草創期の民俗学を切り開いた山中笑(共古)の生涯 yamanakahtml
2020・4・11 作成
はじめに
 「遂に来てしまった。」と云うことか、武田久吉博士の蔵書調査の中で、「甲斐志料集成第十二巻」の中に一通の手紙が挿んでありました。その手紙には、差出人のお名前が書いてありませんでしたが、博士を尋ねたあとの、研究者としての悩みが綴られていました。そして、手紙の後半は道祖神のことや粥かき棒等のことが記されていました。
 武田博士は植物学者としてあまりにも有名ですが、戦争中は本格的な民俗学への領域に入って行かれました。特に中部地方を中心に各村々を歩き回り、写真やメモを残しながら、道祖神や年中行事等の研究を進めて行きました。そして、当然なこととして、山中共古のご研究にも触れられて行きました。特に、共古が晩年に著された「共古随筆」のご本には、随所に博士自身がお書きになった鉛筆の添え書きが随所に残り、例えば「庚申塔」の項では、石に刻まれた銘文や祭祀場所等の再調査がなされ、後に「庚申雑記」として雑誌「民族文化」に発表されました。
  研究者の歩み、その原点を探るべき山中笑(えみ)の生涯を訪ねて見ましょう。 
1850 1850年12月6日(嘉永3年11月3日)に生まれる。
 
江戸の四谷仲殿町西念寺(現在の東京都新宿区)に幕臣の山中三九郎保全の次男として生まれる。山中家は徳川氏に仕える
  御家人の家柄で、遠祖は伊賀衆であるという。書は永井盤谷、その他に柔術・剣術・槍を学ぶ。
1851 1
1852 2
1853 3
1854 4
1855 5
1856 6
1857 7
1858 8
1859 安政6年 9
1860 10
1861 11
1862 12
1863 13 -
1864 14 〇この年、和宮親子内親王の広敷添番に登用され、江戸城で和宮に仕える。
1865 15
1866 16
1867 17
1868 明治元年 18 〇この年、徳川家が戊辰戦争で敗北すると、徳川家と共に駿府に移住、そこで、旧幕府の学問所静岡藩の英学所賤機舎の英学教授となる。外国人教授であったエドワード・ウォーレン・クラークやデイヴィッドソン・マクドナルドの影響を受ける。
1869 2 19
1870 3 20 4月4日、鳥居 龍蔵が阿波國徳島船場町で生まれる。
1871 4 21 〇この年、改名して笑(えむ)となる。
〇明治初年頃より納札連の仲間入りを行う。(年代や連の場所不明  調査が必要 保坂)
一 千社札 私は古い民族宗教の研究資料として明治初年頃から納札連の仲間入りもし、この道に這入って蒐集したのである。納札の興味はなか〔く〕盛んで納札で身代をつぶした例はいくらもある。 「涼蔭漫談 武蔵野 昭和3年」より
1872 5 22
1873 6 23
1874 7 24 9月27日、カナダ・メソジスト教会の医療宣教師マクドナルドから受洗する。
1875 8 25
1876 9 26
1877 10 27 〇この年頃、駿河沼津に寓し、村内の「我入道(がにゅうどう)」は、蟹か、子供等がガニンドと呼ぶを聞く。
『相模號』拝讀、老生病気のため見學は加はる事出来ず。残念に存知候處、諸君の記載なされし各方面により、御同行に加りし如く、有益にして面白く、居ながら踏査研究を到せし如く感じ申候。其中鈴木重光君の蟹に関する土俗談に就て、思ひ出せしことを、二三横這することをゆるし賜いて 共古述
 明治十年頃、駿河沼津に寓したること有りしが、町の東南に流るゝ川あり。狩野川と云ふ。此川口、海にそゝぐ處のわきに、小村あり、我入道(がにゅうどう)と字(あざな)す。傳へ云ふ日蓮上人に航するの日、難風に逢ひ、此地へ上陸され、沼津へ達せられしを以て、我入道と、此地を命せられしと云へど、此説附會を免かれず。更に又一説あり。村内に牛伏(うしぶせ)山といふあり。形牛の臥せが如し。村稱は臥牛洞といへるならんと。牛伏を轉して臥牛に換る如きは、文人墨客の雅習なれど、かヽる寒村の漁夫が、かヽる熟字を以て轉用と為せしとは受けられぬこと也。予此村へ行きしこと度々あり。濱邊に蟹が群れをなして居るを見たりし。子供達は、これをガニンドと呼べり。此に於て、我入道とは、ガニンドの轉訛ならんと思ひ居りたるに、鈴木君の蟹の土欲説に、方言ガニと呼ぶ地方あることを知らされしゆえ、かた〔く〕澤蟹の名稱より。村名となりしと思へり。(略)
          「蟹に関する土欲談について 山中笑」 武蔵野 昭和3年10月号 より
1878 11 28 〇この年、、静岡県梅屋町3番地(木佐森伊十郎方)に静岡教会の前身である講義所(伝道所)を開設、カナダに帰国中のマクドナルドに代わり伝道、静岡教会初代牧師となる。
1879 12 29 3月、静岡教会から沼津に転任、沼津教会第2代牧師となる。
1880 13 30
1881 14 31 〇この年、本格的に神学を学び東洋英和学校神学科を卒業する。。その後再び静岡に赴任。静岡教会3代目牧師となる。
9月18日、平岩愃保、土屋彦六と共に東京の下谷教会でジョージ・ミーチャムより按手礼を受け、日本メソジスト教会教職試補に任命される。
1882 15 32 8月、松浦武四郎(弘)が「揆雲餘興 一・二章」を刊行する。pid/902682(一章)・ 922683二章

