一遍上人関連の年譜
2019・4・5 聖繪各巻の奥書を追加する。


西暦 和年号 年齢 主な出来事 一遍上人聖絵巻段  記 事
1232 貞永元年 1月 明恵没(60) 1 1
1233 天福元年 1 1 1
1234 文暦元年 1 1 1
1235 嘉禎元年 1 1 1
1236 嘉禎2年 1 1 1
1237 嘉禎3年 1月27日、二世真教が京都で誕生する(市史)。 1 1
1238 暦仁元年 3月 浄光、鎌倉に大仏を建立 1 1
1239 延応元年 1 2月15日、一遍、伊予温泉郡奥谷宝厳寺内の河野(父通広)家に生まれる。幼名松寿丸 1 1
1240 仁治元年 2 1 1 1
1241 仁治2年 3 1 1 1
1242 仁治3年 4 1 1 1
1243 寛元元年 5 1 1 1
1244 寛元2年 6 1 1 1
1245 寛元3年 7 越智郡得智山に登り縁教律師を師とする(麻山)。 1 1
1246 寛元4年 8 1 1 1
1247 宝治元年 9 8月 時頼、道元を招く 1 1
1248 宝治2年 10 母の死に会って無常の理を悟り、父の命によって出家、随縁と名乗る(聖絵)。 1 1
1249 建長元年 11 1 1 1
1250 建長2年 12 1 1 1
1251 建長3年 13 春、僧善入とともに大宰府の聖達(浄土宗西山派の僧)の禅室に入り、建長6年まで肥前清水の華台(浄土宗西山派の僧)に、名を智真と改める(聖絵)。 第1巻1段
1
1252 建長4年 14 1 1 1
1253 建長5年 15 縁教律師によって薙髪、随縁と名乗り台教を学ぶ(麻山)。
11月 建長寺落慶
1 1
1254 建長6年 16 春、再び聖達のもとに帰される(聖絵)。 1 1
1255 建長7年 17 1 1 1
1256 康元元年 18 縁教のもとを去り、比叡山に登り慈源僧正の室に入り三大部及び密灌をうける(麻山)。 1 1
1257 正嘉元年 19 1 1 1
1258 正嘉2年 20 1 1 1
1259 正元元年 21 1 1 1
1260 文応元年 22 7月 日蓮「立正安国論」を時頼に進める。 
冬、兄の通真が死去、福良三郎通透なるものが随縁を亡き者として家督を横領しようと計画する(麻山)。
1 1
1261 弘長元年 23 春、福良三郎はひそかに郎従を京都へやり、隋縁をだまして誘い出し殺害しようとする(麻山)。
5月 日蓮、伊豆伊東に流される。随縁いっそう発心を深め京都から奥州に赴き会津東明寺へ。
秋、相州当麻に来る(麻山)。愛甲郡上依智村薬師堂に来たり、夜もすがら念仏したところ妙見菩薩の示現により、霊光が東北方向に現れる。(麻山・神奈川大観)
伊予では河野の郎党関山通安、通昌兄弟が福良を殺して随縁の後を追い、夢告によって当麻に来て薪水の労に侍す(麻山)。
1 1
1262 弘長2年 24 11月 親鸞没(90) 1 1
1263 弘長3年 25 5月 日蓮、伊豆伊東に流される。
5月24日、父通広(法名如仏)の死去のため帰郷、俗界に交わったが再び故郷を旅立つ(聖絵)。
第1巻2段
1
1264 文永元年 26 この年、京都に上って初めて西谷観智上人について浄土を学び、名を智真と改める(麻山)。 1 1
1265 文永2年 27 1 1 1
1266 文永3年 28 1 1 1
1267 文永4年 29 1 1 1
1268 文永5年 30 1 1 1
1269 文永6年 31 1 1 1
1270 文永7年 32 再び当麻山に留錫して金光院を造る(麻山)。 1 1
1271 文永8年 33 春、善光寺に参詣。参籠日数を重ねて下向、この間に「二河の本尊」を描いた(聖絵)。
秋、伊予に帰り窪寺に閑堂を構える(聖絵)。
9月12日、日蓮を竜口の刑場で斬ろうとしたが異変のため中止。翌日、依知の館に預けられる。そして佐渡へ配流される。/当麻村無量光寺開祖一遍がこの依知に来、日蓮配流の由を聞き、当所観音堂に来て日蓮に謁見した」(新編相模風土記稿)。鎌倉に行き大覚禅師に謁する(麻山)。
第1巻3段
1
1272 文永9年 34 1 1 1
1273 文永10年 35 7月 日蓮「立正安国論」を時頼に進める。 
 7月、伊予国菅生の岩屋に参籠(聖絵)。
第2巻1段
1
1274 文永11年 36 3月 浄光、鎌倉に大仏を建立。 
2月8日、伊予桜井で聖戒と別れた一遍は同行三人(妻超一、娘超二、従者念仏坊)を連れて伊予を出る。天王寺に参籠し高野山に詣でる。夏、高野山から熊野に参詣、山中で僧に念仏札を授けるが「まだ信心がおこらぬからと」と断られる。本宮証誠殿にて、山伏姿をした大権現が現われご神託をうけられる。目を開くと童子が多数あらわれ、念仏ふだをねだる。 (聖絵)
6月13日、新宮から聖戒にたよりがある(聖絵)。妻子を捨てる。 
九州に赴き、鎮西良恵上人に謁し、ついに浄土の法義を伝えられる(麻山)。
第2巻2段
第2巻3段
第2巻4段
第3巻1段

