川尻八幡宮ヒサカキの木の御蛇様出現縁起
作成 2020・1・21
                                    ↓神籬(ひもろぎ)
 
神奈備の丘を思わせる川尻八幡宮 西井戸(にしど)からの景観     奈良県石上(いそのかみ)神宮境内古絵図(年代不詳)

 古代日本の神社には社殿はなく、自然のままの巨石、巨岩、巨木や神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)と呼ばれている優美なかたちをした山などに神が宿られると信じられてきました。
 また、古くから神様はお祭りを行なう時だけに臨時にお迎えし、お祭りが終れば、また元の天上や海の彼方にお帰りになると信じられてきました。
 そうした、神様をお呼びする場所を神籬
(ひもろぎ)と呼んでいます。
 奈良県の三輪神社や諏訪上下大社等には今でも御本殿がありません。また、
※1石上神宮御本宮奥には「禁足地」と呼ばれている何人(なにびと)も入ることの出来ない空間があり、その周りには玉垣や柵が施され、神籬(ひもろぎ)と呼ばれています。神籬は最も神聖な場所と云うことになります。
 
神様は古来より天上や海の彼方におられると信じられ、お祭りを執り行う場合には、臨時に神様をお迎えするための「依り代(よりしろ)」となる御神木の木が立てられました。その御神木の木はサカキ、ヒサカキ、松などの常緑樹が使われて来ました。
 神事は先ず、身を清められるところの「お祓いの神事」からはじめられます。祭主が振るう「サッ、サッ」と聞こえて来る大麻(おおぬさ)の揺すられる音や葉音などからも、人々は神の訪れを感じていたのかも知れません。また、神殿の前の鈴を鳴らしてお参りするのも、その鈴音から神様との音連(おとづ)れを感じさせます。
 その鈴音を振らす「綱の緒」は、赤ちゃんと母胎をつなぐ「へその緒」にも似ています。
 こうして神事の最初は「神様」をお呼びする「振るう」または「ふれる」と云うことからはじまります。
 この神様と人間とを結ぶ、「依り代」の「ヒサカキの木」に「御蛇様」が「御出現」されたのです。
     
  ヒサカキの木に御出現された御蛇様   ヒサカキの木の後方は通称「翁塚」と呼ばれている
                     古墳時代末期(七世紀中期)の円墳
 東京都大島町和泉浜遺跡からは平成8年2月に「金銀四枚の短冊」が発見されました。この短冊は、かってサカキやヒサカキなどの「依り代」につけられていたものと推定されています。揺らすと、葉音と共に金や銀とが振れ合う音は類まれなる清らかな音を奏でたことでしょう 
 一般的には、「依り代」となる「大麻」は白木や真榊に精麻(せいま)や紙垂(しで)が結ばれているものを云います。
 さて、平成30年の正月、霊能者の方から、境内の奥庭で白蛇を見たことを教わりました。それから、ヒサカキの木に、神樣の「御使い」である、蛇が宿っていることもお聞きしました。そう思いながら、ヒサカキの木に近寄って眺めると、静かな蛇の御姿に気がつきました。「御蛇様」の向かおうとしている方向は、ややうつむきかげんにしながら御本殿の奥庭を向いているように見えました。その「御蛇樣」の御姿は今にも動きそうな気配を感じ、私は一瞬体がすくみ、その眼球が一瞬見開いたことを今でもよく覚えています。
 お蛇様は、天上から静かに降りて、地上約百五十センチのところで頭を、ご本殿の奥庭に向われているようにも見えています。
 川尻八幡宮の参道の長さは、七百メートルもあります。更に旧村境までの直線部分も含めますと九百メートルの長さとなり、その直線の先は、奥庭の中心にあたる
※2「大岡」を通過、雄龍籠山(おたつごやま)の山頂へと続いています。
 「御蛇様」はその中心地の「大岡」に進もうとしています。「大岡」と云われて来た奥庭の空間は石上神宮の「神籬」の神域にも相当されるような古い神社の形態を保ち続けています。
 霊能者のお方のお話によれば、境内のいたる所から、「気」が溢れ、『特に御本殿奥の一帯は、更に強く感じられる』と、云われました。そうしたことから、「大岡」と呼ばれていた奥庭は古代からの神様の坐(おわす)「禁足の地」の聖域であった可能性があります。
 このようなことから私は奥庭に入ることを差し控え、その入り口にあたる御本殿に向って右側の「ホソバタブ」の木だけを御案内させて頂きました。「ホソバタブ」の木には数年前より注連縄が張られ、近年はパワースポットとしても脚光を浴びるようになってまいりました。私は、その御神木に耳をあてて頂いたり、両手を大きく広げて御神木から溢れ出る「気」を十分に頂けよう御案内をさせて頂きました。
 二年目の正月は、いよい以て「ヒサカキの木」にも「御幣」がかかげられるようになり、「御蛇様」の頭のところには自然と、御賽銭が置かれるようになってまいりました。
 現在もそうですが、「御蛇様」には未だ名前が付けられていなかったことから、御参拝をされる皆様方に御名前を募集することに致しました。そうした中、蛇のかたちのあまりの大きさから、また、その威厳さに驚かれ「平成の大蛇」とお呼びしたら如何かと、二本松から来られた三人娘様からお聞きしました。
 このようなことからも、「御蛇様」についての、御声もだんだんと聞かれるようになり、また、その真相を是非に知りたいと御質問まで出されるようになってまいりました。そして、ヒサカキの木に御出現された「御蛇様」を一目見ようと多くの人々が訪れるようになってまいりました。
 川尻八幡宮では、毎月一日と十五日の二回に亙り「月次
(つきなみ)祭」が行われていることから、わたしは、この場をおかりして「御蛇様出現」の経緯を栞にまとめ、簡単な資料として御配布をさせて頂きました。
 三年目の今年の正月、ヒサカキの木の前に「御賽銭箱」を置かせて頂くことに致しました。そして、八幡宮参拝の前の待ち時間を利用して、三年前に御出現された「御蛇様」の御紹介をさせて頂きました。ヒサカキの木の前では、写真撮影もされますよう申し述べ、出来たらそれを「御守り」として、また、皆様の話題となられるよう御案内をさせて頂きました。
 蛇に対する畏敬の念は深く、また古くからあることもお伝えし、最後は金運の上ることもお話しました。 

