八木重吉さんの詩
修正 2017・6・29
 
            
             兵庫県御影師範学校で英語の教師をしていた頃  
             桃子満一歳の誕生日に(大正13年5月26日)
                     重吉26歳 とみ19歳
                               「八木重吉文学アルバム」より複写


母の瞳

ゆうぐれ
瞳をひらけば
ふるさとの母うえもまた
とおくみひとみをひらきたまいて
かわゆきものよといいたもうここち
するなり





八木重吉さんの生家の土蔵
    八木重吉記念館
花がふってくると思う

花がふってくると思う
花がふってくるとおもう
この てのひらにうけとろうとおもう




ひかりとあそびたい
わらったり
哭いたり
つきとばしあったりしてあそびたい    

 NHK朝の連続TV番組「天花」は、平成16年3月31日から始まりました。
 5月14日の番組では八木重吉さんの詩、「花がふってくると思う」と「光」がひとつの歌となって
 全国のみなさまにご紹介されました。その曲名を「光遊び」と云いサンプラザ中野さんによって歌われました。 
                              
光遊び コーラス「コーロ プラティーヴォ」



ふるさとの川

ふるさとの川よ
ふるさとの川よ
よい音をたててながれているだろう
(母上のしろい足をひたすこともあるだろう)




ふるさとの川  境川


相原幼稚園入り口の詩碑

きりすとをおもいたい

いっぽんの木のようにおもいたい
ながれのようにおもいたい


ふるさと

ふるさとをおもえども
柿の実のいろのみおもいいだされて
ちちうえもははうえも
あまりにかそけきさぶしさよ


母の顔

お母さんの顔をみたくなった
お母さんの顔を通りぬけると本当の
ことがわかるように思えてならない

心の暗い日に
ふるさとは祭りのように
あかるんでおもはれる

わたしのまちがいだった
わたしのまちがいだった
こうして草に座ればそれがわかる


とうもろこしが風に鳴る
死ねよと鳴る
死ねよとなる
死んでゆこうと思う



心よ

こころよ
では いっておいで

しかし
また もどっておいでね

やっぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行っておいで

        撮影 2004.9.19
虫がないている
いま ないてをかなければ
もうだめだというふうにないている
しぜんと
涙がさそわれる

 初案 

 
虫がないている
いま ないてをかなければ
もう だめだ
もう ひまがないといふふうにないている
おのづから
涙をさそわれる






素朴な琴

このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだろう





初案  

この秋のあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
美しさに耐えかねて
おのづと琴はしづかに鳴りいだすだらう





詩碑  素朴な琴

このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに
鳴りいだすだらう




生家の前の詩碑




しづけさ

ある日
もえさかる ほのほに みいでし
きわまりも あらぬ しづけさ
ある日
憎しみ もだえ
なげきと かなしみの おもわにみいでし
水の それのごとき 静けさ


詩をうむこころ
それはおさないころです、
ただそれはつめたくはない、
うつくしく
あつく しづかに、
たとへ春の花であっても
詩にあっては秋の空のなかに咲きます




八木重吉さんと家族の墓




さまざまな
ほのほよ
草の葉といふ
人といふ
あかんぼといふ 花といふ
しづかな
彫られたような
さまざまの ほのほよ


幸福人U

こうふくは、
しづかなせかい、
ほのほがもえる
木がそだつ
そのこころをしる さいわひのひとよ



静かな心

うつくしくたかぶっていゐた心が
しづまってくると
木というようなたぐひの
物のきもちを知りあてたようにおもふ

静かな焔

各つの 木に
各つの 影

木は
しづかな ほのほ



川尻尋常小学校に通った道




ひとつの木があって
そばに日がひかってゐる
そんな幼げなけしきへ気持ちを
うちこんでゐたい



  蛍

  よる
  ほたるがとぶのは
  息のようだ

平成16年4月30日、八木藤雄様から重吉さんの蛍の詩を教えて戴きました。
手紙には「ほたるを宝物のように守って下さい」と添えられてありました

むさぼらぬ日だから
木の葉がうごくのがみえて
そのことが生きいきとよろこばしい、
なんといったらいいかな、
よろこばしいといったが
もっとしづかで
もっといきいきしたことばはないかな





