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トマト熟れ支柱に重き雨の粒. |
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原爆忌十一人のごろ寝かな |
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夏霞富士山が泣くオフロート |
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夜の雷犬鼻鳴らす枕上ミ まくらがみ |
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落鮎の黒曜の瞳を食う女よ |
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◎短夜の川は母なり弦の高鳴り
千鶴子さんは「短夜の川は母なり」と云い切っている。どこかに、母との間に大切な思い出があるのかも知れない。短夜の夜は夏の夜になるが、厳密に一番短い夜は夏の夏至辺りか、東日本では、谷戸川のような小さな川にホタルが飛び交う頃だ。子供の頃に母と一緒に歩いた大切な宝物のような時間か。その大切な時間の中に、どこからか、弓を引く音が聞こえてきた。この音は魂の揺さぶる振動か、大切な宝物のような時間が高鳴りとなって聞こえてくる。/今から30年ほど前に「ホタルの自然観察会」を企画したことがあった。場所は「穴川」と云う小さな谷戸田を流れる川だ。そして、無雑作に撮った写真の中に母と子が手をつなぎながら歩いている姿を微笑ましく思ったことがあった。私もまた、企画してよかったとあらためて思い出している。あの親子は今どうしているだろう。
母体となる城山ホタル研究会活動の年譜 |
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銀やんま捉う大河の濁る朝 捉(かす)う |
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昭和15年8月、三鷹の自宅にて

昭和16年、長女園子と
新潮日本文学アルバム
太宰治より転写
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◎太宰忌の川へナイフを落としけり
太宰治が玉川上水に愛人と共に身を投げ発見された6月19日の日はを世間では「桜桃忌」と呼んでその死を悼んでいる。千鶴子さんがその悼みの日に参列されたかについては分からないがその情景は多分、心に残ったと思う。川は涅槃図の中の川でもない、また、彼岸と此岸の境を流れる川でもない、そこにつながる橋の畔でもない、この川は玉川上水の川だと思う。その川に千鶴子さんはナイフを落としたのです。「けり」となっているので、うっかり落としてしまったのではなく、意識のある中で、川にナイフを落としたむしろ、感覚としては「落としこんだ」のではないかと。 世の人々は入水自殺と云うあまりにもショッキングなできごとに、驚きまた嘆いたことと思いを寄せている。そうした思いは現在でも続きやがて80年目を迎えようとしている。/千鶴子さんはこうした悼みの日に意識を込めて入水してしまった川にあえてナイフを落とし入れたのです。亡くなった太宰治には石原家から嫁がれた美知子さんがいました。二人の子供もいました。その川に意識の中でナイフを落とされたのです。これは、落とし入れたと云った方が良いのかも知れない。世の中にはあまりにも不条理なことが多過ぎる。千鶴子さんは残されたご遺族様のことを思いながら、やるせない不条理を断ち切るためにナイフを力を込めて落とし入れたのです。この句は残されたご遺族様への哀悼歌なのです。やるせない不条理な気持ちです。/さて、桜桃忌を太宰忌とした理由について、私は今現在「桜桃忌」が行われていないことを八木重吉の「茶の花忌」の日に聞いていました。どこでも、後継者に悩んでいたようだ。その内「桜桃忌」も忘れられてしまうかも知れない、千鶴子さんがこの俳句をいつ頃作られたか知らないが、そのようなことを思うと「太宰忌の」と最初からしといた方が良いのかも知れない、そうして「太宰忌の」を「オウトウキ」と読んでおくことも良いのではと、そうして、このこと自身もやがて忘れられることになるかも知れないと。千鶴子さんは不条理を断ち切る道具としてナイフを選んだのです。ナイフは金属である。そして「真剣」であると、千鶴子さんのこの句には人生の物事に対する気迫とか正義感が込められていると。
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太宰(桜桃・おうとう)忌 ナイフを川に落とし入れ
太宰忌 川にナイフを落とし入れ
太宰忌 川へ ナイフを落としけり
太宰忌 ナイフを川へ落としけり |
私はナイフを不動明王が手に持つ宝剣と見立て、起きてしまった不条理を断ち切ってあげたいと、祈るような気持ちでこうした句を読まれたと思いました。そして、太宰の「富嶽百景」や「走れメロス」などの、あの健全で充実した頃の日々を思い出させたのです。 |
