行動の人・最上徳内、城山来る。

2004.6.27現在は
原宿 鎧塚跡 この周辺には近年まで漆木があった。
           撮影2005・11.18

鎧塚
 川尻八幡宮、一の鳥居の脇(北側)にあります。現在、塚の周りにはブロックが積まれいます。そこには「地ずりの松」と云う名の松があり、地をはうように生い茂っていたといいます。今はススキで覆われ、僅かに朽ちた松の破片を残すのみとなっています。
 鎧塚の由来は後日にするとして、この周辺には近年まで漆(ウルシ)の木があったそうです。かって原宿用水の周辺にもウルシの木があり、文化13年(1816)8月にその木の一部を切った事から農民がとがめられ詫び状を出しています。
 城山町にどのようにしてウルシの作付けしたか、また、どのようにして広めていったかと云う内容の文書はまだ見
つかっていまませんが、幸い相模原市、旧淵野辺村文書の中にウルシやハゼ、最上徳内に関わる文書が残されていました。
 ウルシを広めた目的は、またその用途はどのようなものか、ちょっと考えて見たいと思います。
 行動の人・最上徳内と蝋燭(ローソク)と炭
 北方探検家と云えば、間宮林蔵とか近藤重蔵があげられます。次に派手さわありませんが最上徳内があげられると思います。徳内は千島を愛し9回も渡航を繰り返し、アイヌ語の辞書づくりや千島、カラフトの探検を行いました。また知られていないところでは、関東十州川船改所用地図を作成したり、八王子を中心に「関東蝋」と呼ばれる蝋燭づくりや、その材料となる漆木の奨励を行い産業の発展に貢献しました。
 また伊豆韮山にある膨大な江川文書の中には、官材の伐採に関する文書等もあり、その中には徳内が太井村と小倉村にまたがる「御林」の調査を行い、小倉分では雑木用材531本から1500俵の炭を焼くよう指示を出しています。
 後年は、シーボルトと出会い黙認の約束で「日本北方地図」を貸し出しました。シーボルトはその後国外追放となりましたが、徳内との約束をかたくなに守り、25年後、「日本陸海地図帳」を出版しました。そして最上徳内と間宮林蔵が探検したカラフト図を全ヨーロッパに紹介しました。
 少年時代の徳内
 徳内は1754年、山形県の田舎の貧しい農家に生まれました。兄弟姉妹が多く、少年時代は弟や妹の子守ばかりをやらされていました。それでも勉強が好きで、早く文字を読んだり書いたりできるようになりたいと考えていました。
 ある時、弟を背負いながら歩いていると、寺子屋があって、そこから子供たちの勉強する声が聞こえてきました。徳内はそれから毎日のようにその寺子屋の窓際に立って、先生の声に耳を傾けました。もちろん子守をしながらです。窓からのどき勉強です。徳内は大人になってから、その除き勉強がとても役立ったと言っていました。
 しかし、成長するにつれて、子守は次の弟の仕事になりました。今度は父の命令でタバコの行商にでかけるようになりました。徳内が字を書いたり計算もできることも父が知っていたからでした。タバコの箱を背負って、毎日遠くまで歩きました。16才の時です。
 徳内にとって、この行商の旅も、後にどれだけ役にたったかわかりません。毎日変わった土地、変わった人々に会えたからです。景色も人も土地によって違うことが、彼の好奇心を湧かせました。徳内の千島探検の好奇心も、この行商が出発だったのです。
 新しい土地に行くたびに、自分の勉強不足に気がつくのです。しかし、家は貧しく、寺子屋には行けません。こっそり自分の希望を訴えたりしましたが、父に言い出すことはできません。相変わらず、暁鐘の旅が続きました。
 徳内が27才になったとき、父がぽっくり亡くなりました。しばらくは、その悲しみを抑えながら行商を続けましたが、その旅をすればするほど、勉強したいという気持ちが広がって行きました。
