小説家加藤武雄の年譜


 若き日の加藤武雄
2014・8・22 研究ノートー@ 「汽車の中で」の全文を追加する。
2017・10・24 メリーランド大学ブランゲ文庫所蔵本を追加する









西暦 年号 年齢     主 な 事 項
1888 明治21 5月3日 神奈川県津久井郡川尻村394番地 加藤泰次郎・ヌイの長男として誕生。
1889 22
1890 23
1891 24
1892 25
1893 26 このころ、祖父忠太郎から「古文真宝」や「唐詩選」などの漢詩文の素読を受ける。元旦試筆に呉融の「画山水歌」を書く。
1894 27 4月 川尻村立尋常高等小学校(尋常科四年、高等科四年)に入学。
1895 28
1896 29
1897 30 10
1898 31 11
1899 32 12 このころ「少国民」に初めて投書。つづいて「少年議会」などにも投書を行う。
1900 33 13
1901 34 14 12月末 失火で加藤家焼亡。
1902 35 15 3月 川尻小学校高等科卒業、久保沢郵便局見習い事務員となる。
6月 恩師千代延咸三郎(ちよのぶ かんざぶろう)に勧められ、検定で尋常科准教員免許状を受ける。
7月 准教員免許状を取得する。
8月 横浜市戸部尋常小学校准教員を命ぜられる。(月俸七円)
9月 横浜市戸部尋常小学校の補助教員として初めて児童の前に出る。あだ名「小僧先生」
  
   参考 エコキャップ活動で戸部小の子供たちが特別功労賞を受賞する 神奈川新聞 2013・6・12付より
1903 36 16

1904




1905

37




38

17




18
2月 日露戦争始まる。
3月 戸部小学校退職し帰郷する。
10月 小学校本科准教員免許状を受ける。
11月 神奈川県高座郡(現相模原市中央区)田名小学校准訓導となる。(月俸十円)
     当時の田名小学校は職員12名、11学級460名の児童であった。高等科准教員の加藤だが尋常3年生を担任した

10月、「新國民 2(1)」に田山花袋が「私の日光山」を寄稿する。Pid/1566459
11月、「新國民 2(2)」に喜田貞吉が「伊勢参宮」、田山花袋が「人類の始原」、平福百穂が「東郷大将と尾崎市長」を寄稿する。Pid/1566460
1906 39 19 ○この頃より、畑久保の観音堂に集い「二月会」の活動をはじめる。
2月、佐藤禮助が、「新國民2(3/4)」に「龍の話」を寄稿する。Pid/1566461
3月 「文章世界」が創刊されると、しきりにこれに投書をはじめ、中村泣花(武羅夫)らと盛んに文通を行う。
また、「中学世界」、「秀才文壇」、「万朝報」などにも、しきりに投書、罵禅、紅袖、紫袖、冬海、東階などと号し、中でも本名と冬海を最も多く用いる。
  
   明治41年2月増刊号 入選作「夕雲」を加藤冬海のペンネームで発表。
3月  藤村、「破戒」を緑陰叢書第一篇として自費出版
4月、「新國民3(1)」に「甲州の猿橋(挿画)」が掲載される。 Pid/1566464
5月、「新國民3(2)」に「中学講義録の内容/萬朝報」が掲載される。
                               内容未確認のため調査要 2017・11・15 保坂) Pid/1566465
9月、「新國民3(6)」に「猶太の論語」が掲載される。
                   (作者不明 内容未確認のため調査要 2017・11・15 保坂) Pid/1566468
10月、「新國民4(1)」に徳田秋声が「青年観」、小島烏水が「木曾路の話」を寄稿する。
  また、同号に「智慧と善悪 『猶太の論語』」が掲載される。
                   (作者不明 内容未確認のため調査要 2017・11・15 保坂) Pid/1566469
11月、小川愛川が「新國民4(2)」に「琵琶政策」を寄稿する。
                   内容未確認のため調査要 2017・11・15 保坂 Pid/1566470
1907 40 20 1月、小川愛川が「新國民 4(3/4)」に「動物の智情」を寄稿する。
                   内容未確認のため調査要 2017・11・15 保坂
   また、同号に「本會に對する中傷記事」・トルストイの「露西亜の喧嘩」が掲載される。
2月、小川愛川が「新國民 4(5)」に「動物の智情」を寄稿する。
                   内容未確認のため調査要 2017・11・15 保坂 Pid/1566472
4月、「新國民 5(1)」の口絵に「尾崎會長肖像」が掲載される。 Pid/1566469
5月、小川愛川が「新國民 5(2)」に「一意恵心」を寄稿する。 
                               内容未確認のため調査要 2017・11・15 保坂 Pid/1566475
6月、小林愛川のペンネームで「新國民5巻3号 大日本中学會」に「學問と注意力」を寄稿する。
  また、同号に、佐藤紅緑が「新派俳句」、烏水が「大磯」を掲載する。 1566474
7月、愛川生が「新國民 5(4)」に「戦争雑話」が掲載される。
                             
 内容未確認のため調査要 2017・11・15 保坂 Pid/1566477
  
注、1906年〜1907年にかけて、小川愛川、小林愛川。愛川生と類似名が多く見られたため、参考ととして記述した。 2017・11・15 保坂
10月 津久井郡串川村根小屋小学校准訓導に転じる。(月俸十三円)
  
   旧根小屋小学校(当時は3階建だった)
12月 祖父忠太郎が68歳で没す。
1908
1909
41
42
21
22


6月 川尻村川尻小学校准訓導に転じる。(月俸十四円)生徒の中に八木重吉がいた。
1910 43 23 4月 前田夕暮にすすめられ「秀才文壇」に「高原の冬」を発表、初めて原稿料を受ける。
                   注 明治42年説もあり、検討様子 「大衆文学大系17 S47年 年譜」より
8月  藤村、四女柳子出生、妻フユは産後の出血のため死亡。次兄広助の長女ひさ、次いで次女こま子が家事手伝いのため来訪する。
○この夏、上京を決意。その準備のために上京、中村武羅夫を訪う。
9月 川尻小学校を退職、10月中村武羅夫(24歳)を頼って上京、牛込喜久井町の真山青果留守宅に入る。次いでマッチ箱のような家、弁天(天神か?再調査要)町、そして榎町、中村・水守亀之助・石井漠(忠純)らと共同生活、新潮社の訪問記者となる。近くの早稲田南町には夏目漱石や小川未明が住んでいた。
    ー加藤武雄、この頃から中村武羅夫の薦めにより訪問原稿の執筆を始めるー
1911





1912




44





大正元年





24





25




5月 新潮社に正式入社、牛込白銀町の勝海館三階に下宿する。
資料 ○この頃、佐藤も中村も加藤が訪問記者には不向きであるとさとって、なるべく社内ででできる仕事を配慮し、また「文章講義録」の執筆や大日本中学会(会主河野正義、佐藤はその顧問)の仕事も回してくれた。その時点で何時しか加藤は新潮社に組み込まれたわけで、正規の入社などという改まったものでもなく、したがって明確な時目は決めようがない、というのが真相だろう。  安西愈著 「郷愁の人 評伝加藤武雄」 P105〜P106より


7月、浩堂生が「最後の一節」を「新潮社」から刊行する。  注 改訂本か 検討要 2017・11・12 保坂
 『新国民』連載の歴史小品は、一本にまとめて『最後の一節』と題され、四十五年七月新潮社から刊行された。縦十五センチ、横十一センチの袖珍判二百八十五ページ、定価三十六銭。著者名は表紙にも扉にもなく、奥付に「著作兼発行者佐藤義亮とある。わずかに中扉に「浩堂生稿」と見えるが、浩堂とは佐藤の別号であった。しかしこれが加藤武雄の筆先に成ったことは確実で、自分でも「僕が書いた最初の単行本だ」と後に明言している。それなのに自分の名を出さなかったのは、創作でないのを恥じたからか、それとも社長佐藤の抑止であったのか 安西愈著 「郷愁の人 評伝加藤武雄」 P112〜P113より
1913 2 26 3月 藤村、こま子との背徳の恋(新生事件)のため、留守宅を芝二本榎西町に移し、4月13日フランス旅行に出発。5月パリに入る。
4月、島崎藤村著作集「緑蔭叢書」の改刷刊行、4編の著作権を藤村の要求額2千円で購入、好調な売り上げをする。
    
 (春陽堂、佐久良書房が辞退したほどの常識外れの代価であった。 新潮社九十年図書総目録より引用)
4月17日 新潮社、島崎藤村の第一編 「破戒」改版
                第二編 「春」 改版
                第三編 「家」上「家」下改版
                第四編 「微風」を緑陰叢書第四篇として刊行する。
  資料@:「新潮社四十年」より「出版のおもひ出話」、「牛込矢来に移る」 98Pより 佐藤義亮
   (上略)当時、(中村武羅夫)氏は主として『新潮』の訪問をやり、私はそれを編集するのだったが、ある時、その訪問
   原稿の中に見慣れない文字がある。読むとその文章に新味があって、しかもよく整うている。これは誰が書いたのか
   と聞くと、今度相模から来た加藤という青年で、私のところにころがっている、という。その人に是非会いたいと言って
   来てもらったのは、加藤武雄氏だった。氏は間もなく入社したが、第一番に書いた藤村氏の『緑蔭叢書』の広告文は
   実に上出来で、私はひどく感心させられたことを、今もはっきり憶えている。
   それから文章の方面は、無条件で信頼して来たが、文芸出版について、加藤氏が陰から尽された功労は実に大き
   い。中村氏が雑誌に終始一貫して、三十年の努力を捧げられたことは、日本の雑誌界でただ一人であろうと思う。(下略)
 
                         昭和11年11月発行 新潮社
  資料A:島崎藤村著作集「緑蔭叢書」の中の「破戒」宣伝文
   浅間大麓の灰砂の谷に、若き日の熱と夢を葬りて、詩より物語に転ぜる著者が長篇の第一作たる比一偏は、時代の
   文芸未だ混沌として新しき気運の仄かに揺動せんとする間に向かって投ぜられ、わが新文芸の先駆として夙に世を
   騒がしたるもの也。丑松の閃え、お志保の嘆き、ある特殊の階級を描いて社会問題に触れ、信濃の地方色を鮮やか
   に写して郷土芸術の匂ひ豊か也。比一篇の為めに著者はいかに大いなる犠牲を払ひしぞ。三年間の労苦と困厄は、
   すべて比一篇の代償たりし事実に見ても、その尋常一様の作品にあらざるを知るべきなり。

4月、浩堂生が「六大新報 (498)」に「卒業生の前途」を寄稿する。 Pid/7941429
5月 田山花袋、「新潮」に「波の上」を発表。
5月、浩堂生が「六大新報 (500)」に「聯台議員顔ぶれ」を寄稿する。 Pid/7941431
5月、浩堂生が「六大新報 (501)」に「本所員の顔ぶれ」を寄稿する。 
Pid/7941432
5月、浩堂生が「六大新報 (502)」に「議員月旦」を寄稿する。 
Pid/7941433
5月、浩堂生が「六大新報 (503)」に「議員月旦」を寄稿する。 
Pid/794143
5月、浩堂生が「六大新報 (504)」に「運動員へ」を寄稿する。 
Pid/7941435
7月 新潮社、牛込区矢来町中ノ丸五十八号に家屋を購入、佐藤義亮上京19年目で初めて自家を持つ。
11月27日、佐藤義亮の媒酌で五十嵐花子(23歳)と結婚、牛込区矢来町に住む。
1914 3 27 3月、脚本「復活」を刊行。初日を控えて金策に奔走している芸術座の下村砲月に佐藤義亮が1千円を
  用立て、一世を風靡した「復活」が上演される。
3月、浩堂生の名で、「歴史小品 血煙」を「新潮社」から刊行する。(注 奥付 著作兼発行者 佐藤義亮 Pid 914648
義貞北國落 姉川の血渚
堀河夜討 鷹巣の義兵
山崎合戦 賤ケ岳の決戦
應仁の暗雲 七騎落
白河殿の炎 関ケ原決戦
川中島の兩雄 五月雨の長篠
鵯越(ひよどりごえ)の逆落し 碧蹄館(へきていかん)の大捷(たいしょう)
桶狭間の血雨 鳥羽伏見
利伽羅倶谷

参考 同本に記されていた「最後の一節」の宣伝文、(全文)
  『血煙』の姉妹篇を看よ!
歴史小説 最後の一節
浩堂生著     ▲定価 参拾五銭
第三版        ▲郵送料金四銭
 『血煙』を讀める人は當然の順序として『最後の一節』を誦せざる可からず。一巻約四十篇。英雄志士の悲壮沈痛なる最後を叙せるものにして、描くことに浩堂氏一流の美文学を以てし、字々精金路々美玉、詩味豊かにして色彩に富み朗々高誦するに足る。青年諸氏が近来希有の快著なりとして激稱するもの偶然に非ざる也。
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 最
 後
 の
 一
 節
 目
 次
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海底の都 (平家の人々) 天王寺の妖霊星 (北條の最後)
火輪の行方 (平 清盛) 土窟の闇 (護良親王)
燈籠大臣 (平 重盛) 聖蹟湊川 (楠 正成)
衣のたて (安部貞任) 天守閣の火 (大阪落城)
蕾四つ (為義の息) 世田谷の松籟 (吉田松陰)
高館の煙 (源 義経) 清水谷の難 (大久保利光)
鶴岡八幡宮 (源 実朝) 哈爾濱の鮮血 (伊藤博文)
  ※研究課題  加藤武雄と浩堂生との関連について、こうした著作は戦後の歴史小説「叛逆」への母体となるか  大正6年 発行の記録もあり
           また、『新国民』(国民中学会)との関連もあり内容を含め再調査が必要 17・11・12 保坂
11月 田山花袋、「新潮社 代表的名作選集 第三編」に「蒲団」を刊行、社員として田山家を初めて訪ねる。
7月 長男 恒雄誕生。
1915 4 28 1月  藤村、佐久良書房から「平和の巴里」を刊行。12月、新潮社から「戦争の巴里」を刊行。
11月、芥川龍之介、「帝国文学」に「羅生門」を発表。
○この年、小林愛川が「新国民 21(2)」に「如何にして叙景文に熟達すべき乎」を寄稿する。
1916 5 29 1月9日、新潮社から加藤武雄が久米正雄に手紙を送る。
謹啓 また御願いがあって比の手紙を書きます。ロマン・ロオランのトルストイ論の中の、最も面白いところを二十枚乃至二十五枚位まづ頂戴して、それを来月の新潮の巻頭にのせる事にさせて頂き度いと思います。それと成瀬氏に送って来た最初の手紙、写真なども拝借して同時にのせたいと思います。そうすれば翻訳の先取権もあきらかになり、広告にもなり、該翻訳の権威を知らしむるよすがともなろうかと存じます。右、至急に間に合わせて頂くように御願い出来ますまいか。・・・・いつも、あなたを煩わす事多く、申しわけ御座いません。
 資料 河盛好蔵は自著「作家と友情 昭和59年6月 新潮社」の中でこんな風に書いています。「(上略)いずれにしても加藤が「該翻訳の権威を知らしむる」云々と書いているのは、当時同じ本を詩人の福士幸次郎が既に訳していたからであると久米は書いている。ともかく「トルストイ論」は大部分を成瀬がやり、芥川が「アンナ。カレニナ」と「晩年」かの章を手伝い、久米が「戦争と平和」か何かの章を下訳して、成瀬の名で大正5年2月に出版された。<翻訳料は幾らだったか正確には覚えていない。何でも、25銭か30銭だったと思う>と再び久米は書いている。そして、このときの翻訳料を基金として第四次「新思潮」が創刊されたのであった。思えば、芥川、久米、菊池らを文壇にだすためにロマン・ロランが手を貸したわけで、これはわが国のロラン研究家の記憶しておいてよいことであろう。(下略)」
2月、第4次「新思潮」創刊。
  同人は、久米・菊池・松岡・成瀬・芥川の5名で、創刊号に発表した龍之介の「鼻」が漱石より激賞される。

