「たつご教室」にようこそ    tatugokyousitu.html


 
広田の田んぼから見た龍籠山の景観

 

 「たつご教室」開設のお知らせと講師(語り手)になって下さる方の募集
加藤武雄が、かつて川尻小学校の教師をしていた頃、生家のある都井沢地区の青年たちが集まって「二月会」をつくり、盛んな文化活動を行っていました。
 新たに開設する「たつご教室」は、名前こそ違いますが、そうした先人たちに思いを馳せ、当時の活動を偲びながら、将来に向け、城山や相模原地域を中心とした歴史、文化、民俗や自然等も含めた学習会ができたらと考えてまいりました。
 また、そうした活動が末永く続けられますよう、先ずは講師(語り手)となって下さる方々を募集し、今後の活動に結びつけて行きたいと思っております。
 どうぞ、宜しくお願い申し上げます。

    開催日と時間  毎月第4土曜日 午後1時30分から4時頃迄を予定。
    開催場所 久保沢観音堂(相模原市緑区久保沢2丁目ー6−10
    開催時の費用 資料代を含めた最大で200円程度迄
    (尚、開催日時、時間、場所の変更が場合によってございますので予め御注意をお願いします。)
    https://yanenonaihakubutukan.net/tatugokyousitu.html
     お問い合わせ先(保坂) kenjihotaru@hotmail.com 

令和6年度(2024)「たつご教室の一覧表」  atatugokyousitu2024.html

令和7年度予定表(2025)
回数 開催月日 「たつご教室」での開催内容(予定表) 2025年度 語り部 原稿〆切日
13 4月26日
(第4土)
第13回 信州高遠の石工、北原七兵衛と守屋貞治について
 右側のお地蔵様は赤ちゃんを抱き、左側の地蔵様は赤ちゃんに強い日差しが差さないよう、一際大きな幢幡 (どうばん)を掲げています。眼差しはやや下向き加減に工夫が施されていることで、全体に優しさが漂っています。信州高遠の石工北原七兵衛の作品です。
 近年、極めて芸術性の高い守屋貞治の作品が城山にもあることを突き詰めた高遠の研究者たちを中心に現在も研究が進められています。
 貞治は死の前年、「石佛菩薩細工(通称「貞治の細工帳」」を著し後世に文書としても、その記録を残しています。
 今回は、城山地区に高遠石工たちが残した石仏たちを訪ね、その実像に迫ります。

 語り手は、勿論村田公男さんです。
 どうぞ、ご期待下さい。  
  撮影 2006・5・6

大正寺百体地蔵、右から8番目の地蔵菩薩
村田公男 3月 14日
14 5月24日
(第4土)
第14回 城山エコミュージアム委員会 の活動から 
    三嶋神社の扁額を奉納した川崎男爵家について
 三嶋神社の鳥居は、以前は木造で両部鳥居だったが、現在のものは紀元二千六百年記念行事(1940年(昭和15年)神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事)として御影石に建て替えられたもの。(拝殿両側の御影石で刻んだ唐獅子にも紀元二千六百年記念とある)また、拝殿の大きな扁額は、今は湖底に沈んだ別荘の持ち主、川崎男爵が同じく記念奉納したもので、
川崎男爵が奉納された「三嶋神社」扁額
「三嶋神社、男爵川崎寛正」とある。(平成27年度城山エコミュージアムツアー配布資料より抜粋)
 また、学童集団疎開の頃には、川崎男爵の別荘から神奈川国民学校の5年男子39名が疎開され地元の小学校に通われた。
 今回は、日頃から城山公民館で活動を続けられている「城山エコミュージアム委員会」の田畑さんから、ご報告をして戴きます。どうぞ、お楽しみに。
田畑房枝 4月 11日
15 6月28日
(第4土)
第15回 近世絵図で読み解く相模原の歴史
 平成14年、旧津久井町文化福祉会館に於いて「津久井の古地図展」が開催されました。大きなものでは縦198p×横227pもある「相模国絵図」を始め、各村々からの絵図等全部で178枚も展示されていました。私はこの驚く程の量に圧倒され、その時の興奮を今でも昨日のことのように覚えています。
 調査はその後も進められ、合併後は「津久井町史」編纂事業として引き継がれて行きました。
 今回は、新たに発見された資料の紹介をもふまえ、当時の企画展を担当していた井上泰さんに語って戴きます。
 また、元禄12年(1699)、相模野台地を「秣場」として長い間利用されてきた、周辺の村々を含めた三十六ヶ村の広大な台地の


