昭和10年12月5日発行
松岡静雄著「
多胡碑斷疑
」から吉野秀雄
「附記」
の言葉
作成 2018・6・13
吉野秀雄全集(全九巻)に、故郷の「多胡碑」に関する記述が見受けられなかったので紹介することとしました。文中から、故郷を思う吉野秀雄の気持ちを読み取っていただけましたら幸いです。
多胡碑
多胡碑記念館パンフレットより
昭和15年6月、吉野秀雄は会津八一に従って「多胡碑」のある吉井町から伊香保温泉や榛名山を訪れました。この時に作られた八一の歌は全部で十八首があり「山光集」の中に収められています。だが、その中には残念ながら「多胡」とか「古碑」とかを連想させるような直接的な表現のある歌は作られませんでした。
また、同行した吉野秀雄は、そのことに遠慮してか、(その当時は)多胡碑を連想させるような歌一切も作ろうとはしませんでした。このことの吉野の気持ちはどのようなものであったか今となっては知るよしもありません。
だが、ふるさとを思う吉野秀雄の気持ちは微塵も変わっていませんでした。
「多胡碑斷疑」は全体が14ページと云う小冊子で、その最後の13.14頁の部分に吉野秀
雄は、特別の「附記」として「多胡碑」への思いを書き添えました。昭和10年12月のことでした。
小文ではありますが、松岡静雄との関わり、そして、その後に影響を及ぼした作風の変化のことなどを思わせる、どこか気になる一文となっています。
私は上毛在郷の當時から多胡の古碑についてはいたく興味を感じてゐたので、昭和六年の鎌倉の地に移住するに際しても、その拓本を携へ來つたのであるが、時にこれを壁間
(へきかん)
に展
(なら)
べ
※
千戴
(せんざい)
の雨露を凌いだ
※
古雅
※
掬
(きく)
すべき字面
(じづら)
に見って望郷思慕の料
(かて)
とするを楽しみとしつつも、ただ碑文の解譯が従來行はれた四五の考證にてはなほ
※
隔靴掻痒
(かっかそうよう)
の感あるを遺憾とした。然るに
茲
(ここ)
に幸ひにも私が鵠沼
(くげぬま)
神楽舎講堂の湘南國語研究會の末席
を
汚しをる関係
から、昨夏ふと思ひ立ち、神楽舎翁松岡先生に親しく
※1
拓本を御覧に入れたところ、先生は即座に
※
該博
(がいはく)
なる蘊蓄
(うんちく)
を傾けられて忽
(たちま)
ち私の疑團
(ぎだん)
を一掃せられた。
私一個としては無論それにて十分なる満足を得た。しかしかかる
※
卓抜
(たくばつ)
せる見解をひとり私の
※
耳朶
(じだ)
にのみ止めおくは惜しみても餘りあることではなからうか。
※
千戴(せんざい):1 千年。長い年月。ちとせ。
※
古雅(こが):古風で優雅なこと。また、そのさま。
※
掬(きく)すべき:1 両手で水などをすくいとる。2 気持ちをくみとる。推し量って理解する。 3 手にすくいとって味わいたいと思う。
※
料(かて):
※
隔靴掻痒(かっか・そうよう):痒(かゆ)いところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。思うようにいかず、じれったいこと。
物事の核心や急所に触れず、もどかしいこと。靴を隔てて痒いところをかく意から。
※
(譯解)(やっ かい)
:
外国語の文章や古文を翻訳し,解釈すること。また,そのもの。やくかい。
※
該博(がいはく):学問・知識が広く、何にでも通じていること。
※
蘊蓄(うんちく):十分研究してたくわえた深い知識。
※
疑團(ぎだん):胸につかえている疑い。疑心のしこり
※
卓抜(たくばつ):他のものよりもはるかにすぐれること。卓絶。
※
耳朶(じだ):耳たぶ。また単に、耳。
※1
拓本
わが壁の多胡
(たご)
のいしぶみの墨摺
(すみず)
りにかなひて映えつ紅梅の枝
『寒蝉集』より
汎
(ひろ)
く郷土の
※
人士
(じんし)
にも傳へ知らしめて共に喜びを頒
(わか)
つべきではなからうか。
※
かく下思ひつつ時を經て、今夏歸クの節
、
偶々
(たまたま)
※
家父
(かふ)
の手元にあった「
※
上毛大觀
(じょうもうたいかん)
」といふを繙
(ひもと)
くに、これが最近出版のしかも
※
官撰の書であるにも拘
(かかわ)
らず、多胡の碑文の解釋に於ては舊態依然たる
※
謬見
(びゅうけん)
に煩
(わずら)
はされをるの事實を知り
、
※
かくてはならじと先生に御執筆を懇望した結果即ち本稿を賜るに至ったのである。
※
人士(じんし):地位や教育がある人。
※
かく下思ひつつ:
※
家父(かふ):自分の父
※
上毛大觀(じょうもうたいかん):昭和9年11月、群馬縣によって刊行。歴史・自然と人文・人物傳編でなる地誌。 pid/1224435
※
官撰(かんせん):政府で編集あるいは選定すること。また、その書物。
※
謬見(びゅうけん):まちがった考えや見解。
※
かくてはならじ:
扨
(さ)
て十月某日折から來鎌中の株式會社煥乎堂書店々主高橋清七氏に御目にかかり、原稿を示してこれを掲載すべき新聞雑誌の物色を諮
(はか)
ったところ、氏はかかる有益なる文獻は自ら進んで小冊子に作り普
(あまね)
く配布すべしと主張せられたので、私は煥乎堂書店が群馬縣下に於て殆どあらゆる教育機關文化施設に密接なる接觸を保つにより、從てなるべく多数の人々の一讀を乞はんとの趣旨にも頗
(すこぶ)
る便宜あるべきを思ひ、
※
欣然
(きんぜん)
としてすべてを委嘱した次第である。
古典の
※
研鑽
(けんさん)
日も是足らぬ御繁忙中の松岡先生
の御執筆に對し
※
衷心
(ちゅうしん)
より感謝し奉ると共に、今に始めぬことながら上毛精神文化啓發の熱意に基きこれが印行を御快諾下さった高橋氏に向ひ
※
深甚
(しんじん)
の敬意を表さねばならぬ。(昭和十年十月十三日鎌倉にて)
※
欣然(きんぜん):よろこぶ様子。よろこんで。
※
研鑽(けんさん):学問などを)みがき深めること。
※
衷心
(ちゅうし
ん):
まごころの奥底。
衷情。
※
深甚(しんじん):意味・気持が非常に深いこと。
注 文中のルビ・アンダーラインは筆者が書き込みました。 保坂
そして、昭和20年3月、吉野秀雄は「紅梅 二首」の歌をこの世に遺しました。
紅梅をふたたび君の給
(た)
びしかば紅梅の瓶に紅梅を挿す
わが壁の多胡
(たご)
のいしぶみの墨摺
(すみず)
りにかなひて映えつ紅梅の枝
参考
松岡静雄著「多胡碑断疑」 煥乎堂 発行 昭和10年12月5日 (非売品) pid/1259207
多胡碑・上野三碑
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