農民作家、加藤武雄の軌跡
   @ 当麻田・開田記念碑を読む。

                                作成 2010・3・14
                                追加 2010・10・17 開田記念碑建立記念の写真

 昭和21年(1946) 11月3日、日本国憲法が公布されました。同月、当麻田の人々は戦争による悲しみを乗り越え「農業日本、平和日本、新生日本」と、新たな決意を基に開田の記念碑を建立しました。
 記したのは隣町に生まれた加藤武雄でした。碑文の末尾に首途と記したのは、これから始まる将来を船の先端と例えたのです。

                   ↑ 字名 田倒し(タドオシ)
 左の図は「相模国高座郡相原村絵図面」と云い享保3年(1718)に作られた絵図を基に元治2年(1865)写し改めたものです。
 当時の面影を断片的に見ることができます。中央部に「字田倒し」とあるのは、かってそこに田んぼがあったことを意味しています。
 畑の等級は上畑とあり土壌の良い所となっています。
 村々を結ぶ道路は水口(みのくち)で五差路となって集中し東えは緩やかな段丘面を
辿りながら「三屋」を抜け橋本方面に延びています。
 相原村の集落は八幡宮 、正泉寺や華蔵院等の寺社を中心にしながら東西に広がっています。集落の南側は畑が広がり更にその南側に七ヶ村の入会地でもある秣場(まぐさば)が広がっています。また村の北側を武蔵国との境をなす境川が蛇行しながら流れています。
 当麻田地区はこうした境川と広大な相模野台地に挟まれた小規模な沖積地にあります。下の写真は昭和20年代の様子です。江戸末期の様子とほとんど変わらないことが確認できるかと思います。また開田碑にも記されてあるように中央部には水田が再拓され豊かな水田地帯が広がっています。
 また相原正泉寺文書、文禄三年七月御検地帳によれば 「一 上田 四町壱反八畝弐拾八歩
                          一 中田    壱反一畝拾五歩
                          一 下田      四畝弐拾歩  
                          一 上田荒       拾八歩」
とあり、文禄年間までは当麻田地区にも水田があったことを確認できます。その後、寛永年間に上流の川尻村(現城山町)原宿地区が開発され、飲み水用に原宿用水が作られました。そのため下流の相原村では川の水量が減り以前のように田んぼに水を引くことができなくなりました。肥沃な田んぼは見る見るうちに荒れ果て、やがて畑へと変わって行ったのです。
 現在の当麻田地区は、昭和52年1月に建立された「相原田通土地区画整理事業竣工記念碑」が示すように土地区画が行われ宅地へと変わって行きました。
 かっての水田を辿るには、「田ノ上」、「田尻」、「水口」、「当麻田」、「田倒(通)」等の地名から、または「開田記念碑」と云うことでしょうか。農民作家加藤武雄が記した「開田碑」、そこには当時の人々の熱い気持ちが記されていました。

相模原市相原・当麻田地区 開田碑
開田発起人
耕地整理組合長
同    副長  

同 
同    理事






   額字
   文并書


神藤利○
西岡義○
小川徳○
清水長太○
井上鶴○
小川健○
小星恵○
清水巳之○
森崎悦○


有馬頼寧
加藤武雄殿













小川卯○
吉川恭○
清水穎○
森崎源之○
吉川音○
神藤松○
神藤攵○
井上弥○
市川修○
田中谷○
市川久○
清水兼○



小川康○
神藤軍次○
瀧原庄次○
愛川登○
小川卯太○
森崎廣○
森崎治○
井上攵次○
吉川○
吉川憲○
吉川新一○
土屋佐四○

※名前の末尾を○印で省略
「開田記念碑」の碑文について
  開田記念(原文)

太平ヲ萬世ニ開キ
世界ノ平和ニ先駆スルトイフ
我ガ民族ノ大使命ヲ前ニシテ
我等農ハ国本ナリトノ古ノ
帝ノ詔ヲ想起シ
平和ヲ以テ貴シト為ストノ
我ガ国最初ノ憲法
第一條ヲ想起スル蓋シ
人間ノ尤モ重ンズ可キハ
食デアリ
産業ノ中
尤モ和ノ心ニカナフモノハ 
農デアラフ
我ガ相原ノ地
往昔水利ヲ
隣保原宿ノ開発ニユズリテ
以来郷域絶エテ
水田ヲ見ズ
村民コレヲ憾ミ
ソノ再拓ヲ企ツルコト
年アリ
昭和七年十月
計熟シテ着手シ
翌八年五月
力を盡シテ
成就シ
口碑ニ残ル當麻田ノ名
茲ニ
漸ク
ソノ實ヲ得ルニ至ッタ
コレハ
必ズシモ大事業トハ云エナイガ
寒熱ニ忍ビ
障碍ヲ凌ギ
千辛挫ケズ
萬苦屈セズ
同志三十有三名
終始一和
協力
克ク
ソノ功ヲ成セルハ
偏ニ
コレ烈々タル農民魂ノ
発揮トイフ可キデハ無イカ
今ココニ
コレヲ録スルハ
以テ
後生ヲ勤メ励マスト共ニ
兼ネテ又
農業日本
平和日本
新生日本ノ首途ニ
記念センガ為デアル

