吉野秀雄著、
「金槐集
(きんかいしゅう)研究書目解題」を読む
                                2018・4・19 「吉野秀雄文庫」に書籍収蔵番号を追加する

    しょ‐もく【書目】1 書物の目録。図書目録。 2 書物の題名。書名。

 
 鶴岡 源實朝號
 
発行 昭和17年8月9日 
はじめに
 編輯後記に、こんな事が記されていました。「實朝祭は實朝顕彰の意味を濃く持ってゐる。従って、實朝祭に参列の一般民衆に實朝のことを更によく知らせ、又今後實朝のことうぃ深く研究しようとする人々に手引を與へたいといふ要望が起った。幸ひ八幡宮から、同宮發刊の「鶴岡」を、聯盟の機関紙として利用されたいといふ提言があった折なので、この際その一號を實朝祭記念號としてはどうかといふ案が出て、八幡宮の御賛成を得たのである。實朝祭に對する八幡宮の重なる御協力に對し、厚く感謝する次第である。
 この記念號は大衆向のものである。一ヶ月に充たない短時日の間に編輯しなければならならなかったものであるから、権威あるものが出来る譯はなかった。それ故に執筆者の名は大部分省いてある。責任を編輯
擔當のものがとることを明にした次第である。しかも彼れ是れ對照する暇もなかったもので、無記名ながら、各記事の間に言説の矛盾がある場合がある。これは大目に見て戴きたい。
(略)特に「源實朝關係主要文獻」を短時日に編んで下さった東京帝国大學史料編纂官相田二郎氏、「金槐集選釋」を書いて下さった米川稔氏、「金槐集研究書目解題」の筆者吉野秀雄氏、「源實朝年譜」作製の煩些な労をお取り下さった橋本敏夫氏、並に御作の轉載を許して下さった高濱虚子氏の方々に對しては厚くその御盡力を謝する次第である。(文化聯盟記念號編輯委員)と結んでありました。
 こうしたことから、相田二郎、米川稔、吉野秀雄、橋本敏夫氏四名の論文は、執筆の名を控えたため今迄、この項目に関しての名の出ることはありませんでした。吉野秀雄についても、定本とする『吉野秀雄全集』等への一切の記述がなく、年譜にも勿論記載はありませんでした。
 「鶴岡 臨時増刊号」は、発刊七十五周年が過ぎ、このままの埋もれたままは大変に忍びなく、発刊時の掟を破り、御公開をさせて戴きました。こうして御公開が出来るきっかけとなったのは、「編輯後記」のなかから、小さな文字の「吉野秀雄」を見つけ、知らせてくれた平澤君に対し、あらためて感謝申し上げる次第です。

 尚、文中、緑字は吉野秀雄の執筆をそのままに掲載致しました。
                           たん とう (擔當・担当):受け持ってその事に当たること。引き受けること。
金槐集研究書目解題 (全文)
 いかめしい題目を掲げたが、別段窮屈なことを論じようといふのではない。金槐集をまだ一度も讀んだことがないがこの際ぜひ讀んでみたい、それにはどんな本文を選びどんな註釋本によったらいいかとここにしつもんする人があると假定して、その人に對してほんの手引草としてお答へするやうな氣持で平易に書いてゆきたい。材料も自分の手元にあってこれまでに實際に讀んだものを主とし、なるべく
衒學的な博捜ぶりなどは避けたいつもりでゐる。                       衒學(げんがく):学問や知識をひけらかすこと
貞享本系
新訂金槐和歌集 増補新版 齋藤茂吉校訂 岩波文庫
 b/Y01/03178432 増補 新訂の表示なし
 b/Y01/03178441 増補 新訂の表示なし
 b/Y01/03178450 特製総革装 新訂の表示なし

金槐集の諸本については、本誌所載の座談會の記事に簡単ながら出てゐるので再び繰返さぬことにするが、そこにいふ貞享本、類従本、定家所傳本の三つの系統の本の内容を知るには、それぞれの原本は別として、いったいどんな刊本によるのがいちばん手っとり早いであらうか。先ず貞享本として第一にあげたいのは、「新訂 増補新版 齋藤茂吉校訂 岩波文庫」である。この本は、貞享本を底本とし、類従本を以て出入異同を交合し、加茂真淵が貞享本を校訂した際に書入れした評言をも合せて成ってゐる。はじめ昭和四年に發行され、昭和七年に誤植を正し、定家所傳本に據る校訂増補の項が加はって「増補新版」となった。それゆゑこの本は、本文は貞享本であるが、それを子細にみれば、類従本、定家所傳本の用までも兼ねた極めて便利なものといへる。われわれは鎌倉短歌會の會員が先年金槐集の全歌を輪講した時にもこれをテキストに使った。なほ、附録としては、いまいふ定家所傳本による増補の外に真淵の鎌倉右大臣家集中抜粋、鎌倉右大臣家集の始に記るせる詞があり、索引、解説もある。 注 アンダーラインは鎌倉短歌會の当時の活動状況を知る貴重な記述 保坂
定本金槐和歌集 半田良平訂 紅玉堂  これは貞享本を底本とし、類従本との異同を記し、真淵の評言を附してゐる。外に、索引、解説がある。
金槐和歌集 半田良平訂 改造文庫  この本は所蔵せぬが、多分前著の外に、定家所傳本が顧慮されてゐることであらう。
金槐和歌集 新譯日本文学叢書第二輯第四巻 新古今集山家集新葉集と合輯 小山龍之助擔當解説及び頭註 内外書籍株式會社内日本文學叢書刊行會  これも貞享本を底本としてゐる。その他
金槐和歌集 山家集拾遺愚草新葉集と合輯 國民文庫 等はいづれも貞享本を底本とし、そして或ひは類従本を参考としてゐるやうである。
金槐和歌集 塚本哲三校訂 山家集拾遺愚草と合輯 有明堂文庫
金槐和歌集 森敬三校註 慶文堂
類従本系
(群書類従)
鎌倉右大臣家集 佐々木信綱新訂 覆刻堂
 b/Y01/03178521 再版 覆刻叢書 第1巻  佐佐木
 類従本は、群書類従二三種の普及をみてゐる今日では、原本そのものが既に珍しいものではなくなったが、単行の本として自分の目にふれたのは大體次の通りである。
 
