石原文雄著「太陽樹」と加藤武雄
                               更新 2010・8・14
 昭和17(1942)年第5回新潮社文芸賞候補作となった「太陽樹」は「山の先生」と呼ばれていた丹沢正作が主人公で小説では耕助と名を変え登場しています。小説の舞台は彼の生まれ故郷に程近い甲府盆地の南部、旧三珠町周辺です。正作はキリスト教の伝道者で自らが築いた平民学校長や村会議員等をつとめ、人々のために心血をそそぎました。
 小説に登場する徳田芦笛は徳富蘆花(健次郎)のことで小説全体の底流を流れています。蘆花の作品の中には農作業にいそしみながら、その生活ぶりを描いた「みみずのたはごと」があり、後年加藤武雄が序文にも記載した赤沢君とは丹沢正作のことで、蘆花から、そしてその先のトルストイからも強い影響を受けた作品となっています。
 時期は分かりませんが加藤武雄も「みみずのたはごと」の一節から「農は神の直参也」と云う言葉を引用、掛軸にして郷里の旧城山町公民館や(調査中)に寄贈しました。

   表  紙    扉(とびら)    目  次
  
発行日 昭和16年8月16日  
発行所 文昭社 装幀 中川一政
 

  序
  第一部
   こころの庭
   薄明の虹
   出発

  第二部
   指の啓示
   太陽
   風立つ
   雲の如く
   薪
   山の家に
   夢
   灯を守る
   再出発

  あとがき
  
  発行日 昭和23年8月1日 再版
  版元 第一書店 装幀 土屋義郎
 

 太陽樹 上巻
  第一部
   こころの庭
   薄明の虹
   出発
   
  第二部
   指の啓示
   太陽
   風立つ
   雲の如く

 太陽樹 下巻
  第三部
   薪
   山の家に
   夢
   灯を守る
   再出発

   跋

 太陽樹 石原文雄
   序
 石原君は、文学に志してからもう十数年になるであろう。私が見せらられた習作ばかりでも二三十篇に及んで居る。石原君のやうに、不断の情熱と、不屈の努力とを、芸術に捧げてゐる人も珍しい。
 石原君は、農民作家として、乃至、郷土芸術家として、既に世に認められてゐるが併し、果して実力に相当した評価を得てゐるであらうか。
 田舎にゐる事、作風が地味である事、私などが権力推輓しつつあるに拘らず未だ十分に舞台が与へられない事。それ等の故に石原君は、どちらかと云へば不遇の作家であった。
 私は、この一作こそ石原君の出世作となるだらうと思ふ。量から云っても六百枚の大作で、今まで短篇ばかり書いた石原君の最初の長篇であり、石原君の全幅の力量を傾けつくした作品だ。此の作の主人公は、石原君の郷里甲州に一個の聖者としての、光輝ある生涯を閲した丹沢正作翁である。丹沢翁 は、徳富蘆花も心の友として許した人で、蘆花の「みみずのたはこと」の中に「白」といふ犬の事を書いた文章があるが、その中に出て来る「赤沢君」とあるのがそれである。
 「太陽樹」は創作である。農民作家郷土作家としての石原君の真面目を発揮した創作である。が、伝記文学として見ても亦上乗のものであらうと思ふ。
 此の作品の価値は、作品自身が語ってゐる。私の序文などなくもがなと思ふが請はるるままに小文を草した。
                       昭和十六年夏   加 藤 武 雄

(冒頭の部分)
 耕助は夕食を済ますと復習もしないで、イタチのやうに寝床に潜り込んだ。
 何時に無い彼の早寝だった。何か喧嘩でもしたのかと、母としが、異母兄の勉太郎に質ねてゐた。
 まだ部落内には行燈の家があって、何処の納屋の隅にも、松を燃やして真黒に煤けた炬火台が、昨日其台に置いたばかりのやうに置かれてあった。鉱物性の香ひをたて硝子のほやを透うして石油が花咲いてゐて、糸曳車をびんびん廻す夜が、とし等にとっては何と無い生き甲斐を感じさせるのであった。冷(ひ)んやりした台所に下りて、少しばかりの藁を叩かせられる勉太郎も、その側で草鞋や藁草履を作る父耕之丈も同じ思ひだった。