 徳内は思いきって、江戸に出て勉強したい、ということを母に願い出ました。徳内一人がいなくても一家はどうにか食べていけるようになっていたからです。母もそれを許してくれました。彼は飛び立つ思いで、江戸に出発しました。長い旅も苦にならぬほど、希望でいっぱいです。
 本多利明との出合い
 まず山田図南という医者に仕えました。しかし、医学を学んでいるうちに、行商の旅で知った道の世界への憧れ、好奇心が医学では満たされない、と感じるようになりました。そこで数学の先生である串原正峯という学者の弟子になりました。徳内の勉強ぶりに、正峯先生も舌をまくほどでした。彼は先生に、自分の長い間の夢を打ち明けました。この事を知った正峯先生は、自分の先生でもある本多利明という学者に徳内を紹介して、彼の期待にこたえました。
利明という学者は、新潟県の出身で、早くから江戸に出て、数学、天文学、航海学などの塾を開いていました。徳内にとって、特に天文学と航海学は、未知の世界を知りたいと言う彼の夢をかなえてくれる学問です。徳内の勉強は、先生の利明を圧倒するほどでした。 
           山県泰三著 「千島物語」より 第6章 千島の歴史より引用

 最上徳内像
 最上徳内のその後の行動については年譜にも書きましたが目をみはるものがあります。
 徳内と出会った人の中に八王子千人同心、松本斗機蔵と云う人がいます。この人は徳内と学問的な出会いをした人で、天保10年(1839)、紀州候に書籍が分散するのを恐れ献上した「蔵書目録」が残されています。その目録に記された書籍は残念ながら所在不明となっていますが、その目録の前文には徳内が「八王子宿に旅宿まかりあり候に付、最寄の義にも御座候えば、度々右旅館へまかり越し対話仕り候処」蝦夷地、東蝦夷地、千島の島々からロシア満州に至る「彼国々の地理風土等詳しく候書籍借抄仕り、年来蔵し置き、当時三百余巻に相成」ったとあります。
 書籍を書き写した松本斗機蔵の情熱、徳内が持参していた書籍、これほど大
量の書籍を書き写したことは二人の親密な交流がいかに長かったか並々ならぬものを感じます。そして、それは最上徳内の人物像を知る貴重な資料ともなっています。
 向学心に燃えた行動の人、最上徳内は今歴史の中で輝いています。「温故知新」彼の歩いた道のりをほんの少し訪ねてみました。

  松本斗機蔵が書き残した最上徳内蔵書目録の一覧 
番号 書籍の分類 書名 単位 著者 番号 書籍の分類 書名 単位 著者
1 外国地志類 西域聞見録 3巻 1 103 外国地志類 琉球国志略 5巻 1
2 外国地志類 野作東北韃靼記 6巻 1 104 外国地志類 中山傳信録 6巻 1
3 外国地志類 魯西亜国記 2巻 1 105 外国地志類 ?書乙集 1巻 1
4 外国地志類 倭羅斯国志 2巻 1 106 外国地志類 朝鮮聘使記 1巻 1
5 外国地志類 倭羅斯日記 1巻 1 107 外国地志類 琉球譚 1巻 1
6 外国地志類 狄俗記聞 2巻 1 108 外国地志類 琉球志 1巻 1
7 外国地志類 魯西亜本紀 1巻 前野良沢 109 外国地志類 琉球事略 1巻 1
8 外国地志類 五郎次話 1巻 中川五郎次 110 外国地志類 琉球聘使録 1巻 1
9 外国地志類 柬察加志 1巻 前野良沢 111 外国地志類 琉球聘使記 1巻 1
10 外国地志類 柬察加風説考 1巻 1 112 外国地志類 地球全図略説 1巻 司馬江漢
11 外国地志類 両国和議始末 1巻 1 113 外国地志類 萬国図説 1巻 1
12 外国地志類 北邊探事 1巻 大槻玄沢 114 外国地志類 地球萬国説 1巻 桂川甫州