この本は群書類従本の假名遺等の誤を正して本文とし、巻末に真淵の鎌倉右大臣家集のはじめにしるせる詞を添へたもの。袖珍本で、明治三十七年二月十一日再版、定價弐拾五銭といふ次第、自分の最も古く讀んだ本なので特殊な愛著を覚える。
金槐和歌集 續國歌大観歌集部所収 松下大三郎編 紀元社
 b/Y01/03174783
これは類從本によってゐる。
10 金槐和歌集 国家大系第十四巻所収 小林好日校訂頭註 國民圖書株式會社 これは類從本を用ゐ、貞享本を參考としてゐる。
11 金槐和歌集 鎌倉源實朝公七百年祭協賛會  この本、数日前ある人携へ來って偶然見る事ができた。「金槐和歌集のあとに」といふ一文(項目)が添へてある。
12 金槐和歌集 日本歌學全書第八編 佐々木宏綱編 博文館  それから古いものでは、有名な「金槐和歌集 日本歌學全書第八編 佐々木宏綱編 博文館」が類従本を底本とし、貞享本を参考としてゐるといふが、私はこれを有ってゐない。
13 定家所傳本
金槐和歌集 附藤原定家所傳本金槐和歌集解説 附藤原定家所傳本金槐和歌集解説追記 岩波書店
 b/Y01/03208255 限定
 定家所傳本は昭和四年佐々木信綱氏によって發見されたもので、翌昭和五年に、「金槐和歌集 附藤原定家所傳本金槐和歌集解説 附藤原定家所傳本金槐和歌集解説追記 岩波書店」となって、原形のまま美事に再現された。私などこの本の出た時には全く狂喜して繙(ひもと)いた一人である。三百部の限定出版なので、今ははや珍本の部類に入ったかもしれぬが、入手絶対困難といふわけではなく、先頃も定價十五圓の二倍半ならないこともないと聞いた。
14 校註金槐和歌集 佐々木信綱校訂  明治書院
 b/Y01/03178595 5版 改訂 校註表示なし
 この本は、昭和二年に發行された時は、貞享本を底本として類從本を参考としたものであったが、定家所傳本發見以後の昭和六年に改訂が施され、本文は定家所傳本に則って假名を漢字に直して讀み易くし、同本の若干の缺陷は他本によって補ふといふ校訂形式に變った。定家所傳本の内容を窺ふにはこれに如くものはない。なほ、補遺として、貞享本から五十六首(中に別人の歌が二首あるので、實數五十四首)、夫木和歌抄から十五首(これは十六首あるべきなのが一首脱落し、しかもそれが佳作であることは惜しい。)新和歌集、法燈縁起、雜歌集からそれぞれ一首づつ計三首等を擧げ、定家所傳本六百六十三首、補遺七十二首、總計七百三十五首となり、實朝の詠作として今日に傳はる七百五十一首にほぼ近い數を示してゐる
  ※缺陷/欠陥(けっ かん):必要なものが欠けていること。不備・不足のあるもの。欠点。
 この本には序言として解説があり、本文には真淵評その他の頭註が加へられ、附録として、真淵の鎌倉右大臣家集の始にしるせる詞、校訂者の編纂にかかる源實朝年譜(これは専ら吾妻鏡により、公卿補任、金槐集等によって補った頗る有益なもの、本誌別稿に、これを龍肅の譯にかかる岩波文庫本吾妻鏡により書下しの形式にしたものを収めることになってゐる)、類句索引等が添へてある。本文が四號活字大で讀みいい點も特色の一つであらう。(本誌掲載の金槐和歌集鈔はこの本によったものである)
  ※龍肅(りょう すすむ):人名/大正・昭和期の歴史学者。元東京大学史料編纂所長。
15 全註金槐和歌集 川田順校註 富山房百科文庫
 b/Y01/03178423 1938・5・25 全註 表示なし
 b/Y01/03173599 1938・5・28 全註 表示あり
(右本)は、金槐集の各首について先行歌、本歌、類歌、参考歌等の一切の關係歌を註したもので、金槐集研究には必讀の好著であり、鎌倉短歌會輪講の折にもこれによって稗uされること多大であった。それから、この本には解説、序言の外に、全註の結論ともいふべき後記があり、また貞享本と類従本の異同の項があり、索引の作られてゐることも云ふまでもない。
        注 アンダーラインは鎌倉短歌會の当時の活動状況を知る貴重な記述 保坂
16 源實朝 岩波講座日本文學所収 齋藤茂吉 岩波書店
 b/Y01/03155106 
 