       ↑(武四郎)         28/34 コマ番号
9月、正式な牧師となり、メソジスト最初の牧師の一人となる。
10月、静岡玄南横丁(呉服町6丁目30番地)に静岡教会を献堂。
1883 16 33 6月、浜松の連尺町で出張伝道開始、後の日本基督教団浜松教会の元となる。
1884 17 34 5月、静岡教会から下谷教会に転任、4代目牧師となる。
1885 18 35 4月、下谷教会から牛込教会に転任する。
1886 19 36 〇この年、山中笑は甲府教会や結城無二三の開いた日下部教会を拠点に山梨県の各地で伝道活動を行う。その一方で庶民の生活史を見聞し、その成果を『東京人類学会雑誌』へ発表する(のちに『甲斐の落葉(おちば)』として集成)。
〇この年、鳥居龍蔵(16才)が、同年創立の「東京人類學會」に入会する。坪井正五郎との文通始まる。
1887 20 37 5月、山中笑が「東京人類學雑誌 2 巻 15 号 p. 201-202」に「粥杖の起こり」と「婚姻風俗第十二:常陸帯 伊達の墨塗 子供新婦の通行を防く」を発表する。
   
  粥杖と竹に供えたニハトコの木
粥杖の起り 山中笑
坪井君の削り掛の御説にて思ひ出した事がありますから御参考の一にも相成ば幸の事と存じ武藏玉川在駒井村邊にて致します忌削り掛の事を御話し申します此邊にてハ正月十四日に家々にて接骨木(にはとこのき)を六七寸位な長に二本つゞ箸の様よ切り揃へ神棚へ上をきます其數は信ずる神の數に從ひ格別に多くある家もありますが先はどの家にても隨分多くつくりまず第一圖の如き者です第二圖の如きは歳徳神へあげるのと申し造りますが長さ二尺五六寸位にて眞中より先の皮を削り去り割目をつけ割目へ切餅をはさみ十五日に粥をたきて粥鍋の中へ入れかきまはして粥のつきたるまゝ大切に神棚へあげをきます
神々へ上げました残りの接骨木ハ第三圏の如く家々の掃溜へ竹をたて竹の小枝の先へ幾本もさげておきます「にはとこ」の木ハ心に穴がありますのらりれへ竹枝の
先をさしこみてをきますには都合がよくご座ひます十五日がすむと歳徳へ供たる二本の外は火にたいてしまひますが歳徳神へ上たるのは五月頃田へ水を引く時「ミノクチ」と申しまして田へ通ふ水口へたてます迄大事に致し置ます」/偖此村の削り掛は歳徳の外は削つたのを用ひませんが其他甲府近在で致します「ヲカイカキ」と稱へ正月十一日にヌルデの木にて長さ八寸程太さ一寸五分程の太箸を削り第四圖(省略)の如く先を細くし頭を四ツに割り十五日ニハ豆粥ヲ煮粥鍋の中へ箸の先を入れかきまハし其儘籾糠(もみぬか)へころがし廿一日迄大黒性ヘマヒ玉の柳の技ともに結付てをき五月頃虫除の禁厭と申しまして水口へたてをきま 又或村にてハヌルデの木にてヲカイカキの長きものを作り粥をかきまハし粥鍋へ入れをきたる餅玉がヲカイカキの先へつくと大なる吉事と致し喜びます事が御座ります(略)
7月、山中笑が「東京人類學雑誌 2巻 17 号 p. 247-252」に「駿河地方祝部土器圖説」を発表する。
 