13 外国地志類 倭洛斯一件 1巻 1 115 外国地志類 四大州国号譯・萬国地名考 合本 1巻 1
14 外国地志類 魯西亜聘使始末 3巻 1 116 外国地志類 四十二国人物図 2巻 1
15 外国地志類 倭洛斯寇乱始末 1巻 1 117 外国地志類 職方外記 1巻 1
16 外国地志類 邊要分界図考 1巻 近藤守重 118 外国地志類 萬国新話 5巻 森嶋中良
17 外国地志類 北邊記聞 8巻 1 119 外国地志類 華夷通商考 5巻 元禄期
18 外国地志類 続北邊記聞 9巻 1 120 外国地志類 坤輿外記 1巻 1
19 外国地志類 吹上秘抄 3巻 1 121 外国地志類 坤輿約説 1巻 山村才助
20 外国地志類 甲子倭羅斯来翰 1巻 1 122 外国地志類 西洋雑記 1巻 山村才助
21 外国地志類 倭洛斯人物図 1巻 1 123 外国地志類 東西紀游 1巻 山村才助
22 外国地志類 尾薩漂流人口書 1巻 1 124 外国地志類 西洋列国史略 1巻 佐藤信淵
23 外国地志類 牛滝福浦漂民記 1巻 1 125 外国地志類 長崎夜話草 5巻 1
24 外国地志類 漂流日記 1巻 1 126 外国地志類 長崎記 1巻 1
25 外国地志類 ?羅斯人雑話 1巻 1 127 外国地志類 長崎雑抄 1巻 1
26 外国地志類 環海異聞 6巻 大槻玄沢 128 外国地志類 采覧異言 3巻 新井白石
27 外国地志類 嘆咏餘話 1巻 1 129 外国地志類 兵原先生上書 1巻 1
28 外国地志類 日本遭厄紀事 2巻 1 130 外国地志類 蒲生氏上書 1巻 1
29 外国地志類 北槎聞略 5巻 桂川甫州 131 外国地志類 七左衛門訴状 1巻 1
30 外国地志類 五郎次与茂吉口供 1巻 1 132 外国地志類 山田仁左衛門紀事 1巻 1
31 外国地志類 文化八年久奈志利記 2巻 1 133 外国地志類 善隣国賓記 3巻 1
32 外国地志類 野作草紙 3巻 最上徳内 134 外国地志類 野作藻塩草 1巻 1
33 外国地志類 開国有司名簿 1巻 1 135 外国地志類 魯西亜語録 1巻 1
34 外国地志類 蝦夷乱紀事 1巻 1 136 外国地志類 和蘭人出島壁書 1巻 1
35 外国地志類 寛政五年異国人江被仰渡書 1巻 1 137 外国地志類 鎖国論 1巻 1
36 外国地志類 野作騒動一件書留 1巻 1 138 外国地志類 蘭?摘芳 3巻 1
37 外国地志類 巡邊手記 1巻 1 139 外国地志類 蘭語譯 1巻 1
38 外国地志類 野作道知邊 1巻 1 140 外国地志類 蘭譯弁髦 5巻 1
39 外国地志類 野作拾遺 1巻 本多利明 141 外国地志類 紅毛渉海略記 1巻 1
40 外国地志類 倭洛斯航海図説 1巻 1 142 外国地志類 安南物語 1巻 1
41 外国地志類 蝦夷志 1巻 新井白石 143 外国地志類 天竺渡海記 1巻 1
42 外国地志類 狄秋図纂 1巻 1 144 外国地志類 照代叢書外国竹技詞 1巻 1
43 外国地志類 北海随筆 1巻 1 145 外国地志類 海防問答 1巻 1
44 外国地志類 三国通覧 1巻 1 146 外国地志類 西洋記聞 1巻 新井白石
45 外国地志類 東韃紀行并図 1巻 間宮林蔵 147 外国地志類 天文末録 3巻 1
46 外国地志類 加刺普多地名纂 1巻 1 148 外国地志類 吉利斯督実記 1巻 1
47 外国地志類 韃靼漂流記 1巻 1 149 外国地志類 耶蘇天誅記 3巻 1
48 外国地志類 北野作乙名所持 1巻 1 150 外国地志類 漂海録 3巻 1
49 外国地志類 満文書札和解 1巻 1 151 外国地志類 槎録 1巻 1
