玉崎千鶴子さんの句集より    tizukosan.html


 2026年2月6日の午後、「偶然に」と云った方が良いのかもしれませんが句集を見せて戴きました。
普段からお世話になっている市川さんの主宰する「写仏教室」を訪ねた時に偶然、句集を読ませて戴く幸運に恵まれたのです。廊下伝いの俳句ギャラリーには紀野一義先生の書もあり、若い頃に読んだ「放浪遍歴の世界」から山本周五郎の「虚空遍歴」や木喰上人・円空上人のことなどを思い出しました。ギャラリーの片隅には木喰上人の仏像を真似た仏様も置かれてありました。
 私は、懐かしい紀野一義先生の書が、どうしてここにあるのかを尋ねました。千鶴子さんの句集に序文を寄せられていたのでした。
 これから、どんなふうになるか、まだ何も考えていませんが、千鶴子さんの心根をチョット覗いて見ようと思いました。


1 . トマト熟れ支柱に重き雨の粒. 
2 . 原爆忌十一人のごろ寝かな
3 . 夏霞富士山が泣くオフロート
4 . 夜の雷犬鼻鳴らす枕上ミ   まくらがみ
33番に「もの言うたび犬の耳立つ秋ざくら」があり
5 . 落鮎の黒曜の瞳を食う女よ
6 . ◎短夜の川は母なり弦の高鳴り
 千鶴子さんは「短夜の川は母なり」と云い切っている。どこかに、母との間に大切な思い出があるのかも知れない。短夜の夜は夏の夜になるが、厳密に一番短い夜は夏の夏至辺りか、東日本では、谷戸川のような小さな川にホタルが飛び交う頃だ。子供の頃に母と一緒に歩いた大切な宝物のような時間か。その大切な時間の中に、どこからか、弓を引く音が聞こえてきた。この音は魂の揺さぶる振動か、大切な宝物のような時間が高鳴りとなって聞こえてくる。/今から30年ほど前に「ホタルの自然観察会」を企画したことがあった。場所は「穴川」と云う小さな谷戸田を流れる川だ。そして、無雑作に撮った写真の中に母と子が手をつなぎながら歩いている姿を微笑ましく思ったことがあった。私もまた、企画してよかったとあらためて思い出している。あの親子は今どうしているだろう。
母体となる城山ホタル研究会活動の年譜 
7 . 銀やんま捉う大河の濁る朝   捉(かす)う
8
昭和15年8月、三鷹の自宅にて


昭和16年、長女園子と
新潮日本文学アルバム
    太宰治より転写


太宰忌の川へナイフを落としけり
 太宰治が玉川上水に愛人と共に身を投げ発見された6月19日の日はを世間では「桜桃忌」と呼んでその死を悼んでいる。千鶴子さんがその悼みの日に参列されたかについては分からないがその情景は多分、心に残ったと思う。川は涅槃図の中の川でもない、また、彼岸と此岸の境を流れる川でもない、そこにつながる橋の畔でもない、この川は玉川上水の川だと思う。その川に千鶴子さんはナイフを落としたのです。「けり」となっているので、うっかり落としてしまったのではなく、意識のある中で、川にナイフを落としたむしろ、感覚としては「落としこんだ」のではないかと。 世の人々は入水自殺と云うあまりにもショッキングなできごとに、驚きまた嘆いたことと思いを寄せている。そうした思いは現在でも続きやがて80年目を迎えようとしている。/千鶴子さんはこうした悼みの日に意識を込めて入水してしまった川にあえてナイフを落とし入れたのです。亡くなった太宰治には石原家から嫁がれた美知子さんがいました。二人の子供もいました。その川に意識の中でナイフを落とされたのです。これは、落とし入れたと云った方が良いのかも知れない。世の中にはあまりにも不条理なことが多過ぎる。千鶴子さんは残されたご遺族様のことを思いながら、やるせない不条理を断ち切るためにナイフを力を込めて落とし入れたのです。この句は残されたご遺族様への哀悼歌なのです。やるせない不条理な気持ちです。/さて、桜桃忌を太宰忌とした理由について、私は今現在「桜桃忌」が行われていないことを八木重吉の「茶の花忌」の日に聞いていました。どこでも、後継者に悩んでいたようだ。その内「桜桃忌」も忘れられてしまうかも知れない、千鶴子さんがこの俳句をいつ頃作られたか知らないが、そのようなことを思うと「太宰忌の」と最初からしといた方が良いのかも知れない、そうして「太宰忌の」を「オウトウキ」と読んでおくことも良いのではと、そうして、このこと自身もやがて忘れられることになるかも知れないと。千鶴子さんは不条理を断ち切る道具としてナイフを選んだのです。ナイフは金属である。そして「真剣」であると、千鶴子さんのこの句には人生の物事に対する気迫とか正義感が込められていると。
