笛の音や 早稲の中道 人の行く
                      俳人・四方庵ほう水を歩く
  
  平成17年6月5日、川尻小学校のとなりにある「民俗資料室」に行きました。中は整理され養蚕道具や脱穀機等の民具が展示されていました。その中に偶然か、ひとつの木箱を見つけました。表には「掛物箱  高野方音」と書かれてありました。私は「あれ・・・」と思いながらそっと中を開けて見ました。その中には更に二つの木箱が入っていました。そして掛物箱の裏側の蓋にはしっかりとした字で「天明八年申戉十二月作之」と書かれてありました。二つの木箱にも驚くべく「良寛和尚和歌一首」、「松鶴  探信筆」と書かれてありました。中は二つとも空でした。
 三つの空箱の時代はそれぞれ違っていますが、どうして「こんな所にあるんだろう」と思いました。
 江戸からそう遠くない上・下川尻村には久保沢・原宿と云う二つの宿があり、それぞれに市もたち人々が集まる交易の場として永い間栄えました。天明年間は浅間山の噴火や飢饉など続きましたが、その一方、江戸の町々には「何々連」と云うような小さなグループが沢山誕生した時期でもありました。連は芝居・俳句や狂歌などを作ったり祭のだんどりなど、みんなで決めて楽しみました。句会も勿論、開かれました。上川尻村八木ほう水はそうした環境で育ちやがて相模を代表する俳人となりました。


            
        八木ほう水は文政4年(1821)12月24日、78才の生涯を閉じた。辞世の句
             無天命有天命  七十八翁 水山入
             比ときと 華野に心 はなちやる
                                       四方庵ほう水年譜

                 発句抄

                  春

                  東風吹くやかつぎ出したる遠眼鏡

                  鶯やひとりぐらしをかろしめず

                  妻あれば雛ある寺の仏かな

                  春風や都土産の血の薬

                  磯の寺見よや八日の花御堂

                  春風の秤にかける米俵

                  別るるや芝の浦浪啼くひばり

                  家ありて親ありて帰る夕桜

                  駿河路や二泊りなりおぼろ月
  
                  谷越に水曳きとげて春の行く

                   草の戸の留守や木の芽の月夜ざし


                  夏

                  藤蔭やかんばせうつる古硯

                  腹いつか淋しくなりぬむ藤の花

                  沢蟹の長き目を見よ五月雨

                  庵の筧世の苗代に濁るかな

                  卯の花や頭痛のくすりもどかしき

                  何もなく早夕飯や桐の花

                   燕の子をあらたむる朝茶かな

                  巣燕の啼く音や門のものもらひ

                  藻の花に白髪たれたる樋守かな

                  梵論字や影うつし行く青簾

                  虚言つきも来たり涼しきものの数

                  海涼し鳥は高きに飛ぶぞよし

                  稲妻に白滝長をあますかな

                  江の島の夕立見せよ茶一杯

                  蚊やり火や呼べばきこえる佃島

                  川せみや眠り合ひたる冷し馬

                  古郷や蝉は榎にわれ老いぬ


                  秋

                  稲の花故郷へ参る馬の上

                  古里へ秩父へ続く花野かな

                  馬かへす露の玉川夜明けたり

                  笛の音や早稲の中道人の行く

                  稲の香や駕をたてたる橋の上

                  朝富士を手にとる宿やむらすすき

                  珍しく下駄はく萩の旦かな

                  初時雨朽木の匂ひ探る時

                  秋風の空や小鳥のひとつ鐘

                   まめやかに誰も鍬とれ秋の風

                  月一夜無用の舌はうごかさじ

                  ものあれば影あり月の欠けそめし

                  長き夜にものいふごとき筧かな

                  高麗山は里の中なり鷹の声


                  冬

                  煤とりや蜜柑をなげる局口

                  年の市今年も死なず午房売り

                  寒菊を根曳きて姉を送りけり

                  吹き降りやこれが旅なれ千鳥啼く

                  枇杷の花二十日の月に咲きそめて

                  初空や宝が峰に子細なし

                  若水や都留の郡は遠からず

                  大身と呼ばるる構へ冬椿

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加舎白雄(1738〜1791)
(かや しらお)





