城山考古学探訪

                       
作成 2005・1・28
 さがみ縦貫道の建設工事はじまる。
 平成17年9月20日、さがみ縦貫道路城山区間の着工式が行われました。道路用地内には発見された日本一のウラジロガシや絶滅危惧種に指定されているヤマブキソウなどがあり様々な方策がとられています。本格的な工事に先立ち一部で発掘調査が始まりました。これから先、何が出てくるか分かりませんが、後世に汚点を残さないよう注視して行きたいと思います。

                        撮影2006・1・21
 
城山町中沢 さがみ縦貫道建設用地内で行われている発掘調査現場。 はじめ沢下遺跡

 多くの貴重な遺跡が消える当然保存されるべき遺跡が姿を消した例は他にもたくさんある。山梨県の釈迦堂遺跡では、1980年から翌年にかけて行われた中央道の建設にともなう発掘調査で、縄文時代中期の環状集落や全国でも例を見ない1100をこえる土偶が発見され、県民からも強い保存の声があがったが、結局、遺跡は中央道のサービスエリアとなって姿を消した。現在、釈迦堂サービスエリアのすぐ上に、勝沼町と一宮町が共同で設置した釈迦堂遺跡博物館が、この遺跡から出土した遺物を展示している。(中略)
 無力だった法改正1975年文化財保護法のかなり大幅な改正が行われた。(中略、中央道上にある)阿久遺跡は国史跡として指定され、中央道は土盛りをして通過することになった。道路が遺跡の真ん中を通ったのは残念であるが、遺跡の大部分は保存できたのである。
 (釈迦堂遺跡は)1981年に県民の大規模な保存運動が展開され・・縄文中期を中心とする大規模遺跡として全国的にも注目されながら保存はならず、高速道路のパーキングエリアとなってしまった。4万人をこす県民の署名は実を結ばなかったのである。
 困難を乗り越えて
このところ財政状況が厳しいとはいうものの、第2次世界大戦直後とは格段の経済力を持ったわが国なのだから、できるだけの手段をつくすことによって、いったん失われたら二度と取り戻しようのない遺跡を少しでも多く後世に遺したいものである。「昭和の後半と平成という時代に日本中のほとんどの遺跡が消失した」といつか歴史に書かれることのないように、遺跡保存を現代に生きるわれわれ一人ひとりに課せられた重い課題として受けとめる必要があるのではないか。
   椎名慎太郎著 「遺跡保存を考える」より 
 1994.1.20発行 岩波書店 

 
川尻中村遺跡から出土した「目隠し土偶」、新小倉橋建設に伴う発掘調査で発見されました。遺跡からは「土鈴」や「とっての付いた土器」など文化財的価値の高い遺物が多数出土しました。また集落(ムラ)の中央部に祭場が築かれ、それを取り囲むように住居が分布しています。。
 右に掲載した雑誌の表紙は明治32年、11月20日に発行された「東京人類学会雑誌」第15巻第164号で、川尻村の石器や土器の分布状況を青木純造によって始めて紹介されました。

                                     撮影 1996.8.27
 
 新小倉橋建設に伴う発掘調査の現場。右写真の地点から「目隠し土偶」が出土しました。

 谷が原浄水場入り口 
  
国指定史跡 川尻石器時代遺跡(通称川尻遺跡)は、縄文中期から後期にかけて発達した遺跡です。石組は縄文後期に発達した「配石墓」と呼ばれる墓跡で、石を棺状に縁どったり、石で蓋をしたり、立てたり様々な形をした遺構で見つかりました。

 
川尻八幡宮前 翁塚の蓋か、大きな石が横たわっています。広田小学校6年生が「縄文住居」を復元しました。復元に先立ち、子供たちと黒曜石をさがしに長野県の和田峠に出向いたり遺跡見学会なども行ないました。

                              撮影1991・2・17
 
東京造形大学建設に伴う発掘調査。シート内は発掘された窯跡群の一部で須恵器や屋根瓦等が焼かれました。城山町内には本郷などの地名もあり、国分寺建立時の瓦の集積場所ではないかと考えられています。

