多胡碑・上野国三碑関連資料集 
                                             2018・6・6 作成
711 和銅 3月、「続日本紀」の6日の条に、を六郷を割(さ)いて別に多胡郡が置かれる。
1509 永正 10月の条に、連歌師宗長紀行文「東路の都登(つと)」に「上野国多胡郡弁官府碑文銘」を記述する。 参考 (群書類従巻三三九 所収(多胡碑))
江戸中期の頃、伊藤東涯(1736年8月23日没)が「ゆう軒小録」を著し「野州多胡碑之事」を記述する。
   
注 原本なく、 敬齋洞信之寫, 文政9 (1826)が存在している。 ※(車+酋)の合字変換不能
1720 享保 伊藤東涯が「盍簪録」を著す。
1738 元文3 並河誠所歿、71才 この頃か?、並河誠所編「擬集古録巻之四・辯官符碑圖(写)」が記述される。 pid/2533235
  参考 ー多胡碑判読の経過ー
 
駒井乗邨編「鶯宿雑記 巻137」
「多胡碑考 」
より

並河誠所編「擬集古録巻之四
   辯官符碑圖
(写)より

藤貞幹著「好古小録 乾
「上野國多胡郡碑」
より

松平定信編「集古十種 碑銘之部下」
「上野國多胡郡眞井村碑」
より
1756 宝暦 澤田東江(東郊)が『多胡郡碑面考証』を著す。
1760 宝暦10 〇この年、高橋道齋が「上毛多胡郡碑帖」を著す。
参考 上毛多胡郡碑帖  大木一冊。上毛高克明撲。寶歴十年刻。羅災不施行。翌十一年就副本復刻之内容ハ即井上蘭臺七序、拓本、高克明十一年跋、碑圖并記、澤田東郊著高克明校碑面考証并碑字考証、東郊六年跋以上。克明、氏ハ高橋、字ハ子啓、号ハ道齋、又九峰山人、通稱ハ九郎右衛門、甘楽郡下仁田ノ豪農ナリ。寛政六年二月六日歿ス。井上蘭臺ハソノ學問ノ師ナリ(市河寛齋文稿所収道齋高先生墓表参考)
                                  井上通泰著「上代歴史地理新考 東山道」参考書目より

1764 宝暦14 3月11日の条、澤田東江らが朝鮮通信使一行の帰路、最初の宿舎である品川の東海寺に押しかけ記念品を交換し詩の応酬を行う。
1775 安永 閏12月、「免園會集」に「伊勢貞丈考」が編まれる。井上通泰著「上代歴史地理新考 東山道」参考書目より
1786 天明 5月6日、国学者、奈佐勝皐が「多胡碑」を訪ねる。 「山吹日記」より
1795 寛政 藤貞幹が「好古小録 金石書画 乾」を刊行、「上野國多胡郡碑」を所収する pid/2538785   閲覧可能
1800 寛政12 松平定信編「集古十種 碑銘之部 下」に「上野國多胡郡眞井村碑」が所収される。 pid/849528 閲覧可能
1843 天保14 10月、駒井乗邨編「鶯宿雑記 巻137」に「多胡碑考 」を所収(写)する。 pid/10301500 閲覧可能

1856






安政






1月、下池村堀口八郎右衛門が歌碑を建立する。
多胡碑をよめる /陸奥出羽按察使(むつあぜち、みちのくのあぜち)前中納言有長 
玉かしは書のこしたるかみつけに/うつもれぬ名そいまもかゝやく
  
    玉かしは:玉柏 まん ねんすぎ (万年杉) ヒカゲノカズラ目の常緑性シダ植物。深山の樹下に自生。茎は地下を横走する根茎からまばらに出て,
              高さ約20センチメートル。上半が分枝して密に葉をつけ,スギの小枝のような形になる。漢名,玉柏。
              (参考) 「たまかし」 研究紀要 第10号 昭和51年度 浦和市立常盤中学校

近世における検討事項/ 
 伴信友「上野三碑考」、、伊勢貞丈考/安永四年閏十二月成。免園會集説所蔵、青木昆陽
 中国清代の「金石志」にも載せられていることの経路など。
〇近代における検討事項/楊守敬のころ『望堂金石』
1880 明治13 〇この年、楊守敬が初代清国駐日公使何如璋の招きに応じ来日する。自著『楷法溯源』の中に「多胡碑」を所収する。
1882 15 8月、富田永世輯録「上野名跡志   3編共7巻 初編 」に「多胡碑」が掲載される。 pid/994517
1893 26 5月、狩谷望之編 「古京遺文 随筆集誌発行所」が刊行、「建多胡郡弁官符碑 」を所収する。 pid/780580 閲覧可能
〇この年、「松本豊多編 「漢文中学読本. 巻1下」」に「第五十一 大谷休泊紀功碑 揖取素彦」が掲載される。 pid/868809


1903 36 3月、「古蹟 2(2) 帝国古蹟取調会」に「多胡碑の面影 / 藤野靜輝・筑後國八女郡岩戸山發見の石盾に就て / 野中完一」が掲載される。  pid/1539686
3月、「古蹟 2(3) 帝国古蹟取調会」に「多胡碑―(寫眞版) / 口繪 」が掲載される。 pid/1539687
1907 40 4月、山中笑が「集古会誌 丁未(1)」に 「多胡碑給羊の文に就て」 を寄稿する。 pid/1588991
8月、「伴信友全集. 第2 国書刊行会」に「上野国三碑考」が掲載される。 pid/991313 閲覧可能
1908 41 7月、「松屋筆記. 第1 p52〜p54 国書刊行会」に「松屋筆記 巻6ー82 多胡建郡碑考」が掲載される。  /pid/1087778  閲覧可能
11月28日付、中村不折のスケッチ「多胡碑と羊さまの榎」が朝日新聞に掲載される。
1914 大正 1月、「書苑. 3(7) 法書会」に「多胡碑(全碑縮寫 四字原寸)―東京―中村不折君藏」が掲載される。 pid/2732709
         注 大正初期、「多胡碑拓本」が多野郡吉井町役場から頒布られているので原本との照合の必要性あり 2018・6・27 保坂
5月、「芸文 5(5) 京都文学会」に「多胡碑の讀み方 / 喜田貞吉」が掲載される。  pid/3547553
8月、豊岡義孝編輯「名胡碑集説」の記述あり。 「上毛及上毛人 3号上毛郷土史研究会」 井上通泰著「上代歴史地理新考 東山道」参考書目より 内容未確認
1915 〇この年、「十洲文鈔 巻1 細川潤次郎 著」に「多胡碑記」が掲載される。  pid/1229603
1916 3月、吉井町長島福七郎が揖取素彦を顕彰し歌碑を建立する。
  
