1786 |
天明6 |
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5月6日、国学者、奈佐勝皐が「多胡碑」を訪ねる。 「山吹日記」より |
1795 |
寛政7 |
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藤貞幹が「好古小録 金石書画 乾」を刊行、「上野國多胡郡碑」を所収する pid/2538785 閲覧可能 |
1800 |
寛政12 |
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松平定信編「集古十種 碑銘之部 下」に「上野國多胡郡眞井村碑」が所収される。 pid/849528 閲覧可能 |
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1843 |
天保14
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10月、駒井乗邨編「鶯宿雑記 巻137」に「多胡碑考 」を所収(写)する。 pid/10301500 閲覧可能 |
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1856
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安政3
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1月、下池村堀口八郎右衛門が歌碑を建立する。
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多胡碑をよめる /陸奥出羽按察使(むつあぜち、みちのくのあぜち)前中納言有長
玉かしは書のこしたるかみつけに/うつもれぬ名そいまもかゝやく
玉かしは:玉柏 まん ねんすぎ (万年杉) ヒカゲノカズラ目の常緑性シダ植物。深山の樹下に自生。茎は地下を横走する根茎からまばらに出て,
高さ約20センチメートル。上半が分枝して密に葉をつけ,スギの小枝のような形になる。漢名,玉柏。
(参考) 「たまかし」 研究紀要 第10号 昭和51年度
浦和市立常盤中学校
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〇近世における検討事項/
伴信友「上野三碑考」、、伊勢貞丈考/安永四年閏十二月成。免園會集説所蔵、青木昆陽
中国清代の「金石志」にも載せられていることの経路など。 |
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〇近代における検討事項/楊守敬のころ『望堂金石』 |
1880 |
明治13 |
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〇この年、楊守敬が初代清国駐日公使何如璋の招きに応じ来日する。自著『楷法溯源』の中に「多胡碑」を所収する。 |
1882 |
15 |
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8月、富田永世輯録「上野名跡志 3編共7巻 初編 」に「多胡碑」が掲載される。 pid/994517 |
1893 |
26 |
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5月、狩谷望之編 「古京遺文 随筆集誌発行所」が刊行、「建多胡郡弁官符碑 」を所収する。 pid/780580 閲覧可能
〇この年、「松本豊多編 「漢文中学読本. 巻1下」」に「第五十一 大谷休泊紀功碑 揖取素彦」が掲載される。 pid/868809
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1903 |
36 |
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3月、「古蹟 2(2) 帝国古蹟取調会」に「多胡碑の面影 / 藤野靜輝・筑後國八女郡岩戸山發見の石盾に就て
/ 野中完一」が掲載される。 pid/1539686
3月、「古蹟 2(3) 帝国古蹟取調会」に「多胡碑―(寫眞版) / 口繪 」が掲載される。 pid/1539687 |
・ |
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・ |
1907 |
40 |
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4月、山中笑が「集古会誌 丁未(1)」に 「多胡碑給羊の文に就て」 を寄稿する。 pid/1588991
8月、「伴信友全集. 第2 国書刊行会」に「上野国三碑考」が掲載される。 pid/991313 閲覧可能 |
1908 |
41 |
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7月、「松屋筆記. 第1 p52〜p54 国書刊行会」に「松屋筆記 巻6ー82 多胡建郡碑考」が掲載される。 /pid/1087778 閲覧可能
11月28日付、中村不折のスケッチ「多胡碑と羊さまの榎」が朝日新聞に掲載される。 |
1914 |
大正3 |
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1月、「書苑. 3(7) 法書会」に「多胡碑(全碑縮寫 四字原寸)―東京―中村不折君藏」が掲載される。
pid/2732709
