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城山町中沢 さがみ縦貫道建設用地内で行われている発掘調査現場。 はじめ沢下遺跡
多くの貴重な遺跡が消える当然保存されるべき遺跡が姿を消した例は他にもたくさんある。山梨県の釈迦堂遺跡では、1980年から翌年にかけて行われた中央道の建設にともなう発掘調査で、縄文時代中期の環状集落や全国でも例を見ない1100をこえる土偶が発見され、県民からも強い保存の声があがったが、結局、遺跡は中央道のサービスエリアとなって姿を消した。現在、釈迦堂サービスエリアのすぐ上に、勝沼町と一宮町が共同で設置した釈迦堂遺跡博物館が、この遺跡から出土した遺物を展示している。(中略)
無力だった法改正1975年文化財保護法のかなり大幅な改正が行われた。(中略、中央道上にある)阿久遺跡は国史跡として指定され、中央道は土盛りをして通過することになった。道路が遺跡の真ん中を通ったのは残念であるが、遺跡の大部分は保存できたのである。
(釈迦堂遺跡は)1981年に県民の大規模な保存運動が展開され・・縄文中期を中心とする大規模遺跡として全国的にも注目されながら保存はならず、高速道路のパーキングエリアとなってしまった。4万人をこす県民の署名は実を結ばなかったのである。
困難を乗り越えてこのところ財政状況が厳しいとはいうものの、第2次世界大戦直後とは格段の経済力を持ったわが国なのだから、できるだけの手段をつくすことによって、いったん失われたら二度と取り戻しようのない遺跡を少しでも多く後世に遺したいものである。「昭和の後半と平成という時代に日本中のほとんどの遺跡が消失した」といつか歴史に書かれることのないように、遺跡保存を現代に生きるわれわれ一人ひとりに課せられた重い課題として受けとめる必要があるのではないか。
椎名慎太郎著 「遺跡保存を考える」より 1994.1.20発行 岩波書店
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