俳人・四方庵ほう水の年譜

              2014・4・21 「厚木市史 近世資料編(3)文化文芸」関連ヶ所を追加
西暦 和年号 年齢
1744 延享元年 1 鎌倉郡戸塚宿矢沢、中出善兵衛の三男として生まれる。
1745 2
1746 3
1747 4
1748 5
1749 6
1750 7
1751 8
1752 9
1753 10
1754 11
1755 12
1756 13
1757 14
1758 15
1759 16
1760 17
1761 18
1762 19
1763 宝暦13年 20 平賀源内、「物類品しつ」、「根南志具佐」、「風流志道軒伝」を刊行。
1764 明和元年 21
1765 明和2年 22 白雄、松露庵鳥明に師事、俳号を昨烏と名のる。
1766 明和3年 23 松露庵烏明(しょうろあんうめい)に師事、俳号をほう水、庵号を伏亀舎と名乗る。
(注)城山町史では34歳とあるので安永6年か不明調査要
8月序、松露庵鳥明編、「はいかゐ治歴覧古」に秋笆ほう水の名で「正面を廻して見せる踊哉」の俳句を寄稿する。(棉屋文庫蔵)
1767 4年 24 11月、松露庵鳥明編「さかみの文」に俳句をおさめる。
1768 5年 25 秋序、松露庵鳥明編はいかる雲と鳥」に俳句をおさめる。
1769 明和6年 26 1月、松露庵鳥明編「明和六巳丑歳旦(松露庵歳旦)」に俳句をおさめる。
4月4日、 白井鳥酔品川で病没。享年69才。
10月、松露庵鳥明編「はいかゐ南浦の春」に俳句をおさめる。
1770 7年 27 1月、松露庵鳥明編「庚寅歳旦松露庵」に俳句をおさめる。
○この年、白尾坊昨鳥(加舎白雄)が「おもかげ集」を出版する。 
     樫柏 つきづきしさや かんこ鳥  戸塚 ほう水

    ※つきづきしさや/いかにも似つかわしい、ふさわしい   ※かんこ鳥/カッコウの異名
    「おもかげ集」は信州更科郡姥捨山長楽寺に芭蕉面影塚を建立した時の記念集
10月、松露庵鳥明編 百明序「俳諧武埜談笑」に俳句をおさめる。
1771 8年 28 1月、松露庵鳥明編(松露庵歳旦)「明和八辛卯歳旦」に俳句をおさめる。
○この年、松露庵鳥明序 自序「月見ぬ庵」に俳句をおさめる。
1772 明和9年 29 田沼意次、老中となる。  11.16改元
安永元年の年、松露鳥明編 百明序「俳諧蓑のうち」に俳句をおさめる。
1773 安永2年 30 10月序、松露庵鳥明編 自序「俳諧古にし夢」に俳句をおさめる。
1774 安永3年 31 杉田玄白、「解体新書」を刊行。
10月序、松露庵鳥明編 自序「俳諧ふたつの文」に俳句をおさめる。
1775 4年 32 4月序、松露庵鳥明編 自序「既七とせ(鳥酔七回忌)」に俳句をおさめる。
1776 安永5年 33 ○この年、松露鳥明編 百明序「俳諧はてしハ紀行」に俳句をおさめる。
2月序、鴫立庵百明編 自序「そのきさらぎ」が刊行される。
   ふらりふらり 湯もとり連るゝ春の風  戸塚 ほう水
○この年、白雄、松露庵一門と不和になり、鳥明より破門され諸国を旅する。
10月序、松露庵鳥明編 自序「俳諧二季のあした」に俳句をおさめる。
1777 6年 34 ○6年〜8年の年、松露鳥明編 百明序「俳諧四季のくさくさ」に俳句をおさめる。
1778 7年 35 ○この年、 百明編 自序、「玩世松陰」に俳句を寄稿する。
1779 安永8年 36 平賀源内、獄死(52才)・塙保己一ら「群書類従」編纂を始める。
1780 安永9年 37 ○この年、川尻村畑久保の八木家を嗣ぎ、文蔵の娘米を妻として太郎左衛門と名のる。
○この年序、百明編 古よろ藝方来房序の「(玩世松陰)」に俳句をおさめる。
                      戸塚→津久井縣 ほう水
白雄、江戸に帰り日本橋に春秋庵を開く。「春秋編」初編刊行。
   
