),予防接種法(昭和23年法律第68号)--制定前夜」を発表する。 pid/2784834
9月、小林道彦が「史学研究会 (京都大学文学部内) 」に「<論説>後藤新平と植民地経営 : 日本植民政策の形成と国内政治」を発表する。
1986 61
1987 62 9月、河野弘善が「歴史と旅 14(14)(191) p92〜95 秋田書店」に「草創期の将星 大将 樺山資紀--日清戦争で胆勇を轟かす」を発表する。pid/7947370
1988 63
1989 64 9月、「歴史と旅 16(14)(227)臨時増刊号」が「秋田書店」から刊行される。 pid/10998586
日清・日露から太平洋戦争まで110の激戦を網羅!! 近代日本戦史総覧
巻頭史論 帝国陸海軍の創設 陸軍はフランス式、海軍はイギリス式と
   →決定した明治初年の軍制は政府の要請で来日したお雇い
   →外国人によって推進された!!/篠原宏
日清戦争/ /
豊島沖海戦―日清戦争の緒戦をかざった宣戦布告前の
   →海戦勝利/鎌田芳朗
平壤の戦い―清国軍、朝鮮から駆逐さる/鎌田芳朗
黄海海戦―鏡のごとき黄海に激突した連合艦隊と北洋艦隊/藤石金彌
旅順攻略作戦―市民をふくむ大虐殺を報道された要塞攻略戦/秦郁彦
海城攻防戦―両軍本隊対決、日清戦争最大の激戦/藤石金彌
威海衛の攻略―陸海軍共同戦線により北洋艦隊壊滅/藤石金彌
義和団事件―八カ国連合軍と義和団・中国軍の戦闘/春名徹

日露戦争/ /
旅順口閉塞作戦―米西戦争をモデルに
   →旅順艦隊封じこめ成功/鎌田芳朗
金州・南山の激戦―第二軍の遼東半島分断成功/安井久善
旅順要塞攻略戦―日露戦争における最大の激戦/安井久善
黄海海戦―旅順港を脱出したロシア艦隊と日本艦隊の海戦/多賀一史
蔚山沖の海戦―上村艦隊の攻勢にウラジオ艦隊は
   →事実上壊滅/多賀一史
遼陽大会戦―弓張嶺の大夜襲、太子河秘密渡河戦の
   →二大作戦敢行/江崎惇
沙河会戦―初めて攻勢に転じたロシア軍の攻撃企画挫折/齋藤五郎
黒溝台会戦―ロシア軍大攻勢の苦境を救った
   →日本軍騎兵の決死奮闘/齋藤五郎
奉天大会戦―日露戦争の陸戦中、最大規模、
   →最後の大勝利戦/森松俊夫
日本海海戦―皇国の興廃を賭けた日露戦争最大の海戦/宇都宮泰長
第一次世界大戦と大陸進出/ /
青島攻略作戦―日英の国益を賭けた戦い/平間洋一
地中海派遣艦隊の活躍―誇り高き第二特務艦隊/碇義朗
シベリア出兵―連合軍の要請による軍の派遣/杉之尾孝生
満州事変―関東軍の強硬策で全満州を軍事的に制圧/土門周平
第一次上海事変―国際的孤立化を深めた上海攻略/雨倉孝之
日中戦争/ /
盧溝橋事件―演習中の日本軍に飛来した銃弾/松崎昭一
チャハル作戦―関東軍の独善的行動/松崎昭一
第二次上海事変―慎重かつ大胆に戦線を拡大/木村久邇典
太原攻略作戦―頑強なる中国軍の抵抗/森松俊夫
南京攻略戦―激越・果断を極めた進軍/高橋文雄
台児荘の激戦―一〇倍の敵に向かって見事に勝利/杉田幸三
徐州会戦―戦線拡大を図った支那派遣軍/武岡淳彦
武漢攻略作戦―中国占領の作戦準備/森松俊夫
張鼓峰事件―朝鮮東北国境の威力偵察と専守防衛/三木秀雄
広東攻略作戦―補給ルートの遮断戦/森松俊夫
南寧作戦―仏印ルート遮断を企図/森松俊夫
ノモンハン事件―無謀に過ぎた関東軍の対ソ強行作戦/秦郁彦
長沙作戦〔第一次・第二次〕―呪われたか、作戦に齟齬/武岡淳彦
太平洋戦争/ /
真珠湾奇襲作戦―山本五十六の信念のハワイ作戦/木山玄
香港攻略戦―本格的な攻城戦/鰍沢伶平
比島攻略戦―マニラ進撃か、米比連合軍の撃滅か/鰍沢伶平
マレー沖海戦―世界戦史上初の航空機だけの攻撃/伊達久
シンガポール攻略戦―「イエスかノーか」
   →英国の軍事基地占領/御田重宝
ウェーキ島攻略―日米両軍の不沈空母@ェ奪戦/亀井宏
バリ島沖夜戦―日本軍輸送船団と連合軍の四次の夜戦/亀井宏
スラバヤ、バタビア沖海戦―ジャワ島攻略の支援戦/亀井宏
蘭印攻略作戦―上陸作戦を成功させた第一六軍の面目/半藤一利
ビルマ攻略作戦―米英の軍事物資輸送ルートを封鎖/桑田悦
インド洋作戦―南雲機動部隊のケタ外れの破壊力/吉田俊雄
珊瑚海海戦―世界最初の空母戦/中島親孝
特殊潜航艇のシドニー攻撃―戦果なき不毛の作戦/鰍沢伶平
ミッドウェー海戦―太平洋戦争の分水嶺/野村実
ニューギニア激戦―泥繩式の捨て身の攻撃で多大な犠牲/江崎誠致
第一次ソロモン海戦―夜戦で戦果をおさめたが/佐藤和正
第二次ソロモン海戦―米軍の戦略的勝利/佐藤和正
空母ワスプ撃沈―伊19潜に勝利の女神がほほえむ/多賀一史
ガダルカナル攻防戦―ガ島転じて餓島となった奪回作戦/近藤新治
第一次アキャブ作戦―英印軍と戦闘、ビルマ南部戦線/土門周平
サボ島沖海戦―海軍のお家芸夜戦≠ェ敗れる/野沢正
金剛・榛名のガ島砲撃―闇夜のつるべ撃ちで米軍に打撃/多賀一史
南太平洋海戦―空母同士の大激闘、米艦を撃沈/木俣滋郎
第三次ソロモン海戦―ガ島飛行場奪還ならず/佐藤和正
ルンガ沖夜戦―日本水雷戦隊の完勝/菊池正剛
ダンピールの悲劇―ラエ輸送船団の潰滅的打撃/野沢正
アッツ島沖海戦―好機に長蛇を逸す/菊池正剛
い号作戦―連合艦隊司令長官山本五十六の戦死/野沢正
アッツ島の玉砕―証言でつづる北方の島の玉砕戦/杉田幸三
クラ湾夜戦―増援部隊闇夜の海戦/吉田俊雄
コロンバンガラ島沖夜戦―「神通」壮絶なる撃沈/吉田俊雄
キスカ撤退作戦―濃霧が成功させた救出劇/吉田俊雄
ベラ湾夜戦―「東京急行」不意討ちさる/木俣滋郎
ブーゲンビル沖航空戦―戦果なしのむなしき空中戦/木俣滋郎
ベララベラ島沖夜戦―伊集院部隊、ベ島兵士救出/木俣滋郎
ろ号作戦―ソロモン海の海軍航空作戦/今村了介
タロキナ岬の攻防―撃つに弾なしの肉弾戦/細木重辰
マキン、タラワの玉砕―戦略上の要地を守る守備隊の悲劇/末國正雄
マーシャル玉砕―サンゴの島で守備隊全滅/末國正雄
トラック島失陥―日本艦隊の凋落/多賀一史
ウィンゲート旅団との戦い―インパールの前哨戦/細木重辰
インパール作戦―牟田口廉也軍司令官、
   →暴走のインド進攻作戦/高木俊朗
第二次アキャブ作戦―立体戦闘に敗れた攻略戦/土門周平
フーコン作戦―死の谷≠フ菊兵団/木山玄
ミイトキーナ死守戦―守備隊全滅を救った水上少将の自決/三木秀雄
大陸打通作戦―支那派遣軍の乾坤一擲の一大作戦/藤田豊
アイタペの戦い―ニューギニア戦線第一八軍、悲壮な奮闘/桑田悦
サイパン攻防戦―日本守備隊バンザイ突撃の玉砕戦/檜山良昭
マリアナ沖海戦―「あ」号作戦の成算と大誤算/菊池正剛
グアム、テニアンの戦い―守備隊の玉砕総攻撃/菊池正剛
拉孟・騰越と「断」作戦―インパール作戦失敗の犠牲/細木重辰
モロタイ島のゲリラ戦―第二遊撃隊の密林戦/細木重辰
ペリリュー島の戦い―徹底抗戦、英雄たちの島/阿部牧郎
台湾沖航空戦―幻の大戦果/藤石金彌
レイテ島の攻
防戦―惨敗に終った大東亜戦争の天王山/長嶺秀雄
レイテ島沖海戦―無惨に終わった捷一号作戦/今村了介
本土防空戦―日本全土を焼土と化した米機の猛爆/生田惇
礼号作戦―ミンドロ島の米軍基地サンホセに突入/野村実
イラワジの会戦―インパール敗北で北ビルマ戦線苦境へ/磯部卓男
ルソン島の戦い―圧倒的な米大軍に持久戦を挑む飢餓軍団/前原透
北号作戦―三五〇〇浬の内地への物資輸送作戦/木山玄
硫黄島玉砕―栗林中将死守の地下要塞も空し/井門寛
明号作戦―仏印各地に駐留するフランス軍を追放/木山玄
「丹」作戦―四次にわたる米基地奇襲作戦の挫折/野沢正
老河口作戦―支那派遣軍の航空基地覆滅作戦/森松俊夫
〔し〕江作戦―飛行場奪取作戦に中国軍猛反撃/森松俊夫
「大和」特攻―海の藻屑と消えた連合艦隊最後の栄光/市来俊男
ビルマの失陥―インパール惨敗に次ぐラングーン陥落/磯部卓男
沖繩作戦―物量を誇る米大軍の上陸に日本軍壊滅/佐藤和正
プーケット島死守―東南アジアで最後の輝かしい戦果/磯部卓男
広島・長崎へ原爆投下―日本を終戦に
   →追い詰めた二発の原爆/御田重宝
関東軍の対ソ戦―日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍/中山隆志
樺太の対ソ戦―終戦を迎えるもソ連軍は停戦せず/中山隆志
北千島の対ソ戦―八月十五日のソ連軍進攻作戦/中山隆志
コラム/ /
死んでもラッパを/齋藤五郎
勇敢なる水兵/齋藤五郎
杉野はいずこ/宇都宮泰長
遼陽城頭で戦死/宇都宮泰長
軍事探偵の死/宇都宮泰長
対露諜報に暗躍/宇都宮泰長
爆弾三勇士/雨倉孝之
勇敢な戦車隊長/井門寛
若き空のエース/井門寛
九軍神の誕生/木俣滋郎
空の神兵パレンバンに降下/木俣滋郎
隼戦闘機隊長の戦死/生田惇
駆逐艦「夕立」艦長の勇戦/多賀一史
神風特別攻撃隊/今村了介
硫黄島に散ったバロン/今村了介
司令官の訣別電/宇都宮泰長
八月十五日の突入/宇都宮泰長
表紙/空母赤城を発進した零戦による真珠湾の奇襲/画・中川恵司
口絵/ガダルカナル ラバウル ニューギニア南太平洋の
   →戦跡を往く/撮影・渡辺良正
グラビア/日清・日露から太平洋戦争まで陸海軍かく戦えり
編集後記/太田正浩 ; 市川多美子 ; 菊池雅人 ; 大徳忠志 ; 工藤寛正 ;
   → 星野昌三 ; 鈴木亨