 
  鶏(とり)の嘴(はし)に 氷こぼるる 菜屑かな

 「白雄句集」所収。寒さのため葉っぱの切れはしも凍てついてしまった。鶏がそれをくちばしでつついては、地べたからむしりとっている。むしりとるたびに、氷のかけらがきらきら光りながら、鶏のくちばしから散りこぼれる。
 加舎白雄は十八世紀後半に活躍した江戸中期の俳人。信州上田に生まれ、江戸で俳人として一家をなした。繊細、鋭敏な作風は、観察のこまやかさにおいて時代を抜き、今日なお新鮮である。 
        P168 大岡信 折々のうた 岩波新書

   人恋し 灯(ひ)ともしころを さくらちる
「白雄句集」所収。江戸時代いわゆる中興俳諧の代表的俳人。作風は飾りけを排し、わかりやすい表現をとるが、句には味わい深いものが多い。憂愁のかげりをおびつつ、どこかにういういしい清新さが漂うところに白雄の句の特徴のあることは、代表作のあるこの句にもうかがえよう。彼には別に春の季題「二日灸」をよんだ句、「母恋し日永きころのさしもぐさ」もあって、句の作り方に作者のくせを示す共通性があるのは興味深い。
         P34 大岡信 第四折々のうた 岩波新書                        
 
             資料 俳諧書簡の一部 
              加舎白雄→長松・ほう水  
 
    弥御安康奉賀候、野老無為在庵いたし候、
    さきの月はけしからぬ大雨、御聞及も候へ共、
    葛飾辺洪水、去いぬのとしの水かさに二尺高かりし由、
    おほれたるもあまた、飢人の数をつくし、天変無是非候、
    御地別条なきや、川もちかくいと御案申候き、
    草庵別条なし御案し被下間敷候、月並開巻御詠草返申候、
    長松様廿四日御手柄歓申候
    良夜もほと雲御作甚御ゆかしく候、以上

      降晴之夜 ひとり月にむかいて
      雨七夜に七夜をうらみけり
      さきの月にかはりていとしつかなる比の日を
      浅芳か原へ枝を引て
      鷹にひもなしたのむの田つら哉
      いなつまに匂をつけし魚荷哉
         恥入計
        八月七日
                長松 号大寿館、上川尻村畑久保の人、白雄門       
                   天明6年7月、関東・陸奥未曾有の大洪水、江戸の被害大、諸国大凶作となる。天明6年の書簡と
                   思われるが「去いぬのとし」とあるので再調査が必要


                倉田葛三→四方庵ほう水
 
    御安泰被成御座奉寿候、
    野坊無異ニ而中秋には姨山登り申し、扨また月夜仏とくに出来、
    この処便不都合ゆへ大きに延引虎杖も宜申上候、
    怒り候事御さ候、万々御届の節拝顔可申上候、頓首
          八月廿八日

       比ほとの麁案

      山里や鵙のおらすハ何か啼
      おとろひを先々見せる我茂香
      おもしろういひとらるゝや虫の声

          恥入計貴評
     尚々姨山のうたう小扁て懸御目候、   
     いつれ貴評御願に承度候、以上 
  
                 虎杖 宮本氏、八郎兵衛、春秋庵派、号虎杖、利翁、天姥、信州戸倉の人、
                        「つきよぼとけ」享和元年(1801)刊行、白雄門

                葛三 倉田氏、久右衛門、春秋庵派、号黙斎、鴫立庵主、信州戸倉の人、「ありとし集」外、白雄門

                倉田葛三→四方庵ほう水

     ほう水先生  葛三
     雉琢参り候節はたと失念申訳もなし、
     其後便をまてともさらに幸便なく延引御免可被下候、
     遠からす参上、
     万々御風流承度候、御社友にも御寄声可被下候、頓首
        二月二日

     麁案

      あそふには鍬も用あり夕柳
      早蕨のしめりをはたふひと夜哉

      恥入計貴評

           雉琢 遠藤氏、春秋庵派、号秋暮亭、鴫立庵主安房の人、「磯清水」文政12年(1819)刊外、葛三門

                     参考資料  八木蔦雨著 久保沢こぼれ話 城山町郷土研究会 
                            城山町史2 資料編 近世

 梵論字や影うつし行く青簾

   梵論字とは虚無僧を云う、すだれ越しに虚無僧が通るその影が静かに流れる。
   徒然草第百十五段、「宿河原といふ所にて」では二人の虚無僧(ぼろぼろ)が決闘、両者は思う存分
   刺し違え死んだ。「世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て、闘諍を事とす。放逸無慚の有様なれども、死を
    軽ろくして、少しも泥まざる方の潔く覚えて、人の語りしままに、書きつけ侍るなり。」
東海道五十三次、戸塚宿は
   ほう水が育った所、すだれ越しに様々な人々が行き交う。虚無僧を梵論字(ぼろんじ)と云ったところ
   に何か意味がありそう。