注 大正初期、「多胡碑拓本」が多野郡吉井町役場から頒布られているので原本との照合の必要性あり 2018・6・27 保坂
5月、「芸文 5(5) 京都文学会」に「多胡碑の讀み方 / 喜田貞吉」が掲載される。 pid/3547553
8月、豊岡義孝編輯「名胡碑集説」の記述あり。 「上毛及上毛人 3号上毛郷土史研究会」 井上通泰著「上代歴史地理新考 東山道」参考書目より 内容未確認
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1915 |
4 |
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〇この年、「十洲文鈔 巻1 細川潤次郎 著」に「多胡碑記」が掲載される。 pid/1229603 |
1916 |
5 |
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3月、吉井町長島福七郎が揖取素彦を顕彰し歌碑を建立する。
揖取素彦歌碑(側面顕彰碑文)/撮影 2018・6・30 |
深草のうちに埋れし石文の/世にめつらるゝ時は來にけり 素彦
(碑陰) 明治十一年、縣令揖取君、勸ク人修多胡(7行 略)
〇其顛末、冀使後人繼其/志、不墜其功/大正五年三月/吉井町長 島福七郎 |
5月、「考古学雑誌 6(9)日本考古学会」に「論説 外國の巴紋/原田淑人・繪插 上野多胡碑」が掲載される。 /pid/3548215
10月、「上毛及上毛人 3号 上毛郷土史研究会」に堀口梹。著「多野郡と碑文」を発表する。 pid/3567193(覆刻) |
1917 |
6 |
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1月、「上毛及上毛人. (6)上毛郷土史研究会p28〜29」に伊藤柏陵著「栗生系圖と羊太夫の傳説
」が掲載される。pid/3567196
7月、「上毛及上毛人 (11) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑記の拓本發行に就て
/ 豊國覺堂・本號附録 多胡碑記拓本・大石版摺 1」が掲載される。 pid/356720
8月、「歴史地理. 30(2)(215) 吉川弘文館」に「多胡碑に模刻 / 柴田・時事雜爼 法隆寺金堂壁畫」等が掲載される。 pid/3566464
8月、国書刊行会(早川純三郎)が「三十幅第三」を刊行、「並河永編「擬集古録巻之四・辯官符碑圖」を所収する。
11月、「上毛及上毛人 (14) 上毛郷土史研究会」に「「羊太夫墓碑と稱するものゝ石摺(原碑の所在不明、別項參照)・寫眞銅版」・「鳴鶴翁揮毫多胡碑記に就て
/ 豊國覺堂」」を寄稿される。 pid/ 3567204 |
1918 |
7 |
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7月、「上毛及上毛人 (21) 」に「我が多胡碑に潜める羊氏と丹治比氏との關係 /
豐國覺堂」が掲載される。 pid/3567211
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1919 |
8 |
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7月、「上毛及上毛人 (32) 」に「多胡碑面縮寫・コロタイプ版/ 上野古碑集説(一) / 土屋補三カ 」が掲載される。 pid/3567222
10月、「上毛及上毛人. (35)」に「山吹日記(一) / 關口・ 高橋道齋(一) /
市河三陽」の連載が始まる。 pid/3567225
11月、「上毛及上毛人 (36) 上毛郷土史研究会」に「上野古碑集説(五) /
土屋老平・多胡碑拓本跋 / 舘森袖海」が掲載される。 pid/3567226
〇この年、館森鴻 著「拙存園叢稿 : 8巻. 第參」が刊行され「多胡碑拓本跋」が掲載される。 pid/3439141 |
1920 |
9 |
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・ |
1921
1922
1924
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10
11
13
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〇月、「上毛及上毛人(46)p.28-29」に松田竰「日野絹」が掲載される。レファレンス(後半で“多胡碑中の羊”につて触れている。)
また、同号に 内山正如著「多胡碑歌」を掲載する。レファレンス(“羊”は“手”の字ではないかという説について考察している。)
〇月、「上毛及上毛人 (48) p.61-62」に「上野三碑漸く指定」が掲載される。レファレンス事例(内務省による史跡指定の告示についての記事。)
3月3日、「上野三碑(こうずけさんぴ」が史跡に指定される。
4月、「上毛及上毛人 (49) 上毛郷土史研究会」に「夏祭の眞意義は農村の性命に關す
/ 千朶山房主人・多胡碑記の拓本發行に就て / 豊國覺堂 ・本號附録 多胡碑記拓本・大石版摺」を寄稿される。 pid/3567201
〇月、「上毛及上毛人(59)p.49-50」に「上野三碑を細密に測量」が掲載される。 レファレンス事例(黒板博士らによる調査についての記事。)
8月、「上毛及上毛人(88) p22〜24」に「上毛に於ける羊太夫の傳説 (其の一)
/ 中島吉太カ」が掲載される。 pid/3567277
9月、「上毛及上毛人 (89) p25〜28」 上毛に於ける羊太夫の傳説 (二) / 中島吉太カ
