津久井を走る霊随上人(六字の名号と俳句の世界)

  
   霊随上人像  模写一部修正 2010・6・6
         当麻山無量光寺所蔵

作成 2008・7・4
更新 2008・7・15
三ヶ木・若柳地区の名号塔を追加
2008・7・30
小原・与瀬・日連・青根地区を追加
2008・9・20 
田名久所・塩田地区を追加
2008・12・14 
牧野・名倉・佐野川地区を追加
2009・5・24 
海老名・厚木市域を追加
2009・11・1
山梨県上野原市井戸地域を追加
2010・1・5
藤沢市・綾瀬市・寒川地域を追加
2010・1・12
相模原市新戸地域を追加

2010・1.16・17  
座間市・相模原市磯部・藤野町を追加
2010・1・30
相模原市藤野町地域を追加
2010・2・6
藤沢市北部地域を再追加
2010・6・6
霊随上人像(模写)を追加
2010・6・9
相模原市原当麻・観心寺名号塔を追加

2011・10・10
東京都あきる野市五日市地域を追加
2011・10・23
相模原市旧津久井町前戸地域を追加
2012・4・23 
撮影1999・8・3/塩田天地社撮影2012・3・14/磯部八幡宮脇の名号塔を追加
2012・12・15
飯能市観音寺・金蓮寺地域を追加
2013・6・28
山梨県南都留郡道志村野原地域を追加
2016・11・11
藤原山正念寺に遷された名号塔を追加


      世にさかる花にも念仏まうしけり  芭蕉  
      花よ花念仏よ念仏当麻山       丈水
 
 貞享5年春、父の三十三回忌を無事に二月に済ませ芭蕉は、杜国を伴って(奈良県)吉野の世尊寺にやって来ました。境内には昔、聖徳太子お手植えと言われる「檀上桜」の花が散り始めていました。世に盛る花も今散ろうとしているのです。芭蕉は桜を哀れんでそっと手を合わせました。唐招提寺では「若葉して御目の雫ぬぐはばや」と、鑑真和尚への想いも寄せました。そこには自らのとりとめのないどうしょうもない苦しみを乗り越えた穏やかな芭蕉を垣間見ることができます。
 世尊寺は聖徳太子が創建した寺と伝えられています。太子は仏教を信仰し49もの寺院を建立したと言われています。天寿国繍張の銘文に、太子がその妻に語った言葉として「世間虚仮 唯仏是真」と記されています。「世間は虚仮(こけ)なり、唯だ仏のみ是れ真(まこと)」と、「世の中はむなしいものだ」と説かれました。そして「仏の教えのみが真なのですよ」と説いたのです。現世を否定することによって、より高い生命を求めようとする仏教の論理を聖徳太子によって日本で最初に説いたのです。
 こうした仏教の考え方は一遍にも勿論伝わりました。一遍上人語録巻上に「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」と詠んでひたすら念仏を各地に広めて行きました。また臨終の際には「一代の聖教尽き果てて南無阿弥陀仏となりはてぬ」と詠み自が書き残してきた書物の全てを焼き捨てこの世を去って行きました。残されたものは六字の声明、「南無阿弥陀仏」のただ一つだけなのです。
 
      
    世にさかる花にも念仏まうしけり  芭蕉 花よ花念仏よ 念仏当麻山  丈水

 この句碑は当麻山無量光寺の参道の両側に向き合って建立されています。そしてその正面に、焼失した大きな草葺の本堂がありました。
 芭蕉句碑には建立者の銘文がないことから、果たしてどなたが建立したか疑問を投げかけてはいますが、郷土史家座間美都治先生は研究者の立場から南謨が建てたものではないかと記しました。南謨とは無量光寺代五十二代霊随上人のことで念仏を盛んにしました。徳本上人とはまた違った書風を持ち自然石に「南無阿弥陀仏」と刻みました。上人の六字名号塔は高座郡の中ほどから旧津久井郡にかけて広く分布し俳句と共に念仏信仰を広めて行きました。もう一人の丈水は対岸の愛甲郡猿ヶ島の人で91歳でこの世を去りました。相模を代表する俳人の一人で、彼の三回忌追善供養集「遠ほととぎす」は上人(南謨)が中心となって企画しました。
 タイトルを「津久井を走る霊随上人」と記し写真におさめてみましたが、六字の名号塔や掛軸など、まだまだどこかにあろうかと・・・。霊随上人の駆け巡る行動力に兎に角脱帽です。


62 城山町向原 南無阿弥陀仏名号塔
 他阿花押 文政三

霊随上人の花押(左側)


   (右側)

 
 34 藤野町下岩 旧龍峯寺跡
 

相模原市相模湖町内の霊随上人六字名号塔


  
37 相模湖町千木良柳馬場↑            拡大図


相模原市相模湖町千木良中村
 「郷土さがみこ」  発行 1983 相模湖町教育委員会

 探していた名号塔は中村地区内の寺院跡から善勝寺に
 
移設されていました。
 
 38 旧中村地区→善勝寺境内
 


   
64 相模湖町小原 文政3年    65 相模湖町与瀬慈眼寺入口 

     
66 相模湖町阿津 正覚寺境内  67 相模湖町奥畑 旧宝寿庵跡 文政二年(参考)