50 外国地志類 海防論令 1巻 1 152 外国地志類 獲虎録 1巻 1
51 外国地志類 卯年四月甲比丹より 亜墨利加船頭問に答和解 1巻 1 153 外国地志類 櫻角説 1巻 1
52 外国地志類 伊祗利須紀略 1巻 近藤守重 154 外国地志類 遠鏡説 1巻 1
53 外国地志類 文化五年イギリス一件 1巻 1 155 外国地志類 象志 1巻 1
54 外国地志類 文政元年浦賀湊一件 1巻 1 156 外国地志類 駱駝彙考 2巻 1
55 外国地志類 薩州宝嶋英機黎一件 1巻 1 157 外国地志類 駱駝纂説 1巻 松本斗機蔵
56 外国地志類 諳厄利亜人性情志 1巻 吉雄忠次郎 158 外国地志類 海国倉説 4巻 1
57 外国地志類 別勤空律安設戦記合本 1巻 吉雄忠次郎 159 清文類 満漢字四書 1帙 1
58 外国地志類 蝦夷道知邊 1巻 1 160 清文類 清書全集 3巻 1
59 外国地志類 南部藩士井島原筆記 1巻 1 161 清文類 清文鑑 8帙 1
60 外国地志類 丁卯エトロフ騒乱 1巻 1 162 清文類 満漢同文類聚 8帙 1
61 外国地志類 唐太明細書 1巻 1 163 清文類 清文鑑序 1巻 1
62 外国地志類 文化五年八月 英機黎船渡来筆記 1巻 1 164 清文類 清文十二字頭 1巻 1
63 外国地志類 久奈?利島 1巻 1 165 地図類 大日本国郡付全図 4巻 1
64 外国地志類 魯西亜人被虜大略 1巻 1 166 地図類 倭路斯地球図 1張 1
65 外国地志類 オロッツコ人江相尋趣書付 1巻 1 167 地図類 皇国與地図 1張 1
66 外国地志類 野作開拓節諸取計等書付 1巻 1 168 地図類 支那與地図 1張 1
67 外国地志類 日本風土記 1巻 1 169 地図類 蝦夷北海道程図 1張 1
68 外国地志類 日東行程考 1巻 1 170 地図類 野作全図 2張 1
69 外国地志類 奥羽海運記 1巻 1 171 地図類 安房州全図 1張 1
70 外国地志類 伊豆日記 3巻 1 172 地図類 倭羅斯北海與図 1張 1
71 外国地志類 無人島漂流記 1巻 1 173 地図類 薩哈連烏刺図 1張 1
72 外国地志類 無人嶋帰着次第 1巻 1 174 地図類 薩哈連量図 1張 1
73 外国地志類 蛍餠抄 2巻 1 175 地図類 沖縄嶋図 1張 1
74 外国地志類 華夷変態 5巻 1 176 地図類 加刺仏脱嶋図 1張 1
75 外国地志類 清朝探事 1巻 1 177 地図類 黒竜江口図 1張 1
76 外国地志類 清国物産志 1巻 1 178 地図類 朝鮮與地図 1張 1
77 外国地志類 享保丁酉唐船記 1巻 1 179 地図類 黒竜江中洲井天度 1張 1
78 外国地志類 清舶漂来筆記 1巻 1 180 地図類 蝦夷北海図 1張 1
79 外国地志類 清舶漂来始末 1巻 1 181 地図類 野作北安羅刹属嶋図 1張 1
80 外国地志類 清国様子流求人江 御尋之答 1巻 1 182 地図類 アラサスカ間内小図 1張 1
81 外国地志類 靖臺実録 1巻 1 183 地図類 箱立渡按場図 1張 1
82 外国地志類 南海記聞 2巻 1 184 地図類 唐太島図 1張 1
83 外国地志類 平臺記略 1巻 1 185 地図類 クナシリ・エトロフ 1張 1
84 外国地志類 臺湾略記 1巻 1 186 地図類 ウルッフ三嶋図 1張 1
85 外国地志類 臺湾記略 1巻 1 187 地図類 ウルツプコリ先島嶋図 1張 1
86 外国地志類 喇嘛考 1巻 1 188 地図類 伊豆七島小図 1張 1