注 所蔵本 1943・11・10(昭18) 
   出版年 再調査要 2018・4・19 保坂
 以上が貞享本、類従本、定家所傳本三系統の諸本を何によって見たらいいかといふことのあらましであるが、なほ私の話の不備なところは、「源實朝 岩波講座日本文學所収 齋藤茂吉 岩波書店」に、よって埋合せていただきたい。が、要するに、本文としては斎藤茂吉の岩波文庫本、佐々木信綱の明治書院發行本、川田順の富山房百科文庫本の三冊位あれば、それで十分足りるのである。しかしここで一言注意しておきたいのは、私がなに本かに本とやかましくいひ立てたのは、斷じて骨董趣味的なつもりからではないといふことである。金槐集の名さへついてゐれば、どんな本でも構はぬではないかと決していひきれぬのである。三本にはそれぞれ特長があり、同時に缺點もある。その缺點を捨てその特長を採らうとするのは、もちろんわれわれの本質的な態度であらねばならない。そしてさういふよき正しき神經において、われわれが先づ知りたいのは、第一に實朝が詠じたままの歌の姿はどういふものであったかであり、第二に諸本に異同がある場合、どの本の字句が果たして藝術的表現としていちばんすぐれてゐるかである。さういふ點では、定家所傳本は唯一の古寫本であり、最も信憑すべき證本であり、われわれの要求に最もよく應へてくれる善本である。その例の二三を擧げれば、類従本に
  塔をくみ堂をつくるも人なげき懺悔にまさる功徳やはある
とある歌の第三句は、定家所傳本には「人のなげき」とあり、たった一音の「の」のありなしに過ぎないが、その効果は雲泥の相違となる。また、貞享本の
  玉くしげ箱根の海はけけれあれやふた山にかけて何かたゆたふ
は、定家所傳本には
  玉くしげ箱根のみうみけけれあれやふたくにかけてなかにたゆたふ
とあって、この方がずっとはっきりしてゐる。また、貞享本に
  ものいはぬよものけだものすらだにもあはれなるかな親の子を思ふ
とある歌の第四句は、定家所傳本には「あはれなるかなや」とあるが、この「や」の存在こそ歌詠みにとっては事重大なのである。また、類従本に
  おほきみの勅をかしこみちちははに心はわくとも人にいはめやも
とある歌は、貞享本には第三句「ちちわく」の「わく」に「はは」の傍書があるが、定家所傳本には明らかに「ちちわくに」とあり、これは拾遺集に萬葉集の歌の形を變へて「ちちわくに人はいふともおりて着むわがはたものに白き麻衣」といふ歌のあるのを踏んでできたものゆゑ、「ちちわく」に決定してよいのである。定家所傳本の價値はこんな具合であり、それは類従本の祖本であると共に、貞享本の底本たる柳榮亞槐本の祖本としても考へられ、また類従本の補遺部のいはゆる一本及印本所載歌の一本に相當するものとも見られる貴重な本であるが、しかし一面、金槐集を讀むにこの本だけあればいいかといへば、さうはいかぬのである。定家所傳本は「建歴三年十二月十八日」の奥書をもち、ここに収められた六百六十三首は全部實朝二十二歳までの作であるが、さてこの歌數は類従本の底本よりは多いが(六百六十三首中の十首は類従本の一本及印本所載歌中のもの)、貞享本の歌數七百十六首に較べると、五十三首少く、その少いところが物足りない上に、かの有名な「もののふの矢並つくろふ」の歌が入ってゐない。それに、定家所傳本自體と雖も、完全無缺といふのではなく、書損じや脱字や空白のままの句があるなどの缺陷が恐らく十數箇所あらうかと思ふ。これは他本によって補はれねばならない。貞享本は歌數も最も多く、部類立てもきっぱりしてゐるので、近来殆んどこれを底本に用ゐるならはしになってゐるが、その字句が定家所傳本によって訂正されなければならぬこと前言の通りである。類従本は重出歌などがあったり、一本及印本所載歌が部類立てに加はらなかったりして何となく不完全な感じを免れないが、しかし定家所傳本に酷似してゐる點は大いに見直す必要があらう。こんなありやうであるから、つまりは三本それぞれを比較對照し、われわれ自ら一首一首の歌について妥當最善の判斷を下さねばならない。これ、私が諸本を云々せずにはゐられない唯一の理由である。
金槐集以外
源實朝 歴代歌人研究第八巻 川田順 厚生閣
 b/Y01/03172644
 實朝の歌は、金槐集以外にもあり、座談会の記事に實朝の作の現存歌七百五十一首と數へられてゐる中から、貞享本の數實七百十六首を差引いた三十五首がこれに當り、その内譯は次の如くである。
夫木和歌抄所載 十六首 實朝作九十一首中金槐集未収歌
新和歌集所載 一首 武田祐吉が「アララギ」昭和3年12月号で報告
法燈縁起所載 一首 武田祐吉が「アララギ」昭和3年12月号で報告
雜歌集所載 一首 武田祐吉が「アララギ」昭和3年12月号で報告
吾妻鑑所載 一首 (辞世となった歌)
東撰和歌六帳所載 十首
鶴岡八幡宮所蔵傳實朝公詠草一軸 三首
六孫王神社所蔵實朝公眞蹟詠草一軸 二首
(上表)の三十五首中のめぼしい作は、座談會の記事に出てゐる。これが全歌(但し最後の一項を却缺く)を知りたい人は、「源實朝 歴代歌人研究第八巻 川田順 厚生閣」を見るがよい。
源實朝 齋藤茂吉 岩波書店
 b/Y01/03155106
また前にいった「源實朝 齋藤茂吉 岩波書店」「校註金槐和歌集 佐々木信綱校訂 明治書院」等にも半ば以上掲げられてゐる。
校註金槐和歌集 佐々木信綱校訂 明治書院
 b/Y01/03178595  5版 改訂 校註表示なし
 