 揖取素彦歌碑(側面顕彰碑文)/撮影 2018・6・30
深草のうちに埋れし石文の世にめつらるゝ時は來にけり   素彦
(碑陰) 明治十一年、縣令揖取君、勸ク人修多胡(7行 略)
    〇其顛末、冀使後人繼其/志、不墜其功/大正五年三月/吉井町長 島福七郎
5月、「考古学雑誌 6(9)日本考古学会」に「論説 外國の巴紋/原田淑人・繪插 上野多胡碑」が掲載される。 /pid/3548215
10月、「上毛及上毛人 3号 上毛郷土史研究会」に堀口梹。著「多野郡と碑文」を発表する。  pid/3567193(覆刻)
1917 1月、「上毛及上毛人. (6)上毛郷土史研究会p28〜29」に伊藤柏陵著「栗生系圖と羊太夫の傳説 」が掲載される。pid/3567196
7月、「上毛及上毛人 (11) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑記の拓本發行に就て / 豊國覺堂・本號附録 多胡碑記拓本・大石版摺 1」が掲載される。 pid/356720
8月、「歴史地理. 30(2)(215) 吉川弘文館」に「多胡碑に模刻 / 柴田・時事雜爼 法隆寺金堂壁畫」等が掲載される。 pid/3566464
8月、国書刊行会(早川純三郎)が「三十幅第三」を刊行、「並河永編「擬集古録巻之四・辯官符碑圖」を所収する。
11月、「上毛及上毛人 (14) 上毛郷土史研究会」に「「羊太夫墓碑と稱するものゝ石摺(原碑の所在不明、別項參照)・寫眞銅版」・「鳴鶴翁揮毫多胡碑記に就て / 豊國覺堂」」を寄稿される。 pid/ 3567204
1918 7月、「上毛及上毛人 (21) 」に「我が多胡碑に潜める羊氏と丹治比氏との關係 / 豐國覺堂」が掲載される。 pid/3567211
1919 7月、「上毛及上毛人 (32) 」に「多胡碑面縮寫・コロタイプ版/ 上野古碑集説(一) / 土屋補三カ 」が掲載される。 pid/3567222
10月、「上毛及上毛人. (35)」に「山吹日記(一) / 關口・ 高橋道齋(一) / 市河三陽」の連載が始まる。 pid/3567225
11月、「上毛及上毛人 (36) 上毛郷土史研究会」に「上野古碑集説(五) / 土屋老平・多胡碑拓本跋 / 舘森袖海」が掲載される。 pid/3567226
〇この年、館森鴻 著「拙存園叢稿 : 8巻. 第參」が刊行され「多胡碑拓本跋」が掲載される。  pid/3439141
1920
1921




1922

1924


10




11

13


〇月、「上毛及上毛人(46)p.28-29」に松田竰「日野絹」が掲載される。レファレンス(後半で“多胡碑中の羊”につて触れている。)
    また、同号に 内山正如著「多胡碑歌」を掲載する。レファレンス(“羊”は“手”の字ではないかという説について考察している。
〇月、「上毛及上毛人 (48) p.61-62」に「上野三碑漸く指定」が掲載される。レファレンス事例(内務省による史跡指定の告示についての記事。)
3月3日、「上野三碑(こうずけさんぴ」が史跡に指定される。 
4月、「上毛及上毛人 (49) 上毛郷土史研究会」に「夏祭の眞意義は農村の性命に關す / 千朶山房主人・多胡碑記の拓本發行に就て / 豊國覺堂 ・本號附録 多胡碑記拓本・大石版摺」を寄稿される。 pid/3567201

〇月、「上毛及上毛人(59)p.49-50」に「上野三碑を細密に測量」が掲載される。 レファレンス事例(黒板博士らによる調査についての記事。)

8月、「上毛及上毛人(88) p22〜24」に「上毛に於ける羊太夫の傳説 (其の一) / 中島吉太カ」が掲載される。 pid/3567277
9月、「上毛及上毛人 (89) p25〜28」 上毛に於ける羊太夫の傳説 (二) / 中島吉太カ 」が掲載される。pid/3567278
10月、「上毛及上毛人 (90)」 p16〜18 上毛に於ける羊太夫の傳説 (其三) / 中島吉太カ 」が掲載される。pid/3567279

〇月、「上毛及上毛人 (92)p.35-39」に秋山吉次郎著「妙技登山及び上野三碑歴訪記 」が掲載される。
レファレンス事例
1925 14 8月、井原,雲涯,日下部鳴鶴著「鳴鶴先生叢話 昭文堂」を刊行、「多胡郡碑」を所収する。 /pid/1020601
1926 15 3月、「史蹟精査報告. 第1 内務省」が刊行され「上野三碑調査報告(黒板勝美) 山ノ上古墳(田沢金吾) 日光並木街道-附・並木寄進碑(宮地直一)」を所収する。 pid/984231 閲覧可能
5月、「上毛及上毛人 (109) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の木版 / 覺堂 」が掲載される。 pid/3567299
5月、「群馬県史蹟名勝. 第1輯 群馬県史蹟名勝刊行会」に「多胡碑」が掲載される。pid/967892
〇月、「上毛及上毛人 (111) p.12-16」に豊國義孝著「上野三碑調査報告と黒板博士(上)」が掲載される。 レファレンス事例
〇月、「上毛及上毛人 (112) p.1-3」に豊國義孝著「上野三碑調査報告と黒板博士(下)」が掲載される。 
レファレンス事例
この年、 市河寛斎著/三陽校「金石題跋
遊徳園 」に「上野多胡分郡碑」が所収される。 pid/1239714 閲覧可能
1927 昭和 〇この年、藤沢衛彦著 「趣味の旅伝説をたづねて 博文館 」が刊行され「不知八幡森 /・羊太夫と多胡碑 ・小栗判官照天姫 ・ 高麗山の神」等が掲載される。 pid/1177519」
1928 〇この月、「上毛及上毛人 (131)p.70」に「上野三碑を放送」が掲載される。
               
レファレンス事例 古碑に関する研究についての放送があり、上野三碑が内容の中心であった、との記事。
1929
1930

12月、「群馬県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第1輯」に「11多胡碑」が掲載される。 /pid/1119366

〇月、「上毛及上毛人 (156)p.62」に「上野三碑見学」が掲載される。 レファレンス事例 文部省史蹟天然記念保存協会主催の見学会の記事。
1931 2月、「國學院雜誌 37(2)(438) 」に「多胡碑の「羊」について / 中島ス次」を寄稿する。 pid/3365080
3月、「上毛及上毛人 (167) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の羊 / 松田竅E多胡碑に見ゆる羊氏の事 / 豊國覺堂 」が寄稿される。 pid/3567357
4月、「上毛及上毛人 (168) 上毛郷土史研究会」に「再び『羊』について /中島ス次 ・多胡碑の羊―(承前) / 松田竅vが掲載される。pid/ 3567358
8月、「上毛及上毛人 (124) 上毛郷土史研究会」に「福島縣にある多胡碑に就て / 磯田峯城」に掲載される。 pid/3567314
1932 5月、「上毛及上毛人 (181) 上毛郷土史研究会」に「 多胡碑の羊、羊の姓氏は何か / 松田竅vが掲載される。 pid/3567371
8月、「上毛及上毛人 (184) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の羊・羊の住所は何所か / 松田 」が掲載される。 pid/3567374
〇月、「上毛及上毛人(188)表紙裏」に「上野三碑」が掲載される。レファレンス事例 (上野三碑其他の詩、として中島筑水と矢野頑石の漢詩が掲載されている。)
1933 4月、「上毛及上毛人 (192) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑附近の布目瓦 / 松田竅vが掲載される。 pid/3567382
9月、「上毛及上毛人 (197) 上毛郷土史研究会」に「多野郡吉井町多胡碑附近出土の布目瓦拓本 / 表紙・尾Pケ原濕原中の池、尾Pケ原菖蒲平の濕原、及牧島菊園畫伯の山水畫 / 口繪・ク土講座―(第一回)開講の辭 尾瀬沼と尾瀬ヶ原 / 中曾根都太カ ・多胡碑と附近の布目瓦 / 松田竅vが掲載される。 pid/3567387
1934 3月、「上毛及上毛人 (203) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑と傳説 / 堀口梹。」が掲載される。 pid/3567393
6月、「上毛及上毛人 (206) 上毛郷土史研究会」に「今冬の大演習に畏き大御心 / 金澤・多胡碑に就て / 豊國義孝」が掲載される。 pid/3567396
8月、「上毛及上毛人 (208) 上毛郷土史研究会」に「我國蠶業の大祖神 / 覺堂 / 表紙〜表紙・明治四年宮中御養蠶所の奉仕者・寫眞銅版 / 口繪・宮中御養蠶の濫觴に就て / 澁澤治太カ ・多胡碑の「給羊」に就て / 秋山吉次カ /・穴風外和尚碑 /・行幸記念碑建設」が掲載される。 pid/3567398
10月、「考古学雑誌 24(10)日本考古学会」に中島利一カが「論説 多胡碑管見」を寄稿する。 pid/3548435
11月15日、群馬県編「上毛大観」が「煥乎堂」から刊行される。 pid/1224435
  参考 第一編 歴史   (第二編以降は省略)
第一章 黎明期日本の東方經營策源地 毛野輝き
   第一節 先史時代人の生活
   第二節 大和朝廷の蝦夷地方經營と上毛野氏の活動
       (日本武尊傳説と一宮經津主命の奉祀)  
第三節 古代文化史上に於ける毛野文化の輝き―古墳文化