1990 平成2年 10月、河野弘善が「歴史と旅 17(16)(247)  p62〜65秋田書店」に「草創期の将星 大将 樺山資紀--日清戦争で胆勇を轟かす」を発表する。pid/7947424  ※ 昭和62年9且に同タイトルの論文あり
1991 3
1992 4 〇この年、山岸高旺が「台湾産浮遊性藻類」を「内田老鶴圃」から刊行する。 所蔵:宮城県図書館 三重県立図書館
1993 平成5 7月、岩本由輝が學燈社編「國文學 : 解釈と教材の研究 38(8) p.p46〜54」に「植民地政策と柳田国男--朝鮮・台湾 (柳田国男--その根源と可能性を求めて<特集> ; 初期柳田国男の揺らぎ--民俗学成立前夜)」を発表する。
8月、鄭春河が「嗚呼大東亞戰爭 : 教育勅語と台湾島民」を刊行する。 
   
増版文責: 鈴木仁   大東亜戦争関係略年表: p29-41
12月、菅野正が「奈良大学史学会(11)
p50〜71」に「論考 1990年春、後藤新平長官の福建訪問について」を発表する。 pid/4422755
〇この年、国立国会図書館専門資料部編憲政資料目録 ; 第17 斎藤実関係文書目録 書類の部 1 (海軍・朝鮮総督時代)」が刊行される。
  
五四、 意見書類/44 台湾及澎湖島の防備に関する方針の要領 墨書 海軍罫紙 一綴
1994 6 12月、福生市史編さん委員会編「福生市史 下巻」が刊行され、「第三章 戦争と村の人々・第一節 ある兵士の日清戦争体験」の項に、町田政吉の手記を掲載する。 
1995 7
1996 8 1月、松本謙堂編「高島将軍台湾策一班 : 付・台湾事情」が「文進堂」から刊行される。
pid/783472 閲覧可能
緒言
台湾の特別施政
鴉片煙の禁如何
施政第一務
台湾土民の貧富附たり義倉の事
土民の勇猛生蕃の虚俗
附録
台湾事業談
  →(水野台湾民政局長の談話)
台湾の通貨
台湾征討費
蛮族に対する戦器
台湾土人の種類
澎湖島の二難
九州台湾間の灯台新設地
台湾の砿泉
台湾の客家
台湾に於ける颶風
台湾鳳山の村名
台湾の樟脳
台湾に於ける教育上の方針
台湾の日本語学校
台湾海底電線の起点
台湾兵営の建築
台湾の銀貨
台湾の電線
台湾島民の嗜好する玩弄品
台湾民政の方針
台湾の死亡者
台湾の沙金採収規則
台湾の行政組織
台湾の俄地主
台湾兵器修理所設置
台湾の地図
台湾の茶園及栽培の実況
台湾製茶の実況
台湾の蔬菜
台湾の製造工業
烏竜茶の起源
烏竜茶摘葉後の順序手続
台湾の製糖業
台湾暴徒の檄文
劉永福降を乞ふ書
劉永福の相貌
台湾に於ける立法及び行政制度
日西境界
基隆の景況

台湾の経緯度
台湾の人口
割譲地の大小比較
台湾の山岳
台湾島より各地に至る距離
台湾の歴史年代
最近五ヶ年間台湾樟脳の
   →輸出額
台湾関税収入額
台湾貿易額
台湾の輸出入額
台湾の暑熱
台湾樟脳の価格
台湾重要農産物の月令
台湾医師及薬剤師の俸給
台北県三市街人口の増減
台湾土人語
3月、柏木一朗が法政大学史学会編「法政史学 (通号 48) p.120〜140」に「日清戦争後に於ける台湾の治安問題--雲林虐殺事件を中心に」を発表する。 法政大学学術機関リポジトリ
8月、「週刊読売 = The Yomiuri weekly 55(34/35)(2511) p188 読売新聞社」に「O157今ごろノコノコ出てきた明治30年制定の「伝染病予防法」が掲載される。 pid/1814677
8月、後藤乾一が歴史学会編「史潮
= The Journal of history (通号 39) p.18〜30」に「近代日本の南進--台湾・南洋諸島・東南アジアの比較考察 (特集・戦後50年--日清戦争100年から日本とアジアを考える) 」を発表する。
8月、柴田廉が「台湾島民の民族心理学的研究」を「南天書局 」から刊行する。
     晃文舘(1923.8増補再版)の複製. 原書名「台湾同化政策」の記述があるが標題紙・奥付の記述は「臺灣同化策論」
1997 9 〇この年、呉〔ゲツ〕瑜が「博士論文 日本の台湾統治時期における地方行政 : 1895-1915年の戸口・治安・衛生を中心として」を発表する。 pid/3128585
はしがき
第一章 行政機構の成立
第一節 中央行政機構の設置
1、台湾総督府官制
2、六三法問題
第二節 地方行政機構の設置
1、地方行政機関の変遷
2、下級行政機関の設置
小結
第二章 地方行政と戸口調査
第一節 台湾住民の国籍処分
1、台湾及澎湖列島
   →住民退去条規の公布
2、外国人の取扱い
3、清国人台湾上陸条例の制定
第二節 臨時戸口調査の施行
1、台湾住民戸籍調査規則
2、臨時戸口調査の施行
第三節 戸口調査と戸籍
1、戸籍制度の未確立
2、共通法の発布
小結
第三章 地方行政と治安維持
第一節 警察行政の確立
1、三段警備制度
2、支庁制度の変遷
3、保甲制度の利用
第二節 抵抗運動の鎮圧
1、台湾民主国の樹立
2、「土匪招降策」
小結
第四章 地方行政と衛生管理

第一節 伝染病の予防
1、後藤新平の衛生制度論
2、衛生制度の成立
3、伝染病の予防
第二節 上下水道の建設と市区改正
1、公共衛生費の成立
2、上下水道の建設と市区改正
第三節 阿片制度
1、台湾阿片問題
2、台湾阿片令
3、阿片事務の取締
4、阿片犯罪
小結
結び

1998 平成10 7月、竹田美文が「日本公衛誌 第45巻第7号」に「伝染病予防法見直しの視点」を発表する。
10月2日、感染症法が制定される。
〇この年、崔錫栄が「博士論文 植民地朝鮮における宗教政策と巫俗研究」を発表する。
序章 / p5
第1節 問題の設定 / p5
第2節 研究の視角 / p6
第3節 論文の構成 / p8
第1章 日本の朝鮮植民地統治の方針と
   →旧慣調査:巫俗調査の「前史」として / p11
第1節 問題の所在 / p11 (0013.jp2)
第2節 日本の植民地統治の前例:台湾 / p12
第3節 朝鮮植民地における「緊急勅令」発布の背景 / p16
1.朝鮮統治案の事前発布 / p16
2.事後承諾の論争と「変種法律案」 / p17
第4節 統監府及び1910年代の朝鮮総督府による「舊慣調査」
1.統監府による旧慣調査 / p19
2.1910年代における朝鮮総督府の旧慣調査 / p23
第5節 巫俗打破の展開 / p26
第6節 小括 / p30
第2章 「教派神道」の朝鮮布教と巫組織 / p40
第1節 問題の所在 / p40
第2節 「教派神道」の朝鮮布教 / p41
1.「教派神道」の台頭 / p41
2.「教派神道」の朝鮮布教 / p42
第3節 神道系宗教団体と朝鮮巫とのかかわり / p51
1.「崇神人組合」の悪弊 / p52
2.新しい巫覡統制団体の登場 / p53
第4節 小括
第3章 1920年代における植民地政策の転換と旧慣調査
第1節 問題の所在
第2節 3・1独立運動の対策論議 / p65
1.「朝鮮事變に關する質問注意書」の朝鮮統治論 / p65
2.「長谷川總督の事務引繼意見書」の対策 / p67
第3節 「内地延長主義」の登場 / p70
1.「豪灣問題二案」 / p70

2.「朝鮮統治私見(上下)」 / p72
第4節 旧慣調査の転機 / p73
1.朝鮮語の奨励 / p73
2.調査機構の整備 / p74
3.1920年代における旧慣調査の実施 / p75
第5節 小括 / p76
第4章 1920年代における「巫覡論」と植民地政策 / p81
第1節 問題の所在 / p81
第2節 鳥居龍蔵の巫覡論 / p8
1.「日鮮同源」的構想 / p82
2.最初の提起:朝鮮の「固有信仰」への位置づけ / p83
第3節 崔南善の「巫俗論」 / p86
第4節 村山智順の巫覡論 / p100
1.植民地行政における嘱託の位置 / p100
2.巫覡調査の方法 / p102
3.巫覡論と植民地政策とのかかわり / p103
第5節 小括 / p106
第5章 1930年代における「心田開發」政策と巫俗 / p114
第1節 本章の目的 / p114
第2節 「心田開發」政策の背景 / p114
第3節 「心田開發」の提唱と巫俗 / p119
第4節 1930年代の「心田開發」と神社政策の強化 / p127
1.「心田開發」としての神社政策 / p127
2.神社政策の推進 / p129
第5節 小括 / p132
終章 / p138
第1節 結論 / p138
第2節 今後の課題 / p143
[補論]植民地期以前における朝鮮巫俗の存在様態 / p144
第1節 問題の所在 / p144
1.本章の目的 / p144
2.先行研究の検討 / p144
第2節 三國時代における巫,日者,日官の役割の変化 / p145
第3節 高麗時代における巫と日官との葛藤 / p150
第4節 結論 / p158
参考文献 / p167
1999 11 3月、東京大学文書館編東京大学史紀要 = Journal of the history of the University of Tokyo (17)」が刊行される。 pid/4421059
東京帝国大学の台湾に於ける学術調査と台湾総督府の植民地政策について / 呉文星 / p1〜9
帝国大学体制形成期における学位制度の成立に関する考察 / 中野実 / p11〜25
資料 昭和20年9月27日第一軍需工廠配属東京帝国大学文学部勤労報国隊報告書 / 菱刈隆永 / p27〜63
(略)
4月、感染症法が施行されたことに伴い、102年間続いた「伝染病予防法」が廃止される。
8月、温井寛が「大阪経済法科大学アジアフォーラム (通号 19) p.16〜22」に「日本植民地時代の台湾を訪ねる--比較植民地政策論・序説」を発表する。 
9月、編集部が「拓殖大学百年史研究 3
p.101-102」に「<資料>台湾総督府民政長官後藤新平君の台湾協会学校での初の演説」を発表する。
2000 12 4月、高野静子が「環 : 歴史・環境・文明 : 学芸総合誌 : 季刊 : history, environment, civilization : a quarterly journal on learning and the arts for global readership (通号 1) p.342〜358」に「連載・徳富蘇峰宛書簡(1)後藤新平(1)【日清戦争後から台湾赴任まで 1895.12.24〜1898.7.9】」を発表する。
7月、高野静子が「環 : 歴史・環境・文明 : 学芸総合誌 : 季刊
: history, environment, civilization : a quarterly journal on learning and the arts for global readership (通号 2) p.356〜371」に「連載・徳富蘇峰宛書簡( 2)後藤新平(2)【台湾民政局長時代 1899.6.24〜1905.12.18】」を発表する。 
7月、味方村(新潟県)誌編纂委員会編「味方村誌 通史編」が刊行される。
第四章 戦争と農村
第一節 明治時代 327
1 徴兵制度 327
2 徴兵検査 328
3 郷土部隊 329
4 日清戦争と台湾出兵 331
5 日露戦争 332
第二節 大正から昭和へ 336
1 第一次世界大戦 336
2 シベリア出兵と尼港事件 337
3 張作霖爆殺 338
第三節 関東軍の暴走に始まった十五年戦争 340
1 満州事変 340
2 満州国建国国際連盟脱退 341
3 満蒙開拓移民団・青少年義勇軍 342
4 盧溝橋に響く一発の銃声 344

5 張鼓峰事件 348
6 ハルハ河畔に敗れた関東軍 349
7 衣の袖を血に染めて 350
8 米英に宣戦布告 351

12月、上枝村(高山市)史編纂委員会編 「上枝村史」が刊行される。 
八) 日清・日露の戦役 419
・日清戦争 419
・旌忠碑 419
・日清戦争余話 421
(1) 台湾守備 421
(2) 草鞋で戦う 421
(3) 馬の調査 422
(4) 軍資献金 422
2001 13
2002 14 3月、浜郁子が「沖縄文化研究 28 p.351-382」に「「琉球教育」と台湾における植民地教育 : 日清戦争前後の学務官僚児玉喜八の動向を中心に 」を発表する。 
2003 平成15 3月、本川根町史編さん委員会編「本川根町史 通史編 3」が刊行される。
第二編 明治後期の本川根
第一章 東川根・上川根両村の発足と日清・日露戦争 107
第一章 第一節 町村制の施行 107
第一章 第一節 市制・町村制の施行
第一章 第一節 東川根・上川根両村の成立
第一章 第一節 村会と選挙
第一章 第一節 東川根・上川根両村の財政
第一章 第二節 日清・日露戦争期と村の政治 115
第一章 第二節 朝鮮への進出
第一章 第二節 日清戦争開戦
第一章 第二節 戦場の兵士たち
第一章 第二節 日清戦争勝利に湧く村
第一章 第二節 戦争を支える村
第一章 第二節 戦争の終結から日露戦争へ
第一章 第二節 日露戦争開戦

