はつ子書写、道元著「傘松道詠」の世界
   −夜の汽車の暗き灯(ほ)かげにとりいでぬ亡妹(なきも)が書写(しょしゃ)傘松道詠(かさまつだうえい)

2020・2.11 作成
はじめに
 私が、この項を書こうと思ったのは、「吉野秀雄関連年譜」の昭和20年の項に「10月7日〜11月2日、秀雄、長野県平岡の中村琢二の疎開先を訪ふ。→新潟県中條の会津八一の疎開先→柏崎→さらに小池厳と共に京都・奈良→三重県賢島を旅し「夜間P川他 百首(寒蝉集)」の歌を詠む。(関連年譜)」と、記した時からだった。
 この長旅は、懐かしい人々への出会いの旅でもあったが、最愛の妻に対する「二人だけのロマンチックな思い出の旅ではなかったか。」と、感じました。
 新潟県加治川沿いに広がる堤の葉桜をわざわざ見に行ったのは一体何であったんだろうか。次の歌では、一見、あでやかさを思わせた洋傘を(かうもり)と詠ませていた不思議な光景とは。これはもう、二人の思い出に他ならない。そして、夜汽車の中で、はつ子さんが手書きをされた「傘松道詠」と云う道元禅師の歌集を取り出し詠んだのである。只、ふたりだけの静かな世界が見えてくる。
 旅上偶成   五首
 (たま)の木に組むが例(ためし)の稲架(いなはさ)を山狭小田(やまがひをだ)は杉(すぎ)の木間(このま)
 夜の汽車の暗き灯
(ほ)かげにとりいでぬ亡妹(なきも)が書写(しょしゃ)の傘松道詠(かさまつだうえい)
 加治川原中洲
(なかす)の薄(すすき)かがよへば堤桜(つつみざくら)は葉を降らすなり
        かがよう:(耀う/赫う):きらきら光って揺れる。
 をとつひの風に歪(ゆが)みし洋傘(かうもり)をけさは時雨(しぐれ)にさして旅ゆく
 旅の身は妹
(いも)を恋(こほ)しみ仏具屋に入りて購(あがな)ふ念仏の数珠(じゅず)

 秀雄は、この旅の出来事を百首の歌に寄せた。
 現在、はつ子さんが手書きされたと云う「傘松道詠」を綴ったノートのようなものが残されているかは、定かでないが無性に知りたくなった。また、出典元や「傘松道詠」そのものの存在も依然不明だが、この項では、「加藤咄堂編「 国民思想叢書. 佛教篇」  国民思想叢書刊行会 発行 S5・8・10 pid/1224146」を参考にしながら全歌を詠んでみたいと思っう。

