城山の石仏たち

 城山町に点在するほとんどの石仏は、どれもが激しい風化現象により、ひび割れや落下がかなりの速度で進行しています。地域によっては講中による年中行事が行われなくなったことから、石仏の手入れ等も行われなくなりそうしたことがさらに風化の拍車を早めています。
 城山の石仏のほとんどが加工のしやすい大山山系に産出する七沢石(火山礫凝灰岩)でできているため、より深刻な事態となっています。解決策としては石仏を風雨(霧)にさらさないよう屋根をかける、基礎部分を乾燥させる、浮遊物を洗い流す等の作業が今後必要と思われます。
 今までは地域の皆様の厚い信仰によって守られてきましたが、これから先・・・・・どうやって・・・・・
みなさまは、いかがお考えでしようか。


     
   雨降  子育地蔵            明観寺  舟に乗った渡唐天神  


      
   昭和30年代      明観寺 地蔵菩薩       急速に痛み始めた地蔵菩薩
                                 安永8年(1779)
 
     
  明観寺 六面憧墓石六地蔵     拡大  撮影 2005・1・1
      文化11年(1814)

     
   穴川 弁財天境内の秋葉灯籠     拡がっているヒビ割れ現象(拡大図)
      天保4年(1833)4月建立 「天下泰平」 「鎮守  雨宮」


 
      
  宝泉寺石灯籠 応永17年(1410) 宝泉寺  明和9年7月(1772) 町屋 畑の中のお地蔵さん
  町指定文化財        「第六番十一面観在菩薩」 行基 御作

       撮影2006・7.9
    
   砂 天満宮境内 お地蔵さん   町屋 不動明王 

   
  原宿 平成15年 秋 修復された秋葉灯篭   原宿の市神様と亀付共同井戸石組
         文政5年(1822)

  
  大山石尊大権現 (現在) 安永9 (1780)年  

    
  発見された大山不動尊と台座 撮影2006・3.26   山野 お地蔵さま 
        相模川と谷津川合流地点

    
       山野 大山不動           山野 双体道祖神  

     
    向原  山王神社境内の六地蔵念仏供養塔    向原 如意輪菩薩  観世音菩薩
      寛政6年(1794)
レリーフ状に彫られた地蔵様が剥離現象で落下の可能性が出たため応急的にビニールで覆いを施しました。割れた石造物は通称「笠地蔵様」と呼ばれている笠の部分です。
                                                  撮影2004・7・31
   
  修復が待たれる六地蔵念仏供養塔
 昨年の8月から10月にかけ、原宿地区市神神社境内に寄せ集められていた「秋葉灯篭」、「愛宕大権現」石塔の修復作業を行い1年間どういった影響が出るかを経過観察してまいりました。
 覆屋内に安置した「愛宕大権現」石塔については影響は見られませんでした。屋外にある「秋葉」についは修復部分に何ら影響は見られませんでしたが、石塔から溶解した七沢石の成分が接合した部分に染み付きました。これは明らかに酸性雨(ph5.6以下)の影響によるもので、小雨量の時又は降り始めは特に酸性度が高いため、こうした交通量の多い津久井街道や川尻バイパス 沿いにある石仏は、かなりの速度で崩壊が進んでいる事と思われます。
 
     
      安永3年(1774)、廻国行者が奉納した供養塔

    
                  向原 山王神社の裏に積まれた石塔


      
      
慈眼寺の境内           先祖代々両親菩薩     都井沢自治会館前
政三辛亥歳四月十九日
施主 加藤熊蔵

右側 「いづな道」
「享保十六年(1731)
高座郡上川尻村」

      
   普門寺オシャリ様           発掘復元された「秋葉灯籠」 天保6年


         
   中沢 山王道にひっそりとたたずむ馬頭観音     中沢 山王様 年代不詳
  


    
  中沢 忠 六地蔵塔    西側半分が破損
  安永8年(1779)6月

   


    
   中沢 石仏群
中沢の石仏群は中沢の591番地あたり、広い道路の南側です。北側に三嶋神社が見えます。
 旧中沢村で中沢(川)を挟んだ堂面地区と相模川の段丘面に発達した西村・ハケ地区とに分けることができます。石仏群のある中沢は湖底に沈んだ荒川の番所から八王子方面に抜ける飯綱道や橋本を経由江戸に抜ける「鮎かつぎ道」の最初の集落です。
 石仏群の中には、全国を行脚した回国道者の供養塔や出羽三山供養塔など人々の願いが込められています。風化の激しい地蔵菩薩像など気になるところです。