第一章 第二節 日露戦争への従軍
第一章 第二節 日露戦争下の村
第一章 第二節 日露戦後経営と村財政
3月、佐野幸夫が「アジアレポート 37(341) p.29〜34」に「特集 "日台の絆"を示すモニュメント 西郷廳憲徳政碑--「西郷菊次郎と台湾」から」を発表する。
3月31日、曽山毅が「
博士論文 日本植民地下の台湾における近代ツーリズムの形成」を発表する。
6月、北村嘉恵が「北海道大学大学院教育学研究科紀要 90 p25-42」に「台湾植民地戦争下における先住民「教化」策 : 1895-1900年代初頭宜蘭庁の事例を中心に」を発表する。
8月、劉還月, 陳阿昭, 陳靜芳 文,劉還月攝影「台灣島民的生命禮俗」が「常民文化事業(台北)」から刊行される。  
シリーズ名 :(閲覽台灣 ; 74. 人文記 ; 2)
12月、尾崎庸介が大阪学院大学国際学学会編 「大阪学院大学国際学論集
= International studies 14(2) (通号 28) p.155〜173」に「日清戦争期にみる領土割譲問題と日英関係--台湾領有問題をめぐって」を発表する。
〇この年、曽山毅が「植民地台湾と近代ツーリズム」を「青弓社」から刊行する。
第1章 統治基盤の確立と近代ツーリズム
   
 1・3 台湾の軍事制圧と「台湾民主国」の崩壊
第2章 植民地鉄道と近代ツーリズム
第3章 旅客輸送機関としての台湾植民地鉄道
第4章 旅客輸送機関の変遷とツーリズム
第5章 植民地台湾の旅行目的地
第6章 山岳地域におけるツーリズム空間の形成
第7章 ツーリズムにおける“台湾”と“日本”
終章

     注 博士論文『日本植民地下の台湾における近代ツーリズムの形成』 (立教大学 2003年提出) に加筆・修正を加えたもの
2004 16 2月、河添恵子が「台湾新潮流 : ナショナリズムの現状と行方」を「双風舎」から刊行する。
はじめに 3
序 民主化と外交新時代 15
序 ◆無血革命 16
序 ◆李登輝総統の誕生 17
序 ◆「中華民国=台湾」への道 20
ChapterI 覇権との闘い 25
ChapterI 複雑な歴史 26
ChapterI ◆台湾全土に流れた玉音放送 26
ChapterI ◆「前近代的」国家の人たち 30
ChapterI ◆天国から地獄へ 31
ChapterI ◆二・二八事件の傷跡 33
ChapterI ◆中華民国政府、台湾へ 37
ChapterI ◆台湾の地位未定論と中華民国の孤立化 40
ChapterI ◆美麗島事件 42
ChapterI 日本統治下の台湾 許文竜(奇美実業董事長) 45
ChapterI ◆許文竜が語る日本統治時代 45
ChapterI ◆日本人の無血入城、台湾人の抵抗 48
ChapterI ◆日本の植民地政策は投資経営型 50
ChapterI ◆後藤新平の仕事【1】台湾調査 51
ChapterI ◆後藤新平の仕事【2】衛生・医療対策 52
ChapterI ◆後藤新平の仕事【3】治安統治 54
ChapterI ◆八田与一と烏山頭ダム 55
ChapterI ◆日本人の先生たち 57
ChapterI ◆統治時代、日本が残したもの 58
ChapterI 中国国民党による拉致 許昭栄
   →(全国元国府軍台籍老兵及び遺族協会創会理事長) 61
3月、台湾史研究部会編「社研叢書 ; 15 日本統治下台湾の支配と展開」が「中京大学社会科学研究所」から刊行される。
台湾統治と法 台湾統治基本法と外地統治機構の形成 / 檜山幸夫 著
日本植民地時代台湾における戸籍制度の成立 / 栗原純 著
台湾の統治と経営 明治三〇年前後における
   →台湾の郵便事業と治安問題 / 柏木一朗 著
台湾における軍事的統合の諸前提 / 本康宏史 著
台湾初期統治期の鉄道政策と私鉄鉄道 / 鈴木敏弘 著
台湾社会と日本 札幌農学校と台湾近代農学の展開 / 呉文星 著
台湾の花蓮における日拠時期遺跡について / 潘継道 著 臼井進 訳
4月、林玉茹, 李毓中 著・森田明 監訳「台湾史研究入門」が「汲古書院」から刊行される。
前言
(略)
第1章 4. 社会文化 16
第2章 史前と早期歴史の回顧 23
1. 史前史の回顧 23
2. 早期台湾史研究の回顧 27
2. (1) 通論 31
2. (2) オランダ・スペイン時期の台湾史研究 32
2. (2) 1). 植民地統治のメカニズム 32
2. (2) 2). 植民地統治下の原住民 35
2. (2) 3). 漢人の移民 38
2. (2) 4). 経済活動と発展 39
2. (2) 5). 〔ビン〕南海商勢力 42
2. (3) 明鄭時期の台湾史研究 43
2. (3) 1). 政治と軍事 43
2. (3) 2). 経済政策と発展 48
2. (3) 3). 社会文化と人物 51
第3章 清代台湾史研究の回顧 56
1. 政治 56
1. (1) 政策 57
1. (1) 1). 治台政策 57
1. (1) 2). 対外関係 64
1. (1) 3). 理番政策 69
1. (2) 制度 73
1. (2) 1). 官制と行政組織 73
1. (2) 2). 軍隊と防務 79
1. (3) 社会の動乱 84
1. (3) 1). 民変 84
1. (3) 2). 分類械闘 88
1. (3) 3). 番乱 90
2. 経済 91
2. (1) 経済政策と制度 91
2. (2) 産業発展 93
2. (3) 商業貿易と交通 95
2. (3) 1). 商業組織 95
2. (3) 2). 貿易 98
2. (3) 3). 港湾研究 101
2. (4) 土地拓墾と地域開発 107
2. (4) 1). 土地拓墾の組織 107
2. (4) 2). 地域開発 112
2. (4) 3). 水利 117
2. (5) 災害と環境史 119
3. 社会文化 120
3. (1) 文化・教育と科学技術 121
3. (2) 社会組織と社会変遷 125
3. (3) 宗族、家族及び女性史研究 131
3. (4) 族群研究 136
3. (4) 1). 漢人研究 136
3. (4) 2). 族群関係 141
3. (4) 3). 平埔族研究 142
3. (5) 宗教信仰と社会 150
3. (6) 疾病史研究 151
3. (7) 人物 152

第4章 植民地時代台湾史研究の回顧 154
1. 政治制度 154
1. (1) 植民地統治制度 154
1. (1) 1). 植民地体制と政策 155
1. (1) 2). 南進政策 163
1. (1) 3). 植民地法制 166
1. (1) 4). 理番政策 168
1. (2) 台湾の割譲と武装抗日 170
1. (2) 1). 日清戦争と台湾の割譲 170
1. (2) 2). 武装抗日 171
1. (3) 政治・社会運動 176
1. (3) 1). 政治運動 176
1. (3) 2). 農民運動 181
2. 経済 183
2. (1) 経済政策と制度 184
2. (2) 産業と資本 190
2. (3) 貿易と交通 195
3. 社会文化 199
3. (1) 教育 199
3. (2) 社会と生活 203
3. (2) 1). 生活改革と変遷 204
3. (2) 2). 社会組織 209
3. (2) 3). 家族、女性及び人口 214
3. (2) 4). 医療衛生 221
第5章 戦後台湾史の回顧 223
(略)
監訳者あとがき 301
〇この年、大日方純夫, 山田朗編「講座戦争と現代 ; 3 近代日本の戦争をどう見るか」が「大月書店」から刊行される。
はしがき
総論 近代日本の戦争と国民統合 大日方純夫
はじめに 13
一 世紀転換期の戦争認識 15
一 1 政治問題として「戦争」 15
一 2 国民意識における「戦争」 18
一 3 歴史教育のなかの「戦争」 22
一 4 近代日本の戦争-研究の現状 30
二 近代の戦争をどう見るか 35
二 1 戦争の連鎖-二つの対外戦争と二つの植民地 35
二 2 未発の転換-第一次世界大戦"体験" 39
二 3 十五年戦争の時代-メディアの威力 43
三 戦争国家の編成-国民の軍事的組織化 57
三 1 徴兵・入営・在郷のシステム 57
三 2 青年訓練所-徴兵予備軍の造出 60
三 3 女性と軍隊・戦争 62
三 4 戦争と家族-出征・戦死と遺家族 65
四 教育による軍事統合・戦争動員 67
四 1 検証-教科書のなかの戦争 67
四 2 検証-地域のなかの戦争と教育 75
おわりに 86
第一章 近代東アジアの国際秩序と帝国日本の形成 小林啓治
第一章 はじめに 93
第一章 一 朝鮮の自主・独立と近代日本 94
第一章 二 日清戦争と近代帝国の誕生 99
第一章 三 膨張のための膨張-同盟、戦争、失われた歯止め 106
第一章 四 変容する国際社会、立ち遅れる日本 119
第一章 おわりに 129
第2章 十五年戦争と日本の国家・国民 岡部牧夫
第2章 はじめに-十五年戦争の経過 135
第2章 一 満州事変のもたらしたもの 139
第2章 一 1 謀略の国策化 140
第2章 一 2 多元的政治機構の問題性 144
第2章 一 3 国際協調の放棄 146
第2章 二 侵略の拡大 149
第2章 二 1 満州国の育成 149
第2章 二 2 華北進出工作 152
第2章 三 十五年戦争の国家イデオロギー 155
第2章 三 1 「東亜新秩序」 155
第2章 三 2 「大東亜共栄圏」 158
第2章 おわりに 163

第3章 植民地支配と戦争体制 橋谷弘
第3章 一 近代日本の戦争と植民地支配 167
第3章 一 1 アジア太平洋戦争と植民地支配 167
第3章 一 2 近代日本の戦争と植民地の拡大 168
第3章 二 アジア太平洋戦争と植民地工業化 171
第3章 二 1 台湾の植民地支配と工業化 171
第3章 二 2 朝鮮の植民地支配と工業化 172
第3章 二 3 植民地工業化の背景 173

第3章 二 4 植民地工業化と大戦後のアジア 174
第3章 二 5 植民地支配の負の遺産 176
第3章 三 アジア太平洋戦争と植民地からの人的動員 179
第3章 三 1 軍隊への動員-志願兵制度・徴兵制度 179
第3章 三 2 朝鮮・中国からの労働力の強制連行 182
第3章 三 3 「大東亜共栄圏」支配と台湾人・朝鮮人 184
第3章 四 動員のためのイデオロギー 186
第3章 四 1 皇民化政策の展開 186
第3章 四 2 同化主義的な植民地政策 190
第3章 四 3 植民地との「同質性」と葛藤 193
第3章 四 4 「同質性」の意味するもの 194
第4章 日本経済と戦争-満州事変期を中心として 柳沢遊
第4章 はじめに 199
第4章 一 一九二〇年代の経済・社会 202
第4章 一 1 調停法体制論 202
第4章 一 2 両大戦間期の中間層把握 206
第4章 一 3 調停法体制下の社会構造 208
第4章 二 中国革命の進展と日中経済関係 212
第4章 二 1 日中経済関係の特質 212
第4章 二 2 経済団体の要求と一九二八年の分岐 217
第4章 三 「満州」侵略の社会経済的基盤 220
第4章 三 1 「満州特殊権益」の危機の構図 220
第4章 三 2 満州事変と日本国内財界の反応 224
第4章 四 満州事変から華北侵略へ 228
第4章 五 十五年戦争の社会経済的基盤 234
第5章 近代日本における<軍事力編成>と工業技術 山田朗
第5章 はじめに 247
第5章 一 近代日本の<軍事力編成>に及ぼした日露戦争の影響 249
第5章 一 1 日露戦争の軍事史的意味 249
第5章 一 2 日露戦争後の日本陸軍 253
第5章 一 3 日露戦争後の日本海軍/マハン型<軍事力編成>の構築 256
第5章 二 国家総力戦型<軍事力編成>の形成と崩壊 262
第5章 二 1 マハン型<軍事力編成>の再編 263
第5章 二 2 打撃的軍事力の構築と工業技術 270
第5章 二 3 打撃的軍事力の崩壊 273
第5章 おわりに 275
第6章 日本近代の戦争認識と戦没者祭祀-国家と民衆 原田敬一
第6章 はじめに 279
第6章 一 戦争はどのように認識されていたのか 280
第6章 一 1 参謀本部と戦史教育 280
第6章 一 2 日清戦争の戦史 282
第6章 一 3 日露戦争の教訓 286
第6章 一 4 陸軍記念日と海軍記念日 288
第6章 一 5 日露戦争三〇周年記念行事 292
第6章 二 戦没者はどのように追悼されたのか-国家と遺族 297
第6章 三 戦争の意味を巡る二重性-国家と民衆 305
第6章 三 1 国家の戦争 305
第6章 三 2 民衆の戦争 307
第6章 三 3 靖国神社と民衆 309
第6章 おわりに 312