 旧城山町郷土資料室
 平成12年頃撮影
農は神の直参也
「太陽樹 第三部 薪 7」より
(前略)
彼は喜久子と散歩しながら、言った。
「約翰(ヨハネ)伝に我は農夫なりといふ言葉があるんですよ。」と耕助は口を尖らせ、桑の枝や、雪の蛾眉(がび)山の頂きを夢見るやうに眺めてゐた。「先輩
徳田芦笛農夫は神の直参だと言って、その言葉を例に引いてゐるんですよ。人間の一生は土から生まれ、土の生む物を食ひ、土の中に入る。その土から生まれるものを作るのが百姓なんですから、これは一番光栄ある仕事だ、転職だと言ふんですね。同感ですよ。然るに世の中の百姓といふ百姓が、自分が百姓であることを呪ってゐるんです。百姓は馬鹿だと言ってゐる。これは何処も一般らしいですね。この前イワンの馬鹿の話をしましたね」
「ええ、とても良いお話でしたわ。」
「それは世の中が利口で者で一杯だからですよ。汗することを軽蔑し、土まみれなことを嘲笑する。処が彼等は一度でも、額に汗するもの、土まみれな者が、この地上から無くなったことを考へたことがあるんですうか。利口者の実利主義が世をリードしてゐると自覚してゐるけれど、結局世を
安泰に置くのは、その汗と土まみれの馬鹿の力なんですからね。」
「ほんとに。」
彼女は胸を波立せて溜息をついた。
「僕が、その馬鹿の中にも利口者が殖えて来ましたよ。正状では無いと思ひますね。直接的に物質的に物質的不足もあるけれど、然し、不足とか満足とかは、無制限の問題、事実生活に必要な物質といふものは、自ずと限度があるんですよ。それは精神で見ることですよ。人はパンのみにて生くるものにあらず。其処ですよ、其処ですよ。」
「平民学校って何を教へるんですの。」
「僕の学校は、莫迦を作る学校です。」
「イワンの馬鹿?」
「さうですよ。不平も言はず、常に神に感謝して生きる人間本然の生活。」
「あたしも、その学校へ入らうかしら。」
彼女は真顔で言った。
「大いに来て下さい。」
耕助はからからと笑った。じっと考へ込んで居る喜久子の姿を、愛らしいと思った。
雪に埋もれた草叢(くさむら)から、鳥が飛び出して、山の雑木林へ飛び込んでいった。

           徳田芦笛は徳富蘆花(健次郎)  耕助:主人公、丹沢正作
           「イワンの馬鹿」についての記述は犬田卯著「農民文藝十六講」の中の第一講
              「農民文芸の意義について 三 農民啓蒙の農民文芸」の項で詳し。

 
取材を終えて
 石原文雄の人間像に迫って見たいと、当初から考えていましたが、到底足元にも及びません。刊行された二冊の「太陽樹」の本を並べその表紙の素晴らしさに先ずは驚きました。また作者は、大陽樹の3冊目にあたる、第四部「続太陽樹」の刊行を夢見ていましたが刊行の夢が果たせませんでした。
 また、小説の内容は重厚かつ奥が深く、農とはどのようなものか張りつめたものを感じました。また当時の信用組合のことや地域の風俗等のことも紹介され、そのことだけでも貴重な資料となっています。
 小説全体は丹沢正作が主人公となっていますが、作者の石原文雄の生き方などとも思う存分重なり、友人一瀬豊や相田隆太郎など山梨を代表する農民文学者たちの交流を読み取ることができます。
 年譜に関しては、今後時間をかけながら作成して行きたいと考えております。
 旧城山町公民館に置かれていた掛軸(写真撮影)は現在見ることができません。平成12年の当時、何だろうと思いながら意味が分からず写真だけを撮っておきました。そして今回、HP上に貼りつけることができたのは、石原文雄著「太陽樹」に出会えたお陰です。
 意味の分からないもの、さりげないものでも、写真だけは撮っておくものだとつくづく思いました。

参考資料 「みみずのたはごと」より 

(他の項を略)

我父は農夫なり  約翰(ヨハネ)伝第十五章一節

 土の上に生れ、土の生(う)むものを食うて生き、而して死んで土になる。我儕(われら)は畢竟土の化物である。土の化物に一番適当した仕事は、土に働くことであらねばならぬ。あらゆる生活の方法の中、尤もよきものを択(えら)み得た者は農である。