 江の島の夕立見せよ茶一杯
            
    作家、吉川英治は明治45年4月21日、新聞「日本」に俳句を投稿「江の島の火を砂山で寝て数へ」
    と詠んだ。己がキャンバスの中に自然と江の島の情景が見えて来るのが不思議だ。何時来るともなく
    夕立を。また、ぼんやりとして島の明かりを数えている。正確に数えなくてもよいのだ。ただぼんやりと
    して数えているのである。茶でも飲みながら、人生にはそんな他愛もない時間も時として必要だ。 


 高麗山は里の中なり鷹の声

   
  大磯 高麗山          鴫立庵

   相模俳壇の中心、鴫立庵は高麗山の麓、大磯にある。9月下旬から10月上旬にかけてサシバが
   高麗山をランドマークにしながら通過、伊良湖岬を経由して沖縄やフィリッピン方面に南下する。
   こうした光景を仲間と眺めた。深まり行く秋を大空が語りかけているのだ。


 枇杷の花二十日の月に咲きそめて
 この時期、南米原産の木立ダリアが気持ちよく咲いているのを見かける。枇杷の花?こんなにも目立たない花があったかと思うほど、不思議な気持ちになってしまう。二十日月?まるで目立たない。
 別に、咲いた咲いたと主張する訳でもなく、ただひたすらに咲いているのだ。そして時期が来れば、枝も折れんばかりにたくさんの実をつける。咲きそめる二十日月の夜。今も未来もずうっと最善なのだ。与えられた人生だ、自然に最善に生きよう。
追記・1月22日付け「産経俳壇・小澤實選」に「駝鳥らの身じろぎもせず枇杷の花」とあった。

 2005.12.2撮影


 初空や宝が峰に子細なし 


さがみ縦貫道建設用地から城山を仰ぐ

   江戸時代相模の国を代表する、八木(四方庵)ほう水は、目の前に堂々と聳える、津久井城山、宝が
   峰を前にして、いささかの子細も、また微動だにしない山相を心行くまで眺めた。
   51年前、城山町は誕生、町名は応募の中から選ばれたという。秋、渡りのサシバは城山をランドマー
   クに伊良湖岬を経由して南下する。
   城山は古来より東西南北の文化が交差する要となって来た。東西の文化は遠く黒耀石の道としてまた
   勝坂式土器などの文様にみられる伝播の道として証が残る。南北の道は窯業や機織、養蚕など高度の
   文化を伝えた。いつの日か城山をゴールデンクロスと呼ぶ所以である。
   やがて「さがみ縦貫道」も完成するだろう。その時、城山は文字通り文化や経済が交流する玄関口とな
   り、人々が行き交う交流の町として希望と活気に満ちあふれる。さあさ、みなさま城山へ。


  東風吹くやかつぎ出したる遠眼鏡
    今年の春は兎に角遅い。指標としている川尻八幡宮のウラジロガシがやっと水を上げ始めたのだ。樹
    液を求めてやって来る越冬中の昆虫たちにとっても待ちどうしい日々が続いた。平年より一ヶ月は遅い
    だろう梅の花もやっと咲き始めた。待ちどうしかった春がやっと来たのだ。遠眼鏡を取り出してこれから
    どこかえ行って見ようか。梅の香もしているぞ。春を見つけに、春が来たのだ。 


  駿河路や二泊りなりおぼろ月

    芭蕉は野ざらし紀行の旅の中で「馬に寝て残夢月遠し茶の烟」と詠んだ。大井川を渡って小夜の中山
    あたりか、季節は秋、それも二十月の頃と云う。春のおぼろ月、残夢とは「見はてぬ夢」の意。失意の中
    での旅、両者を対比して見た。東海道をそれぞれの思いが行き交う。それもまた人生だ。