1  寛元三(1245)年九月二十五日初雪の一尺ばかり降りける時
長月(ながつき)の紅葉(もみぢ)のうへに雪(ゆき)ふりぬ みる人誰(だれ)はことの葉のなき
    
長月(ながつき):陰暦9月の異称。
2  寶治元(1243)年相州鎌倉に在して最明寺(さいみゃうじ)道崇禪門(だうさつぜんもん)の請(こひ)によりて題詠十首
教外別傳(けうげべつでん)
あら磯の波もえよせぬ高岩に かきもつくべきのりならばこそ 
教外別伝(きょうげべつでん):仏陀の教えは,言葉によって伝達された場合もあったが,仏教の真の精髄は言葉によって表現しうるものではないので,心から心へと直接伝達されるとする考え方。すなわち,禅宗は他の宗派と異なって,仏陀の言葉では表わせない真の精神を受けているものだとする。(→不立文字)
え:
3 不立文字(ふりつもんじ)
いひ捨しその言(こと)の葉(は)の外(ほか)なれば 筆にも跡をとゞめざりけり
不立文字(ふりゅうもんじ):経論の文字によらないで,師の心から弟子の心へと,直接に悟りの内容を伝えてゆく伝法の方法で,禅宗の宗風を最も端的に表現した句。 (→教外別伝 )
いいすてる(言い捨てる・言捨てる):@ 返事は聞かなくてもいいかのように言うだけ言ってしまう。言い放つ。 A 慎重に用意せずに言う。何気なく言う。
とどめる(止める・留める・停める):@ 動いているもの、動こうとするものをとめる。抑止する。 A 滞在させておく。残しておく。
    B あとに残しておく。この世に残す。C その状態のまま残す。D (「…にとどめる」の形で)ある範囲内に限定する。
    E 気持ちを集中する。注意する。気をつける。 F 続けていたことをやめる。中止する。G とどめを刺す。
4 正法眼蔵(しゃうはふげんざふ)
波も引き風もつながぬ捨てをふね 月こそ夜半(よは)のさかりなりけり
5 涅槃妙心(ねはんめうしん)
いつもたゞ我ふるさとの花なれば いろもかはらず過ぎしはるかな
6 本来面目(ほんらいめんもく)
春は花夏ほとゝぎす秋は月 冬雪さえて冷(すゞ)しかりけり
さえて(冴える):1 寒さが厳しくなる。しんしんと冷え込む。2 くっきりと澄む。はっきりと見える。3 楽器の音などが、濁りがなく鮮明である。
          4 色が鮮やかである。顔色や表情についてもいう。5 頭の働きやからだの調子などがはっきりする。
          6 腕まえや手際などが鮮やかで優れている。7 (多く打消しの語を伴って)ぱっとしない。満足できない。
7 即心即佛(そくしんそくぶつ)
おし鳥やかもめともまた見えわかぬ 立てる波間にうき沈むかな
      ※わかぬ(分かぬ):区別ができない。
8 應無所住而生其心(おうむしょじうにしやうごしん)
水鳥の行くもかへるも跡たえて されども道はわすれざりけり
  跡を絶ゆ(あとをたゆ):1 世間をのがれる。姿を隠す。2 人の行き来や便りがとだえる。
9 父母所生身即證大覺位(ふもしよしやうしんそくしゃうだいかくゐ)
たづね入るみやまのおくのさとぞもと 我住みなれしみやこなりける
10 盡十万界眞實人體
世の中にまことの人やなかるらん かぎりも見えぬ大空の色
11 靈雲見桃花(れいうんとうく□をみる)
春風にほころびにけり桃の花 枝葉にのこるうたがひもなし
12 鏡清雲雨滴聲(きやうせいうてきせい)
聞くまゝにまた心なき身にしあらば おのれなりけり軒の玉水
13 聲つから耳にきこゆる時しあれば 我がともならんかたらひぞなき
14 牛過窓[レイ]      [レイ] →[木+靈] 変換不能
世中はまとより出る牛の尾の 引かぬにとまるこゝろばかりぞ
15 夢中説夢
本末はみないつはりのつくも髪 おもひみだるゝゆめをこそとけ
16 十二時中不虚過(むなしくすぎず)  三首
過來つる四十あまりは大空の うさきからすの道にぞありけるF
17 誰とても日影の駒は嫌はぬを 法の道うる人そすくなき
    ※嫌はぬ
18 人しれずめてし心は世の中の たゝ山賤(やまがつ)のあきのゆふくれ
 めでる(愛でる):1 美しさを味わい感動する。2 いつくしみ、愛する。かわいがる。3 感心する。ほめる。
  
山賤(やまがつ):1 山仕事を生業とする身分の低い人。きこりや杣人(そまびと)などをいった。やましず。 2 1の住む家。
19 座禅(ざぜん)
守るとも思はずながら小山田(をやまだ)の いたつらならぬ僧都(かゝし)なりけり
   ※僧都(そうず):僧官の一つ。僧綱のなかの第2位。日本では推古 32 (624) 年にこの官位が設けられ,
       のち大,少,権大,権少の4種の階級に分けられた。正五位または正四位に叙された。
20 頂に鵲(かさゝぎ)の巣(す)やつくるらん 眉(まゆ)にかゝれるさゝかにの糸
   ※ささがにの:(細蟹の・細小蟹の):蜘蛛(くも)・蜘蛛の糸・蜘蛛の網(い)の意から「くも」「いと」「いのち」などにかかる。
21 濁りなき心の水にすむ月は 波もくだけて光とぞなる
22 此心天津空にも花そなふ 三世の佛に奉らばや
    ※ばや:@ 話し手自身の希望を表す。…したいものだ。 A ある状態の実現を希望する意を表す。…であってほしい。
23 禮拝(らいはい)
冬草も見えぬ雪野
(ゆきの)のしらさぎは おのが姿に身をかくしけり
24 佛教(ぶつけう)
あなたふと七(なゝ)の佛の古言(ふるごと)を 學ふに六の道を越えけり
   ※あなたふ():
25 嬉しくも釈迦の御法にあふひ草 かけても外の道をふまめや
あふひ
かけても
ふまめ
26 詠法華経 五首
夜もすがら終日
(ひねもす)になす法の道 みな此の經の聲とこゝろと
27 (たに)の響嶺(ひ□きみね)に鳴く猿(ましら)たえ[く]に たゝ此經をとくとこそきけ
28 この經の心を得れば世中の うりかふ聲も法をとくかは
29 峯の色溪の響もみなながら 我が釈迦牟尼の聲と姿と
30 四の馬三つの車(くるま)にのらぬ人 實(まこと)の道をいかでしらまし
  