   駿河地方祝部土器圖説
 本日は坪井君の祝部土器分類の談話有る由私も駿州地方にて祝部土器を随分見ましたこともありますれば愚考を述べ且私は一地方にて見聞せしより説をなしたるものなれば誤や考の足らぬことや又は駿州地方にも私の知らざる形のものもあらんと思ひますれば其邊のところ御知らせを願度存じます。(中略:各図の説明)駿州地方より堀出します此等の土器の年代を慥(たしか)に吉ふ事は出來ませんが古へ高麗人の住したる地と考らるゝ有渡山續き駒越(風土記高麗肥)村邊に多く出ます駿河に高麗人の住ひし事は續日本記霊龜二年五月駿河甲斐上総下総常陸下毛七ケ國の高麗人千七百九十九人を武藏國に遷し高麗郡を置くと記しあれば駿河國に高麗人の居た事は明であります共に出る物は曲玉、管玉、金環、銀環、硝子製の小玉、刀、鉾、鏃、甲冑の残片、朱、人骨、高麗轡等であります駒越村の隣村大谷村より富壽神室銭が共に出た事が有りましたそふです高麗人が祝部土器を用ひましたことは上野博物舘に朝鮮慶尚道金海堀出及慶州半月城堀出の祝部土器が多く陳列してあるにても知れます又最多古陶器を堀出します有渡山は日本武尊東夷を焼打したまひし地とて草薙の地名もあります それこれを考へますれは此等の土器は大略今を去る千年以上千七百年頃迄の物かと思われます。宗激上に此等の土器を用ひました事は甚古くよりありしとみへ文久年間に神武陵の傍より多く祝部土器を堀出し其他上古の陵墓の傍より此類の土器を出しますし且駿河より出ますのも多くは葬祭に用ひたるものと思われます。
 佛教渡來前より霊魂不死未來存在を信じ居ました證據物は祝部土器であると存知ます。
9月、 甲府教会(甲府市中央、旧桜町)の6第目牧師となる。
11月、山中笑が「東京人類學雑誌 3 巻 21 号 p. 37-42」に「御幣及ひ削掛の起り」を発表する。
  
  御幣及ひ削掛の起り
第拾五號の報告に、粥杖の起りに付て愚考を演ましたとき、削掛は御幣の祖先ならんと存じ、坪井君に御同意を致 しましたが、其後考へてみますに、御幣と削掛は、起りを 全く異に致すと存じますゆへ、先づ御幣より愚説をのべ ませう、 御幣は削掛の子孫であるや他人であるかを定だめますに ハ、元來何んの用に使ひたる者かといふを慥めることが 肝要と存じます、現今御幣の用ゐを見ますに、三通りの用 ゐが有ます、神躰の代りと致すのと、秡の具としまするのと、神の物を世俗の品と區別するため、〆縄につけますのと、三通りの用ゐですが、其中何れが重なるものと申さでバ、神躰の代りに致すのですが、なぜ棒の先に紙などつけたものを、神の代理となしたでせうかと、古代にのぽりて考まするに、我邦上古の宗教ハ、祖先拜の一種にして、葬を致しますと、陵墓をすぐに神祠と致し、別に祠を立て祭りたるものでハなく祭祀ハ皆墓所に於てし、死體を山に 葬るか塚を築くかしますると、大方は樹木を植て標とし、 其木枝にハ青き麻白き切など下げかけて、墓場飾の一つ となしたと存じます、神代の卷にある天照大神が天の石窟に入りませしとき、天香山の眞坂木を掘ての枝には鏡をかけ中の枝には曲玉をかけ下の枝には青和幣白和 幣をかけ云云などあるも、此類の飾木ならんと思われま す、今も祭禮の時に神輿の前に根榊に紙きれをかけ荷まするも
此類の飾木ならんと思われま す、今も祭禮の時に神輿の前に根榊に紙きれをかけ荷まするも神葬祭に用ます根榊に紙きれ麻や紅白の絹など つけて持行ますも、元來神に奉るにてハなく、墓地に植付墓場飾に致したる上古の遺風で有ませう、 これが即ち御幣の起元と存じますが、これのみにては明 らがで有ませんかち、紙の御幣と成ました順序をこれより申ませう(略)
1888 21 38 2月、鳥居瀧蔵が「東京人類學雑誌 3 巻 24号p114」に「阿波國坂野郡大谷村塚穴」を発表する。
 
 阿波国坂野郡大谷村塚穴    
2月、坪井正五郎が徳島の鳥居家を訪問する。(龍蔵18才) 鳥居龍蔵記念館  088-668-2544
1889 22 39 月、山中笑が「東京人類學雑誌 4 巻 40 号 p. 395-403」に「門戸み掲出す御守の話」を発表する。
8月2日〜11日、甲府を立ち平林・湯島を経由、奈良田にて民俗調査を行なう。
  