第4次「新思潮」(大正5年2月15日発行)
  骨晒し(小説)……………………成瀬正一
  鼻(小説)…………………………芥川龍之介
  暴徒の子(戯曲)…………………草田杜太郎 (菊池寛のペンネーム)
  父の死(小説)……………………久米正雄
  罪の彼方へ(戯曲)………………松岡譲
3月27日 「新潮社」、島崎藤村「破戒」縮刷版を刊行。昭和4年までに増刷五十版を重ねる。
4月  藤村パリをたち、ロンドンを経て7月帰国する。
    
5月、新潮社が「文章倶楽部」を創刊。
    小林愛川の名で「文章倶楽部 創刊号」に「文壇立志篇1 田山花袋氏」を発表。
6月、小林愛川の名で「文章倶楽部 第2号」に「文壇立志篇2 徳田秋声氏」を発表。
7月、小林愛川の名で「文章倶楽部 第3号」に「文壇立志篇3 小川未明氏」を発表。
8月、小林愛川の名で「文章倶楽部 第4号」に「文壇立志篇4 島崎藤村氏」を発表。
    同号に「一記者」が、「藤村氏と敏氏 −文壇時事−」も発表する。 
             「一記者」とは、小林愛川のことかは、再確認要 2017・10・29 保坂
    参考 同号の表紙に、「逝ける上田敏氏と帰朝せる島崎藤村氏」の写真と原稿か掲載される。
                              資料島崎藤村の年譜

          
       文章倶楽部 第4号と加藤武雄が書いたと思われるコマーシャル文。

9月、小林愛川の名で「文章倶楽部 第5号」、旧文壇立志篇欄に「N先生のビジョン」を発表する。
9月、「トルストイ研究」両誌の編集主幹となる。同月、処女作「土を離れて」を「新潮」に発表する。
      資料 「新潮 10月号」
新しき家
羽織
Yの幻影
無能力者
武者小路実篤
相馬泰三
長与善郎
豊島与志雄
脱却 
土を離れて

菊按摩
江島修
加藤武雄
谷崎精二
里見 ク
9月、小林愛川の名で「トルストイ雑話」を「トルストイ研究 創刊号」に発表する。
10月、小林愛川の名で「文章倶楽部 第6号」に「盲文豪」を発表する。
12月9日、夏目漱石死去。
1917 6 30    
           「新潮二十六巻第一号」 目次 
1月、加藤武雄「新潮」1月号に「芥川龍之介を論ず」と題し、「ひょっとこ」、「鼻」、「羅生門」等を論評する。
    同号に「鎮守祭」を発表。
2月、トルストイの三男、レオ・レオキッチ・トルストイが来日、帝国ホテル三階で加藤武雄が面会する。
2月、小林愛川の名で「文章倶楽部二月号」に「文章講壇漱石の文章」を発表。
3月、金子薫園が「文章入門叢書 第1編 誰でもわかる文章の作り方」を「新潮社」から刊行する。
   資料 同号に記された宣伝文 2題(全文)
 
「文章入門叢書1」に記された
明治大正文学早わかり」の宣伝文
@『文章入門叢書』の第二編には斯ういふ有益なものが出る 明治大正文學早わかり(近刊)
     
 ―著者は、『文章倶楽部』記者小林愛川氏―
文章を學ぶ人は、一般に文學といふものに對しても、一通りの知識を持ってゐなければならぬ。日本の現代の文學については是非一通り心得て置かなければならない。目下の文壇にはどんな作家がゐるか、それ等の作家にはどんな作品があり、又、どんな作風を有ってゐるか。而して又、現下の文學はどんな径路をとって發達して来たのか。文壇の現状と、その歴史とを十分に知ってゐなければいけない。勿論、文藝雑誌などを讀んでゐる中に、それ等の事は自然のみこめては來るだらうが、自然にのみこめるのを待つよりも、進んで系統的に書かれたものについて學ぶ方が手ツ取り早い。ところで、明治大正の文壇の歴史、又、現下文壇の大勢といふ様なものを、簡単でわかり易く、又十分に漏れなく書いた書は今迄に一冊も出て居なかった。そこで、今度此書を編んで 諸君に提供する事となったのである。此の一冊を忠實に讀みさへすれば、日本の文壇の過去現在は、掌を指すが如く明瞭にわかる。

A浩堂散人著「最後の一節」ー(第六版) 定價三十八銭、送料六銭ー
本篇は近来希有の好文字也。字々精金、語々美玉、色彩に富み詩味豊かなる筆を以て、英雄偉人の最後を叙す。悲壮沈痛の光景紙表に躍如として、読み来れば血涙の滂沱たるを禁ず能はざらしむ。亡びゆく人の悲しき運命に泣かんとする多感の士は、乞ふ来りて見よ。美くしき文章の範を得んとする人は亦速に看よ。
3月 小林愛川の名で「文章入門叢書 第2編 明治大正文学早わかり」を「新潮社」から刊行する。
      注意 表題が奥付では「文学早わかり」、表紙では「明治大正の文学早わかり」となっているので注意が必要。 
5月、45冊中の「新進作家叢書 感謝」を「新潮社」から刊行する。(T13・6・20)
6月、芥川龍之介が「羅生門」を「阿蘭陀書房」から刊行する。
資料 後書「羅生門の後に」の中で「(上略)どうにか日の目を見るような運びになった。その三度目が、この中に入れた「羅生門」である。その発表後間もなく、自分は人伝に加藤武雄君が自分の小説を読んだと云う事を聞いたので、褒めたと云う事を聞いたのではない、けれども自分はそれだけで満足であった。これは自分の小説も友人以外に読者がある、そうして又同時にあり得ると云う事を知った始めである。(下略)」と記述する。
6月 「幸福な父親」を「新潮」に発表する。
8月 「彼等は笑う」を「新潮」に発表する。
7月 長女葉子生まれる。
11月 「闇入道」を「早稲田文学」に発表。 
12月 「高原の春」を「新公論」に発表。
12月 「叛逆者」を「新潮」に発表する。
○この年、「歴史小品 血煙」を「新潮社」から刊行する。  注:大正3年「浩堂生」ノペンネームで新潮社から刊行しています。 検討要 2017・10・29 保坂
○この年、小林愛川が「新国民 24(4)」に「勤勉と知識とは 遂に世界を征服す」を寄稿する。
1918 7 31 2月 「遺留品」を「科学と文芸」に発表。
3月 「村の理髪屋」を「読売新聞」に発表する。
5月 「田舎教師」を「新公論」に発表。
7月 鈴木三重吉が「赤い鳥」を創刊する。
8月 柳田国男ら郷土会一行が津久井郡内郷村を踏査。

9月 「出発」を「文章世界」に発表する。
10月 「新潮」に「歴史小説に就いて」と「母となる日」を発表。
12月 「郷愁」を「文章世界」に発表する。
○この年、金子薫園が、「文章入門叢書 第3編 練習の実際よい文悪い文」を「新潮社」から刊行する。
1919 8 32 1月 「トルストイ研究」が通巻29冊で終刊となる。
1月 「野を吹く風」を「新公論」に発表。
2月 「郷愁」を「文章倶楽部」に発表。
3月 次女節子生まれる。
4月 「小さき謀反人」を「新潮」に発表する。    
6月 「鳴咽」を「文章世界」に発表する。
6月 「みじめな恋の話」を「雄弁」に発表する。
7月 「寂しき道」を「新公論」に発表。
9月 「手」を「大観」に発表。
9月 「土の匂ひ」を「新潮」に発表する。
10月 「愛犬物語」を「早稲田文学」に発表。
    
10月、第1創作集「郷愁」(十二編収録)を「新潮社」から刊行。
11月 加能作次郎が「新潮」11月号に「郷愁」を「救いを求むる心」と題して論評。
11月 「父の上京」を「雄弁」に発表。
12月 「口笛」を「文章倶楽部」に発表。
1920 9 33 3月 「生別死別」を「太陽」に発表。
4月 「平凡非凡」を「新時代」に発表。
5月 「上総つ娘」を「早稲田文学」に発表。
6月 「不幸な娘の話」を「文章世界」に発表。
7月 第二作品集「夢みる日」(十五編を収録)を「新潮社」から刊行する。
    所収の「合掌」は、「文章世界」菖蒲号(明治43年5月)に応募したした小品第二席入選「下田の地蔵」が原型。 
9月 最初の長篇「悩ましき春」を前田晃先生の口入で「福岡日々新聞」に連載する。
10月 「兄弟」を「新潮」に発表。
11月 田山花袋、徳田秋声の生誕五十年を祝い、大正文壇の中心的作家三十三名の短篇を収めた
    「現代小説選集」を刊行。初版一万部の印税の中から三千円を両氏に贈る。
    資料 「現代小説選集」の作品と三十三名の顔ぶれ
理学士
狂へる妹
厄年
自信
ある敵打の話
姉への手紙 
思はぬ変事
身の上話
夏籠
初しぐれ
死人のかをり
島崎藤村
中村星湖
正宗白鳥
相馬泰三
菊池寛 
吉田絃次郎
小川未明
久米正雄
室生犀星
 近松秋江
白石実三
  途上
  南京の基督
  常子の手紙 
  祭の日
  祖 母
  労働者の子
  遼河の夜  
  良太郎の移転
  馬 
  初年兵谷川 
  盗まれた白鳥の話
谷崎潤一郎
芥川龍之介
有島生馬
水上滝太郎
加能作次郎
豊島与志雄
江口渙
水守亀之助
 中戸川吉二
細田民樹
 
佐藤春夫
   雪の夜話
   山
  紫の皿
  白仁氏の一日
  彼の情熱 
  九月□ 
  浮世の法学士
  遁走
  出発
  山上
  卑怯者  
里見ク
藤森成吉
上司小剣
谷崎精二
広津和郎
久保田万太郎
宇野浩二
葛西善蔵
加藤武雄
田中純
 有島武郎 
12月 「新潮」に「「チリコフ選集」を読む」を発表。
12月、「少年倶楽部 7巻16号」に「少年小説 大工大來」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758631   
1921 10 34 1月 「終列車」を「新文学」に発表。「仙太の恋」を「国粋」に発表。
2月 「拳」を「小説倶楽部」に発表。
3月 「澄江の面影」を「太陽」に発表。
3月 第三短編集「処女の死」(十一編を収録)を「新潮社」から刊行する。
5月 「奇禍」を「新潮」に発表。
     
(注 禍は示ヘンが正解で漢字変換ができませんでした。 きか:思いがけない災難。奇福は反対語)
5月 「隣の話」を「純情」に発表。
6月 「悩ましき春」を「新潮社」から刊行する。
    その作風により「郷土芸術家」と呼ばれる。
   同年、「薬草の花」を「国粋」に発表。「犠牲」を「小説倶楽部」に発表。
7月 「母と娘」を「早稲田文学」に発表。
7月、相田隆太郎、「文章倶楽部 第6巻第7号 7月1日発行」に「悩ましき春」を読んで」を発表。
     (省略)この作は自然主義勃興時代の記念としても又人間の動乱多き青春の記録としても、何れの価値をももって
     ゐる長篇である。夢想憧憬愛愁等、青年時代の感情は凝ってこの一巻にある。まことに「悩ましき春」一巻は、青春
     の幾多の感情を渾融した大いなる詩である。多感で、内気で、しかも覇気に富む多くの文学青年は、この書に依っ
     て好箇の代弁者を得たといふも敢て過言ではあるまい「かなしみも、夢はたのしく、よろこびも、うつつは苦し」と身に
     沁みて感じた山岡は、この青春の幻滅と哀歓の彼方に、更に如何なる「夢」を見出すであろうか。