      

                              撮影2006.5.6
  
                   大正寺百体地蔵

   
  向かって右から3番目の百体地蔵(部分) 慶応四年 神奈川青木町 鶴屋八郎右衛門

   
  大正寺 舟地蔵  享保五年七月(1720)  谷が原 信清滝不動明王

     
  沢水が竜の背を流れ竜口から水が落ちて信清滝となりました。

   
 参考資料 第四話 「不動様と津久井発電所」より
 谷が原の中央に火の見がある。そこから西南の方、相模川の沿岸に不動沢がある。この沢には、かなりの水量の多い滝があって、そこに不動尊がまつられてあった。滝の名は信清滝、竜の口から水を吐いていた。
 現在この不動尊は、串田生肉店の裏山の麓に安置されている。これは横浜水道(明治18年4月起工、同20年9月竣工)が初めて計画されたとき、不動尊の聖域が工事の区内に入ったので、明治17年4月28日にお移し申したのだ。
 昭和になってからも、ここら一帯は麦畑で、不動様の入り口の道端に「成田山不動尊」と彫った、高さ1メートル、幅10センチぐらいの標識と、「信清滝入口」というのが立っていた。 
       八木蔦雨 「城山夜話」より 城山町郷土研究会 昭和45年12月発行

          
      久保沢 観音堂入り口の庚申塔      観音堂の境内

          
      清水  地名の由来どうり今も水が湧いている      谷津川の瀧不動
 
谷津川は二つの滝があり、上流の小さな滝を女滝、下流の大きな滝を男滝と呼んでいた。男滝は現在新しく架けられた橋の橋脚部分となり現在はない。
左側が女滝不動明王で右側が男滝不動明王
           
    

久保沢 榎地蔵(通称・建具屋地蔵)
   文政十三年(1830)



       撮影2006・8・2
 花窟   榎地蔵覆屋内
八木ほう水が建てたと云われている。三基があると云われているが他は不明。由来も不明。

        
      小倉 原のお地蔵様 城山登山道(東口)入口 移転後の地蔵様 撮影2006・1・5
     

               
       小倉 與楽地蔵               小倉 女念仏
        嘉永2年(1849)
講中のみなさんにより手厚く祀られています。
石仏には覆屋がかけられ祭壇の前には花が添えられていました。
祭りには子供神輿もだされて毎年賑わいます。

           
       小倉 六地蔵尊               尾崎の坂

                             撮影2006・5・14
        
        小倉  山沢  庚申塔         元文五庚申年(1740)九月吉祥日


            
      
葉山島 連葉寺 地蔵菩薩
         天明7年(1787)
この年も米価が、高騰し江戸や大阪など各地で打ちこわしが起こりました。
 上川尻村でも12月には久保沢の酒屋近江屋の店が大勢の農民によって打ちこわされました。久保沢に起こったこの事件は、たちまち津久井県中に広がり大騒動となりました。世に言う「土平治騒動」です。
  こうした年にお地蔵様が建立されました。農民の願いはどんな願いだったでしょう。

      
      葉山島 庚申塔


        


      
               明和九年壬辰 七月吉祥日(1776)
                           現住憲如
  津久井三十三所観音霊場めぐりは、宝暦年間に、 津久井町根小屋寺沢にある臨済宗建長寺派、雲居寺の大雲禅無和尚 (越後魚沼の人、後、建長寺住山二百二世となり、天明三年十一月五日示寂)が、 津久井郡内の宗旨宗派に関係なく、観音様を祠る寺院に呼び掛けて始まりました。霊場めぐりの順路は雲居寺を第一番に、三十三番来迎寺まで津久井郡内を一巡しました。
 平成2年からは「津久井三十三観音霊場巡り」を改め「津久井観音霊場巡り」とし、多くの皆様に津久井の霊場巡りができるよう名称が改まりました。
 上記石塔は残念ながら現在行方不明となってしまいましたが、津久井三十三観音霊場めぐり創成期を物語る貴重な文化財でした。

      参考 宝暦年間(1751〜1764)


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