 はつ汐は松を栞の渚かな 武津久井縣 ほう水
1781 天明元年 38 4月、鳥明・百明編 鳥明跋「俳諧四季供養(鳥酔十三回忌追善)」に俳句をおさめる。
○この年、松露庵鳥明編「俳諧松露庵随筆」が刊行される。  
        暁や門田の氷凍る音 築居 ほう水 
1782 2年 39 この年、松露庵鳥明「松露随筆(内題)」に俳句をおさめる。  むさし築居 ほう水
1783 天明3年 40 この年、松露庵鳥明編「俳諧松露庵随筆」に俳句をおさめる。 むさし築居 ほう水
与謝蕪村没(68才)・大田南畝(蜀山人)、「万載狂歌集」を出版。
1784 4年 41 この年の夏序、亀斎編「追善 雪の典形(楽只一周忌)」に俳句をおさめる。畑久保 ほう水
○この冬序、加舎白雄 桃源庵文郷序の「春秋稿四篇大塊」に俳句をおさめる。
1785 天明5年 42 6月23日、「暁天夢相 田も畑もさかんの花に作取」 
1786 6年 43
1787 天明7年
44 松平定信、老中となる。
○この年、ほう水、「未年草稿」の句帳一冊を記す。
1788 8年 45 ○この年の冬、丈水芭蕉句碑建碑記念(猿ヶ島村 木立寺境内に建立)の「猿墳集」を刊行する。
散や桜桟の流いや青さ
軒に根付よもきか露に蛍哉
うしと見し三十の人の躍(おどり)かな
雨露や枯野に朽ル 古わらんし 
ほう水
ほう水

ほう水
ほう水
   相畑窪 長松の俳句の後に、同所として四句を納めた。  
1789 天明9年 46 1月25日改元。
5月、春秋庵評 暮雨巷暁台評 星布催主の「雛 田植 たなばた おしの句あはせ」に俳句をおさめる。
○この年、ほう水「酉年草稿」の句帳一冊を記す。
1790 寛政2年 47 ○この年、白雄編の「はるの音つれ」に俳句をおさめる。  ツクイ ほう水
1791 寛政3年
48 九月十三日、白雄、江戸春秋庵にて病没。享年54歳
   悼白雄居士 寛政三年辛亥 九月十三日

    うち臥て鏡の裏とは
   大樹公の薨御をあをかれしそ
    きのふけふにおもはれて

   其裏の裏の鏡の後の月
  
伏亀舎(ほう水)、「亥年草稿」の句帳一冊を記す。
1792 寛政4年 49    六月登富山
   同甲斐国なる岩殿山に登る
   此地天正のはじめ小山田兵衛忠義を変す 
   其汚名今に人の傍
(かたわ)をかなしむ
   人は慎へし