〇この年、 中村勝が「名古屋学院大学論集. 社会科学篇 = Journal of Nagoya Gakuin University. Social sciences 41(2) p.152〜103」に「「他者」観念への渇きもしくは「九〇〇人の妄想家」--「台湾出兵」および日清戦争後期にみる「賊徒」の討伐と「虐待」」を発表する。
2005 17 1月、上宝村史刊行委員会編「上宝村史 上巻(通史編)」が刊行される。
第四章 第八節 医療・衛生と福祉 755
第四章 第八節 一 医療・衛生 755
第四章 第八節 二 伝染病への対策 757
第四章 第八節 二 1 天然痘予防
第四章 第八節 二 2 肺結核
第四章 第八節 二 3 腸チフス・赤痢・トラホーム
第四章 第八節 二 4 コレラ
第四章 第八節 二 5 清潔清掃検査
第四章 第八節 三 村医の設置運動と衛生行政 762
第四章 第八節 四 伝染病隔離病舎の建築 766
第四章 第九節 戦争と軍事 770

第四章 第九節 一 明治初期の戦争と徴兵令 770
第四章 第九節 一 (一) 倒幕戦争と飛騨 770
第四章 第九節 一 (二) 明治初期の兵制と西南戦争 773
第四章 第九節 二 日清戦争と上宝 774
第四章 第九節 二 ○台湾との戦い

第四章 第九節 三 日露戦争と上宝 778
第四章 第九節 三 (一) 韓国併合と第一次世界大戦、
   →中国へ二一ヵ条の要求、シベリア出兵 780
第四章 第九節 三 (二) 満州事変 781
第四章 第九節 四 日中戦争(支那事変)と上宝 783
第四章 第九節 五 太平洋戦争(第二次世界大戦)と上宝 789
第四章 第九節 六 終戦 796

3月、喜連川町史編さん委員会編 「 喜連川町史 第4巻(資料編 4)」が刊行される。
第一章第六節 (三) 信仰・祭礼 一八二
第一章第六節 (三) 八八 伊勢日参講加入請書 一八二
第一章第六節 (三) 八九 明治一五年七月喜連川町祭礼日誌 
第一章第六節 (四) 巡幸と陸軍大演習 一八六
第一章第六節 (四) 九〇 奥羽御巡幸につき通知 一八六
第一章第六節 (四) 九一 御巡幸直訴事件の上申 一八六
第一章第六節 (四) 九二 御巡幸直訴事件上申書 一八七
第一章第六節 (四) 九三 御巡幸につき取調方依頼 一八八
第一章第六節 (四) 九四 大演習につき心得方通知 一八八
第一章第六節 (四) 九五 天覧所設置に関する通知 一八八
第一章第六節 (四) 九六 大演習に際し田畑損失届出通知 
第一章第六節 (五) 松方デフレ 一八九
第一章第六節 (五) 九七 デフレ経済の覚書 一八九
第一章第六節 (五) 九八 山口家の流質物売却 一八九
第一章第六節 (六) 警察と消防 一九〇
第一章第六節 (六) 九九 喜連川警察署開設 一九〇
第一章第六節 (六) 一〇〇 矢板警察署喜連川分署への改組
第一章第六節 (六) 一〇一 喜連川町消防組定員(明治二七年) 一九一
第一章第六節 (六) 一〇二 喜連川町消防組員臨時手当規則 一九一
第三章第五節 教育と生活 四五六
第三章第五節 (一) 農業補習学校と青年訓練所 四五六
第三章第五節 (一) 五八 夜学会記事(鷲宿小学校) 四五六
第三章第五節 (一) 五九 鷲宿農業補習学校録事 四五七
第三章第五節 (一) 六〇 喜連川農業補習学校規則 四五八
第三章第五節 (一) 六一 青年訓練所設置 四五九
第三章第五節 (一) 六二 公民実業学校の移転・新築 四六〇
第三章第五節 (二) 学事の状況 四六一
第三章第五節 (二) 六三 喜連川尋常高等小学校の状況 四六一
第三章第五節 (三) 衛生と医療 四六四
第三章第五節 (三) 六四 清潔法の施行 四六四
第三章第五節 (三) 六五 狂犬病の蔓延 四六四
第三章第五節 (三) 六六 発疹窒扶私発生に対する注意 四六五
第三章第五節 (三) 六七 伝染病隔離病舎備品台帳 四六六
第三章第五節 (三) 六八 喜連川町伝染病隔離病舎増築工事請負契約書
4月、陸軍省編「日清戦争統計集 : 明治二十七・八年戦役統計 上巻 2 海路書院」が復刻される。         参考 国立国会図書館書誌ID:000007688542
5・6編(略)
第七編 衛生 七一五頁  
第七編 一衛生記事 七一五
第七編 一統計図
第七編 出戦部隊患者及転帰百分比例
第七編 戦地入院傷病者及転帰百分比例
第七編 戦地入院傷者伝染病者他病者及死者百分比例
第七編 戦地入院傷病者土地別及死者百分比例
第七編 戦地入院虎列拉赤痢他病者月別及百分比例
第七編 戦闘死傷者創種別百分比例
第七編 一患者総数 七二三
第七編 一出戦部隊総患者 七二四
第七編 一出戦部隊出戦前患者師団別 七二五
第七編 一出戦部隊出戦前患者兵科別 七二八
第七編 一出戦部隊出戦中患者師団別 七二九
第七編 一出戦部隊出戦中患者兵科別 七三四
第七編 一出戦部隊出戦中患者所管別 七三六
第七編 一出戦部隊出戦中患者土地別 七四〇

第七編 一出戦部隊凱旋後患者師団別 七四〇
第七編 一出戦部隊凱旋後患者兵科別 七四三頁
第七編 一出戦部隊凍傷患者師団別 七四三
第七編 一出戦部隊伝染病者土地別 七四四
第七編 一出戦部隊花柳病者師団別 七四五
第七編 一出戦部隊入院総患者 七四六
第七編 一戦地入院患者師団別 七四六
第七編 一戦地入院患者兵科別 七四九
第七編 一戦地入院患者所管別 七五〇
第七編 一戦地入院患者土地別 七五二
第七編 一戦地入院患者官等別 七五三
第七編 一戦地入院患者病類別 七五四
第七編 一戦地入院軍人軍属患者病類別 七五八
第七編 一戦地入院人夫職工患者病類別 七六一
第七編 一戦地入院新患死亡師団及病類別 七六五
第七編 一戦地入院新患死亡兵科及病類別 七六八
第七編 一戦地入院新患死亡月別及病類別 七七二
第七編 一朝鮮国入院患者病類別 七七九
第七編 一清国入院患者病類別 七八二
第七編 一台湾入院患者病類別 七八六頁
第七編 一朝鮮国入院新患死亡師団及病類別 七八九
第七編 一清国入院新患死亡師団及病類別 七九三
第七編 一台湾入院新患死亡師団及病類別 七九六
第七編 一戦闘死傷師団別 八〇〇
第七編 一戦闘死傷兵科別 八〇二
第七編 一戦闘死傷所管別 八〇三
第七編 一戦闘死傷戦闘地別 八〇五
第七編 一戦闘死傷身分別 八一一
第七編 一戦闘死傷土地別 八一一
第七編 一戦闘死傷創種別 八一二
第七編 一戦闘死傷中銃砲創部位別 八一三
第七編 一戦闘死傷中銃創種類別 八一三
第七編 一戦闘死傷中銃丸ニ因ル複創土地別 八一四
第七編 一戦闘死傷中砲弾ニ因ル複創土地別 八一五
第七編 一守備及留守隊総患者 八一五
第七編 一守備及留守隊患者師団別 八一六
第七編 一守備及留守隊患者兵科別 八一七
第七編 一内地入院患者種類別 八一九頁
第七編 一門地入院患者師団別 八二一
第七編 一内地入院患者兵科別 八二五
第七編 一戦地ニ於テ救護シタル敵ノ傷病者 八三一
第七編 一俘虜患者俘虜舎別 八三二
第七編 一俘虜患者土地別 八三三
第七編 一外地薬物消費 八三五
第七編 一内地薬物消費 八六二
第七編 一外地治療消耗品消費 八八一
第七編 一内地治療消耗品消費 八八七
第七編 一器械損耗 八九一
第七編 一雑具損耗 八九四
第七編 一消耗品消費 八九五
第七編 一諸表帳簿川紙消費 八九五

8編(略)
8月、佐野幸夫が「財界 53(16) (通号 1342) p.110〜113」に「父・隆盛の仁愛精神を実践した西郷菊次郎の足跡(前編)」を発表する。
8月、佐野幸夫が「財界 53(17) (通号 1343) p.130〜133」に「父・隆盛の仁愛精神を実践した西郷菊次郎の足跡(後編) 」を発表する。
2006 18 3月、旭川市史編集会議編新旭川市史 第3巻(通史3)」が刊行される。
第五編 第二章 第七師団の旭川移駐 221
第一節 日清戦争の勃発と臨時第七師団の編成 221
第一節 一 朝鮮半島情勢の緊迫化と日本の軍備拡張策 221
第一節 一 明治初期の軍備 (221)
第一節 一 朝鮮半島情勢の緊迫化 (222)
第一節 一 山形有朋の利益線論 (222)
第一節 一 軍備の拡張 (223)
第一節 一 北海道の軍備 (224)
第一節 二 日清戦争と臨時第七師団の編成 226
第一節 二 日清戦争の勃発 (226)
第一節 二 兵力動員計画と臨時第七師団編成の決定 (228)
第一節 二 臨時第七師団の編成とその動向 (228)
第一節 二 台湾派遣軍への動員 (230)
第一節 三 日清戦争と旭川の人々 231
第一節 三 戦争熱の高まり (231)
第一節 三 戦勝祝賀会 (232)
第一節 三 予餞会 (233)
第一節 三 道内の戦争支援体制の形成 (234)
第一節 三 尚武の奨励 (235)
第一節 三 〈主要参考文献〉 (237)
(略)