  
39 相模湖町若柳  95 廿三夜塔(参考)  他阿 文政四年

                        撮影2008・10・14
  
63 相模湖町内郷 石老山入口 御堂沢  裏面「文政二年 トヤ 石工 幸右エ門」


  
68 相模湖町横橋 秋葉神社入口

  
69 相模湖町橋沢 十二天社脇

参考 相模湖町寸沢嵐(すあらし)846番地
  日神社の境内に半分に折れていた「阿弥陀仏供養塔」があったが、神社の整備の時埋めた。
  文政2年(1819)と記されているとのこと、建立者などは不明。

                              
 
36 相模湖町底沢の石仏 美女谷温泉南隣   



相模原市藤野町内の霊随上人六字名号塔

  
31 藤野町日連 杉 前他阿 花押 年号なし 32 藤野町大刀・上原下 文政9年

 
33 相模原市藤野町栃谷 沢栃谷 

     
54 相模原市藤野町栃谷 山栃谷 廿三夜塔

 
93 相模原市藤野町沢井上栃谷(墓地内) 上栃谷の集落 銀杏の木の脇に念仏堂
   撮影 樋田豊宏様
                            撮影2010・1・30
  
55 相模原市藤野町 和田 中和田橋脇

    
94 相模原市藤野町 上沢井旧道

  
相模原市藤野町 吉野奈良本 旧慶昌寺跡 (参考)

 
44 藤野町牧野・牧馬 文政3年3月 



  
42 藤野町牧野・福寿院      45 藤野町牧野・大久和 

 
48 藤野町牧野・川上          41 藤野町牧野・中尾

 
47 藤野町牧野・奥牧野 文政3年 49 藤野町名倉・葛原 文政3年(遷送前)


 
49 藤原山正念寺の境内に遷された名号塔(仮) 「文政三年 辰三月吉日」 撮影2016・11・11

  
40 藤野町名倉前畑 文政4年

 
53 藤野町落合 念仏塚    91 参考 上河原東照宮境内
                 弘化二年乙巳 上河原 女人講 
  
50 藤野町和田・橋詰・円通寺 文政2年 


  
51 藤野町鎌沢 文政2年            ↑


    
52 藤野町鎌沢登里 念仏塚 文政6年 念仏塚から見た景観 雲がかかる陣馬山

  
35 藤野町上岩上禅寺  阿弥陀堂     文政4年
 
           撮影2008・10・14
  
46 相模原市藤野町牧野小津久  90 藤野町小渕 天保三年 女講中


   
73 藤野町吉野 蚕影山  文政六年未九月


43 藤野町篠原・正沢 文政4年→文正攵四と刻字  高さ 177cm
          参考 梵字入門  綜芸舎編集部編 発行 綜芸舎 昭和48年3月第十版

種子のある名号塔

 藤野町篠原・正沢地区には珍しい梵字のついた名号塔があります。
 梵字は阿弥陀如来を表す種子(キリーク)で、津久井地方では恐らくここだけと思います。種子のある石塔は他に「光明真言塔」があり、藤野町では十三基が確認され、其のうちの五基が篠原地区で占められています。
 また造立年代では文政期のものも多いことからく、恐らくはその影響を受け霊随上人名号塔にも種子が刻まれたものと思われます。
 六基(下の写真)の石塔は篠原の集落を見下ろす一番奥の高台にあり、背後に山を抱え北向きに建てられていることから、苔が分厚く付着し文字の判読を分かりにくくしています。



89 相模原市藤野町小渕甲州道日蓮交差点脇



相模原市津久井町内の霊随上人六字名号塔



左側面
































   
   境内から見た大室山の景観


  
  61 青根長昌寺境内
   文政二乙卯年十月吉日 青根村中

56 津久井町野々宮

 
  

近くのおばあさんから聞いた話
 このお石塔は、関東大震災前までは別の所にあったが、倒れて割れてしまったのでこの場所に移した。
 お石塔のまつりのことなどを聞いたが分からないと云われた。そう云われてよく見ると石塔が三つに割れていた。





     
58 津久井町青野原井原寺脇      拡大図



102 相模原市旧津久井町前戸 前戸自治会館脇
  文政○辛巳年十一月吉祥日 干支から文政4年

  
60 相模原市津久井町三ヶ木 文政五年午壬二月吉日
  右側 一遍上人五十二代  花押

 
57 津久井湖町名手東光寺入口  59 津久井町韮尾根


77 津久井町光明寺境内 (参考)


旧相模原市内の霊随上人六字名号塔

  
17 相模原市田名 久所自治会  19 当麻山無量光寺境内
  基壇は「具所組」と刻字 文政6年

   
20 当麻山無量光寺境内 他阿 落款  21 当麻山無量光寺境内 一遍

   