 人足ニオブサリユクさま
(略)奈良田ヨリ二里程手前ノ山間ニ温泉場アレバ入浴カタ〔く〕尋見ント思立テ廿二年ノ八月甲府ヲ立テ其日ハ平林ノ秋山トイフ宿屋ニ泊リタリ此地ヨリ山越ノ難路ニカヽルユヘ人足ヲ雇ヒ山道ハ人足ニオブサリテユク事ニセリ平林ヨリハ馬モ駕籠モキクトコロナラ子バ温泉行ノ人ハ人足ニオブサリテユク五里以上ノ山路ヲ荷ヒ賃錢四十五銭トハ安値ナリシ甲府ヨリ拾二里程モ温泉場迄モアル樣ナリ水道ニアラ子バ慥(たしか)ノ里數ハ知レズ湯島ノ村役場ヨリコウフマテ拾六里トイヘドソハ此山道ニハアラズ強力二荷ハルヽ有様面白ク覚ヘタレバ雇ヒタリ人足ハショイコヘ五升入ノ酒樽ヲ横ニシバリツケソノ上ヘフトンヲカブセ其上ニ腰ヲスヘサセ シヨイ子ノ棒ヘツカマラセ圖ノ如クシテ背オイ行クナリ 途中暑クナルト人足ハ枝ヲ折リ木ノ葉ツキタルヲ團扇トシテ風ヲ入レツ丶歩ミユク中々心地ヨキモノニテ駕籠ニユラレルヨリ餘程快ヨキモノナリシ(略)  中山共古著「甲斐の落葉 巻ノ下」より
1890 23 40 5月、山中笑が「東京人類學雑誌 5 巻 50 号 p. 206-213」に「縄紋土器はアイヌの遺物ならん」を発表する。
9月、坪井 正五郎が「東京人類學雑誌 5 巻 54 号
p. 362-368」に「縄紋土器に關する山中笑氏の説を讀む」を発表する。
1891 24 41
1892 25 42 〇この年、甲府教会から緑町講義所に転任。
1893 26 43
1894 27 44 〇この年、緑町講義所から沼津教会に転任し、第8代牧師となる。
1895 28 45 6月、下谷教会に転任し、第8代牧師となる ※第8代牧師 再調査要
10月、山中笑が「東京人類學雑誌 11巻115號 p. 13-17」に「甲斐の石棒」を発表する。
11月、山中笑が「東京人類學雑誌11巻116號
p. 63-67」に「甲斐の子供遊び」を発表する。
  また、同号に水越 正義が「伊豆利島ノ土俗」を発表する。

11月、 山中笑が「東京古泉會雜誌 (3) 東京古泉会」に「島錢ヲ日本ノ通貨ト斷定スルノ中川近禮君ノ説ヲ讀ム」を発表する。 pid/1515244
12月、 山中笑が「東京古泉會雜誌 (4) 東京古泉会」に「甲州實字玉点ェ永錢ニ就テ・寳貨雋 」を発表する。 pid/1515245
  また、同号に山笑生が「ェ永番錢ノ問ニ答フ 」を発表する。 
内容未確認、特に山笑生は不明
1896 29 46 1月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (5) 東京古泉会」に「ラクヲニヤ錢ニ就テ・寶貨雋(承前)」を発表する。 pid/1515246
2月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (6) 東京古泉会」に「島錢ニ關シ中川君ノ答ニ答フ 」を発表する。pid/1515247
3月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (7) 東京古泉会」に「ェ永沓谷錢ニ就て」を発表する。 pid/1515248
  また、同号に今村駑 が「山中君及柳〔アン〕君ノ問ニ答フ 」を発表する。
5月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (9) 東京古泉会」に「甲斐國ニ關セル古書中ニ記サレタル錢貨・四當ェ永背文波形に就て」を発表する。pid/1515249
5月、蒔田 鎗次郎が「東京人類學雑誌 11 巻 122 号 p. 320-325」に「彌生式土器發見ニ付テ」を発表する。
7月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (11) 東京古泉会」に「C國私鑄ノェ永小錢・寶貨雋(四)」を発表する。 pid/1515251
8月、山笑生が「東京古泉會雜誌 (12) 東京古泉会」に「春布菴主の再ひ島錢を諭せらる々を讀む」を発表する。
  また、同号で「(
瑣談拔萃) / 山中笑 ; 寳水軒 ; 柳〔アン〕」の対談が掲載される。pid/1515252
       
瑣談(さだん):つまらない話。こまごました話
11月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (15) 東京古泉会」に「狩谷掖齋の墓ふ詣ず」を発表する。 pid/1515255
11月、山中笑が「 集古会誌 集古会」に「下野國藥師寺古瓦・千社參りの創行者」を発表する。 pid/1588960
埴輪土偶/八木奘三カ
天平年間奴婢の價/K川眞道
具塚土偶の孔/坪井正五カ
大御輪寺の籾塔/下村三四吉
12月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (16) 東京古泉会」に「貝貨幤 」を発表する。 
  また、同号に「本邦繪錢考(一) / 馬島杏雨 ; 山中笑 ; 中川近禮」と山生笑が「深川十萬坪ふ千田庄兵衛の石像を見る」を発表する。pid/1515256
12月、山中笑が「考古学雑誌 第一編第一號」に「下野国分寺の古瓦」を発表する。
1897 30 47 1月、馬島杏雨 ; 山中笑 ; 中川近禮 が「東京古泉會雜誌 (17) 東京古泉会」に「本邦繪錢考(二)」を発表する。  pid/1515257
2月、山中笑が 「東京古泉會雜誌 (18) 東京古泉会」に「錢貨に關する和漢の迷信」を発表する。 pid/1515258
  また、同号に馬島杏雨 ; 山中笑 ; 中川近禮が「本邦繪錢考(三) 」を発表する。
古錢蒐集上ニ就テ答/山笑生
汗血ノ意味ニ就テ答/山笑生
一品物トノ答/山笑生