           
  頭に渦巻模様のある土偶  長野県茅野市尖石遺跡     前頭に渦巻模様のある土偶  山梨県韮崎市坂井遺跡

               
  頭上にマムシを乗せた土偶 長野県諏訪郡富士見町藤内16号住居址出土 山梨県南アルプス市鋳物師屋遺跡(いもじやいせき)
                             人体文様付有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)
 狩猟の縄文時代では、マムシが主に使われ呪術的なことが行われていたこと。現在、発見されている、土偶の頭部には蛇を巻いた姿があること。その大きさから、「アオダイショウ」のような大型の蛇ではないこと等をお話いたしました。土器には実際の蛇を形どったモノとか、交尾の蛇を連想させる縄を転がして出来る紋様のあることなど。また、果術酒や太鼓の説もある「有孔鍔付土器」の紋様からは明かに呪術的な要素が描かれていたこと。豊穣や無事の出産を願うような祈りの世界が読み取れること等をお話致しました。
 「有孔鍔付土器」の中へは、ヤマブドウのような果実や捕獲したマムシを生きたまま入れ、蓋をして、更に紐などで結んで「マムシ酒」が作られたこと等もお話しました。その出来たマムシ酒を飲むことで、アルコールが体内にまわり恍惚状態となったり、万病に効く良薬に変わったこともお話致しました。巫女による呪術的な祈りも勿論ありますが、マムシに噛まれれば死に、酒となれば万病に効く、このさま変わり様を、人々は驚き崇敬の念をもって「蛇神」となり信仰と云う形で後世に伝えて行きました。

   
 有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)  神奈川県厚木市林王子遺跡出土 注口土器 後期 
                                  石川県野々市市御経塚遺跡
(おきょうづかいせき)出土
 やがて、米作の始まる弥生時代になるとマムシに加え大形の蛇も、好まれるようになってまいりました。収穫された穀物が小動物たちに食い荒らされないように、また、湿気からも穀類がいたまないよう、長期保存が可能な高床式の倉庫が考案され作られるようになりました。穀物を保存する穀倉には、小動物たちが入らないよう、地面から、はい上がる柱の上部と倉の接合部分には「鼠返し」と呼ばれる板が工夫され施されました。また、蛇が穀倉内に棲みつくことで小動物たちは恐れおののき穀倉内には入らない云う逸話まで生れました。
 蛇が棲まわる(坐す)ことで穀倉内は安全が補償されるようになってまいりました。こうして、人々は蛇に感謝を捧げ、蛇にまつわる「大物主の神」のような神話や伝説が誕生するようになりました。
  