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石抱いて二股大根かなしけれ |
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黄落や木の顔をして石の椅子路 |
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現し身(うつしみ)や蚋(ぶよ)まといつく夜の立木 |
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虫の音の聞こゆる限り老詩人. |
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羅漢さま落葉の声を聞いている |
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大般若もて叩かるる淑気かな
淑気(しゅくき):新しい年を迎え、天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちていること。 |
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原宿にて20251113
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サルスベリにスズメ
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(仮)花見川の土手で

20260205 撮影:岩井淑さん
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◎※冬暖か老樹がこぼす小鳥たち
11月に入ると鳥たちも冬支度を始める。サルスベリのちょっとした藪のようなところにも群がる。やがて大寒も過ぎて日も長くなり暖かな光のなかで、鳥たちはサッサと遊び始める、そして、その度に何かが落ちる。生命を繋ぐ老樹にも春を感じさせる。鳥は軽快に遊んでいる。/日本の美術史の中で、老樹と云えば、松、楓、梅の木が挙がるだろう、特に紅梅や白梅は群を抜いていると思うツーンと伸びた梅の枝の部分は中 |
が空洞となっていることから「見通しがたつ」と縁起物の箸としても売られている。/尾形光琳の「紅白梅図屏風」は日本美術の最高傑作だ。真ん中を流れる抽象の川、両岸に紅梅と白梅が描かれている。老木は写実的、花が咲いている。その老木には灰緑色をしたウメノキゴケまでもが描かれている。「老樹がこぼす」とはこのことだと思う。小鳥たちはそれ程に元気に動き回っている。岩井さんの撮影された写真の中にも活発に動き廻るメジロがいた。千鶴子さんは梅の老樹に自生したウメノキゴケやかさぶたのようになった樹皮の剥がれ落ちた瞬間を物珍しそうに見ていたのでは。/そう云えば「楽しい」と云う漢字は太陽が照り木の上に二羽の鳥がいる。メジロは本当に楽しそうだ。
※冬暖(ふゆあたたか・とうだん)」は、冬のさなかに訪れる暖かい日のことや、冬の平均気温が高い「暖冬」を意味する季語です。 |
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小松の道端で 202404
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◎水仙に※睦言の海旅半ば
◎ぶつかる岩あり冬波は思いのまま
◎ななかまど古墳二つが乳房なり
※むつ‐ごと【睦言】 ... @ うちとけた会話。むつまじく語り合う話。むつがたり。
... A 男女二人だけのかたらい。男女の閨房(けいぼう)でのかたらい。
飯田龍太の俳句「風ぬくし旅半ばより亡き子見ゆ」など、
この、句集の各1Pには3句が載せられている。千鶴子さんの胸中は如何のものかと、「旅半ば」とは、どのようなことかと、お聞きしたくなり自転車に乗ったのが、何だろう、本当のところは分からないままだ。/夏の日本海は湖のように静かだが、冬の冬波はたまったものではない。以前私は出張で札幌に行ったことがあった。その札幌から釧路を通り襟裳岬に行ったことがあった。岬の高台から下に降りようと途中まで降りてみたがたが、波が激しくこのままだと・・、そうして自分が怖くなり岩に這いつくばりながら帰った。/千鶴子さんは、そうした 自然の厳しい現実の中に、己を置きながら海を眺めている。脇に水仙の花が咲いていた。二言三言語りかけた。だが、自然は非常にも何も答えてくれない。あの芭蕉もまた悩んだことがあった。野ざらし紀行の始めは重く、苦しい、だが、春になって山道を歩いているとすみれの花が咲いていた。「山路来て なにやらゆかし すみれ草」と読んだ。千鶴子さんも「ななかまど古墳二つが乳房なり」と、明るく読んだ。これで、良いと思った。自然は時に厳しいが優しさもたっぷりとある。ななかまどの赤い葉っぱをだれと見に行かれただろう。想像の世界が広がる。 |
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受け口の鰈(かれい)夕空を焼かれおり |
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業平の素足思えり都鳥