 燕の子をあらたむる朝茶かな 
燕の子が巣立つ時が来た、ほう水はその数をそっと数える。毎年のことのように
「元気に育てよ、また帰って来いよ」とでも、云っているかのよう。
 7月23日、海老名市公民館においてリニューアルされた「カワラノギクを守る会」
が発足した。城山からも13名が参加、自己紹介ではそれぞれが抱負を述べられ
た。とても頼もしく思えた。みんな頑張ろう。会長は勿論、河又猛さんである。その
直向な心に一同が動かされる。総会の後、倉本先生からカワラノギクのお話をお
聞きした。さあ、出発の時が来た。
 相模川・大島河原で見つかったカワラノギク



 古里へ秩父へ続く花野かな

小松のコスモス
 「比ときと 華野に心 はなちやる」は78才で他界したほう水の辞世の句で
ある。この世を華野に例えた。小松では早咲きのコスモスの花が咲き始めた。
そして今、一段と高い小松城址に、日が沈みかけているコスモス畑。もうしば
らくするとコスモスまつりが始まる。今年もまた、多くの人々が集いゆく秋を楽し
むことだろう。
 ふるさとの畑や旅先でふと見つけた懐かしいコスモスの記憶、心の旅は時空
を超えて何処までもいつまでも続く。
  小松コスモスまつり  10月7日(土)〜8日(日)
 長き夜にものいふごとき筧かな
                        
   筧(かけい)から流れ出る水の音、春夏秋冬、水は涸れることもなく流れ出る。まるで私に話しかけている
   ようだ。ほう水の住む都井沢の井戸は、山の横に井戸を掘る「横井戸」である。そこから樋を伝い水鉢まで
   湧水を流す。都井沢の語源はそうした樋から生まれたと云われている。深まり行く秋を楽しもう。


 年の市今年も死なず午房売り
   昔、川尻村には二つの市が立ち賑わった。六斎市と云って久保沢では三、十三、二十三日、原宿では七、
   十七、二十七日と月に六回の市が立った。正月も、もう間近かきっと寅さんのような威勢のいいおじさんがい
   たに違いない「ヨッ オヤジ今年も死なず元気カァー」そんなやりとりがまるで聞こえて来そうな年の瀬である。
   正月の煮〆料理には牛蒡もいい。ゆっくりと竈で煮たキンピラもいい遠く古里の母の味を思い出す。古里と
   いえば正月、旧帯那村に牛蒡を束ねて寺の縁の下に放り込む風習がある。昔、武田勝頼の首が敵に見つか
   らないよう牛蒡と筵を一所に包んで縁の下に隠した故事に由来している。寺は甲府五山の一つ法泉寺で桜の
   木の横に勝頼の墓がある。

 井に落し 鹿引上る 雪解哉

龍籠山から見た「初日の出」 撮影2007元旦
 正月から物騒な句だが、どこか春の躍動感が伝わってきます。あわてた井戸の主、鹿を引き揚げた人々の驚きとその語らいが実に楽しくもあり、また哀しい。
 この句は、ほう水没後に編纂された追善句集、「可麗野かれのの露」の中に収められています。昭和35年限定150部、校訂を石井光太郎先生と安西勝先生がご担当され世に出されました。復刻本は全体が懐かしいガリ版刷でできています。今年はこの「かれのの露」からもほう水の句をご紹介して行きたいと考えております。



川尻八幡宮 節分 撮影2007 2・3 
 谷越に 水曳きとげて 春の行く 
 節分の日、摂社の天満宮の前にある梅が咲きそう。境内にあるウラジロガシからは樹液が染み出してきた。暖冬か、いつになく早い。八幡宮の長い参道から日が昇るのが2月19日、「雨水」の日だ。この日を境に、川尻は本格的な春となる。
 「雨水」とは山の雪が解け始める頃と云う。清らかな山の水。恵を施す大切な水が流れ始める。積もった落葉や泥を掻き出すことから始まる農作業。やがて堰を切ってそこに水が通る。そして、その先に豊穣の春が行く。


