資料 飲み水に苦しむ横浜
 横浜は沼地を埋め立て町を拡げたため、どこを掘っても塩分や不純物を含んだ飲めない水しかでない。関内の2ヶ所、町会所裏(開港記念館裏)と三井組(本町四丁目付近)などに飲める井戸があった。「暁天より日没までこの井にい集し順を争ってくみあげ・・・・・」と記録にあるが一日中この井戸に水をくみに来る人が絶えなかった。このため野毛や太田付近の農家の中には、湧き水をくんで、「水売り」として商売を始める者もでてきた。これらの水売りにたいし県は注意の布告を出している。
     「横浜の歴史」 P131より 平成7年度版 中学生用 横浜市教育委員会より引用
           
             当時の水売り
         THE FAR EAST yokohama,monday,august,1st,1870



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