藤村県令と小宮山正廣翁の業績

作成 2018・8・10
          撮影2018・7・13 

        甲府市愛宕町 妙遠寺境内
はじめに
 津久井郡郷土資料館の保存に関し、相模原市議会への請願文書を以て保存が出来ないか行動を起こした。その請願は議会の多数決によって、否決され、通いつめた資料館は取り壊され現在は更地になってしまった。結局、議会の賛同を得たことで取り壊しの大義名分のお墨付きを与えてしまったような気分となり何とも情けない気分で毎日を過ごしている。
 昭和18年7月11日付け毎日新聞で登呂遺跡発見のニュースを報じた森豊さんは後年、「歴史読本 昭和46年7月号」に「遺跡破壊公害を告発する」と題し、破壊されて行く遺跡の現状を訴えました。そしてはじめの部分に「綾羅木(あやらぎ)の悲劇」の現状を訴え遺跡保存への警告を発しました。
 「綾羅木の悲劇/轟音をとどろかせながら十一台のブルドーザーが荒れくるっていた。昭和四十四年三月八日夜のことである。山口県下関市綾羅木(あやらぎ)の郷遺跡はみるみるうちに破壊

 正廣翁之碑銘
されていった。/急を聞いて駆けつけた同市教委、下関始源文化研究会(会長国分直一東京教育大学教授・会員二十余人)のメンバーや下関市大生らはスクラムを組んで、ブルドーダーの前に立ちはだかって制止しようとしたが「産業開発の方が大切だ」とブルドーダーはますます荒れくるい、一夜明けた九日朝の光の中に遺跡は被爆地のようなさんさんたる状況を呈していた。/「史跡の価値は消失した」と関係者たちは呆然と立ちつくしていた。/綾羅木遺跡は響灘(ひびきなだ)に面する大地の上にある弥生文化を中心とする大遺跡である。昭和三十年頃発見され、国分直一氏(当時下関水産大学教授)や金関丈夫(九州大学教授)らによって調査され、食物貯蔵のタテ穴数百、出土遺物もおびただしく、日本唯一の陶けんとうけん 土+員土笛)の発見などをふくんだ重要な遺跡で、その面積も十万平方メートルといわれ、市教委から文化庁へ史跡指定の申請が出されていた。そころがこの遺跡の存在する丘陵は鋳物の鋳型を作るのに必要な良質な珪砂(けいさ)が埋蔵されており、高度経済成長の波はこの珪砂開発にもおよんで、四十年秋、地元の土地所有者との間に採砂業者(本社名古屋市)が契約を結び作業を開始した。調査発掘と砂採取が時を同じくしてはじまったのである。(略)」
 遺跡や文化財を守ることは、どれほど大変な事か、私もいくつもの現場を見てきました。恩師清水小太郎先生に何とか報いたいと思ってのことでしたが何とも残念な結末となってしまったことを悔いているのである。
 そうした中、まったくの偶然であったが甲府市が発行した「甲府の石造物」と云う書物のコピーを遠縁にあたる研究者から送られた。697ページはあったが、次の698ページがなかった。
 内容は小宮山弥太郎翁の頌徳碑のことで「正廣翁之碑銘」の碑文が記されていた。次のページには恐らく石碑の建立に貢献した人々の名前の続きがあるのだろうと思っていた。だが、そのことが何だろうと、返って気になりはじめ、とうとう698ページを求め甲府に帰郷したのであ
る。駅の北口を下りて直ぐには県立図書館が、移転された旧睦沢学校は駅前広場の正面に堂々とありました。この違いは何だ。私は暑い暑い夏の中をレンタル自転車に乗って石碑を遠妙寺に訪ねた。そして真新しい698ページと共に碑文と対面した。