 相模国絵図(三浦半島・江ノ島部分)
絵図についても語って戴きます。 どうぞ、お楽しみに。
井上 泰 5月16日
16 7月12日
(第2土)
第16回 風入(かぜいれ)(八木重吉・加藤武雄・民話など文学に関することの練習朗読会) (ー)
17 7月26日
(第4土)
第17回 コロナにより中止となった「津久井城展−戦国の世に黄金を生む城ー」の真相
  (津久井城跡市民協働調査10周年記念 開催期間 R2.3.14〜5.6)
 2020年1月、相模原市で最初のコロナ患者が確認されました。
 その頃、相模原市立博物館では、「津久井城展−戦国の世に黄金を生む城ー」と題した特別企画展の準備をしている人達がいました。
 担当者はその準備に追われ、津久井城市民調査グループを始めとする発掘調査に関わった数多くの人たちもまた、この開催の日の来ることを待ち望んでいました。一向に、おさまることのないコロナは増々の猛威を広げて行くばかりでした。こうして、この企画展は多くの待ち望む人達の熱意に

5号曲輪の発掘調査 図録より
も関わらず空しく幻と化してしまったのです。
 今回は、その企画展を中心的に担当していた中川真人さんに、当事の状況を思う存分に語って戴きます。特に、城坂曲輪群内の5号曲輪からは池底に石が敷きつめられ洲浜の形状や湧水池跡からは掛樋などで水を引いた痕跡も確認され、また、中国産磁器の破片等も出土したことから、背景に広がる山々や尻久保川の谷の借景を望みながらの「茶の湯」に親しんだ兵どもの光景が想像できるようになりました。 こうして、今まで考えられなかったことが、今回の発掘調査を通じ考えられるようになりました。   《津久井城500周年》
中川真人 6月17日
18 8月15日
(金)
第18回  地域(旧城山町)の人々の空襲体験  (47話) 
 樋口先生は、平成元年8月に「私の八月十五日」と題し、多くの人たちから戦争体験の話を収録、活字化し報告されました。今回発表される「地域の人々の空襲体験 太平洋戦争」は或る団体の学習会記録として刊行されたものですが、発表の直前になって怪我をされてしまい入院を余儀なくされてしまったそうです。そのため当日の発表は代理の方にお願いをされたそうです。
 
そうしたことから今回の発表は四年振りのこととなります。収録資料、『鳩への祈り』では「戦中戦後小倉橋にも銃弾の跡が 上原欣一」から「(略)B29の爆撃は夜が多く、昼間は安心して仕事をしたり遊んだりしていたが、
 