月、「少年倶楽部 8巻8号」に「地獄城の快挙(痛快小説)」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/175852
8月 三女敏子生まれる。
9月 「蘇生の日」を「小説倶楽部」に発表。「鳥の歌」を「野依雑誌」に発表。「澄子とその夫」を「婦人之友」に発表。
10月 「幸福の国へ」を「太陽」に発表。
11月 「花嫁」を「国本」に発表。
12月 「河内屋与兵衛」を「大観」に発表。
1922 11 35 1月〜12年6月迄、河井酔茗のすすめにより「久遠の像」を「主婦之友」に連載する。
5月 第四短編集、「幸福の国へ」(十二編を収録)を「新潮社」から刊行する。
5月28日 「中編小説叢書16 「都会へ」」を「新潮社」から刊行する。
7月7日付、「報知新聞」に芥川龍之介著、「庭」についての文芸評論を行う。
七月文壇の一警(一)
『庭』(中央公論)は、芥川龍之介氏の作としては、とり立てていうほどのものではない。一つの庭を中心として、信州辺の一豪家の没落の歴史を、かなり広い視野にとりいれつつ描いている。小幅の裏によく千山万水を描き尽したのは、さつがに芥川君の才筆とうなずかれるが、僕にいわせると、やはり、あの次男が庭いじりをやめるところだけを細写した方がいいと思う。あの悪疾に蝕(むしば)まれた身体を、長い間の流浪の旅から故郷に齎(もたら)した男が、ふと、思い立って廃園の手入れをまじめるーーそして、そこに失われたる夢を築こうとする、これだけ書けばいいと思う。(略)次男が、母の謡を聞きながら、ふと、庭つくりを思い立つあの重要な契点が、『次男は無精髭の伸びた顔に、いつか妙な眼を輝かせていた』と一語で道破されているのも、少し物足りない。こういうリアリスチックな作風であるだけに、実感の不充足が眼立つのである。
                    芥川竜之介全集6巻 1968 角川書店 「同時代の批評」より
7月 、「彼女の恋人」(短編四編を収録)を「金星堂」から刊行する。
8月5日付、「報知新聞」に芥川龍之介著、「六の宮の姫君」についての文芸評論を行う。
八月文壇漫評(三)
 芥川龍之介氏の『六の宮の姫君』(表現)。里見氏の『截紙刀』が、近くで見る活動写真ならば、これは、新しく書かれた土佐絵というところ。御両人ともに、すぐれたる絵画的描写家であるが、彼は動を写して巧みに、これは静を描いて妙であるとでも申すべきかのもう一つの対句で申そうならば、彼は世話に砕けた人情話になり過ぎ、これは、概念が勝っていささか寓話めく。実際、この作には、すこしく、哲学が浮き過ぎた憾
(うら)みがあるように思う。『あれは地獄も極楽も知らぬ、腑甲斐(ふがい)ない女の魂でござる』という落ちが、理屈に落ちている憾みがあるように思う。
                    芥川竜之介全集6巻 1968 角川書店 「同時代の批評」より
9月7日付、「報知新聞」に芥川龍之介、「お富の貞操」についての文芸評論を行う。
九月文壇の作品(一)
 芥川龍之介氏の『お富の貞操』(改造)は、相変わらず上手にかかれているが、先月の『六の宮の姫君』よりも、もっと説明的で、抽象的である。この作者の、極めて正確な線と、鮮明の色彩とで描かれた絵画的描写ーーつまり、外面的な描写は、その人物の内面的心理によって十分に裏付けられていない。そのために、外面的描写が精巧であればあるほぞ、読む方の歯痒(はがゆ)さは一層である。これは、芥川氏の作として明かに失敗の作であろう。
                   芥川竜之介全集6巻 1968 角川書店 「同時代の批評」より
9月9日付、「報知新聞」に芥川龍之介、「おぎん」についての文芸評論を行う。
九月文壇の作品(三)
 芥川龍之介氏の『おぎん』(中央公論)は、きりしたん物である。短いものだが、これはいい作だ。わたし一人、
はらいその門に這入ったのでは申訳がない、やはり地獄の底へご両親の跡を追って行こうというおぎんの心持、はらいそへ参りたいのではない、ただあなたのお供をするのだとというおすみの心持ーーその心持と、一筋にはらいそを望む孫七の心持との対立において、作者は、かなり深いところに触れている。悪魔などを持ち出して、お伽話じみた気分を添えなかった方が、かえって効果的ではないかと思う。
    はらいそ:Paraiso(ポルトガル語) 楽園、天国    岩波書店 日本思想体系25 キリシタン書 P8より
                    芥川竜之介全集6巻 1968 角川書店 「同時代の批評」より
10月 フィリップ十三周忌記念講演会が神田の明治会館で行われる。
10月8日付、「報知新聞」に芥川龍之介、「百合」についての文芸評論を行う。
十月の雑誌から(二)
 同じく、「新潮」、芥川龍之介氏の『百合』は未完物だが、少年の心持はよく書けている。ただし会話がなってない。

                    芥川竜之介全集6巻 1968 角川書店 「同時代の批評」より
11月〜12年6月迄、「見えぬ太陽」を「国民新聞」に連載する。
    (後に「東京の顔」と改題)、これから家庭小説家として次第に有名になる。
1923 12 36 1月 「花袋全集 全12巻」が「花袋全集刊行会」より出版される。
3月 「新潮」3月号に「祭の夜の出来事」を発表。
6月 「出発」を「現代小説選集 新潮社」に発表する。「田山花袋、徳田秋声の生誕十年記念」関連
7月、「久遠の像」が「新潮社」から刊行される。
9月1日 関東大震災、死者9万1802人、行方不明4万2267人。
11月、山本文三が、「聚英閣」から「大地」を刊行、序文を寄せる。 国会図書館pid/979289
1924 13 37 1月 「「新潮」の功績」を「新潮新年号」に発表。
1月〜12月 「新生」を「主婦之友」に連載する。
1月 「東京の顔」(「見えぬ太陽」改題)を「新潮社」から刊行する。
3月 「都会へ」を「新潮社」から刊行する。   
6月 「新進作家叢書36 感謝」を「新潮社」から刊行する。
7月〜12月 「珠を抛つ
(たまをなげうつ)」を「朝日新聞」に連載する。 
7月 「廃園の花」を「大阪サクラヤ書店」から刊行。
9月 神奈川県青年団聯合会、発行の「武相の若草 創刊号」に「第一歩」を寄稿する。
10月、「感想小品叢書 9 わが小画板」を「新潮社」から刊行する。
    ※その中の「私のお伽噺」が大正15年、「鍬と小判」に改題、中学教科書に掲載される。
10月 「安成二郎著 夜知麻多」が「草木屋出版部」から刊行され「跋」を寄せる。
11月 「矢車草」を「宝文館」から、
11月 「第六短編集 祭の夜の出来事」(十六編収録)を「玄洋社」から刊行する。
11月 「楝獄の火(「新生」の改題)」を「大阪屋号書店」から刊行する。
○この年、吉江喬松・中村星湖・犬田卯らの農民文芸研究会に参加する。
1925 14 38 1月 「キング」創刊。70万部が売れる。
3月、「珠を抛つ(たまをなげうつ)」を「新潮社」から刊行する。
4月 「少女画報」に「君よ知るや南の国」を連載。
4月 「婦人の国」を「新潮社」が創刊、長篇「秋夕夢」を連載。
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               文章倶楽部5月号より 
6月 「赤い球(たま)」を「赤い鳥」に発表。
8月、八木重吉詩集「秋の瞳」に序文を寄せ刊行を助ける。

「文章倶楽部 大正14年 8月号」より
 加藤武雄が書いたと思われるコマーシャル文。
巻首に
 八木重吉君は、私の遠い親戚になってゐる。君の阿母さんは、私の祖父の姪だ。私は、祖父が、その一人の姪に就いて、或る愛情を以て語ってゐた事を思ひ出す。彼女は文事を解する。然う云って祖父はよろこんでゐた。
 私は二十三の秋に上京した。上京前の一年間ばかり、私は、郷里の小学校に教鞭をとってゐたが、君は、その頃、私の教へ子の一人だった。−君は、腹立ちっぽい、気短かな、そのくせ、ひどくなまけ者の若い教師としての私を記憶してくれるかも知れないが、私は、そのころの君の事をあまりよく覚えてゐない。唯、非常におとなしいやゝ憂鬱な少年だったやうに思ふ。
 小学校を卒業すると、君は、師範学校に入った。私が、その後、君に会ったのは、高等師範の学生時代だった。その時、私は、人生とは何ぞやといふ問題をひどくつきつめて考へてゐるやうな君を見た。彼もまた、この悩みを無くしては生きあたはぬ人であったか? さう思って私は嘆息したが、その時はまだ、君の志向が文学にあらうとは思はなかった。
 君が、その任地なる摂津の御影から、一束の詩稿を送って来たのは去年の春だった。君が詩をつくったと聞くさへ意外だった。しかも、その時
(ママ)が、立派に一つの境地を持ってゐるのを見ると、私は驚き且つ喜ばずにはゐられなかった。
 私は、詩に就いては、門外漢に過ぎない。君の詩の評価は、此の詩集によって、広く世に問ふ可きであって、私がこゝで兎角の言葉を費す必要はないのであるが、君の詩が、いかに純真で、しかも、いかに深い人格的なものをその背後にもってゐるか? これは私の、ひいき眼ばかりではなからうと思ふ。
  大正十四年六月          
            加藤武雄

8月、「百合」を「文章倶楽部」8月号に発表。
   同号に八木重吉の詩、9篇が「緑蔭新唱 新進四家」の中で発表される。
9月、「春の幻」を「宝文館」から刊行。「東京の顔」を刊行。
10月 「彼女の貞操」が「交蘭社」から刊行。
10月〜15年3月 「審判」を読売新聞に連載する。
10月 北多摩郡砧村喜多見成城に新築転居。書斎を擣衣荘と名づける。
    近くに住む、佐左木俊郎のすすめで乗馬を始め、李淵裕(後の作家李無影)を書生におく。
    
10月、「土を離れて」を「新潮社」から再刊(大正8年発行の「郷愁」の改題)。
    資料 「あとがき」より
     私をして兎にも角にも、郷土芸術家の名を得しめたのは、偏に比の集である。私は、私の真面目が、
     最も多く比の集に於て語られている事を信ずる。私は比の集の再刊を機としで、再び私の本領にた
     ちかえり、郷土芸術家としての更に新たなる歩みを踏み出そうと思う者である。」

11月 実弟哲雄が刊行した歌集「暗黒時代」に「哲に与ふ」と題した序文を寄せる。
12月、「夜曲」を「新潮社」から刊行する。
年末、八木重吉が成城の家を訪問する。
1926 昭和元年
(12月25
日 改元)
39 1月〜2年2月  「愛染草」を「婦人倶楽部」に連載する。
1月〜3月 「勝敗」を「キング」に連載する。
    
     「愛染草」の広告文
    
2月 中学国文教科書に「鍬と小判」が掲載される。
   
3月祖母マツが84歳で逝く。
3月〜8月  「彼女の貞操」を「読売新聞」に連載する。
5月 「愛の道」を「新潮社」から刊行する。
6月  新潟県木崎村無産農民学校講演会発会式、ついで木村毅・大宅惣一らとと
    もに木崎村に行き、農民学校協会発会式に臨んだあと、新潟で趣旨普及のた
    めの講演会に参加する。
6月26日、藤森成吉、加藤武雄、木村毅編纂「農民小説集」を刊行する。

農民小説集
 新潟県木崎村での小作争議を指導した三宅正一、稲村隆一、浅沼稲次郎が戦術として小作人の子供たちを総退学させ、これを収容する学校の建設費3千円を佐藤義亮から調達、日本で最初の無産小学校(校長賀川豊彦)が創設された。若槻内閣は徹宵会議を開いてその処置を検討したという。       



一塊(かい)の土 芥川龍之介 樫の森 吉田絃二郎 
地獄 金子洋文  人と土地の話 小川未明
一夜の宿 佐藤春夫 バクチ 悦田喜和雄
母の心 中西伊之助 旅人と提灯 秋田雨雀
ひまな猟人 細田民樹  義民甚兵衛 菊池寛
女乞食 今野賢三  少年 和田伝
馬鹿野郎 中村星湖 土に生く 犬田卯
巨石 鈴木彦次郎 平和な村より 加能作次郎
村のピエロ 大宅壮一  夕刊の一字 木村毅
祭の夜の出来事 加藤武雄 北見 藤森成吉
6月 「審判」を「大日本雄弁会講談社」刊行。
7月〜9月 「濤声」を「婦人公論」に連載する。
8月 「農民文芸の研究」を犬田卯(しげる)と共著で「春陽堂」から刊行する。
8月 第七短編集「桑の実」(三十編を収録)を「新潮社」から刊行する。
8月 「君よ知るや南の国」を「大日本雄弁会講談社」から刊行。
8月19日 橘樹郡青年団「夏期講習会」、県社会教育課に頼まれ川崎市溝口小学校で講演。
月1日 中山義秀・帆足圓南次編の「農民リーフレット」2号と4号に「農民文芸の研究」が紹介される。
    
9月 「文芸入門叢書」に「明治大正文学の輪郭」を刊行する
10月1日 新潟県木崎村無産高等農民学校開校。土田杏村「木崎村事件と将来の農村学校」を「地方」に発表。
10月28日 「農民文芸十六講」を「春陽堂 農民文芸会編」が刊行。
    吉江喬松、犬田卯、五十公野清一、湯浅眞生、大槻憲二、帆足圓南次、和田傳、佐伯郁郎、渋谷栄一、黒田辰男が執筆。
12月 「十五年小説壇の諸家」を「文章倶楽部」に発表。同号に「農民文学とは何ぞや」と題し中村星湖、犬田卯、白鳥省吾、相田隆太郎、五十公野清一、湯浅眞生、大槻憲二、帆足圓南次、加藤武雄の9名が対談。
12月、改造社が「現代日本文学全集」を刊行発売を開始。(円本ブーム始まる)
1927 2 40        ー故郷の老親のために外観洋風の家を建てる。ー
    
  
 新潮社、1月29日付「東京朝日新聞」の広告に「世界文学全集」全38巻の刊行を発表、3月までに58万部受け付ける。この全集で佐藤義亮社長は「大衆のために、読んでわかる翻訳でなければならない」という方針を堅持した。そのため訳者には厳しかったようだ。<新潮社九十年小史より>この翻訳に加藤武雄が深くかかわっていたことは有名。
1月〜3年4月 「華鬘」を「講談倶楽部」に連載する。
3月 「外国文学と私」を「文章倶楽部」3月号に発表。
    世界恐慌始まる
5月 「暁闇」を「新潮社」刊行。
5月〜3年8月 「昨日の薔薇」を「婦人倶楽部」に連載する。
6月 「饗応」を「新潮」に発表。
7月24日 芥川龍之介自殺(35才)
    
       「農民」創刊号
10月 農民文芸会の機関紙「「農民」編集者犬田卯・発行者加藤武雄」を創刊する。
     自宅に事務所を置き、資金の大部分を負担する。
○ 「キング」11月号が130万部を売り、雑誌出版は大量生産時代に入る。
10月7日  松竹キネマ田端作品「久遠の像」が電気館で封切(映画化の最初)
    脚色 村上徳三郎、監督 重宗務、撮影 小原譲治 
    主演 岩田祐吉・八雲恵美子・奈良真澄。
10月21日 松竹キネマ田端作品「珠を抛(なげう)つ」封切。
    脚色 村上徳三郎、監督 池田義信、撮影 浜村義康
    主演 栗原すみ子・清水一郎・東栄子・佐々木清野
12月 「貧しき信徒 八木重吉」が「文章倶楽部 12月号」に掲載される。
  また、同号に「昭和二年の小説」と題し論評を行う。
資料 文章倶楽部12月号 P28 (上略)芸術小説と通俗小説との問題は、今年に入って、愈々やかましく論議されるようになった。論議は兎に角として、従来は、そういう一部の作家の手に委せられた新聞や婦人雑誌の続きものを、広く文壇の人たちがたれかれの区別なしに盛に書くようになったのは注目に値する殊に、比較的新進の人達が(略)
1928 3 41 1月 箱根に乗馬旅行、誤って落馬する。
2月 「詩集 貧しき信徒」が「野菊社」から刊行。加藤武雄が序文を寄せる。
2月 「現代長篇小説全集 第七巻 加藤武雄篇」を「新潮社」から刊行、「珠を抛つ・久遠の像・月明」が掲載される。
3月、「少年倶楽部 15巻3号」に「少年小説 少年馭者」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758551   
6月 「農民」六月号が突然終刊(通巻9号)する。
    資料 加藤武雄はこんなたとえ話をもって嘆いた。「僕は一人で重い荷物を引いて坂道を登っているつもりだった。
         ところが、途中でふとうしろを振り返ると、荷車に誰も乗っていないじゃないか。これにはがっかりしたね。」