(表面の碑文・実際は縦字
正廣

翁之

碑銘

         日蓮宗管長大僧正  杉田日布篆額
翁諱正廣通稱彌太郎其先出于
峽鹽後郷楠氏曾祖父勘四郎襲姻戚小宮山家以爲氏考彌兵衛妣楠氏翁其長子也幼而
頴悟性好木工年甫十五就島村半平翁修社寺佛宇之建築及彫刻法夙有出監之稱幕末爲田安家作事頭明治維新後官衛
建築概模洋風翁潛心折衷彼術大有所得逮藤村紫朗氏爲我縣令盛興土木之工使翁董焉初築造梁木琢美二黌及勸製
絲場時明治七年也是爲我縣洋風建築之嚆矢八年師範學校甲府及静岡裁判所縣立病院成十年山梨縣廳舎成十二年鶴
瀬駒飼日川甲運諸橋架設及猿橋修築成是皆係翁設計企畫也十八年鐡舟山岡氏欲建鐡舟寺於駿州依翁有所計於此時
設計遠州奥山方廣寺伽藍二十年藤村縣令轉任愛媛縣翁亦應聘赴之董督其縣新築工事居五年而致仕歸ク組織大工組
合指導後進三十二年以後專監督諸官衛工務傍爲神祠佛宇之設計者不遑屈指也大正六年膺奉建會監督武田神社新
築前比明治十年縣人起武田會欲建神社不果三十四年其議再起復不果而止雖然其設計悉出於翁之手也
今上在東宮也四十五年行啓吾縣翁刻蓬莱山之形以奉獻之得嘉納之榮焉焉大正四年仍皇室大典賜木杯及酒饌時年八十
四翌年飄然登富嶽人皆頌其矍鑠晩年嗜插花枝窮其薀奥號松壽齋一園翁以文政十一年十月廿日生以大正九年五月八
日沒享年九十有三配石部氏生四男二女長文太郎嗣家頃日有志胥謀建碑于上府中妙遠寺塋域微予文予豫素受翁知遇諠
不可辭乃敍其概銘曰
嗚呼良匠 温故知新  創意超凡 妙技絶倫
老而益壮 祺介斯人 壽考垂百 光榮萬春
大正十五年五月八日 甲府 村松甚蔵   石工 星野芳近
肥前 秀島醇三
      

(裏面の碑文)

       有

       志

       人

       芳

       名




地方 加藤菊次郎  清水かのへ 東京 発起人
 早野金蔵  林宣壽   細田照近   中村大三  村松甚蔵 
 箕輪庄太郎 武内孝一  向井清太郎  渡邊通喬   駒井壽太郎
 小林重太郎 竹内静二  内藤實蔵  眞山な  大木善右衛門
 荻野豐平 窪田徳太郎  星野芳近  眞山正太郎   武井常助
 佐藤國吉  内藤作五郎  遠藤作蔵  眞山謹次郎  伊藤彦七
 佐野廣  加藤庄太郎  市川市造  川口  中込常祐
 大澤伊三郎 前島豐蔵  青柳甚甫   角田一忠   玉越米次郎
 劍持元次郎  廣瀬徳太郎   窪澤源二郎  堀内宗吉  橋本伊七
 土屋台三郎 保坂常造 北海道  小松勝三郎 志願人
 小松千代 橋本幾造  渡邊藤平  小宮山熊次郎  小宮山文太郎
 小澤安造 石部房吉  渡邊勝重  小宮山森三郎
 野中富蔵 清水周次郎  渡邊胤之  小宮山貞造
 古谷律造 今井利十郎  新海藤次郎
 

「甲府の石造物」に所収された碑文の内容と実際 (正誤表も兼ねる(実際の正誤表の有無については未確認 2018・8・10 保坂))
正廣翁之碑銘
(正面)日蓮宗管長大僧正  杉田日布篆額
杉田日布:身延山久遠寺81世法主・日蓮宗24代管長。字は湛誓(たんせい)、内閣総理大臣石橋湛山の実父。
翁諱正廣通稱彌太郎其先出于峽鹽後郷楠氏曾祖父勘四郎襲姻戚小
于(ここに)
宮山家以爲氏考彌兵衛楠氏翁其長子也幼而悟性好木工年十五
 