太宰(桜桃・おうとう)忌 ナイフを川に落とし入れ
太宰忌 川にナイフを落とし入れ
太宰忌 川へ ナイフを落としけり
太宰忌 ナイフを川へ落としけり
 私はナイフを不動明王が手に持つ宝剣と見立て、起きてしまった不条理を断ち切ってあげたいと、祈るような気持ちでこうした句を読まれたと思いました。そして、太宰の「富嶽百景」や「走れメロス」などの、あの健全で充実した頃の日々を思い出させたのです。
9 . 石抱いて二股大根かなしけれ
10 . 黄落や木の顔をして石の椅子路
11 . ◎現し身(うつしみ)や蚋(ぶよ)まといつく夜の立木
49番に「あいまいな微笑ときには薔薇を噛む」
 旧城山町の中沢と云うところに、日本一大きなウラジロガシの木がある。樹周8・42メートル、樹齢不詳だが八百年と云う人もいる。その長き風雪に耐えている。今は圏央道の脇となり既に周りの樹木は伐採されて久しい。そのため、風が直接当たるようになり少々の枝を落としてきたが、それでも青く生い茂り圏央道を見下ろしている。この世は予期せぬことがあまりにも多い。どうか一日が無事でありますようにと。人生には時に蚋を振り払いたくなるようなこともあるだろう。その現実の厳しさに「さあ、一歩前に出て薔薇を噛むのだ。」
12 .. 虫の音の聞こゆる限り老詩人
13 . 羅漢さま落葉の声を聞いている
 おおらかさの中に千鶴子さんがいる。喧々諤々の騒音の中でも良い、深々と降り積もる落ち葉の中でも良い、どちらでも良い、認められる静寂の世界が広がる。もう悩むこともない山河微笑の世界にいる。そして、私も落葉の音を聞いている。
14 .
放光寺六百巻大般若経(部分)
     「放光寺しおり})より





◎大般若もて叩かるる淑気かな
    淑気(しゅくき):新しい年を迎え、天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちていること。
 どちらのお寺をご参拝されたのだろう。六百巻もある経文を限られた時間内に唱えるのは至難の業だと思う。そこで考え出されたのが転読しながら経文を唱えると云うまるで手品師のような、天に向かって振り上げる方法のよう。その所作は五箇山地方でも歌われきた竹製の「こきりこ(筑子)」からも発する音にも似ていないか。煩悩を打ち払う音だとも、淑気を感じたと。余談になるが、昔々、今の相模湖町周辺に住む人々によって、大般若経六百巻が奉納された。そして、いつ頃か分からないが今度は山梨県の早川町の朝晨庵と云う寺に運ばれ今に至っている。そして、町の文化財に指定される前に、欠巻となっていた15巻を再生した。その再生した15巻は、県の重要文化財にも指定されている塩山市の放光寺が所有する「大般若六百巻」を手本に写し出したと云う。完結後、次代の宝として町の文化財に指定された。その不足分の内9巻を写したのが深沢正志さんだ。深沢さんは奈良田に伝わる伝説や民話を郷土研究雑誌「甲斐路」に連載されていた。昭和41年4月、第一回「甲府信玄祭り」が始まった。この時、観光バスめぐりも始めようと、観光バスガイド文コンクールの募集が行われ、その祭りの日、表彰式も行われた。この時の優勝者が深沢正志さんで準優勝者は私だった。悩み多き青春時代の頃が懐かしい。
 
朝晨庵、「大般若経六百巻」の人々

15  原宿にて20251113 
.