」が掲載される。pid/3567278
10月、「上毛及上毛人 (90)」 p16〜18 上毛に於ける羊太夫の傳説 (其三) / 中島吉太カ 」が掲載される。pid/3567279
〇月、「上毛及上毛人 (92)p.35-39」に秋山吉次郎著「妙技登山及び上野三碑歴訪記
」が掲載される。レファレンス事例 |
1925 |
14 |
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8月、井原,雲涯,日下部鳴鶴著「鳴鶴先生叢話 昭文堂」を刊行、「多胡郡碑」を所収する。 /pid/1020601 |
1926 |
15 |
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3月、「史蹟精査報告. 第1 内務省」が刊行され「上野三碑調査報告(黒板勝美)
山ノ上古墳(田沢金吾) 日光並木街道-附・並木寄進碑(宮地直一)」を所収する。 pid/984231
閲覧可能
5月、「上毛及上毛人 (109) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の木版 / 覺堂
」が掲載される。 pid/3567299
5月、「群馬県史蹟名勝. 第1輯 群馬県史蹟名勝刊行会」に「多胡碑」が掲載される。pid/967892
〇月、「上毛及上毛人 (111) p.12-16」に豊國義孝著「上野三碑調査報告と黒板博士(上)」が掲載される。 レファレンス事例
〇月、「上毛及上毛人 (112) p.1-3」に豊國義孝著「上野三碑調査報告と黒板博士(下)」が掲載される。 レファレンス事例
この年、 市河寛斎著/三陽校「金石題跋 遊徳園 」に「上野多胡分郡碑」が所収される。 pid/1239714 閲覧可能
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1927 |
昭和2 |
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〇この年、藤沢衛彦著 「趣味の旅伝説をたづねて 博文館 」が刊行され「不知八幡森
/・羊太夫と多胡碑 ・小栗判官照天姫 ・ 高麗山の神」等が掲載される。 pid/1177519」
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1928 |
3 |
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〇この月、「上毛及上毛人 (131)p.70」に「上野三碑を放送」が掲載される。
レファレンス事例 古碑に関する研究についての放送があり、上野三碑が内容の中心であった、との記事。 |
1929
1930 |
4
5 |
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12月、「群馬県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第1輯」に「11多胡碑」が掲載される。 /pid/1119366
〇月、「上毛及上毛人 (156)p.62」に「上野三碑見学」が掲載される。 レファレンス事例 文部省史蹟天然記念保存協会主催の見学会の記事。
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1931 |
6 |
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2月、「國學院雜誌 37(2)(438) 」に「多胡碑の「羊」について / 中島ス次」を寄稿する。 pid/3365080
3月、「上毛及上毛人 (167) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の羊 / 松田竅E多胡碑に見ゆる羊氏の事
/ 豊國覺堂 」が寄稿される。 pid/3567357
4月、「上毛及上毛人 (168) 上毛郷土史研究会」に「再び『羊』について
/中島ス次 ・多胡碑の羊―(承前) / 松田竅vが掲載される。pid/ 3567358
8月、「上毛及上毛人 (124) 上毛郷土史研究会」に「福島縣にある多胡碑に就て
/ 磯田峯城」に掲載される。 pid/3567314
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1932 |
7 |
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5月、「上毛及上毛人 (181) 上毛郷土史研究会」に「 多胡碑の羊、羊の姓氏は何か
/ 松田竅vが掲載される。 pid/3567371
8月、「上毛及上毛人 (184) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の羊・羊の住所は何所か
/ 松田 」が掲載される。 pid/3567374
〇月、「上毛及上毛人(188)表紙裏」に「上野三碑」が掲載される。レファレンス事例 (上野三碑其他の詩、として中島筑水と矢野頑石の漢詩が掲載されている。)
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1933 |
8 |
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4月、「上毛及上毛人 (192) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑附近の布目瓦