新撰金槐集私鈔 齋藤茂吉 春陽堂
 b/Y01/03178568 3版 新撰 表示な
鶴岡八幡宮所蔵の詠草は、われわれの屡々實物を見てゐるものであるが、一般には「新撰金槐集私鈔 齋藤茂吉 春陽堂」の口繪寫眞として知られてゐる。六孫王神社所蔵詠草の歌は、
水のおものなべてこほれるふゆのいけはかものうきねもよがれをぞする
たのめてもこぬはうらみのまくずはらおとこそたてね露はこぼれて
の二首で、前の歌に合點がつけられ、右下に實朝の花押がある。
     よがれ(夜離れ):女のもとに男が通うのがとだえること。
   まくずはら(真葛原):葛の一面に生えている原。
     「―なびく秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野の萩の花散る」〈万・二〇九六〉
槐門遺芳 小野寺八千枝 私家本
 b/Y01/03196234
これは「槐門遺芳 小野寺八千枝 私家本」口繪寫眞によって、實朝全歌の數に私が加へておくものである。(因にこの本は、實朝及び御臺所本覺禪尼の遺跡をめぐった記録で、口繪の豊富なのが好もしい)
評釋本
金槐集評釋 小林好日 厚生閣  全歌の評釋本としては、私は「金槐集評釋 小林好日 厚生閣」一冊しか讀んでゐないが、態度が著しく主観的、気分的で感服しがたい。しかし、全釋といふものは、萬葉集でもさうであるやうに、どんな歌についても、必ず何らかの考方が出てゐて、それがたとひくだらぬ説であってもとにかく参考になるといふ點で強味のあるものである。はじめに序説があり、終りに、源實朝年譜と歌句索引が附いてゐる。
金槐和歌集通釋 松野又五郎 文祥堂
この他に、「金槐和歌集通釋 松野又五郎 文祥堂」が全部を解釋したものらしく、
金槐和歌集評釋 田中常憲 亀井支店書籍部 また、「金槐和歌集評釋 田中常憲 亀井支店書籍部」「槐和歌集詳解 二冊 飯塚朝子  六合館」などあるようだが、私はその可否を知らない。あとは、自分の座右にある抄釋本について一通り述べてみる。
槐和歌集詳解  二冊 飯塚朝子 六合館
短歌私鈔 齋藤茂吉 春陽堂
 b/Y01/03154842 1921・2・5 3版
 著者は大正五年に「短歌私鈔」を出し、大正六年にこれが補遺として「續短歌私鈔」を出し、大正八年に綜合増訂の「短歌私鈔」を出した。その増訂再版のことである。この本には、金槐集私鈔が良寛和歌集私鈔、愚庵和尚の歌と共に入ってゐるが、金槐集私鈔は後に擴大深化され、大正十五年にそれだけ獨立して単行本となった。
新撰金槐集私鈔  齋藤茂吉 春陽堂
 b/Y01/03178568 3版 新撰 表示なし
それが「新撰金槐集私鈔  齋藤茂吉 春陽堂」である。この本は「短歌私鈔」と同様に、日本歌學全書本による金槐集の中からすぐれた歌を抄出して、克明な解釋を下し、本歌と見なすべき古歌を引用し、著者一家の批評を加へたもので、熱情溢るる敬虔な著述であり、金槐集研究史上劃期的な力作であり、爾後何びとが新たに金槐集の註解を作られようとも、これを度外視することのできぬ標準の書であり、既に、一種の古典ですらもある。金槐集私鈔、源實朝雜記、補遺第一、第二、第三、賀茂真淵の言葉、正岡子規の言葉、短歌索引、事項索引等をその内容とし、もちろん私鈔そのものが根幹であるが。なほ文献の列記につては、自然科學界の方法をはじめてここに導入してゐる。(著者のこの態度は、最近の「柿本人麿」に至るまで終始一貫的である)
源實朝歌集 新釋和歌叢書第三 尾山篤二郎 紅玉堂
 b/Y01/03178601(1924・9)
 b/Y01/031148774(1926・2) 8版
 類従本により、百四十首の歌を抄し、語義、大意、小評を加へたもの、率直大膽で愛僑はあるが、間々途方もない議論も出てくる。源實朝覺書、鎌倉右大臣風流日記を附録としてゐる。
源實朝名歌評釋 和歌評釋選集の中 松村英一 非凡閣
 b/Y01/03178610
 貞享本により、類従本に參酌し、百五十七首の歌に、語譯、歌意、評を加へたもの。常識的ではあるが、それだけに初心者には讀み易いかもしれない。巻頭に、源實朝論があり、末尾に初二句索引が添へてある。
實朝一代物語 物語日本文學第二期第六巻 西行一代物語と合輯 武田祐吉 至文堂  これは表題によって感じられるやうに、吾妻鏡その他を材料として實朝の傳記を綴ったものだが、そこに鏤(ちりば)めるに實朝の歌の代表作を以てしてゐるので、これを一種の歌解書と見ても一向差支ない。年若な人はかういふものから實朝とその歌に親しんでいくのが却(かえっ)て賢明な索ではないかと私は考へてゐる。
10 實朝讀本 鑑賞短歌大系 第十八巻 良經讀本と合輯 北原白秋折口信夫編 本巻 主任穂積忠 學藝社  これは類従本及び岩波文庫本によって約三百首の歌を選び、註解と批評を加へたもので、末尾に、實朝讀本解説がある。鈔歌の多い點で便利である。
11 金槐和歌集講話 短歌講座第六巻家集講話篇所収 西下經一 改造社  實朝の精神に、非我を抱擁屈服して自我を擴大強固にしようとする熱烈なる愛の感激、偉大なるもの絶對なるものに融合し又は抱擁されて自我を尊厳にし價値づけようとする熱烈なる信の感激、幻想神秘夢幻を憧憬し、無邪気で素朴な態度で非我をあるがままの姿で是認し表現しようとする態度の三つの傾向があるとし、それぞれにすべて二十四首の例歌を擧げ、歌意、語釋、批評を施してゐる。
12 鎌倉室町名歌鑑賞 短歌講座第三巻名家鑑賞篇所収 岡野直七郎 改造社  實朝の歌十首について鑑賞の論をなしてゐる。頭註本といふもの案外親しめるものだが、それには前に掲げた新釋日本文學叢書本、國歌大系本、明治書院校註本などがよからうと思ふ。
書誌的解説
源實朝 岩波講座日本文學  齋藤茂吉 岩波書店
 b/Y01/03155106
 金槐集全般の書誌的解説としては、既に前にも二度いった「源實朝 岩波講座日本文學  齋藤茂吉 岩波書店」を最上のものと信ずる。學術的であると共に情操おのづからゆたかに流露し、讀み讀みて讀み飽かぬふしがある。歌の解釋以外は大抵の問題にふれ、視野廣濶見識高邁である。
金槐集研究 日本文學講座第十九巻所収 齋藤茂吉 新潮社  これは、書誌もあり、傳記もあり、萬葉調の歌十三首の解釋もあり、挿繪などもいくつもあるといふ風で、心親しき論文である。定家所傳本發見以前のものゆゑ、現在の議論とは異なるところもあるが、それは止むことを得ない。後に新潮文庫の一冊として単行された。
藤原定家所傳本金槐和歌集解説 同追記 佐々木信綱 岩波書店  定家所傳本の書誌的解説としては、前に述べた「藤原定家所傳本金槐和歌集解説 同追記 佐々木信綱 岩波書店」があって學界百年を益し、
日本文學辞典 巻一 新潮社
事典類としては「日本文學辞典 巻一 新潮社・國史辞典  巻三  富山房」が参考になる。前者は西下經一、後者は斉藤茂吉の執筆にかはる。
國史辞典  巻三  富山房
その他
源實朝 歴代歌人研究第八巻 川田順 厚生閣
 b/Y01/03172644
 この本は、源實朝全傳、歌人源實朝、源實朝歌鈔の三篇に分たれ、傳記、金槐集書誌、歌解に亘り、殆どあらゆる問題を取扱ひ、諸説を総括し、しかも手際なく纏められてゐる。實朝座談會等の折にも、問者がこの本の細目によって發した質問が多く、従って返答も自然これに負ふところが多かった。その位便利なものである。
将軍實朝 大塚久 高陽書院 
 b/Y01/03178639
 史書のことは、この稿には一切いはぬ筈であるが、この本最近の著作なので一言すれば、第九章に、實朝と和歌の條があり、その他にも實朝の歌を鑑賞する上に有益な示唆に富んだところが見える。
奥義抄其他と金槐集  齋藤茂吉  川田順の「源實朝」によると、前者は「アララギ」第二十五巻第四號乃至第八號に連載、後者は「國語と國文學」昭和四年十二月號登載の由、いづれも自分の蔵書にあるのだが、何分それが物置の中の蔵書なので、探し出すのに半日はかかる感じがあり、ここに再讀のいとまがない。金槐集と三代集就中拾遺集中の萬葉調歌との関係は、既に斎藤氏が「源實朝」の中に詳論してゐるところであるが、更にこれを清輔の奥儀抄、顯昭の袖中抄に及ぼしたのが、「奥義抄其他と金槐集」であったかと記憶する。これは實朝が萬葉集二十巻を手にしたのは、建保元年(建暦三年)、二十二歳の十一月二十三日が初めてであって、それ以前には、萬葉集の歌を載せた諸書から間接に萬葉調を學んだのだといふ見地に立脚してゐる。かういふ論文がある以上、うかとした空想説はできぬといふことをちょっと注意しておく。服部氏の論文は實朝の「大日の種子よりいでてさまやぎやうさまやぎやうまた尊形となる」の歌を佛教哲學専門家の立場から綿密に註解したものであった。その要點は川田氏の「源實朝」のも出てゐる。なほ、中島悦次が「かみつけのせたの赤城のからやしろやまとにいかで跡をたむけむ」の歌について一説を成したものもあったが、今雑誌の名さへ分明でない。
得功徳歌の解釋(假題)  服部如實
實朝と萬葉論 彌富破摩雄 歴史と國文學第四号第五號・第六號 それから「實朝と萬葉論 彌富破摩雄 歴史と國文學第四号第五號・第六號」は、實朝の歌はいかなる歌も萬葉調ではないといふ議論で、通説反対の風變りないき方をしてゐる。たまにはかういふのがあっても邪魔にはならぬ程、金槐集研究、萬葉集研究はどしどし進歩してゆく。