第二章 上代上毛文化(律令政治時代の文化)
    第一節 中央集權的皇國土のク土に於ける確立
      (一)
國・郡・クの設置と多胡碑
   第二節 佛ヘ的日本精神の高潮   
第三節 蝦夷經營と上毛

第三章 中世日本の指導力―毛野の力―上毛の正義
  第一節 地方分權と東國武士團の發展
   第二節 新田氏及び足利氏の出現―其の雌伏と雄飛  
第三節 全日本指導の官賊二原理
第四節 毛野人の全國制覇時代
第四章 近世日本進展の各方向と其の先驅者上毛
  第一節 戰國時代の上野
   第二節 
コ川氏幕下の小領主分封と第二回政權在近(江戸)時代の展開
第三節 尊王運動より明治維新へ
第四節 近世日本進展の各方向と其の先驅者上州
第五章 現代ク土の動き
  第一節 帝都に近き我がク土の仰げる行幸啓
   第二節 群馬縣治の發達
   第三節 交通の發達
第四節 産業の發達―本邦?業革命の先驅者群馬縣
第五節 ヘ育の發達
第六節 高崎聯隊の功績
1935 10 5月、「上毛及上毛人 (217) 上毛郷土史研究会」に「俳人鳥醉の二大遺蹟發見・多胡碑禮拜蘇峰學人の偉大さ・外に詩數首 / 松田 ; 田村理 ; 矢野搨j ・小栗上野介碑前の追弔會 」が掲載される。 pid/3567407
9月、「上毛及上毛人 (221) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑愈々修覆」が掲載される。 pid/3567411
12月、松岡,静雄が「多胡碑断疑」を「煥乎堂」から刊行する。 pid/1259207 閲覧可能
    また、同書に吉野秀雄が(附記)を書き残す。
1936 11 2月、「上毛及上毛人 (226) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑と來三月 / 松田竅vが掲載される。 pid/3567416
3月、「上毛及上毛人 (227) 上毛郷土史研究会」に「改築されし多胡碑新亭 / 口繪・ 多胡碑『給羊』の斷案 / 松田竅vが掲載される。pid/3567417
11月、「上毛及上毛人 (235) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑「羊」の再吟味 / 中島ス次 」が掲載される。 pid/3567425
12月、「上毛及上毛人 (236) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑面及び上代文化を示す吉井の出土品寫眞 / 口繪」が掲載される。 pid/3567426
1937 12 3月、「上毛及上毛人 (239) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の羊の業績と見るもの / 松田 」が掲載される。 pid/3567429
4月、「上毛及上毛人 (240) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑參拜の所感 附、島福七カ氏の事 / 松田竅vが掲載される。 pid/3567430
8月、「群馬県下国宝並指定史蹟名勝天然紀念物」に 「多胡碑(多野郡吉井町)/・山上碑及古墳(多野郡八幡村)・金井澤碑(同)」が掲載される。 pid/1916628   閲覧可能
1938 13 8月、「上毛及上毛人 (268) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑所在地『池』の稱は何か / 松田竅vが掲載される。 pid/3567458
1939 14 1月、日本歴史地理学会編「歴史地理. 73(1)(468)」に「論説 上野國三碑考―(上) / 井上通泰 / p15〜29」が掲載される。pid/3566719
2月、日本歴史地理学会編「 歴史地理. 73(2)(469)」に「
論説 上野國三碑考―(下) / 井上通泰 / p35〜45」が掲載される。pid/3566720
3月、「上毛及上毛人 (263) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の羊 / 松田竅@」が掲載される。 pid/3567453
4月、「上毛及上毛人 (264) 上毛郷土史研究会」に「三月九日の多胡碑記念日 / 松田 」が掲載される。 pid/3567454
6月、「上毛及上毛人 (266) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑と長崎氏 / 松田竅vが掲載される。 pid/3567456
月、「上毛及上毛人(269)p.15-20」に井上通泰著「上野國三碑考 上」、表紙に「山名上の碑拓本縮刷」が掲載される。
10月
、「上毛及上毛人(270)p.13-19」に井上通泰著「上野國三碑考 中」が掲載される。 
     また同号に「小栗上野介の航海日誌 / 高橋眞道」も掲載される。pid/3567460
11月、「上毛及上毛人 (271) 上毛郷土史研究会」に「上野三碑の一・多胡碑原碑の寫眞版 / 口繪・上野國三碑考――(下) / 井上通泰」が掲載される。 pid/3567461
1940 15 3月、黒板勝美 著「虚心文集. 第4 吉川弘文館」を刊行。「上野三碑 /第一章 序説  第二章 多胡碑 /第三章 山ノ上碑 /
第四章 金井澤碑 /」等を所収する。pid/1266398 閲覧可能
6月、会津八一が吉野秀雄と共に多胡碑を訪れる。
六月一日吉野秀雄の案内にて多胡の古碑を觀たる後伊香保にいたり千明に泉亭に入る翌二日裏山の見晴に登り展望す
 
 (九首略)
  
