正廣翁之碑銘
(正面)日蓮宗管長大僧正 ※杉田日布篆額
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※杉田日布:身延山久遠寺81世法主・日蓮宗24代管長。字は湛誓(たんせい)、内閣総理大臣石橋湛山の実父。 |
翁諱正廣通稱彌太郎其先出于峽鹽後郷楠氏曾祖父勘四郎襲姻戚小
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于(ここに)
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宮山家以爲氏考彌兵衛※妣楠氏翁其長子也幼而※頴悟性好木工年※甫十五
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妣:ヒ 頴:エイ ヨウ ほさき
甫:はじめ すけ |
※就嶋→島村半平翁修社寺佛※宇之建築及彫刻法※夙有出監之稱幕末爲田安家
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就:つく つける 宇:のき いえ
夙:つとに |
作事頭明治維新後官衛建築※概模洋風翁※潛心折衷彼術大有所得逮藤村
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概:おおむね 潛:ひそむ もぐる
潜心(せんしん):心を落ち着かせてその物事に取り組むこと。 |
紫朗氏爲我縣令盛興土木之工使翁※菫→董焉初築造梁木琢美二※黌及勸製
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菫:キン すみれ 董トウ・ただす
黌(コウ オウ):まなびや。学校。 |
絲場時明治七年也是爲我縣洋風建築之※嚆矢八年師範學校甲府及静岡
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嚆:さけぶ
嚆矢(こうし):1 「嚆」は叫び呼ぶ意 かぶら矢。
2 物事のはじまり。最初。 |
裁判所縣立病院成十年山梨縣廳舎成十二年鶴瀬駒飼日川甲運諸橋架 |
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設及猿橋修築成是皆係翁設計企※画→畫也十八年※鐡船→舟山岡氏欲建鐡舟寺於 |
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駿州依翁有所計於此時設計遠州奥山方廣寺伽藍二十年藤村縣令※轉任
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轉:テン |
愛媛縣翁亦應※聘赴之※董督其縣新築工事居五年而致仕歸ク組織大工組
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聘(へい):1 贈り物を持って人を訪問する。
2 礼を尽くして人を招く。
董:ただす
董督(とうとく):「董」はただす意〕 監督して正すこと。とりしまること |
合指導後進三十二年以後專※鹽→監督諸官衛工務傍爲神祠佛※宇之設計者不
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祠 ネ
宇;のき、家 |
※遑屈指也大正六年※膺奉建會※鹽→監督武田神社新築前比明治十年縣人起
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遑:いとま ひま
膺:あたる うつ |
武田會欲建神社不※果三十四年其議再起復不果而止※雖然其設計※悉出於
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果:はたす はてる 雖:いえども
然:しかり しかし 悉: ことごとく |
翁之手也
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参考 乎(か。や。かな)助字 手。
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今上在東宮也四十五年行啓吾縣翁刻蓬莱山之形以※願→奉獻之得嘉納之榮焉 |
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焉:エン いずくんぞ |
焉大正四年※仍皇室大典賜木杯及酒※饌時年八十四翌年※飄然登富嶽人皆
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仍:よる しきりに 饌:そなえ
飄:つむじかぜ |
※頌其※矍鑠晩年※嗜插花枝窮其※薀奥號松壽齋一園翁以
文政十一年十月※二十→廿 |
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頌:ほめる たたえる
矍鑠(かいしゃく):年をとっても、丈夫で元気のいい様子
嗜:たしなむ
薀奥(うんおう):学問・技芸などの最も奥深いところ。
廿 |
日生以大正九年五月八日沒享年九十有三配石部氏生四男二女長文
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太郎嗣家頃日有志胥謀建碑※于上府中妙遠寺※塋域微
※豫→予文※豫→予素受翁知遇 |
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胥:あい みる 于:ここに
塋:はか 豫:ヨ あらかじめ |
※諠不可※辭乃※敍其概銘曰
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諠(かまびすしい):やかましい。騒がしい
辭:ジ やめる ことば
敍:のべる |
嗚呼良匠 温故知新 創意超凡 妙技絶倫
老而益壮 ※祺※介※斯人 壽考垂百 光榮※万→萬春 |
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祺:(キ ギ さいわい) 介:(カイ たすける)
斯:この かく |