上原少年が艦載機に襲われた
 現在の小倉橋周辺
やがて、艦載機が飛来してくるようになり、我れ先に物陰に隠れていたが、ただ飛んでいくだけの艦載機に次第に馴れて、平気で外に出る様になってゆきました。やがて、夏休みになり私の家では父親が召集で戦地へ行っていて、母親が中心で農業をしていたのでその手伝いをしなければならなかった。終戦も間近、艦載機が襲ってきて、小倉橋に銃弾を撃ちこんだ。幸いアーチの下に逃げたので助かったが、物凄く恐い思いをした。(略)」と。先生は、こうした「空襲体験」記録を47話に纏められ今回の発表とされました。
 私事になりますが、この日最後に登壇された宮崎紀美子さんによる「軍人墓地について」と題された発表は戦争による悲惨さと尊い命の重みを感じさせるものでした。
 宮崎さんとは「地球の緑を救おう」と、牛乳パックで紙漉きをしながらいろんな所に出向きました。何かと、忙しない世の中ですが、どうぞ、お出かけ下さい。
樋口孝治 7月11日
19 9月 日
(延期)
第19回 New相模原市立博物館プラネタリウムによる今夜の星空と施設見学会
   延期準備不足で延期させて下さい申し訳ございません/世話人
(ー)
20 9月27日
(第4土)
第20回 津久井のチョウ 今・昔
 近年、昆虫が減っているといわれています。その原因は何なのか、様々な要因が考えられます。 
 今回の教室では、守屋さんがチョウに興味を持ち始めた、1970年代と現在のチョウ相の変化について、その原因や理由を考察して下さいます。
 守屋さんは相模原市立博物館の学芸員としてこれまで新相模原市史や津久井町史自然編の編纂をなされ、相模原市の全域をご調査されてきました。こうした研究の発端となったのはチョウとの出会いからだそうです。
 どうぞ、お楽しみ下さい。

  春の女神と云われるギフチョウ
守屋博文 8月8日
21 10月25日
(第4土)
第21回 中沢に日本で最初の製糸工場があった。(1)
 明治3年8月付「市来四郎製糸業視察報告書」の存在が元中沢在住八木忠夫さんによって発見されました。その製糸工場のあった場所は「相州津久井県中沢」と記されてありました。
 現在、世界遺産に指定されている富岡製糸工場の開業が明治5年10月ですから、それより前のこととなり、中沢の製糸工場は日本で最初の製糸工場と云うことになります。現在、この場所が『中沢のどこにあったか』についての調査を急いでおりますが、今回は、その頃の様子と使用されていたと思われる糸繰り器械について、 溝口正伸さんからお話をしていただきます。

その頃の製糸場   農工大博物館資料より複写
溝口正伸 9月12日
22 11月22日
(第4土)
第22回 「中世の板碑/三宅宗議さん」と「鵲の会」の活動報告 
 川尻小学校内には給食センタのあった時代がありました。その後、旧城山町内の民俗資料を集めた収蔵庫ができましたが、現在は非公開のままになっています。その中には15枚の板碑が保管されたままになっています。
 今回は、日本の代表的な板碑研究者でもある三宅宗議さんから板碑の特徴や造られた時代背景、また、何故消滅して行いったか、「秩父の青石」と云われる原産地はどこか等、様々な角度から語っていただきます。

 また、鵲(かささぎ)の会の代表者である瀧柳さんからは、昨年、相模原市で設立された「相模原市人権尊重

板碑の検分調査を行う三宅先生(右)と長澤学芸員
のまちづくり条例」にもあるように、人権の立場から戦争中に進められた相模湖ダムや津久井隧道工事についての聞き取り調査の結果について報告していただきます。
 私も、この聞き取り調査に一度だけ参加させていただきましたが、かなりの高齢化が進み、こうした事実をどのように語り継いで行くか直近のこととして胸が痛みました
  詩と考古学のワラジを履いて - [特別寄稿] (PDF)
瀧柳みち代 10月10日
23 12月27日 お休み - 11月14日
24 1月24日
(第4土)
第24回 かながわの古道50選 「大山道の原宿付近」の昔と今
 県は1995年1月、「かながわの古道50選」を発表されました。旧城山町内では津久井街道と大山道が交差する場所が選定されました。説明文にはこんなことが書かれてありました。
この道は八王子や高尾方面から原宿を通り、小倉の渡しに向かう大山道です。この道が、現在の国道413号と交差する原宿自治会館前に、原宿、小倉、荒川の三地区の人たちによって建てられた不動明王像が残っています。その台座の右に「西 津久井みち ・東 江戸八王子道」、左に「小くら船場道・安永九年七月」と刻まれていま