1
1275 建治元年 37 熊野〜京〜西海道を経て秋、伊予に帰り国中を勧進する(聖絵)。
春、宇佐の宮に詣で37日間参籠する。雲夢を感じ回国結願の大願を発し、名号の箋(ふだ)を作って多くの人々を感化する(麻山)。
夏、再び伊予を出て秋に京にいたり男山に参籠、(麻山)
12月熊野の証誠殿に詣でる(麻山)。
第3巻2段
1
1276 建治2年 38 九州に渡り、73歳になった聖達の禅室を訪れる(聖絵)。他阿弥陀仏(二世真教)が一遍に会う(聖絵)。
3月25日、熊野権現が示現し「六字名号一遍法」の頌を授ける(麻山)。
第3巻3段
第4巻1段
1
1277 建治3年 39 秋、回国して九州に至り豊後国府で念仏を勧化。同国鶴見岳で神感があり温泉を設けて癩人の垢を手ずからとってやる(麻山)。二世真教が帰依し三世智得が発心する(麻山)。「年譜略」ではこの年、薩州、壱岐、対馬まで渡る。 第4巻2段 大隈八幡宮に参詣の図(時期不明)
 
1278 弘安元年 40 夏、伊予〜安芸厳島に詣でる。冬、備前藤井の政所に念仏をすすめる。家主吉備津宮の神主の子息夫妻が発心出家する(聖絵)。 第4巻3段
1
1279 弘安2年 41 春、京に上って因幡堂に宿する。8月、善光寺に赴く。信州佐久郡伴野の市庭の在家で歳末別時を行う。紫雲初めて立つ。小田切の里の武士の屋形で念仏踊りを初める(聖絵)。三日三晩の供養を行い数百人が踊って床の板敷きが抜ける(聖絵)。 第4巻4段
第4巻5段
第5巻1段

1
1280 弘安3年 42 奥州に赴き、白川の関を通り関の明神に参詣、承久の乱で江刺郡へ配流となった祖父通信の墓に詣でる(聖絵)。松島、平泉をめぐり常陸に来たとき、悪人が時衆の尼に乱暴しようとし、その罰で中風になったのを治す。武蔵の石浜で時衆4,5人が病気になる(聖絵)。 
この春時衆の行儀をさだめ制裁を製す(麻山)。
第5巻2段
第5巻3段
    
第5巻4段 常陸国にて奇験を示す。(時期不明)
1281 弘安4年 43 春、当麻に帰る(麻山)。時衆の法律が初めて備わる。自らの真影を彫刻して後林の中に安ずる(現在の無量光寺本尊で市指定文化財)(麻山)。「年略譜」では春、常陸で修行して、夏、武蔵の八王子を巡行、当麻に至り道場を建立、七日間の歳末別時を行う。 1 1
1282 弘安5年 44 春、鎌倉に入ろうとして「ながさこ」に三日間逗留。(聖絵)
3月1日、小袋坂から入る。執権時宗は山内に出るというので制止。片瀬の御堂で断食別時。上総の生阿弥陀仏に念仏を授ける。片瀬の浜の地蔵堂に移り、道場で踊念仏を行う(聖絵)。
7月、伊豆国三島大社に参詣(聖絵)。 
10月 日蓮没(61) この年北条時宗、円覚寺を建て敵見方戦没者を供養する。
第5巻5段
第6巻3段
第6巻1段