最後に金槐集に對する古来の批評の文献であるが、藤原定家の「桐火桶」「愚秘抄」の言葉は、二書共偽書説があるから(但し、當時を距たることさまで遠からぬ偽書であらうから、それが誰であるかはわからぬが、中昔に
具眼の士が一人ゐた證據(しょうこ)にはならう)、しばらく別物として、實朝の歌は賀茂真淵と正岡子規といふ二巨人によって眞に發見されたものといへるであらう。真淵は、鎌倉右大臣家集の始にしるせる詞(これが諸本に附載されてゐることは前に一々いった通りである)を始め、國歌八論餘言捨遺、評點及び短評、歌意考、にひまなび、宇比麻奈備等いろいろな著述の中で、金槐集禮讃の聲を放ってゐるが、これらは「賀茂真淵全集」(國學院編輯部)は素より、「賀茂真淵集」(古典全集)にも一部分あるし、斎藤茂吉の「新撰金歌集私鈔」、川田順の「源實朝」にも見える。正岡子規の言葉は、歌よみに與ふる書、歌話、竹里歌話、病牀譫語、某に答ふる書、あきまろに答ふ、平賀元義の歌等にあり、寧ろ真淵以上に實朝の歌を激賞し、「自己の本領屹然として山嶽と高きを争ひ日月と光を競ふ處實に畏るべく尊むべく覚えず膝を屈するの思ひ有之候」とまで斷じてゐる。これらは「子規全集」(アルスまたは改造社)、或ひは「竹里歌話」(アルス)等にはもちろん、斎藤、川田両氏の前掲書にも出で、殊に斎藤氏の分は詳細に書き抜かれてゐる。總じていへば、真淵の言葉も、子規の言葉も、「新撰金槐集私鈔」一冊あれば、心ゆくまで味はふことができる。
 實朝に關してばかりではないが、一體に子規の歌のよみに與ふる書や人々に答ふなどの歌論は、世にかくも面白いものがあるかと嘆じたくなる底のもので、かういふものを一度も讀まずに死んでしまふ人あらば、ずゐぶん氣の毒に堪へないといふのが私日頃の感想である。自分の經驗を振り返ってみると、私が實朝の歌に興味を覚えたのは、第一に、子規が歌よみに與ふる書の中で、「武士の矢並ちくろふ」や「時によりすぐれば民の」や「物いはぬよものけだものすらだにも」などを具體的に解釋し、その妙所を擧揚してゐる議論にふかく感服したかわであって次いでは「短歌私鈔」であり、金槐集そのものであった。金槐集をはじめて讀まうとする人に向って何よりも先づすすめたいのは子規の言説であり、これに動かされるか動かされないかによって、行先はきまってしまふのではないかとすら思ふ。
 金槐集の悪口をいったのは、香川景樹の「新學異見」であるが、これは夙
(つと)に子規にぶちのめされたことでもあり、抑々こんな齒牙にかける必要のない愚論を今どきどうのかうのとあげつらふやうな暇は自分には一分間でも惜しい。そこで、子規の「金塊和歌集を讀む」と題する歌、明治三十一年作一首、明治三十二年作八首を次に掲げ、自らこれを微吟しつつ、氣色爽かにこの稿を閉ぢることにしよう。

