八木重吉さんの兄弟が奉納した 正観世音菩薩 火鉢が発見される。 作成2011・5・1 追加2011・5.7 漢詩の部分を追加 平成23年4月30日、12年に一度の開扉卯歳観音の最終日、第24番札所大戸観音堂の境内にある講中小屋から八木重吉さんと八木純一郎さんの兄弟が奉納した火鉢が発見されました。火鉢には梅の絵や讃が刻まれてありました。奉納の時期は「昭和二年丁卯三月 日」とあり4月から始まる武相卯歳観音開扉を意識しています。また、「奉納 正観世音菩薩」とあることから大戸観音堂の御本尊が正観世音菩薩であることを証明しています。 重吉はこの年の10月26日、29歳の若さで昇天しました。敬虔なクリスチャンであることは云うまでもありませんが、生まれ育った観音堂開扉の歳を決して忘れていませんでした。 火鉢の発見は、今後の八木重吉研究をすすめる上で大きな成果を得ることでしょう。 撮影2011・4・2 大戸(おおと)観音堂 撮影2011・4・30 火鉢が発見された上大戸講中小屋 発見された一対の火鉢 納 奉 正観世音菩薩 当所 八木重吉 八木純一郎 昭和二丁卯年 三月 日
先生は、先ず、四行になっていた漢字列を二行におき直し、本来のかたちに戻してから、二行目を考え込んで、「日本語にならないなあ」と云いながら「その」と云う言葉を付け加えました。そして、「うめがかおる、まことにあいするところ。はしのはな そのあたりにいたりてぎんず」と詠みました。「その」と云う言葉を付け加えることはよくあるのだそうです。漢詩の中に「吟ず」とあることから、重吉さんはきっと声を出して詩をうたいたかったかも知れません。 <漢詩のイメージ> @梅の香の所を天国か基督、正観音さまがおられる、あの世と例えてみました。 A橋とは、生きている世界と死後の世界とを結ぶところと例えました。あの世とこの世です。 B掲載した後期の作品群の中の「梅」、「夕日」、「春」などからその心象を探ってみました。 まとめ 開扉卯歳観音の最終日、偶然に八木重吉さんの地元、大戸観音堂を訪ねました。そうしたら重吉さん兄弟が奉納した火鉢に対面できたのです。これも観音さまのご縁かと思いました。八木重吉さんの詩集「貧しき信徒」は重吉さんの死後(昭和3年2月)に出版されましたが、詩のひとつひとつが何時頃作られたものか分りません。昇天される昭和2年の詩がどのような内容かよく分りません。もしかして健康状態が悪化してそれどころではなかったか定本にも記載がありません。創作活動を止めてしまったのでしょうか分りません。そうやって考えていくと、「昭和二年丁卯年 三月 日」と年号の入った火鉢に刻字された漢詩の持つ意味がとても重大な意味合いをもってまいります。重吉さんの最晩年の年の精神的構造を知るうえでとても貴重な存在です。 定本のなかに未題で暗号のような言葉、「ナニ あとで分るさー ホホウ! 外はひどく寒む相だ」は何の意味があるのでしょうか。日本人が無意識の中で夕日を眺め無常を感じている、心の原風景のようなものを感じ取ることができるからです。そして、火鉢に託した想いは「冬の夜」の詩が示すような、みんなが遊ぶような気持ちでつきあえるよう、正観世音さまのおん前に奉納したのだと思います。 お詫び 当初、吟を陰影から今と判読しておりました、謹んでお詫び申し上げます。 参考資料 普及版 定本 八木重吉詩集 弥生書房 19版 発行 昭和50年10月 八木重吉詩集 代表 八木とみ子 山雅房(さんがぼう) 信仰の生活 植村正久 新教出版社 発行昭和21年10月 日本人の無常感 本田義徳 日本放送出版協会 NHKブックス66 発行 昭和44年11月 日本人の心情 その根底を探る 山折哲雄 日本放送出版協会 NHKブックス424 発行 昭和57年10月 武相卯歳観音霊場めぐり 詩人・八木重吉さんの故郷 八木重吉「茶の花忌」 光遊び 重吉さんの年譜 戻る |