安全な水を送る努力 2006.4.4 作成
2001(平成13年)7.23付 朝日新聞より 慶応元年の久保沢宿と谷津川の様子 相模国津久井郡川尻村字久保沢沿革図(部分) 大正三年の作図より 久保沢町の中央部には用水が引かれ、その水を利用しながら人々は暮らしてきました。谷津川に堰を設け水を引いたことから谷津川のことを「堰の川」とも呼びました。上 図の中央部下側、久保沢宿と谷津川が合流する地点から南側に慶応元年6月、佐原木町が誕生しました。また、下流の段丘面のところでは地形を利用した水車小屋もありました。 安全な水を送る努力 明治43年8月11日、暴風雨のため津久井郡三沢村地内の山腹で地すべりが発生しました。 そのため水道路線が崩壊し断水が続きました。こうした事故を未然に防止するため導水路を変更する第2回拡張工事が開始されました。向原揚水ポンプ場はその完成までの応急措置として建設されました。直ぐ上流に谷津川が流れ込んでいるため、新たに谷津川の導水路も施行、取水口となる揚水ポンプ場に谷津川の水が入らないよう石垣で導水路を造る工夫が施されました。 現在は相模川も谷津川も河床が下がり想像もつきませんが残された「石垣」から当時の先人の努力を垣間見ることができます。 2006.4・1 八木薫さんの作図
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