城山の湧き水
       
追加 津久井町中野地区 2007・2・10
                     一部追加 都井沢・小松地区  2007・2・17〜18
                     追加 相模川左岸(城山町)湧水めぐり 2007・3・17
                     追加 馬本の水神さん 2008・5・24 

   城山地区にはいろいろな形式を持った井戸が数多くあります。井戸は私たちが生きていくうえで最も重
  要な施設です。
   また、近年の研究から古道沿いには「降り井戸」(別称 まいまい井戸)等も作られていた事例もあり
  今後の研究が期待されています。(「多摩の歩み」 No111 国府界隈の古代井戸をめぐって 深沢晴幸)
   町内にはまだまだ使用できる井戸が多く、防災上不可欠な要素もあり日常の管理等、万全の体制を備
  えておく必要があろうかと思います。

             @山頂の湧水池  信仰の場 城の命水
             Aめいめい塚    古い井戸の形式
             B崖から溢れる湧水
             C崖を横方向に掘った横井戸
             D垂直方向に掘った井戸  
             E崖から溢れる湧水を溜めた井戸
             F川からの用水路 原宿、久保沢宿 中沢の竹水道

       
    雄龍籠山 金毘羅神社境内の「雨乞池」     津久井城  「宝ヶ池」

                         写真  「埋もれた古城」より
                         http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/index.htm

       
   「相模原市と城山町の境界にある「めいめい塚」
   
     
   
原宿 亀付共同井戸石組み                 町屋地区の井戸

   小松地区
                                  撮影2007・2.17
    
    小松の湧水池                   自害谷戸の湧水池

    
   小松川にも昔、何台かの水車小屋がありました。  小松 中島家
   

    
      小松  学校田           小松 西井戸(にしど)の語源となった古井戸

    
   現在はまったく使用されていません。危険防止用に廃材が被せてありました。荒れ果てていますが石
   組みはしっかりと築かれてありました。関東大震災では水が濁らなかったため多くの人が水汲みに来
   たそうです。

   共同体としての尻無沢湧水 

    
  
尻無沢の水元 青い岩盤層を20メートルほどくり貫いて横井戸が掘られてあります。現在は城山湖に
   通じる道路ができているため、奥の横井戸がどうなっているか分からなくなっています。
      
湧水は水元から1本の管路を伝わりながら、レンガで出きた分配枡に一旦集められ、そこから更に次の分配枡へと延び範囲を広げます。屋敷内には受水漕や洗い場も残され、永い間、飲料水や防火用水と しての役目を果たしていました。
 
    

     
分配枡から平等に分配されている湧水     道路脇に設置されている分配枡

     
   
屋敷神の裏手に設置されている分配枡   屋敷内の受水漕

    
   
鯉が泳ぐ池、垂れ下がるモミジの枝 に小鳥が巣を作った。 道路脇の分配漕

     
    
10軒分の分配枡      現在、湧水は防火用や池に利用しています。   


   
     
 慈眼寺(じげんじ)裏にある横井戸          中沢地区の横井戸

    
  
横井戸から染み出した湧水はコンクリートの水槽に一旦、溜められ、溢れた井戸水は道路脇のバケ
  ツへ流れ込みます。横井戸は都井沢や戸畑、中沢地区に残され今でも多くの家で利用しています。
  「はぐさ会」を夫加藤哲雄と共に主宰した梅子は裏の横井戸から流れ出る「あさ池」に毎日牛乳を
  浸しました。その歳月振り返りながら歌集「冬至梅」にこんな歌を残しました。
         集乳缶 朝あさ池に 浸したる日も夢なるや わが身衰ふ  加藤梅子

    
 中沢普門寺 飯綱権現堂 寺では谷津川の水源地から竹を利用して管路を作り、飲料水として利用して
 いました。右側の写真に見える管路は塩化ビニールで出来ていて、昭和30年代まで利用していました。

                              撮影2007・2・17
   
   中沢 普門寺の湧水枡         滝つぼ 圏央道が建設されるとなくなります。

                                撮影 2007・8・12
    
    滝つぼの湧水 圏央道の建設で今まで生い茂っていた木々は伐採されました。

                                        撮影2007・2・17
     
   
 中沢 旧智恩寺の湧水         死人橋脇の湧水 
                         懐かしいせせらぎの音が聞こえます。
 
              撮影2007・2・17
   

    中沢 流れ出る湧水と谷戸田

    谷津川地区
    
    瀧不動石垣の間から湧水が溢れる。

  
  「清水」の語源となった湧水池
 池の奥(北)側の部分から清水が湧き出しています。手前の底部に詮があって、沈殿した泥が流せるようになっています。
 平時は水位が決まっているので、溢れ出た清水は手前の枡に流れ込み、そこを洗い場として使用していました。
 清水の形式は、深く掘って水を溜めたのではなく傾斜を利用してコンクリートで堰を作り湧水を溜める形式です。
 この「清水」を上ると「川尻石器時代遺跡」が広がります。縄文人たちも、この湧水を飲みながら生活を営んでいました。

    
       参考 武蔵野の集落 矢嶋仁吉著 古今書院 1955年1月 4版発行
                国指定史跡 川尻石器時代遺跡

                
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