昭和二十一年十一月之ヲ建ツ
        加藤武雄誌

     開田記念(読み下し)

※1太平(たいへい)を萬世(ばんせい)に開(ひら)
世界
(せかい)の平和(へいわ)に先駆(せんく)するという
(わ)が民族(みんぞく)の大使命(だいしめい)を前(まえ)にして
我等
(われら)(のう)国本(こくほん)なりとの古(いにしえ)
※5 
(みかど)の詔(みことのり)を想起(そうき)
平和
(へいわ)を以(もっ)て貴(とおと)しと為(な)すとの
我が国
(くに)最初(さいしょ)の憲法(けんぽう)
第一條
(だいいちじょう)を想起(そうき)する蓋(けだ)
人間
(にんげん)の尤(もっと)も重(おも)んず可(べ)きは
(しょく)であり
産業
(さんぎょう)の中(なか)(で)
(もっと)10(わ)の心(こころ)にかなうものは
(のう)であろう
(わ)が相原(あいはら)の地(ち)
往昔
(おうじゃく)水利(すいり)
隣保
(りんぽ)原宿(はらじゅく)の開発(かいはつ)にゆずりて
以来
(いらい)※15郷域(きょういき)(た)えて
水田
(すいでん)を見ず
村民
(そんみん)これを憾(うら)
その再拓
(さいたく)を企(くわだ)つること
(とし)あり
昭和
(しょうわ)七年十月
計熟
(けいじゅく)して着手(ちゃくしゅ)
(よく)八年五月 
(ちから)を盡(つく)して
成就
(じょうじゅ)
※20 口碑
(こうひ)に残(のこ)る當麻田(たいまだ)の名(な)
(ここ)
(ようや)
その實
(じつ)を得(え)るに至(いた)った
これは
(かなら)ずしも大事業(だいじぎょう)とは云(い)えないが
寒熱
(かんねつ)に忍(しの)
障碍
(しょうがい)を凌(しの)
千辛(せんしん)(くじ)けず
萬苦
(ばんく)(くっ)せず
同志
(どうし)三十有(ゆう)三名(めい)
※25 終始
一和(しゅうしいっか)
協力
(きょうりょく)
(か)
その功
(こう)を成(な)せるは
(ひとえ)
これ烈々
(れつれつ)たる農民魂(のうみんだましい)
発揮
(はっき)という可(べ)きでは無(な)いか
今ここに
これを録
(ろく)するは
(もっ)
後生
(ごせい)を勤(つと)め励(はげ)ますと共(とも)
(か)ねて又(また)
農業
(のうぎょう)日本
平和
(へいわ)日本
※30 新生
(しんせい)日本(にっぽん)の首途(しゅと)
記念
(きねん)せんが為(ため)である

昭和(しょうわ)二十一年十一月之(これ)を建(た)
        
加藤武雄(かとうたけお)(しるす)

語意

※1 太平:世の中が平和なこと
※2 萬世:永久に
※3 先駆:人にさきがけること
※4 国本:国の基礎
※5 :天皇、皇室
※6 :天皇の御言葉、それを書いた文書
※7 想起:思い出すこと。前にあったこと
    を思い浮かべること。

※8 以和為貴:聖徳太子十七条憲法第一條
※9 し:物事を確信をもって推定する意
   を表す。まさしく。たしかに。

  
思うに。 
10 :仲よく、協力しあう気持ち。
11 往昔:過ぎ去った昔
※12 水利:水を飲用・工業用・灌漑 用な
    どに利用すること。

※13 隣保:となり近所。近所の人々や
    
家々。
※14 原宿:旧城山町内の宿名。
※15 郷域:郷里一帯
※16 憾み:残念に。遺憾に
※17 再拓:再び土地をきりひらくこと。
※18 盡して:すべて使い切る。
19 成就:物事が望んだとおりに完成す
    
ること
※20 口碑:言い伝え。伝説。
※21 :事柄に対する共感や賛同の気持
    ちを表す語。
※22 寒熱:寒さと暑さ。寒暑。

※23 障碍:物事の成立や進行の邪魔を
    するもの。また、妨げること。

※24 千辛萬苦:様々の苦労をすること。
    非常に多くの難儀や苦しみ。

※25 終始:始めから終わりまで、ある動
    作や態度を変えずに続けること。

※26 一和:いくつかの物事が互いに調和
    していること。人々が協調して円
    満であること。いちわ。

※27 烈々:気迫・炎などの勢いがはげし
    いさま。

※28 発揮:持っている力などを外に表し
   出して、働かせること。

※29 後生:あとから生まれてくる人。あと
   から学ぶ人。後輩。後進。

※30 新生:生まれ変わった気持ちで、新し
   い人生の道へ進み出ること。

※30 首途:かどで。旅立ち







  
華蔵院境内 水神塔       当麻田用水取水口跡(左岸側)     当麻田用水取水口跡(右岸側)
裏面 紀元弐千五百九十三年
   昭和八年三月四日建之
   相原耕地整理水田實行組合