 サルスベリにスズメ
  





 (仮)花見川の土手で 

      20260205 撮影:岩井淑さん
冬暖か老樹がこぼす小鳥たち
 11月に入ると鳥たちも冬支度を始める。サルスベリのちょっとした藪のようなところにも群がる。やがて大寒も過ぎて日も長くなり暖かな光のなかで、鳥たちはサッサと遊び始める、そして、その度に何かが落ちる。生命を繋ぐ老樹にも春を感じさせる。鳥は軽快に遊んでいる。/日本の美術史の中で、老樹と云えば、松、楓、梅の木が挙がるだろう、特に紅梅や白梅は群を抜いていると思うツーンと伸びた梅の枝の部分は中
が空洞となっていることから「見通しがたつ」と縁起物の箸としても売られている。/尾形光琳の「紅白梅図屏風」は日本美術の最高傑作だ。真ん中を流れる抽象の川、両岸に紅梅と白梅が描かれている。老木は写実的、花が咲いている。その老木には灰緑色をしたウメノキゴケまでもが描かれている。「老樹がこぼす」とはこのことだと思う。小鳥たちはそれ程に元気に動き回っている。岩井さんの撮影された写真の中にも活発に動き廻るメジロがいた。千鶴子さんは梅の老樹に自生したウメノキゴケやかさぶたのようになった樹皮の剥がれ落ちた瞬間を物珍しそうに見ていたのでは。/そう云えば「楽しい」と云う漢字は太陽が照り木の上に二羽の鳥がいる。メジロは本当に楽しそうだ。
  ※冬暖(ふゆあたたか・とうだん)」は、冬のさなかに訪れる暖かい日のことや、冬の平均気温が高い「暖冬」を意味する季語です。
16 .
 小松の道端で  202404





◎水仙に睦言の海旅半ば
◎ぶつかる岩あり冬波は思いのまま
◎ななかまど古墳二つが乳房なり
   ※むつ‐ごと【睦言】 ... @ うちとけた会話。むつまじく語り合う話。むつがたり。 ... A 男女二人だけのかたらい。男女の閨房(けいぼう)でのかたらい。
   飯田龍太の俳句「風ぬくし旅半ばより亡き子見ゆ」など、
 この、句集の各1Pには3句が載せられている。千鶴子さんの胸中は如何のものかと、「旅半ば」とは、どのようなことかと、お聞きしたくなり自転車に乗ったのが、何だろう、本当のところは分からないままだ。/夏の日本海は湖のように静かだが、冬の荒波は厳しい。以前私は、札幌から釧路を通り襟裳岬に行ったことがあった。岬の高台から下に降りようと途中まで降りてみたがたが、波が激しくこのままだと・・、そうして怖くなり岩に這いつくばりながら帰った。/千鶴子さんは、そうした 自然の厳しい現実の中に、己を置きながら海を眺めている。脇に水仙の花が咲いていた。二言三言語りかけた。だが、自然は非常にも何も答えてくれない。あの芭蕉もまた悩んだことがあった。野ざらし紀行の始めは重く、苦しい、だが、春になって山道を歩いているとすみれの花が咲いていた。「山路来て なにやらゆかし すみれ草」と詠んだ。千鶴子さんも「ななかまど古墳二つが乳房なり」と、明るく読んだ。これで、良いと思った。自然は時に厳しいが優しさもたっぷりとある。ななかまどの赤い葉っぱをだれと見に行かれただろう。想像の世界が広がる。
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19 . 受け口の鰈(かれい)夕空を焼かれおり
20 . ◎業平の素足思えり都鳥
 都鳥はユリカモメとも云うそうだ。足と頭の部分が赤い。この色の様相を業平に例えたのだろう。京都人の公達か、業平は相模守でもあったので、隅田川の畔にまで来たのだろう、渡守との言葉少な気な会話は伊勢物語の東下りの中に残った。千鶴子さんは、このユリカモメの足元に業平を思ったにちがいない。「あっ カモメッ。」
