西暦 |
和年号 |
出来事 |
1938 |
昭和13年 |
1月24日、県臨時議会で地元出身の下條亮議員が建設反対の意見を述べる。
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「先祖伝来の墳墓の地を捨てるという悲惨な運命にある事は同情にたえない。」として、補償問題・交通・移住地などの質問を行う。 |
1月26日、県臨時議会の最終日に建設予算等を議決、ダム建設が正式に決まる。 /相模湖町史
2月25日、県相模川河水統制計画事務所を与瀬町に開設 /相模湖町史
6月23日、知事が地元の勝瀬を訪問し説得する。/相模湖町史
この会合には与瀬町・小原町・内郷町などの町村長をはじめ住民多数が参加する。 |
1939 |
14年 |
5月2日、日連村勝瀬部落の補償決定 /相模湖町史
9月13日 工事施行認可申請が電気庁長官に提出、当初の計画の内容が大幅に改められる。
注意 県企業庁史 p400 同書p420では同年9月31日、逓信大臣に提出
とあり
12月 相模原都市建設水道布設案県会で議決
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1940 |
15年 |
8月、臨時県会で事業費の総額は当初の計画より1950万円増額した4680万円とし、工期も1年延長した昭和17年度迄とする案が可決する。
県企業庁史 p400
11月13日、津久井発電所の電気工事についても認可がおりる。
11月15日 日連村勝瀬部落の離村式 /相模湖町史
11月21日、津久井第1・2工区の工事契約が結ばれる。
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津久井第1工区(大倉土木株式會社) |
津久井ダム、取水口、導水隧道(3.210m)、土捨場工事 |
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津久井第2工区(株式會社熊谷組) |
導水隧道(3.006m)、水圧管路、発電所機械基礎、津久井分水池
放水路及び土捨場工事 |
11月25日 与瀬町で起工式が実施され工事が始まる/相模湖町史 県企業庁史p402
12月、津久井関係土木工事で着工早々、大出水を受ける。 |
1941 |
16年 |
6月 津久井隧道の掘さく中に悪地盤にぶっつかり、実施設計とおりの工事ができなくなったため圧力隧道から自然流下式隧道に改める。県企業庁史p493
7月、再度、津久井工区で大出水に見舞われ津久井ダムの仮排水路などに大きな被害を受ける。
11月30日、津久井堰堤仮排水路が完成する。 /相模湖町史
12月末、相模ダムの仮排水路通水賂が完成する。 |
1942 |
17年 |
3月 熊谷組、大倉組に朝鮮人労働者が配置されはじめる /相模湖町史
9月23日、荒木陸軍大将一行が与瀬・沼本・久保沢・上溝・渕野邊方面を視察する。

9月23日、荒木大将視察日程表 所蔵 市立相模原博物館 |

建設事務所前での記念撮影
(中央:荒木貞夫陸軍大将・前列向って左から三人目が岩本信行県議会議長・同四人目が氏家文彌土木技師・六人目が金野賢彌建設事務局長・後列向って右端が伊東剛事務所土木課長)
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10月、津久井ダムの掘さくの大半を終了する。
ダムコンクリートの打ち込みは約25%に達する。、津久井隧道は6.250m中6.000mの掘さくを終える。
〇年末より、資材不足で工事期限が延長される。
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1943 |
18年 |
4月25日 津久井隧道貫通。 中国人労働者が就労 /相模湖町史
〇この年、日本大学、早稲田第二高等学院等生徒など学徒動員実施される。
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学徒動員された七学校:日本大学土木科・早稲田第二高等学院・横浜高等工業学校建築科・県立平塚農業学校・県立愛甲農業学校・県立相原農蚕学校・私立藤沢中学校
/相模湖町史 |

〇この頃、ダム建設工事募集のポスター(時期不明)
旧津久井郷土資料館所蔵
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〇この年秋、2度にわたる出水によって、相模ダムの仮締切りを流出、被害が続出する。
12月31日、津久井発電所1号発電機が運転を開始する。
〇この年に起きたこととして、権守芳泉が「こんなこともあった」と「広報城山 第124号 城山散歩」の項に書き留める。
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こんなこともあった/三十三回の終戦日をむかえて思い出したことを語ってみよう。/時は昭和十八年、相模川を与瀬でとめて人造湖をつくり、その水を隧道で谷ヶ原まで運び、上水道、発電所、灌漑等に用いるという大工事であった。そのため大ぜいの朝鮮の人が労働に駆り出されて来て、たちまち谷ヶ原在住人口の何十倍という人で埋った。したがってあちら式の結婚式や葬式、または月を祭る行事などみることができて、私等が朝鮮にいる様な錯覚さえ起ることがあった。/さて。一方、戦争はますますはげしくなり、若い者は招集され、残ったものは食糧の供出にあおられた下手を作ると自家保有量どころか、買ってまで納め、その責任を果たさなければ罰せらる樣な時であった。(以下・略)
「広報城山 第124号 城山散歩 昭和53年10月1日発行」から抜粋 |
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1944 |
19年 |
1月3日、津久井発電所が送電を開始する。
10月、津久井発電所の2号機もフル運転を開始する。
12月21日、相模貯水池、貯水開始 /相模湖町史
〇この年、日本大学、早稲田第二高等学院等生徒など学徒動員実施される。/相模湖町史
〇この年から資材の不足から軍需省の設備変更令が出される。 |
1945 |
20年 |
2月28日、相模発電所送電開始 注/相模湖町史 企業庁史では 2月23日
6月21日、資材不足により工事中止 /相模湖町史
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1946 |
21年 |

相模ダムに表示 |
7月27日 米国からの資材補給により工事再開 /相模湖町史
8月28日 「相模湖」と命名し、命名式を実施 /相模湖町史
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1947 |
22年 |
4月1日、県相模川河水統制事業建設事務所廃止する。 /相模湖町史
6月6日 建設工事殉職五六柱の慰霊塔除幕式が行われる。/相模湖町史
6月14日 相模ダム近くで、竣工式を実施する。 /相模湖町史
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「相模湖完成五十周年を想ふ」 −元一地権者の声− (全文掲載予定)
平成九年二月一日 〇〇
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