3月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (19) 東京古泉会」に「龜田君の平安錢本邦説を讀む」を発表する。 pid/1515259
4月、馬島杏雨 ; 山中笑 ; 中川近禮が「東京古泉會雜誌 (20) 東京古泉会」に「本邦繪錢考(四) 」を発表する。
  また、同号に山笑生が「赤側の名稱に就て」を発表する。pid/1515260
6月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (22) 東京古泉会」に「新渡異文錢」を発表する。 pid/1515262
  また、同号に馬島杏雨 ; 山中笑 ; 中川近禮が「本邦繪錢考(六)」を発表する。
今沿革考に記されし近代和錢 / 山笑生 
9月、山中笑が「東京古泉會雜誌 (25) 東京古泉会」に「島錢考・大佛錢」を発表する。  pid/1515265
9月、蒔田鎗衣郎が「東京人類學雑誌12 巻 138 号 p. 481-485」に「彌生式土器」を発表する。
11月、馬島杏雨 ; 山中笑 ; 中川近禮が「東京古泉會雜誌 (26) 東京古泉会」に「繪錢考(五)」を発表する。 pid/1515266
11月28日、坪井 正五郎が「東京人類學雑誌13 巻 140 号 p. 41-45」に「東京人類學會創立第十三年會演説」の行われたことが記述され、その中で山中笑著「甲斐の贈答風俗」のことが紹介される。
  
注 山中笑著「甲斐の贈答風俗」は12巻135号(明治30年6月)に発表となっているが未確認 再調査要 2020・4・9 保坂
12月、山中笑が「東京人類學雑誌 13 巻 141 号 p. 83-102」に「第五回土俗會談話録」をまとめる。
1898 31 48 4月、山中笑が「集古会誌 集古会」に「 甲斐湯村の梵字碑及び火打鎌」を発表する。 pid/1588961
佐久間象山舊藏の磨製石斧 / 坪井正五カ
子持高坏 / 八木奘三カ
有孔石器中の異品に付て / 野中完一
埴輪土偶 / 關保之助
12月25日、山中笑が「考古学雑誌 第二編第八號」に「武蔵國光福寺寶篋印塔」を発表する。
明治十九年比企郡大岡村大字岡郷光福寺に在る元享三年の寶篋印塔を發掘して舎利塔、舎利粒、交阯焼(こうちやき)臺等を發見せしが、之に附き考説を記されしを山中笑君が報告されしものなり、
 「柴田 常恵著「雑筆六則」 根岸武香関連 1903 年東京人類学雑誌  18 巻 207 号 p. 378 発行日: 1903/06/20」より
 
現在 昭和28年8月29日(国指定文化財)指定 ※ 出土された遺物についての保存状況については未確認 2020・4・9 保坂
1899 32 49 6月、山中笑が「集古会誌 集古会」に「麹五吉のと府政千社參りに就て」を発表する。 pid/1588962
日向高千穗の石器 / 坪井正五カ 播州姫路に於ける両替屋の古看板 / 野中完一
8月9日、「第六回土俗會」が開かれ山中笑も出席する。

第六回土俗會は去八月九日午後七塒より東京市麹町区富士見町明治義會講堂に於て開會し發起人總代八木奨三郎氏開會の辭を述べられ次で今回の問題諸地方の妄信俗傳に就て理學士坪井正五郎氏の解説あり終て各會員右の問題に就て談話せられ午後十塒閉會せり當日の來會者無慮百數十名に達せしも其中記名せられたる會員諸君を左に列記して紀念とす。
出席者名/杉野耕三郎、神東惇、佐籐壽助(備中國後月郡)、戸ロ保三、橋本又作、青山正、磯部精一、石川至道、小松琢宗、弘丑彦、三浦直(肥後國玉名郡)、早田辰次、鈴木安太郎、在原喜太郎、外川益彌、鈴木謙次郎、長嶺富五郎、久木田英夫、安齊隆重郎、鹽脇宇之助、淺鈴儀史、角田野陣、寺崎彌兵衛、平泉弘人、加納恭造、安田需、眞木謙吉(丹波國氷上郡)、幕内廣治、後藤勝三郎、筒井昇吉、東政吉、井上敬道、池田菊左衛門、佐々木静四郎、片岡喜又、中本愼吾(周防國熊毛郡)、原嘉太郎、野村與市、岩宙要輔、佐保田直助、梅村甚太郎(志摩國)、志村俊次郎、池田米男、佐次宗吉、島村孝三郎、小財八三、北川某(近江國)、荻生忻浄(加賀國)、高柳悦三郎、深山健吉、桑原貞治、高橋磐江、荒義雄、天笠久眞三、堀越納祐、水谷幸太郎、廣川粧三郎、小林平次郎、釜瀬新平(筑前国宗縣郡)、福原久米治、松島克生(備前國)、小倉喜三(阿波國)、沼田頼輔、岡田毅三郎、伊藤泰、多喜久吉(伊勢國)、稻葉包通、坪井正五郎、入木奨三郎、山中笑、林若吉(次第不論・未完) 
                      「東京人類學會雜誌 9月号 13 巻 150 号 p. 496-504」より