/ 松田竅vが掲載される。 pid/3567382
9月、「上毛及上毛人 (197) 上毛郷土史研究会」に「多野郡吉井町多胡碑附近出土の布目瓦拓本
/ 表紙・尾Pケ原濕原中の池、尾Pケ原菖蒲平の濕原、及牧島菊園畫伯の山水畫
/ 口繪・ク土講座―(第一回)開講の辭 尾瀬沼と尾瀬ヶ原 / 中曾根都太カ ・多胡碑と附近の布目瓦
/ 松田竅vが掲載される。 pid/3567387
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1934 |
9 |
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3月、「上毛及上毛人 (203) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑と傳説 / 堀口梹。」が掲載される。 pid/3567393
6月、「上毛及上毛人 (206) 上毛郷土史研究会」に「今冬の大演習に畏き大御心
/ 金澤・多胡碑に就て / 豊國義孝」が掲載される。 pid/3567396
8月、「上毛及上毛人 (208) 上毛郷土史研究会」に「我國蠶業の大祖神 /
覺堂 / 表紙〜表紙・明治四年宮中御養蠶所の奉仕者・寫眞銅版 / 口繪・宮中御養蠶の濫觴に就て
/ 澁澤治太カ ・多胡碑の「給羊」に就て / 秋山吉次カ /・穴風外和尚碑 /・行幸記念碑建設」が掲載される。 pid/3567398
10月、「考古学雑誌 24(10)日本考古学会」に中島利一カが「論説 多胡碑管見」を寄稿する。
pid/3548435
11月15日、群馬県編「上毛大観」が「煥乎堂」から刊行される。 pid/1224435
参考 第一編 歴史 (第二編以降は省略)
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第一章 黎明期日本の東方經營策源地 毛野輝き |
第一節 先史時代人の生活
第二節 大和朝廷の蝦夷地方經營と上毛野氏の活動
(日本武尊傳説と一宮經津主命の奉祀)
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第三節 古代文化史上に於ける毛野文化の輝き―古墳文化
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第二章 上代上毛文化(律令政治時代の文化) |
第一節 中央集權的皇國土のク土に於ける確立
(一) 國・郡・クの設置と多胡碑
第二節 佛ヘ的日本精神の高潮 |
第三節 蝦夷經營と上毛
|
第三章 中世日本の指導力―毛野の力―上毛の正義 |
第一節 地方分權と東國武士團の發展
第二節 新田氏及び足利氏の出現―其の雌伏と雄飛 |
第三節 全日本指導の官賊二原理
第四節 毛野人の全國制覇時代 |
第四章 近世日本進展の各方向と其の先驅者上毛 |
第一節 戰國時代の上野
第二節 コ川氏幕下の小領主分封と第二回政權在近(江戸)時代の展開
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第三節 尊王運動より明治維新へ
第四節 近世日本進展の各方向と其の先驅者上州 |
第五章 現代ク土の動き |
第一節 帝都に近き我がク土の仰げる行幸啓
第二節 群馬縣治の發達
第三節 交通の發達
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第四節 産業の發達―本邦?業革命の先驅者群馬縣
第五節 ヘ育の發達
第六節 高崎聯隊の功績 |
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1935 |
10 |
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5月、「上毛及上毛人 (217) 上毛郷土史研究会」に「俳人鳥醉の二大遺蹟發見・多胡碑禮拜蘇峰學人の偉大さ・外に詩數首
/ 松田 ; 田村理 ; 矢野搨j ・小栗上野介碑前の追弔會 」が掲載される。 pid/3567407
9月、「上毛及上毛人 (221) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑愈々修覆」が掲載される。 pid/3567411
12月、松岡,静雄が「多胡碑断疑」を「煥乎堂」から刊行する。 pid/1259207 閲覧可能
また、同書に吉野秀雄が(附記)を書き残す。
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1936 |
11 |
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2月、「上毛及上毛人 (226) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑と來三月 / 松田竅vが掲載される。 pid/3567416
3月、「上毛及上毛人 (227) 上毛郷土史研究会」に「改築されし多胡碑新亭 / 口繪・ 多胡碑『給羊』の斷案 / 松田竅vが掲載される。pid/3567417
11月、「上毛及上毛人 (235) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑「羊」の再吟味
/ 中島ス次 」が掲載される。 pid/3567425
12月、「上毛及上毛人 (236) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑面及び上代文化を示す吉井の出土品寫眞 / 口繪」が掲載される。 pid/3567426 |