3月、鴻巣市市史編さん調査会編「鴻巣市史 通史編 3」が刊行される。
第四章 日清・日露戦争と鴻巣 289
第四章 第一節 日清・日露戦争と郷土兵 291
第四章 第一節 一 日清戦争と兵士の出征 291
第四章 第一節 一 日清戦争の勃発
第四章 第一節 一 戦争の展開
第四章 第一節 一 恤兵と扶助
第四章 第一節 一 台湾作戦と郷土兵
第四章 第一節 一 日清戦争の戦病死者
第四章 第一節 一 臥薪嘗胆
第四章 第一節 一 愛国婦人会と日本赤十字社
第四章 第一節 二 日露戦争と郷土兵の出征 299
第四章 第一節 二 日露情勢の緊迫化
第四章 第一節 二 日露開戦と国民生活
第四章 第一節 二 従軍者家族の保護
第四章 第一節 二 ふるさとへの便り
第四章 第一節 二 戦争の終結と講和反対運動
第四章 第一節 二 勝利の光と陰兵卒と士官
第四章 第一節 二 在郷軍人会の設立
3月、Yeh Chienweiが「茨城大學政経學會雑誌 76 p.79-95」に「植民地台湾における植民地政策と地理教育(朝野洋一教授退官記念号)」を発表する。
3月、千住一 が立教大学観光学部編「立教大学観光学部紀要 (8) p.65〜70」に「書評 曽山毅『植民地台湾と近代ツーリズム』青弓社」を紹介する。
4月、史学会編「
史学雑誌 115(4)p557〜559」に「新刊紹介 台湾史研究部会編『日本統治下台湾の支配と展開』(社研叢書 15)」が紹介される。 pid/11199440
5月、 劉傑, 三谷博, 楊大慶編「国境を越える歴史認識 : 日中対話の試み」が「東京大学出版会」から刊行される。
歴史の事実と歴史認識 日中関係史の語り方 / 茂木敏夫 著
関係緊密化と対立の原型 / 川島真 著
「反日」・「反中」循環のなかの日中外交 / 劉傑 著
「田中上奏文」をめぐる論争 / 服部龍二 著
満州国史の争点 / 樋口秀実 著
南京アトロシティズ / 楊大慶 著
汪兆銘と「南京国民政府」 / 劉傑 著
和解のための歴史認識を求めて 日本の
   →歴史教科書の制度と論争構図 / 三谷博 著
歴史教科書にみる日中の相互認識 / 茨木智志 著
台湾の日本時代をめぐる歴史認識 / 浅野豊美 著
戦後日本の政治と慰霊 / 村井良太 著
戦争賠償問題から戦後補償問題へ / 楊志輝 著
歴史対話と史料研究 / 川島真 著
2007 19 2月、田中利幸編「戦争犯罪の構造 : 日本軍はなぜ民間人を殺したのか」を「大月書店」から刊行する。
序文
第一章 日清戦争における日本軍の住民への加害
   → ー旅順虐殺事件から台湾植民地化戦争へー 大谷正 3
第一章 はじめに
第一章 一 旅順虐殺事件の概要
第一章 二 旅順虐殺事件の背景と現場
第一章 三 陸軍第二軍の編制と特徴
第一章 四 旅順虐殺事件の経緯と弾圧の論理
第一章 五 旅順虐殺事件の規模
第一章 六 旅順虐殺事件の終息と評価
第一章 むすびにかえて ー旅順から田庄台へ、
   →
旅順から台湾植民地戦争へ
第二章 抗日義兵闘争と膺懲的討伐 慎蒼宇(しんちゃんう) 35
第二章 はじめに
第二章 一 「膺懲的討伐」 ーその歴史的・政治的・社会的背景ー
第二章 二 「膺懲的討伐」行動の実態
第二章 おわりにー植民地戦争における軍暴力の構造ー
第三章 アムール州イヴァノフカ村の
   →「過激派大討伐」(一九一九年) 原暉之 69
第三章 はじめに
第三章 一 事件の舞台
第三章 二 事件の背景
第三章 三 事件の経過
第三章 おわりに
第四章 南京大虐殺事件 ー南京市民に対する
   →軍暴力を中心にー 笠原十九司 109
第四章 はじめに
第四章 一 南京空襲
第四章 二 南京近郊農村の被害
第四章 三 南京城区の被害
第四章 おわりに

第五章 中国雲南省にみる日本軍の住民虐殺
   →(一九四二年〜一九四五年) 伊香俊哉 143
第五章 はじめに
第五章 一 日本軍のビルマ侵攻
第五章 二 〔テン〕西における住民虐殺
第五章 三 占領と抗日
第五章 おわりに
第六章 シンガポール華僑虐殺 林博史 175
第六章 はじめに
第六章 一 粛清の経過
第六章 二 虐殺の実態
第六章 三 なぜ粛清をおこなったのか
第六章 おわりに
第七章 抑留者虐殺とその責任問題 ー「秋風」船上と
   →カヴィエンにおける虐殺を中心にー 田中利幸 207
第七章 一 日本軍のカヴィエン侵攻とオーストラリア市民の行方
第七章 二 「秋風」船上虐殺事件の解明
第七章 三 カヴィエン虐殺事件真相解明
第七章 四 日本軍人の国際法に関する知識と「玉砕」の心理
第八章 占領地民衆に対する大本営の認識(一九三一年〜一九四二年)
   → ー大本営陸軍部の命令にあらわれる「民」ー 山田朗 239
第八章 はじめに
第八章 一 臨参命・臨命にあらわれた「民」
   → ー満州事変段階(大本営設置以前)ー
第八章 二 大陸命・大陸指にあらわれた「民」
   → ー日中戦争段階(大本営設置以後)ー
第八章 三 大陸命・大陸指にあらわれた「民」
   → ーアジア太平洋戦争緒戦段階ー
第八章 おわりに
結論 偽りの近代からくる不安を克服するために
   → ー日本軍人と今日の日本人ー 野田正彰 267
はじめに
一 日本軍の特性
二 暴力を肯定してきた観客としての日本人
あとがき
10月、黄俊銘が「東京人 22(11) (通号 245) p.52〜57」に「台湾の都市計画 台湾に文明をもたらした、科学的植民地政策 (特集 生誕一五〇年 後藤新平--東京をデザインした男)」を発表する。
11月、戒能善春が「防衛学研究 (37) 2007-11 p.91〜108」に「日清戦争における台湾作戦--戦争か治安か」を発表する。国会図書館書誌ID:9299798
12月、歴史教育者協議会編「石碑と銅像で読む近代日本の戦争」が「高文研」から刊行される。
明治維新前後
珈琲豆の碑−幕末の"北の守り"で倒れた津軽藩兵 2
「招魂場」の碑−戊辰戦争・明治政府軍戦没者を祀る 3
碧血碑−戊辰戦争・幕府軍の戦死者を祀る 4
屯田兵招魂之碑−西南戦争での屯田兵戦死者を祀る 5
西南戦争関連の碑−日本の大陸膨張政策と
   →軌を一にした西郷隆盛の"復権" 6
竹橋事件殉難者の碑−最初で最後の兵士の反乱 8
日清・日露戦争
第七師団営舎落成記念碑−政と財の結託を象徴 10
昭忠碑−建国神話に由来する巨大な金の鵄 11
八甲田雪中行軍遭難者の墓碑−軍への非難を恐れ、
   →"戦死者"並みの慰霊 12
樋口配天の「梭の音」碑−日露戦争時、反戦歌を詠んだ詩人 13
歌碑「戦友」碑−戦争に駆り出される兵士の悲哀 14
「君死にたまふことなかれ」歌碑−母校の校庭に建つ
   →与謝野晶子の反戦歌 15
縄掛け地蔵尊と由来碑−召集令状回避の願いを込めた延命地蔵 16
元ロシア人兵士之墓−ロシア軍捕虜三名の墓碑 17
安藤正楽の日露戦役記念碑−「忠君愛国」を否定して
   →全文削り取られた碑文 18
第七師団忠魂碑−屯田兵の招魂碑を埋め立てた上に 19
決別の碑−代々木練兵場に土地を奪われた住民が建立 20
「一太郎やあい」像−官民挙げての軍国美談づくりの熱狂 21

第一次世界大戦・シベリア出兵・関東大震災
第六潜水艇殉難碑−漱石が「名文」と讃えた艇長の遺書 24
徳島板東俘虜収容所「ドイツ兵の墓」−第一次世界大戦で
   →日本軍捕虜となったドイツ軍兵士 25
米騒動の碑−富山から全国に広がった民衆の蜂起 26
シベリア出兵・田中支隊忠魂碑−靖国神社に建つ
   →ロシア革命干渉戦争の碑 27
「尼港事件」犠牲者納骨堂と殉難碑−シベリア出兵の
   →中で引き起こされた悲劇を伝える 28
佐藤三千夫之碑−シベリア出兵に反対し、
   →ロシアに渡った反戦活動家 29
「追悼 関東大震災朝鮮人犠牲者」の碑−関東大震災で
   →虐殺された朝鮮人六千人の慰霊碑 30
関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑−「自警団」によって
   →虐殺された朝鮮人の慰霊碑 31
陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑−大阪砲兵工廠と並ぶ
   →兵器・弾薬の一大製造工場 32
十五年戦争
【教育】
楠木正成銅像と刻文−天皇制軍国主義時代の
   →「忠君愛国」の象徴 34
教育塔−教育界の"靖国神社" 35
御真影守護殉職者の碑−火災や空襲下、
   →「御真影」を守って落命した教師たち 36
紀元二千六百年文化柱−新聞社の社長が建てた"タイムカプセル" 38
【戦意高揚・国威発揚】
陸軍岩鼻火薬製造所「殉職者之碑」−火薬製造の
   →事故死者も"戦死者"と同格の扱い 39
肉弾三勇士のレリーフと銅像−戦争への
   →熱狂をあおるために作られた"国民的英雄" 40
傷痍軍人「再起奉公」の碑−戦争で傷病を負った兵士たちのための碑 41
大村益次郎の銅像と碑−日本陸軍創設者の銅像と巨大な報国碑 42
八紘一宇の碑−礎石は中国大陸の占領地、植民地などから集められた 43
禁演落語「はなし塚」の碑−遊郭などを題材にした
   →演目を封印した落語協会 44
【反戦・抵抗】
山本宣治の碑−警察に倒され、碑文を塗りつぶされた
   →無産政党指導者の碑 45
阪口喜一郎顕彰碑−海軍内で反戦活動、
   →憲兵隊に虐殺された活動家の碑 46
鶴彬川柳碑−戦争の悲惨を痛烈に詠んだ反戦反軍の川柳人 47
竹内浩三詩碑−芸術を愛した戦没学生と遺族の思いを刻む 48
京都解放運動戦士の碑−獄死、虐殺された戦前の
   →社会運動家たちの追悼碑 49
【出陣学徒】
「出陣学徒壮行の地」の碑−一〇万の学徒が戦場へ
   →動員された「学徒出陣」の壮行式 50
特攻隊員・上原良司のメッセージ碑−日本の戦争の
   →本質とその後を見とおしていた学徒兵の「遺書」 51
【特攻】
海上特攻隊の碑−八丈島に建つ第十六震洋特別攻撃隊の記念碑 52
宮崎特攻基地「鎮魂」の碑−沖縄特攻作戦の出撃基地 53
知覧・朝鮮人特攻隊慰霊碑−知覧から飛び立った
   →一一人の朝鮮人特攻隊員 54
【強制連行・従軍慰安婦】
劉連仁生還記念碑−一三年間の逃亡生活を送った
   →中国人強制連行の被害者 55
花岡事件「共楽館址」の碑−強制連行され、"奴隷労働"を
   →強いられた中国人たちの一斉蜂起 56
「噫 従軍慰安婦」の碑−日本人としてただ一人名乗り出た
   →「慰安婦」の鎮魂の碑 57
相模ダム工事犠牲者の「湖銘碑」−中国人捕虜、
   →強制連行された朝鮮人犠牲者を悼む碑 58
天竜川・平岡ダム 中国人殉難者の慰霊碑−約九〇〇人の
   →中国人が一日パン三個で働かされた 59
中国人殉難者供養観音碑−長野・木曽地方の発電所工事で
   →犠牲となった中国人を悼む碑 60
大江山ニッケル鉱山 日本中国悠久平和友好之碑−連合軍捕虜・
   →中国人・朝鮮人約千人が強制労働させられた 61