 
国指定 史跡 相模原市 田名向原遺跡(旧石器時代後期) 1997・6・22 遺跡見学会

 
今から1万8千年前の遺跡で、住居跡は直径が約10mあり、12本の柱穴の遺構が発見されました。大量の石片が出土したことから石器工場ではないかと推測され、現在のところわが国最古の住居跡いわれています。石器の原料となる黒曜石は長野県の和田峠、伊豆や箱根等から運ばれ当時の人々の交流の広さが伺われます。
         城山町内の遺跡名
地区名 通番 遺跡名 旧石器・縄文時代 弥生・古墳時代 奈良・平安時代 遺跡の特長など
川尻地区 1 滝尻南遺跡 1
2 風間遺跡 1
3 風間北遺跡 1
4 風間西遺跡 1
5 風間南遺跡 1
6 風間東遺跡 1
7 穴川遺跡 1
8 小松遺跡 1
9 小松北遺跡 1
10 松風遺跡 1
11 広田遺跡 1
12 苦久保遺跡 1
13 八幡神社遺跡 翁塚
14 春林横穴群 神奈川県下有数の横穴群(約100基)
15 本郷北遺跡 1
16 本郷南遺跡 1
17 町屋東遺跡 1
18 町屋西遺跡 1
19 甘草塚遺跡 1
20 甘草塚南遺跡 1
21 甘草塚西遺跡 1
22 浅久保遺跡 1
23 畑久保西遺跡 1
24 畑久保遺跡 1
25 尻無沢遺跡 1
26 水源遺跡 1
27 道下遺跡 1
28 谷が原遺跡 国指定史跡 川尻石器時代遺跡
29 中原西遺跡 1
30 中原東遺跡 1
31 向原北遺跡 1
32 川尻中村遺跡 目隠し土偶
33 中村遺跡 1
34 向原東遺跡
35 下村遺跡 近くに「ヤツボ」と呼ばれる湧水がある
36 砂遺跡 1
37 相原界遺跡 1
38 1
39 1
40 1
41 1
42 1
中沢地区 43 上平北遺跡 1
44 上平遺跡 1
45 普門寺西遺跡 1
46 はじめ沢上遺跡 1
47 はじめ沢下遺跡 大規模な敷石住居と南側に沿った墓
48 普門寺下遺跡 1
49 堂の前遺跡 1
50 下平遺跡 1
51 東村遺跡 1
52 1
53 1
54 1
55 1
56 1
57 1
小倉地区 58 宮原遺跡 1
59 原東遺跡 1
60 原西遺跡 1
61 下平西遺跡 1
62 下平東遺跡 1
63 小保戸遺跡 1
64 大保戸遺跡 1
65 中沢原北遺跡 1
66 1
67 1
68 1
69 1
葉山島地区 70 下倉遺跡 1
71 下倉北遺跡 1
72 藤木東遺跡 1
73 藤木南遺跡 1
74 藤木北遺跡 1
75 中平遺跡 1
76 中平東遺跡 1
77 中平南遺跡 1
78 相生遺跡 1
79 相生の塚 「イサキ」と呼ばれる台地の先に塚
80 1
81 1
82 1
83 1

参考資料 城山町史 1 資料編 考古・古代・中世
椎名慎太郎著 「遺跡保存を考える」 1994発行 岩波書店
武相叢書 考古 第4編 (考古集録 第4) 石野瑛 著 武相考古会 1941・11・11  pid/2865980
 閲覧可能
 武相研究に就いて 武相考古會の目標と其の事業
 〔バク〕古地形想定圖(神奈川縣)
 一 濱市三ツ澤臺及び澤渡遺蹟調査報告
 二 相模國中郡金目村五領ケ臺貝塚調査記
 相模中部考古資料目録(森照吉氏蒐集)
 三 相模國足柄上郡山田村住居阯と金子臺遺蹟
 四 相模國愛甲郡半原臼ケ谷及び原臼住居阯調査記
 五 相模國津久井郡川尻村谷ケ原住居阯群調査報告

復元された石斧  2006.2・11  中沢・上平地区より出土

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