※ 当日の出席者からの「お話」も掲載されていましたが、(未完)として終っていたので以後の内容は不明出身地名のある方がお話をされています。
1900 33 50 1900年(明治33年)5月 下谷教会から東京牛込教会(後の頌栄教会)に転任[13]。

4月、山中笑が「東洋學藝雜誌 17(223) 東京社」に「應問 古錢ニ就テ」を発表する。   pid/3559181
  また、同号に「雜報 古墳穴及同時代遺物發見地名表」が掲載される。
7月、山中笑が「東洋學藝雜誌 17(226) 東京社」に「應問 再び古錢に就て」を発表する。 pid/3559184
   また、同号に小藤文次カが「雜録 根尾谷斷層兩端の地震」を発表する。
10月、山中笑・藤田忠助が「東洋學藝雜誌 17(229) 東京社 」に「應問 三たび古錢に就て」を発表する。 pid/3559187
1901 34 51 6月、山中笑が「考古界 1(1) 考古学会」に「磬幣考」を発表する。  pid/11185633
  また、同号に「古墳發掘に付訓令」が掲載される。
7月、山中笑が「考古界 1(2) 考古学会」に「百萬塔陀羅尼版刻に就て」を発表する。 pid/11185634
8月、山中笑が「考古界 1(2) 考古学会」に「過海大師東征傳に記されし錢貨名稱考」を発表する。 pid/11185635
11月、山中笑が「考古界 1(6) 考古学会」に「經石につきて」を発表する。  pid/11185638
12月、山中笑が「考古界 1(7) 考古学会」に「房州考古巡禮(圖入)/山中共古」を発表する。  pid/11185639
  また、同号に野中完一が「山中笑氏の經石考に就きて」を発表する。
八木奘三カ君の歸京 
菅公千體會趣意書
古社寺保存の調査につきて
埼玉縣に於ける御陵墓の發見
1902 35 52 1月、山中笑が「考古界 1(8) 考古学会」に「房州考古巡禮(承前、完結)・またも經石に就て(圖入)」を発表する。 pid/11185640
4月、 山中笑が「考古界 1(11) 考古学会」に「畫模樣ある磬幣(圖入)」を発表する。 pid/11185643
奈良東大寺三月堂天蓋嵌附の古鏡圖
太宰府天滿宮の文書館開設
特別保護建造物の修繕(尾張甚目寺)
八木奘三カ君の朝鮮考古談
10月、山中笑が「考古界 2(5) 考古学会」に「虎文ある磬幣(圖入)」を発表する。  pid/11185649
八木奘三カ氏の臺灣赴任 式根島に於ける古銅鏡の發見
10月、山中笑が「東京人類學雑誌18 巻 199 号 p. 23-32」に「甲斐の落葉(一) 」を発表する。
11月、山中笑が「東京人類學雑誌18 巻 200 号 p. 56-68」に「甲斐の落葉(二)」を発表する。

1903 36 53 3月、山中笑が「集古会誌 集古会」に「慶長板の書紀及千字文」を発表する。 pid/1588972
  また、同号に坪井正五カが「石器時代土器の上に在る破れ止めならさる揉み孔」を発表する。
2月、山中笑が「東京人類學雑誌18 巻 203 号 p. 188-192」に「甲斐の落葉」を発表する。
※通番なし
5月、山中笑が「東京人類學雑誌18 巻 206 号 p. 326-332に「甲斐の落葉 (四) 」を発表する。
6月、山中笑が「東京人類學雑誌 18 巻 207 号 p. 374-376」に「故根岸武香君の辞世に就て」を寄稿する。
8月、山中笑が「東京人類學雑誌18 巻 209 号 p. 457-462」に「甲斐の落葉」を発表する。※通番なし
9月、山中笑が「東京人類學雑誌18 巻 210 号 p. 487-495」に「甲斐の落葉(六)」を発表する。

