回数 |
開催月日 |
「たつご教室」での開催内容(予定表) |
語り部 |
原稿〆切日 |
13 |
4月26日
(第4土) |
第13回 信州高遠の石工、北原七兵衛と守屋貞治について
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右側のお地蔵様は赤ちゃんを抱き、左側の地蔵様は赤ちゃんに強い日差しが差さないよう、一際大きな幢幡 (どうばん)を掲げています。眼差しはやや下向き加減に工夫が施されていることで、全体に優しさが漂っています。信州高遠の石工北原七兵衛の作品です。
近年、極めて芸術性の高い守屋貞治の作品が城山にもあることを突き詰めた高遠の研究者たちを中心に現在も研究が進められています。
貞治は死の前年、「石佛菩薩細工(通称「貞治の細工帳」」を著し後世に文書としても、その記録を残しています。
今回は、城山地区に高遠石工たちが残した石仏たちを訪ね、その実像に迫ります。
語り手は、勿論村田公男さんです。
どうぞ、ご期待下さい。 |
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撮影 2006・5・6

大正寺百体地蔵、右から8番目の地蔵菩薩 |
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村田公男 |
3月 14日 |
14 |
5月24日
(第4土) |
第14回 城山エコミュージアム委員会 の活動から
三嶋神社の扁額を奉納した川崎男爵家について
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三嶋神社の鳥居は、以前は木造で両部鳥居だったが、現在のものは紀元二千六百年記念行事(1940年(昭和15年)神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事)として御影石に建て替えられたもの。(拝殿両側の御影石で刻んだ唐獅子にも紀元二千六百年記念とある)また、拝殿の大きな扁額は、今は湖底に沈んだ別荘の持ち主、川崎男爵が同じく記念奉納したもので、 |
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川崎男爵が奉納された「三嶋神社」扁額 |
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「三嶋神社、男爵川崎寛正」とある。(平成27年度城山エコミュージアムツアー配布資料より抜粋)
また、学童集団疎開の頃には、川崎男爵の別荘から神奈川国民学校の5年男子39名が疎開され地元の小学校に通われた。
今回は、日頃から城山公民館で活動を続けられている「城山エコミュージアム委員会」の田畑さんから、ご報告をして戴きます。どうぞ、お楽しみに。 |
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田畑房枝 |
4月 11日 |
15 |
6月28日
(第4土) |
第15回 近世絵図で読み解く相模原の歴史
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平成14年、旧津久井町文化福祉会館に於いて「津久井の古地図展」が開催されました。大きなものでは縦198p×横227pもある「相模国絵図」を始め、各村々からの絵図等全部で178枚も展示されていました。私はこの驚く程の量に圧倒され、その時の興奮を今でも昨日のことのように覚えています。
調査はその後も進められ、合併後は「津久井町史」編纂事業として引き継がれて行きました。
今回は、新たに発見された資料の紹介をもふまえ、当時の企画展を担当していた井上泰さんに語って戴きます。
また、元禄12年(1699)、相模野台地を「秣場」として長い間利用されてきた、周辺の村々を含めた三十六ヶ村の広大な台地の
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相模国絵図(三浦半島・江ノ島部分) |
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絵図についても語って戴きます。 どうぞ、お楽しみに。 |
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井上 泰 |
5月16日 |
16 |
7月12日
(第2土) |
※第16回 風入(かぜいれ)(八木重吉・加藤武雄・民話など文学に関することの練習朗読会) |
(ー) |
ー |
17 |
7月26日
(第4土) |
第17回 コロナにより中止となった「津久井城展−戦国の世に黄金を生む城ー」の真相
(津久井城跡市民協働調査10周年記念 開催期間 R2.3.14〜5.6)
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2020年1月、相模原市で最初のコロナ患者が確認されました。
その頃、相模原市立博物館では、「津久井城展−戦国の世に黄金を生む城ー」と題した特別企画展の準備をしている人達がいました。