【建造物・記念地】
風船爆弾放流地跡「わすれじ平和の碑」−アメリカ本土攻撃を
   →めざして作られた一万発の風船爆弾 62
「直江津捕虜収容所跡」の碑−日本・オーストラリア平和交流の
   →地となった捕虜収容所跡 63
【動物】
戦没軍馬の碑−日清戦争から太平洋戦争まで
   →日本軍の兵站を支えた軍馬 64
満州事変軍馬戦歿之碑−仙台第二師団に"従軍"した
   →軍馬・軍用動物の慰霊碑 66
陸軍登戸研究所・動物慰霊碑−生物化学兵器の研究所に
   →建てられた謎の「動物慰霊碑」 67
名古屋・東山動物園の象列車記念碑−「処分」されなかった象が
   →「象列車」になった 68
【空襲】
東京初空襲関係の墓碑−日米開戦から五カ月、
   →真珠湾奇襲への米軍の報復爆撃 69
学徒勤労動員「散華乙女の記念樹」の碑−戦争末期、
   →学生・生徒も軍需工場に根こそぎ動員された 70
慰霊碑 哀しみの東京大空襲−一夜で一〇万人の
   →死者を出した東京大空襲 71
横浜大空襲「平和祈念碑」−横浜を焼き払い、
   →死者一万人を出した二五七〇トンの焼夷弾爆撃 72
台湾少年工の碑−神奈川・高座海軍工廠で働いた台湾の少年工 73
半田・平和祈念碑−空襲のほか、
   →朝鮮人も含むすべての戦災犠牲者の追悼碑 74
「堺市戦災殉難之地」の碑−九万八千発の
   →焼夷弾が落とされた堺大空襲 75
豊川海軍工廠戦没者供養塔−八月七日の大空襲、
   →死者二五〇〇人以上 76
京橋駅爆撃慰霊碑−「終戦の日」前日の大空襲 77
大阪「砲兵工廠跡」の碑−第八次大阪大空襲で
   →建物の八〇%が焼失 78
【沖縄戦】
平和の礎/魂魄之塔 79
ひめゆりの塔/沖縄師範健児之塔 80
京都の塔/韓国人慰霊塔 81
渡嘉敷島・「集団自決跡地」の碑/忘勿石の碑 82
小桜の塔/芳魂之塔 83
戦没新聞人の碑 84
【原爆】
「模擬原子爆弾投下跡地」の碑−原爆投下の
   →予行演習で被災者一六四五人 85
原爆の子の像/原爆犠牲ヒロシマの碑 86
世界の子どもの平和像 87
峠三吉詩碑/韓国人原爆犠牲者慰霊碑 88
「原子爆弾落下中心地」の碑 90
松尾あつゆき句碑 91
「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼」の碑 92
乙女の像と長崎刑務所浦上刑務支所跡 93
移動劇団・さくら隊原爆殉難碑−慰問先の広島で被爆した演劇人たち 94
【鎮魂・慰霊】
千鳥ヶ淵戦没者墓苑−約三五万の"無名"戦没者を悼む 95
満蒙開拓団殉難者の碑−国策で満州に渡り、
   →軍にも国にも見捨てられた開拓団の悲劇 96
青函連絡船海難者慰霊碑−青函航路に就航していた一二隻が全滅 98
戦没プロ野球選手の「鎮魂の碑」−東京ドームに
   →建つ六七人の野球選手の慰霊碑 99
硫黄島旧島民戦没者の碑−軍命で島に残留、
   →守備隊と共に戦没した旧島民 100
戦没船員の慰霊碑−軍人の死亡率をはるかに上回った
   →船員六万余人の戦没者 101
大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑−犠牲者の追悼と
   →毒ガス兵器廃絶を誓う碑 102
戦後−引揚・復員・戦犯・戦後教育・旧植民地
平和の群像・浮島丸「殉難の碑」−引揚・復員の玄関口・
   →舞鶴に建つ二つの祈念像 104
樺太引揚三船殉難「平和の碑」−終戦直後、ソ連潜水艦に沈められた
   →樺太(サハリン)からの引揚船 106
童謡「里の秋」の碑−帰還兵・留守家族の心を揺さぶった童謡 107
シンガポールチャンギー殉難者慰霊碑−朝鮮人・
   →台湾人を含むBC級戦犯の慰霊碑 108
撫順戦犯日本兵の碑−戦犯管理所跡に建てられた
   →「向抗日殉難烈士謝罪碑」 109
スガモ・プリズン跡「永久平和を願って」の碑−「A級戦犯の慰霊、
   →顕彰」と建設反対運動も起こった碑 110
お婆さんたちが建てた「平和紀念碑」−敗戦の翌年、
   →四人の「老婆」が立てた平和への誓い 111
混血児の母・沢田美喜の碑−サンダースホームで命を
   →救われた子ども一一〇二名 112
機雷爆発六三名爆死「平和をまもる」の碑−機雷処理の巡査、
   →見物の子どもたちが犠牲に 113
「戦死せる教え児よ」竹本源治の碑−「再び教え子を戦場に送るな!」
   →戦後教育の原点となった詩 114
日中不再戦の碑−日中友好協会が「不再戦」を
   →祈念した碑建立・植樹祭運動 115
台湾人戦争犠牲者の「霊安故郷」慰霊碑−植民地支配と
   →戦争の二重の「犠牲」を考える 116
太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑−日本軍の軍人・
   →軍属として戦没した朝鮮人約二万柱を納骨 118
元朝鮮人学徒兵が建立「大韓祖国守護一念碑」
   →−「志願」させられた朝鮮人の"独立""統一"への願い 119
サイパン・テニアンの戦争関連碑−日本軍全滅・
   →民間人「集団自決」・原爆搭載機の発進基地 120
地域別・本書に収録した石碑と銅像一覧 125
2008 平成20 3月、飛騨市教育委員会編神岡町史 通史編 2 」を「飛騨市教育委員会」が刊行する。
第七部 第八章→ 
戦没者慰霊碑 841
「征清役忠死者之碑」 (842)
「忠魂碑」 (843)
「慰霊碑」 (843)
「戦歿者慰霊碑」 (844)
「日露戦役紀念碑」 (844)
「殉国者供養塔」 (845)
「日清日露戦役紀念碑」 (845)
「神岡俘虜分遣所殉難病没者各霊位塔」 (846)
「忠魂碑」 (846)
「日露戦役紀念」 (847)
「忠魂碑」 (847)
「神」 (848)
「明治三七、八年戦役紀念碑」 (849)
「忠」 (849)
「誠忠」 (850)

3月、さくら市市史編さん委員会編「(栃木県)喜連川町史 第7巻(通史編 2) (近現代)」が刊行される。
第2章 第三節 巡幸と大演習 一〇〇
第三節 1 一八七六年の巡幸と喜連川 一〇〇
第三節 1 巡幸のはじまり 100
第三節 1 明治天皇の見た喜連川 101
第三節 1 巡幸を迎える人々 101
第三節 1 下河戸の休憩所 103
第三節 2 一八八一年の巡幸と喜連川 一〇四
第三節 2 巡幸の目的 104
第三節 2 陸軍対抗運動の実施 105
第三節 2 天皇への直訴事件 106
第四節 村のなりわいと暮らし 一〇七
第四節 1 村の大きさと人口 一〇七
第四節 1 村々の様子 107
第四節 1 宿村の人口 107
第四節 2 さまざまな物産と職業 一〇八
第四節 2 勧農政策の推進 108
第四節 2 さまざまな物産と製産 109
第四節 3 不況下を生きる 一一一
第四節 3 松方デフレとその影響 111
第四節 3 生活困窮の原因 112
第四節 3 困窮する生活 113
第四節 4 病院と伝染病 一一四
第四節 4 病院の開設 114
第四節 4 伝染病への対策 115
第四節 4 喜連川での伝染病対策 117

第四節 5 警察・消防制度の発足 一一八
第四節 5 喜連川警察署と分署 118
第四節 5 消防制度の整備 118


2009 21 1月、大谷正が「宮城歴史科学研究 (63・64) p.42〜61」に「メディアの伝える戦争--台湾出兵・西南戦争・日清戦争 (第10回歴史学入門講座)」を発表する。
2月、津久井町史編集委員会編「津久井町史 資料編 近代・現代
p188〜190」が「相模原市」から刊行、「No86 明治二十八年四月 軍事郵便澎湖島戦記」を掲載する。
【解説】澎湖島(ほうことう)、正しくは澎湖島諸島、台湾の西に位置する島々。明治二十八年(一八九五)三月二十八日、日本軍は澎湖島に上陸、三日間で全島を占領したが、赤痢やコレラが蔓延し、役二六五〇人が戦病死した。軍夫「玉組」も四三二人中の死亡者を含め一〇一人が死亡、津久井出身者もこの中に四人含まれていた
  注 尚、本文(部分)は明治28年の項に記しました。 2021・4・2 保坂
3月、林春吟が「地域と環境」研究会編「地域と環境 = Region and environment (8・9) p.43〜54」に「台湾出兵から日清戦争までの日本製台湾地図に関する一考察」を発表する。  
4月、小川原正道が武蔵野大学政治経済研究所編「武蔵野大学政治経済研究所年報 (1) p.177〜201」に「台湾出兵と大教院・神社」を発表する。
〇この年、山下昭洋が「日本地理学会発表要旨集/2009年度日本地理学会秋季学術大会
p.94-94」に「日本台湾統治草創期の台北における内地人居住地の形成過程」を発表する。
2010 22 3月、楊孟哲が「地域研究 = Regional studies (7) p.33〜45 沖縄大学地域研究所」に「日本時代台湾美術教育の研究 後藤新平の実業政策−手工教育への影響−」を発表する。
9月、池山弘が四日市大学学会編「四日市大学論集
= The Journal of Yokkaichi University 23(1) p.1〜53」に「台湾総督府による台湾統治・建設死没者の建功神社(台北市)合祀問題--日清戦争従軍軍役夫の処遇を中心にして」を発表する。
10月、牧野秀臣が「鉄道と電気技術
= Railway & electrical engineering 21(10) (通号 750) p.79〜83」に「オアシス 西郷菊次郎--台湾統治(その1)」を発表する。
11月、牧野秀臣が「鉄道と電気技術
= Railway & electrical engineering 21(11) (通号 751) p.88〜93」に「オアシス 西郷菊次郎--台湾統治(その2)」を発表する。
12月、牧野秀臣が「鉄道と電気技術 = Railway & electrical engineering 21(12) (通号 752)
p.86〜93」に「オアシス 西郷菊次郎--台湾統治(その3・了)[含 年譜] 」を発表する。
2011 23 10月、蔡龍保が「日本研究 44 p.131-174 国際日本文化研究センター」に「明治期工手学校卒業生の海外活動 : 台湾を中心として(1895〜1905)」を発表する。
〇この年、白春岩が「社学研論集 (17) p.86〜101」に「1874年の台湾出兵と清国の対応--「撫恤銀」問題を手がかりにして」を発表する。
2012 24 3月、台北沖縄県人会編「牡丹社遭難民墓碑改修報告書[複製本]」を「沖縄県立図書館」が復刻する。
2013 平成年25
2014 26 2月、谷ヶ城秀吉・永島広紀が「植民地帝国人物叢書 別巻」を「ゆまに書房」から刊行する。
第一部 台湾編 9
第1巻(台湾編1)『台湾全誌』 〔樺山資紀〕藤崎済之助 11
第2巻(台湾編2)『台湾と乃木大将』 〔乃木希典〕渡辺求 14
第3巻(台湾編3)『佐久間左馬太』 〔佐久間左馬太〕台湾救済団 17
第4巻(台湾編4)『大路水野遵先生』 〔水野遵〕大路会編 20
第5巻(台湾編5)『柳生頭取の片影』 〔柳生一義〕碧椿会 23
第6巻(台湾編6)『睾顕栄翁伝』 〔睾顕栄〕伝記編纂会 25
第7巻(台湾編7)『顔雲年翁小伝』 〔顔雲年〕友聲会 28
第8巻(台湾編8)『伊沢多喜男』 〔伊沢多喜男〕伊沢多喜男伝記編纂委員会
第9巻(台湾編9)『台湾の一年』 〔川村竹治〕川村竹治 34
第10巻(台湾編10) 『小林踏造伝』 〔小林踏造〕宗代策 36
第11巻(台湾編11) 『赤司初太郎伝』 〔赤司初太郎〕土師清二 39
第12巻(台湾編12) 『宮尾舜治伝』 〔宮尾舜治〕黒谷了太郎 42
第13巻(台湾編13) 『志豆機さんの思ひ出』 〔志豆機源太郎〕牟田万次郎
第14巻(台湾編14) 『台湾を視る』 〔篠田治策〕篠田治策 48
第15巻(台湾編15) 『柳生一義』 〔柳生一義 清水孫乗,大野恭平 52
第16巻(台湾編16) 『三好徳三郎』 〔三好徳三郎〕田中一二編 55
第17巻(台湾編17) 『金山王後宮信太郎』 〔後宮信太郎〕台湾実業界社
第18巻(台湾編18) 『陳中和翁伝』 〔陳中和〕宮崎健三 60
第19巻(台湾編19) 『顔国年君小伝』 〔顔国年〕長浜実 63
2015 27 3月、酒井裕美が「コリア研究 (6) p.31-45」に「日本の歴史教育における日清戦争と朝鮮 : 中学校歴史教科書を手がかりに (特集 日清戦争・東学農民運動120年 : 日・韓・台湾の歴史教科書比較検討)」を発表する。
 また、同号
(p.47-68)に、趙成雲が「韓国高校歴史教科書における東学農民運動の叙述の変遷 (特集 日清戦争・東学農民運動120年 : 日・韓・台湾の歴史教科書比較検討)」を発表する。
また、同号(p.69-88)に、邱 士杰,徐 勝も「台湾中等学校歴史教育論争に関する考察 : 日清戦争120周年にあたって (特集 日清戦争・東学農民運動120年 : 日・韓・台湾の歴史教科書比較検討)」を発表する。
9月、赤澤史朗 が「本郷 (119) p.5-7吉川弘文館」に「台湾出兵の病死者たち」を発表する。
   