 
農は神の直参(じきさん)である自然の懐(ふところ)に、自然の支配の下に、自然を賛(たす)けて働く彼等は、人間化した自然である。神を地主とすれば、彼等は神の小作人である。主宰(しゅさい)を神とすれば、彼等は神の直轄(ちょくかつ)の下に住む天領(てんりょう)の民である。綱島梁川君の所謂「神と共に働き、神と共に楽む」事を文義通り実行する職業があるならば、其れは農であらねばならぬ。

 農は人生生活のアルファにしてオメガである。
 ナイル、ユウフラテスウの畔(ほとり)に、木片で土を掘って、野生の穀(こく)を蒔(ま)いて居た原始的農の代から、精巧な器械を用いて大仕掛にやる米国式大農の今日まで、世界は眼まぐろしい変遷を閲(けみ)した。然しながら土は依然として土である。歴史は青人草(あおひとぐさ)の上を唯風の如く吹き過ぎた。農の命(いのち)は土の命である。諸君は土を亡ぼすことは出来ない。幾多のナポレオン、維廉(ヰルヘルム)、シシルローツをして勝手に其帝国を経営せしめよ。幾多のロスチャイルド、モルガンをして勝手に其弗(ドル)法(フラン)を掻き集めしめよ。幾多のツェペリン、ホルランドをして勝手に鳥の真似魚の真似をせしめよ、幾多のベルグソン、メチニコフ、ヘッケルをして盛んに論議せしめ、幾多のショウ、ハウプトマンをして随意に笑ったり泣いたりせしめ、幾多のガウガン、ロダンをして盛に塗(ぬ)り且刻(きざ)ましめよ。大多数の農は依然として、日出而作(ひいでてさくし)、日入而息(ひいってやすみ)、掘井而飲(いどをほってのみ)、耕田而食(たをたがやしてくら)うであろう。倫敦、巴里、伯林、紐育、東京は狐兎の窟(くつ)となり、世は終に近づく時も、サハラの沃野(よくや)にふり上ぐる農の鍬は、夕日に晃(きら)めくであろう。

 大なる哉土の徳や。如何なる不浄(ふじょう)も容(い)れざるなく、如何なる罪人も養わざるは無い。如何なる低能の人間も、爾の懐に生活を見出すことが出来る。如何なる数奇(さくき)の将軍も、爾の懐に不平を葬ることが出来る。如何なる不遇の詩人も、爾の懐に憂を遣(や)ることが出来る。あらゆる放浪(ほうろう)を為尽(しつく)して行き処なき蕩児も、爾の懐に帰って安息を見出すことが出来る。
 あわれなる工場の人よ。可哀想なる地底(ちてい)の坑夫よ。気の毒なる店頭の人、デスクの人よ。笑止なる台閣(だいかく)の人よ。羨む可き爾農夫よ。爾の家は仮令豕小屋に似たり共、爾の働く舞台は青天の下、大地の上である。爾の手足は松の膚(はだ)の如く荒るゝ共、爾の筋骨は鋼鉄を欺く。烈日(れつじつ)の下(もと)に滝なす汗を流す共、野の風はヨリ涼しく爾を吹く。爾は麦飯(むぎめし)を食うも、夜毎に快眠を与えられる。急がず休まず一鍬一鍬土を耕し、遽(あわ)てず恚(いか)らず一日一日其苗の長ずるを待つ。仮令思いがけない風、旱(ひでり)、水、雹(ひょう)、霜の天災を時に受くることがあっても、「エホバ与え、エホバ取り玉う」のである。土が残って居る。来年がある。昨日富豪となり明日(あす)乞丐(こじき)となる市井(しせい)の投機児(とうきじ)をして勝手に翻筋斗(とんぼ)をきらしめよ。彼愚なる官人をして学者をして随意に威張らしめよ。爾の頭は低くとも、爾の足は土について居る、爾の腰は丈夫である。

「みゝみずのたはごと」
発行 新橋堂書店 大正7年8月83版


 農程呑気らしく、のろまに見える者は無い。彼の顔は沢山の空間と時間を有って居る。彼の多くは帳簿を有たぬ。年末になって、残った足らぬと云うのである。彼の記憶は長く、与え主が忘れて了う頃になってのこのこ礼に来る。利を分秒(ふんびょう)に争い、其日々々に損得の勘定を為し、右の報を左に取る現金な都人から見れば、馬鹿らしくてたまらぬ。辰爺さんの曰く、「悧巧なやつは皆東京へ出ちゃって、馬鹿ばかり田舎に残って居るでさァ」と。遮莫(さもあれ)農をオロカと云うは、天網(てんもう)を疎(そ)と謂(い)い、月日をのろいと云い、大地を動かぬと謂う意味である。一秒時の十万分の一で一閃(いっせん)する電光を痛快と喜ぶは好い。然し開闢以来まだ光線の我儕(われら)に届かぬ星の存在を否(いな)むは僻事(ひがごと)である。所謂「神の愚は人よりも敏し」と云う語あるを忘れてはならぬ。