参考/名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(在原業平)/(原文)/武蔵の国と下総の国との中にある、隅田川のほとりにいたりて、都のいと恋しうおぼえければ、しばし川のほとりに下りゐて、思ひやればかぎりなく遠くもきにけるかな、と思ひわびてながめをるに、渡守、「はや舟にのれ、日くれぬ」と言ひければ、舟に乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、川のほとりにあそびけり。京には見えぬ鳥なりければ、みな人見知らず、渡守に、「これは何鳥ぞ」と問ひければ、「これなむ都鳥」と言ひけるを聞きてよめる意訳)/武蔵の国と下総の国との間にある隅田川までやってきて、都がとても恋しく思われたので、しばらく川岸に下りて、思えば限りなく遠くまで来たものだ、と心細く感じていた。渡し守が「早く舟に乗りなさい。日が暮れてしまうよ」と言うので、舟に乗って渡ろうとすると、一行は物悲しくなって、京に恋しい人がいないわけではない。そのとき、白い鳥でくちばしと足が赤いのが、川のほとりで遊んでいた。京には見かけない鳥なので、皆名前を知らない。渡し守に「これは何と言う鳥か」と尋ねると、「これがあの都鳥さ」と言うのを聞いて詠んだ。/元慶2年(878年) 正月11日:兼相模権守/元慶3年(879年) 10月11日:蔵人頭、右近衛権中将・相模権守如元/墨田区と春日部に業平橋という橋が架かっている。墨田区の橋については業平橋 (墨田区)
21 . 黄水仙みんなわたしの方向いて
一見、傲慢の句にもみえるがどうだろう。だが、ここに「やっと」と、付け加えてみてはどうだろう。無限に千鶴子さんの世界が広がってくる。No22も同じだと考える。七難去ってまた七難、決して諦めることなく前に向いている千鶴子さんの姿が目に浮かぶ。まてよ、これも暫しのことか、また七難はやって来る。四苦八苦とかだれかが云っているよ。
22 . 滝つぼに舞う空瓶はわたしの愛.
23 . 山の向こうへそっぽ向く子や麦こがし
24 . 鳥の眼のときどき光る遠がすみ
25 . 花あしび冥加(みょうが)に狎(な)れし身を懼(おそ)
 毎日を平穏に暮らしている。そうした日常が朝日が昇るように、また、日は西の空に沈んで行く。或る日、千鶴子さんはあしびの花の咲く頃、先祖が眠る墓を訪ねた。そうして、手を合わせる。あしびの花はお彼岸の頃に咲き始める。私がそう感じたのは、あしびの木は墓に植えるものだと教わっていたからである。だが在所の庭の池の畔にもあった。大きさは子供の頃の腰ぐらいの小さな木だった。花はふっくらとして父が大事に育てていた馴染みの深い木だった。
 2026年3月28日、久保沢観音堂で「第26回 戦後81年朗読語り劇 「憶えていますか。あの日の桜の絨緞(じゅうたん)を」の教室が行われた。語り手は河西美仁さんにお願いした。お話は最初から熱気にみなぎり、聞き手側もいつしかその熱気に誘発され堂内は高揚感に溢れていた。朗読劇は戦争への出兵を主題としていた。ほんの少しの休憩を予定していたが、ひとりのお爺(高城)さんが大声で喋り始め皆、その勢いに圧倒されメモを録る人たちもあらわれた。桟俵を投げての防火訓練、竹槍訓練、橋本駅迄の出征兵士の見送り、篠竹で作った日の丸の手旗等々。話は尽きなかったがなかでも、日本の軍人が目隠しをしないまま軍刀で首を刎(は)ねる話だった。堂内は静まりかえった。私は子供のころMちゃんからこの話を聞いたことがあった。そして思い出した。『ここにもあった、本当だ』と、信じられない程の記憶が蘇った。父は体が弱かったので戦争には行かなかった。なので、こんな話は聞いたこともなかった。戦争のやることはこれでも人間か、こんなことを許してよいものか、私の奥底にはいつもそんな気持ちが鎮んでいたのだ。そして、その気持が「はっ」となって出現したのだ。千鶴子さんの云う「懼(おそ)る」気持ちだった。その夜、私は恐ろしい夢にうなされた。
26 . 源氏の君そこにゐそうな簾かげ
27 . 満願の山路大きなかたつむり
36番に
28 . つゆくさに発熱の瞳を洗いおり
29 . ふっと息かければ開く月見草
30 . 実むらさき男におられ耀(かがや)けり