 
80 当麻山 花ヶ谷戸       ↑ 一遍上人笈退の泉
 
        撮影2010・6・1      撮影2010・6・8
 
99 原当麻観心寺境内 洗浄前 92×47×29  洗浄後

  
観心寺境内の名号塔             霊随上人花押(左下)
                                撮影2011・5・13
    
18 相模原市塩田2−11さくら橋脇  崩壊を始めた名号塔(脇に崩れた破片が建てかけてありました。)
  上写真は東日本大震災によって南無阿弥陀仏の右半分と一遍上人五十二と刻字された
  箇所が崩壊。  注) 所在登録は塩田天地社となっていますが実際はさくら橋脇に移設されてありました

        撮影 1999・8・3

塩田天地社(旧地)→相模原市塩田2−11さくら橋
 
  
24 相模原市磯部225 磯部八幡宮脇       ↑名号塔はエノキの横に倒れてありました

                    撮影2012・3・14
 
宅地造成によって30メートルほど西側に移送されました。



  
25 磯部能徳寺内 文政6年 田名 四谷石神社の境内(参考)
              裏面  元治二乙丑年四月十七日

  
23 磯部1797 勝坂 庚申塚の高部に祀られています。
   基壇の下部側が埋もれているため年号刻時の有無は未確認で再調査要。


22 相模原市新戸 第二武井橋脇右岸脇
 
近所のオバサンから聞いた話
      
お祖母さんは、この石碑を徳本さんと呼んでいた。
お寺の念仏はあるけで、この前ではやっていないよ。
供養は、お盆の時に、ここで迎え火するから一緒に
お線香をあげてるよ

       採話 2010.1.11

        

    
85 相模原市新戸河原 (参考)        



座間市内の霊随上人六字名号塔


12 座間市大道り商店街 下宿 座間小学校北
                     撮影2011.4.10

一遍上人五十二代 他○欠落
 

  
2011・3.11に発生した地震の影響か?崩壊がすすむ名号塔 

 
87 座間市緑ヶ丘1ー28 嘉兵衛坂下   


86 座間市新田宿 専念寺本堂脇 

  
88 座間市四谷浄土寺       背後の樹木はタブ




厚木市内の霊随上人六字名号塔

  
76 厚木市上依知 説明文では「一遍上人三十代他阿」と記されていますが、筆跡から霊随上人の名号塔です。


  
14 厚木市寿町長福寺 15 厚木市依知山際長福寺  83 厚木市上依知瑠璃光寺(参考)


 
13 厚木市金田       霊随上人名号塔(左) 子育地蔵(中央) 徳本上人・文政元年(右)

 
82 岡津古久 吉祥寺境内 (参考)


海老名市内の霊随上人六字名号塔

  
4 上郷馬船橋際  基壇に年号・奉納者などの刻字あるが判読不明 

 
2 国分辻大欅前(実際は温故館東隣の辻 )

  
1 門沢橋浄久寺

   
5 下今泉永珊寺

  
8 勝瀬 鳳勝寺(湖底に沈んだ旧勝瀬より移設された)  移送前 「勝瀬写真帳」より 発行 昭和18年4月15日

   
6 海老名市上今泉崖 中心学園入口


  
7 海老名市柏ヶ谷下村・御岳神社




綾瀬市内の霊随上人六字名号塔


  
9 寺尾 報恩寺           境内の石仏群(参考)

  
10 早川 虚空蔵橋脇(龍洞院入口) お念仏を春のお彼岸とお盆に行っている 
                         採話 2009・1・2



藤沢市内の霊随上人六字名号塔


 
26 宮原 中原県道(東側)              ↑ 白色系双体道祖神脇

  
27藤沢市葛原神社


28 用田西用田バス停の背後


29 藤沢市亀井野雲昌寺


 
文政七年申年十一月十五日   (部分)

   
30 藤沢市獺郷東陽院              ↑

   
藤沢市遠藤3000番地先




寒川町内の霊随上人六字名号塔



16 大蔵 阿弥陀堂跡



八王子市内の霊随上人六字名号塔

  
74 八王子城址「主殿の滝」脇  75 八王子市堀之内龍生寺・阿弥陀堂
   旧地 御霊谷入口の辻      頂部が四角錘 



あきる野市内の霊随上人六字名号塔

                                 撮影2011・10・7
  
100 五日市 東町観音堂

                       撮影2011・10・7
  
101 五日市 入野 山下自治会館脇


埼玉県飯能市内の霊随上人六字名号塔
  
飯能市下畑・宮倉地区 金蓮寺の遠景、寺子屋があった。  寺門

  
103 飯能市下畑・宮倉地区 金蓮寺旧入口 104 飯能市大手町観音寺境内



山梨県上野原市内の霊随上人六字名号塔

 
79 井戸・軍刀利神社鳥居脇   軍刀利神社奥宮のカツラ


81 山梨県上野原市島田(参考)
                        撮影2013・6・28
  
105 山梨県南都留郡道志村野原(観音堂前)  左 安政二乙卯年九月吉日



横浜市泉区内の霊随上人六字名号塔

  
96 横浜市泉区上飯田町無量寺      撮影2010・2・14(霙)