 甲斐の落葉  東京人類學雑誌   発行年 主な内容
甲斐の落葉(一) 18巻199号 1902年10月
甲斐の落葉(二) 18巻200号 1902年11月
甲斐の落葉(通番なし) 18巻203号 1903年2月
甲斐の落葉(四) 18巻206巻 1903年5月
甲斐の落葉(通番なし) 18巻209号 1903年8月
甲斐の落葉(六) 18巻210号 1903年9月
12月、山中笑が「考古界 3(7) 考古学会」に「三菱五ッ目結の紋章の古鏡(圖入)」を発表する。 pid/11185663
日本石器時代人民に關する坪井小金井兩博士の論爭について 神武天皇遺蹟造營
1904 37 54 1月、山中笑が「集古会誌 甲辰(1) 集古会」に「糸印名稱考」を発表する。 pid/1588976
3月、山中共古が「考古界 3(10) 考古学会」に「質疑解答/古錢研究法につきて(山中共古解答)」を発表する。  pid/11185666
海獸葡萄鏡に就て(承前)/濱田耕作 臺灣に於ける考古學的觀察(承前)/八木奘三カ
5月、山中笑が「集古会誌 甲辰(3) 集古会」に「ひゐな人形の系圖」を発表する。  pid/1588978
  また、同号に坪井正五カ が「曲玉製造法」を発表する。 

10月、山中笑が「考古界 4(5) 考古学会」に「伊勢國瓦經の出所に就て」を発表する。  pid/11185673
10月、山中笑が「東京人類學會雜誌 20 巻 223 号 p. 85-86」に「彌生式土器に就て」を発表する。
1905 38 55 〇この年、民俗学者柳田國男に出会う。また、後に民俗学や考古学として確立する分野の先駆者である藤井貞幹や松浦武四郎らとも親交を持つ。その後見附教会(後の中遠教会)などで牧師を務める。
3月、山中笑が「集古会誌 乙巳(2) 集古会」に「湖州鏡」を発表する。 pid/1588982
10月30日〜11月12日、柳田國男、愛知県下産業組合役員協議會に産業組合中央會の代表として出席、産業組合の聯合の問題について講演。つづいて愛知県下を旅行し、水利組合を見てまわる。三河を経て遠江→引佐郡→磐田郡→安倍郡を経て帰京する。 参考 筑摩書房・柳田國男年譜
11月、山中笑が「集古会誌 乙巳(5) 集古会」に「地藏流し」を発表する。 pid/1588985
1906 39 56 1月、 山中笑が「集古会誌 丙午(1) 集古会」に「糸印譜を本誌に載するに就て」を発表する。 pid/1588986
  また、同号に 山中共占が「糸印講(其一)」を発表する。
      注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けているので注意が必要。 2020・4・1 保坂 
3月、山中笑が「集古会誌 丙午(2) 集古会」に「馬と錢貨」を発表する。pid/1588987
  また、同号に 山中共古が「糸印譜(其二)」を発表する。
      注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けているので注意が必要。 2020・4・1 保坂 
5月、山中共古が「集古会誌 丙午(3) 集古会」に「糸印譜(其三) 」を発表する。 pid/1588988
9月、山中共古が「集古会誌 丙午(4) 集古会」に「糸印譜(其四) 」を発表する。 pid/1588989
  また、同号にC水晴風が「大津繪風俗考」を発表する。
12月、山中共古が「集古会誌 丙午(5) 集古会」に「糸印譜(其五)」を発表する。 pid/1588990
  また、同号に山中笑が「雁首錢」を発表する。

      注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けているので注意が必要。 2020・4・1 保坂 
1907 40 57 〇この年、吉原教会の牧師となる。
4月、山中共古が「集古会誌 丁未(1) 集古会」に「糸印譜(其六) 」を発表する。  pid/1588991
  また、同号に山中笑が「多胡碑給羊の文に就て」を発表する。
    
注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けているので注意が必要。 2020・4・1 保坂 
10月、山中共古が「集古会誌 集古会」に「糸印譜(其七)」を発表する。 pid/1588992
  また、同号に朝倉無聲が「江戸名所圖會編纂始末」を発表する。
11月、山中共古が「集古会誌 丁未(3) 集古会」に「糸印譜(其八) ・遠江國見付町宣光寺古鐘銘」を発表する。  pid/1588993
     注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けていないので注意が必要。 2020・4・1 保坂 
1908 41 58 3月、山中共古が「集古会誌 丁未(4) 集古会」に「糸印譜(其九)」を発表する。 pid/1588959
3月、山中笑が「集古会誌 丁未(5) 集古会」に「猪鹿除の守」を発表する。 pid/1588994
  また、同号に山中共古が「糸印譜(其十)」を発表する。