大山道の原宿付近 撮影:1998年9月18日
す。小倉の渡船場への道標で、参詣人はここから高瀬船で厚木へ下り大山へ向いました。
 上記の説明文を書かれたのは、当時、旧城山町郷土資料室の館長を務められていた山口清先生で、当時の不動明王像は津久井街道の南側の角にありましたが、現在は北側の原宿自治会館の敷地内に移されました。時代の流れでしょうか、今回は、その頃の写真を中心に原宿界隈を偲んで見ることにしました。 どうぞ、お楽しみ下さい。
保坂健次 12月12日
25 2月28日
(第4土)
第25回 皆既月食と古典芸能鑑賞
 3月3日、半年ぶりに全国で皆既月食が見られます。前回(昨年9月8日)の皆既月食は、深夜から明け方にかけて起こりましたが、今回は宵の空で月が欠け始めますので観察しやすいでしょう。明るく輝いていた満月が赤銅色に染まっていく様子は大変ドラマチックで、これまで多くの記録に残されてきました。
 我が国の月の神である月読命は、三貴神(天照大御神、月読命、須佐之男命)の一柱でありながら影が薄い存在です。市内には月読を社名とする神社が一社、緑区千木良にあります。
 記紀神話の中には、三貴神が誕生するきっかけとなったエピソードがあります。今回は、100年以上の歴史があり、広く活躍されている相模里神楽垣澤社中さんが、亀ヶ池八幡宮の例大祭で奉納した神楽『黄泉醜女(よもつしこめ)』の映像をご覧いただきます。
  
               【協力:相模里神楽垣澤社中】

令和4年11月8日の皆既月食

神楽『黄泉醜女』
伊藤雄一 1月16日
26 3月28日
(第4土)
第26回  戦後81年朗読語り劇 「憶えていますか。あの日の桜の絨緞を」
 昭和16年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃によって、太平洋戦争が始まり、日本は戦争の泥沼にはまりこんでしまった。わしも招集されて戦地に行くことになった出征の日、桜の樹の下であの娘と別れを告げた。暖かい戦争など忘れてしまいたくなるような春の日だった。「只今より行ってまいります。お国のため、立派に戦ってまいります!」「ご武運をお祈りしています。あの、か、必ず帰って来てください。生きて、帰って来て下さい。私、桜の樹の下で待っていますから。私、毎日、お稲荷さんにお参りしますから!」/相模原地域には多くの言い伝えや民
機銃掃射のあった蚕守稲荷神社 上鶴間
  相模原市史民俗編P369より修正転写
話が残されています。作者は,、こうした伝承や民話を丹念に聞き取り、次に語り部として活動を続けられています。/今回は戦後80年度の最後として演じていただきます。尚、終了後は、おさらい会も予定しております。どうぞ、お気軽に ご参加下さい。
河西美仁 2月13日
令和8年度予定表(2026)
回数 開催月日 「たつご教室」での開催内容(予定表) 2026年度  (200円/第4土曜日) 語り部 原稿〆切日
27 4月25日
(第4土)
第27回 「西国観音霊場巡りと津久井観音霊場巡り」について 桐迫馨代 3月13 日
28 5月23日
(第4土)
第28回 「仏教と板碑」について 三宅宗議 月 日
29 6月27日
(第4土)
第29回 (仮) (未定) (未定) 月 日
30 7月25日
(第4土)
第30回 武田勝頼に嫁いだ北条夫人の最後 ー天正10年と云う年ー 保坂健次 月 日
31 8月15日 第31回(平和に関すること未定) 樋口孝治 月 日
32 9月26日
(第4土)
第32回(自然や健康、防災に関すること) (未定) 月 日
33 10月24日
(第4土)
第33回 (仮) 日本の旧石器人。そして、相模原にもやって来た。 (未定) 月 日
34 11月28日
(第4土)
第34回 あっちにも、こっちにもセイノカミ 保坂健次 月 日
35 12月26日 第35回 (お休み) (未定) 月 日
36 1月24日
(第4土)
第36回 (未定) 伊藤雄一 月 日
37 2月28日
(第4土)
第37回 (未定) (未定) 月 日
38 3月28日
(第4土)
第38回 (自然や民俗に関すること おさらい会) (未定) 月 日