    上人南無阿弥陀仏名号塔

番号 建立の場所  内 容 造立年月
海老名市門沢橋浄久寺 一遍上人五十二代 前他阿花押 59×30×27 念仏講中
光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨
(こうみょうヘんじょう じゅっぽうせかい ねんぶつしゅじょう せっしゅふしゃ)
天保4.11
海老名市国分辻大欅前(温故館東隣) 一遍上人五十二代 他阿花押 75×30×24 文政5・10
海老名市河原口宗珪寺  51代か52代か不明      所在不明  文政5.1
海老名市上郷馬船橋際 一遍上人五十二代 他阿花押 69×44×12 基壇判読困難
判読困難
海老名市下今泉永珊寺 一遍上人五十二代 他阿花押 今泉村○中 石工○○○ 92×42×12 年号不明
海老名市上今泉崖 中心学園入口 一遍上人五十二代 前他阿花押  81×48×20   文政5年2月
海老名市柏ヶ谷下村・御岳神社 ○五十二代 他阿花押 65×34×14  文政8・1
海老名市勝瀬鳳勝寺(日連から移動) 一遍上人五十二代 他阿花押 講中 86×64×22  文政2初秋
綾瀬市寺尾報恩寺 一遍上人五十二代 前他阿花押 念仏講中 寺尾村 93×45×18 文政11・1
10 綾瀬市早川竜洞院入口 虚空蔵橋脇 一遍上人五十二代 前他阿花押 70×39×9 年号なし
11 綾瀬市早川長泉寺       所在不明
12 座間市大道り商店街・下宿 座間小学校北 一遍上人五十二代 他○欠落  108×44×19 年号なし
13 厚木市金田建徳寺 一遍上人五十二代 他阿花押   110×57 文政13年 
14 厚木市寿町長福寺 一遍上人五十二代 前他阿花押 102×30×21 文政10・2
15 厚木市依知山際長福寺 一遍上人五十二代 前他阿花押  120×53×11 文政12・3
16 寒川町大蔵阿弥陀堂跡 一遍上人五十二代 前他阿花押 惣村中 大蔵村願主3名76×37×12 天保11・2
17 相模原市田名964 久所自治会館 相州田名邑久所講中 一遍上人五十二代 他阿花押110×47×22 文政8.12
18 旧地 相模原市塩田 塩田天地社
→田名・塩田2−11さくら橋脇

一遍上人五十二代 前他阿花押 念仏講中 田名村塩田
113×40×23 
文政6・2
19 相模原市当麻山内 開山 五十二世 前他阿 花押  110×38×30 年号なし
20 相模原市当麻山内 他阿 落款印 60×58×15 年号なし
21 相模原市当麻山内 一遍      85×70×7 年号なし
22 相模原市新戸 第二武井橋脇右岸脇 一遍上人五十二代 他阿花押 99×45×40  基檀部判読困難 文政5・5不明
23 相模原市磯部1797 勝坂 一遍上人五十二代 前他阿花押 村講中 82×42×32 年号なし
24 相模原市磯部225 磯部八幡宮脇 一遍上人五十二代   100×45×45 倒れ 判読困難
25 相模原市磯部能徳寺内 村講中 105×38×29 文政6未・8
26 藤沢市宮原中原県道 中原中央 一遍上人五十 欠落  58×22×15 文政8.2
27 藤沢市葛原神社 一遍上人五十二代 他阿花押 葛原講中 95×51×7 文政9・10
28 藤沢市用田西用田 一遍上人五十二代 前他阿花押 
基壇に念仏講中 世話人7名を連記 90×47×8
文政8
29 藤沢市亀井野雲昌寺 一遍上人五十二代 前他阿花押
基壇に念仏講中 世話人7名を連記 72×30×14 
文政7年
30 藤沢市獺郷東陽院 一遍上人五十二代 ○○○ 63×28×17 文政7年
31 相模原市藤野町日連・杉・峯下 一遍上人五十二代 ○他阿花押  158×80×70 年号なし
32 相模原市藤野町大刀 上原下 一遍上人五十二代  90×43×26 文政9年
33 相模原市藤野町沢井・沢栃谷 一遍上人五十二代  62×25×12   年号なし
34 相模原市藤野町下岩 旧龍峯寺跡 他阿花押  一遍上人五十二代 97×67×16 文政2年
35 相模原市藤野町上岩 浄禅寺 一遍上人五十二代 前他阿花押 95×65×35 文政4年
36 相模原市相模湖町底沢の石仏 廿三夜  南無阿弥陀仏 光明真言 
 