  澄濁心□扱し苔清水
  
1793 5年 50 ○この年の冬序、露柱庵春鴻編の「俳諧冬瓜汁(白雄三回忌追善)」に俳句をおさめる。 ツク井縣 ほう水 
1794 寛政6年 51 10月18日、鴫立庵七世三浦柴居(しおり)没。
○この年、ほう水主人、「寅年句牒」の一冊を記す。
1795 7年 52 ○この年の春序、葛三篇の「衣更着集(円位上人六百年忌)」に俳句をおさめる。       津久井縣 ほう水
○この年、葛三篇 露柱庵春鴻序の「春秋稿 (第六篇)天地」に俳句をおさめる。       つく井縣 ほう水
1796 寛政8年 53 9月、葛三篇の「春秋稿 (編次外)大鬼」に俳句を寄稿する。    筑井縣 ほう水
○この年、庵号を四方庵と改称 この頃から俳諧に専念する。
1797 寛政9年 54 ○この年の序、松原庵星布の「美登里能松」に俳句を寄稿する。 津久井 ほう水
9月跋、松原庵星布編「七とせの秋」に序文を寄せる。
 序文 松ハら庵星布うしハ其先鳥酔居士の滑稽に遊ふ。はやくも鳥酔居士みまかりたまひしより白雄
   居士にしたかひて道をとふこと年ありて武蔵野に冠たり。今や白雄居士七とせの忌日とハんと遠
    近の友とちをかたらひて霊前に生芻一束を備えるの志をしたひておの(おの)一章を奉る。是を剞
    けつに授て小集を(一オ)四方の君子におくらんとす。尚始に先師の奥州紀行をあらハす。是や壁
    中に朽ことを恐るゝとなむ。其趣仲由に等しkらんと。予も後にしたかひて一章を奉り梓の力をそえ
    むとすれハ其始ひものせよとなん。依以毫を四方庵中に揮□     ほう水 印 

   小男鹿と笛に呼名を給りて
    月や花や是非なくもうツり行秋そ
    うくひすに身退たる人問ん
    我あれハ影あり月の欠そめし


        資料 榎本星布尼句集 古典文庫第621冊 平成10年8月発行
              編者 矢羽勝幸・柏川修一・小磯純子・船水暢子 発行 古典文庫

9月、葛三編の「春秋稿 七篇 天 塊」が白雄七回忌追善として出版される。
   いふ事の尽せて更し月夜かな      ほう水
    うくひすの啼かハす宿を訪得たり
 相中 ほう水 
   文台 露柱庵春鴻・執筆 年々庵帰童・主 春秋庵葛三
 
  「白雄居士休広忌誹諧」は同年九月十日、鮫州海曇寺(品川区)で行われた。  
1798 寛政10年 55 ○この年、歌仙 「ほととぎす」の巻、倉田葛三と吟ず。
1799 寛政11年 56 正月跋、松原庵星布冥々序 自跋の「松の花」に俳句をおさめる。    畑久保 ほう水
○この年、歌仙 「梅祈り」の巻、露柱庵美濃口春鴻と吟ず。
1800 寛政12年 57 7月、鴫立庵、秋暮亭の再建のために「天井板拾坪 ほう水 八木太郎左衛門」の寄附を行う。
            「寛政十二庚申七月廿二日 秋暮亭再建寄附諸入用紙」より
 
  寛政九年 大磯 鴫立庵
   
 東海道名所図絵より 
秋暮亭


 
 昭和初期  俳諧道場秋暮亭
   「2007.4 鴫立庵 発行 大磯町観光協会」より引用
1801 享和元年 58 ○この年、鴫立庵八世倉田葛三編 露柱庵春鴻序による、秋暮亭の再建を賀し「風やらい」を刊行、俳句をおさめる。
               参考 松宇文庫蔵、「神奈川県郷土資料集成3」並びに「葛三全集」に収める。
2月5日改元
8月跋、松原庵星布編 重厚序 塩野光迪跋「蝶の日かけ」に俳句をおさめる畑久保 ほう水
8月跋、天姥虎杖編 春鴻跋の「つきよほとけ(信州長楽寺の白雄句碑建立記念)」に俳句をおさめる。
 