第6巻2段 武蔵国あじさか入道、富士川に入水往生をとぐ。(時期不明)
1283 弘安6年 45 東国より上洛の途中、尾張の名刹甚目寺に入る(聖絵)。 第6巻4段 1
1284 弘安7年 46 4月 北条時宗没(34)
4月16日、京都に上り、四条京極の釈迦堂に入る。空也上人の遺跡市屋に道場を建てる。(聖絵)
5月、桂に移り秋まで滞在する。(聖絵)。秋、北国に行く途中、穴生におもむく(聖絵)。
第7巻2段
第7巻3段
第7巻4段
第8巻1段
第7巻1段 近江国関寺にて七日の行法を始める。(時期不明)
1285 弘安8年 47 5月、山陰を遊行中、丹後の久美浜で海中より竜が昇天するところを見る(聖絵)。 第8巻2段
第8巻3段 美作国一宮に参詣する。(時期不明)
1286 弘安9年 48 再度、四天王寺を参詣、壺中にとどまる舎利を出す(聖絵)。聖徳太子の御廟〜当麻寺に参詣する(聖絵)。冬、石清水八幡宮に参詣、淀の上野で踊り屋を作り踊念仏を行う(聖絵)。如一上人を荼毘にふす。いなみのの教信寺に一夜宿る(聖絵)。   第8巻4段
第8巻5段
第9巻1段
第9巻2段
第9巻3段
1
1287 弘安10年 49 春、播磨国書写山に参詣。備中国軽部の宿にて、花のもと教願往生をとぐ。備後一の宮に参詣、供養に秦皇破陣楽(じんのうはじんらく)という舞楽を奏した(聖絵)。秋、安芸の厳島神社に参詣、妓女ら舞を奏す(聖絵)。     第9巻4段
第10巻1段
第10巻2段
1
1288 正応元年 50 12月、伊予三島社に参詣(聖絵)。 第10巻3段
1
1289 正応2年 51 5月、讃岐国の善通寺と曼荼羅寺を参詣、阿波の大鳥の里に移った一遍は体調がすぐれず死期の近づいたことを語る。淡路国二の宮に参詣し、社殿の正面に歌を書いた札を打ちつける。(聖絵)
8月2日、人々に「遺誡」を示す。(聖絵)
8月10日、所持の書籍などすべてを焼き捨てる。(聖絵)
8月23日、兵庫の光明福寺の観音堂において、阿弥陀経を読み終え静かに往生する(聖絵)。他阿ら丹生山に登り、一遍を追慕し餓死しようとする。他阿の初賦算
(はつぶさん)(絵詞伝)。 
第11巻1〜4段
第12巻1〜3段
以下一遍上人絵詞伝
 