6月 中村武羅夫「誰だ?花園を荒らす者は!」を「新潮」6月号に発表。
6月〜4年12月 「銀の鞭」を「講談倶楽部」が連載する。
7月 「華蔓」を「講談社」が刊行する。
7月 「名作全集日本田園文学 和田傳編」が「文教書院」から刊行、「土を離れて」が掲載される。
8月 第二次「農民」が「農民自治会文芸部 編集・発行者 竹内愛国」で再刊される。
9月〜4年3月 「饗宴」が「東京日日新聞」に連載される。
10月 「インキに汚れた過去」を「文章倶楽部」10月号に発表。「葛西善蔵氏を弔す」を「新潮」に発表。
12月 「創作 12月号 若山牧水追悼号 第十六巻第十一号」に「汽車の中で」を寄稿する。 
研究ノートー@ 「汽車の中で」の全文
 牧水氏の歌は、「離別」「死か芸術か」時代には随分愛誦した。しかし、僕は、氏の歌よりもむしろ紀行文の方をありがたく読んでゐた。「みなかみ紀行」の如き、実にたまらなくいゝと思った。
 一体に交友の少ない僕は、牧水氏とも不幸にしておちかづきにはなれなかったが、蔭ながら氏の人物には傾倒してゐた。
 「玲瓏
(れいろう)玉の如し」とは氏のやうな人を云ふのだらうと思ってゐた。
 お目にかゝったのは二三度しかなかった。もう五六年前になる。僕の従弟が鎌倉の師範学校に入学してゐるのが、恋愛問題で退学されそうになり、それの救解の為に、その従弟の兄ーといっても矢張、僕より十も年下の青年であったが、その兄と一緒に鎌倉へ出かけた事がある。その鎌倉行の汽車で、偶然氏と乗合せた。おくさんや子供さんと御一緒で、何でも東京から沼津のお宅へ帰られるところだったらしい。氏と、お話しをしたのはあとにも先にもその時だけだった。氏の手には瓶詰の正宗があった。「一つどうです。」と云って杯を下すった。細かく気を使ふなかなか如才ない方であった。が、眉宇の間、頗る毅然たるものがあった。−僕は、あの風
(ボウ)も大好きである。
 鎌倉で降りてから、従弟が、「あれは何人
だれです?」 と聴くので、
 「あれが若山牧水だよ。」
 さう云ふと、少しは歌などにも興味をもってゐたらしい従弟は、えらい人を見た感動を、その面上に浮かべた。
 その従弟も、その時鎌倉にゐた弟の方の従弟も、兄弟ながら間もなく相次いで死んだ。二人とも肺が悪かったのである。
 牧水氏の死を聞き、僕は、同時に、あの二人の従弟の事を思ひ出して、哀感の水の如く胸を浸すを感じた
12月 「昭和三年の小説界」を「文章倶楽部」12月号に発表。
 
 「文章倶楽部」12月号
○この年頃、橋本の青年たちが文芸に関する話を聞きに玉川学園前の別荘を訪ねる。
 
          右から8番目が加藤武雄
資料 農村の文化 P38〜P40
 
昭和の初期ごろ村の青年たちは短歌や俳句を好むものが多く、大沢の梅宗寺や橋本の香福寺等で俳句の会が開催されこれを運座(うんざ)と云った。重夫も森山文郁氏に勧められ、目蒲線鵜の木駅前の薬局経営の主人だった、「大冨士」という俳誌主幹の古見豆人先生に師事していた。
 
古見先生と森山住職の紹介で、あの文豪加藤武雄先生所有の町田の玉川学園前にあった別荘に招待され、武雄先生から文芸に関するお話を聞いた。武雄先生は「皆さん詩は心である。心清らかでないと良い詩も文学も完成しない」と教えてくれた。
 このころの橋本の香福寺における句会には、地元の森山松香堂先生始め八木浮舟や木下愛蚕、鈴木湧泉、原丹華の各氏と久保沢の八木蔦雨氏の関係者、中津から足立原斗南郎先生がみえられたこともあり、特に大
沢、田名勢は多く萩原駿水、笹野秋霜子、久保田俊の各氏をはじめ老朽の師が参集した。
重夫はその一人として参加したが寺の本堂には熱気が溢れ、大会はその数70〜80人に及んだこともあった。
(以下・省略)
 加藤重夫著 「農夫と妻たち 
−続・橋本の昔話−」 発行昭和61年6月 より
                      
「農夫の妻たち 農村の文化」の項の部分(P38〜P40)をそのまま引用させて戴きました。 
1929 4 42 1月 林房雄「大衆文学の理想と現実」を「新潮」に発表。
    新居、大仏、林、中村武羅夫ら「大衆文芸に関する新時代的考察」を「読売新聞」に発表。

1月〜5年4月 「春遠からず」を「キング」に連載する。
3月15日 日活太秦作品「饗宴」封切。
       脚色 山本嘉二郎、監督 田坂具隆、主演 夏川静江、滝花久子ほか。
3月10日、多惠文雄、細田民樹、加藤武雄により日本鑑賞倶楽部が設立される。
3月 「小公子物語(バーネット夫人原作)・母を尋ねて(アミーチス原作)」を「大日本雄弁会講談社 修養全集第五巻 修養文芸名作選」に発表する
4月 「文章倶楽部」が4月号、創刊以来13年通巻155冊で終刊。    
5月 月刊誌「文学時代」を創刊。加藤武雄の弟子、農民文学作家佐々木俊郎と共に編輯の任にあたる。
5月 「クォ・ヴァディス物語」を「大日本雄弁会講談社 修養全集第七巻 経典名著感話集」に発表する
6月 「旅のノオトから」を「文学時代」に発表する。
7月 勝本清一郎、「「蟹工船」その他(文芸時評)」を「新潮 7月号」に発表。
7月〜12月 「緑の城」を「婦人倶楽部」に連載する。
7月6日 京都マキノキネマ作品「愛する者の道」封切。
      原作は「星の使者」、主演 ジョージ桑田、マキノ智子ほか。
     
    この頃、佐藤千夜子の東京行進曲がヒットする。
7月 「令女文学全集」を「平凡社」が刊行。
    「春のまぼろし、約婚、氷、絵姿、めぐりあひ、姉妹、電報、絵具、義姉、隅の卓、祖国」が掲載される。
7月、「村居雑筆」を「文学時代 7月号」に発表する。
8月 「饗宴」を「新潮社」刊行。
8月13日 読売新聞社主催による満蒙視察団に外交官堀口久万一、英文学者戸川秋骨、評論家新居格、漫画家柳瀬正夢らと参加。
9月 「女と母と −ある女の手紙から−」を「新潮」に発表。
10月 貴司山治「新興文学の大衆化」を「朝日新聞」に発表。
10月15日 中村武羅夫、楢崎勤を中心に浅原六朗、飯島正、加藤武雄、川端康成、嘉村礒多、尾崎士郎、岡田三郎、久野豊彦、竜膽寺雄、佐左木俊郎、翁久充の十三名が新潮社に集い、反マルクス主義を標榜して「芸術の十字軍」を名乗る集会を開く。
12月 十三人倶楽部が結成される。
12月、「昭和四年の文壇」を「文学時代 12月号」に発表する。
○この年、文芸協会幹事十五人の一人に選ばれる。
1930 5 43 1月 「昨日の薔薇」を「新潮社」刊行。
   中村武羅夫「通俗小説の伝統とその発達の過程ー我が通俗小説論」を「新潮」に発表。
1月〜12月 「星の使者」を「婦人倶楽部」に連載する。
1月〜6年12月 「火の翼」を「講談倶楽部」に連載する。
2月 中村武羅夫「通俗小説とは何ぞやー我が小説論其二」を「新潮」に発表。
2月 「審判」を「講談社」刊行(23版)。
3月 雅川滉「芸術派宣言草案」を「文学」に発表。
3月 犬田卯「「芸術派」を掃き棄てる」を「評論」に発表。
3月 長篇三人全集(中村武羅夫・加藤武雄・三上於莵吉)を「新潮社」刊行。
   参考  加藤武雄が執筆した巻と作品名
 2 「沈黙の塔・春遠からじ」
11 「明眸・無憂樹」 
20 「愛の戦車・夢の娘」
28 「曙の歌・孔雀草」
 5 「銀の蔵鞭・炬火」
14 「銀河・緑の城」
22 「火の翼」

 8 「星の使者・白紅」
17 「地上の愛・緑の地平」
25 「秋夕夢・愛慾の霧」

4月 雅川滉「芸術派宣言 −新興芸術は如何にして起こり、何を為すかの問題ー」を「新潮」に発表。
4月3日 「新興芸術派叢書」24冊の刊行を「新潮社」始める。この中に加藤武雄の作品含まず。
 井伏鱒二・岡田三郎・佐左木俊郎・楢崎勤・横光利一・浅原六朗・嘉村礒多・川端康成・久野豊彦・竜膽寺雄・安部知二・尾崎士郎・北村壽夫・ささきふさ・中河与一・中村正常・十一谷義三郎・舟橋聖一・吉行エイスケ・池谷信三郎・川端康成・楢崎勤・(吉行エイスケ)・安部知二・中村武羅夫を中心とする十三人倶楽部と舟橋聖一、今日出海、中村正常ら「蝙蝠座」、安部知二、井伏鱒二、雅川滉ら「文芸都市」、小林秀雄、神西清、永井龍男、深田久弥、堀辰雄ら「文学」の各グループに吉行エイスケらモダニズム、芸術派の作家32名が集い、文学それ自身の特殊な領域を守るべく大同団結を行い「新興芸術派倶楽部」を結成する。派名は佐藤義亮による。
5月 中村武羅夫「マルクス主義文学の存在は可能であるか」を「新潮」に発表。
    久野豊彦「新興芸術は何故に台頭したか」を「新潮」に発表。
5月13日、田山花袋が代々木の自宅で死去(享年59才)。
5月16日、田山花袋の葬儀が行われる。
     葬儀委員
       世話係:前田晁、白石賢三、田山富弥、田山直哉
       受付係:岡村千秋、福岡益雄、原田謙次、喜多村進、麻見昇、神田透、藤田一誠、相宮秀之助

      接待係:島崎藤村、加藤武雄、細田源吉、加能作次郎、水守亀之助、中村白葉、左近益栄、米川正夫
         長谷川天渓、徳田秋声、上司小剣、近松秋江、柳田國男、藤沢清造 
      会計係:中村星湖、白石實三、伊藤四郎、松波治郎     文芸時報第136号より

    
    5月16日 田山花袋が遺愛の椎の老樹の下にて
    後列向かって右より、加能作次郎、岡村千秋、加藤武雄、前田晃、新居哲雄、長谷川天渓、中村星湖、柳田国男、
     正宗白鳥、武林夢想庵、上司小剣、島崎藤村、蒲原有明、前列右より中村白葉、細田源吉、水守亀之介、白石実三。

 藤村と花袋 前田晃
 (前略)花袋の初七日の夜であった。葬儀のすんだ晩、精進落としの席で懸案となった全集出版のことを改めて相談する会が新宿の中村屋で開かれた。十二三人が集まった。まづ花袋会がつくられて、花袋全集はその会の第一の事業とすることにした。つぎには出版社をどこにするかが問題となって、K社、C社、S社、S堂などと、そのほかにもまだ一二の社があげられたが、これには故人が生前に、加藤武雄君にくれぐれも頼むといって遺嘱した仔細もあって、まづ新潮社に交渉することになった。
 そこで加藤君から発言があって、自分と中村(武羅夫)とが内から佐藤(義亮氏、新潮社長)を極力説くから、外から、どうぞしかるべき先生方がたが、堂々と話を持ち込んでいただきたいといった。当然なことであるから、たちまち衆議は一決して、その交渉には島崎さんと徳田(秋声)さんとを煩はすことになった。いつにしようかと日取りもほぼ決まったところで、それまで静かにたばこをふかしながら、沈黙を続けていた島崎さんが、ぽつんと言った。
「ぼくはだめだよ。行かれないよ。」はっとして、わたしなどは固唾をのんだ。
「どうしてかね?」柳田(国男)さんが言った。 「「中央公論」があるからね。」 「ふむ。なるほどね」柳田さんは言った。
 島崎さんは、その時、「夜明け前」の秋季の続稿にかかっていたのであった。(略) 「だめだね」
一座は白けた。島崎さんは、やがていっしょに来ていた静子夫人を促して帰って行った。 (下略) 昭和29年6月12日


5月19日、生田春月が瀬戸内海で投身自殺(享年39才)。

6月 「新興芸術派に就いて」を「新潮」に発表。
6月13日 「十三人倶楽部タイムス」を発刊(1号のみ)
6月14日 「十三人倶楽部創作集 1」を「新潮社」から発表。






黎明館風景
或るお婆さんの話
七年目に  
 エロスのたわむれ
妻の幻影 
彼らの一群
農民短編物語集

浅原六朗
加藤武雄
嘉村礒多
中村武羅夫
岡田三郎
翁久允
佐左木俊郎

 
東洋の風
春景色
彼と彼女
「R・共和国」
暴風 
砂丘で 


飯島正
川端康成
久野豊彦
楢崎勤
尾崎士郎
竜膽寺雄
     (ABC順)

6月27日 中村武羅夫、直木三十五、加藤武雄らの創立による「日本キネマ株式会社」が、第1回作品「昨日の薔薇」を相州雲雀ケ丘撮影所で撮影。市政会館で試写会が開かれる。
    監督 岡田三郎 主演 水城龍子、市村譲治ほか。
7月 「海圖 生田春月追悼詩集」を「交蘭社」から刊行。
    夏に白鳥省吾と与瀬の相模川で舟遊び。
7月 今日出海「新興芸術派理論に対する一つの修正」を「作品」に発表。
7月 中河与一「新興芸術派の勝利と危機」を「新潮」に発表。

9月 室生犀星他「新興芸術派に何を要求するかー新興芸術派について」を「新潮」に発表。
10月 雅川滉「芸術至上の精神の高揚(大森義太郎氏へ)」を「読売新聞」に発表。
10月 大森義太郎「いはゆる新興芸術派の潰滅ー雅川滉氏に応へる」を「読売新聞」に発表。
12月28日 帝国キネマ作品「緑の城」が常盤座で封切。 主演 鈴木勝彦、英百合子ほか。    
1931 6 44 1月 帝国キネマ作品「春遠からず」常盤座で封切。
2月 松竹蒲田作品「銀河」帝国館、南座で封切。 主演 八雲恵美子、高田稔ほか。
○この年の春、「与瀬小唄」作成のため
  白鳥省吾や地元諸星一三、山下一平らと集う。
  