他阿花押 底沢講中  300×376×90
年号なし
37 相模原市相模湖町千木良柳馬場 他阿花押 一遍上人五十二代 講中 71×47×40  文政4年
38 相模原市相模湖町千木良中村
→現 善勝寺
他阿花押  一遍上人五十二代  善勝寺に移設
      
87×56×40
年号なし
39 相模原市相模湖町若柳 他阿○  講中  隣に同時期の「廿三夜」塔あり 
         78×41×32 
文政4年
40 相模原市藤野町名倉・前畑 一遍上人五十二代 他阿花押 講中 164×69×54 文政6年
41 相模原市藤野町牧野・中尾 他阿 花押      136×70×32   文政4年
42 相模原市藤野町篠原 福寿院 他阿花押 文正攵4 140×65×25 文政4年
43 相模原市藤野町篠原正沢 梵字有(キリーク)  文正攵4 177×52×40 文政4年
44 相模原市藤野町牧野・牧馬 一遍 村中  104×30×28 文政3年
45 相模原市藤野町牧野・大久和 梵字有(キリーク・サク・サ) 102×62×20 年号なし
46 相模原市藤野町牧野・小津久 一遍上人五十二代 他阿花押 107×90×35 文政5年
47 相模原市藤野町牧野・奥牧野 一遍上人五十二代 他阿花押 142×110×36  文政3年
48 相模原市藤野町牧野・川上 村中      70×60×11 文政4年
49 相模原市藤野町名倉・葛原 花押 女講中     100×68×38 文政3年
50 相模原市藤野町和田・橋詰・円通寺 一遍上人五十二代 他阿花押 100×73×28 文政2年
51 相模原市藤野町鎌沢 一遍上人五十二代 他阿花押 佐野川講中 111×87×29 文政2年
52 相模原市藤野町鎌沢登理 念仏塚 一遍上人五十二世 施主四人 62×40×22 文政6年
53 相模原市藤野町沢井・落合  念仏塚  他阿花押 澤井中 140×117×72 文政2年
54 相模原市藤野町沢井上栃谷 廿三夜 一遍上人五十二代他阿花押 惣村中 90×40×25  文政5年
55 相模原市藤野町和田 中和田橋脇 廿三夜 他阿 花押 100×55×31 文政2年
56 相模原市津久井町西野々自治会館脇 (欠落)遍上人五十(欠落) 前他阿花押  150×63×45 年号なし
57 相模原市津久井町名手東光寺 一遍上人五十二代 前他阿花押 67×28×18 文政6年
58 相模原市津久井町青野原井原寺脇 一遍上人五十二代 他阿花押 念仏講村中 175×70×38 文政2年
59 相模原市津久井町韮尾根阿弥陀堂跡 講中 ○本  136×42×21          年号なし
60 相模原市津久井町三ヶ木 一遍上人五十二代  他阿花押 113×50×28 文政5年
61 相模原市津久井町青根長昌寺境内  一遍上人五十二代  青根村中
 「名蓮社號誉上人称阿弥陀仏徳本行者」
左側面に刻字有
       380×90×47          
文政2年
62 相模原市城山町向原山王社 他阿花押 當村中   122×75×34 文政3年
63 相模原市相模湖町石老山入口御堂沢 トヤ 石工 幸右エ門 花押 増原関口講中214×97×43 文政2年
64 相模原市相模湖町小原 他阿花押  村中  120×80×50 文政3年
65 相模原市相模湖町与瀬・慈眼寺 一遍上人五十二代 前他阿花押 118×84×40 年号なし
66 相模原市相模湖町若柳・正覚寺 一遍上人五十二代 他阿花押 文正攵六  92×48×21 文政6年
67 相模原市相模湖町奥畑・宝寿庵跡 ○○ 奥畠村念仏供養  110×62×32 倒れ 文政2年
68 相模原市相模湖町横沢 秋葉神社前 他阿花押     ○中 140×66×45 文政2○
69 相模原市相模湖町橋沢 一遍上人五十二代    103×63×28 不明
70 相模原市藤野町吉野・奈良本(参考) 旧慶昌寺跡の石仏群のなかに頭部が欠損・未確認調査要
71 相模原市津久井町鳥屋諏訪神社前  施主 鳥屋村   201×96×44 文政3年
72 相模原市津久井町長竹 (参考) ○村講中        115×63×24 天保3年
73 相模原市藤野町吉野 蚕影山 他阿花押 一遍上人五十二代 84×40×23 文政6年
74 八王子市八王子城址「主殿の滝」脇 一遍上人五十二代 他阿花押 148×70×38 天保3年
75 八王子市堀之内龍生寺・阿弥陀堂 一遍上人五十二代 他阿花押 寺沢引切 念仏講中 56×27×23 文政12年
76 厚木市上依知 上依知の渡跡 一遍上人五十二代 他阿花押 120×66×8 天保3年
77 相模原市津久井町光明寺境内(参考) 文政庚寅仲秋 良辰建之 172×73×26 文政13年
78 相模湖町内郷・日神社の境内か 所在が不明となった名号(写真のみ未確認)
79 山梨県上野原市井戸・軍刀利神社鳥居脇 一遍上人五十二代 他阿花押 井戸新屋邑中 198×139×60 判読困難
80 相模原市当麻山 花ヶ谷戸       一遍 73×44×18  年号なし
81 山梨県上野原市島田(参考) 花押  100×68 文政○判読困難
82 厚木市岡津古久・吉祥寺境内(参考) 遊行正統当麻大本山 設定往生 本山五十六主 六十万人 他阿花押
基壇に21の村名と名前を蓮記 105×37×33
万延元年
83 厚木市上依知瑠璃光寺(参考) 本山五十六主 他阿 120×37×27 嘉永3年
84 相模原市田名4324 四谷石神社内
(参考)
行正統大本山 決定往生 五十六主 他阿 六十萬人
田名村・塩田・望地・堀ノ内・四○・垰端 當村世話人中
元治2年
85 相模原市新戸河原 (参考) 大本山五十六主 他阿 百万遍供養塔 52×23×17 文久2年
 86 座間市新田宿 専念寺本堂脇 一遍○○ 前他阿花押 村講中 73×53×17 上部欠損 判読困難
87 座間市緑ヶ丘1ー28 嘉兵衛坂下  一遍上人五十二代 前他阿花押 念佛講101×38×13 天保4年
88 座間市四谷浄土寺 一遍上人五十二代 前他阿花押 村講中 50×48×17 年号なし
89 相模原市藤野町小渕日蓮交差点脇 寶号塚 蓮花化生 他阿花押 ○○○○ 168×115×48 文政4年
90 相模原市藤野町小渕上小渕中央道側南脇 一遍 女講中 75×53×20  天保3年
91 相模原市上河原 東照宮内 (参考) 念仏塚 133×68×30 上河原 女人講 弘化2年
92 相模原市藤野町奈良本旧慶昌寺跡
(参考)
廿三夜 奈良本中 81×29×31
文政2年
93 相模原市藤野町沢井上栃谷 61×30×27 6人の戒名あり 未確認 年号なし
94 相模原市藤野町沢井上沢井 旧道 加藤杢兵エ門建之 92×62×23 岩があり判読困難 文政5年
95 相模原市相模湖町若柳 六字名号塔隣(参考) 廿三夜 九月廿三日  80×36×24 文政4年
96 横浜市泉区上飯田町無量寺 一遍上人五十二代 前他阿花押  61×27×6
  講中 ○○○ 基壇判読一部困難
             