    
1802 2年 59
1803 享和3年 60 ○この年、妻、米が没。 「水鶏(くいな)鳴く この夕べかな 一人かな  ほう水
1804 文化元年 61 10月、坎水園伯先 自序 秋暮葛三跋の「香組艸」に俳句をおさめる。 
○この年、葛三編の「きのえね」に俳句をおさめる。
1805 文化2年 62 正月序、鴫立庵葛三編の「ありとし」に俳句を寄稿する。  つく井 ほう水
1806 文化3年 63 11月、鴫立庵葛三編 愚老十時庵序(秋暮亭芝居十三回忌追善)の「頓写のあと」に俳句をおさめる。
1807 文化4年
64 ○この年の夏序、天姥虎杖庵虎杖編「いぬ榧集 乾 坤(白雄十七回忌)」に跋文・俳句をおさめる。
○この年、春秋庵雄房編「俳諧発句五百題」に序文を寄せる。
○この年、伏亀舎(ほう水)、「卯年草稿」の句帳一冊を記す。
○この年、未人編 金令舎跋(春秋庵白雄十七回忌)の「くさかね集」に俳句をおさめる。
1808 文化5年 65 4月、当麻山無量光寺に丈水の句碑が建立される。 「花よ花 念仏よ念仏よ 当麻山 九十一翁 丈水」
1809 文化6年 66 6月跋、ち啄編 鴫たつ庵葛序(露柱庵春鴻七回忌追善集)の「鴫の井」に跋文を寄せる。津久井あかた ほう水
○この年、桂川甫周没(55才)
1810 文化7年 67 4月序無量光寺の那謨(南謨)が五柏園丈水三回忌追善句集、「とをほとゝきす」を刊行する。
     髪剃れと動をうけし苔清水  ほう水
12月跋、素檗篇 自跋の「続草枕集」に俳句をおさめる   豊水とあり、検討要 
1811 文化8年 68 3月跋、杯度序 さゝなみ屋のあるじ跋の「春山集 (星布八十賀集)」に俳句をおさめる。 畑久保 ほう水
○この年跋、阿喜良編 葛三跋(吉田李井九回忌追善)の「さくら念仏」に俳句をおさめる。 
1812 文化9年

69 3月、小林芹江(きんこう)句碑建立記念の句集「うめこよミ」に序文を寄せる。
    咲花のたかひにおしめ沖の舩   ほう水 
7月、今日庵竹堂 一峨編 一茶・成美序の「なにふくろ(今日庵十三回忌追善)」に俳句をおさめる。
○ほう水、「壬申年草稿」の句帳一冊を記す。
○この頃、「筑井鑑」を編集する。
1813 文化10年 70 1月、一茶の遺産問題が和解が成立する。
5月、夫木庵夫木が「耳底集」を刊行、序を寄せる。
    かんこ鳥むしの啼まで宿かさむ  ほう水
○この年の夏序、流上斎百二編の「反故さかし(百童三回忌追善)」に俳句をおさめる。
○この秋、白老が木更津高倉寺の境内に芭蕉句碑を建立、記念に「世美冢」を刊行する。
   うくひすのはたけに遊ふ二月かな さがみ他阿
    七夕のさゝ水いはへ孕牛          他阿

   此雨をたのますとても梅の花       ち啄
   咲花の互におしめ沖の舩         ほう水
   名月や老を名のりて高笑ひ        葛三
○この年、閑斎編の「ひさこものがたり」に俳句をおさめる。
○この年、一茶筆の「株番(巻の三)」に俳句をおさめる。
1814 文化11年
71 9月、小山田与清が津久井へ遊山の旅。25日、28日、ほう水家に立ち寄る。「筑井紀行」を著す。
11月、小林一茶、郷里柏原に定住するため江戸俳壇引退記念集として「三韓人」を板行する。
   老らくと見てやくはしく鳴雲雀  ほう水
    しぐるゝや野は近付きの女郎花 知啄
 
