東日本大震災が及ぼした石造物
         ー神奈川県北部を中心にー
                           作成 2011・5・28 
 平成23年3月11日、東日本大震災が発生しました。お亡くなりになられた皆さまに対し謹んでお悔やみ申し上げます。
 震源地から遠く離れた神奈川県北部でも、あの衝撃的な振動で貴重な石造物への倒壊や損傷がありました。東北地方の状態からすれば僅かな数かも知れませんが、3月11日の傷跡として御覧いただければと思います。
 特に掲載しませんでしたが近世中期以降、七沢石による石仏を始めとする道標や石塔など、材質の柔らかい石材が広く使われてきたため、震災以前からも部分的な剥離による損傷が無数に見受けられていました。それが今回の震災で更に拡大をしてしまい、基壇などの下層部に落下し石片を残しました。
 貴重な石造物を後世に残していく意味でも、また倒壊による安全を確保する意味でも石造物への修復作業が今後、必要ではないかと考えました。
                             撮影2011・5・3
灯籠が倒れた相模原市緑区川尻八幡宮   倒れなかった相模原市緑区大島 旧石楯尾神社
 
   ↑倒壊
明治十四辛巳皐月 国家靖康 石攻北原祥重  明治十有五年 北原祥重 攻之
   神主高橋壽麿 小儀景隆献之      壬午五月吉辰

 川尻八幡宮から南方向に約2キロほど下ると右写真の諏訪神社に出ます。両社は明治14・5年に建立され石工も同一人物です。灯籠は段差も同じ基壇の上にあり倒壊する条件は同じようにも見えますが、震災では川尻八幡宮の向かって左側のみ倒壊してしまいました。

竹本仲儀太夫之碑
  撮影2008・7.27    撮影2011・4・26
  
明治三十三年十月建之

 「竹本仲儀太夫之碑」は相模原市緑区旧城山町小松地区にあり、かつて、この地方で盛んに行われていた義太夫・竹本仲儀太夫の顕彰碑で、基壇の部分には世話人を始め発起人や○○連中と云った名前が記され、特に割れてしまった石碑の左側面には竹本仲儀太夫の半生が記されています。比較的安定感のあるようにも見える顕彰碑でしたが、震災の衝撃によって倒壊してしまいました。

龍籠山金毘羅宮  灯籠  撮影2011・4・30
 
文化八辛未年八月吉日    万人講
 相模原市緑区、龍籠山金毘羅宮の灯籠で七沢石で出来ています。火袋部分のひび割れが震災の影響で拡大したかは今回確認していませんが、笠の一部が衝撃で落下してしまいました。
 同宮の灯籠は、他に参道の入口にもありますがそちらは未だ確認をとっていません。
 

  
相模原市南区勝坂地区  ↑震災前        倒壊した石造物
倒れている、石仏は風化が激しく観音像か地蔵像か・・・分りません。ご本尊と連弁のある基礎の部分を結合する箇所に「ほぞ穴」が作られ挿し込まれてありましたが震災の衝撃が強く倒壊してしまいました。

相模原市上大島 徳本上人名号塔   撮影2011・5・3
  

震災前            震災後
 平成23年4月1日、相模原市登録文化財に指定されました。震災以前から県道脇にあるため振動?によってひび割れた箇所が広がっています。今後の2次災害による落下などの影響で、ひび割れた部分に損傷が広がらないよう早期に修復を行う必要があると思います。

座間市座間小学校入口 霊随上人名号塔 撮影2011・4・10     撮影2011・5・20
     
震災前           震災により左上部欠損したためビニールの綱を4重に張り二次災害
              からの防御を施しました。


相模原市塩田桜橋脇        撮影2011・5・13      撮影2011・5・20
    
震災前          震災により右中央部から上部を大きく欠損したため、ビニールの綱を
             張り二次災害からの防御を施しました。
 霊随上人名号塔の中で最も風化がすすんでいた二基の損傷状況です。震災の前、右下縁の部分の石碑が割れ落ちていましので、割れた部分を脇に立てかけておきました。後日、その部分を接着し原型に戻そうとしていたところで震災が発生してしまいました。震災後、心配になり見に行ったところ、新たに右中央部から上部にかけ落下していました。その部分は片付けられなくなてしまいました。残った箇所は以前から立てかけておいた約15センチ程の縁の部分だけとなってしまいました。もっと早く修復しておけばと残念でなりません。非常に残念です。なくなった箇所には「一遍上人第五十二」と記されてありました。確認済

撮影2007・6・20                 撮影2011・5・5    撮影2011・5.20
    
厚木市上依知 渡し場跡           磯部地区能徳寺  妙伝寺本堂前の灯籠

 震災後、私はこれまで見て来た石造物がどのくらいの被害を受けてしまったか、気になってしかたありませんでした。特に七沢石でできた霊随上人念仏碑等は風化が激しく、ちょっとした振動でもホロボロと剥がれ易くなっていました。そうした中、過去に修復作業が行われていた2か所も気になり見に行きました。場所は厚木市上依知地区の「渡し場跡」と磯部地区能徳寺境内の霊随上人念仏碑です。
         撮影2011・5.20

厚木市上依知地区、男井戸坂の湧水池
 先ず、能徳寺の念仏塔は5月5日の市主催文化財めぐりで無事を確認、5月20日に「渡し場跡」の念仏塔の無事を確認しました。
 震災が及ぼした歴史的な文化遺産への損傷も恐らくは、はかり知れないことでしょう。東北地方から遠く離れたほんの一握りの小さな空間の中だけでも、全てではありませんがこれだけの被害が発生してしまいました。そうした被害の全容が果たしてどのくらいのものになろうか、全く分らないのが今の現状だと思います。
 身近な文化財を後世の人々に伝えて行くためにも「大切なこと」と思い掲載をしました。
上写真は、上依知地区「渡し場跡」からほど近い湧水池です。坂の下りきった場所にあり、以前訪れた時には家の奥から水が湧き出し簡易的な堰も作られて池のようになっていました。地震で水が枯れてしまったのか、これも気になるところです。 

                石仏修復への道
             津久井を走る霊随上人
             城山の徳本上人念仏塔        
             加藤武雄と小山金次さんが見た「下田の地蔵」さまについて
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