                                    昭和20年代の相原・当麻田地区

                 文化財調査・普及員通信「さねさし」第14号より転写 発行 平成21年12月12日
                 ・・・・・・ 田の用水路(暗渠)
                 ------ 田の用水路(掘割) 

  
田通(たどおし)公園に建立された「竣工記念碑」 

取材を終えて
 この冬、地元当麻田小学校の3年生と当麻田用水のことについて、加藤武雄が記した開田碑を見ながら地域を歩きました。碑の内容が分かるようにと碑文のお話をしましたが、漢字や言葉の意味が難しくどの程度、理解して戴けたか疑問が残りました。でも子どもたちは碑文を読んだり裏側にまわって開田工事に携わった人々の名前をノートに写しとても楽しそうでした。ねらいは碑文から当時の人々がどんな思いを寄せていたか知って欲しかったからです。そうして願わくば、「郷土を愛する子供に育って欲しい。」と願いを込めました。
 そう思いながらも実は
(私)、これまで碑文の内容がとても難しく近寄り難い存在でした。当初は子供たちにも分かるようにと10行の碑文を53行にまで分解しあれやこれや考え直して、やっと分かったような何とも情けない状態なのです。
 碑文の内容から加藤武雄はやっぱり正真正銘の農民作家なのだと・・・・。碑文の重みのひとつひとつを噛みしめるように、やっとの思いで感じ取ることができました。子供たちとこうしてめぐり会えたことに感謝しています。         
前途は洋々首途となりぬ。
これからの農業


  日本の復興を支えた人々
         昭和21年11月 当麻田開田事業を記念して
 現在、相模原市内には取り残されたかたちで開田記念碑が建立されています。中には道路の拡幅工事で場所の移動を余儀なくされた碑もあります。建立された当時は食糧増産の時代でした。その後、食糧の余る時代となり、都市近効では多くの水田が「農業の整備と体質改善事業」とか「土地区画整理事業」等の振興策によって畑や宅地に変化して行きました。
 平成22年3月に刊行された「相模原市水とみどりの基本計画」では、直接的に記されてはいませんが、(水田や畑のある事で)生物の多様性の確保、里山の保全、水辺環境の保全、自然環境の保全や市民協働による自然環境の保全等々が図られることを読み取ることができます。このことは農業が食の安全を含めた市民、事業者、行政の協働による水とみど
りのまちづくりを進めていくための一翼を担っていると云うことになります。
 
一方、平成13年3月に刊行された「相模原市農業農村環境整備計画」の序章「計画の目的と計画対象地域」の目的では、(前略)農地の周辺の集落地は、食料生産の場のみならず、水資源の涵養、大気の浄化、生態系の保全等の環境保全機能や、地域 社会の維持、歴史・文化の継承等の人文社会機能、農や豊か田園景観とのふれあいによるレクレーション、リフレッシュ機能等多面的な機能を有している。こうした機能に恵まれた、農地や集落地の「豊饒な台地」、「清らかな水」、「新鮮な空気」、「多様な生物」、「良好な水田景観」等は農業者のみならず市民にとっても貴重な財産であ

当麻田用水路から水を汲む4Hクラブのみなさん 昭和33年
次世代に引き継ぐべきものである。
 しかしながら、急速な市街化やスプロール等により、農業・緑の減少や生産環境の悪化が生じている。
 一方、環境問題の関心が高まる中、農業においても環境への負荷の低減や農業農村整備事業における環境保全が求められている。(下略)や隣り町田市の広報、2010年9月11日付け「田んぼのある里/推進事業のお知らせ」欄には水田は、美しい田園景観を作り出すだけではなく、洪水の防止機能や気候緩和など都市環境の保全上にも重要な役割を担っています。(下略)とあり農業の形態が、これまでと違った環境重視の農業施策に転換して来ていることを物語っています。
 
 新たな日本農業が始まっています。相模原はその門出となって新たな歴史の第一歩を築こうとしています。
                                       追記 2010・10・17

       参考資料
       仰祖遺後  井上正路 相原の歴史をさぐる会 発行 平成元年九月
       茨城県農民教育小史 森田美比  崙書房 発行 1977年8月   
       受難の昭和農民文学 佐賀郁朗  日本経済評論社 発行  2003年9月
       日本農民運動史  稲岡進  青木文庫  発行 1972年10月 1版8刷
       日本農民運動史  青木恵一郎 民主評論社  発行 昭和23年3月
       
林に色香、武蔵野写真散策 東松友一 日本産経新聞 文化欄 1995・2・24付記事
          文化財調査・普及員通信「さねさし」第14号 発行 平成21年12月12日
       相模原市史 第二巻 相模原市史編さん委員会 発行 昭和42年3月
       
写真集さがみ野の流れ 相模原市農業協同組合 発行 平成3年10月 


        「二月会」と加藤武雄
        加藤武雄と一瀬豊・農民文学の扉
        小松水田の起源
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