境川の春 2007・3・14撮影


普門寺の花まつり 2007・4・8撮影
 磯の寺 見よや八日の 花御堂
4月8日は、お釈迦様が生まれた日だ。各地のお寺では誕生佛を小さな御堂に遷して生誕を祝う。甘茶はその時にかけられる。
 ほう水がふと訪れた磯の寺、小さな御堂には花が一杯に飾られていた。お屋根は多分、椿の花か「ちょっと見てー」と、懐かしき風情が目にうかんでくる。
 芭蕉も大和で花祭りを詠んだ。「灌佛の日に生まれあふ鹿の子哉」 新しき命の誕生だ。苦しみ多き人生か、愛おしくもたくましく生きて行けよ。







 


伐採されたエノキ 中沢の三島神社
  撮影2005・3・12
 古郷や蝉は榎にわれ老いぬ
 だれにも古里がある。子供の頃に聞いた、シャンシャンかミンミンか恐ろしいほどに鳴いていたあのセミの音の記憶。
 「老いぬ」の言葉から古里への想いは更に深く、また時空をこえて忘れていない。子供の頃に遊んだ古里の懐かしい山河、父や母に叱られたことなど、それらがまるで走馬灯のように思い出される。
 お盆と正月、里帰りのことなど。今年もまた人々の大移動がはじまる。中島みゆきの歌ではないが、だれもが優しくなる季節でもある。  

   
 影そそぐ 流れは菊の 相模かな

大島河原に1本残ったカワラノギク
 撮影2007・9・27
甲斐の国鶴の郡有菊花山 流水洗菊飲其水 人寿如鶴
  影そそぐ 流れは菊の 相模かな
ほう水、追善句集「枯野の露」の中での句である。ほう水は甲斐風土記の中の一文を引用しながら菊の花咲く相模を詠んだ。大月市街の南に聳える菊花山から流れ出る湧水は飲むと鶴のように長寿になると云う。
 やがて、その湧水は桂川へ流れ菊の花咲く相模の国へ。ほう水の句には菊を詠んだ句が多い。この河原に咲く菊はカワラノギク、今が見頃の季節となった。今年は台風九号をくぐりぬけた逞しい菊ばかりである。どうかご覧下さい。
  カワラノギクの観察会 11月3日 13時30分 湘南小集合
           カワラノギクの文学

慈眼寺のお地蔵さん
     
  暁や 門田の氷 凍る音
  小学生の頃、氷が解けるのは0度、凍るのも0度と教わった。実は今もよく分からない。夜明けの寒い朝、氷が微弱な光を受けて音を出す。ほう水は凍てつく寒さの中でかすかな音を聴いた。布団の中か門田の前かそれは分からない。大自然がおりなす微細な音を深として聴いたのである。
 天明元(1781)年に発行された「俳諧松露庵随筆」集の中から選んだ。

津久井町中野 観音寺
   家ありて親ありて帰る夕桜 
 団欒の夕べ、月夜に桜が浮ぶ。いやまてよ、ありてありてと言葉が続くのは何故だろう、願望か、それとも虚空をさまよう精霊の句か。今年も桜の花が咲いた。花見の宴がいい。どんな境遇であるにせよ自然は全てを包み込み、そして時には激しくもまた優しくもなる。
「花もちり人も都へ帰りなば山さびしくやならむとすらむ」
 家族を離れ旅にでた西行はこんな歌を詠んで遠く故郷に残した家族を慕った。

  



普門寺 供養塔
    天保3年藩にそむきて獄死せるわが祖(おや)の供養塔苔むして建つ

 昔、川尻村で大きな騒動があった。その末裔である歌人が詠んだ歌だ。供養塔は中沢の普門寺に今もある。ひとつは危険を防止して笠の部分から外されている。風化が目立ち補修も必要としている。
 梅雨前線が停滞して湿度の高い日が続く。供養塔の苔が更に苔むす。何百年も前の出来事だが歌人は決して忘れていない。風化してなくなりそうな、もしかして、なくなってしまえば良いのかも知れないが、自重の意味を籠めているのだ。歴史は繰り返す。だが、せめてもの戒めとして強い信念を貫ぬき、そしてこの世を去った。古本屋にて、加藤哲雄著「山峡牧歌」を購入する。   (注)この歌は加藤哲雄作