明治7年か28年か、両方かは未確認 2021・3・10 保坂
〇この年、曽山毅が「玉川大学観光学部紀要
= The journal of Tamagawa University College of Tourism and Hospitality (3) p.65-77」に「日本統治期台湾のツーリズム再考」を発表する。
2016 28 5月、植松三十里が「歴史街道 (337) p.44-48」に「後藤新平 阿片(アヘン)退治と東京を凌ぐ下水道…苦労人の民政局長、辣腕(らつわん)を振るう (総力特集 児玉源太郎と台湾 : 「明治人の志」が結んだ固い絆)」を発表する。
10月、宇田川敬介が「我、台湾島民に捧ぐ : 日台関係秘話」を「振学出版」から刊行する。
内容説明/日清戦争後、下関条約により日本の台湾統治がはじまった。苛烈をきわめた台湾での抗日乙未戦争のなか、マラリアに倒れた近衛師団長北白川宮能久親王はそう言い残す。この言葉を胸に、台湾の発展に貢献し、親日の礎を築いた初代〜7代総督と、それを取り巻く人々の絆の物語。
序章 北白川宮近衛師団上陸
第1章 台湾平定(下関条約;閣議紛糾 ほか)
第2章 台湾民生(配属;間者の謀略 ほか)
第3章 心を攻める政治(綱紀粛正;高野孟矩高等法院院長非職事件 ほか)
第4章 情報と愛情(五代総督佐久間左馬太;大島久満次の苦悩 ほか)
終章 鳥居
2017 29 6月、若松大祐が東アジア近代史学会編「東アジア近代史 (21) p.37-55」に「現代台湾史における甲午戦争と乙未戦役 : 中国の命運から台湾の命運へ (特集 近年における日清戦争に対する「歴史認識」をめぐって)」を発表する。      参考:甲午戦争は明治27年 1894年
7月、向野康江が『アジア文化研究』編集委員会編「アジア文化研究
= Journal of Asian Culture Society International (24) p.42-53」に「 台湾における向野堅一の活動 : 日清戦争後の仏教布教・学校設立活動に立ち会う通訳官 (国際アジア文化学会二十五周年記念号 ; 客家と多元文化 国際交流座談会2016 ; 共通テーマ 日本文化と台湾文化の交流協力 : 台湾に渡った日本人を中心に)」を発表する。
10月、後藤新が武蔵野大学法学会編「武蔵野法学 : journal of law and political science (7) p.131-170」に「台湾出兵の終幕 : 大久保利通と西郷従道の帰国を中心として」を発表する。
2018 平成30 1月、又吉盛清が「大日本帝国植民地下の琉球沖縄と台湾 : これからの東アジアを平和的に生きる道」を「同時代社」から刊行する。
まえがき 11
第一章 沖縄・台湾航路問題 27
第一章 一 沖縄と内台定期航路 27
第一章 二 内台定期航路で来沖した要人 30
第一章 二 1 高野孟矩(高等法院長)・
   →荒尾精(上海貿易研究所長) 30
第一章 二 2 田代安定(植物研究家) 31
第一章 二 3 鳥居龍蔵(人類学者)・
   →須藤利一(南島民俗研究者) 36
第一章 二 4 伊藤博文総理大臣の訪台、来沖と南進論 38
第一章 二 5 台湾総督児玉源太郎の来沖 43
第一章 三 粗悪な沖縄・台湾航路と船舶の大型化 44
第一章 三 1 沖台航路の開設と現況 44
第一章 三 2 離島航路と内台航空路の開設 50
第一章 三 3 沖台航路と台湾渡航者 51
第二章 台湾領有と沖縄の軍事化 55
第二章 一 樺山資紀台湾総督の沖縄中城湾寄港 55
第二章 二 近衛師団長・皇族北白川宮能久親王の来沖 58
第二章 三 軍事施設、海底電信線の敷設 64
第三章 沖縄人と台湾植民地支配 69
第三章 一 沖縄人女性と台湾植民地支配 69
第三章 一 1 はじめに 69
第三章 一 2 「沖縄商店」と「行商婦人」 71
第三章 一 3 最初に渡台した沖縄人女性 76
第三章 一 3 (1) 「琉球女」・「琉球姫」と呼ばれた
   →風俗業沖縄人女性の渡台 76
第三章 一 3 (2) 台北「万華」、基隆、台南など各地の
   →遊興街に囲われた沖縄人女性 81
第三章 一 3 (3) 作家佐藤春夫と「琉球姫」 86
第三章 二 台湾植民地支配の先達 88
第三章 二 1 沖縄人土木人夫の請負工事 88
第三章 二 2 大倉組と沖縄人土木人夫 93
第三章 二 3 清水組の台湾進出と戦後沖縄の
   →米軍軍事基地建設 96
第四章 差別と偏見の中の沖縄 101
第四章 一 沖縄人差別と偏見 101
第四章 二 差別と偏見逃れの転籍と改姓名 106
第四章 三 沖縄人の台湾認識と台湾人差別 108
第四章 四 人類館事件とアイヌ・沖縄・台湾・
   →朝鮮人への差別と偏見 110
第四章 五 台湾総督府による沖縄合併論と南洋道問題 113
第四章 五 1 沖縄合併論から南洋道新設へ 113
第四章 五 2 沖縄・台湾・奄美の南洋道庁の設置 118
第四章 六 沖縄人官吏と台湾 122
第四章 六 1 出世できない沖縄人官吏の道 122
第四章 六 2 沖縄籍内地人官吏の出世 125
第五章 琉球・沖縄教育から台湾教育へ 133
第五章 一 台湾領有と琉球・沖縄教育 133
第五章 二 台湾植民地支配の先導役の新聞と教育界 137
第五章 二 1 沖縄人教員の台湾教育界視察 140
第五章 二 2 南門の防波堤、琉球・
   →沖縄教育界と台湾教育界 144
第五章 三 琉球・沖縄教育界と台湾教育界を結ぶ人脈 149
第五章 四 台湾教育界の中の沖縄人教員 155

第五章 五 北海道アイヌ・沖縄・台湾・朝鮮での
   →教育方針と同化・皇民化教育 166
第六章 沖縄人巡査と台湾抗日事件 173
第六章 一 沖縄警察と台湾警察 173
第六章 二 沖縄人巡査の渡台と弾圧事件 177
第六章 二 1 北埔事件と宮平良應巡査(一九〇七年) 189
第六章 二 2 沖縄人巡査仲本政敍の死(一九一二年) 190
第六章 二 3 
〔タパニー/西来庵〕事件と
   →国吉良裁(一九一五年) 195 
第六章 二 4 シャカロー事件と三人の沖縄人巡査
   →(一九一七年) 196
第六章 二 5 大関山事件と宮平松景警手(一九三二年) 197
第六章 二 6 与世山有文刑事と日本共産党幹部
   →渡辺政之輔の拳銃自殺(一九二八年) 198
第六章 二 7 日本共産党幹部の徳田球一と
   →台湾共産党生みの親の謝雪紅 201
第七章 台湾霧社事件と沖縄人 205
第七章 一 討伐隊に三人の沖縄人巡査 205
第七章 二 事件の勃発、日本人だけ襲撃 208
第七章 三 原住民族(高砂族)対策に利用された沖縄人 214
第七章 四 霧社事件関係者の証言と沖縄人 219
第七章 四 1 林光明氏の証言(日本名・下山一) 219
第七章 四 2 桂敏彦氏の証言(日本名・牧野敏彦) 224
第七章 四 3 高永清氏(日本名・中山清)の証言 226
第七章 五 沖縄人巡査と原住民族の「現地妻」 232
第八章 台湾鉄道と照屋宏 235
第八章 一 台湾総督府鉄道部と沖縄人 235
第八章 二 沖縄人初の勅任技師 246
第八章 三 鉄道部の海外視察研修、欧米・「旧満州」・朝鮮 250
第八章 四 植民地支配の大動脈・台湾鉄道 252
第八章 四 1 はじめに 252
第八章 四 2 最大の難工事、中部線の完成 254
第八章 四 3 縦貫鉄道全通式の奈良原前沖縄県知事と
   →照屋技師の再会 260
第八章 五 照屋技師の帰郷と沖縄県営鉄道 263
第八章 六 照屋の沖縄人観と海外発展の思想 265
第八章 七 盟友、伊波普猷・漢那憲和の台湾観 268
第九章 琉球・沖縄と台湾遭害事件 275
第九章 一 台湾処分から琉球処分そして併合へ 275
第九章 二 照屋宏沖縄県人会長と琉球人墓の改修と建設 280
第九章 三 遺族関係市町村と関係者の
   →「大日本琉球藩民五十四名墓」の修復と改修 288
第九章 四 台湾遭害事件・台湾出兵の現場から見えるもの 298
第九章 五 牡丹社事件・台湾出兵の頭部回収と天皇碑 301
第九章 五 1 遭害者の頭部の回収と琉球送致とその実数 301
第九章 五 2 不十分な遺骨の点検と「牡丹高士滑等凶徒」 303
第九章 五 3 琉球・沖縄に送致された頭部の実態 304
第九章 五 4 台湾出兵の碑に見られる台湾・沖縄の原住民族観 305
第一〇章 琉球・沖縄と東部台湾 307
第一〇章 一 台湾史における東部台湾と琉球・沖縄 307
第一〇章 二 与那国島と東部台湾 310
第一〇章 三 琉球船の漂着事件と台湾の琉球澳(集落) 313
第一〇章 三 四 南波照間伝承と東部台湾の里?社(集落) 316
第一〇章 三 五 沖縄人人夫と蘇澳-花蓮道路の開通 322
第一〇章 三 六 東部台湾と沖縄人移民(移住) 325
第一〇章 三 七 台湾の軍事基地建設と沖縄八重山諸島の動向 331
第一一章 台湾の沖縄人集落跡を訪ねて 337
第一一章 一 はじめに 337
第一一章 二 基隆社寮島 338
第一一章 三 基隆沖縄人集落と台湾二二八事件の認定勝訴 347
第一一章 四 台北 352
第一一章 五 淡水 355
第一一章 六 蘇澳 358
第一一章 七 花蓮市米崙 360
第一一章 八 新城郷北埔村 365
第一一章 九 台東新港・馬武窟・火焼島・紅頭嶼 367
第一一章 一〇 小琉球・海口 371
第一一章 一一 高雄 373
第一一章 一二 澎湖島 377
第一一章 一三 敗戦沖縄人の台湾引き揚げ 386
特記1 東アジアの平和的な課題、自省的に生きることの意味 391
特記1 一 戦後は終わらない戦前のまま、
   →「台湾処分」「琉球処分」総括の時 391
特記1 二 日本帝国の侵略戦争と台湾植民地問題への接近 395
特記1 二 1 初めての台湾植民地支配の現場調査 395
特記1 二 2 日本帝国植民地支配下の善意とは何か 397
特記1 二 3 台湾遭害事件と台湾出兵の現場 400
特記1 二 4 台湾出兵から見える日本国の侵略戦争と
   →植民地支配の総括 402
特記1 三 植民地支配の謝罪と和解-琉球沖縄人、
   →被害者から加害者に転落した植民地責任 410
特記1 四 一三〇年目の「和解」に向けて 413
特記1 四 1 近代日本の初出兵 414
特記1 四 2 歴史形成の主体として 414
特記1 四 3 沖縄側の対応も課題 415
特記1 五 台湾出兵・琉球処分と東アジアの沖縄軍事基地問題 416
特記1 五 1 翁長雄志沖縄県知事と菅義偉総理官邸官房長官・
   →安倍晋三総理大臣との会談 416
特記1 五 2 明治期の台湾処分・琉球処分から始まる
   →日本軍の軍事基地建設 417
特記1 五 3 琉球・沖縄の教訓、次世代へのメッセージ 418
特記1 五 4 当事者意識と自己決定権の獲得、
   →東アジアとの共存共生の平和主義の拡大 419
特記1 五 5 噴出する根源的な沖縄の問い 420
特記2 旧編『日本植民地下の台湾と沖縄』発刊の意義と反響 423
特記2 一 国立台湾師範大学王啓宗教授 台湾・日本・
   →沖縄人の必読書に推薦 423
特記2 二 学問的な価値がある評価で「第一一回
   →沖縄タイムス出版文化賞」受賞 425
特記2 三 沖縄出身者、台湾で初めての海外出版会を開催し、
   →学術文化の友好交流を計る 426
特記2 四 沖縄民衆の加害被害を実証的に分析したとして、
   →「第二回法政大学 森嘉兵衛賞」受賞 426
特記2 五 台湾・中国時報が中国語版新書を紹介 427
特記2 六 東京・台北でも反響を呼び、中国語版が
   →台湾の前衛出版社から発刊 429
あとがき 431