どきん、どっきん、といふ 心臓

あおむけに
はらっぱへねたら
しんぞうのこどうが
土のこどうだとおもわれてきた
どきん、どっきん、とやってくる


しづかな朝

しづかな朝
もの音を こころよく きいてゐると
ひとつの力をおぼえてくる
その力ははっきりと幼い日をよみがへらせる




夜はものの力がしづまってくる
やすむためにねむるために
体をのびのびとさせる




てのひらへ
ひとつの玉をもち
胸のあたりへかざってゐれば
この秋のあかるさに耐えかねて
くだけちるだろう




桐の木は
あらまし葉を落としてしまった。
夕日をうけてひかりながら
あたりを静かにみせてゐる

川尻小学校の詩碑

秋のかなしみ

わがこころ
そこの そこより
わらいたき
あきの かなしみ
あきくれば
かなしみの
みなも おかしく
かくも なやまし

みみと めと
はなと くち
いちめんに
くすぐる あきのかなしみ


母をおもう

けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどもはなしかけるだろう









母の瞳
            大正14年9月17日編      
秋の心

水のおとがきこえる
水の音のあたりに胸をひたしてゆくと
ながされてゆくと
うつくしい世界がうっとりとあかるんでくる




雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ

あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでゆこう

   「雨」は平成16年8月17日、NHK朝のTV番組「天花」の中で放映されました。
    水の音、雨の音に、心が美しくどこまでも澄んで行く、清らかな重吉さんがいます。



暗い心

ものを考へると
暗いこころに
夢のようなものがとぼり
花のようなものがとぼり
かんがへのすえは輝いてしまう

   「暗い心」は平成21年11月10日、NHK夜11時から始まる「爆笑問題のニッポンの教養」
   で放映されました。





参考資料 山口瞳著 「小説・吉野秀雄先生」より

 
1 私のところに、八木重吉の詩を書いた原稿用紙がある。それは、まことに粗末な原稿用紙であってそこには、
   筆で、次のように書かれている。


秋冬雑詩(遺稿)
             八木重吉
  ばった
ばったよ
一本の茅をたてにとって身をかくした
その安心をわたしにわけてくれないか


  栗
栗をたべたい
(なま)のもたべたいし
焼いてふうふう云ってもたべたい


  赤とんぼ
赤とんぼが
うかんでる
ため息のやうにながれてる


  梅
うなだれて
明るくなりきった秋のなかに悔いてゐると
その悔いさへも明るんでしまふ



 よい日

あかるい日
よい日
こころをてのひらへもち
こころをみてゐたい


  芭蕉
実によく晴れてゐる
芭蕉がぐんにゃり枯れて
をかしいやうなさうでないやうな


  夕焼
じっと自分を見据ゑて
冬を昨日今日とすごして行くと
こんな綺麗な夕焼にはうっとりする
 
 私が、この二枚分の原稿用紙をとっておいたのは、この詩が好きだからである。それから、いかにもいい字で書かれているからである。
 この詩の原稿を書かれたのは吉野秀雄先生である。そのころでも墨筆で書かれた原稿は珍しくなっていた。それが二枚の原稿用紙に、きちんとおさまっていた。見ていて気持ちのいいものだった。
 私は、ながいあいだ、出版社に勤めていた。だから、えらいひとの直筆の原稿を入手する機会はいくらでもあった。しかし、いま、そういう種類のもので、私の手許にあるのは、これだけしかない。私は、たとえそれが私の尊敬するひとのものであったとしても、直筆の原稿を欲しいと思ったり、自分の家に保存しておこうと思ったりするようなことはなかった。「秋冬雑詩」と題する詩の原稿が、二十年以上も私のところにあったのは、その詩が好きだったということがあるにしても、偶然そうなったというに過ぎない。(中略)八木重吉の詩を(「国土」に)載せることになった。多分、昭和二十二年十二月号だろうと思う。わたしが原稿をいただきにうかがった。吉野秀雄先生が、八木重吉の遺稿やノートから詩をえらび、清書してくださったものである。季節にあわせて、秋から冬にかけての詩をえらんだのである。「秋冬雑詩」という題も、吉野秀雄先生が考えた。
 八木重吉は、昭和二年十月に亡くなっている。未亡人のとみ子さんが、十九年の末に吉野先生のところへ来られたときに、古ぼけたバスケットを持っていた。そのなかに、八木重吉の詩集や原稿やノートや聖書や写真がはいっていた。とみ子さんは、どんなことがあっても、これだけはなくしてはならないと思っていた。(後略)





    
  相模原市相原 正泉寺         前より二列目左端が重吉さんです。


   重吉さんは明治43年3月に川尻村尋常小学校を卒業しました。
   当時の小学校の一部が相模原市相原の正泉寺玄関として残っています。
   重吉さんたちもそこで卒業記念の写真を撮りました。

   大正14年 8月「文章倶楽部」8月号に八木重吉の詩、9篇が「緑蔭新唱 新進四家」の中で掲載される。
   重吉さんが載ってる。(八木重吉の世界)
   重吉さんの年譜

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