天保2年
97 藤沢市遠藤3000番地先(墓地前) 遍上人五十二代 前他阿花押 76×30×20 
  
願主 基壇11名を連記
文政9年
98 藤沢市高倉旧慈眼寺墓地        所在不明
99 相模原市原当麻観心寺境内 本山 ○○  前○○花押  92×47×29.5 年号なし
100 あきる野市五日市164 東町 観音堂 一遍上人五十二代 前他阿花押 128×76×40 年号なし
101 あきる野市入野516 山下自治会館脇 一遍上人五十二代 前他阿花押 114×58×36 年号なし
102 相模原市旧津久井町前戸 前戸自治会館脇 一遍上人五十二代  他阿花押 112×64×33 文政4年
103 飯能市下畑・宮倉地区 金蓮寺旧入口 一遍上人五十二代  他阿花押 80×40×20 文政8年
104 飯能市大手町観音寺境内 一遍上人五十二代他阿花押宮倉念仏講中 三十九代智海95×73×20 年号なし
105 山梨県南都留郡道志村野原(観音堂前) 一遍上人  110×51×24 安政2年
106
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           図表NO1〜35については樋口豊宏氏が「藤沢市史研究 第16号」の中で
              ご報告されています。36以降を
加筆しました。

神奈川県旧高座郡と旧津久井郡を中心とした霊随上人名号塔と
徳本上人名号塔の分布状況
行政区域 霊髄上人名号塔他 徳本上人名号塔
藤沢市 7 2
海老名市 8 2
綾瀬市 3 1
座間市 4 0
寒川町 1 2
厚木市 4 5
相模原市 旧津久井郡 相模湖町 13 1
藤野町 26 0
津久井町 4
城山町 1 5
旧相模原市 11 13
八王子市 2 約20
あきる野市
横浜市泉区 1 0
埼玉県飯能市
山梨県上野原市
山梨県南都留郡道志村
合 計 95 55
                     調査年2008年から2010年

  
  参考
    調査の途中:上段の作者は不明、下段は霊随上人の花押がありました。
    どちらも同じ頃にできた南無阿弥陀仏名号塔ですが書体が違うようにも感じます。

     
  津久井町串川(参考)文政4年     71 津久井町鳥屋   文政3年8月
    
  津久井町青野原 井原寺脇  文政2年    藤野町佐野川下岩 旧龍峯寺跡  

   
 