1
1290 正応3年
夏、他阿、越前の惣社に参籠する(絵詞伝)。 1 1
1291 正応4年 8月、小山律師道場に来る。他阿、律師に昼食を与う。律師改心して往生をとぐ(絵詞伝)。 1 1
1292 正応5年 秋、越前惣社に再度の参詣中、平泉寺の衆徒ら狼藉。石を投げられるが他阿らには1つもあたらなかった(絵詞伝)。 1 1
1293 永仁元年
(8・5改元)
越後に至る。ときに中条七郎蔵人が師について剃髪(麻山)。 1 1
1294 永仁2年 越前敦賀の気比明神に至る(麻山)。 1 1
1295 永仁3年 1 1 1
1296 永仁4年 1 1 1
1297 永仁5年 6月、下野国小山新善光寺如来堂に逗留(永仁6年か時期?)。冬、相模に(麻山)。 1 1
1298 永仁6年 武州村岡にて、所労のため病床につき臨終を覚悟、時衆のために「他阿弥陀仏同行用心大鋼」を書き残す(絵詞伝)。 1 1
1299 正安元年 8月23日、一遍の十年忌に当り、聖戒が詞書(ことばがき)、『一遍聖絵』12巻を撰し、絵師の法眼円伊に描かせる。『一遍聖絵』は、別名を『一遍聖絵六條縁起』、『一遍上人絵伝』とも呼ばれている。  
12巻の臆書に「正安元年己亥八月廿三日西方行人聖戒記之畢 畫圖法眼圓伊/ 外題三品經尹郷筆」とあり
1 1
1300 正安2年 甲州の一条某が帰依、一連寺を建立する(麻山)。甲州小笠原で日蓮の門弟らが道場に乱入して念仏を誹謗する。板垣入道が弟子となり御坂を越え河口まで見送る(麻山)。この年、他阿真教相模に来る(麻山)。 1 1
1301 正安3年 10月、伊勢大神宮へ参詣。外宮にて他阿の手より金色の光を放つ(絵詞伝)。真教、呑海に命じ、七条道場を建立(七条道場文書、真教消息)。 1 1
1302 乾元元年
(11・21改元)
春、敦賀逗留の他阿のもとへ江州小野社の神主実信より招請の書状来る。 (絵詞伝)
8月15日、兵庫につく、一遍の御影堂に参詣。17日より7日の別時念仏を観音堂にて始業、一遍の十三回忌を行う(絵詞伝)。
秋、武蔵に来る。恵光上人(呑海)が帰依(麻山)。この年、幕府、一向宗徒の活動を禁止する。
1 1
1303 嘉元元年 春2月、相模の当麻に帰り、金光院を改め無量光寺と号し、伽藍を建立する(麻山 注)「当寺建立之記」では嘉元2年)。12月、歳末別時念仏を相州当麻で修す。(絵詞伝) 他阿はこれをもって二祖の座から引退し、当麻に独住する。 1 1
1304 嘉元2年 1月、三祖となった智得(ちとく)、相州平塚で初賦算。   1 1
1305 嘉元3年 真教、白幡道場で別時謹行を勤める。 1 1
1306 嘉元4年
(12・14改元)
正月二十五日 真教、「別時念仏結番」を定める。
6月1日、真教が10巻の「一遍上人縁起絵」(現存せず)を熊野権現に奉納、「奉納縁起記」の願文を添える。
真教、神夢により、初めて八菅権現に参詣する(麻山)。
1 1
1307 徳治2年 真教、上総の国に赴き、長南の道場に留?する。 1 1
1308 延慶元年 真教、境内の西北の隅にムクの種子を蒔き当麻天神社を建立する(麻山)。 1 1
1309 延慶2年 1 1 1
1310 延慶3年 冷泉為兼の下向にあたり、真教、為兼に会って念仏往生のいわれを説く。京都に赴き、
9月熊野を経て、遠江国鎌宿に行き勝田証阿弥陀仏(越前左近太夫蓮昭)と会う。この時、「夫木集」の選者長清も真教を訪ね、十五番歌合わせを行う。
12月、別時謹行に長清は真教を自宅に招き歌の贈答を行う。
1 1
1311 応長元年 1 1
1312 正和元年 一条時信、一条忠頼夫人の建てた尼寺を時宗に改め一連寺とし、弟宗信(法阿朔日)を開山とする(甲斐国志)。 1 1
1313 正和2年 8月15日、暁月房(冷泉為守)が当麻山に参詣し、折からの名月にたいし歌を詠む。歳暮に寿阿弥陀仏(佐竹安芸守貞俊)が詣でる。 1 1
1314 正和3年 1 1 1
1315 正和4年 1 1 1
1316 正和5年 6月、冷泉為相が当麻山を詣で「点あい」をする(当麻山の歴史)。藤沢の住人、藤沢四郎太郎が夢のお告があったと、当麻山独住中の真教に対し呑海へ賦算権を授与できるよう願い出たところ、真教は念仏弘通の摺形木一を呑海のもとに送る。この賦算権は初め京都に限られていたが後、地方への賦算が許される(七条道場文書、真教消息) 1 1
1317 文保元年 1 1 1
1318 文保2年 1 1 1
1319 文保3年
(4・28改元)
1月27日、他阿、当麻で入滅(83才)。呑海は、遊行賦算のさい諸国の動静をさぐる事を条件に執権北条氏の庇護を受ける。呑海、二世真教の意に反していたため当麻道場に帰ることを許されず。 1 1
1320 元応2年 7月1日、三世智得、当麻で入滅(61才)(麻山)。 1 1
1321 元亨元年 1 1 1
1322 元亨2年 1 1 1
1323 元亨3年 1 1 1
1324 正中元年 1 1 1
1325 正中2年 四世呑海(どんかい)、遊行寺を建立する。 1 1
1326 正中3年 1 1 1
1 1 1
1 1 1
1 1 1
1691 元禄4年 3月 当麻山35世、慈眼が「麻山集」を著す。 1 1
1 1 1
1 1 1
1 1 1
     