かみつけのそらのみなかにかがよへるくもはしづけしいにしへもかく
                      会津八一著「山光集 榛名の項」より
1941 16 4月、「上毛及上毛人 (288) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑を巡りて / 松田竅vが掲載される。 pid/3567478
4月、 井上通泰著「上代歴史地理新考 : 南海道 山陰道 山陽道 北陸道 」が刊行される。 /pid/1060520
8月15日、井上通泰が亡くなる。(77歳)
1943 18 6月30日、故井上通泰著「上代歴史地理新考 : 東山道 ・ 附・風土記逸文註釈 三省堂」が刊行され「上野國・上野國三古碑」を発表する。   pid/1060519・pid/3434573
  また、同書索引欄に奈佐勝皐著「山吹日記」を紹介する。
雑誌上毛及上毛人癸酉篇附録(昭和八年一・二・三・四・六・七・九・十月號)、天明六年四月及五月幕士奈佐勝ガ上毛各地及足利ニ遊ビシ假字文ノ記ナリ。善本ナリ。某所所蔵ノ一本ト比較スルニ雲泥ノ差アリ
7月、藪田嘉一郎が「考古学雑誌 33(7)」に「上代金石文雑考(上)」を発表する。 pid/3548541
8月、藪田嘉一郎が「考古学雑誌 33(8)」に「上代金石文雑考(中)」を発表する。
   また同号に「論説 甲斐國分寺伽藍の研究 / 太田靜六・彙報 靜岡市登呂彌生式遺跡の調査 / 安本博 / p416〜418 pid/3548542
9月、藪田嘉一郎が「考古学雑誌 33(9)」に「上代金石文雑考(下)」を発表する。 pid/3548543
1952 27年 10月、「東洋書道協会 書品 33号」に三田C白が「多胡碑小考」、西川寧が「多胡碑餘談」を寄稿する。 pid/6077430
1953 28 1月、「日本歴史. (56);1月號 吉川弘文館」に「多胡碑の羊の字について = On the Character“羊”(Sheep)in the Monument of Tako(多胡)./曾我部静雄」を発表する。 pid/10232536 
1954 29 3月20日、「上野三碑(こうずけさんぴ」が特別史跡に指定される。 
1955 30 3月、「考古学雑誌 40(4)日本考古学会」に原田淑人が「多胡碑に見える「給羊」の新解釈」を発表する。  pid/3548582
1956 31 〇この年、「書道名品大系 第12 書芸文化院」に「 二、 那須國造碑 折込  十六、 多胡碑」が掲載される。 pid/2475352」
1957 32 1月、新潮54巻1号(昭和32年1月 通巻621号)-新年特大号 吉野秀雄「秋艸道人会津八一先生」が掲載される。
1958 33 〇この年、萩原進 著 「上州路 [第2篇 第2] (史跡篇 西毛の巻) 高城書店出版部 」に「多胡碑 / 山の上碑と古墳 /金井沢の碑」が掲載される。 /pid/2982416
1960 35 〇この年、「里見村誌 里見村誌編纂委員会 芸能娯楽と伝説口碑」を刊行「多胡羊太夫と多胡神社 p.845-847 多胡羊太夫由来記(原文) p.847-848を所収する。
1962 37 〇この年、原田淑人が「東亜古文化論考 吉川弘文館」を刊行「多胡碑に見える「給羊」の新解釈 ・古代日本人とシナ鏡・五世紀の日本・前方後円墳の起源」等を発表する。 pid/2993676
1963 38 1月、「書跡名品叢刊 106 多胡碑 解説ー加藤諄」が「二玄社」から刊行される。
9月、 尾崎 喜左雄が「群馬大学紀要. 人文科学編 (通号 12) p.87〜108」に「多胡碑の研究」を発表する。
1964 39 7月、「親和. (128)日韓親和会」に「那須国造碑・多胡碑と帰化人(上) / 今井啓一・ここに日韓の向上を希望する若い意思と力がある / 早稲田大学国際関係研究会」が掲載される。pid/2251982
8月、「親和. (129)日韓親和会」に「那須国造碑・多胡碑と帰化人(下) / 今井啓一」が掲載される。 pid/2251983
11月、今井 啓一が「大阪樟蔭女子大学論集 (通号 2) p.1〜18」に「東国の開拓と帰化人--那須国造碑・多胡碑などを中心として」を発表する。
〇この年、樫村霞道著「多胡碑と羊太夫」が興文社から刊行される。
1966 41 〇この年、尾崎喜左雄著「横穴式古墳の研究 吉川弘文館  「第二章 横穴式古墳編年の補助資料/第二節 截石積石室の用石と多胡碑の碑石との技法上の比較」を所収する。 pid/2972332/
〇この年、坂本太郎が「日本歴史考古学論叢」に「古代金石文二題」を発表する。
1967 42 4月、「月刊考古学ジャーナル. (7)」に「〈新刊書評〉 尾崎喜左雄著『多胡碑』 / 坂詰秀一・〈学会紹介〉 多摩考古学研究会」が掲載される。 pid/6051440
〇この年、「美術文化シリーズ 63 多胡碑」が中央公論美術出版から刊行される。 再刊かは不明 調査要 2018・6・3 保坂
1969 44 〇この年、「高崎市史. 第1巻」が刊行、「山上・金井沢両碑 上野三碑調査報告」を記載する。 pid/9640211
1970
45年 12月、「野州國文學. (6)国学院大学栃木短期大学国文学会」に 瀧澤精一カ著「「多胡碑存疑」補遺--第二次調査報告 」が掲載される。pid/4418650
12月、福山敏男が「新版考古学講座第7巻 有史文化<下>  雄山閣」に「古碑」を所収する。
(略)文中、「給羊」の二字の解釋については江戸時代以来諸説があり、これを人名と見る説が多い。しかし新郡を某人に給うなどということを、たとえそれが郡領任命のこととしても、建郡の官符に載せたとは考えられない。官符の要点の写しという立場を通せば、「羊」は人名ではなく「畢」「矣」「以」などのように、助詞程度の役目の字とみた方がよくはないか。(略)



1971








1973






46年








48



7月、梅原猛が「芸術新潮 22(7)(259)」に「連載 塔19 多胡の碑の謎」を寄稿する。 /pid/6048510
 また、同号に松本清張が「連載 遊史疑考(6) 三角縁神獣鏡への懐疑(上)」、小川光三が「太陽の祭壇 写真家が捉えた「大和の原像」(続) 」」を寄稿する。
7月、加藤宸ェ「歴史読本(8)」に「日本古代遺蹟の旅」の中で「五、群馬の古墳と三古碑」を寄稿する。
 
  多胡碑
資料 「群馬の古墳と三古碑」から 多胡碑の部分 (略)多胡碑ー。
 多野郡吉井町にあるこの碑は、多賀城碑、那須国造碑とともに、日本三古碑の一つである。弁官符碑ともよばれている、また、山神碑や金井沢碑とあわせて上野三碑ともいわれる。高さ一・二八メートル、幅六〇センチの方柱形の碑で、材質は牛状砂岩である。碑文は正面に六行八〇字である。読み方にはむかしから異説が多く定説はない。 『郷土の文化財』は、「弁官(べんかん)の符(ふ)に上野国片岡郡、緑野(みどりの)郡。甘良(から)郡、并に三郡の内三百戸を郡となし。羊(ひつじ)に給して多胡郡となす。和銅四年三月九日甲寅の宣。左中弁は正五位下多治日真人(たじひのまひと)、太政官は二品穂積(ほんほづみ)親王、左大臣は正二位石上(いそのかみ)尊、右大臣は正二位藤原尊なり」と読んでいる。 郡司に羊が任命され、帰化人による新郡、多胡郡が設けられたことのよろこびを、帰化人たちはみずからの手で、石に刻んだのである。(略)

〇この年、清水要次 著「郷土のしおり西上州 アサヒ通信社」 に「四 歴史上の人物・史話・遺跡/1 伝説 羊太夫・3 算聖関孝和 ・.9 小栗上野介忠順・30 上野三碑めぐり 附 根小屋城探訪・37 明和事件・41 満州開拓甘楽郷 」が掲載される。 pid/9640556
〇この年、森浩一 編「終末期古墳 塙書房」に尾崎喜左雄著「上野三碑を中心とした古墳」が掲載される。
,    ※「古代学研究 30号」(昭和37年 古代学研究会)所収論文を一部補筆・訂正したもの。 レファレンスより








1974









1976











49年









51



5月、日本歴史学会編「日本考古学の現状と課題 吉川弘文館 1刷」に大場磐雄が「歴史時代/金石文/二 石造品」を寄稿、多胡碑のことを記述する。      注 2刷 昭和50年8月発行 大場磐雄先生は昭和50年6月7日にお亡くなりになりました。
12月、『吉井町誌 吉井町誌編さん委員会編纂』が刊行される。
第2部 歴史篇/第2節 奈良時代
 1 概観
 2 多胡郡建置以前の上野国

   (1)国号の変化・(2)上毛野君とその活躍・(3)上毛野国造と支配地域・(4)大化改新と国司制・(5)上野国の成立
 3 多胡郡建置と郡郷制
  
(1)郡郷制・(2)上野国郡郷一覧
 4 多胡郡山部郷とその所在
 5 多胡碑の研究

  
(1)多胡碑をめぐる古墳概観(2)多胡碑研究の沿革(3)碑文の読み方とその構成(4)碑石と使用尺度(5)外来人の建郡(6)多胡碑の伝説
 6 仏教文化
  
(1)寺院跡と瓦窯・(2)山ノ上碑と金井沢碑
 7 万葉集・東歌・上野国歌
〇この年、橋爪聡著「多胡碑のはなし 吉井町教育委員会」が刊行される。

〇この年、多野藤岡地方誌編集委員会編「多野藤岡地方誌. 各説編」が刊行され、 吉井地区に伝わる「羊太夫 p.481-484」のことが記載される。  pid/964132

1979 54 1月、「日本歴史. (368)吉川弘文館」に「多胡碑の「羊」の文字をめぐって/斎藤忠・ 文化財レポ-ト-111-斎宮跡の史跡指定について/北村文治 」が掲載される。 pid/7910424
8月、奈良国立文化財研究所飛鳥資料館編「日本古代の墓誌 同朋舎」が刊行される。
1980


1981
55


56
3月、「武蔵野女子大学紀要. (15)」に「東国二碑の周辺--多胡碑と那須国造碑の比較 / 伊藤新一」が掲載される。pid/1781824
1月、尾崎喜左雄 著「上野三碑の研究」が「尾崎先生著書刊行会」から刊行される。