「八木重吉と加藤武雄の連続たつご教室」の開催予定表 座布団干し堂内清掃兼 (100円/第2土曜日)
回数 開催日 「風入りたつご教室」での開催内容(予定表) 2025年度 語り部 原稿〆切日
1 7月12日
(第2土)
第1回 「最後の一節」から「佐藤義亮、浩堂生」の著者名と加藤武雄について 保坂健次 .
2 8月9日
(第2土)
第2回 加藤武雄、 「合掌」から下田地蔵について 保坂健次 .
3 9月13日
(第2土)
第3回 八木重吉、 「蟲」について 保坂健次 .
4 10月11日
(第2土)
第4回 吉野登美子が編んだ吉野秀雄著「詩集 山國の海鳴」 について 保坂健次 .
5 11月8日
(第2土)
第5回 やなせ・たかし編集「月刊詩とメルヘン」の中の「八木重吉詩集」  保坂健次. .
6 12月13日
(第2土)
第6回 お休み ー. .
7 1月10日
(第2土)
第7回 『茶の花忌』の誕生と100年の『茶の花忌』 保坂健次 .
8 2月14日
(第2土)
第8回 都合によりお休み( 「定本 八木重吉詩集」の誕生) .
9 3月14日
(第2土)
第9回 都合によりお休み (「たつご教室」相模原市文化財展出展のための)
第49回 相模原市文化財展
日時 3月12日(木)〜3月15日(日) 場所 ミウイ橋本 5階(インナーガーデン)

「「たつご教室」にようこそ」と題し、これまでの活動報告を行います。
.ー .

回数 開催日 「風入りたつご教室」での開催内容(予定表) 2026年度 語り部 原稿〆切日
10 4月日
(第2土)
第10回  都合によりお休み(吉野秀雄著「短歌百餘章1から50 」について 秀雄の心模様 1) 
11 5月日
(第2土)
第11回  都合によりお休み(吉野秀雄著「短歌百餘章51から100」について 秀雄の心模様 2)
12 6月日
(第2土)
第12回  都合によりお休み(教科書に載った加藤武雄の作品から 1 二宮尊徳)
13 7月日
(第2土)
第13回 都合によりお休み(教科書に載った加藤武雄の作品から  2 鍬と小判)
  教科書に載った加藤武雄の作品  
14 8月日
(第2土)
第14回  お休み(教科書に載った加藤武雄の作品から 3 万年筆)
15 9月日
(第2土)
第15回 (未定)
16 10月日
(第2土)
第16回  (未定)
17 11月日
(第2土)
第17回  (未定)
18 12月日
(第2土)
第18回  お休み
19 1月日
(第2土)
第19回  (未定)
20 2月日
(第2土)
第20回  (未定)
21 3月日
(第2土)
第21回  (未定)

 尚、ご参加されます皆様のご協力を得ながら、当日はミニ展示会やミニ研究発表会等も出来できれば大変に嬉しいです。
 そして、「たつご教室」が、いつまでも続けられますよう願っています。 どうぞ、みなさま、お楽しみ下さい。
   
 イトヒバが聳える久保沢観音堂 「たつご教室」は堂内の右側のところで行います。(旧久保沢自治会館)

 庚申塔(観音堂入口)


 温泉坂(左側に観音堂)
 注 グーグルMAPで久保沢観音堂を「相模原市緑区久保沢2丁目ー6−10」と検索しますと     一方通行に注意して下さい。
    最初「自治会館」と出てきますが更にUPしていきますと「大正寺 久保沢観音堂」と出てまいります。