 江戸道に立っている上部が
 破損した南無阿弥陀仏塔 


 
78 所在が不明の名号塔  相模湖町内郷・日神社の境内か

 平成7年3月、旧相模湖町文化財保護委員会が発行した「郷土さがみこ 第11集 古道編」の内郷の古道P48・江戸道の項に霊随上人の筆跡と思われる名号塔がありました。尚、「南無阿弥」とある部分の石塔は倒れて写真に写っていたので約90度左に回転させ修正しました。
 江戸道(原文はそのまま引用しました)
 江戸三軒茶屋を起点とし、津久井郡内の城山町・津久井町を経て、相模湖町に入る江戸道は、南無阿弥陀仏碑の立っている地点より、現在の内郷町営グランドを通り、西側階段を下る。国道412号線を横切り、阿津川へ下り鎌倉街道と合流し、川を渡り、県道奥牧野相模湖線に出る。
 鎌倉街道は更に、内郷小学校体育館の上を右に曲がり、内郷保育園の脇を下る「お側坂」を通る。このお側坂が旧道である。
    
 参考 津久井町串川 天保三 壬辰正月吉日

    
    
  霊隋上人(南謨) 俳句の世界
   
俳 句 雅号 和年号 西暦  出典の句集
初からす熊野ゝ氏子世の広き 南謨 寛政10年 1798 五柏園丈水「千代みくさ」
月更て己く を思ふかな   南謨 享和元年 1805 五柏園丈水「良夜興」
月はり切女房抱つゝ
春雨や若狭の人と通夜 
南謨
文化2年
1805
五柏園丈水「三千世くさ」
東武無量山に遊ひて 
三日の月草に潜る蛙かな 
南謨
文化2年
1805
馬来房白義「春興」
注) 東武無量山は小石川浄土宗伝通院寿経寺
華の実のもろきにも吹夜風哉 南謨 文化5年  1808 川入村正二追善 「蓮のうきは」
うたの筵に鶯も啼け 
たら葉のもとや夏経の書ところ
他阿 文化7年 1810 丈水三回忌追善「とをほとゝきす」
黄鳥を聞とゝけたり春二日 他阿 文化9年 1812 下荻野村芹江句碑建立記念「うめこよミ」
うくひすのはたけに遊ふ二月かな
笹葉の風と狂ふおとこ等
造作なく酒屋の松に名を送り
うらみつらミの撫し子か咲 
三日の月等閑に見し欅やま
すゑの徒弟の名を思ひ出す
七夕のさゝ水いはへ孕牛
さがみ他阿





他阿
文化10年





1813





秋序 白老「世美家」





あさかほにものいふ年と成にけり 南謨 文化13年 1816 秋序 蟹殿洞々「まとまうし」
木食の居こなす庵や梅白し 南謨 文政5年 四方庵ほう水追善句集「可麗野の露」
白雪とよミし芳野の春の哥 南謨 文政11年 1828 中依知村路丸居士追善俳諧摺物
柳見の笠着て通る小橋かな 南謨 天保2年 1831 呉竹亭叙来追善「月の呉竹集」
月丸しおのれく か影法師 南謨 弘化3年 1846 川入り村五雲井槐堂(かいどう)「つるおと集」
田を植える土地に生まれし果報哉
虫はただ啼くであらふに秋の声
鴫の井
松風集
 
霊隋上人について 当麻山「歴代上人過去帳」より
 「五十二代他阿上人霊随大和尚、別名南謨という。先主歿後嗣法の器第を開き、ここに唄潮上人是を三縁山大僧正の坐下に嘆く。官僧宣契和尚僧正の命令を受け、一文字席霊隋和尚を選び、唄潮上人に附して弟子たらしむ。これによって歴代の伝脈潟瓶し、職に居ること二十六年、ここに先代遊行の遺法を継ぎて四方を歴遊し、大いに法鼓を叩き、普く道俗を勧進し、専ら念仏を修勤し、遠近の村里化を慕ひ、四衆並び進んで益を蒙る。毎邑名号の石碑を建立し、法流末代に潤う。文政三辰年職を辞して地内に隠居し、天保六乙未年十二月二十九日寂す。時に歳七十一也」(原漢文)

     唄潮上人:五十代 佐倉海隣寺より天明二年に入山、文化七年五月没七十一才 
     三縁山:浄土宗鎮西派大本山増上寺
     宣契和尚:増上寺の役僧で「浄土誘蒙篇」や「孝行和讃」を著す。

