広田は龍の伝説地  −竜の誕生−
2018・1・12 作成


 2018(平成30)年1月8日付神奈川新聞の「きょうの天気」欄では「南の風後やや強く、曇夕方から雨 最小湿度55%、海上最大風速15b=横浜」とありました。天気予報は当たって、夜半から雨が降り始め朝方に止んだ。
 (相模原市)橋本の高台から、西側に見える関東山地の山々を眺めた。南から蛭が岳を主峰ににして丹沢山塊の山々、近くに、津久井城趾、その奥に通称寝観音山と呼んでいる山々、都井沢の丘陵面、そして、古くは小松山のあった若葉台団地の建物群と、その奥は「峯の薬師」をまつる山々、手前には、こんもりと繁る川尻八幡宮の杜、そしてその後ろ側に雌龍籠山、雄龍籠山、高尾山、小仏峠と続き関東山地は北に展開して行く。
 そして、ほんの僅かではあるが、雪に覆われた富士の姿を眺めることができる。
 1月9日(火)の雨上がり、4月中旬の温かい朝を迎えた。 
 西側の山々には、水蒸気をたっぷりと含んだ雲が見えた。遠く相模川の谷を流れて来た雲の一団は久保沢より奥の、津久井城趾や寝観音山あたりで、ひときわ大きな雲の塊となっていた。
 雲は太平洋側から相模川を伝わって南風の微風を受けて、雲の動きを止めているのだろう、雲は複雑の形をなしながら更に大きく成長していた。やがて溢れ出た雲は龍籠山を越えて出ている。
 龍籠山を越えて出た雲は雲海となり、その下層を南北に伸ばし成長している。また、その雲の量は小さな谷から上昇する雲とも重なり合って更に更に雲を大きくしていた。
 最近、よく云われている「天空の城」と呼んでいる眞にその光景であり、雄龍籠山と雌龍籠山を挟んでその両山の裾野から雲が溢れ出ていたのである。
 真に、「山越えの雲、山越えの竜」の様相であった。
 溢れ出る雲の現象を確認していた時間帯は朝の8時頃から10時頃迄であった。それ以降は雲もなくなって、晴れわたった冬の空となった。冬には珍しい4月中旬の暖かな一日であった。
 この世に龍は存在しないが、古代人たちはこうした様相を、また、川の流れるさまを、空想の生き物、龍にたとえたのである。
 川尻八幡宮拝殿の向拝部には、鳳凰の鳥とともに龍の彫刻が施されている。また、文化元年(1804)に、四国の金比羅宮から勧請された金比羅神社本殿には二匹の龍が向き合って、その様相は他に類例を見ない。また、かっての極採色も遺している。
 
  金比羅神社本殿
 本殿の建築様式は一般的な流造(ながれづくり)で、正面に蟇股(かえるまた)や木鼻(きばな)と呼ばれる突出部を取り付けるのが通例であるが、ここでは二匹の龍を柱に絡ませ、中央部に龍を向き合わせている。
 また、本殿の扉には「鯉の瀧昇り」を模した彫刻も施されている。
 かって、この本殿は雄龍籠山々頂(通称金毘羅山)に建立されていたが、明治の合祀令によって、現在の地に遷された。
 地元、小松の清水公済が記した「龍籠山 金刀比羅神社由来記」には「明治四四年に至り小松部落はもとより近郷講社の猛烈な反対にも拘らず、内務省令により村社八幡神社に合祀された。」と、合祀の反対の事も記録に残し後世に伝えた。


                                  二匹の竜の坐す金比羅神社本殿

景観としての相模川
 撮影の年代は不明だが、こんなことが考えられる。写真左上は、且つて小倉富士と呼ばれていた山で、周囲が竹で覆われていた。その面影は今でもほんの少し垣間見ることはできるが、全山々砂利として採取されつくし今はない。