駐車場(無料)について
 @観音堂の前に駐車場(3台)がありますが、当日は自転車置場または、緊急用として確保して置きたいと考えております。
 A城山まちづくりセンター/城山総合事務所(第1・第2・3駐車場)を第一順位に 御利用下さい。
 B温泉坂を下ったところに久保沢自治会館(第1・第2駐車場)があり、数台が御利用できます。
 C久保沢自治会の駐車場が満杯の場合は温泉坂の道路が「一方通行」になっていますので、
  
一旦、進路を川尻交差点(五又路)」に出て再チャレンジをお願いいたします。
 D 他に、城山公民館・もみじホール等がありますが遠くになりますのでご注意下さい。

  当日は健康のため、お近くの方は恐れ入りますが、なるべく徒歩か自転車での御参加をお願いします。
  トイレは、観音堂内に完備されております。

  「たつご教室」ロゴマークの由来について(縁起)
 「たつご教室」が始まる前、私は Mさんのお孫さんでもある二人の中学生に、立看板とロゴマークのお願いをしました。
 Aさんには「たつご教室」と記された立看板を、Bさんには、城山情報誌等に掲載した場合の、誰でもがそのロゴマークを見ただけで教室の進むべき目的のようなものが分からないか只々漠然としながらお願いをしました。
 そうした中、Aさんが観音堂の玄関口に置く立看板を書いて来て下さいました。
 書風は元気で爽やか、そして何よりも親しみのある作品でした。
 続いて、ロゴマークもBさんが描いて来て下さいました。彼女はログマークの背景の色を白地のものと黒字のもの二枚を描いて下さいました。私は、正直なところ、この図柄は「表には出せない」と勝手に直感し、悩んだあげくの果ては「旗にして閉まっておこう」と思い込みました。
 理由は図柄があまりにも大胆で奇抜過ぎるために心のどこかで戸惑い、どうしても彼女の気持ちが理解できないでいました。旗にした場合、「背景の白や黒を、何処の地点まで広げたらよいものか」とか、「旗にした場合の大きさの限度とかが生まれてしまい、そこから先の広がり具合が分からなくなってしまうのではないか」とか、旗にした場合でも疑問を抱くようになりました。そうして、遂に、そうともしていられない、発表の時期が次第に迫り、私は取り敢えず模造紙いっぱいに墨汁を塗りつぶして見ることにしました。そうして最初は全く分かりませんでしたが、途中から太陽の光が墨の濃淡部分に照らされて輝き始めたのです。私は「はっ」と思いながら、次に「たつご教室」と描かれた箱の部分と龍の角の部分をハサミで切り込み、その黒く塗り潰した墨紙の上に貼り付けて見ました。そうすると、どうでしょう。この物体がまるで、水を得た魚のように動き始め、輝く生き物のように見えて来たのです。
 「たつご教室」と描かれた命の箱が、光の見えない宇宙の中で光輝いていると。しかも、動きながら活動している。今まで、黄土色にしか見えなかった箱の縁(ふち)や龍の角(つの)の色が金色となって輝いていたのです。「たつご教室」の箱は、まるで闇夜を照らす月や星のような存在に見えて来たのです。時が過ぎても、ずっと輝いていたのです。
 人間の命には残念ながら、かぎりと云うものがある。だが、人間にはお互いの知恵を出し合えば、今の思いを語り継ぐことができる。
 私は、この瞬間に、輝く「たつご教室」の存在を知りました。
 さあ、「たつご教室」で輝こう。 (保坂記) 

                        お問い合わせ先(保坂) kenjihotaru@hotmail.com 
                                    042−782−8228

公益社団法人 相模原市観光協会ホームページ | いい〜さがみ
広田は竜の伝説地 川尻八幡宮境内社・金刀比羅神社本殿の彫刻
津久井三十三観音霊場めぐり(正覚寺HPから複写)  

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