 藻の花に白髪たれたる樋守かな   ほう水

 「お祝いの鏡」
 清流にバイカモの花が咲くのは7月から8月と云う。ほう水の句には山からの細流を材題にした句が実に多い。その細流に樋を懸け水を引く。そしてその先に人々の暮らしが連なる。樋を管理しているのは樋守か、決して多くを語らぬであろう老人が藻の花を見ているようにも思える。
 町内に藻類学者がおられる。「淡水産藻類属総覧」は5年の歳月をかけ刊行された。今はアジアの藻類についてのご研究をされている。先日、先生から「60の祝い」にと鏡を・・・。ありがたくてありがたくて・・・。先生に研究の終わりはないという。微細の世界に宇宙がひろがる。



 燕の子をあらたむる朝茶かな    ほう水 

かわいいツバメ 城山こどもセンタ
 撮影2008・7・21
 S子ちゃんのお母さんから電話があった。「ツバメの巣が落ちてかわいそう・・・」私は、困ったなと思いながら、でも何とかなるかなと紐とガムテープを持って出かけた。雛は落ちたショックからかうずくまって元気がない。天上に金具をねじ込み箱が揺れないように固定した。親のツバメが早速やって来たがなかなか餌をやろうとしない。「親ツバメのとまるところがないからかなー」そう思い今度は段ボールを3枚重ねて足場を作ることにした。それから二日後、「親つばめが餌をやってるー。元気だよ。」雛は元気でいてくれた。チョット不恰好だけれど、どうも気に入ってくれたようだ。何だかうれしい。 

 朝富士を手にとる宿やむらすすき  ほう水

 普門寺権現堂から見た富士の夕暮れ
 寛政4年、ほう水は富士山に登った。朝、宿の戸を開けると満面の富士がその姿を見せた。朝日を受けて色は赤く、微妙に変化しながら最後は黄金色になると云う。富士には月見草も似合うが、やはりすすきか。
 ほう水の地元からも富士が見える。普門寺の一段高い権現堂からの眺めが良い。津久井湖の後に観音さまが寝ているようなその山の一番奥に遠慮がちにした富士が見える。富士はどこから眺めても良い。

 煤とりや蜜柑をなげる局口    ほう水
 今年もまた暮れようとしている。新年を迎えるため昔はどの家も大掃除をしていた。囲炉裏を焚いているのでどの家もすす払いをする。竹の先端に笹を巻いてそこらじゅうを叩く。ふと見ると、若い女性たちが蜜柑を投げ「食べよ」といっている。顔は恐らく煤だらけか、何ともユーモラスな年の瀬の光景である。
  

 紅梅に猿若参る座敷かな    ほう水

かなくぼ谷戸の早春
撮影2008・12・31
 久保沢に昔芝居小屋があった。有名な猿若一座の演目が今始まろうとしている。幕の東西には紅梅が描かれている。待つことの期待と演者の緊張が紅の梅で仕切られている。津久井が生んだ尾崎咢堂は「人生の本舞台は常に将来にあり」と人生を舞台に例えた。我が人生の晴れ舞台は如何に、ほう水は今、座敷に座りながら拍手喝采の準備をしている。春の花は全てが優しい。そしてその一番初めが梅なのである。
             初春を お慶びを申し上げます。

 春風の秤にかける米俵    ほう水

 平成3年5月、旧城山町の広報紙が「プリニーズ」と名称を変更した。PRETTY(可愛い)とSNEEZE(くしゃみ)の造語と云う。この広報誌は相模原市との合併とともになくなったが編集者は後記のなかで「広報紙がより親しみやすく、もっと身近になれば・・・」と結んだ。
 2月13日、城山に春一番が訪れた。重い米俵を天秤に載せて量っていると突然に春風が吹いた。天秤棒はゆらりと揺れて定まらない。ほう水は帳簿の筆を休めた。春の悪戯ぽい風は束の間の清涼剤かほう水の呼吸が見える。

               我あれハ影あり月の欠そめし    ほう水

カワラニガナが自生する大島河原
 寛政9年(1797)、ほう水は女流俳人松原庵星布が刊行した「七とせの秋」に序文を書いた。「七とせ」とは師である白雄の七回忌を云う。この句は欠けそめしで始まらない、主題はあくまでも我であり師である。
 八木重吉は「静かな焔」と題し「各つの木に/各つの影/木は/しづかな ほのほ」と書いた。欠けそめし行く時、師と云う存在は真さに永遠なのです。例え肉体が滅びたとしても、受け継いだ存在はいつまでも永遠なのです。今、その存在がしづかな焔となって見えてくる。
 