1937 |
12 |
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3月、「上毛及上毛人 (239) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の羊の業績と見るもの
/ 松田 」が掲載される。 pid/3567429
4月、「上毛及上毛人 (240) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑參拜の所感 附、島福七カ氏の事
/ 松田竅vが掲載される。 pid/3567430
8月、「群馬県下国宝並指定史蹟名勝天然紀念物」に 「多胡碑(多野郡吉井町)/・山上碑及古墳(多野郡八幡村)・金井澤碑(同)」が掲載される。
pid/1916628 閲覧可能
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1938 |
13 |
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8月、「上毛及上毛人 (268) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑所在地『池』の稱は何か
/ 松田竅vが掲載される。 pid/3567458 |
1939 |
14 |
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1月、日本歴史地理学会編「歴史地理. 73(1)(468)」に「論説 上野國三碑考―(上) / 井上通泰 / p15〜29」が掲載される。pid/3566719
2月、日本歴史地理学会編「 歴史地理. 73(2)(469)」に「論説 上野國三碑考―(下) / 井上通泰 / p35〜45」が掲載される。pid/3566720
3月、「上毛及上毛人 (263) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑の羊 / 松田竅@」が掲載される。 pid/3567453
4月、「上毛及上毛人 (264) 上毛郷土史研究会」に「三月九日の多胡碑記念日 / 松田 」が掲載される。 pid/3567454
6月、「上毛及上毛人 (266) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑と長崎氏 / 松田竅vが掲載される。 pid/3567456
9月、「上毛及上毛人(269)p.15-20」に井上通泰著「上野國三碑考 上」、表紙に「山名上の碑拓本縮刷」が掲載される。
10月、「上毛及上毛人(270)p.13-19」に井上通泰著「上野國三碑考 中」が掲載される。
また同号に「小栗上野介の航海日誌 / 高橋眞道」も掲載される。pid/3567460
11月、「上毛及上毛人 (271) 上毛郷土史研究会」に「上野三碑の一・多胡碑原碑の寫眞版
/ 口繪・上野國三碑考――(下) / 井上通泰」が掲載される。 pid/3567461 |
1940 |
15 |
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3月、黒板勝美 著「虚心文集. 第4 吉川弘文館」を刊行。「上野三碑 /第一章 序説
第二章 多胡碑 /第三章 山ノ上碑 /
第四章 金井澤碑 /」等を所収する。pid/1266398 閲覧可能
6月、会津八一が吉野秀雄と共に多胡碑を訪れる。
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六月一日吉野秀雄の案内にて多胡の古碑を觀たる後伊香保にいたり千明に泉亭に入る翌二日裏山の見晴に登り展望す
(九首略)
かみつけのそらのみなかにかがよへるくもはしづけしいにしへもかく
会津八一著「山光集 榛名の項」より |
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1941 |
16 |
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4月、「上毛及上毛人 (288) 上毛郷土史研究会」に「多胡碑を巡りて / 松田竅vが掲載される。 pid/3567478
4月、 井上通泰著「上代歴史地理新考 : 南海道 山陰道 山陽道 北陸道 」が刊行される。 /pid/1060520
8月15日、井上通泰が亡くなる。(77歳)
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1943 |
18 |
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6月30日、故井上通泰著「上代歴史地理新考 : 東山道 ・ 附・風土記逸文註釈 三省堂」が刊行され「上野國・上野國三古碑」を発表する。 pid/1060519・pid/3434573
また、同書索引欄に奈佐勝皐著「山吹日記」を紹介する。
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雑誌上毛及上毛人癸酉篇附録(昭和八年一・二・三・四・六・七・九・十月號)、天明六年四月及五月幕士奈佐勝□ガ上毛各地及足利ニ遊ビシ假字文ノ記ナリ。善本ナリ。某所所蔵ノ一本ト比較スルニ雲泥ノ差アリ |
7月、藪田嘉一郎が「考古学雑誌 33(7)」に「上代金石文雑考(上)」を発表する。 pid/3548541
8月、藪田嘉一郎が「考古学雑誌 33(8)」に「上代金石文雑考(中)」を発表する。