87 外国地志類 銭函心事 1巻 1 189 地図類 蝦夷近傍地理略図 1張 1
88 外国地志類 三字話 1巻 1 190 地図類 倭路斯船図 1張 1
89 外国地志類 和漢寄文 4巻 1 191 地図類 日光道中図 1張 1
90 外国地志類 東巡日録 1巻 1 192 地図類 浦賀湊口略図 1張 1
91 外国地志類 武功紀略 1巻 1 193 地図類 三国通覧図 5張 林子平
92 外国地志類 外国通信事略 1巻 1 194 地図類 拂郎機銃図 1張 1
93 外国地志類 殊号事略 1巻 1 195 地図類 満文□信写 1張 1
94 外国地志類 復号紀事 1巻 1 196 地図類 ヨロシア来函 2通 1
95 外国地志類 朝鮮物語井格水始末 1巻 1 197 地図類 銅版地球図 1張 1
96 外国地志類 鄰好始末・朝鮮略説 合本 1巻 1 198 地図類 日本沿海形勢全図 6張 1
97 外国地志類 異国往来 1巻 1
98 外国地志類 宝暦甲申聘使始末 1巻 1
99 外国地志類 朝鮮使来聘 1巻 1
100 外国地志類 交隣提醒 1巻 1
101 外国地志類 朝鮮筆記 1巻 1
102 外国地志類 日観要考 1巻 1
              資料 八王子千人同心史 通史編 八王子市教育委員会 平成4年3月発行

     
                         資料編 旧下川尻村文書「漆木手入の詫状」
 
 新田開発とウルシ・ハゼ
 相模野台地は高燥な台地のため、長い間人々が住みつくことができませんでした。そのため入会野として、村々が共有しながら管理を行ってきました。相模野の開発が始まったのは遅く江戸時代の後期からで、淵野辺新田や清兵衛新田等の開発があげられます。
 その淵野辺新田の開発は1817(文化14)年からで、最上徳内は幕府の役人として2度にわたり、開発予定地を見てまわりました。そしてウルシやハゼの植え付けを奨励させましたが、農民はそれよりも新田開発を強く望んでいました。
 旧下川尻村文書の中には「漆木手入の詫状」もあり、当時から広く作付けが行われていたと思われます。
 ローソクの原料となるウルシやハゼは、その実を蒸してから搾り出し作りだしますが詳細につきましては柳田國男著「火の昔」を参照して戴ければ幸いです。

      
    徳内がシーボルトと別れた小田原・三枚橋のたもと        平成元年頃撮影

    最上徳内年譜
年齢 和年号 西暦 事項
・・
1 宝暦5年 1755 羽州村山郡楯岡村に生まれる。父は百姓、間兵衛
2 宝暦6年 1756 1
3 宝暦7年 1757 1
4 宝暦8年 1758 1
5 宝暦9年 1759 1
6 宝暦10年 1760 1
7 宝暦11年 1761 1
8 宝暦12年 1762 1
9 宝暦13年 1763 1
10 明和1年 1764 1
11 明和2年 1765 1
12 明和3年 1766 1
13 明和4年 1767 1
14 明和5年 1768 1
15 明和6年 1769 谷地村津軽屋でタバコの行商。
16 明和7年 1770 廻船問屋島谷清吉の妹ふで生まれる。
17 明和8年 1771 1
18 安永1年 1772 1
19 安永2年 1773 1
20 安永3年 1774 島谷清四郎、永廻船問屋を仰せつけられる。
21 安永4年 1775 間宮林蔵生まれる。
22 安永5年 1776 1
23 安永6年 1777 林子平、「海国兵談」を起稿する。
24 安永7年 1778 ロシア人が根室のノッカマップに来て通商を求める(日露外交の発祥)。
25 安永8年 1779 松前藩、ロシアの通商要求を拒否。
26 安永9年 1780 父を失う。田沼意次老中となる。