担当者はその準備に追われ、津久井城市民調査グループを始めとする発掘調査に関わった数多くの人たちもまた、この開催の日の来ることを待ち望んでいました。一向に、おさまることのないコロナは増々の猛威を広げて行くばかりでした。こうして、この企画展は多くの待ち望む人達の熱意に |
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5号曲輪の発掘調査 図録より |
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も関わらず空しく幻と化してしまったのです。
今回は、その企画展を中心的に担当していた中川真人さんに、当事の状況を思う存分に語って戴きます。特に、城坂曲輪群内の5号曲輪からは池底に石が敷きつめられ洲浜の形状や湧水池跡からは掛樋などで水を引いた痕跡も確認され、また、中国産磁器の破片等も出土したことから、背景に広がる山々や尻久保川の谷の借景を望みながらの「茶の湯」に親しんだ兵どもの光景が想像できるようになりました。 こうして、今まで考えられなかったことが、今回の発掘調査を通じ考えられるようになりました。 《津久井城500周年》
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中川真人 |
6月17日 |
18 |
8月15日
(金) |
第18回 地域(旧城山町)の人々の空襲体験 (47話)
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樋口先生は、平成元年8月に「私の八月十五日」と題し、多くの人たちから戦争体験の話を収録、活字化し報告されました。今回発表される「地域の人々の空襲体験 太平洋戦争」は或る団体の学習会記録として刊行されたものですが、発表の直前になって怪我をされてしまい入院を余儀なくされてしまったそうです。そのため当日の発表は代理の方にお願いをされたそうです。
そうしたことから今回の発表は四年振りのこととなります。収録資料、『鳩への祈り』では「戦中戦後小倉橋にも銃弾の跡が 上原欣一」から「(略)B29の爆撃は夜が多く、昼間は安心して仕事をしたり遊んだりしていたが、 |
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上原少年が艦載機に襲われた
現在の小倉橋周辺 |
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やがて、艦載機が飛来してくるようになり、我れ先に物陰に隠れていたが、ただ飛んでいくだけの艦載機に次第に馴れて、平気で外に出る様になってゆきました。やがて、夏休みになり私の家では父親が召集で戦地へ行っていて、母親が中心で農業をしていたのでその手伝いをしなければならなかった。終戦も間近、艦載機が襲ってきて、小倉橋に銃弾を撃ちこんだ。幸いアーチの下に逃げたので助かったが、物凄く恐い思いをした。(略)」と。先生は、こうした「空襲体験」記録を47話に纏められ今回の発表とされました。
私事になりますが、この日最後に登壇された宮崎紀美子さんによる「軍人墓地について」と題された発表は戦争による悲惨さと尊い命の重みを感じさせるものでした。
宮崎さんとは「地球の緑を救おう」と、牛乳パックで紙漉きをしながらいろんな所に出向きました。何かと、忙しない世の中ですが、どうぞ、お出かけ下さい。 |
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樋口孝治 |
7月11日 |
19 |
9月 日
(未定) |
※第19回 New相模原市立博物館プラネタリウムによる今夜の星空と施設見学会 |
(ー) |
ー |
20 |
9月27日
(第4土) |
第20回 津久井のチョウ 今・昔
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近年、昆虫が減っているといわれています。その原因は何なのか、様々な要因が考えられます。
今回の教室では、守屋さんがチョウに興味を持ち始めた、1970年代と現在のチョウ相の変化について、その原因や理由を考察して下さいます。
守屋さんは相模原市立博物館の学芸員としてこれまで新相模原市史や津久井町史自然編の編纂をなされ、相模原市の全域をご調査されてきました。こうした研究の発端となったのはチョウとの出会いからだそうです。
どうぞ、お楽しみ下さい。 |
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春の女神と云われるギフチョウ |
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守屋博文 |
8月8日 |
21 |
10月25日
(第4土) |
第21回 (仮)中沢に日本で最初の製糸工場があった |
溝口正伸 |
9月12日 |
22 |
11月8日
(第2土) |
※第22回 風入(かぜいれ)(八木重吉・加藤武雄・民話など文学に関することの練習朗読会) |
(ー) |
ー |
23 |
11月22日
(第4土) |
第23回 「(仮)中世の板碑/三宅宗議」と「鵲の会」の活動報告 |
瀧柳みち代 |
10月10日 |
24 |
12月27日 |
お休み |
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11月14日 |