   与瀬小唄の歌碑 相模湖町与瀬神社境内
 参考資料
 さらに、この考え方は昭和五年先生と永い交友にあった川尻村出身の加藤武雄氏、詩人白鳥省吾氏を迎え、与瀬民謡の制作依頼の中心となられ活動された事実からもみられる。愛する故郷にふさわしい民謡を、町民の魂の古里をという願いの中に郷土をいつくしむ先生の心がみられる。そして、「与瀬はよいとこ、権現様は可愛い子どもの守神、守神、 サンサ、サラサラ、サラリトセッセ」という諸星先生の一節が加えられ、加藤武雄、白鳥省吾、諸星一三合作、福田蘭堂作曲、林きん振付でここに「与瀬小唄」ができあがり、町民に愛称されるようになった。」
         
先人のあしあと(12)より 来訪の時期再検討要
      
               採譜 那須徹
  
     歌碑の裏面
3月 弟哲雄が第二歌集「農夫哀歌」を「天人社」から刊行、跋文「弟に寄す」を寄稿する。
    序 若山喜志子・青木卓
弟に寄す
  ふるさとに再び還る兄ならず 今日もさびしく父と麥苅る
 お前の歌をあの「常春」に読んで此の一首にぶつかった時、おれは思はず暗然とした。お前が、父上と二人で、麥苅をしてゐる姿が一枚の絵のやうに、おれの文字に疲れた眼に浮んだ。お前は例の黙りやの事で、唯黙々として鎌を動かしてゐるであらう。父上はもう六十を越してゐる。晩夏の日の下で、あの烈しい労働は、痛々しさの限りであるが、さう云へば母上だって同じ事だ。やがて、秋蠶が初まるだらう。朝の露、夕の露に濡れそぼちながら、桑を摘む母上の姿もいたましくおれの眼に浮んで来る。
 おれは出来る事ならば、父上にも母上にもおれの家に来て老後の平安に住して貰ひ度いと思ってゐる。おれが、お粗末ながら家を建てたのも、一つにはその為だった。だがおふたり共、とりわけ父上の方は、なかなかあの村を離れて出て来ようとはなさらぬ。子供たちが然う呼んでゐる「おぢいさんとあばあさんとの部屋」は、いつになったらその主を迎へる事が出来るだらう。
 ふるさとに、再びかへる兄ならず―― といふお前の歌には、或る怨嗟に似たひびきがある。が、弟よ、おれはもう故郷に帰っては生活の出来ぬ人間になってゐる。帰りなむいざ!
(略) 
  秋の日はいたくな照りそ秋蠶飼ふと 桑摘ますらむ母刀自の為

                                   加藤 武雄
5月5日 新潮社「日本文学講座第14巻 鑑賞附補遺」に島崎藤村、加藤武雄等22名が掲載される。
      
5月 「明治大正昭和文学全集 53巻 東京の顔(中村武羅夫「瑠璃島」併収)」が「春陽堂」から刊行される。
5月15日、戸川秋骨、随筆集「自然・気まぐれ・紀行」を「第一書房」から刊行、加藤武雄等との啓蒙見学旅行を載せる。
「(前略)加藤君が朝鮮経由で帰った外、一同はまだ少しゆるゆるし、殊に新居君は北平から上海に出るのださうであるが、私は学校を控へて居るので、一と足先に御免を蒙る事にした。始めの勢いでは新居君同様の行程をとるつもりであったが、もう疲れ切ってその勇気はない。せめて朝鮮を通ってと思はないでもなかったが、さらに汽車で一貫するのが、必らず苦痛だらうと考へて、安逸を偸む心から、予定の通り翌六日大連出帆のハルピン丸の客となってしまった。同行の諸君満鉄の諸君が埠頭まで見送のために来られたのは感謝にたえない。かくして一箇月弱の満蒙見学の旅行は終わりを告げ、自分は再び現実の東京生活に戻った。」
6月 「あまり高い!(トルストイ)」を「トルストイ研究6月号」に発表する。
7月 文芸家協会編、「大衆文学集 第4」に「雪女」が掲載。
9月 「加藤武雄読物選集(短編十六収録)」が「新潮社」から刊行される。
9月  東亜京都作品「緑の地平 受難篇」封切。
10月 東亜京都作品「緑の地平 哀傷篇」封切。
11月 新興作品「曙の歌」封切。
○この頃の出版業界 円本全盛の後に迎えた出版不況時代は、拡張した用紙生産量をこなし切れず、製紙会社も紙問屋も膨大なストックを抱え込み紙面は下降の一途をたどる。しかも出版界全体が不振の底から立ち直れず需給のバランスは狂い続けて、これまで紙価が最も安かった大正3年の価格に比しても、昭和6年は1キロ当たり2銭から4銭下まわる。
1932 7 45 1月〜12月 「不滅の像」を「婦人倶楽部」に連載する。
1月〜8年7月 「東京哀歌」を「富士」に連載する。
2月 新興作品「海に立つ虹」封切。

3月 満州国建国宣言

5月 この頃、不況の出版界に稿料不払い問題が続出。加藤武雄ら被害者8名が岡下一郎を法廷代理人として、「創造」発行者人見東明を相手どる出版界最初の原稿料請求訴訟を起こす。
6月 「饗宴」を「春陽堂」から刊行。
7月、「玉川文庫 第九篇 玉川学園出版部」から「文藝随筆」を刊行する。所蔵 国会図書館Pid/1236657
目次
文學と道コ /天國の戀・地獄の戀 /かくありたい女性 /少女の爲めに /人事と天命と /長篇小説と通俗小説 /大衆文學の問題 /農民文學の指標 /子供と文學 /文壇現状論 /
8月 「愛国少年文庫「源義経と成吉思汗」」を「新潮社」から刊行する。
8月〜8年2月 「孔雀船」を「報知新聞」に連載する。
11月 「新潮」11月号に「通俗小説の理想」を発表。
12月、「少年倶楽部 19巻12号」に「友情美談 尊き記念」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1764792   
1933 8 46 1月〜9年7月 「三つの真珠」を「講談倶楽部」に連載する。
3月 次男健彦生まれる。佐々木俊郎失う。
3月 「新潮 3月号」に「混乱時代とユーモア文学と」を発表。
3月 松竹蒲田作品「孔雀船」封切。
    脚色 野田高梧、監督 池田義信、主演 栗島すみ子、大日方傳、飯田蝶子、突貫小僧など。
4月 日活太秦作品「女性陣」封切。
4月 「新選大衆小説全集 第四巻(非凡閣版)」に「孔雀船・不滅の像」が収録される。
6月 ー新潮社が新興キネマと提携して映画祭「日の出週間」を開催ー
5月 「文章倶楽部 5月号」に「断絃記 −佐左木俊郎君のこと−」を発表。
6月 「新潮文庫 久遠の像」を「新潮社」刊行。
8月 「新潮」8月号に「梟」を発表。
9月〜9年10月 「春の暴風」を「日の出」に連載する。
11月〜9年4月 「朝花夜花」を「中外商業新報」に連載する。
11月 日活太秦作品「炬火 田園篇」封切。
    監督 熊谷久虎、主演 夏川静江、市川春代、山本嘉一など。
11月 「改造社版 日本文学講座 第十四巻」に「家庭小説研究」を執筆する。
1934 9 47 1月〜10年4月 「珠は砕けず」を「キング」に連載する。
2月 日活太秦作品「炬火 都会篇」が封切される。
3月〜9月 「華やかな戦車」を「報知新聞」に連載する。
4月 川尻八幡神社社務所建設で五拾円を奉納する。
     
                  川尻八幡宮社務所   撮影2017・9・15
6月〜10年10月 「喘く白鳥」を「婦人倶楽部」に連載する。
7月、「少年倶楽部 21巻7号」に「ドドメとシドメ」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758640   
9月 「文章倶楽部 九月号」に「田山花袋研究 −作家研究座談会(二)−」を発表。
9月〜10年12月 「地獄の聖歌」を「講談倶楽部」に連載する。
11月 「厚生閣」から「日本現代文章講座 5 技術篇」を刊行、「大衆現代小説と構成と技術」を執筆する。
   山梨日日新聞 昭和9年11月22日付
○ 「銀の征矢」を「九州日報」に連載する。
1935 10 48 ○この年、父泰次郎(70歳)が川尻村村長に就任(17年4月まで)
1月 「文芸春秋」新年号誌上に芥川龍之介賞、直木三十五賞の制定を発表。
2月 日活多摩川作品「三つの真珠」封切。
3月、「少年倶楽部 22巻3号」に「うれしいお知らせ」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758648   
4月 「君よ知るや南の国」を「講談社」から刊行する。
               内容(君や知るや南の国、姉妹、日は大空に、愛犬物語、二度目の誓)
 
 「君よ知るや南の国」の挿絵    同本の中の宣伝文
自序
 人の心のはたらきを、普通、知、情、意の三つに分けます。この三つのはたらきが十分に行われて、はじめて完全な一個の人となるのです。
 知を培う知育、意を鍛える意育とあいまって、情を養う情育というものが、とりわけ、娘たちにとっては必要です。情育、すなわち情操教育というものが、割合に、学校でも家庭でも疎かにされているように思われます。
 娘たちに、よき読物を読ませることは、情操教育の上にもっとも効果のあることと考えます。口幅ったい申しじょうかも知れませんが、この一巻に収めたものは、立派に情操教育の資料たるべき、よき物語であると信じます。
 「君よ知るや南の国」以下数篇は、私が、大人のための書く以上に、骨を折って書いたものであります。最も熱心に読まれ、最も深
い影響を読む者に与えるはずの、少女小説というものが、従来あまりに不用意に書かれている事を憂いていた私は、これ等の小説を私の芸術家として、同時に、人間としての、最高の良心を以って書きました。
 
一般家庭の読物として、自信を持っておすすめ出来る小説だということを、改版にあたり、もう一度声を大にして申しあげます。
  昭和十年三月  市外砧村の草堂にて
                               著   者
4月、「少年倶楽部 22巻4号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758649  
5月 「日本文学講座 第十巻 好色五人女鑑賞」が「新潮社」から刊行される。
5月、「少年倶楽部 22巻5号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758650  
6月、「新潮」6月号」に「木食上人」を発表する。
6月、「少年倶楽部 22巻6号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758651  
7月18日 「昭和長篇小説全集9 「東京哀歌」」が「新潮社」から刊行される。
7月、「少年倶楽部 22巻7号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758652 
8月、「少年倶楽部 22巻8号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758653  
9月、「少年倶楽部 巻号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758654  
10月、「少年倶楽部 22巻10号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758655  
11月 新興東京作品「喘く白鳥」封切。 主演 高田稔、伏見信子、高津慶子。
11月、「少年倶楽部 22巻11号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758656  
12月、「少年倶楽部 22巻12号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758657  
12月 随筆小品集「郊外通信」が「健文社」から刊行される。 国立国会図書館デジタルコレクション  Pid/1258959
(全文)/どういふわけか、此頃随筆集を出す事がはやる。そして、僕も此の一冊を纏め得る機會を頼まれた。望外のよろこびである。此の十年来、僕は主として、筆を長編小説に投じてゐたが、その間にちょいとかいた随筆風のものも相當の量にのぼってゐる。多くは紛失してしまったが、集められるだけ集めて、その中から、文藝評論風のものを除いたのが此の一冊である。巻末にお愛嬌のつもりで、コントらしいもの七篇を添えた。題して「郊外通信」といふのは文藝の王城に對しても、一個の郊外人でしか無かった僕だからでもある。しかし、此の砧(きぬた)村も日ならずして、東京市に編入される事になってゐる。僕も、いつまでも文壇の郊外人としては甘んじてゐられない氣持になってゐる。此の随筆集は、僕の村居十年の記念であり、同時に、名義だけにしろもう村ではなくなる此の村への告別である。忙中の小関に多々の筆をはしらせたもので、随筆らしい風格の無いやうなものばかりだが、兎に角、僕は、此の一冊を、此の村の土で培した野菜の一籠として、平常御無沙汰ばかりしてゐた辱知諸におくらうと思ふ。此の書の出版については、武野藤介君がずゐ分立ち入った面倒を見て呉れた。三岸節子さんは、いゝ装幀をして呉れた。予ながら、兩君に心からの御禮申上げる。
   昭和十年初冬
郊外砧村の草堂にて加藤武雄
村居十年 饗應 / 凩 / 花つくり /泉 / 朝の散歩 /老馬星月 /馬上三日記 / 犬 / 鼠 /郊外からの手紙 /十星霜 /
春夏秋冬 新しき年のはじめに /早春 /晩春花譜 /草 /初夏 / 夏の雜筆 /八月 /山房にて /燈記 /新秋の譜 / 小鳥 / 秋深し /武藏野 / 桑 / 茅蜩 /
自畫像 自分のこと / 家 /僕の生活態度 /僕の第一歩 / インキに汚れた過去 / 長篇小説の作家として /あの頃の文壇と自分 / 私の讀書歴 /木食上人 /一日 /
旅行記 その他 山陰の旅 / 北海道一瞥 /滿洲温泉水記 /乘馬日記 / 迎春騎行 / 島を思ふ /旅のノオトから /
故人追憶 斷絃記 / 春月君を哭す /故人追憶 /
趣味を語る 鞭影小記 /ゴルフ三昧 /
思ひ出 その他 昔の家 /上草履 / 養蠶 / 牧歌 /名 / 芭蕉の像 その他 / 讀史餘談 / 麗人 / 遠き笛 /影繪 / かくありたい女性 / 早春の窓に凭りて / 鬼 /
掌篇七つ 銀貨 / 怪談 / 親切 / 人形 /接吻 / 童謠 / 希望 /
      研究課題/ロシアまたコント文学についての関りを武野藤介と対比させる必要性あり。2017・10・27 保坂
12月、「新潮 12月号」に「千葉亀雄氏を弔すその他」を発表する。
1936 11 49 1月〜12年12月 「呼子鳥」(映画化)を「キング」に連載する。
1月〜12年4月 「合歓の並木」を「婦人倶楽部」に連載する。
1月〜12年5月 「夢みる都会」を「富士」に連載する。

         「東京日日新聞」  昭和11年7月4日付の広告文     所蔵 八木薫
1月〜12年3月 「愛の山河」を「講談倶楽部」に連載する。
1月、「少年倶楽部 23巻1号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758658  
2月、「少年倶楽部 23巻2号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758659  
3月 「新潮文庫 喘く白鳥」を「新潮社」から刊行する。
3月、「少年倶楽部 23巻3号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758662  
   引用した作家の名前や作品名を掲載しました。
4月 「入門百科叢書 「小説の作り方」」を「新潮社」が刊行する。
4月、「少年倶楽部 23巻4号」に「晴れゆく山々」を寄稿する。 所蔵 国会図書館Pid/1758663  
   