また同号に「論説 甲斐國分寺伽藍の研究 / 太田靜六・彙報 靜岡市登呂彌生式遺跡の調査 / 安本博 / p416〜418 pid/3548542
9月、藪田嘉一郎が「考古学雑誌 33(9)」に「上代金石文雑考(下)」を発表する。 pid/3548543 |
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1952 |
27年 |
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10月、「東洋書道協会 書品 33号」に三田C白が「多胡碑小考」、西川寧が「多胡碑餘談」を寄稿する。
pid/6077430 |
1953 |
28 |
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1月、「日本歴史. (56);1月號 吉川弘文館」に「多胡碑の羊の字について =
On the Character“羊”(Sheep)in the Monument of Tako(多胡)./曾我部静雄」を発表する。
pid/10232536 |
1954 |
29 |
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3月20日、「上野三碑(こうずけさんぴ」が特別史跡に指定される。 |
1955 |
30 |
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3月、「考古学雑誌 40(4)日本考古学会」に原田淑人が「多胡碑に見える「給羊」の新解釈」を発表する。 pid/3548582 |
1956 |
31 |
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〇この年、「書道名品大系 第12 書芸文化院」に「 二、 那須國造碑 折込 十六、
多胡碑」が掲載される。 pid/2475352」 |
1957 |
32 |
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1月、新潮54巻1号(昭和32年1月 通巻621号)-新年特大号 吉野秀雄「秋艸道人会津八一先生」が掲載される。 |
1958 |
33 |
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〇この年、萩原進 著 「上州路 [第2篇 第2] (史跡篇 西毛の巻) 高城書店出版部
」に「多胡碑 / 山の上碑と古墳 /金井沢の碑」が掲載される。 /pid/2982416 |
1960 |
35 |
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〇この年、「里見村誌 里見村誌編纂委員会 芸能娯楽と伝説口碑」を刊行「多胡羊太夫と多胡神社 p.845-847 多胡羊太夫由来記(原文) p.847-848」 を所収する。 |
1962 |
37 |
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〇この年、原田淑人が「東亜古文化論考 吉川弘文館」を刊行「多胡碑に見える「給羊」の新解釈 ・古代日本人とシナ鏡・五世紀の日本・前方後円墳の起源」等を発表する。 pid/2993676 |
1963 |
38 |
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1月、「書跡名品叢刊 106 多胡碑 解説ー加藤諄」が「二玄社」から刊行される。
9月、 尾崎 喜左雄が「群馬大学紀要. 人文科学編 (通号 12) p.87〜108」に「多胡碑の研究」を発表する。 |
1964 |
39 |
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7月、「親和. (128)日韓親和会」に「那須国造碑・多胡碑と帰化人(上) / 今井啓一・ここに日韓の向上を希望する若い意思と力がある
/ 早稲田大学国際関係研究会」が掲載される。pid/2251982
8月、「親和. (129)日韓親和会」に「那須国造碑・多胡碑と帰化人(下) / 今井啓一」が掲載される。 pid/2251983
11月、今井 啓一が「大阪樟蔭女子大学論集 (通号 2) p.1〜18」に「東国の開拓と帰化人--那須国造碑・多胡碑などを中心として」を発表する。
〇この年、樫村霞道著「多胡碑と羊太夫」が興文社から刊行される。 |
1966 |
41 |
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〇この年、尾崎喜左雄著「横穴式古墳の研究 吉川弘文館 「第二章 横穴式古墳編年の補助資料/第二節 截石積石室の用石と多胡碑の碑石との技法上の比較」を所収する。
pid/2972332/
〇この年、坂本太郎が「日本歴史考古学論叢」に「古代金石文二題」を発表する。 |
1967 |
42 |
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4月、「月刊考古学ジャーナル. (7)」に「〈新刊書評〉 尾崎喜左雄著『多胡碑』 / 坂詰秀一・〈学会紹介〉 多摩考古学研究会」が掲載される。 pid/6051440
〇この年、「美術文化シリーズ 63 多胡碑」が中央公論美術出版から刊行される。 再刊かは不明 調査要 2018・6・3 保坂 |
1969 |
44 |
