山梨日日新聞 昭和9年11月22日付
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あくる日も小春らしいいい日和で、私は、I君やF君と、武田神社へ参詣したり、甲府の銀座といった通りを散歩したり、甲府にもなかなかいい娘がゐるといふ喫茶店に寄ったりして、午後の汽車で、帰途に就いた。私は汽車の中で木食上人をとり出した。そして、恐らく、菲薄な天分をしか有たなかった近藤君の、精一はいの作品であるそれを眺めて見たり、撫でて見たりして、
「兎に角、これは芸術だ!」と思った。
「いや案外、これですばらしいものなのかも知れない。後世になったら、掘出しものとして珍重されるやうな、そんな代物(しろもの)であるかも知れないー。」
と、さうも思った。すると、あの近藤君の薄あばたのある、疎らな無精髯を生やした顔が、伝統
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