12月、東野治之が「群馬県史研究 13号 p.1-10」に「上野三碑管見」を発表する。
1982 57 〇この年、吉江久夫著 「群馬の史跡めぐり 古代人との語らい 教育報道社」が刊行され「上野三碑多胡碑 /山ノ上の碑 /金井沢の碑」等を所収する。 pid/9642443
1983 58 1月、「専修国文. (32)専修大学日本語日本文学文化学会」に 「多胡碑考察-1- / 仲川恭司 」が掲載される。 pid/6081624
3月、神田 耕二が「政治経済史学 (通号 200) .p381〜391」に「多胡碑の成立とその背景 (日本政治経済史学研究所創立20周年記念論叢)」を発表する。
3月、荒竹清光著「多胡碑 その背景を探る」が「あさを社」から刊行される。
7月、田熊信之が中国・日本史学文学研究会編「上毛多胡郡碑」を刊行する。
7月、斎藤忠 編著「古代朝鮮・日本金石文資料集成 」が「吉川弘文館」から刊行される。
古代日本関係拓本  
  多胡碑 p.314-322 
 古代日本関係参考文献 p.471-473
  山ノ上碑・多胡碑・金井澤碑(三碑に共通する文献)  
 古代日本関係古文献
  多胡碑 p.615-632
多胡郡和銅碑(『上野国三碑考』)
建多胡郡辨官符碑(『古京遺文』)
上野國多胡碑(『六種圖考』)
上野國多胡郡碑(『好古小録』)
上野多胡郡碑(『尚古年表』)
多胡郡 上野國(『類聚名物考』卷九七、地理部四四)
『上野國古碑考』)
多胡郡和銅碑(『けぬのいし文』)
(『總社記』)
(『上野傳説』)
多胡古碑(『上野國名跡考』多胡入野)
(『山吹日記』)
上野國多胡碑(『翁草』)
多胡碑(『中陵漫録』)
上毛多胡郡碑文註釋抄録(『兎園小説別集』)
多胡建郡碑考(『松屋筆記』卷六)
野州多胡碑之事(『?軒小録』)
(『柳庵随筆』)
       注 山ノ上碑・金井澤碑に関しては掲載を略しました。 (レファレンス写)
1984 59
1985 60 2月、「専修国文. (36) 専修大学日本語日本文学文化学会」に「多胡碑考察-2完- / 仲川恭司」が掲載される。 / pid/6081628
1987 62 1月、古代学研究所編 「東アジアの古代文化. (50) 大和書房」が刊行される。 pid/7947810
荒神谷神庭遺跡の周辺 / 上田正昭 / p2〜8
「東アジアの古代文化」と私の史観 / 江上波夫 / p9〜12
田道間守と武内宿祢 / 大林太良 / p13〜20
九州の銅鐸問題その後--小銅鐸と鐸型土製品 / 小田富士雄 / p21〜29
大化「改新」詔の「畿内」について / 門脇禎二 / p30〜37
八〇年代後半になって / 金達寿 / p38〜52
欽明朝の対新羅政策 / 黒岩重吾 / p53〜59
海島神話の誕生 / 谷川健一 / p60〜68
飛鳥京の道 / 田村圓澄 / p69〜82
淡路廃帝淳仁の死をめぐって / 直木孝次郎 / p83〜87
記紀の歴史的伝承とその研究法 / 松前健 / p88〜93
古代の航海--天神本紀の一考察 / 黛弘道 / p94〜104
仮屋上遺跡出土紡錘車の「羊」について / 水野祐 / p105〜117
古代日中韓三題 / 石野博信 / p118〜119
藤ノ木古墳石棺外出土物の意味 / 井本英一 / p119〜121
鏡・剣・玉と「三種の神器」 / 岩崎卓也 / p121〜123
伴林光平の見た藤ノ木古墳 / 上田宏範 / p123〜125
「積石塚」古墳研究への情念 / 大塚初重 / p125〜127
蓬莱山--前方後円墳の祖型 / 岡本健一 / p127〜129
夏の巡検から / 金井塚良一 / p129〜132
江田船山古墳断想 / 姜仁求 / p132〜134 )
鉄器文化の再検討 / 窪田蔵郎 / p134〜135
エクアドルには渡らなかった縄紋土器 / 佐原眞 / p136〜138
掘立柱建物との出合い / 清水真一 / p138〜140
地上の論理 / 白崎昭一郎 / p141〜142
御柱に縄文世界を探る / 寺村光晴 / p143〜144 )
「茶臼山」を追って / 留目和美 / p144〜146
石戦について / 西谷正 / p146〜148
出雲と筑紫 / 速水保孝 / p148〜149
出雲銅剣出土層寸感 / 原島礼二 / p150〜151
藤ノ木古墳発掘と隣国の反応 / 堀田啓一 / p151〜152
石棺の崇り / 間壁忠彦 / p153〜154
姑蘇啄磨耶啄 そして虎頭と / 水野正好 / p154〜156
韓国の旅から / 茂木雅博 / p156〜158
水中考古学と学際研究 / 茂在寅男 / p158〜159
東の蓮池と西の遊園 / 森浩一 / p159〜161
物部氏の館跡遺構-大阪・八尾市の遺跡に関連して / 安井良三 / p161〜163
東アジアの環境考古学と技術協力 / 安田喜憲 / p163〜164

陵墓の制札 / 和田萃 / p165〜167
出雲大神の神域 / 井上辰雄 / p168〜170
十五年目の高松塚 / 上原和 / p170〜171
武蔵国入間郡におけるミヤケとオホヤケ / 大山誠一 / p171〜173
天武の束間行宮造営意図 / 桐原健 / p175〜177 (0095.jp2)