 「耀(かがや)け」は、「輝け」と同じ意味のようだが、特にまばゆい光や、力強い輝きを表現する際に用いられるそうだ。/相思相愛の夫婦であっても、思いがけないことがある。それ程に男と女の気持ちは繊細なところがある。そうだけれど、トイレの便座をその都度拭くことはない。まあ、そんな夫婦が、やらかしてしまったのだ。大事に育てていたかも知れないムラサキシキブの実を旦那様が折ってしまったのだ。でも、その実はまばゆい光を発している。もしかして私も、愛おしい旦那さまから『この女め』と、どこかで云われているかも知れない。そして御夫婦はお互いに、そのどこか、かしこで「ウフッ」と笑っているのである。許されることのできる、おおらかな愛の世界を垣間見た思いがする。
31
 温泉坂にて
◎朱のさみしき一糸乱れぬ曼殊沙華
 朱のむなしさか、あれほどの満月もやがて欠けてゆく。人生はそのようなものだと、万物もそのようなものだと、あれほどに咲き誇った曼殊沙華の花でさえ、やがて一斉に花を落とし茎を落とす。そして、大地の球根となって再びの生命を繋ぐ。「空即是色」の世界だ。何も悲しむことはない。いや、理屈ではそうかも知れないが、私はさみしいのだ。それで良いのだと。毎年の彼岸の頃を思う。
   撮影 2025・09.27
32 . 能面の影父の日の波音よ
 「能面の影 影父の日の 波音よ」と言葉を詠んで見る。能面の影は面の動き影によって歓びや悲しみが表現されるという。これは演者も観客も相当に熟練を積んでいないと面の影からお互いの心を読み取ることは難しい。影父とは今に実在していない偲ぶ父のことか、または御命日の日か。波音は繰り返し繰り返し寄せてくるが、ただの波音だけで何も見えてこない。在りし日の父の面影を追う追憶の世界が見える。
草餅やポケットは鈍い海鳴り 
 そんな或る日、峠から海を眺めていると海鳴りが聞こえてきた。あれは正しく父の声だ。在りし日に父や母たちと一緒に食べた草餅のことを思い出した。心の落ち着いた今の私に、父や母たちと一緒に過ごした日々のことを「海鳴り」が教えてくれたのだ。千鶴子さんのやわらかなこころが見える。 
 15年くらい前の話だが、私は交通事故で右手が動かせなくなった。右肩に7本のピンが打ち込んである。手術の後にリハビリが始まった。当初、私は緊張して腕に力が入っていた。理学療法士の先生が「力を抜いて」と云った。私は力を抜いて先生の言う通りにした。そうすると先生との力の入れ具合迄もが読み取れるようになった。能面の影は、演ずる側も見る側も両者の心が一体とならなければ何も見えてこないと感じた。その、どちらか一方に迷いのあるとすれば恐らくは何も見えて来ないだろう。本当の意味での真実は何も見えてこない。この句にはそうした十分な程の厳しさが込められている私も17で父を亡くした。どこでもいい父に会いたい。絶対肯定の世界が見えて来る。
       ※〔参考〕 静岡県浜松市(旧舞阪町など)などに伝わる波小僧は、命を助けられたことで雨や嵐を海鳴りで知らせるとされている。
33 . もの言うたび犬の耳立つ秋ざくら
34 . 花柊消えて柩のようなビル
35 . 少年季うっとりと柿甘くなる
 甲州に小さい豆粒のように小さなアマンドウと云う柿がある。この柿は霜が降るくらいの晩秋の時期にならないと甘くならない。柿の大体は秋の運動会の頃に食べるものだと。人には大人になって行くために反抗期と云う時期を越える。だが、時に思いがけなく、心の傷むことを聞いたり、言ってしまうことがある。後で、こんなことではなかったと何歳(いくつ)になっても反省すること仕切りである。千鶴子さんは、そのかつての少年から、心傷むことを聞いていたかも。そして今、その少年と再びの対面に、「うっとりと」して聞いている自分がいる。まるであの頃の渋柿のようだ。だが、待てよあの少年を怒らせたのは、私にも原因があったかも知れない。あの頃の私、そして今の私、成長としましょう。二人の穏やかな会話が見えてくる。
36 . 山峡の馬のレリーフ冬の虹.