妣:ヒ         頴:エイ ヨウ ほさき
甫:はじめ  すけ
村半平翁修社寺佛之建築及彫刻法有出監之稱幕末爲田安家
就:つく  つける     宇:のき いえ 
夙:つとに
作事頭明治維新後官衛建築模洋風翁心折衷彼術大有所得逮藤村
概:おおむね   潛:ひそむ もぐる
潜心(せんしん):心を落ち着かせてその物事に取り組むこと。
紫朗氏爲我縣令盛興土木之工使翁焉初築造梁木琢美二及勸製
菫:キン すみれ   董トウ・ただす
黌(コウ オウ):まなびや。学校
絲場時明治七年也是爲我縣洋風建築之嚆矢八年師範學校甲府及静岡
嚆:さけぶ 
嚆矢(こうし):1 「嚆」は叫び呼ぶ意 かぶら矢。
        2 物事のはじまり。最初。
裁判所縣立病院成十年山梨縣廳舎成十二年鶴瀬駒飼日川甲運諸橋架
設及猿橋修築成是皆係翁設計企也十八年山岡氏欲建鐡舟寺於
駿州依翁有所計於此時設計遠州奥山方廣寺伽藍二十年藤村縣令
轉:テン 
愛媛縣翁亦應赴之董督其縣新築工事居五年而致仕歸ク組織大工組

聘(へい):1 贈り物を持って人を訪問する。
       2 礼を尽くして人を招く。
董:ただす 
董督(とうとく):「董」はただす意〕 監督して正すこと。とりしまること
合指導後進三十二年以後專督諸官衛工務傍爲神祠佛之設計者不
祠  ネ
宇;のき、家  
屈指也大正六年奉建會督武田神社新築前比明治十年縣人起 
遑:いとま ひま 
膺:あたる  うつ 
武田會欲建神社不三十四年其議再起復不果而止雖然其設計出於 
果:はたす はてる     雖:いえども 
然:しかり  しかし     悉: ことごとく
翁之手也
参考 乎(か。や。かな)助字    手。
今上在東宮也四十五年行啓吾縣翁刻蓬莱山之形以獻之得嘉納之榮 焉:エン いずくんぞ 
焉大正四年皇室大典賜木杯及酒時年八十四翌年然登富嶽人皆
仍:よる しきりに   饌:そなえ 
飄:つむじかぜ
矍鑠晩年插花枝窮其奥號松壽齋一園翁以文政十一年十月廿 頌:ほめる たたえる  
矍鑠(かいしゃく):年をとっても、丈夫で元気のいい様子 
嗜:たしなむ 
奥(うんおう):学問・技芸などの最も奥深いところ。
廿  
日生以大正九年五月八日沒享年九十有三配石部氏生四男二女長文
太郎嗣家頃日有志胥謀建碑上府中妙遠寺域微素受翁知遇
胥:あい みる   于:ここに
塋:はか       豫:ヨ あらかじめ
不可敍其概銘曰 諠(かまびすしい):やかましい。騒がしい
辭:ジ やめる ことば
敍:のべる
嗚呼良匠 温故知新 創意超凡 妙技絶倫 
老而益壮 人 壽考垂百 光榮
祺:(キ ギ さいわい)  介:(カイ たすける)
斯:この かく
大正十五年五月八日          甲府 村松甚蔵  石工 星野芳近
                   肥前 秀島醇三


裏面の芳名

  有

  志

  人

  芳

  名




地方 加藤菊次郎  清水かのへ 東京 発起人
 早野金蔵  林宣寿   細田照近   中村大三  村松甚蔵 
 箕輪庄太郎 武内孝一  向井清太郎  渡通喬   駒井寿太郎
 小林重太郎 竹内静二  内藤    大木善右衛門
 荻野 窪田徳太郎  星野芳近  山正太郎   武井常助
 佐藤吉  内藤作五郎  遠藤作蔵  山謹次郎  伊藤彦七
 佐野  (記述なし)加藤庄太郎  市川市造  川口  中込常祐
 大伊三郎 前島  青柳甚甫   角田一忠   玉越米次郎
(記述なし)劍持元次郎  瀬徳太郎   窪源二郎  堀内宗吉  橋本伊七
 土屋台三郎 保坂常造 北海道  小松勝三郎 志願人
 小松千代 橋本幾造  渡藤平  小宮山熊次郎  小宮山文太郎
 小安造 石部房吉  渡勝重  小宮山森三郎
 野富蔵 清水周次郎  渡胤之  小宮山貞造
 古谷律造 今井利十郎  新海藤次郎