27 天明1年 1781 志をたて江戸へ。4月、工藤平助「赤蝦夷風説考」下巻脱稿。○田沼意次用人土山宗次郎と平助が対談。
28 天明2年 1782 1
29 天明3年 1783 一女、ふみ生まれる。本多利明の音羽塾に入り、天文・航海・測量などを学ぶ。
30 天明4年 1784 徳内、師永井正峯と共に算額修行にでる。先ず愛宕神社に算額を奉納。品川に至りて正峯急病となり旅行中止。
31 天明5年 1785 2月、蝦夷地巡検一行、五普請役の一人青島俊蔵の従者となり、日本北方地探検に蝦夷出発(蝦夷地第1回)。8月、クナシリ島に渡航。9月、根室帰着。冬、松前。
32 天明6年 1786 1月、東蝦夷地巡検使先陣役として単身松前を出発。3月、クナシリ島上陸。4月、エトロフ島へ上陸。ウルップ島へ上陸。8月、エトロフ島に戻る。12月、江戸に帰還。
33 天明7年 1787 4月、江戸を出発、松前に渡る。(渡海第2回) 松前藩より入国を拒否され、逆航して南部領野辺地町百姓(船頭)新七を人主請人として滞在し、算術、読書の講業をする。
34 天明8年 1788 ふで(19才)と結婚。
35 寛政1年 1789 5月、クナシリ島、在住のアイヌ一揆勃発、和人71名が殺害。7月、野辺地にて江戸の青山俊蔵らと相会。7月15日、小人目付笠原五太夫に随行し松前に渡り案内する。(渡海第3回)。9月中旬、青山俊蔵、松前においてクナシリアイヌら40人を旅館に招待する。クナシリアイヌの一揆調停にアイヌ語の通訳。俊蔵と共に帰府。
36 寛政2年 1790 1月、青島俊蔵と連座入牢。5月、本多利明に仮預け保釈となる。利明宅にて「蝦夷草紙」三巻を草稿。8月、青島俊蔵は八丈島への遠島罪になったが獄死(40才)、松平定信に取上げられ普請役下役に抜擢される。12月、普請役に昇進。蝦夷地巡検のため江戸出発。
37 寛政3年 1791 1月、他の普請役とともに供4人を従え松前着(渡海第4回目)。4月3日、クナシリ。4月16日、エトロフ島。5月4日、同上島シャルシャム着。5月13日、ウルップ島南端着。6月3日、同島北端着。7月、厚岸に神明社を建て、天照皇太神を祀り、アイヌ人教化事業のひとつとす。9月、林子兵、「海国兵談」三冊刊行する。11月4日、松前に帰着。12月、江戸に帰府。
38 寛政4年 1792 閏2月10日、蝦夷地・カラフト見分を命じられる松前に(渡海5回目)。5月25日、クシュンナイ着、緯度北48度強を観測(幕吏見分の最北行)、10月初頃、松前帰着。10月1日、月番老中松平乗完にロシア使節ラックスマン入港を急報、ロシア船が松前に至まで越冬する。
39 寛政5年 1793 1月28日、帰府するや本所石原町川船改所出仕となる。出仕中、「関東十州」を視察し、大地図10枚の作製にかかる。6月30日露使帰国。7月23日、松平定信老中を辞す。
40 寛政6年 1794
41 寛政7年 1795 正月銘の「関東十州川船改所用地図」大版各州分図10枚を描き終わり上納する。ウルップ島にロシア人ケレトプセ以下大挙上陸(植民地隊)
42 寛政8年 1796 11月、多年の功労により、市ヶ谷甲良屋敷裏に78坪の宅地を賜る。○厚岸在松前家臣が、ロシア人から松前領主に到せる親書を勝手に返戻せるを、重大事として大いに慨歎す。
43 寛政9年 1797 御材木御用にて駿河焼津浜に出張滞在す。
44 寛政10年 1798 5月、蝦夷地巡察命令下り、遠州から1ヶ月遅れて江戸を出発。6月、松前着(渡海6回目)。7月、エトロフ島に「大日本恵登呂府、寛政十年七月、近藤重蔵徳内以下15人記入」して標木を建てる。(重蔵28歳)