こころみに君の御歌を吟ずれば堪えずや鬼の泣く聲聞ゆ
人丸ののちの歌よみは誰かあらん征夷大将軍みなもとの實朝
おおやまのあふりの神を叱りけむ将軍の歌を讀めばかしこし
路に泣くみなし子を見て君は詠めり親も無き子の母を尋ぬると
はたちあまり八つの齢を過ぎざりし君を思へば愧
(は)ぢ死ぬわれは
世のなかに妙なる君の歌をおきてあだし歌人善き歌あらず
幾百とせ君の名苔に埋れぬそれを思へばいたましきかな嗚呼
君が歌の清き姿はまんまんとみどり湛ふる海の底の玉
鎌倉のいくさの君も惜しけれぞ金槐集の歌のぬしあはれ
具眼(ぐがん):物事の本質を見抜き、是非・真偽などを判断する見識をもっていること。「具眼の士」
歯牙(しが):1 歯と牙(きば)。また、歯。 2 言葉。口先。
あげつらう(論う): 物事の理非、可否を論じ立てる。また、ささいな非などを取り立てて大げさに言う。
                        (昭和十七年六月二十八日、日曜、艸心洞南窓下にこれを草して終日す)

 参考資料

「鶴岡
 生誕七百五十年記念 源實朝號」の目次

同号に記された「實朝祭行事」の記事
 歌碑除幕式次第 昭和17年8月9日


      撮影 2018・7・7

 実朝歌碑  鎌倉国宝館入口(向って右側) 
 山は裂け海はあせなむ世なりとも 
        君に二心わがあらめやも
 尚、本号には、実朝祭の事や、同祭日に行われた高濱虚子作による新作能「實朝」も所収され当時を知る大変貴重な資料集ではないかと考えています。本項でも、時間はかかりますが、歌碑のことなども組み入れ皆様にご紹介出来ればと考えております。それにしても、「鶴岡」が「實朝祭」と同じ日に合わせて発行されたこと、その期間が僅か一ヶ月であったことを考慮し、研究者の名を伏せたことなど「謙虚」と云う言葉が当てはまるか分かりませんが研究者としての自覚とか、研究に対する厳しさのようなものを垣間見たような気持でいます。