◎告白のときめきに似て冬岬
 27番に「満願の山路大きなかたつむり」と云う句がある。意味合いは多分同じだと思う。目的のある最中か、突然と虹の立つ風景に出会った。どこの山里か知らないがその途中に馬のレリーフも見た。その冬の空に虹が立ったのだ。もしかして、千鶴子さんの願いが天に届いたか。荒れ狂う空に雷も轟く。冬の嵐が過ぎ去り、荒れ狂った空に今、虹が立っている。その虹の彼方に天馬が駆ける。荒れ狂う空の彼方に向かって天馬が行く。その天馬の手綱を千鶴子さんはしっかりと握っている。それは、立ち向かう人生そのものだ。もう逃げてはいない。 私が「しっかりと」と書きとめたのは、「告白のときめきに似て」と、真摯に受け止めようとする確かな気持ちを感じたからである。どんな状況下であっても私はあなたとともに生きて行きます。何か良さそうな穏やかな春の予感を感じる。
37 . 初明かり橋の真中で背を伸ばす
 昭和8年、鎌倉の吉野秀雄さん御夫妻が鶴岡八幡宮に詣出た。そして、丹塗りの橋を渡った。「神苑の丹塗りの橋に霜とくる したたり清く 年明けにけり」はつ子さんとの仲睦まじき情景が目に浮かぶ。歌紙はその後、表装されて桐の箱に収められた。その蓋の裏に「妻 吉野登美子」と記されていた。こちらも幸せの一生であった。人生の様々に祈りに籠める。それもまた素晴らしい人生だ。
38 . 告白のときめきに似て冬岬   
36番に
39 . 大寒の入り我が骨は知ってゐる
40 . 啓蟄や海へ吹かるる雑木影
No44に
41 . 井戸覗く女陽炎武家屋敷
42 . さえざえと鼬(いたち)振り向く蕎麦の花

冴え冴え【さえざえ】とは
1.とても澄んでいて、少しの陰りもないさま。晴れ渡っているさま。さわやかなさま。
2.冬の厳しい寒さが身にしみるさま。
43 . 百千鳥湧くや館の地底より
No44に
44 . 愁麗や地底に蟇の鳴く館
百千鳥湧くや館の地底より
直射日光があたり、風通しの良い場所を好みます。マイナス1〜2℃まで耐え、霜にあててもOK!
啓蟄や海へ吹かるる雑木影
風よどむ沼を曳きずる昼蛙
沼匂う神も美食も春若葉
太宰忌の川へナイフを落としけり
赤い羽根人形に刺し病んでいる
   「奥底(おくそこ)」/物理的な一番奥の場所や、人の心の奥深く(本心や秘密)を指す言葉
45 . (もず)高音幾世の眠り覚めし壺
46 . 今昔をつなぎそよそよ糸桜
47 . 鳥雲いまも鉛筆舐める癖
48  .
 武内家に遺る集乳缶
◎句は柱遺されし身よ花ざくろ
 千鶴子さんの句集にこうした句の登場してくることを予め予想はしていたが、あまりにも早く読んでしまったので心の置場にやや困っている。私は都井沢に住む故加藤哲雄の奥様である故加藤梅子さんの「冬至梅」と云う短歌集を読んだことがある。友人のような先輩から借りた短歌集だったので見境もなく印をつけながら、どの短歌が一番良いかなどと13回も読み直してしまった。その歌は「集乳缶 朝あさ池に 浸したる日も夢なるや わが身衰ふ」と云う歌だった。「朝あさ池」と音が重なったが、正真正銘の牛飼いの歌だ。牛乳を絞り終えると毎朝、毎夜、集乳缶を横井戸から伝わる冷水の貯まる浅池まで運ぶ。若かった頃にはそれ程までに感じなかった集乳缶が今は重い、老いを感じる悲しいまでの歌だと感じる。千鶴子さんは、まだ、この歳までの衰えはないと思う。だが私には、俳句を生涯の業としてやり抜くと云う強い決意を感じる。本当のことだが、何年も枯れて葉も花もつかなかった「庭のざくろの木」に白い花がいっぱいに咲いた奇跡を私は懐かしむ。これからを、楽しみにしている。最後まで読む。