五世紀史再検討への想い / 熊倉浩靖 ; 茜史朗 / p177〜178
那須国造碑の広氏尊胤 / 佐伯有清 / p179〜180
蝦夷の優婆塞 / 下出積與 / p180〜182
蘇我蝦夷・入鹿の名の由来 / 塚口義信 / p182〜184
日本国家起源論の再検討 / 友田吉之助 / p184〜186
ハヤトのハンラン / 中村明蔵 / p186〜188
出羽の大昔現想 / 新野直吉 / p188〜189
酒匂景信将来の広開土王碑文について / 星野良作 / p190〜191
神武東征と長髄彦 / 本位田菊士 / p191〜193
日向と天孫降臨神話と神武東征伝説 / 前之園亮一 / p193〜195
天皇のフォークロア / 宮田登 / p195〜197
筑紫史益 / 山田宗睦 / p197〜198 (0106.jp2)
上代における武器の分与について再論 / 横田健一 / p198〜200
古代史におけるガラスの問題 / 由水常雄 / p200〜203
「奈良学」雑記 三つの道程 / 青山茂 / p204〜205
「十三塚」新考 / 池田末則 / p205〜208
飛鳥寺と古代ペルシア / 伊藤義教 / p208〜210
ヲヤかコヤか / 伊藤博 / p210〜211
〇王之印」考 / 大谷光男 / p211〜213  
カミとホトケ / 小川光三 / p213〜215
雄略紀の未詳古語ナヒトヤハバニ / 川崎真治 / p215〜217
倭と倭的世界の模索 / 國分直一 / p217〜219)
見直したい古代史と道教 / 高橋徹 / p219〜221
「桓檀古記」と「契丹古伝」 / 田中勝也 / p221〜223
朝鮮仏教と毘盧舎那仏 / 泊勝美 / p223〜224
倭族の蒙古斑 / 鳥越憲三郎 / p225〜226 (0120.jp2)
東支那海を渡る道 / 永留久恵 / p226〜228
潮もかなひぬ / 中西進 / p228〜229
「記紀対照表」餘聞 / 西川順土 / p229〜231 (
稲作文化の担い手は非・入れ墨族 / 萩原秀三郎 / p231〜233
少名毘古那神の神話について / 平野仁啓 / p233〜235
古代の鉄と神々 / 真弓常忠 / p235〜237
白い手と黒い手と / 水谷慶一 / p237〜238
常陸と?歌 / 三谷榮一 / p239〜240 (0127.jp2)
有職故実学の復権 / 山上伊豆母 / p240〜241
出雲国風土記の「かんなび」と郡と「くに」 / 山本清 / p242〜244
読地図有感 / 梁重海 / p244〜246 (0130.jp2)
垂仁天皇の夢の中のサホビメ / 吉田敦彦 / p246〜248
笠と蛇 / 吉野裕子 / p248〜250
年越の河童 / 若尾五雄 / p250〜252
「東アジアの古代文化」の今日的意義 / 井上秀雄 / p254〜255
「古代」への確かな視点 / 奥武則 / p255〜257
騎馬民族説との最初の機縁 / 奥野正男 / p257〜258
一つの提言 / 小野忠? / p258〜260
東アジアの古代文化の担い手 / 河上邦彦 / p260〜262
論文を書くにあたって心がけていること / 小林惠子 / p262〜263
南九州の旅 / 菅野雅雄 / p263〜265
外国人の古代史研究によせて / 鈴木靖民 / p265〜267
パリ便り / 武光誠 / p267〜268
「東アジアの古代文化」創刊当時のこと / 豊田有恒 / p268〜270
昭和の日本史学界の光明 / 朴時仁 / p270〜270
「東アジアの古代文化」と私 / 松下煌 / p271〜272
継続は力なり / 安本美典 / p272〜273
建国紀元についての疑問と『日本書紀』-天武天皇の出自に関連して / 大和岩雄 / p274〜294
石棺を運ぶ / 高木恭二 / p295〜305
12年間表紙を担当して / 戸井昌造 / p306〜307
古代史通信 / 村上洋子 / p308〜337
よもやま話“古代史通信” / 村上洋子 / p338〜338
季刊「東アジアの古代文化」総目次 / p339〜359
編集後記 / 大和岩雄 / p360〜360 (0188.jp2)
2月、韮塚一三郎 著「関東を拓く二人の賢者 : 楫取素彦と小野島行薫さ きたま出版会」が刊行される。
1988 63 10月、「歴史研究. (330) 歴研」に馬場朗が「会員研究 多胡建郡碑私見--日本三古墳の一・多胡碑。なぜこの碑を建てたのか」を発表する。 pid/7939040
10月、「市民の古代. 10 」に「多胡碑の「羊」と羊太夫伝承/増田修・研究論文 新・朝倉宮に「崩」じた「天皇」-『日本書紀』のしめすもの/丸山晋司・ 資料 多胡碑と羊太夫伝説に関する文献目録/増田修 ; 柳川美紀子 ; 横山妙子」が掲載される。  pid/4422383
1989

1990
65

65
8月、田口栄一 国立国会図書館が「『鶯宿雑記』内容紹介と索引」を作成し発表する。国立国会図書館デジタルコレクション

9月、森 浩一 (著)が「図説日本の古代 (第6巻) 文字と都と駅―奈良時代〜平安時代初期  中央公論社」を刊行する。
1991 平成 5月、上田正昭 編著「古代の日本と東アジア 小学館」が刊行され、熊倉浩靖著「東国古墳出土の意義と背景」を所収する。
〇この年、「群馬県史. 通史編 2 (原始古代 2)」に「山ノ上碑の建立・多胡碑と金井沢碑」が掲載される。 /pid/9644570
1992 H4 7月、「月刊考古学ジャーナル (349) ,考古学ジャーナル編集委員会 編 ニュー・サイエンス社」 が刊行される。pid/6051779
特集 東国の渡来文化
  ≪今月の言葉≫ 考古学と3Kと大学生 / 坂詰秀一 / p1〜1
  
東国と渡来文化 / 金井塚良一 / p2〜3
 東国の初期寺院 / 昼間孝次 / p4〜9
 埴輸製作における特殊技法 / 太田博之
人物埴輪と大陸文化 / 塚田良道 ; 新井端 / p15〜19
埼玉将軍山古墳と渡航文化 / 若松良一 / p20〜28
埼玉稲荷山古墳鉄剣銘と中原高句麗碑 / 吉川國男 / p29〜31
古代武蔵の新羅群について / 中山清隆 / p32〜35
銅製容器古墳埋納と石碑盛行の意義 / 熊倉浩靖 / p36〜39
1997 H9 1月、「歴史と旅. 24(1)[(360)] 秋田書店」に「新連載 いしぶみ日本史 多胡碑/群馬県多野郡吉井町 」が掲載される。pid/7947537
4月、上田正昭編「古代の日本と渡来の文化 学生社」が刊行され「「坐」字と神 白江恒夫著・ あづまのくに 熊倉浩靖著・神武天皇東遷と宇陀の古墳 泉森皎著」等が所収される。.
1998 10 〇この年、「安中市史 第三巻 民俗編 安中市市史刊行委員会 編」が刊行される
   第五章 信仰/第一節 家の神 三三五/一 氏神様 p335
 資料 「多胡羊太夫由来記」
(中野谷 多胡正雄家所蔵) p336
 資料 「多胡羊太夫実録」
(中野谷 多胡久雄家所蔵) p338










1999
















2000







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7月、平野邦雄監修, あたらしい古代史の会編「東国石文の古代史」が吉川弘文館」から刊行される。
序/平野邦雄
第一部 古代東国の石文を読みなおす

古代東国の「石文」系譜論序説/新川登亀男/
ー東アジアの視点からー
山上碑を読む/篠川賢/
ー「佐野三家」を中心としてー
多胡碑を読む/高島英之/
金井沢碑を読む/勝浦令子/
古代東国の石文とその背景/佐藤信/
第二部 古代東国石文への視点

多胡碑の官名記載・人名記載について/倉本一宏/
多胡碑の弁官符と「羊」について/長谷山彰/
多胡碑研究のあゆみ/小池浩平/
「七世父母」と「天地誓願」/増尾伸一郎/
ー古代東国における仏教受容と祖先信仰をめぐってー
貫前神社と甘楽・多胡郡域の氏族/川原秀夫/

上野三碑をめぐる周辺地域の様相ー
上野三碑と渡来人/加藤謙吉/
古代東国石文の再検討/仁藤敦史/
新羅石碑にみる王権と六部/深津行徳/

第三部 古代東国の石文を見る
古代東国石文釈文//
多胡碑//
早稲田大学図書館蔵古代東国石文拓本//
早稲田大学図書館蔵古代東国石文拓本について/藤原秀之/
東京大学日本史学研究室蔵の古代東国石文拓本//
東京大学日本史学研究室蔵の古代東国石文拓本について/佐藤信
参考資料/有富由紀子 ; 稲川やよい ; 北林春々香/
10月、「群馬文化. (260) 群馬県地域文化研究協議会, 群馬文化の会,群馬県地域文化研究協議会 編 」に「書評 ・新刊紹介 あたらしい古代史の会編-『東国石文の古代史』 / 前沢和之 」 が掲載される。 pid/6048246
〇この年、西崎 亨が「武庫川女子大学紀要. 人文・社会科学編 47 p.92-86」に「「石上布留の尊」少考 : 「尊」字は尊称か」を発表する。

1月、古代学研究所編 「東アジアの古代文化. (102) 大和書房」が刊行される。 pid/7947863
       〔ホウ〕製三角縁神獣鏡の性格といわゆる舶載三角縁神獣鏡との関係を論ず(上) / 王仲殊 ; 熊倉浩靖 / p124〜136
       三角縁神獣鏡の生産体制とその動向 / 小山田宏一 / p137〜151
       考古資料からみた3世紀の王都--纒向遺跡と邪馬台国 / 大和岩雄 / p152〜181

3月、「新編高崎市史資料編2(原始古代2)  高崎市市史編纂委員会編」が刊行される。
第3部 文献史料による古代の高崎
概説 史料でみる古代の高崎/史料
 1 上野国と郡
 2 上野三碑
 3 上野国の氏族
 4 地震と浅間山の噴火
5 馬の生産と交通
6 蝦夷征討と上野国
7 国分寺と地方仏教
8 上野国の神々
9 万葉集東歌