      
              川せみや眠り合ひたる冷し馬      ほう水

馬(推奨) 川尻小 田中光
「赤い鳥」大正15年10月号より
 ひでりの道を/通る馬。/のめっこい光る毛/あつさうだ。/馬のくらがかすかに光る。/えん天のあつさ、/勢ひのよいかげが、/まっくろで/光るやうだ。/
 大正15年、小松の田中光(女性)さんは「馬」と云う詩を「赤い鳥」に投稿し推奨に選ばれた。白秋は「田中君の「馬」は、勢があり、のめっこい黒い光があり、動きがある。力がこもってゐる」と選評した。
 夏の炎天は馬たちにとっても辛い、ほう水は川で馬を洗っている光景に出会った。農夫の優しさといたわりがあたりの川せみまでも眠り合うようにキモチいい。さあ、また頑張ろう。
                  
 うくひすに身退たる人問ん/黄鳥に身退たる人もかな   ほう水

庭に来たメジロ 撮影2009・12・31
 どちらもほう水の句。老子曰く「功遂身退、天之道也」からきているか。確かにウグイスは初春の使者だ。ウグイスはさえずる・・・。そして、その役目を終えると再びあの藪の中へ帰って行くのである。廻るべく一年は何と早いことか。
 ほう水は、この節目の時を自問し時の重みを感じている。

 蚊やり火や呼べばきこえる佃島    ほう水

2010・5・16 夜
 佃島の対岸は深川、大川を猪牙(ちよき)舟がイソオイソオト。蚊やり火は蝋燭の明かりか、遠くにその明かりが揺らぐ。男と女の声が微かに聞こえる夏の夜。宮崎に唄われるひえつき節は、「庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて/鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ」と、明かりと鈴の音が情感を呼ぶ。
 ほう水に、その語らいを聞いてみたい。
          
 比ときと 華野に心 はなちやる    ほう水    

明治40年4月号「文章世界」
表紙の一部
 
 「比ときと 華野に心 はなちやる」は、ほう水の辞世の句。華野とは現実の世界のことか、 あなたの蒔かれた種は、きっと、いつまでもいつまでも咲き誇ることでしょう。例え肉体は滅んだとしても、あなたの築かれた精神(心)は永遠なのです。さあ心の旅路が始まりましたよ。心よ、おもう存分に放ち給えと。

  吹き降りやこれが旅なれ千鳥啼く    ほう水 

境川の水をポンプで汲み上げる
撮影 2010・12・29
 吹き降りとは、山から吹き下ろす風を云う。小松の谷戸の沖に「百拾わず」と云う地名がある。旅人は山から吹き下ろす風が余りにも寒かったため、目の前に落ちていた百文銭をどうしても拾うことが出来なかった。それより一刻も早く、ここを抜け出し家に帰りたかったのだ。
 芭蕉「野ざらし紀行」の出発はこの様な日ではなかったか。旅立ちの期待と不安、その延長上に千鳥が底冷えの風に向かっている。寒風に向かうセグロカモメの子は親の口ばしの赤い斑点を打つ。そうすると親鳥はお腹から餌を出して子に与えると云う。
 これは逆境から勝ち得たご褒美なのだ。新しい年が始まった。やがて咲く、すみれの花もあるだろう。旅に終わりはない。

 虚言つきも来たり涼しきものの数

八木重吉兄弟が奉納した火鉢
  撮影2011・4・30
 世の中にはj実に 様々な人々が暮らしている。開けっぴろげの玄関の先からいつもの語らいが聞こえている。どんな話をしているか気になどしない。玄関からは気持ちのよい風がそよいでくる。日はゆったりとして過ぎてゆく。
 今年、初めて武相卯歳観音霊場めぐりを行った。八木重吉の詩を思い浮かべながらの巡礼であった。最終日の午後、地元の大戸観音堂に出かけた。講中小屋の整理をしていて、その中に重吉さん兄弟が奉納した火鉢を見つけた。重吉さんには、こんな詩がある。ねがい  どこを /断ち切っても/うつくしくあればいいなあ/天国 天国は/どこをたち切っても力がみなぎっている/表裏はなく/それでいて千変万化だ/いのちが流れているので/自分だけとどまって腐っていれない/・・・・・どちらも疑を説いた俳句と詩だが随分違うようだ。

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