  高床式の御倉 伊勢神宮内宮 御稲御倉(みしねのみくら)
 蛇を扱うことのできる蛇巫(へびふ)たちの存在は、古墳時代にも受け継がれ、埴輪にも蛇の形を現した連続三角紋や連続菱形紋の紋様を残しました。タスキを肩から下に掛けたり胴体に巻きつけました。そのタスキには、赤く塗られた三角形の連続模様も施されました。これらは、現在の着物の帯の原型とも考えられています。
 蛇を体に巻く習俗は、さすがに現在では考えられませんが、出産のときなどには安産を願い蛇の「抜け殻」をつける風習も一部に伝わっていました。また、蛇は脱皮を繰り返すことで、命の再生や健康を願う神となり、その蛇の「抜け殻」を財布の中に入れておけば金運が上昇すると云うことも信じられています。
 また、現在でも、古い農家の屋敷には屋敷神として、家の神として、蛇を棲まわせていたこと。タンスの中にもいたことなど、みな最近のこととして伝えています。

    
  腰かける巫女(左腰に五鈴鏡を持参する) 群馬県大泉町古海出土  高68.5  古墳時代(6世紀)  重文  三角連続文様

    
  手をあげる(盃を持った)巫女 群馬県箕郷町大字上芝字本町出土  高87.5  古墳時代  三角連続文様

    
  両手を高く挙げる巫女 大阪府高槻市今城塚古墳出土  菱形連続文様

 蛇は静かな生き物です。それ故、突然、目の前に現れた時の驚き様は、他の生き物を見る驚き様と全く違います。これは、私たち哺乳類の遙かな先祖たちが恐竜たちに突然に遭遇した感覚に近いのではないかと想像されます。それは、先祖たちの恐れおののいた姿か、それとも、生きるために勇敢に戦っている姿か、どこか似ているようです。
 現在は人々が、平和に共生しあい、共に暮らす時代です。
 こうした、幾つもの時代を経て私たちは今に生きています。この「ヒサカキの木」に宿った「お蛇様」に手を合わせることは、ひょっとして、一番大切なことかも知れません。
 「ヒサカキの木」に御出現された「御蛇様」は家内安全、五穀豊穣それに金運上昇、安産やお酒の神様など、人々の様々な願いを、こに受け継いでいます。
 どうか、この地上に現れて下さった「お蛇様」に、感謝を申し上げ、人々の安寧を謹み深くお祈り申し上げたいと思います。
 ここまでの話、これから先の話、ひとつの縁起として、後世にお伝えしたいと記録をしておきました。
   (文責 保坂 令和二年正月三ヶ日、川尻八幡宮お蛇様の前にてお話した内容に加筆して縁起風にまとめました。)

参考資料

※1については明治6年までのこととして記述。詳細については「石上神宮寶物誌」にあり、
  その経緯については別途記載予定。
 2020・1・25 保坂
※2
「大岡」の初見は「神訳集 (略) 寛永拾四年丑六月四日」にあり、旧城山町最古の文書
大場磐雄著「まつり」 學生社 昭和49年9月重版
倉林正次著「祭りの構造 饗宴と神事」 NHKブックス 昭和50年8月 発行
國學院雑誌  糸満盛信著「天孫降臨考」 昭和41年6月 発行
吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」 講談社 2006年12月 第12刷
横山登美子・安池正雄共編「(仮称・折口信夫追悼集)折口信夫まんだら」(非売品)昭和37年10月発行
   松前健著 諏訪神と龍蛇崇拝
樋口清之著「帯と化粧」 装道きもの学院出版局 昭和48年11月再版
戸沢充則著「私の考古学手帖縄文人との対話」 名著出版 1987年11月 発行
石川県立歴史博物館編集「真脇遺跡と縄文文化」 平成7年4月 発行
NHK大阪「今城塚古墳」プロジェクト著 大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎 NHK出版 2004年7月 発行

笹生衛著「古代のまつりと信仰 神と死者の考古学」  吉川弘文館 2016年1月 
1996年(H18)年2月2日付 朝日新聞夕刊、東京都大島町和泉浜遺跡、金銀四枚の短冊」出土記事
  
川尻八幡宮
川尻八幡宮境内の翁塚(おきなづか)と副葬品について
広田は竜の伝説地 川尻八幡宮境内社・金刀比羅神社本殿の彫刻
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