 いかでしらまし:
31 草履雜詠
とゝまらぬ日影の駒の行すゑに のりのみちうる人ぞすくなき
     ※うる(得る】:1 「え(得)る」に同じ。「うるところが多い」「承認をうる」
32 さなへとる夏のはじめの祈(いのり)には 廣瀬龍田(ひろせ たった)の祭(まつり)をぞする
33 草の廬に立ちても居ても祈ること 我より先に人をわたさむ
34 おろかなる心ひとつの行くすえを 六の道とや人のふむらん
35 草の廬にねてもさめてもまふすこと 南無釈迦牟尼佛(なむしゃあむにぶつ)あはれに玉へ
36 山深み峯にも尾にも聲たてゝ けふもくれぬと日ぐらしのなく
37 我庵は越のしらやまふゆごもり 凍も雪も雲かゝりけり 
   凍(こおり)
38 都には紅葉しぬらんおく山は 夕へも今朝もあられ降りけり
     紅葉しぬらん:紅葉狩りをしに
39 なつふゆのさかひもわかぬ越のやま 降るしらゆきもなる雷も
40 梓弓春の嵐に咲ぬらむ 峯にも尾にも花匂ひけり
  ぬらむ:「ぬらん」とも きっと…したであろう。…てしまったに違いない。
41 あし引きの山鳥の尾の長きよの やみぢへたてゝくらしけるかな
42 頼みてし昔あふしやゆふたすき あはれをかけよ麻の袖にも
ゆふたすき:古くは、万葉集の中にも歌われている神に祈るときに肩にかけるたすき。古人(いにしえびと)は身命を賭して心身ともに清らかになるために掛た。材料は自生の葛、藤、しななど麻の栽培が始まる以前からの植物。 これら自生の植物から得た繊維には霊力があり、それを身につける人を浄化し身を守ると云われる。 ゆふたすきは、経糸と緯糸が切れずに一本につながっており、はじめもおわりもなく、生命が永遠につながると例えられる。へらと棒だけで編む。織り以前の最も原初的な衣といえる。(ゆふ(木綿)たすき 大井川葛布)
  
今城塚古墳出土     群馬県箕郷町出土 所蔵:東京国立博物館
43 梓弓はるくれはつるけふの日を 引きとゝめつゝおしみもやらむ
       ※梓弓(あずさゆみ、あづさゆみ):神事などに使用される梓(アズサ)の木で作られた弓。
         古くは神事や出産などの際、魔除けに鳴らす弓(鳴弦)として使用された。甲斐国や信濃国から都に献上された。