参考資料@
實朝座談會記事(要領筆記)
はしがき/實朝祭を催すことになり、鎌倉文化聯盟各部が協力することになった。各部の人は大部分實朝研究には素人である。實朝については僅かの智識しか持ち合せてゐないものが多かった。これでは協力するのに、不都合でもあり、不便でもあった。そこで聯盟では部内の人々に實朝に關する一般常識を注入する會合を催すことになった。かくて、六月二、三、四日と三夜連續して八幡宮社務所に有志が集まって、數ヶ條の質問事項を持ち出し、聯盟短歌部並に歴史部の方々にお話をお願ひしたのである。聯盟の人々はこれで少なからぬ利益を得た。之をこの少數の人々で壟斷することは惜しかった。しかしこれは急な催で、話をされる方々は準備をされる餘裕は殆んどなかったため、話をされた方々はこれを公表されることを好まなかった。ことに事情により要領筆記より出来なかったので、話者の名を伏せて、之を公表することの承諾を得たのである。(すべ)ての責任は要領筆者が負ふものである。




一、實朝の傳記・時代並びに資料 資料・誕生・頼朝の死・頼家・征夷大将軍・元服・結婚・和歌・平賀朝雅を誅(ころ)す・疱瘡・和田の亂・正二位・北條時政の死・陳和卿・大将・死
二、實朝の公生活と業蹟 業蹟・尊皇事蹟・住居と常務
三、實朝の私生活 武技・私生活の記録・婦人關係
四、實朝の最後 吾妻鏡・愚管抄・諸説
五、墓及死後 壽福寺・秦野の首塚・當時の墓・實朝御臺所・死後の幕府
六、性格及び人物批評の變遷 人物批評
七、肖像並に風釆及び筆蹟 肖像並に風釆・筆蹟



一、金槐集の名稱と名義
二、金槐集の諸本及び金槐集以外の現存歌 定家所傳本・貞享本・類従本・諸本の差異・その他の寫本・金槐集以外の現存歌・實朝の歌の総数
三、歌道修業 血統と環境・精神的原因・京都との関係・歌道勉強の例・獨自の歌・佛教歌・發展説・實朝と萬葉調・二十三歳以後の實朝の歌作
四、金槐集の模倣
五、藝術的價値 實朝の歌の藝術的價値・萬葉調・作歌の態度・實朝の歌人としての姿
六、和歌史上の地位 批評の變遷
七、金槐集の言葉 口語・珍しい話・佛語・誤用・すらだにも
              注 小項目以下の文面は省略しタイトルのみと致しました。 2018・4・16 保坂 
参考資料A
「苔径集」の中の実朝関連歌
昭和6年 (略)
  (からくさやぐら)
実朝唐草窟
 
葬処(はふりど)は荒田(あれだ)となりぬかりそめに供養(くやう)の塔を墓と伝へし
実朝
(さねとも)の窟(やぐら)の前の墓原(はかはら)にまだ新しき墓も立ちをり
み墓辺
(はかべ)の春は閑(しづ)けき日の溜り峰上(をのや)には松のこゑも澄みつつ
(略)
寿福寺 竝松(なみまつ)のおのづからなるこごし根の根土(ねつち)のなりに苔は古(ふ)りたり
    ※こごし(凝し):岩などがごつごつしている。
    岩が根の こごしき道を 石床(いわとこ)の 根延(ねば)へる門(かど)に 朝(あした)には 出で居て嘆き
    夕(ゆふべ)には 入り居恋ひつつ ぬばたまの 黒髪敷きて  略 (挽歌・
/万葉集 3329)
冬さぶる苔の色かも枯松葉(かれまつば)しきりにこぼれ積(つも)らむとする
天水釜
(てんすゐがま)の腐れたる水に夕映(ゆうばえ)の茜(あかね)はさむししばしのぞくを
(略)
昭和10年 (略)
秋冬歳晩雑詠 寒蝉(かんせん)のこゑおとろへて絶へしよりひさしとしおもふ昼のこほろぎ
(略)



「早梅集」の中の実朝関連歌
11年 甲州赤富士
武州御岳
松岡静雄先生五十日祭
をさな子
夏日雑詠
円覚寺
払暁蓮華
歳晩
12年 あけくれ
赤倉
伊香保
13年 病中折折
春嵐
足利
柿若葉
夏秋冬雑詠
14年 迎春
挽歌
寒埃
信濃豊丘
東山法然院
奈良万葉植物園
猿沢池
秋蝉 蝉のこゑききつつ三里に灸据うる夏の盛(さか)りのこころかなしき
水涸れし泥
(うひじ)に草の花咲きて白鷺(はくろ)の池は秋づきぬらし
実朝が山の蝉とぞ詠
(よ)みにしは法師の蝉と固く定むる
 
金槐集・秋・寒蝉鳴/吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は來にけり 
夜叉(やしゃ)の樹の黒く実熟(う)るる下蔭に山谷川のひびくさびしさ
(略)
法師の蝉
ひねもすきけばさ夜ふけの枕の耳に錯聴(さくちゃう)があり
   ※ひねもす日中。終日。
(略)
水上
妙義
磯部
深谷
落葉
村田聴泉古希賀
15年 早春
比企谷 参考 海棠の花めぐりつつきりさめの雨のを止みに傘たたみけり
籠居
閑日
梅の実
釈勝信命日
飯能
冬日雑詠
16年 榛名湖畔淹留吟
蘆湖初冬
直江津
洗硯
17年 寿福寺実朝忌
 