10月、日本児童文学者協会編「群馬県の民話」に「羊太夫」が掲載される。

この年、大島由紀夫編著「 (伝承文学資料集成 ; 第6輯) 神道縁起物語 2 三弥井書店」に「羊太夫栄枯記」が掲載される。 
2003 15 2月、 塚本 宏が「国府台 : 博物館学課程年報 12 p.18-35」に「多胡碑の歴史的位置」を発表する。
12月、「新編高崎市史通史編1(原始古代) 高崎市市史編纂委員会編」が刊行される。
第5章 古代の高崎
1 古代のあらまし
 1 はじめに
 2 古代の支配体制
2 上毛野国から上野国へ
 1 律令の編纂と郡郷制
 2 資料に見える上毛野氏
 3 国司と地方の政治
 4 農民の負担
 5 地方の役所と国分寺
3 佐野三家と上野三碑
 1 「上野三碑」研究の流れ
 2 山ノ上碑とでえせえじ遺跡
 3 多胡碑と山部郷
 4 金井沢碑と三家の人々
 5 定額寺としての放光寺




2004 16
2005 17 2月、多胡碑記念館が「山川出版社」から『古代多胡碑と東アジア』を刊行、杉村 邦彦が「多胡碑の朝鮮・中国への流伝について」の論文を発表する。
3月、豊島 嘉穂が「書道文化 : 四国大学書道文化学会誌 (1) p.47〜54」に「日本・中国・朝鮮半島における六朝書風の流れ-多胡碑の書風の成立まで」を発表する。
3月、「無名の万葉集 (高岡市万葉歴史館論集 ; 8) 高岡市万葉歴史館 編 笠間書院」を刊行、佐藤信著「古代地方豪族の漢字文化受容と文学」を所収する。
2006 18 7月、川原秀夫が「日本歴史 / 日本歴史学会編 (698) p.102〜104」に「 東野治之・佐藤信編『古代多胡碑と東アジア』」を紹介する。
2007 19
2008 20 〇この年、杉村邦彦が「書学書道史研究 / 書学書道史学会・編集局 編 (18) p.3〜16」に「多胡碑の朝鮮への流伝に関する新資料」を発表する。
2009 21 4月、上毛新聞社編「絹先人考 (シルクカントリー双書)が刊行され「資材を投じ貿易応援 蚕糸業を支えた名県令」が掲載される。
6月、 杉村邦彦が「日本歴史 / 日本歴史学会 編 (733) p.86〜96」に「多胡碑の朝鮮への流伝」を発表する。
12月、前
沢 和之が「日本歴史 / 日本歴史学会 編 (739) p.37〜41」に「歴史手帖 史蹟多胡碑の疎開」を発表する。
〇この年、松田猛著「上野三碑 同成社 2009 (日本の遺跡 ; 36)」が刊行される。
2010 22
2011 23 3月、杉村邦彦が「書論 (37) p.106〜133」に「東アジアにおける金石の交流-多胡碑の朝鮮・中国への流伝とその歴史的背景」を発表する。
5月、(財)群馬地域文化振興会が「ぐんま地域文化 36号」を刊行、旧吉井町地域を特集する。
 《旧吉井町地域特集》 (抜粋)
図録 ぐんまの文化財 多胡郡建郡1300年 大工原美智子
ぐんまの歴史入門講座
 第120講 吉井町の原始古代 ―多胡郡建郡をめぐって 茂木由行
 第124講 高崎市吉井町の石造文化財 石造物の見方(25) 秋池武


地域づくりと文化遺産 特別史跡
 多胡碑と多胡郡建郡1300年記念事業 小泉範明
ぐんまのくらしと民俗
 フォークロア創出の近代―渡来人羊太夫像の形成 佐藤喜久一郎
ぐんまの地方豪族 多胡荘と多胡氏  久保田順
2012

2013

24

25

10月、楫取素彦顕彰会編「楫取素彦読本 −吉田松陰との絆を活かして、新しい群馬の扉を開いた人ー」が刊行される。

〇この年、「群馬県立歴史博物館紀要 第34号(2013) p.1-18」に手島仁著「群馬県初代県令・楫取素彦の研究(1)」が掲載される。
2014 26 2月、熊倉浩靖 著「日本語誕生の時代 : 上野三碑からのアプローチ 雄山閣」が刊行される。
3月、村田峰次郎著「楫取素彦伝 耕堂楫取男爵伝記」が「群馬県文化事業振興会」から刊行される。
    注 昭和初期に村田峰次郎が執筆した未発表草稿「耕堂楫取男爵伝記」の翻刻本
10月、大野富次 著「花燃ゆ」が100倍楽しくなる杉文と楫取素彦の生涯」が「宝島社」から刊行される。、
〇この年、多胡碑記念館編「上野三碑と楫取素彦 : 幕末近代のアーカイブ : 平成26年度多胡碑記念館第38回企画展 図録」 が刊行される。
2015 27 3月、眞保昌弘著「古代国家形成期の東国  同成社」が刊行される。
     第2節 上野三碑とその周辺  リファレンスより
10月、小野忠孝編「上州の民話 第1集 未來社」に「羊太夫」が掲載される。
この年、「高崎 : 高崎商科大学コミュニティ・パートナーシップ・センター (1)」に熊倉浩靖著「世界記憶遺産を目指す上野三碑(こうづけさんぴ)を読む 」を掲載する。
〇この年、多胡碑記念館編「埋められた多胡碑 終戦直後の秘話 : 平成27年度多胡碑記念館第39回企画展 図録」が刊行される。
2016 28 2月、「群馬県立女子大学紀要 / 群馬県立女子大学紀要委員会 編 (37) p.41-53」に熊倉 浩靖著「世界記憶遺産候補・上野三碑(こうずけさんぴ)を読む」が掲載される。
8月、中村誠が「書論 / 書論編集室 編 (42) p.245-249」に「多胡碑のゆくえ  汕頭の西園に多胡碑の模刻を訪ねて」を発表する。
2017 29 2月、「群馬県立女子大学紀要 / 群馬県立女子大学紀要委員会 編 (38) p.15-24」に熊倉浩靖著「上野三碑と宣命・『万葉集』」を発表する。
3月、 「地域政策研究 / 高崎経済大学地域政策学会 [編] 19(4) p.135-150」に熊倉浩靖著「古典としての上野三碑 (千葉貢教授退職記念号)」が掲載される。
5月、滝沢匡が「季刊考古学 (139) p.91-94」に「最近の発掘から 特別史跡多胡碑に記された郡衙の姿 : 群馬県高崎市上野国多胡郡正倉跡(こうづけのくにたごぐんしょうそうあと)」を発表する。
5月、熊倉浩靖 著「上野三碑を読む 増補版 雄山閣」が刊行される。 初版 2016・4
8月、大工原美智子が「書論 / 書論編集室 編 (43) p.243-250」に「大河内山荘多胡碑拓跋研究記録」を発表する。
8月、杉村邦彦が「書論 / 書論編集室 編 (43) p.251-257」に「大河内山荘蔵多胡碑拓跋釈読餘話」を発表する。
9月、由谷裕哉 編「郷土の記憶・モニュメント (岩田書院ブックレット ; 歴史考古学系 H-22)  岩田書院」に佐藤喜久一郎著「多胡碑の模刻と羊太夫の墓誌」が掲載される。

〇この年、小池浩平 著「古代東国のフロンティア・上毛野 上毛野氏と東山道(ヤマノミチ)十五国都督(カミ)(みやま文庫)」が刊行される。
第4章上毛野氏と律令国家
  第2節上野三碑の時代/第3節山上碑と国家仏教/第4節多胡碑と律令行政/第5節金井沢碑と家族制度
10月31日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「朝鮮通信使に関する記録」と、「上野三碑(こうずけさんぴ)」が「世界の記憶」(世界記憶遺産)と登録される。
2018 30 2月、「群馬県立女子大学紀要 (39)/ 群馬県立女子大学紀要委員会」に熊倉浩靖著「上野三碑と韓国石碑文化 日本と新羅はなぜ統一国家建設に成功しえたのかの一側面」を発表する。
3月、佐藤信編「史料・史跡と古代社会 吉川弘文館」に磐下徹著「上野三碑試論」が掲載される。