 農と女は共通性を有って居る。彼美的百姓は曾て都の美しい娘達の学問する学校で、「女は土である」と演説して、娘達の大抗議的笑を博(はく)した事がある。然し乾(けん)を父と称し、坤(こん)を母と称す、Mother Earth なぞ云って、一切を包容し、忍受(にんじゅ)し、生育する土と女性の間には、深い意味の連絡がある。土と女の連絡は、土に働く土の精なる農と女の連絡である。
 農の弱味は女の弱味である。女の強味は農の強味である。蹂躙(じゅうりん)される様で実は搭載し、常に負ける様で永久に勝って行く大なる土の性を彼等は共に具(そな)えて居る。

 農程臆病なものは無い。農程無抵抗主義なものは無い。権力の前には彼等は頭が上がらない。「田家衣食無厚薄、不見県門身即楽」で、官衙に彼等はびくびくものである。然し彼等の権力を敬するは、敬して実は遠ざかるのである。税もこぼしながら出す。徴兵にも、泣きながら出す。御上(おかみ)の沙汰としなれば、大抵の事は泣きの涙でも黙って通す。然し彼等が斯くするは、必しも御上に随喜(ずいき)の結果ではない。彼等が政府の命令に従うのは、彼等が強盗に金を出す様なものだ。此辺の豪農の家では、以前よく強盗に入られるので、二十円なり三十円なり強盗に奉納(ほうのう)の小金(こがね)を常に手近に出して置いたものだ。無益の争して怪我するよりも、と詮(あき)らめて然するのである。農は従順である。土の従順なるが如く従順である。土は無感覚の如く見える。土の如く鈍如(どんより)した農の顔を見れば、限りなく蹂躙(じゅうりん)してよいかの如く誰も思うであろう。然しながら其無感覚の如く見える土にも、恐ろしい地辷(じすべ)りあり、恐ろしい地震があり、深い心の底には燃ゆる火もあり、沸(わ)く水もあり、清(すず)しい命の水もあり、燃(も)せば力の黒金剛石の石炭もあり、無価の宝石も潜(ひそ)んで居ることを忘れてはならぬ。竹槍席旗は、昔から土に(ひと)しい無抵抗主義の農が最後の手段であった。露西亜(ろしあ)の強味は、農の強味である。莫斯科(モスクワ)まで攻め入られて、初めて彼等の勇気は出て来る。農の怒は最後まで耐えられる。一たび発すれば、是れ地盤(じばん)の震動である。何ものか震動する大地の上に立てようぞ?

 農家に附きものは不潔である。だらしのないが、農家の病である。然し欠点は常に裏から見た長所である。土と水とが一切の汚物を受け容(い)れなかったら、世界の汚物は何処へ往くであろうか。土が潔癖になったら、不潔は如何(どう)なることであろうか。土の土たるは、不潔を排斥して自己の潔を保つでなく、不潔を包容し浄化して生命の温床(おんしょう)たるにある。「吾父は農夫也」と耶蘇の道破した如く、神は正(まさ)しく一の大農夫である。神は一切を好(よし)と見る。「吾の造りたるものを不潔とするなかれ」是れ大農夫たる神の言葉である。自然の眼に不潔なし。而して農は尤も正しい自然主義に立つものである。

 土なるかな。農なるかな。地に人の子の住まん限り、農は人の子にとって最も自然且つ尊貴な生活の方法で、且其救であらねばならぬ。

(他の項を略)   大正十二年十二月三十日 東京府 北多摩郡千歳村 粕谷 恒春園に於て  徳冨健次郎

      参考資料 
      山梨の文学 山梨日日新聞社 発行2001年3月
      ふるさと文庫 農民文芸三講 犬田卯 筑波書林 発行1985年5月
      太陽樹  石原文雄  文昭社  発行日 昭和16年8月16日 
      太陽樹  石原文雄   再版版元 第一書店 発行日 昭和23年8月1日
      みゝみずのたはごと 徳冨健次郎  発行 新橋堂書店  大正7年8月83版

      加藤武雄と一瀬豊・農民文学の扉
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