ひと巻きの金槐集をえにしにてわれら歳歳(としどし)に君を弔(とぶら)
けふの忌
(き)の物静けさにいきづきぬ家業崩壊に悩める我は
      ※いきづき(息▽き):1 呼吸。2 感情の高まりなどから大きく息をすること。ため息。
当時大檀那大慈寺殿正二位丞相とふ古き位牌に香(かう)焚きまつる
出立(いでたち)に己(おの)が横死(おうし)を期(ご)したりきこの一事(いちじ)にても君はいたまし
夜に入りて雪の積むらく二尺余ときみが凶
(まが)の日書(ふみ)に伝ふる
御首級(みしるし)の在所(ありか)知られぬなきがらに髪の毛副へて葬(はふ)り申しき
   副(そ)へて
おもかげはもとなはかなし寿福禅寺の老柏槇(らうびゃくしん)にさむき夕かげ
     ※もとな:わけもなく。むやみに。しきりに。
(とち)の花
帰源院
六孫王神社 さみだれは降りしきれれば神龍(しんりゅう)の池の反橋(そりばし)流れをなせり
東寺
実朝公木造
  大通寺遍照心院安置
造像の時代(ときよ)よしや降(くだ)るとも君に会ふ(の)す仰がざらめや
  ※よしや:
  ※如(の)す:(の)ような …(の)ように 
    「利根川の川瀬も知らず直渡り波に逢ふ−逢へる君かも/万葉集 3413
  ※ざらめや:〜しないことなどあろうか  〜しないはずはない
まなこふせて何をか傷
(いた)む眉骨の厳(いか)しく隆(あが)る心 (ふか)しも
  ※邃(ふか)し:どこまでも奥ふかい。深遠である。
遠く来てまみゆるわれに面伏(おもふ)せてきみが憂へば底ごもりたり
奈良博物館諸像
法隆寺
白旗宮実朝祭献花
白旗の宮の斉杜(ゆもり)に寒蝉(かんせん)のこゑ徹(とぼ)りつつ秋は来(き)にけり
暑かりし夏もすぎむと山蝉(やまぜみ)の声糸ひけば君をしぞ想ふ
濁り世をきみはなやみて
すめらぎに(まつろ)ふこころ一向(ひとむき)なりき
    すめらぎ:天皇  すめろぎ。
   ※服(まつろ)ふ:服従する。従う。
さすたけの君が祭りは近づきて金槐集にひと夜親しむ
   ※さすたけ(刺す竹の):枕詞 「さすだけの」とも 「君」「皇子(みこ)」「大宮」「舎人(とねり)」などにかかる。
    「さす」は生え伸びる意で、竹が勢いよく生長するところから、君・宮廷をたたえる意で用いたものという。

   
さすたけの 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも 万 1047
年ごとに君祭る日はおのづから法師蝉
(ほしぜみ)の声風にただよふ     
逗子行
歎異抄を誦みつつ
18年 無学祖元石塔
伎楽菩薩
東大寺三月堂
鑑真和上尊像
佐保山御陵
春夏雑詠
悼山田珠樹
19年 年頭小吟
(くりや)べに小さき一尾(いちび)の燻鮭(いぶしざけ)年のはじめとわれはたもてり
病む妻と幼き四たり率
(あども)ひていのちつくさむ年ぞ来にける
現実
東慶寺紅梅
偏界一覧亭
戸倉




吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は來にけり
実朝が山の蝉とぞ詠(よ)みにしは法師の蝉と固く定むる
さすたけの君が祭りは近づきて金槐集にひと夜親しむ  
金槐集・秋・寒蝉鳴 実朝
昭和14年 秀雄
昭和17年 秀雄

 「金槐和歌集」に関連する、吉野秀雄の歌を単純に拾い出してみました。夏の終わり頃から鳴き始めるホウシゼミ、「ツクツクホーシ・ツクツクホーシ」と鳴く蝉の声に、実朝の『吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は來にけり』と云う歌を重ねたことでしょう。『あの「山の蝉」は、きっと法師蝉に違いない、しかも「秋・寒蝉鳴」とある。』と。ジリジリと鳴くアブラゼミと違って、どこか物悲しい。吉野秀雄は実朝の歌の返歌として「実朝が山の蝉とぞ詠みにしは法師の蝉と固く定むる 」と詠みました。昭和14年のことです。また、「新訂金槐和歌集 増補新版 齋藤茂吉校訂 岩波文庫」本の解説では「われわれは鎌倉短歌會の會員が先年金槐集の全歌を輪講した時にもこれをテキストに使った。」と記述されていることから、既に「金槐和歌集」についての勉強会も行われていたことが分かります。
 こうした、「金槐和歌集」に対する吉野秀雄たちの思い入れにも拘らず、この項に関する記述は、残念ながら他に認めることはできませんでした。残された蔵書の全てを確認した訳ではありませんが、吉野家から神奈川近代文学館に寄贈されている「吉野秀雄文庫」の中には「金槐和歌集」に関する蔵書も数多く残されており、ひょっとして、その中に書き込みの跡等も残されていないか、また、そのようなことの確認の必要性はないか。このことによって吉野秀雄に対する『再評価もなされるのではないか』と、このことは、米川稔に対しても同じでいます。
 「さすたけ」は、実朝ばかりではない、吉野秀雄も米川稔にもなのです。私はそんな風に考えて、勢いよく伸びる竹の子に想いを寄せています。


参考資料
鶴岡」 臨時増刊 生誕七百五十年記念 源實朝號  昭和17年8月9日 吉野秀雄著 金槐集研究書目解題 雑誌番号8737
鶴岡」 昭和18年6月号 No14号 
雑誌番号 8737 「吉野秀雄文庫」所蔵 No864  内容未確認 2018・4・18 保坂
万葉集 日本古典文学全集2・3・4・5 小学館 昭和47・5
吉野秀雄全集 第一巻 筑摩書房 発行 昭和四十四年五月


小林秀雄編「創元」創刊号に記された吉野秀雄の歌
八木重吉の年譜

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