[参考文献] 出版社・出版年等が不明な書籍  レファレンス情報からの抽出のため確認要  2018・6・5 保坂 
しののめ 2号 p.84-87  ロマン羊大夫 1 斎田朋雄著
しののめ 3号 p.54-56  百済亡命者の東国入植と上野国の三古碑と表記法 中野輝夫著(貫前神社と物部氏の研究 3)
しののめ 5号  史実を秘めた羊太夫の伝承 中野輝夫著(貫前神社と物部氏の研究 5) p.26-28   ロマン羊大夫 2 斎田朋雄著 p.29-33
群馬風土記 10号 p.60-65  羊太夫物語 宮下全司著(上州昔話 5回)
群馬風土記 74-75号  神と人二つの羊太夫伝説 上・下 佐藤喜久一郎著
群馬風土記 10(4) 通巻47号 p.124-   群馬の板碑 8回 行方平三郎著
遠望 第48号 2016.2 グラビア 世界記憶遺産候補上野三碑を読んでみましょう p9-11 世界記憶遺産世界記憶遺産候補上野三碑を読んでみましょう 熊倉浩靖 p29-40
高崎産業経済史 p.16-20   金石文
日本語誕生の時代  わずか十碑の中で-上野三碑の集中性 p.12-14
上野三碑考  当館所蔵「俳山亭文庫」にあり。  デジタル化完了資料。
群馬学の確立にむけて 5 第17回群馬学連続シンポジウム「上野三碑 輝ける古代群馬の至宝」
上野國古碑考[複写資料] 多胡碑、金井沢碑、山名碑の三碑を図示し、それぞれ碑文を語句ごとに詳しく説明している。当館所蔵の俳山亭文庫のものを複写し、ファイルに綴じたもの
群馬県史 通史編2 原始古代2  上野三碑の研究 p.219-222   上野三碑関係の主な研究・論著が時代別に多数紹介されている。
商工たかさき 755号 2015.11 p6-11  世界的価値!上野三碑を世界記憶遺産に
商工たかさき 779号 2017.11 p.28-29  上野三碑隠存命令(高崎アーカイブ)
上州路 45号  特集 上毛野の中の朝鮮文化  新羅人羊:多胡建都 p.27-30
上州路 88号  上野三碑−古代東国の謎に挑む
上州路 119号 p.72-74  上毛野三古碑に見る群馬の古代の外来文化 井上次男著
上州路 124-125号  上野三碑とその背景 1-2 飯野虎司著
上州路 248号 p.68-69  羊大夫伝説に挑む 浅見喜義著(上州路岡目八目)
上州路 252号 p.5-18  羊太夫伝承に誘われて、韓の国、多胡の里へ 熊倉浩靖著
上州路 344-346号  羊太夫 上-下 井上清著
高崎パリッシュ 210号  特集 高崎が誇る上野三碑の価値
グラフぐんま 530号  古代の群馬を語る上野三碑
広報高崎 1454号 p.2-9  ユネスコ「世界の記憶」に登録上野三碑   三碑がそれぞれ見開き1ページずつの構成で紹介されている。
古碑帖臨書精選第2期第13巻  比田井南谷臨 多胡碑 三十帖策子 比田井南谷臨書・比田井和子碑帖解説 ほか、日貿出版社、1981年、
沢田東江『上毛多胡郡碑帖』、楊守敬『望堂金石』、趙之謙『補寰字訪碑録』、「書跡名品叢刊 1 日本上代殷周秦」 二玄社 1964 (拓本) 
上州風 20 p.24-27  多胡碑「羊」は朝鮮半島の“渡来人”の名
小鹿野町の文化財 p.64  お塚(こふん)1基  地元では“羊太夫の墓”とする言い伝えがある、と記述あり。
群馬県を築いた人びと p.28-31  羊太夫(伝説の人物)  小・中学生向けの社会科読本
近世上野神話の世界 p.239-330   「羊太夫」と「上野国」の終焉
上毛むかしばなし p.11-16  羊太夫のはなし   つばさのある舎人   七つの輿
群馬文化 200号  古代   上野三碑と山上多重石塔 石川克博著 p.46-51
群馬文化 331号 p.1-18  上野三碑にみる石碑文化の伝播と受容 前澤和之著
群馬文化 287号 p.35-41  羊太夫説話の成立 茂木由行著

参考文献 楫取素彦関連
ぐんま地域文化 通巻39号 p.28-29  楫取素彦 石田和男著
埋められた多胡碑 p.11-16  序章 楫取素彦と明治期の保護
群馬風土記 1巻1号通巻1号 群馬風土記 2巻1号通巻2号  初代県令楫取素彦 前編・後編
群馬風土記 27巻1号 通巻112号 p.74-89  楫取素彦と妻寿子 本誌編集部著
関東を拓く二人の賢者―揖取素彦と小野島行薫  1987/4 韮塚 一三郎 (著)さきたま出版会
絹の国を創った人々 p.45-70  第3章 生糸産業を支援した群馬県令・楫取素彦
天皇陵の近代史 p.159  県令たちの発掘 税所敦と楫取素彦
上毛文化 50号 p.25-28  楫取名縣令之噂鳥々 津久井端平著
吉田松陰全集 別巻 p.33  小田村伊之助檜荘日記
松陰の妹二人を愛した名県令・楫取素彦

松陰の妹を妻にした男の明治維新
至誠の人楫取素彦
楫取素彦と吉田松陰の妹・文
楫取素彦
 

 大場磐雄先生は「日本考古学の現状と課題」の中で、「多胡碑」執筆にあたり「明治以後関係学者のこれに対する考説は頗る多く、その全部を列挙することは出来ないが、その中の主要なものを年代順に記すと次の通りである。」と、八編の主要論文を選びました。
 私も、拾い出してみて、その数の多さにあらためてビックリしてしまいました。年譜風なところに書き込んだ論文または書籍は、殆んどが国会図書館で閲覧が可能な書籍で参考にCID番号を添えておきました。また、「閲覧可能」と記したところの書籍は態々、国会図書館まで行かなくても自宅のPCから閲覧ができます。
 尚、下段の書籍類は「レファレンス情報」に記述があった書籍名で、発行年や出版社がやや不明なため、書き出しだけにしました。
 それにしても、近年までは、必要な論文がどこの書籍に掲載されているか調べるのにとても時間がかかりましたが、PCのお陰で検索機能が充実し、その分の空いた時間を思考に当てることができるようになりました。
 私は高校生のころ、ユネスコの活動に参加していました。その当時の主な国際的な活動としては、「ヌビアの遺跡を救おう」と云うことでした。ナイル川のダム建設が進められていることによって、だんだんと水位が上り流域にある「ヌビア遺跡が沈んでしまう」と、国際機関であるユネスコが中心となり遺跡移送のための救済活動が進められていました。
 私は、エジプト大使館が主催するそうした講演を聞きに行ったり、駅前で募金活動等を行ないました。やがて、ヌビアの遺跡は世界中からの資金援助が実り、安全な高台に移送することが出来ました。現在では世界中の人々がヌビアを訪れエジプト文明の一端にふれられていることを思うと考えもひとしおです。
 ユネスコ憲章の前文にはこんなことが記されています。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和な砦を築かなければならない。」平和は、政治や経済とか軍事とか宗教等ではなく、教育や科学や文化を通じてである。「世界遺産」、「文化遺産」と云われている所以の奥底は、実はそうしたところにもあるのです。
 「吉野秀雄」から項がすすみ「多胡碑」の書籍のところまで辿り着きました。思えばとても懐かしい記憶です。

吉野秀雄、門人として「多胡碑斷疑」の附記
会津八一著「山光集」の中から


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