5月25日 田山花袋七回忌追悼晩餐会 東京 日比谷 山水楼にて (後列中央右から2番目が加藤武雄)
6月21日、生田春月の7周忌に「海の詩碑」が小豆島手東谷の崖上に建立され除幕式が行われる。
   「生田春月清平君、昭和五年五月十九日月明の夜、播磨灘に投じて享年三十九才の短き生涯を終る。
    君や至純の情熱を以て、其の時代苦を歌い、哀婉悲涼、詩風一世に鳴る。又独逸文学に深く、ハイネ研究者として権威だ、
    茲に死直前菫丸船中の作、海図の一篇を終焉の地に刻みてその永き芸術を記念す。 
    昭和十一年三月十八日  春月会建立  篆額 石川三四郎  鋳金 高村 豊周   詩文 加藤 武雄」

   同行の萩原朔太郎と高松に回る。この年文芸家協会理事に推される。
7月 「田山花袋全集 第18巻 復刻」を「文泉堂」が刊行、加藤武雄が「解説」する。
    (昭和49年1月にも再版される。)
10月、「大日本雄弁会講談社 現代十月特大号附録 文壇大家花形の自叙傳」に「小学教師時代」を寄稿する。
(前略)愈々(いよいよ)上京したのは、明治四十三の秋の事だった。
 併し、僕と文学の間には、生活が横はってゐた。僕は、何よりも、金を得て、故郷の家を助けなければならなかった。生活的にも背水の陣だったのである。中村君の仲介によって、新潮社の佐藤義亮
(よしすけ)氏に知らるるを得た。佐藤氏は、仕方のない朴念仁(ぼくねんじん)の、人前ではろくろく物も云へないやうな田舎青年の僕に、意外な好意を見せて下すった。その庇護の下に、僕は、それからのコオスを割合に順調に辿る事ができたのである。
 とはいへ、僕と芸術との間には常に生活が横はってゐた。壊滅したる奮い家の長男として、僕は数多くの一家眷属
(けんぞく)に、物質的支持を与ヘなければならぬ義務を負わされてゐた。僕は何よりも先づ生活の為めにたたかはなければならなかった。
 生活第一、芸術第二。―――かなしい哉、僕はこれを標語
(モットオ)として、それからの三十年を送って来なければならなかった。
 一通俗作家として老いる事は、決して僕の願ひでは無かった。事は凡
(すべ)て志(こころざし)と違ったのである。併し、七十を越えて、双親(そうしん)尚ほ堂にあり、僕は、父母の老後を安らかにし得た事だけを、せめてもの満足としようと思ふ (後半の部分をそのまま掲載
11月 「海に立つ虹」を「講談社」から刊行(38版)。
11月 創立四十年を記念して「新潮社四十年」を刊行。「思ひ出など」を寄稿する。
○この年、文芸家協会理事の一人になる。
○この年、「晴れ行く山々」を「麗日社」から刊行する
1937 12 50    
    類語類例新詞藻辞典
2月 水守亀之助と「類語類例新詞藻辞典」を刊行。「序」を寄せる。
3月、1934年以降、途絶えていた「橋浦泰雄日本画頒布会」が催され、「世話人」となる。
世話人を含む七三名の賛助員/小笠原栄治笹沼孝蔵、田上義成(以上、北海道)市谷信義(福島)、池上隆祐、長谷川如是閑、浜田道之助、新居格、細田民樹、折口信夫、小川正夫、岡村千秋、岡正雄、大間知篤三、大藤時彦、大月源二、小沢正元、熊谷辰二郎、金井満、加藤武雄、笠原千鶴、武田久吉、田中咄哉洲、高松泰三、高橋文太郎、塚原健二郎、辻誠、角田健太郎、中川一政、野村愛正、野口孝徳、倉田一郎、柳田国男、柳瀬正夢、松山文雄、江口渙、矢部友衛、藤森成吉、秋田雨雀、山口貞夫、後藤興善、桜田勝徳、佐々木幸丸、金田一京助、渋澤敬三、三角泰、白井喬二、守随一、下田芳夫、比嘉春潮、平林恒夫、森下雨村、最上孝敬、関敬吾、瀬川清子、吹田順助、末光績、杉浦健一、鈴木棠三、須山計一(以上東京)、有賀喜左衛門(神奈川)、胡桃沢勘内、矢ヶ崎栄次郎(以上、長野)、伊奈森太郎(愛知)、江馬修(岐阜)、成瀬清(京都)沢田四郎作(大阪)、吉村秀治、涌島義博(以上、鳥取)、曽田共助、須田元一郎(以上、福岡)、山口良吾、星野歳馨(以上、佐賀)、久保清(長崎
4月 「珊瑚の鞭」を「新潮社」から刊行。
6月 新興東京作品「合歓の並木」が封切。 
8月〜13年12月 「華やかな旋風」が「講談倶楽部」に連載される。
9月〜14年3月 「春雷」が「婦人倶楽部」に連載される。 
10月 新興大泉作品「呼子鳥 母の時代」封切。
10月 「八犬傳物語」を「新潮社」から刊行する。
11月 新興京都作品「呼子鳥 前篇」封切。
11月 長女葉子が舟橋快三(聖一の弟)と結婚。
1938 13 51 1月 「「新潮」の功績」を「新潮」四百号記念号に発表する。
1月〜14年5月 「曠野の火」を「富士」に連載する。
1月〜14年2月 「きらめく星座」を「日の出」に連載し大衆文壇の花形作家となる。
2月 「吹けよ春風」を「講談社」から刊行。
5月 長男恒雄が坂江千鶴子と結婚する。
7月31日 相模川に小倉橋が完成、父泰次郎夫妻・長男 恒雄夫妻と3夫妻がそろって渡り初めをする。
8月 「現代小説 街の英雄」を「婦人倶楽部 第十九巻 第十号附録 大衆作家読切小説傑作集」に発表する。
現代小説 物質以上 小林秀恒畫 菊池 寛
時代小説 焦土の上に 中 一彌畫 大仏 次郎
現代小説 名月物語 豊田耕三畫 片岡鉄兵
股旅小説 戀幕どろん 小田富彌畫 長谷川申
現代小説 山峡だより 須藤 重畫 竹田麟太郎
諧謔小説 新家庭事多し 津田 穣畫 佐々木邦
現代小説 街の永雄 嶺田 廣畫 加藤武雄
時代小説 嫁入長良川 鴨下晁湖畫 土師清二
現代小説 可愛い女 岩田専太郎畫 林芙美子
探偵小説 戦慄の時計 林 唯一畫 木下宇陀兒
西南役餘聞 高徳寺の兄弟の 斎藤五百枝畫 川口松太郎
山窩小説 川の女 富永謙太郎畫 三角寛
現代小説 戀愛以上のもの 梁川剛一畫 廣津和郎
股旅小説 月白し忠信利平 小村雪岱畫 子母沢寛 
現代小説 瀧山学校 松田文雄畫 竹田敏彦
時代小説 夏蟲行燈 富田千秋畫 吉川英治

8月 大仏次郎らと朝鮮・満州を旅行する。
9月 長男恒雄応召の知らせを受け、満州から帰国する。
10月 新興東京作品「新月の歌」封切。
11月7日 「農民文学懇話会」が発足、農相有馬頼寧との交りはじまる。
      
      農民文学懇話会の発会式     ↑加藤武雄
                         右後・丸縁眼メガネが犬田卯
1939 14 52 1月〜15年12月 「国難」を「キング」に連載する。 連載は11月からか検討要 2014・3・7
3月 新興東京作品「きらめく星座」封切。
4月13日 松竹大船メロドラマ作品「春雷」封切。
  脚本 柳井隆雄、監督 佐々木啓祐、撮影 渡辺健次、音楽 早乙女光
  出演 夏川大二郎、川崎弘子、小暮実千代、三井弘次、特別出演 田中絹代
   主題歌「春雷」は初代ミス・コロンビア、挿入歌。
   「雨のブルース」、「古き花園」を淡谷のり子が歌い大ヒットする。
6月 田山花袋「新潮文庫 妻(解説 加藤武雄)」を「新潮社」から刊行。 
1940 15 53 1月〜16年3月 「新生の歌」を「講談倶楽部」が連載する。
3月 中国旅行、応召中の長男恒雄と陣中で対面する。 対面は6月説もあり検討要 2014・3・7
8月〜16年12月 「母よ歎く勿れ」を「婦人倶楽部」が連載する。
8月 「「加藤武雄短編傑作集」(全五巻)」が「大都書房」から刊行される。
9月 文芸家協会主催・文芸銃後運動の巡回講演に参加。(久米正雄、島木健作、片岡鉄兵らと山陽・山陰の各都市へ)
12月 増産報国推進隊の集会に臨む。(丸山義二らと茨城県内原・満蒙開拓青少年義勇軍訓練所)
12月、「晴れ行く山々」が「童話春秋社」から刊行される。

目次 /山の少年 /犬獅子 /ところ / お禮に來た人 / この歡び /山上の誓 / 田舍のたより / 希望の影 /八百屋のをぢさん / ク里の人 / 轉がる石 / 俊作いづこ / 幸不幸 / 又會ふ日まで /お秀の手紙 /父 / 小さい神樣たち / 角兵衞獅子 / さすらひの旅 / 兄戀し / 子供三人犬一匹 /夜半の合唱 /トラック / 不思議な紳士と謙太カ /故クの村 / みんな揃つた! /あとの話 /
         忘備録 後日、少年倶楽部との関連を掲載予定 2017・10・29 保坂

○ この年、農民文学懇話会(会長有馬頼寧)の相談役、国防文芸聯盟の常任委員、文芸協会の名誉会員。
1941 16 54 1月 「愛国いろはかるた」が発表され、その制定に柳田国男、加藤武雄らが参画。18年8月に決定される。    「は 「ハイ」ではじまる御奉公」、「ぬ ぬぐふ汗水勤労奉仕」など
                            (発表、決定の時期再調査要 2005・6・4)

2月 新興東京作品「新生の歌」封切。
7月 「土の偉人叢書 二宮尊徳」を「新潮社」から刊行。
7月 第2回文芸家協会主催・文芸銃後運動の巡回講演に参加。
       (小島政二郎、舟橋聖一、小母沢寛、高見順らと東北地方)
7月 「愛国物語」を「新日本少年少女文庫 第3篇」に掲載。
8月 「石原文雄 太陽樹」を「文昭社」が刊行、「序」を寄せる。
10月 「国難」を「講談社」から刊行する。
10月 「新作大衆小説全集第二十巻(非凡閣版)」に「祖国」が収録される。
11月 随筆集「青草」を「道統社」から刊行する。  所蔵 国会図書館 pid/1133917
標題 ・目次 ・卷首に
重農主義者の言葉 全國農民大集會を觀る記 /O君への手紙 /農民文學小論 /民謠 /或日の日記 /ある老人の話 /日本農民の總司令官 /西郷と二宮と
身邊雜記 靖國神社招魂祭に參列の記 /陣中の子に寄する書 /陣中の子へ(再び) /陣に寄する父の歌(詩)・愚かなる母 /少年に與ふる言葉 /日本的な美しさ /結婚せる娘に與ふる書
春夏秋冬 早春 /日本の花雪 /凉味 /晩秋 /裸 /わが林泉記 /灯 /雜四題女二題
旅の日記など 滿鮮日録 /朝鮮をおもふ /平壤にて /本栖湖の記
卓上小閑 自叙傳第一頁 /小犬の記 /今昔 /風土と英雄 /わが愛讀の書 /花見の卷 /好日
12月8日 真珠湾攻撃、太平洋戦争始まる。
12月24日 文学者愛国大会。
1942 17 55 2月 小国民文化協会発会式。
2月、「幼年倶楽部 17巻2号」に「はつうま」を寄稿する。 所蔵 国会図書館 pid/1789175
2月、「少年倶楽部 29巻2号」に「大伴部博麻」を寄稿する。
所蔵 国会図書館Pid/
17589736
    
 また、同号に滑川道夫が、「少國民詩」、西村皎三が「ハワイ襲撃の荒鷲を思ふ」を寄稿する。 
2月 「新生」を「大阪錦城出版社」から刊行。
    内容(新生、甘藷縁起、島の親子、伊豆の頼朝、北ノ庄落城、石田三成、罪人、滝川左近将監、精忠二代、
     切腹物語、白鳥の行方、禁裏修築記、日本海々戦、恋の天狗)

4月 新興東京作品「母よ歎く勿れ」封切。 主演 浦辺粂子、若原雅夫、姫美谷接子。
5月、「家の光 五月号」に「連載小説 わが血わが土 第五章 日本の神」を発表する。
                             連載の終始時期調査中 2014・5・6 保坂
 
 「家の光」5月号の表紙
「わが血わが土 第五章 日本の神」より (P42 原文のまま)
 (略)(東京帝大・竹内)博士は、ここで、農事を学びつつある若き聴衆に向かって強調した。「元来農作物は、ただ、科学的の分析によって知る事のできる物質として存在するものでなく、それ自身いのちを持ってゐるものであります。それを食べるのは、いのちを頂くのであります。しかして、それ等農作物は農夫の眞ごころによってできるものでありますが、農夫一個の眞心でできるものでなく、実にこの村を負ひ、國を負うた眞ごころによって、できるものであります。」
 ここに農業といふものの精神があり、神聖な意義がある。農は神の直参といふが、その神こそは、宇宙の大生命にして、萬人萬物のいのちの本源なる日本の神である。さうだ、さうだ! 三次は心の中に馨をあげてうなづいた。
(略
6月18日 日比谷公会堂で日本文学報国会発会式。 
月、「少年倶楽部 29巻7号」に「蒲生君平の歌」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758741   
   また、同号に、滑川道夫の「入選少國民詩」が掲載される。 内容確認要 2017・10・30 保坂
7月20日、「八木重吉詩集」を、加藤武雄、草野心平、佐藤惣之助、三ッ村繁蔵、山本和夫、八木とみ子が編纂(代表 八木とみ子)、「山雅房」から刊行される。 
8月、「少年倶楽部 29巻8号」に「吉田松陰の歌」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758742
    また、同号に、滑川道夫の「入選少國民詩」が掲載される。 内容確認要 2017・10・30 保坂
11月 第1回、大東亜文学者大会が東京で開かれる。
   1日目 第1議題 「大東亜精神の樹立」
         第2議題 「大東亜精神の強化普及」
    2日目 第1議題 「文学を通じての思想文化の融合方法」
                加藤武雄、「大東亜における小国民教化の方策」を提案する。
         第2議題 「文学を通じての大東亜戦争完遂についての方法」

  資料 大会の運営をめぐりこんな意見がでた。日本語に通訳をつけないという無理な会の運営方法に対して一部の
     人々の間から批判の声が出た(らしい)。それは加藤武雄の「
出来るなら日本代表にも支那語の通訳をつけ
     て、こっちの言う事を即座にむこうにわからせるようにしたかった。
」という言葉からも推測がつく。「大陸文化
     人の不平」もそこから生まれた。 
                       