45 寛政11年 1799 正月、東蝦夷地開発を命じられ、特に道路掛となる。4月松前着(渡海7回目。)5月、様似〜幌泉間、猿留山道などの山道開削工事、6月、道路工事視察の松平忠明と意見衝突し「取放し」。10月、江戸帰着。その後、松平忠明へ直々に「北地経営策」12冊と共に辞職願いを差出す。
46 寛政12年 1800 1月、材木御用掛を命じられ、遠州千頭山・戸中山など御手山に出張勤役す。6月帰府。7月、再び材木御用で日向椎葉山に出張。任務のかたわら「度量衝説統」を著す。日向で越年。
47 享和1年 1801 3月、帰府。
48 享和2年 1802 5月11日、函館に蝦夷奉行を開設。秋、命じられて八王子に出張、官材伐出御用を勤め長房村に住む。塩野鶏沢光迪と交わる。
49 享和3年 1803 7月、八王子御用を終え帰府。塩野光迪子、惜別に関孝和自筆の「大成算経」三巻を贈る。
50 文化1年 1804 3月、「度量衝説統」6巻3冊を発行。次いで「論語」の著作研究に取りかかる。○沿海検察を命じられ、東海道12州の沿海を巡回す。
51 文化2年 1805 幕府目付遠山金四郎景普に抜擢され、手付を任ぜられ、蝦夷地巡検随員となる。6年ぶりに野辺地島谷家一族に会う。遠山金四郎景普に先発して松前に渡る。(渡海第8回)○「孔子年表」編さんにも従事。松前にて越年。
52 文化3年 1806 8月、江戸に帰着。10月、普請役元締格となる。
53 文化4年 1807 3月、公用終わり、20余年振りに故郷へ。6月24日、松前着(渡海第9回)7月、斜里詰となり、津軽勤番兵100人監督となり、支配調役に任ぜられる。
54 文化5年 1808 2月14日、カラフト詰を命じられ斜里駐屯地より出向。4月5日、クシュンコタン着。同地に会津軍兵600名を迎え、会津兵監察となる。7月8日、会津兵帰還船に乗り宗谷着。○江刺詰となり越年。
55 文化6年 1809 8月、間宮林蔵、間宮海峡を発見する。
56 文化7年 1810 ○10月前後蝦夷地より帰府。
徳内、富士見宝蔵御番役・御簾中御広敷添番となる。
57 文化8年 1811 5月、露艦「ディアナ」号、クナシリ島に到る。
58 文化9年 1812 夏、八王子郷に出張を命じられ、官材監督に従事する。同時に勘定奉行に上書し、自費を以って製蝋・漆木栽培の許可も得る。武州・相州・甲州の三郡を見分し、帰府報告する。文政7年まで続く。
59 文化10年 1813 八王子における「天然訓」なる。4月、帰府。7月、「製蝋御用」の範囲拡大する。7月、再び八王子に出張、勤役する。10月、塩野知哲と交際し「天然訓」に序文を乞い入手。
閏11月、小倉村 御林炭焼材、最上徳内見分の上伐採申渡
60 文化11年 1814 6月、「耕外抄」成稿、遠州横須賀士員堀田多仲勝易の序文を得る。
61 文化12年 1815 1
62 文化13年 1816 8月、下川尻村、原宿内用水堀漆木手入詫状  建部領
9月、廻村命令にて江戸を出発。全関東および駿河まで製蝋業拡がり成功。
63 文化14年 1817 9月、漆・櫨木奨励のため淵野辺新田の開発予定地を見て回る
   最上徳内、石井嘉市の名で八王子→相原→田名→長後→深見→鶴間(御泊)→小山→橋本を巡回
  御証文(青山)下野守様御印

 人足弐人  馬壱疋   但シ人足弐人替ル
 右山籠壱挺、両掛ニ合羽籠、右は
蝋製御用ニ付、其節廻村被致候間、
 書面之通継立可申候、尤
(もっとも)出立并泊リ休之儀、
 追而其前日可申遺候
(おってその前日申し遺すべく候)  以上
         文化十四丑九月十九日  最上徳内家来
                          石井嘉市 
64 文政1年 1818 3月、再度、淵野辺、矢部、木曽、根岸等見分する。