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〇この年、「高崎市史. 第1巻」が刊行、「山上・金井沢両碑 上野三碑調査報告」を記載する。
pid/9640211 |
1970
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45年 |
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12月、「野州國文學. (6)国学院大学栃木短期大学国文学会」に 瀧澤精一カ著「「多胡碑存疑」補遺--第二次調査報告
」が掲載される。pid/4418650
12月、福山敏男が「新版考古学講座第7巻 有史文化<下> 雄山閣」に「古碑」を所収する。
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(略)文中、「給羊」の二字の解釋については江戸時代以来諸説があり、これを人名と見る説が多い。しかし新郡を某人に給うなどということを、たとえそれが郡領任命のこととしても、建郡の官符に載せたとは考えられない。官符の要点の写しという立場を通せば、「羊」は人名ではなく「畢」「矣」「以」などのように、助詞程度の役目の字とみた方がよくはないか。(略) |
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1971
1973
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46年
48
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7月、梅原猛が「芸術新潮 22(7)(259)」に「連載 塔19 多胡の碑の謎」を寄稿する。 /pid/6048510
また、同号に松本清張が「連載 遊史疑考(6) 三角縁神獣鏡への懐疑(上)」、小川光三が「太陽の祭壇
写真家が捉えた「大和の原像」(続) 」」を寄稿する。
7月、加藤宸ェ「歴史読本(8)」に「日本古代遺蹟の旅」の中で「五、群馬の古墳と三古碑」を寄稿する。

多胡碑 |
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資料 「群馬の古墳と三古碑」から 多胡碑の部分 (略)多胡碑ー。
多野郡吉井町にあるこの碑は、多賀城碑、那須国造碑とともに、日本三古碑の一つである。弁官符碑ともよばれている、また、山神碑や金井沢碑とあわせて上野三碑ともいわれる。/高さ一・二八メートル、幅六〇センチの方柱形の碑で、材質は牛状砂岩である。碑文は正面に六行八〇字である。読み方にはむかしから異説が多く定説はない。/ 『郷土の文化財』は、/「弁官(べんかん)の符(ふ)に上野国片岡郡、緑野(みどりの)郡。甘良(から)郡、并に三郡の内三百戸を郡となし。羊(ひつじ)に給して多胡郡となす。和銅四年三月九日甲寅の宣。左中弁は正五位下多治日真人(たじひのまひと)、太政官は二品穂積(ほんほづみ)親王、左大臣は正二位石上(いそのかみ)尊、右大臣は正二位藤原尊なり」/と読んでいる。/ 郡司に羊が任命され、帰化人による新郡、多胡郡が設けられたことのよろこびを、帰化人たちはみずからの手で、石に刻んだのである。(略)
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〇この年、清水要次 著「郷土のしおり西上州 アサヒ通信社」 に「四 歴史上の人物・史話・遺跡/1
伝説 羊太夫・3 算聖関孝和 ・.9 小栗上野介忠順・30 上野三碑めぐり 附 根小屋城探訪・37
明和事件・41 満州開拓甘楽郷 」が掲載される。 pid/9640556
〇この年、森浩一 編「終末期古墳 塙書房」に尾崎喜左雄著「上野三碑を中心とした古墳」が掲載される。
, ※「古代学研究 30号」(昭和37年 古代学研究会)所収論文を一部補筆・訂正したもの。 レファレンスより |
1974
1976
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49年
51
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5月、日本歴史学会編「日本考古学の現状と課題 吉川弘文館 1刷」に大場磐雄が「歴史時代/金石文/二 石造品」を寄稿、多胡碑のことを記述する。 注 2刷 昭和50年8月発行 大場磐雄先生は昭和50年6月7日にお亡くなりになりました。
12月、『吉井町誌 吉井町誌編さん委員会編纂』が刊行される。
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第2部 歴史篇/第2節 奈良時代
1 概観
2 多胡郡建置以前の上野国
(1)国号の変化・(2)上毛野君とその活躍・(3)上毛野国造と支配地域・(4)大化改新と国司制・(5)上野国の成立
3 多胡郡建置と郡郷制
(1)郡郷制・(2)上野国郡郷一覧
4 多胡郡山部郷とその所在
5 多胡碑の研究
(1)多胡碑をめぐる古墳概観(2)多胡碑研究の沿革(3)碑文の読み方とその構成(4)碑石と使用尺度(5)外来人の建郡(6)多胡碑の伝説
6 仏教文化
(1)寺院跡と瓦窯・(2)山ノ上碑と金井沢碑
7 万葉集・東歌・上野国歌 |
〇この年、橋爪聡著「多胡碑のはなし 吉井町教育委員会」が刊行される。
〇この年、多野藤岡地方誌編集委員会編「多野藤岡地方誌. 各説編」が刊行され、
吉井地区に伝わる「羊太夫 p.481-484」のことが記載される。 pid/964132
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