「近代文学の傷痕 旧植民地文学論 尾崎秀樹」  1991.6 岩波書店  P17から引用
11月 文芸報国運動第七班に加わり、川路柳虹、円地文子らと南九州を巡回講演する。
12月 「国民文学の構想(他の五氏と共著)」を「聖紀書房」から刊行する。
1943 18 56 1月、「少年倶楽部 30巻1号」に「饒河の少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758747
2月 ボルネオ方面から長男恒雄帰還、除隊する。
2月、「少年倶楽部 30巻2号」に「饒河の少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758748
3月20日 書生をしていた李無影が「青瓦の家」で「第4回・朝鮮芸術賞」を受賞する。

3月、「少年倶楽部 30巻3号」に「饒河の少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758749
4月、「少年倶楽部 30巻4号」に「饒河の少年隊」を寄稿する。
所蔵 国会図書館Pid/1758750
4月、「少女と教養」を「淡海堂出版」から刊行する。
早春 善行
和顏愛語 百日紅
春の花 海外の友への手紙
自然を愛する心 新年
心の美しさ 二十五年前のフランス思ひ出の國ポーランド
美と贅澤 天皇陛下萬歳
さくら
支那の娘さんたち 叱らない母
木の花草の花 大陸の子たち
水原にて 日本の女性
そこばくの言葉 初夏の感想
一本の鉛筆 松蝉
神皇正統記の言葉 結婚について
旅先から       
    収録内容未確認のため再調査要 2015・10・6→確認済2015・10・22  保坂記
月、「少年倶楽部 30巻5号」に「饒河の少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758751
5月 登呂遺跡発見。

6月、「少年倶楽部 30巻6号」に「饒河の少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758752 
月、「少年倶楽部 30巻7号」に「饒河の少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758753  
8月、「少年倶楽部 30巻8号」に「饒河の少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758754
9月、「少年倶楽部 30巻9号」に「饒河の饒少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758755 
10月、「少年倶楽部 30巻10号」に「饒河の饒少年隊」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758756 
○この年、加藤武雄が「新潮社」を退社する。
1944 19 57 2月 「饒河の少年隊」が「偕成社」から刊行される。
目次 /赤城のふもと / をぢさんの話 /先發隊 /通信 / 仙太の手紙 /祖母の夢 /戰ひのあと /銃 / 朝の合唱 / 到着 / 河をへだてて /日本男子 / 伐採 / からだの中の火 /鷲男の死 / 匪賊退治 / 死なない命 /春 /父の日母の日 /日輪兵舍 /
               忘備録 後日、少年倶楽部との関連を掲載予定 2017・10・29 保坂
6月 大都市からの学童疎開が決定される。
9月 長男恒雄が再び応召される。
9月 「清水冠者義高」を「紀元社」から刊行する。
巻末に

(作成中)

1945 20 58 2月 恒雄ふたたび応召。
7月 「少年倶楽部 32巻7号に「太平記のお話・青葉かをる桜井の宿」を寄稿する。

少年倶楽部7月号
参考 「青葉かをる桜井の宿」
(前略)「獅子は子を生んで三日たつと、数千丈の崖から下に投げおとす。その子にまこと獅子の気性があれば、はねかへって死なぬといふ。ましておまへはもう十一歳にもなったのだから、父のいふことをよく聞きわけて、必ず守りぬいてくれよ。こんどの合戦は、天下分けめの戦である。この世でおまへを見ることも、これが最後であらう。父が討死したならば、天下はかならず将軍(尊氏)の代とならうが、わづかの命をしのんで、多年の忠義を忘れ、夢にもこれに降参するやうなことがあってはならない。手の者一人でも残ってゐるかぎりは、命をかけて忠義をつくし、朝敵をほろぼしたてまつれ、父の志をつらぬくことが、おまへの第一の孝行である。おまへを故郷へかへすのも、そのためなのだ。」
 正行はこの訓を守って、父正成公なきあと、りっぱに忠孝を全うしたのです。
「太平記」は、この時代のことをくはしく書きつづった軍記物語で、天子様をお守りして働いた人々の忠誠をたたへ、勤皇の道を明らかにして、今なほ私どもの血汐をわきたたせますが、中でも楠公父子(なんこうふし)のたふとい精神はくりかへし読めば読むほど、強く、深く胸にせまってまゐります
5月に妻を相模川の塩民橋のほとりに疎開させ、7月三沢村中沢の普門寺に移し、自身もしばしば帰省する。
8月 広島・長崎に原子爆弾投下される。15日天皇「終戦」の詔勅放送。
11月 妻、成城の自宅に帰る。
1946 21 59 1月、「少年倶楽部 33巻1号」に「少年諸君へ」を寄稿する。所蔵 国会図書館Pid/1758779     
2月 新潮社佐藤義亮社長が引退 
4月 「コント倶楽部」第二十四号に「酸漿」を寄稿する。
5月 新潮社創立五十周年
6月 中村武羅夫が新潮社を退社。

7月 コント集「襖の文字」を「文学社」から刊行、「銀貨」を所収。
 
 襖の文字
 発行日 昭和21年7月
 発行者 学生社
 第一部
花つくり 馬車の上
饗應 牧歌
夢の話
東華堂の死 怪談
鳥の歌 親切
銀貨 青春
偶像 襖の文字
手紙
 第二部
二つの世界 人形
接吻 卓上
童謡 子守唄
ジャスミン
9月 「細田源吉 風流随筆」を「風流堂」が刊行、「猫じゃらし」を寄稿。
 
 相模原市相原 当麻田開田記念碑
 
 題字元農林大臣有馬頼寧
「開田記念」の碑文
 
           開田記念     
 太平ヲ萬世ニ開キ世界ノ平和ニ先駆スルトイフ我ガ民族ノ大使命ヲ前ニシテ我等
 農ハ国本ナリトノ古ノ帝ノ詔ヲ想起シ平和ヲ以テ貴シト為ストノ我ガ国最初ノ憲法
 第一條ヲ想起スル蓋シ人間ノ尤モ重ンズ可キハ食デアリ産業ノ中尤モ和ノ心ニカナフモノハ
 農デアラフ我ガ相原ノ地往昔水利ヲ隣保原宿ノ開発ニユズリテ以来郷域絶エテ
 水田ヲ見ズ村民コレヲ憾ミソノ再拓ヲ企ツルコト年アリ昭和七年十月計熟シテ着手シ
 翌八年五月力を盡シテ成就シ口碑ニ残ル當麻田の名茲に漸クソノ實ヲ得ルニ至ッタ
 コレハ必ズシモ大事業トハ云エナイガ寒熱ニ忍ビ障碍ヲ凌ギ千辛挫ケズ萬苦屈セズ
 同志三十有三名終始一和協力克クソノ功ヲ成セルハ偏ニコレ烈々タル農民魂ノ発揮ト
 イフ可キデハ無イカ今ココニコレヲ録スルハ以テ後生ヲ勤メ励マスト共ニ兼ネテ又農業
 日本平和日本新生日本ノ首途ニ記念センガ為デアル
           昭和二十一年十一月之ヲ建ツ
                         加藤武雄誌


1947 22 60 7月 「合歓の並木」を「鎌倉文庫」から刊行。
7月20日、「月夜の笛」を「偕成社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No458−30
8月 書下ろし歴史小説「叛逆」を吐風書房から刊行。夏期大学講師の一人として秋田県下を巡回する。
8月24日、(相模原市)大沢小学校講堂に於いて、大沢青年団主催による講演を行う。
当日、加藤武雄の送迎にあたった笹野尚代志の印象。
 
八月二四日午前一〇時、歌田先生と橋本駅へ文豪加藤武雄先生をお迎えに行った。先生は軽い服装で、駅に降り立った。<リヤカーでもよかったのに、こんな大きな自動車を用意していただいて>と冗談を云われた。トラックで、お迎えに行ったわけである。/加藤先生は、豊かな顔、ゆとりある体格、文豪らしい大きな態度であった。吾々も感動してご案内し、トラックは一路郷土相模原々頭を大沢へ向かった。講演は延々とつづき、満席の聴衆の熱の高まる中の終了した。講演が終わり、しばらくの後、再び先生をトラックにお乗せして、津久井の御里に向かった。文豪の老父母は、相好をくずして、如何にも嬉しそうに門に迎えた。あたたかな家庭の雰囲気が流れていた。文豪を生んだ家庭の風格があった。夕闇せまる中を辞去したが、先生も門まで出て、手をふられた。
     昭和63年3月発行 相模原市立図書館 古文書室紀要 第11号 金井利平著 戦後混乱期における相模原農村青年の文学・芸能活動より
8月30日、「少女小説 悲しき別れ」を「偕成社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No482−6
9月、「大沢青年団文化部」が「相風 第一二号」を発行、冒頭に前月に行われた講演記録を掲載する。
10月25日、「海に立つ虹」を「ポプラ社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No483−23
11月20日、「慰めの曲」を「偕成社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No482−11
12月15日、「君よ知るや南の国」「妙義出版社」から刊行する。所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No484−45
○ このころ成城連句会の世話役となり、柳田国男らとしばしば句会を設ける。
○この年、 「小説の作り方」を「大泉書店」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 請求揮毫 PN−0450
1948 23 61  
2月、「呼子鳥」を「青踏社」から刊行。
6月15日、「小鳥は空へ」を「ロッテ出版社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No488−21
6月30日、「小鳥の歌」を「講談社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No453−67
6月25日、 「君よ知るや南の国」を「妙義出版社」から刊行 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No535−17
7月 母ヌイが85歳で逝く。
7月25日、「あらしの曙」を「偕成社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No535−13
7月25日、「矢車草」を「まひる書房」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No485−12
8月20日、「吹けよ春風」を「ポプラ社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No482−26
10月30日、「長編少女小説 神のむすめ」「東光出版社」から刊行する。所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No483−44
12月 「悩ましき春」を改版(末尾七章を削除)して「共立書房」から再刊する。
12月20日、「山路越えて」を「川崎出版社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No535−18
12月25日、「名曲ひばりの歌」を「梧桐書院」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No484−6
1949 24 62 1月25日、「南総里見八犬伝」を「偕成社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No537−30
1月25日、長編少女小説 愛のともしび」「東光出版社」から刊行する。所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No483−38
3月 第二次「文章倶楽部」3号から10号まで8回にわたり「横顔 −我が文壇生活回顧ー」を連載。
5月5日、「晴れ行く山々」を「ポプラ」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No535−15
5月13日、田山花袋歌碑除幕式が行なわれ出席する。

   田とすかれ
   畑と打れてよしきりの
   すますなりたる
   沼そかなしき

 
 群馬県館林市 尾曳稲荷神社境内
田山花袋について、こう語られた。
千葉亀雄 田山さんのあの時分は、中村さんや加藤さんは投書家ですか。
加藤武雄 僕は、田山さんに会ったことはあまりないですね。二三度しか。臨終の時に行き合わせただけで、平常はあまり出入りしなかったです。
千葉亀雄 中村さんはちょいちょい会ったんですか。
   晩年の花袋
加藤武雄 僕は投書家時代には全然知らない。一回も会ったことがない。ずっと後に新潮社の用で会ったことがあるけれども、とっつきにくい人だなと思った。何か叱られているような気がして・・・・・晩年には柳田国男さんの所で一遍会いました。その時には非常にいいお爺さんになっていました。
徳田 好々爺。
加藤武雄 好々爺だった。僕は、若い時代のことは知らない。
中村星湖 それは人によりましょうけれども、僕らからいうと、中年からしか知らないけれども、付き合いいい、親しみ易い人だった。率直な。
    
資料 「明治大正文豪研究」から「田山花袋研究」
      「新潮社」  昭和11年9月発行 より抜粋
 
   前列右より津田昭一(花袋の孫)、田山瑞穂(花袋の次男)、田山りさ(花袋の妻)、津田礼子(花袋の長女)
    田山整子(花袋の三女)、後列右より加藤武雄、中村白葉、前田晃

5月13日 中村武羅夫(享年62才)逝く。24日告別式、友人代表として弔辞を読む。
5月 随筆集「我が日我が夢」を「大衆文芸社」より刊行。
7月 「中村武羅夫君を悼む」を「新潮」に発表。
7月10日、「深山の乙女」を「大泉書店」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No486−35
8月12日 新宿中村屋で、「石川三四郎著 増補改訂 西洋社会運動史」の再版記念会が行われる。
   参集者 河合仁、荒畑寒村、新居格、加藤武雄、田中惣五郎、大宅壮一、草野心平、山崎今朝野、村松正俊等
8月20日、「春帰る日」を「東方社」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No486−55
9月 相田隆太郎と「手紙の書き方」を「大泉書店」から刊行する。
10月20日、「夕星の祈り」を「湘南書房」から刊行する。 所蔵メリーランド大学 ブランゲ文庫 整理No486−43
11月 中村白葉・木村毅と共に津久井郡根小屋小学校で講演。 
1950 25 63 11月 「長篇小説名作全集 21」を「講談社」が刊行。「呼子鳥」、「嘆く白鳥」を収録する。
昭和26年から27年?の間、教科書「新国語 総合中学1年上 発行二葉」に二宮尊徳の伝記を記した「母をいたわる」が掲載される。   ※元本未確認のため検討要  国会図書館は未収蔵(確認済) 2014・4・28 保坂
○この年、川尻小学校の校歌を作詞する。
1951 26 64 8月、「 第2回家の光文化賞に輝く 秋田県由利郡西目村訪問記 全村教育で立ちあがる村」を「家の光」の本誌特派員として取材報告を行う。
  
 家の光8月号 向かって左より前村長佐々木一郎
        中央/加藤武雄・組合長斎藤弥兵衛平

全村教育で立ちあがる村から二宮イズムより (原文のまま)
(略)鳥海山麓の水を引いて、全村の灌漑にあてるというのも、可能を疑われた大工事にちがいないが、これも見事に成就した。山麓の水源に大きな貯溜池が二十、村に各部落の第貯溜池できて、その間を通ずる水路縦横に、水利の便も完成しているという。この事についても、私はあまりくわしくきかなかったが、ふと湧(も)らされた佐々木氏の一語が、私の胸に残っている。
 「水というものは、高いところから低いところへ流れるものとばかり思っていましたが、やりようによっては、低い所から高いところへのぼって行くものですね。」

 桧のことは桧にきき、水の事は水にきいたので。書物からのみ学んだのではない。実際にぶっつかって知ったのだ。直接に天地自然から学ぶというこのゆき方は、農聖
方二宮尊徳のゆきだ。私は佐々木氏のうちに二宮尊徳を感じた。
 そういえば、西目村の村是
(そんぜ)とでも言うべきものは、教育と産業との併信、道徳と経済との調和というにあるが、これは二宮尊徳の声を大にして説いたところである。
 
道徳と経済とは二にして一、一にして二――両者の調和というよりむしろ両者の融合をはかったところに、尊徳の思想の根底があった。西目村立村(りっそん)の基盤はすなわち、二宮イズムであったと言ってもいゝ。
8月18日 佐藤義亮(享年73才)逝く。
  