6月、「関東蝋」製造の監督にて、八王子在住する。
65 文政2年 1819 1
66 文政3年 1820 2月、八王子の製蝋請負5人より御国益のため金500両借用したき陳情を受ける
67 文政4年 1821 「関東蝋」の発展に奔走、ハゼの実の集荷と製蝋販売との整備に努力。3月、恩師本多利明江戸にて病死す。(78才)
68 文政5年 1822 八王子製蝋引請人を名主栄次郎一手と定め、「関東蝋」商圏の総元締めに推薦する。
69 文政6年 1823 製蝋業を更に奨励す。製蝋出張所は上州岩永村・石原村・上原村・遠州下平川村・相州松田惣領村・柳川村・甲州府中一条など七箇所に増大する。7月、ドイツ人シーボルト、長崎蘭印商館に着任する。
70 文政7年 1824 製蝋監督を八王子代官に引き継いで帰府。12月14日、名を億内と改め家督を效之進に譲る。
71 文政8年 1825 平田篤胤との交際始まる。
72 文政9年 1826

 小田原・三枚橋の畔
3月10日、シーボルト(31才)訪問。シーボルト博士より「日本北方に関する稀なる薀蓄深き学者」と認識されまた尊敬される。徳内、黙認の約束で「日本北方地図」を貸し出す。3月15日、シーボルトと「蝦夷語辞典」編さんを始める。4月12日、シーボルト長崎帰任のため4月15日小田原・三枚橋まで同行見送る。
73 文政10年 1827 1
74 文政11年 1828 シーボルト事件
75 文政12年 1829 1
76 天保1年 1830 1
77 天保2年 1831 1
78 天保3年 1832 シーボルト著 Nippon第1分冊刊行
79 天保4年 1833 1
80 天保5年 1834 11月13日付、野辺地への書翰にて、徳内を磨雄と改名
81 天保6年 1835 1
82 天保7年 1836 9月5日、浅草猿寺地内で病没。
天保8年 1837
天保9年 1838 1
天保10年 1839 4月、斗機蔵、紀州候に「蔵書目録」を献上する。
天保11年 1840 1
天保12年 1841 9月、松本斗機蔵没(49才)
1842 1
1843 1
1844 1
1845 1
1846 1
1847 1
1848 1
1849 1
1850 1
嘉永4年 1851 シーボルト、「日本陸海地図帳」を出版。最上徳内・間宮林蔵のカラフト図を紹介する。
1852 1
1853 1

         参考資料
         最上徳内   島谷良吉著 吉川弘文館 昭和52年7月発行
         相模原市史  第2・5巻           昭和42年発行
         城山町史   第2巻     資料編 近世
         千島物語   山県泰三著  東陽書房  昭和56年9月発行
         火の音  柳田國男  監修 武者小路実篤 麻生磯次 三輪知雄 新学社文庫 発行 昭和43年5月
         すべては江戸時代に花咲いた 1996年2月 現代農業増刊 
         ー江戸文化を支えた燈火革命ー 小島慶三
         男の民俗学 ー漆掻き人伝ー遠藤ケイ 小学館 発行 昭和60年8月
         神奈川県史研究 昭和45年12月 神奈川県史編集委員会編
         −江戸幕府と津久井漆−  煎本増夫
         神奈川県古文書所在目録 第11集 神奈川県立文化資料館 発行 平成元年2月
         11.津久井町根小屋 筑井家所蔵 最上徳内・石井嘉市関連文書等

                 
相模野台地を横断した人
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