  
    初からす熊野ゝ氏子世の広き
   南謨 

 寛政7年、急逝した代五十一代仙応上人の後を受けて霊隋上人が当麻山に入山しました。無量光寺は時宗のご本山ですが浄土宗寺院からの入山が多い。
 熊野のからすは、「神武天皇が東征のおり、熊野の山中で道に迷っているのを三本足のある烏(八咫烏)が現れて助けた」と云う故事に由来しています。またからすと詠んだのはこの句が五柏園丈水の八十歳の記念に出された句集「千代みくさ」の中に収められ、冒頭に「人寿八十是を神仙の始とす・・・」と記されていることからも伺えます。八十歳は神仙への初めの歳とされ長寿の始まりを意味しています。そうしたことから不老長寿の妙薬を「天台鳥薬」とも呼んで徐福伝説にもつなげることができます。熊野の氏子とは熊野の神を信仰する人々のことを云い現在、当麻宿の北側の小高い丘に関山一族が祀る熊野社があります。
 上人は恐らく、見知らぬ土地での三年間、寺の歴史や地域のことなど人々との交流を深めながら学ばれていたことでしょう。下の句を世の広きと詠んだことから、その背景に、宗祖一遍が熊野の神と出会ったことなどを連想させ、俳句全体に例え様のない安堵感を与えています。

    木食の居こなす庵や梅白し   南謨

 文政4年12月24日、俳諧の師八木ほう水が他界しました。この句はその追善句集「可麗野の露」の中に納められています。
 丁度、梅の白い花が咲く頃の句です。木食行をつまれた徳本上人も既にいません。徳本上人は文化14年11月19日、八王子から橋本瑞光寺を経由して無量光寺に来られました。その上人が宿にした庵に今満開の梅の花が咲いているのです。上人(南謨)は二人を懐かしみました。
 霊随上人は、津久井の山間の人がいなくなる一番奥の村々にまで足を運んで念仏をひろめました。今にその念仏の跡を六字の念仏塔として認めることが出来ます。大きな塔もあれば40センチほどの小さな塔もあります。その発願はひたすらの念仏か、ほう水や徳本上人への追憶を寒波に咲いた梅の白い花に例えました。
 城山町小倉宮原と云うところに徳本上人念仏塔があります。その左側面に「一遍上人五十二代 他阿花押」と刻字がされています。霊随上人は梅の花を愛でながら今は亡き徳本上人のことも懐かしんでいるのです。

取材を終えて

当麻山無量光寺 一遍像より
 霊随上人について、近年になくのめり込んでしまいました。相模国のほぼ中央を上下していたるところで名号塔を確認しました。
 倒壊しているもの、所在が分からなくなくなってしまったものなどいろいろとありました。調査の段階では厳しい忠告、温かい出迎え、そして無関心のところなど、まるで一遍上人の旅もこのようなものではなかったかと思うほどでした。ほんの序説にしか過ぎませんがここで一通りをまとめて見ました。
 最後まで分からなかった磯部225番地の名
号塔については、どれほど訪れたことか、まさか石仏群の中にころがってあったとは意外でした。
 樋田さんや小野澤さんには大変お世話になりました。あらためて感謝申し上げます。
 霊随上人名号塔に関してはまだまだどこかにあろうかと思いますが、これからは、多くの皆様のお手を、お借れしながら研究を進めて行きたいと思います。
 ある程度の区切りをつけ無量光寺に行きました。念仏塚をあらためて見、元本堂中央部の一遍上人像を背後から見ました。正面の頭上に丁度、太陽がさしかかりました。9時32分。私はありがたくてそっと手を合わせました。1月17日記す。
 

      参考   
      史料との出会い物語  座間美都治著  発行 昭和59・11・3
      相模原の歴史と文化  座間美都治著  発行 昭和50年5月 
      相模湖町文化財調査報告書 第1・2集 郷土さがみこ 1983 相模湖町教育委員会
      ふじ乃町の旧寺院 昭和63年3月 藤野町教育委員会
      藤野の石仏 藤野町教育委員会  発行昭和53年3月
      厚木市史 近世資料編(3)文化文芸 平成15年11月 厚木市教育委員会
      厚木市文化財調査報告書第十三集 野だちの石造物 初版第2刷 厚木市教育委員会
      徳本上人念仏碑 土屋豊・他阿上人名号塔 石橋照豊 
      日本文化史 家永三郎著 昭和34年12月 岩波新書 367 P51
      芭蕉読本 潁原退蔵著 昭和41年8月十刷 角川文庫 1052
      一遍上人語録  大橋俊雄校注 岩波文庫  発行 1985・5
      当麻山の歴史 座間美都治著 昭和49年9月発行 発行所 当麻山無量光寺
      津久井郡文化財石像編 津久井郡文化財調査研究会 昭和58・9発行
      ふじ乃町の野立石像群 藤野町文化財保護委員会 発行平成9年12月
      ふじ乃町の野立石像群神社と寺院追録 藤野町文化財保護委員会 発行昭和50年3月
      藤野町史研究誌 第3号 藤野町史編さん委員会 発行 1993年3月
      藤沢市史研究 藤沢市文書館編 1983・2 16号 時宗五十二代名号塔について 樋田豊宏
      飯能の石仏ーふるさとの証言者ー  飯能市教育委員会 平成6年3月再版

      相模原市・当麻の風土 
      霊随上人に関する研究と今後の課題
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