凡例
聖戒編 一遍聖絵十二巻
宗俊編 一遍上人絵詞伝 十巻
是名編 麻山集

年譜では(聖絵)と表示
年譜では(絵詞伝)と表示
年譜では(麻山)と表示

参考 国会図書館収蔵本(寫本)各巻別、奥書の記載状況

巻数
 主な内容 購求日付 製本日付 奥 書
作成月 再傳者 備考
[1] T2・2・4 T4・6・22   ー 晴山寫 pid/2591573 右繪詞書共 晴山寫
[2] T2・5・24 T4・6・22 大正二年五月 鈴木久治 pid/2591574 繪詞書共 天保庚子六月 養福
       
大正二年五月 鈴木久治 再傳
[3] T2・7・25 T4・6・22 大正二年七月 鈴木久治 pid/2591575 天保十一子七月上旬 詞書共 糺誰岱 寫
     大正二年七月 鈴木久治 再傳
[4] T2・10・22 T4・6・22 大正二年十月 鈴木久治 pid/2591576 右一巻繪及詞書 天保十一年歳次庚子孟夏
       京師寫於 歓喜光寺狩野藤太養長
       大正二年十月 鈴木久治 再傳
[5] T3・1・13 T4・6・22 大正二年十二月 鈴木久治 pid/2591577  右繪詞書共 岩嵜如淵信
     大正二年十二月 鈴木久治 再傳
[6] T3・3・23 T4・6・22 大正三年三月 鈴木久治 pid/2591578 右第六巻詞書并繪  養實寫
(省略)
     大正三年三月 鈴木久治 再傳
[7] T3・5・20 T4・6・22 大正三年五月 鈴木久治 pid/2591579 天保十一庚子八月 養福
      大正三年五月 鈴木久治 再傳
[8] T3・7・15 T4・6・22 大正三年七月 鈴木久治 pid/2591580 右八巻 詞書共 糺晴岱養
       大正三年七月
 鈴木久治 再傳 
[9] T3・9・25 T4・6・22 大正三年九月 鈴木久治 pid/2591581 右繪詞書共  養長寫
      大正三年九月
 鈴木久治 再傳 
[10] T3・11・24 T4・6・22 大正三年十一月 鈴木久治 pid/2591582 右繪詞書共 岩嵜信盈
      大正三年十一月 鈴木久治 再傳
[11] T4・1・13 T4・6・22 大正四年一月 鈴木久治 pid/2591583 右一巻詞書 養長寫 
此一段 伊教寫・・・処主用無暇ニ依テ
人物仕立樹木
養長助寫
      大正四年一月 鈴木久治 再傳
[12] T4・2・26 T4・6・22 大正四年二月 空如
鈴木久治
pid/2591584 右一遍聖繪及詞一巻於
  京師歓喜光寺模寫畢天保十一年歳在庚子秋八月
             狩野養長

     大正四年二月 空如 鈴木久治再傳
奥書を下に別記

第十二巻 奥書(全)                                                        ←読み順
   
 ↑ハコの蓋、裏面に記された朱塗の文書       ↑聖繪十二巻が収められたハコ表の文字       ↑納められたハコの絵図                ↑聖繪作成年と修理年況

資料
小野澤眞著 金沢文庫研究 -(327)   2011-10 p.27-35
         「かつて存在した神奈川県相模原市無量光寺本『遊行上人縁起絵』 : 文書にみる焼失文化財」  
小野澤眞著 鎌倉遺文研究 / 鎌倉遺文研究会 編 (28) 2011-10 p.50-75
         「中世「時衆」の成立 : 一遍・他阿真教による組織化と庶民化」  
小野澤眞著 掲載誌 武蔵野大学仏教文化研究所紀要 / 武蔵野大学仏教文化研究所 編 (33) 2017 p.43-56
         「国宝 一遍聖絵」展にみる時衆研究
宮次男編「日本の美術 No56 一遍上人絵伝」 至文堂 発行 昭和46年1月

      時衆関連の研究課題
      「甲州道中記」から見た駒橋位置がやや不明。
      また三世遊行上人の和歌が存在しているかまた何時のものかは不明、調査要
      甲斐国志古跡部から 
       駒橋 大月、花咲ノ間桂川に架ス長三拾四間、幅壱丈・・・・・・
        甲斐の猿橋を渡り駒橋といふ処に至りてよみ待りける  他阿
        猿橋をわたりてみれば駒橋やおとりはねつつかけておくらん
        真跡新倉村如来寺ニ所蔵ス相伝テ遊行三世ノ筆跡ト云此寺古ヘ時宗ナリ 



                相模原市・当麻の風土
                戻る