49 . ◎あいまいな微笑ときには薔薇を噛む
 「世の鬼たちよ!皆に代わって成敗いたす。」やりきれない気持ちを薔薇に託す。私はジプシーではないけれど、時には人前で激しく踊れる事もできますよ。人生には怒れるときも、叩いたり泣いたりしても悲しんでもよいのですよ。思いっきり笑ってもよいのですよ。「喜怒哀楽」が溢れる人間らしい日常を思いっきり楽しみましょう。「オ レイ!」
11番に「現し身(うつしみ)や蚋(ぶよ)まといつく夜の立木」
 千鶴子さんの句をもう100篇くらい読み込まないと本当の気持ちが未だ分からない 2026・4・30 保坂
50 . 石を撫で木を撫でて遍路消えてゆく
11番 現し身(うつしみ)や蚋(ぶよ)まといつく夜の立木
49番 あいまいな微笑ときには薔薇を噛む
 2012年1月16日付、読売新聞に「見聞録2012 四国遍路 1」の連載記事を読む。「(四国遍路の)出発前、霊山寺の芳村超全住職(当時80才)にうかがった心得が浮かんだ。「人生は反省だらけ。日常の雑念から離れ、もう一人の自分と対話することや」」。足の痛みも修行のひとつと割り切る。」とあった。巡礼の旅のはじめか、それとも、旅の終わりか。千鶴子さんに会ってお話をお聞きしてみたい。随分と違うと思う。私達は人間である限り悩み苦しむ。石や木は遠い先祖たちが残した墓標か、祈りの道はどこまでも続く。私もこの道を行く。
51 . つくし摘む日本海を傾けて
52 , その前髪を上げよ五月のメランコリー.
少年季うっとりと柿甘くなる     No35
山の向こうへそっぽ向く子や麦こがし  No23
 「孫は何をやってもかわいいね」 愛情たっぷりのお婆ちゃんより
53 . うかうかと海まで流れてきた椿
 昔、(若狭)小浜の遠敷と云うところの、椿を見に行ったことがあった。白石神社の境内だった。鵜の瀬と云うところにも行った。そして、思わず川の流れに手を浸したあの時の感情を今も忘れない。東大寺の「お水取り」のもうひとつの舞台を見たかった。神宮寺ではご住職から実忠和尚の話も聞いた。私は伊良湖岬に「椰子の実」のことを訪ねたこともあった。流れ寄せる椰子の実。田んぼでは胡桃の実にも。「うかうかと」人生はこのくらいが丁度良いのですよ。
54 . 赤とんぼ充電している石の上
55 . 能面の影父の日の波音よ
32番に
56 . 沼匂う神も美食も春若葉
No44に
57 . 波の華見るそれだけの旅初め
58 . 雪梯子仰げば父の星灯る
 冬の星空はオリオン座が似合うと思う。その星の光は輝いて見える。星の灯るとなれば北極星のことか。そうだ、あの星は私の父(太極)です。灯る北極星に星たちがまわる。私もまわる。父さんの慈愛に満ちた安らかな世界が見えてくる。「仰げば」とあるのは、「来迎」のことの意味も含めるか、私の心に父の心が灯る。「ありがとう」と云う感謝しかない。
59 . オリーブの風の三月妻の黙(もだ).
 北陸に「アエノコト」
61 . うぐいすや幾百年の骨ねむる
62 . 子を抱いて天に声あるさくらかな
雪梯子仰げば父の星灯る
 父の臨終の日、友人が偶然にも慈母観音像をお持ちになされたと云う。先日、その観音像を見せて戴きました。抱かれている赤ちゃんからは何とも云えぬほどの穏やかさを感じました。あの観音さまは父の生まれ変わりか、『きっとそうだ』、「天に声ある」とは、今は亡き父の声そのものではないか。これから私も「念持仏」として枕元に受け継ぐ。頑張れる。ありがとうございました。
63 . 眠いアドバルン葉桜の闇透かし.
64 . 鷺の首十まで数え麦の秋.