名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(在原業平)
(原文)/武蔵の国と下総の国との中にある、隅田川のほとりにいたりて、都のいと恋しうおぼえければ、しばし川のほとりに下りゐて、思ひやればかぎりなく遠くもきにけるかな、と思ひわびてながめをるに、渡守、「はや舟にのれ、日くれぬ」と言ひければ、舟に乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、川のほとりにあそびけり。京には見えぬ鳥なりければ、みな人見知らず、渡守に、「これは何鳥ぞ」と問ひければ、「これなむ都鳥」と言ひけるを聞きてよめる
(意訳)/武蔵の国と下総の国との間にある隅田川までやってきて、都がとても恋しく思われたので、しばらく川岸に下りて、思えば限りなく遠くまで来たものだ、と心細く感じていた。渡し守が「早く舟に乗りなさい。日が暮れてしまうよ」と言うので、舟に乗って渡ろうとすると、一行は物悲しくなって、京に恋しい人がいないわけではない。そのとき、白い鳥でくちばしと足が赤いのが、川のほとりで遊んでいた。京には見かけない鳥なので、皆名前を知らない。渡し守に「これは何と言う鳥か」と尋ねると、「これがあの都鳥さ」と言うのを聞いて詠んだ。
元慶2年(878年) 正月11日:兼相模権守
元慶3年(879年) 10月11日:蔵人頭、右近衛権中将・相模権守如元
墨田区と春日部に業平橋という橋が架かっている。墨田区の橋については業平橋 (墨田区)
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黄水仙みんなわたしの方向いて |
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滝つぼに舞う空瓶はわたしの愛. |
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山の向こうへそっぽ向く子や麦こがし |
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鳥の眼のときどき光る遠がすみ |
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花あしび冥加(みょうが)に狎(な)れし身を懼(おそ)る
毎日を平穏に暮らしている。そうした日常が朝日が昇るように、また、日は西の空に沈んで行く。或る日、千鶴子さんはあしびの花の咲く頃、先祖が眠る墓を訪ねた。そうして、手を合わせる。あしびの花はお彼岸の頃に咲き始める。私がそう感じたのは、あしびの木は墓に植えるものだと教わっていたからである。だが在所の庭の池の畔にもあった。大きさは子供の頃の腰ぐらいの小さな木だった。花はふっくらとして父が大事に育てていた馴染みの深い木だった。
2026年3月28日、久保沢観音堂で「第26回 戦後81年朗読語り劇 「憶えていますか。あの日の桜の絨緞(じゅうたん)を」の教室が行われた。語り手は河西美仁さんにお願いした。お話は最初から熱気にみなぎり、聞き手側もいつしかその熱気に誘発さ堂内は高揚感に溢れていた。朗読劇は戦争への出兵を主題としていた。ほんの少しの休憩を予定していたが、ひとりのお爺さんが大声で喋り始め皆、その勢いに圧倒されメモを録る人たちもあらわれた。桟俵を投げての防火訓練、竹槍訓練、橋本駅迄の出征兵士の見送り、篠竹で作った日の丸の手旗等々。話は尽きなかったがなかでも、日本の軍人が目隠しをしないまま軍刀で首を刎(は)ねる話だった。堂内は静まりかえった。私は子供のころMちゃんからこの話を聞いたことがあった。そして思い出した。『ここにもあった、本当だ』と、信じられない程の記憶が蘇った。父は体が弱かったので戦争には行かなかった。なので、こんな話は聞いたこともなかった。戦争のやることはこれでも人間か、こんなことを許してよいものか、私の奥底にはいつもそんな気持ちが鎮んでいたのだ。そして、その気持が「はっ」となって現れた。千鶴子さんの云う「懼(おそ)る」気持ちだった。その夜、私は恐ろしい夢にうなされた。 |
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源氏の君そこにゐそうな簾かげ |
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満願の山路大きなかたつむり |
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つゆくさに発熱の瞳を洗いおり |
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ふっと息かければ開く月見草 |
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実むらさき男におられ耀けり |
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朱のさみしき一糸乱れぬ曼殊沙華 |
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