       ※
はつる(果つる):果てる。
44 (いたづら)に過す月日はおほけれど 道をもとむる時ぞすくなき
45 草の庵夏のはじめのころもがへ すゝきすたれのかゝるはかりそ
    ※ 1 (「架かる」とも書く)物が一方から他方へまたぐように渡される。 2 ひも・縄などが物のまわりにかけ渡される。
     3 張り巡らすようにして作られる。一時的に設営される。  4 《仮小屋を作って行われたところから》興行される。上演・上映される。
46 心とて人に見すへき色ぞなき たゝ露霜のむすふのみして
   ※むすふのみして
47 いかなるか佛といひて人とはば かひ屋かもとにつらゝいにけり
    ※かもとに
    ※いにけり;去る、行ってしまう、時が過ぎる、死ぬ
  独りごと:46・47に霜露やつららが登場するかどんなふうに解釈したら良いか分からない 20202・2・10 保坂
48 心なき草木も秋は凋(しぼ)むなり 目にみたる人愁ひさらめや
  愁い・憂い(うれい):@ 悪い状態になることを予想し心配すること。不安。A 心中にいだくもの悲しい思い。憂愁。 B 災い。難儀。
49 をやみなくゆきはふりけりたにの戸に はる來にけりと鶯のなく
   おやみない(小止み無い):少しの間もやむことなく続くさま。間断ない。
50 六の道をちこちまよふともがらは わが父ぞかし我ぞかし
   ※ともがら(輩/儕):同類の人々をさしていう語。仲間。
51 (しづ)の男(を)のかきねにはるのたちしより ふる野に生ふる若葉をぞつむ
52 おほそらに心のつきをながむるも やみにまよひて色にめてけり
  愛でる(めでる):1 美しさを味わい感動する。2 いつくしみ、愛する。かわいがる。3 感心する。ほめる。 
53 はるかぜに我ことの葉のちりけるを はなの歌とや人のみるらん
54 愚なるわれはほとけにならずとも 衆生(しゅじゃう)をわたす僧(そう)の身ならん
  ※仏教用語。仏陀や菩薩をも含めた,すべての生き物の意味。また,迷いの状態にある生き物をさす。特に人間をさしていう場合が多い。
 衆生を渡す(しゅじょうをわたす):仏菩薩が一切衆生を迷いの苦界から救済して、悟りの彼岸にわたらせる。
55 やまのはのほのめくよひの月影に ひかりもうすくとぶほたるかな
 ※ほのめく仄めく):1 ほのかに見える。かすかに目にとまる。2 ほのかに香る。3 それとなく言葉や態度に表れる。4 ちらりと寄る。ちょっと顔を出す。
56 はな紅葉冬の白ゆき見しことも おもへば悔しいろにめてけり
  ※愛でる(めでる):1 美しさを味わい感動する。2 いつくしみ、愛する。かわいがる。3 感心する。ほめる。 
57 越後路より都におもむきし時木芽山(このめやま)といふ所にて
草の葉に首途
(かどで)せる身の木(こ)の目やま くもに路あるこゝちこそすれ
58 無常
朝日待つ草葉のつゆのほどなきに いそぎなたちそ野邊のあきかせ
59 世中は何にたとへん水鳥のはしふる露にやどる月かげ
   ※はしふる露に
60 建長五年中秋
また見んとおもひし時の秋だにも 
今宵のつきにねれられやはする
   ※はする

まとめ
 55番目、「やまのはのほのめくよひの月影に ひかりもうすくとぶほたるかな日中のほたるは、葉裏にいて直射日光を避けている。成虫は夜露だけを吸うぐらいの生活である。ゲンジやヘイケボタルは触角が余り発達していないのでガのように夜に集まって交尾が出来ない。そこで、オスは光を点滅させてメスを呼ぶ。そしてメスは、オスの光を見てフラッシュ光を合図にオスを呼び交尾をはじめる。これが成虫になったホタルの行動だ。「ひかりもうすく」とは七時四十五分頃か。59番目、「・・・・・・はしふる露にやどる月かげ」、水鳥の漕ぐ一瞬の水滴に、月影が映っている。どちらも、一瞬のできごとを歌にしていた。日常の生活においては、なかなか気がつかないことだと思う。
 はつ子さんが手書きした「傘松道詠」の綴りをどこからか取り出して詠んでいる吉野秀雄の心境は、いっそ、このまま静かにさせてあげたいとも思っていましたが、二人の日常の風景が「傘松道詠」の歌を通じ見えて来るように思えたからです。吉野秀雄「寒蝉集」から「傘松道詠歌集」に繋げてみました。
 「傘松道詠」は、何人かの編者を経て今に至っているようですが、何れその経緯を辿ってみたいと考えています。


加藤咄堂 編「 国民思想叢書. 佛教篇」  国民思想叢書刊行会 発行 S5・8・10 pid/1224146
  
吉野秀雄関連年譜

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