注 東京欄の段 右から三人目及び六人目の名前の判読が困難なため写真にしました。
注 「甲府の石造物」より実際の碑文と比較した正誤ヶ所の読み方
(表面)
五行目 ※  就:つく つける  右欄に読み 嶋村を島村に訂正した意
七行目     菫:キン すみれ 董トウ・ただす を董に訂正した意
十行目 山岡
 名前はではなく鐡舟であることを訂正の意
(裏面)

(記述なし)劍持元次郎 名前がもれていたので追加したの意 
    真を旧字の眞に変更した意 
         
※な〇は私に判読できなかったので左に写真を添えまいた。 

〔解説〕 (省略)


藤村記念館 旧睦沢学校校舎
NPO法人甲府駅北口まちづくり委員会/甲府市教育委員会 パンフより
まとめ
 日本の大きな彫刻史とか建築史で大きく舵を切ったところは、平安時代から鎌倉時代へ、また、江戸時代から明治へと変わった変革の時と云われています。また、ものの考え方も大きく変革した時であったと思います。
 だが、そこに生きる人々は絶えず前を見て真剣に生きて来ました。東大寺の南大門を建てたのも、興福寺の優れた彫刻も皆、伝統に培われた奈良の仏師たちでもありました。
 時代は変わり、明治のはじめ山梨県内に多くの擬洋風建築を手懸けた大工の棟梁、小宮山弥太郎もまた以前は田安家の作事頭をしていました。彼の顕彰碑に刻み込んだ漢詩の部分には「嗚呼良匠 温故知新 
創意超凡」と歌われています。「ローマは一日にならず」とか、あの都市の素晴らしさも、よどみなく、限りなく続いて来た壮大な文化の流れの一端であることを感じています。
 甲府駅北口広場の正面には、藤村建築のひとつである旧睦沢学校が藤村(ふじむら)記念館として再興されてありました。また、本年に入ると地元では擬洋風建築をテーマに文化財の保存と活用の立場から「地域文化財の保存・活用のコミュニテイ」と云う書籍が若手の研究者から出版されました。
 旧津久井郷土資料館はなるほど、来館者数や建物の耐久性は頑強とは云えないかも知れない。しかし、そこに創意工夫を凝らすことはいくらでもできたのである。現在は取り壊され既に更地と化してしまったが、それで全てが終わったのではない。ここに大いなる反省がなければ一歩も前に進めないのだ。
 後世に伝承し続ける。そのことの大切さを私は命あるかぎり、ふんばりたいとそんな風に考えています。

津久井郷土資料室の早期再開を求める陳情書を相模原市議会議長に提出しました。(否決)
湖底に沈んだ村・荒川
政令指定都市相模原の誕生と津久井四町の消滅

参考資料
野上嘉三郎著 筑紫熱血 : 神州正気 国友社 並老母登千子藤村紫朗上書 / 明23.2 pid/778388
伊予史談 (273) 伊予史談会 伊予史談会 1989-04 /pid/8100807
       道後温泉神の湯本館の技術ルーツ--藤村紫朗知事の英断と功績 / 河合勤
山梨県甲府勧業場之図 (山梨県立図書館蔵)
       曜斎国輝/画 山中市兵衛  形態1:錦絵 形態2:原 大きさ:35 119 枚数:1マイ
日本蚕業雑誌 (87) 日本蚕業雑誌社 1895-10 pid/1577632
       藤村紫朗氏の蠶業談 / p31〜32
弘道 (212) 日本弘道会 日本弘道会 1909-11 pid/6057757
       史傳 近藤椎山彰コ碑 / 藤村紫朗 / p14〜15
棲神 : 研究紀要 (53) 身延山短期大学学会 [編] 身延山短期大学学会 1981-03  pid/2209286 
       身延山と藤村紫朗県令(本県第五代知事) / 林是幹 身延山諸堂建立考 / 林是晋 /

山梨のいしぶみ −小宮山弥太郎の碑 藤村式建築の第一人者− 山梨日日新聞社 発行 昭和52年2月
甲府市史調査報告書4 甲府の石造物 甲府市役所 発行 平成5年3月
国指定重要文化財甲府市藤村(ふじむら)記念館 旧睦沢学校校舎 NPO法人甲府駅北口まちづくり委員会 甲府市教育委員会 パンフレット


戻る