3月、モロジャコフ, ワシ―リーが「拓殖大学海外事情研究所附属台湾研究センター= Journal of Taiwan studies, Takushoku University (2) p.101-114」に「ロシアから見た日本統治時代の台湾 ―帝政時代とソ連時代の比較―」を発表する。
7月、松浦章が關西大學文學會編「關西大學文學論集
= Essays and studies / Members of the Faculty of Letters 68(1) p.35-55 」に「日本統治時代台湾産鮮魚の海外搬出」を発表する。  
8月、井沢元彦が小学館編「週刊ポスト 50(30) (通号 2486)
p.68-71」に「ウソと誤解に満ちた「通説」を正す! 逆説の日本史(第1196回)近現代編(第4話)大日本帝国の試練U 台湾および朝鮮統治と日露戦争(その11)台湾統治における「小学校開設優先」は世界でも類を見ない植民地政策」を発表する。
〇この年、松延康隆が「現代の理論
p.64-67」に「歴史遊学(8)明治維新150年・大陸侵攻を考える 西郷菊次郎と植民地台湾の交差(上)」を発表する。
〇この年、松延康隆が「現代の理論
p.121-125」に「歴史遊学(9)西郷菊次郎と植民地政策の交差(下)菊次郎の夢と挫折 : 台湾島民の日本統治への武装抵抗」を発表する。
〇この年、竹本太郎が「日本森林学会大会発表データベース 129(0)
p.838」に「統治初期台湾における玉山の登頂と阿里山森林の発見」を発表する。
〇この年、又吉盛清が「大日本帝国植民地下の琉球沖縄と台湾 : これからの東アジアを平和的に生きる道」を「同時代社」から刊行する。
2019 31 3月、ローマン ザイツェフが「拓殖大学国際日本文化研究 = Journal of the Research Institute for Global Japanese Studies (2) p.57-73」に「1919〜1930年代の台湾における植民地政策がメディアと芸術に与えた影響」を発表する。
2020 令和2 2月、日向玲理が駒沢史学会編「駒沢史学 = Journal of historical studies (94) p.451-470」に「(明治7年)台湾出兵と文書編纂」を発表する。 注 (明治7年)は明治28年と区別するために便宜上付加  保坂
〇この年、米家泰作が「日本地理学会発表要旨集 2020a(0) p.99」に「植民地台湾における草創期の林学と田代安定」を発表する。
2021 3 1月、渡辺利夫が「中公選書 後藤新平の台湾 : 人類もまた生物の一つなり」を「中央公論新社」から刊行する。
2022 4
2023 5
2024 6
2025 7
2026 8
凡例のようなこと
台湾出兵に関しては、明治7年の西郷従道によるものと明治28年下関条約以降の台湾出兵が考えられますが、どちらかにつきましては予め御確認をお願い致します。地名の呼称法に付きましては当時と現代では恐らく違うのではないかと思っています。また、漢字変換の出来ないところも多くありました。確認次第修正を行なってまいりますので御容赦の程、お願い申上げます。
     
例:安溪□(あんけいりょう)  □仔頭(  )  頭家□〔とうかせき〕  後□〔ホウロン〕 中□〔ちゅうれき〕 澳底(おうてい) 
      □港西〔ナンガンシー〕 □桐巷(ツートン/しどうきょう)


国会図書館HP:日本法令索引より転写
参考:伝染病予防法(部分)
(明治30年)
法律第三十六號 傳染病豫防法
第一條

此ノ法律ニ於テ傳染病ト稱スルハ虎列刺、赤痢、腸窒扶私、疱瘡、發疹窒扶私、猩紅熱、實布垤利亞(格魯布ヲ含ム)及「ペスト」ヲ謂フ/前項ニ掲クル八病ノ外此ノ法律ニ依リ豫防方法ノ施行ヲ必要トスル傳染病アルトキハ主務大臣之ヲ指定ス
第二條〜第七條 (省略)
第八條(元案は第九條)
當該吏員ニ於テ必要ト認ムルトキハ一定ノ日時間伝染病患者アリタル家及其ノ近隣ノ家ノ交通ヲ遮断スルコトヲ得
第九條〜第十七條(省略)
第十八條
(元案は第十九條)
傳染病流行シ若ハ流行ノ虞アルトキハ地方長官ハ検疫委員ヲ置キ検疫予防ニ関スル事務ヲ擔任セシメ及特ニ船舶汽車ノ検疫ヲ行ハシムルコトヲ得
船舶汽車ノ検疫ヲ行フ場合ニ於テハ其ノ船舶若ハ其ノ船舶汽車ノ乗客来組人ニシテ病毒感染ノ疑アル者ヲ必要ノ日時間停留シ及無償ニテ當該吏員又ハ醫師ヲ船舶汽車中ニ乗込マシムルコトヲ得
船舶汽車ノ検疫ニ於テ発見シタル患者ハ其ノ他市町村ノ伝染病院又ハ隔離病舎ニ収容治療セシムルコトヲ得市町村ハ相當ノ理由ナクシテ之ヲ拒ムコトヲ得ス但シ之カ為特ニ要シタル費用ハ地官長官ニ請求スルコトヲ得
前各項ノ外検疫委員ノ設置及船舶汽車ノ
検疫ニ関スル規程ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
第十九條(元案は第二十條) 
一 伝染病患者ノ有無ヲ検診セシムルコト
二 市街村落ノ全部又ハ一部ノ交通ヲ遮断スルコト
三 祭禮供養興行集會等ノ爲
人民ノ群集スルコトヲ制限シ若ハ禁止スルコト
四 古着、襤樓、古綿具其ノ他病毒伝播ノ虞
(おそれ)アル物件ノ出入ヲ制限シ若ハ停止シ又ハ其ノ物件ヲ廃棄スルコト
五 傳染病毒傳播ノ媒介トナルヘキ飲食物ノ販売授受ヲ禁止シ又ハ之ヲ廃棄スルコト
六 船舶に醫師ノ雇入ヲ命シ又ハ汽車船舶若ハ
多数人民ノ集合スル場所ニ豫防上必要ノ設備ヲ爲サシムルコト
七 
清潔方法消毒方法ノ施行ヲ命シ及井戸、上水、下水、溝渠、芥溜、厠□ノ新設改築変更
  若
(もしく)ハ廃止ヲ命シ又ハ其ノ使用ヲ停止スルコト
八 一定ノ場所ノ漁撈、遊泳又ハ其ノ水ノ使用ヲ必要ナル日時間制限シ若ハ停止スルコト
第二十條(元案は第二十一條)
諸官廳集治監及官立ノ學校病院製造所等ニ傳染病發生シ若ハ發生ノ虞(おそれ)アルトキハ其ノ首長ハ地方長官ト協議シ此ノ法律ニ準シ豫防方法ヲ施行スヘシ
陸海軍所属ノ部隊軍艦等ニ傳染病發生シ若ハ發生ノ虞
(おそれ)アルトキハ其ノ首長は此ノ法律ニ準シ各其ノ所定ノ地則ニ依リ又必要アル場合ニ於テハ地方長官ト協議シ豫防方法ヲ施行スヘシ
第二十一條(元案は第二十二條)
左ノ諸費ハ市町村ノ負擔トス
一 予防委員ニ関スル諸費
二 市町村ニ於テ施行スル清潔方法、消毒方法及種痘ニ関スル諸費
三 予防救治ノ為雇入タル醫師其ノ他ノ人員竝予防上必要ナル器具、薬品其ノ他ノ物件ニ関スル諸費
四 伝染病病院隔離病舎、隔離所及消毒所ニ関スル諸費
五 予防救治ニ従事シタル者ニ給スヘキ手當療治料及其ノ遺族ニ給スヘキ救助料弔祭料
六 第八條ニ依レル交通遮断ニ関スル諸費及交通遮断ノ為又ハ一時営業を失ヒ自活シ能ハサル者ノ生活費
七 市町村内ニ於テ発見セル伝染病貧民患者竝死者ニ関スル諸費
其ノ他市町村ニ於テ施行スル予防事務ニ関スル諸費
第二十二條(元案は第二十三條)
左ノ諸費ハ府縣税又ハ地方税ノ負擔トス
一 検疫委員ニ関スル諸費
二 船舶又ハ汽車ノ検疫ニ関スル諸費
三 第十九條第二ニ依レル交通遮断ニ関スル諸費及交通遮断ノ為自活シ能ハサル者ノ生活費
其ノ他府縣ニ於テ施行スル予防事務ニ関スル諸費 
第二十三條〜第三十六條(省略)
まとめ
日清戦争のことを別名「明治二十七八年戦役」とも云う。そのことを石井留吉の死によってある程度を理解したようにも思ったが、何時何処の場所で亡くなられたかについては依然として不明である。
 こうした、調査の同じ時間帯に、或る「お店」から東京都を相手どり訴状が提出された。これから何年かかけて裁判が行なわれると思うが、国会でも訴訟者の提出した内容を十二分に読み取り審議をして戴きたいと思っている。
 明治30年に施行された「伝染病予防法」は、石井留吉を含め、多くの死者を出してしまった犠牲の上に成り立った法律だと思っている。この法律は、平成11年に成立した「感染症予防法」に変わり消滅したが、現在に読み直してみてもよく当てはまっている。
 この法案の成立当時の所管は拓殖務省と内務省であった。また、その所管大臣は台湾出兵に従軍した高島鞆之助と樺山資紀でもあった。法律の第二十條に所属ノ部隊軍艦等ニ傳染病發生シと、特に記してあるのは、台湾に向かう軍艦内が、既に三密状態であったために伝染病が発生していたのではないかと、その可能性を十二分に感じとることが出来る。
 これから裁判は始まるが、「執行したのは東京都のことだから」と国は控えるのではなく、国会においても正々堂々と胸を張って何度でも審議をお願いしたいと思っている。強制力のない美徳の中で国民は一生懸命頑張ってきた。東京都は期限の最後まで踏みとどまっていたが遂に天下の宝刀を抜いてしまった。私は残念でならない。
 いっそのこと、訴状は国に出してもらいたかった。理由は単なる都道府県の問題ではなく、法律を作った、改正の予知のある国会議員や大臣たちのいる国家の問題だからである。
 これは消息不明と無縁佛とになってしまった石井留吉に対する私の決意でもある。
 石井留吉は国家のために忠死したのだ。
 数奇の運命を辿った「伝染病予防法」は、22回も改正され、そして23回目で廃案となってしまった。

参考資料
近代の潮流  飛鳥井雅道 講談社現代新書 発行 昭和51年8月
台湾 ー人間・歴史・心性ー 載 國W(タイ クオフエイ) 岩波新書 発行 1988年11月 2刷
台湾軍司令部 1895〜1945 古野直也 国書刊行会 発行 平成3年9且
(相模原市)「津久井町史資料編 近代・現代」 編輯津久井町町史編集委員会 発行平成21年2月

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