11月21日 相模丘中学校の校歌を作詞する。


   早朝の春林     撮影2005.1
            撮影者 下山昭二さん
12月、寺神戸誠一が「農民文学 4号」に「農村と産児制限」を寄稿する。 Pid/1854427
1952 27 65 2月 父泰次郎が87歳で亡くなる。
2月、石原文雄が「農民文学 6号」に「農民画家ゴッホ」を寄稿する。  Pid/1854434
4月、「農民文学 7号」に「田中正造とトルストイ」を寄稿する。  Pid/1854435
   また、同号に石原文雄が「埋火」を、伊藤永之介が「警察日記 1」を寄稿する。
「日本近代文学研究所編 現代日本小説体系 第36巻」を「河出書房」が刊行。「闇入道」、「郷愁」、「鳴咽」を掲載。
11月18日、幼な友だち(八木訴平、八木儀助、金子茂一、弟の哲雄)と連立って故郷の山に遊ぶ。
      本沢の見晴らし台に  幼などち いむれてあれば 楽しくもあるか 武雄  
1953 28 66
1954 29 67 4月 「叛逆」を「東方社」から刊行。
9月、川端康成が、「新文章読本 新潮社」の中で加藤武雄について記述する。
   第十章(描写)
    加藤武雄の自然描写は別に大した特色はないとしても、田園的或いは牧歌的な気持ちで自然を描こうとしている点が珍しい。

12月 「新たけくらべ」を「東方社」から刊行。
1955 30 68 1月 「薔薇散りぬ」を「東方社」から刊行。
2月 「火の翼」を「東方社」から刊行。
3月 「日本少年少女名作全集 18」を「河出書房」が刊行。「木枯らし吹けど」、「吹けよ春風」、「海に立つ虹」を掲載。
4月 「愛染草」を「東方社」から刊行。
5月 「講談社の絵本56 日蓮上人」を「大日本雄弁会講談社」から刊行。
  
   「日蓮上人」の表紙
   講談社の絵本より

日蓮について 加藤武雄
 昔から日本に、名僧といわれ、高僧と呼ばれた人はたくさんあるが、それらの人は、たいてい身分の高い家に生まれた。そして、たいてい関西の人だった。「安房東条のせんだらが子」と、日蓮自らいっているように、日蓮は、関東安房の国に、せんだら、すなわち身分のひくい者の子として生まれた。そして、そこに日蓮の特色がある。気性のはげしい、そして、さっぱりとしたところ、日蓮はいかにも関東っ子だ。こころから民衆に親しみ、また、もっとも民衆に愛せられて日蓮には、どこか平民的な風格があるが、これは日蓮が、田舎の、身分の高くない家に生まれたことを思わせる。(略)
 しかもまた、実に無邪気な一面があり、老い至っても、子供のような純粋さを失わなかったことが、その書簡集を見ればわかる。
 私は、久しい前から、自分にとって、もっとも好ましい人物の一人に、日蓮を数えていた。
 己の信ずるところにむかって、一歩もひかずにたたかった日蓮の精神、日本の子供たちに、ぜひ、この精神を学ばせたいと思う。
     参考 講談社の絵本シリーズ 1〜135
童謡画集 35 さるかに合戦 69 くだもの画報 103 しあわせの王子
ガリバー旅行記 36 かちかち山 70 青い鳥 104 はなの小人
こども知識 37 イソップ絵話 71 オリンピック 105 養老の滝と姨捨山
浦島太郎 38 たのしい図画工作 72 大江山 106 なかよし絵話
リンカーン 39 きんのふね 73 福沢諭吉 107 ベートーベン
金太郎 40 ロビンソン漂流記 74 おかあさん 108 空とぶ木馬
動物画集 41 こがねまる 75 せむしの子馬 109 キューリー夫人
一寸法師 42 リギングストンアフリカ探検 76 フランクリン 110 ものぐさ太郎
魚ずくし 43 はちかつぎ姫 77 静御前 111 遊びの道具
10 孫悟空 44 エジソン 78 世界の動物 112 ニルスの冒険
11 おやゆび姫 45 どうぶつ絵話集 79 ゆりわか大臣 113 牛島謹爾
12 孫悟空と八戒 46 中江藤樹 80 ピノチオ 114 ガリバー旅行記(二)
13 虫のいろいろ 47 アメリカめぐり 81 白菊物語 115 山の画報
14 イソップ絵物語 48 ぶんぶく茶釜 82 小公子 116 イワンのばか
15 鳥ずくし 49 海の画報 83 源 為朝 117 海彦・山彦
16 野口英世 50 たのしいあそび 84 こじき王子 118 フランダースの犬
17 アリババ物語 51 どうぶつのくに 85 豊田佐吉 119 フォード
18 シンデレラ姫 52 牛若丸 86 白鳥の王子 120 万次郎漂流記
19 舌きりすずめ 53 おうちのどうぐ 87 コロンブス 121 アルプスの少女
20 孫悟空(火の山の巻) 54 イエスさま 88 よい子の一日 122 梵天国物語
21 かぐや姫 55 おむすびころりん 89 豊臣秀吉(上) 123 ふしぎなランプ
22 花ずくし 56 日蓮上人 90 ふしぎの国のアリス 124 源義経
23 安寿姫と逗子王丸 57 たからじま 91 豊臣秀吉(下) 125 雪の女王
24 自然界のいろいろ 58 電電為右衛門 92 紫式部 126 たのしい一年生(だい三がっき)
25 桃太郎 59 おおかみとこやぎ 93 電気のはたらき 127 きつねのさいばん
26 たのしい一年生(だい一がっき) 60 よいこの絵話 94 中将姫 128 ゲーテ
27 花さかじいさん 61 はまぐり姫 95 ジャングル・ブック 129 鶴になった王さま
28 乗物画集 62 聖徳太子 96 世界のふしぎ 130 北里柴三郎
29 一休さん 63 東京見物 97 弁慶 131 マッチ売りの少女
30 万寿姫 64 俵藤太た 98 長靴をはいた猫 132 うりこ姫
31 うかれバイオリン 65 母をたずねて 99 高峰譲吉 133 トム・ソウヤーの冒険
32 二宮金次郎 66 たのしい動物園 100 いなばの白兎 134 かわいいどうぶつ
33 たのしい一年生(だい二がっき) 67 童謡画集(2) 101 世界の乗物 135 家なき娘
34 家なき子 68 シンドバット物語 102 イソップ絵童話
5月 「喘く白鳥」を「東方社」から刊行。
11月 大衆文学代表作全集 23 加藤武雄集 木村毅集 河出書房」に「反逆、清水冠者義高」が掲載される
    月報第23号に菅原宏一著「名作‘叛逆’と加藤先生」が掲載される。
12月 「母よ歎く勿れ」を「東方社」から出版。
1956 31 69 7月 「現代日本小説大系 第三十八巻 河出書房」に「闖入道、郷愁、鳴咽」が掲載される。
9月1日 逝去 戒名は浄智院久遠冬海居士、墓は多磨霊園。
   城山町の生家の墓地にも分骨し葬る(墓石の文字は吉野秀雄筆)
資料 「加藤武雄氏(小説家)一日午後八時一分、東京都世田谷区成城七一六の自宅で脳出血のため死去。六十八歳。神奈川県出身、故中村武羅夫とともに新潮社をもりたてた。処女作「久遠の像」で売り出し大衆小説、農民小説の長編が五、六十編ある。五年前から病んで筆を絶っていたが、昭和廿三年の印税番付では第一席だった。告別式は未定」(朝日新聞)
9月 「黄昏の都合」が「東方社」から刊行される。
1957 32 2月 追悼文集「おもかげ」が故郷の「はぐさ会」から発刊される。
    吉野秀雄悼歌二首・和田伝「平家」のほか郷党十四氏の回想を収める。
3月 故郷の城山町公民館で「加藤武雄を偲ぶ会」が開催され、細田源吉・相田隆太郎・中村吉次郎・鑓田研一・長男恒雄らが回想を語る。
6月 「愛の山河」が「東方社」から刊行される。
12月 「現代日本文学全集 85 筑摩書房」に「鳴咽」が収録される。
1958 33 3月、山本和夫が「農民文学 12号」に「随筆 加藤武雄の一周年祭」を寄稿する。 Pid/7919209
1959 34
1960 35
1961 36 3月 「女の夢」が「東方社」から刊行される。
1962 37
1963 38
1964 39
1965 40
1966 41 4月9日 没後10年、故郷の山に「わが日は暗し わが夢は はるか也」と刻む文学碑が建つ。
 
 加藤武雄文学碑




加藤武雄文学碑建設委員会(五十音順)
発起人代表 木村毅・小磯武二・古賀残星・佐藤義夫・中村白葉
発起人(○印実行委員) 有馬頼義・浅原六朗・安西勝・石川達三・伊福部降彦・石原文雄・岩田専太郎・今村源三郎・伊藤整・生田花世・五十公野清一・○打田村治・江戸川乱歩・○江成利有・大仏次郎・大木惇夫・大宅壮一・小原国芳・尾張真之介・木下宇陀児・川口松太郎・勝承夫・菅原宏一・城戸四郎・○木村毅・北町一郎・○小磯武二・○古賀残星・小暮実千代・○小室五平・○佐藤義夫・佐々木みね子・佐々木茂索・斉藤佐次郎・○斉藤篤太郎・佐多芳郎・白井喬二・白鳥省吾・須賀田正雄・住井すゑ・鈴木松雄・相賀徹夫・○相田隆太郎・添田知道・立野信之・○武野藤介・○田野倉盛介・丹下健三・角田喜久雄・坪田譲治・戸川貞雄・富永謙太郎・○中村白葉・中河与一・中河幹子・樽崎勤・中村星湖・中山義秀・丹羽文雄・野間省一・林唯一・原久一郎・橋本球・広津和郎・人見東明・○福原麟太郎・○舟橋聖一・藤森成吉・○福田清人・星野哲次・○細田民樹・細田源吉・○丸山義二・三上秀吉・森田たま・○杢代武・望月百合子・○鑓田研一・山崎斌・山本和夫・○八木伊佐雄・○八木安太郎・湯浅克衛・吉屋信子・横溝正史・米川正雄・○和田傳・和田芳恵・和田日出吉・渡辺光平
              
城山町広報 昭和41年5月号より
1967 42
1968 43
1969 44
1970 45
1971 46
1972 47 8月11日 妻花子が82歳で逝く。
8月 「大衆文学大系 17 佐藤紅緑 中村武羅夫 加藤武雄集 講談社」に「呼小鳥」が掲載される。
  月報16(第17巻)に「樽崎勤著 中村さんと加藤さんと −二人の横顔−」と「大平陽介著 加藤先生の文章」が掲載される。 
1973 48
1974 49 3月、「福田清人 句集 麦笛」、柳田国男、福田清人、加藤武雄等(限定500部非売品)が刊行される。
○この年、相模原市立田名小学校創立100周年記念誌「あゆみ」に「異色の教職員加藤武雄先生」と題して掲載される。
1975 50
1976 51
1977 52
1978 53
1979 54
1980 55
1981 56
1982 57
1983 58
1984 59
1985 60
1986 61
1987 62
1988 63 8月4日〜7日、「加藤武雄生誕100年記念資料展」が城山町町民センタで開かれる
1989 平成元年
1990
1991
1992 11月、「愛の迷宮 アンソロジー人間の情景3 文芸春秋」に「祭の夜の出来事」が掲載される。
1993
1994
1995
1996
1997    
6月1日 若き日の加藤武雄の足跡を訪ね「山梨県立文学館見学会」を行う。文学館では4月26日から6月29日まで「ー雑誌「文章世界」を軸にー   前田晃、田山花袋、窪田空穂、加藤武雄等を特集」
6月21日、小池松次さんが「ほたる観察会参加記念/広田小学校体育館」として解説の付いた「銀貨」を再刊する。
11月1日、「加藤武雄文学愛好会」が「加藤武雄文庫 第1集」として「合掌・銀貨・郷愁」を「加藤武雄読本 −望郷と回顧−」より引用再刊する。
1998 10
1999 11
2000 12
2001 13
2002 14
2003 15
2004 16 「君よ知るや南の国」が「日本の子どもの本100選」戦前編に選ばれる。
2005 17
2006 18 7月 広島県安芸高田市にある細田民樹の生家から加藤武雄の書簡14通他が発見される。
9月 加藤武雄没後50年。
11月、保坂健次が 城山地域史研究会主催 第95回 地域の歴史こぼれ話を語る会で「もう一人の加藤武雄が見た島崎藤村
         
 〜編集主幹としての加藤武雄〜」を語る
2007 19
2008 20
2009 21
2010 22
2011 23
2012 24
2013 25 ○この年、森島啓さんが、雑誌「農民」を中心に「松原一夫「氾濫する河」論」を発表する。
2014 26
2015 27 5月、山本歩さんが、「阪神近代文学研究 第16号」に「加藤武雄「悩ましき春」 −加藤武雄の「文章世界」体験として−」を発表する。
2016 28
2017 29
2018 30
2019 2
2020 3
2021 4
2022 5
2023 6
2024 7
2025 8
2026 9
2027 10



 
  参考  「加藤武雄読本」 監修 和田傳 安西勝編 昭和57年  
      「郷愁の人 評伝 加藤武雄」 安西勝著 昭和54年
      「新潮 総目次」 昭和52年10月 八木書店 小田切進
      「加藤武雄 日本近代文学館所蔵目録一覧表」 平成9年2月2版  保坂健次編
      「新潮社90年図書総目録」 昭和61年増補版  
      「現代文学論体系 巻8」   昭和30年 河出書房 吉田精一
      「大衆文学大系17 佐藤紅緑 中村武羅夫 加藤武雄集 加藤武雄年譜(安西勝・和田芳恵共編) 講談社 昭和47年8月

 年譜づくりをすすめるなかで、加藤武雄の書籍の多さに改めて驚きました。この年譜は全く完全なものではありません。雑誌の掲載年譜や加藤武雄に関する評論など細かな研究は、むしろこれからと云った方がよいのかも知れません。文学館の建設などの考え方もありますが、先ずは、目録づくり、聞き取り、著作や関連する資料の収集(買取含)などの必要があろうかと思います。
 作業は非常な困難を強いるかも知れませんが、みんなで力を合わせやって見ませんか。そして、ひとりでも多くのみなさんに郷土が生んだ小説家加藤武雄の心象を探って戴きたい。そして「加藤武雄を語り継ぐ人」になって戴きたい、そんなふうに思います。
 没後50年を過ぎ、「加藤武雄研究」が更に進むことを祈ります。
 尚、年譜づくりでは犬田卯、和田傳、安西勝、南雲道雄、上笙一郎先生らの書籍がとても参考になりました。あらためて感謝申し上げます。

               教科書に載った加藤武雄
               もう一人の加藤武雄・小林愛川
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