相模川を北上する帆掛け船  撮影 八木蔦雨  撮影年不明
 写真右上のこんもりとした景観はスダジイの生い茂る諏訪神社の杜でその手前に、茅葺屋根が見える。
 中央部は相模川を遡上する、帆掛け船。船の後ろに櫓(ろ)を漕(こ)ぐ人、帆が帆柱(ほばしら)の奥に見えることから、船の進んでいる方向が、川の流れとは逆な上流に向かて遡上していることが判る。こうした写真の構図から、風の吹いている方向は南風で、なお且つ、船が傾いている、また五枚の帆の間が全開となっていることから風量も相当あったこと
が判る。
 こうした南風や川の流れる力を利用することによって様々な物資の運搬が行われてきたこと、時には大山詣りの人々も乗せた交易もおこなわれていた。また、こうした暖かな南風の流れることによって、渓谷上段に位置する中沢地区は冬でも暖かいと云われている。
 「雲の一団は久保沢より奥の、津久井城趾や寝観音山あたりでひときわ大きな塊となっていた。」の、ひときわ大きな塊になっていたと云う要因は、太平洋側からの暖かな南風と上流から流れ来た雲の衝突した証なのである。
  ※橋本方面から見た情景で、実際の雲の塊の個所は相模川の小倉橋辺りを中心とした上空となります。ご注意を願います。 2017・1・12 保坂

龍籠山には、龍にまつわる三つの伝説がつたわる。
(一)

 旱魃(かんばつ)の時、雨乞い(あまごい)すればその霊験(れいけん)あらたかで辰(たつ)の日には心願すれば巳(み)の日には必ず降雨したと云う。
(二)  大昔より龍の住んだと伝えられている穴がある。
(三)







 大昔、とてつもなく大きな竜が金刀比羅山に棲んでいた。そこへ、あるとき城山の向こうの方から峯の薬師をひとまたぎにして、いっぴきの牝竜が現れる。そしてたちまち大げんかがはじまったのである。
 竜が争うときは、真黒な雲を巻き、風をひき起し、稲妻をまじえて大雨を降らせるのだ。
 どちらが勝ったのかよくわからない。そのとき大雨が降ったのが雨降
(あめふらし)で、滝をなして流れたのが滝尻(たきじり)、大風が巻いたのが風間(かざま)、そして、竜の棲んでいたのが、穴川(あながわ)だったそうだ。 



     ↑雌龍籠山    ↑雄龍籠山
終わりに
 もう二十五年も前になるだろうか、地元の広田小学校の子供たちが、こうした地域に伝わる伝説を「広田の龍伝説」としてまとめられ、津久井の音楽祭で上演されたことがありました。私はその発表を前に行われた事前の発表会に見物させて戴きました。子供たちのあまりの熱演に何だか本当に竜がいたような気がしました。いや、「本当にいたのだ。」と、自分に何度も何度も云いかけたことを今でもはっきりと覚えています。どうぞ、広田の竜に巡り合って下さい。
   雨上がりの、生ぬるい朝、龍籠山から龍の降りてくるお姿を、どうぞご覧下さい。

参考資料
「龍籠山 金刀比羅神社由来記」 1964年 清水公済著
春林文化 第2号 特集・川尻八幡神社の研究(一) 1985−7 城山地域史研究会
龍の話 −図像から解く謎ー 林巳奈夫 中央公論社  発行 1993・2 
龍の棲む日本 黒田日出男  岩波書店 2003・12・5
隠された神々 古代信仰と陰陽五行  吉野裕子 講談社 昭和55年2月 4刷
龍神物語 濱田進 日正社 平成17年5月
龍の起源 荒川絋 紀伊国屋書店 2000・1 7刷
蛇と十字架 −東西の風土と宗− 安田喜憲  人文書院 1994・8
中日新聞記事 室ケ谷古墳群からの出土「金銅製双竜環頭太刀」  2013・5・9
読売新聞記事 長野県更埴市屋代遺跡、全国で初出土、奈良期の形代(かたしろ)にヘビ H6・10・16

川尻八幡宮 
彩画家・大下藤次郎の久保沢印象記  
資料 詩情高瀬船は行く 
龍籠山のさくらと金毘羅神社に
資料 武田博士が観察した「富士越し龍と笠雲」について


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