○この年、ほう水「文化十一戌草稿」の句帳一冊を記す。
12月28日、星布没(83才) 元横山町大義寺に葬る。
1815 文化12年 72 ○この年、ほう水「文化亥草稿」の句帳一冊を記す。
元旦、「四方庵ほう水月並次 
亥元旦開」を刊行する。 クホサワ ほう水
正月、「四方庵ほう水月並次 亥正月」を刊行する。  サルハシほう水
○この年の春序、葛三編の「豆から日記」に俳句をおさめる。
菊月、「四方庵ほう水月並次 亥菊月」を刊行する。  中」サワ ほう水
10月、「四方庵ほう水月並次 亥十月」を刊行する。  川ワ ほう水
10月跋、正風堂魚淵輯 俳諧寺一茶閲 自跋の「あとまつり」に俳句をおさめる。
11月、「四方庵ほう水月並次 亥十一」を刊行する。 中サワ ほう水
12月、「四方庵ほう水月並次 
十二」を刊行する。 中サワ ほう水
1816 文化13年 73 7月、玉蕉庵芝山編の「四海句双紙 初編」を刊行する。
    
更衣けふは鳴うそ鳩の杖     サカミほう水
     藻の花にあつけんものや翌の事 
サカミ葛三
○この年の夏序、知足坊一瓢著 自序の「俳諧西歌仙」に俳句をおさめる。
11月、「筑井古城記」が完成。

○この年の秋、蟹殿洞々が「まとまうし」を刊行する。
の穂を蟹かはさんて秋の暮    一茶
うそついて梅見に歩行師走哉    ほう水  以下、洞々・葛三の順で三十五首が続く
あさかすみ陸奥まてもつれたゝん
  ほう水
山の井の椿はき出す二月哉    ち啄
花の世や家に ありては家さくら  葛三
○歌仙 「梅見」の巻、倉田葛三、蟹殿洞々と吟ず。
1817 文化14年 74 5月跋、蕉風林鶯笠述 芙蓉楼広陵著の「正風俳諧芭蕉葉ふね」に俳句をおさめる。
9月序、坎水園伯先編 自序の「うま人草(白雄二十七回忌追善)」に俳句をおさめる。
1818 文政元年
75 ほう水、「文化十五戊寅草稿」の句帳一冊を記す。
○この年の夏、月花蘭叟編 岩田眞州序の「松葉掻」に俳句を寄稿する。
6月12日、倉田葛三(くらたかっさん)没。(57歳)
1819 文政2年
76 ○この年の序、円天舎一桑編 ほう水 跋の「ゆめのかけはし」に俳句をおさめる。
4月跋、武日編 亀崎道人序の「夜のはしら(長翠七回忌追善)」に俳句をおさめる。
11月、鴫立庵ち啄編の「葛三句集」に跋文を寄せる。
12月序、田喜庵護物編 弧山序の「俳諧新五百題」に俳句をおさめる。
○この年の冬序、禾木編の「さゝゑほし」に俳句をおさめる。
○この年、六花苑嵐窓編「相模風流」に跋文を寄せる。
1820 文政3年
77 3月、椿丘太きゅう輯鵬斎老人他序 随斎成美跋の「俳諧発句題叢」に俳句をおさめる。
4月、六花苑嵐窓編 蟹殿洞々序 あかたのほう水跋の「相模風流」に俳句を寄稿する。 七十六翁ほう水
この年の春序、塩田松堂編 春華園芳斎序の「傀儡師」に俳句をおさめる。
8月序、淇渓編 鴫立庵ち啄序の「阿夫利雲(一路観宣頂七回忌)」 に俳句をおさめる。
○この年、ほう水「文政三草稿」の句帳一冊を記す。
1821 文政4年 78 3月、青隠編 自跋の「たなはた後集」に俳句をおさめる。
○この年の春、ち啄編 雨塘序 百亀跋の「まつかせ集(葛三三回忌)」に俳句をおさめる。
9月、青隠編「ひなはうご(素檗追善)」に俳句をおさめる。  ツクイ矢木太良右衛門
12月、八木ほう水、12月24日没。(78才) 法名 慈照院宥雅義明ほう水居士
 
