折柴随筆 梅見 昭和10年 滝井孝作

     

          2005・2・11

 中野行きのバスは橋本を出ると、原の中の長い真っ直ぐの街道の上を走るのだ。
刈桑畑ばかりの単調な景色で原のように広がった大地のはるか向こうに荒川の城山の頭が出ていた。この城山は鮎つりのおり見ておぼえがある。こんなに眺めて行くと、ようやく先のほうに杜の丘を背景にひと在所がみえて、比所が原宿だ。
「ここで下りよう」とバスから下りた。
 原宿の在所は真っ直ぐの街道に貫かれ両側に農家が並び、どの軒も路ばたへ向かいて空き地を控えて各々の空き地に大方梅の木が多くて、それで街道の両側梅の並木の景色だ。僕と子供と二人づれは原宿クラブの入り口から左右の梅の花を見ながら街道を歩いて行った。淡色の紅梅が花の輪も大形で一番きれいで、寒紅梅の方は盛りすぎて、やや黄に花がくだち、白い梅は二三分咲きのも見えた。銘木や老木はないがみんな咲き盛りぐらいの幹だ。この在所では凡そ二十五六年以前に戸毎一同に梅を移植したのだそうで、八王子のある友だちは原宿で梅の若木を植える所を見た事があると云っていたが、今は並木を形作るほどになっている。元来只の在所で休所もないし、原宿クラブの外れまで歩いて、外れは例の刈桑畑の景色だから、今一遍、原宿クラブ外れで引き返して同じ路を戻り他によりどころがなかった。
 梅の花は誠にきれいだけれど、中央に広い街道があって全景が真二つに分かれてしまった格好で、またバスやトラックの埃も歩いていると吹きつけた。全体に区域もせまいし単調だ。先刻橋本の方で、「このへんで梅見を聞いたことがない」と云われたが、誰もわざわざ見にくる者もなく顧みないのはもっともだ。けれど、相模平野の原っぱの中のひと在所にこんなに梅の花の沢山美しいことはともかくも一点の風情と云えよう。 原宿は東西へ七八丁ほどの家並みで裏側に防風林の竹やぶが見えて、街道をひと往復して半時間もかからなんだ。この路ばたの百姓家などの間に一軒産婆の看板を掲げた軒も目についたりした。折柄バスを下りたひとりの婦人はそこの門口へ妊婦らしい容子で立ち寄ったが、(うめのシャレではないけれど)ぼくは点景と見て行った。
 帰りには相原の停車場まで歩いてみようと、村の新道へ行った。救農工事で出来上がった道路と見たが、でかい砂利の歩きにくい路で、天気も寒く風立って小雪片さえちらついた。トシコはみかんを吸ったり飴チョコをなめたり素直に田舎路をついてきたが、停車場まで凡そ小一里も歩くので寒い日にはぼくは何か酔狂めいて見えた。(抜粋)


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