65 . 夏帽子君逝きし夜の橋の反り
66 . 太宰忌の雲と話をしてゐたり
67 . 風よどむ沼を曳きずる昼蛙
No44に
68 . ビール苦し猿啼く山の夜半の月
69 . 身を揉んで太る芋虫猫がゐる
70 . 海猫鳴いて 虹ただつみを漂えり
71 . 霧の雨耳輪を鳴らす壺欲しき
72 . 狂わねば見えぬ道ありまむし草
◎あいまいな微笑ときには薔薇を噛む  No49より
「狂わねば怒ることのないまむし草」まむし草の花は、怒り肩のように水平に見える。決して「なで肩」ではない。また、花軸の先が糸のように長いのがタロウさんの釣り糸と例え「ウラシマソウ」と呼ぶ。そのウラシマソウの群落地が畑の近くにある。物事の進み具合いを『こんな筈ではなかった』と、思う時も正直にあるが、これを反省と思えばまた明日に繋がる。俳句だからこそか、日常は静かなものです。「いらっしゃいませ」
73 . 暗がりに耳持つ壺の晩夏です。
74 . 黄落や右脳を埋む石だたみ
75 . 散り際の紅葉足裏にある湿り
76 . 赤い羽根人形に刺し病んでいる
77 . 山気吸えば称名となる水の秋
 白隠さんの書物には健康法を説いたものが多い。声を出しお経を唱えるこれも健康に良い。大きな声を出せば、次に大きく息を吸う。富山県立山町芦峅寺にある「称名滝(しょうみょうだき)」は、落差350mを誇る日本一の滝。4段の落差 (上段70m、中段58m、下段96m、最下段126m)、身も心も絶景そのもの、やがてその川(称名)は七福神の乗る宝船を浮かべて夢枕に現れる。「『福壽』とは、そのようなことじゃよ」と、そして『アハッハッハ』と、白隠(千鶴子)さんが笑う。
78 . 銀杏落つ息ひそめをり朱唇佛
79 . 紅葉して水底歩く魚ごころ
80 . ぐみ熟れて臨海工業地帯燦
81 . 冬薔薇すくっと風を感じてゐる
82 . 饒舌の黒衣聖夜をちりばめて
  ※饒舌(じょうぜつ):口数多く(くどく)しゃべること。おしゃべり。
83 . 喜寿と書くこの慶びに開く梅
 甲府市立北中学校の校歌、作詞 深尾須磨子/作曲 高木東六
1  白根連山 駒ヶ岳/山なみ遠く また近く/光る希望の青い雲/たぎる泉もわいている/
  →ここに叡智の花かおる/北中学よ/我等の母校
3  北のほまれのひとつ星/寒波にひらく梅の花/永久の理想をかざしつつ /進む学びの友われら/
  →歌う心の友われら/北中学よ/我等の母校

 この句を詠んだ時、我が母校の校歌が真っ先に浮かんだ。トンネルを抜け勝沼駅から眺める南アルプスの山容も言葉にならない。懐かしい心の風景。健康でいよう。
84 . 仰ぎ見る雪嶺喜寿の師のうしろ
 日本列島に雪を降らす最初は、北朝鮮の大きな半島のようなところからか。レーザーから雪雲の写り具合いを楽しむ。その雪雲が列島の山沿いに雪を積もらせるか。万年の雪を積もらせるか。人生の幾星霜、風雪に耐え拔く山容、あの松の枝ぶり、まるで先生を物語るかのようだ。私達は先生の「喜寿」を心からお祝い致します。
85 . 草城忌血と思いけり赤インク  
対象外〉 草城忌/1月29日
◎句は柱遺されし身よ花ざくろ(No48)に申し訳ない。
86 . ◎足揉めば総身目覚む親鸞忌
臨終は、親鸞の弟の尋有や末娘の覚信尼らが看取った。弘長2年(1263年) 11月28日満89歳
 〈恵信尼消息は京の娘覚信尼に送った手紙〉家永三郎編「親鸞聖人行実」P145の弘長二歳十一月廿八日の条に「おなし事なから、ますかたも御りむすこにあいまいらせて候ける、おやこのちきりと申しなから、ふかくこそおぼえ候へは、うれしく候(〔く〕:繰り返し記号)と、綴る。遠い越後の国からお疲れさまと云っているようだ。九十で臨終の時を迎えた。足揉みながら自身を奮い立たせているか、長寿の向こうに親鸞さんがいる。)
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