   八木ほう水 墓
 
 無天命 有天命 七十八翁  ほう水山人
  
  此のときと華野へ心はなちやる

   校訂 石井光太郎・安西勝「枯野の露」より引用
  
1822 文政5年   ・ ○この年の冬序、鴫立庵雉琢が主となり晩年の句、百一句を収録した追善集「かれ野の露(ほう水一周忌)」が編纂される。
   かゝる古人達ハ格別に因ミ深かり けるよし申されければ
     ことし聞上野の鐘も時雨けり   白雄
     柳葉にそたち勝たる小鮎かな   春鴻
     浦千鳥木の葉ハ風にまハざるゝ 長翠
     うちとけた春やそろそろ花も散  道彦
     八朔や水にもとさむ藻汐草    葛三


    木食の居こなす庵や梅白し   當麻僧南謨
     木母寺の明り先なりかへる雁  
信州 一茶
     木啄の藪にあれこむ二月かな     禾木
     蛸壺を算える春の名残かな  
カツサ 白老
     淋しさをおしのけて咲桃のはな     ミチ雄
     不如帰雨やすらかに人の行       星布
     面影はかハらぬとても鶏双花 
戸塚亡人鶏父
     木啄の来ねは淋しき柱哉         雉啄

    (他)
1823 6年
1824 7年
1825 8年
1826 9年 ○この年、鳥林井木奴編輯、山窓道貫の追善句集「閼伽茶」が刊行される。
       古人 西行の死課セたるさくら哉   星布
        、  山雀や梅の情を寝てしるか  ほう水
       鴫立 口をしの花に月日のいとま哉 ち啄
1827 10年 閏6月、信州柏原宿が大火、一茶の家は母屋を失い、焼け残った土蔵で生活を始める。同年、11月19日、一茶没(65才)
1828 11年
1829 12年 跋、禾木編 護物序 梅室素芯跋の「芳艸集上下」にほう水の俳句が掲載される。
1830 天保元年
1831 天保2年 良寛没(67才)
1832 3年
1833 4年
1834 5年
1835 6年
1836 7年
1837 8年
1838 9年
1839 10年
1840 天保11年 三嶋神社「奉納額」に四方庵ほう水の句が載る。
      飛ろ飛ろと伊達の都の霞哉     催主 湘水
         初花と言にうめの花          四方庵ほう水
        うくゐすの三日来てけふ初音哉  鴫立庵雉琢
(しぎたつあんちたく)
1903 明治36年 5月、「俳諧雑誌卯杖 第五号」に「相陽淘綾郡鴫立庵西行堂縁起 三千風録之」が掲載される。
6月、「俳諧雑誌卯杖 第六号」に「鴫立庵西行堂縁起(承前)」が掲載される。
7月、「俳諧雑誌卯杖 第七号」に「鴫立庵西行堂縁起(承前)」が掲載される。
1960 昭和35年 9月、「枯野の露」が「はぐさ会・校訂 石井光太郎・安西勝(限定150部)」から再刊される。
1998 平成10年 8月、矢羽勝幸・柏川修一・小磯純子・船水暢子が「榎本星布尼句集」を「古典文庫」から刊行する。
        2005.6.21 1版
        
2008・5・19  2版 昭和34年発行 神奈川県立図書館協会郷土資料編集委員会編を追加 
        
2014・4・21 厚木市史 近世資料編(3)文化文芸 発行 平成15年11月 
    
      ※年代の不明の草稿句集として「寅年草稿」と「卯年草稿」、
       
このみ庵執事「諸郡銘録」 津久井縣八木太郎左衛門 出典:戸谷文庫俳諧資料集成
       松原星布「発句集 春 夏 秋 冬 四季発句集」 出典:榎本星布尼句集
       
更龍庵治泉撰 虎杖庵葛三序「ゑほうかさ」 出典:松宇文庫蔵


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