9月、南方熊楠が「東京人類學雑誌23 巻 270 号 p. 446-452」に「涅齒(でつし)に就て」を発表する。
10月、山中笑が「集古会誌 戊申(1) 集古会」に「猿面硯なる名稱に就て」を発表する。  pid/1588995
  また、同号に山中共古が「糸印譜(其十一)」を発表する。  

    注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けているので注意が必要。 2020・4・1 保坂 
10月、山中共古が「集古会誌 戊申(2) 集古会」に「糸印譜(其十二)」を発表する。 pid/1588996
1909 42 59 3月、山中笑が「東京人類學雑誌 24 巻 276 号 p. 218-221」に「神の字の考」を発表する。
3月、山中共古が「集古会誌 戊申(3) 集古会」に「糸印譜(其十三) 」を発表する。  pid/1588998
3月、山中共古が「集古会誌 戊申(4) 集古会」に「糸印譜(其十四)」を発表する。  pid/1588997
  また、同号に白井光太カが「梓材考」を発表する。
3月11日、柳田國男が「後狩詞記(のちのかりことばのき)」を自家出版する。
6月、山中共古が「集古会誌 戊申(5) 集古会」に「糸印譜(其十五)」を発表する。  pid/1588999
6月、山中共古が「集古会誌 己酉(1) 集古会」に「糸印譜(其十六)」を発表する。  pid/1589000
9月、山中笑が「集古会誌 己酉(2) 集古会」に「糸印譜(其十七) 」を発表する。  pid/1589001
9月、山中共古が「集古会誌 己酉(3) 集古会」に「糸印譜(其十八) 」を発表する。  pid/1589002
  また、同号に山中笑が「福助考」を発表する。
     注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けているので注意が必要。 2020・4・1 保坂  
11月、山中共古が和装本「古錢學大要 [1]」を著す。  pid/2566863 閲覧可能
  
安南及韓國錢史略ハ泉友青貸堂貫井 銀次郎氏参考ノ為ニ予ガ編セシモノナリ 明治四拾弐年十一月四日  山中共古 印」と手書奥付あり
11(仮)月、山中共古が和装本「古錢學大要 [2]」を著す。 pid/2566864 
閲覧可能
     注 発行月不明 再調査要 2020・4・1 保坂
1910 43 60 3月、山中笑が「東京人類學雑誌25 巻 288 号 p. 216-229」に「本邦に於ける動物崇拜」を発表する。
(略)虎魚(オコゼ) 此魚を祭る日向奈須山村の奇風俗に就ては柳田國男氏の後狩詞記に「海漁には山おこぜ山猟には海おこぜを祭る効験多しと云ふ其方法はおこぜを一枚の白紙に包み告げて曰はくおこぜ殿おこぜ殿近々我に一頭の猪を獲させ玉へさすれば紙を解き開きて世の明りを見せ参らせんと次て幸に一頭を獲たるときは又告て前の如く云ひて幾重にも包み置と」ぞ之おこぜを欺きつゝ崇拝する奇風と云ふべし。(略)
4月、山笑生が「東京人類學雑誌25 巻 289 号 p. 265-266」に「「キビシヨ」の渡來に就て」を発表する。
4月7日、大野雲外が山中笑と新橋駅下り列車で出会う。
(明治43年4月)7日晴れ午前十一時新橋發下り列車に乗車しようとするこきに、山中笑君に出會した、同君も同じく乗車されるところでありましたが、只聲をかけたばかりで、私は荷物のために手間が掛りまごつきました故に、別の車輛に乗りましたから其姿を見失ひ残念でした、暫らくするとベルがからん〔く〕となれば、汽笛一聲新橋をと云唱歌の如く、發車進行して(略)
   大野雲外著「米子旅行記」 東京人類學會雜誌  28 巻 4 号 p. 221」より
5月14日〜10月29日迄、ロンドンで日英博覧会が行われ、羅馬字の記した納札が出品される。
(略)文政八年以前のもので羅馬字の記したのは、日本に於て外國文明の影響の早い時代の例として、明治四十三年にロンドンに開かれた日英博覧會ね文部省の手を経て出品したもので、當時の文明が何よりも納札に現はれてをるのは心細くもあり、又面白い例である。(略) 「涼蔭漫談 武蔵野 昭和3年」より
5月20日、柳田国男が「石神問答  聚精堂」を刊行する。 pid/993744 閲覧可能
6月、山中共古が「集古会誌 己酉(4) 集古会」に「糸印譜(其十九)」を発表する。  pid/1589003
6月、山中共古が「集古会誌 己酉(5) 集古会」に「糸印譜(其二十)」を発表する。  pid/1589004
7月、南方態楠が「東京人類學雑誌25 巻 291 号 p. 325-342」に「本邦に於ける動物崇拜」を発表する。
7月、柳田國男が柴田常恵の紹介で東京人類学会に入会する。 『東京人類学会雑誌』第25巻第292号 1910年 399頁
11月、南方熊楠が「東京人類學雑誌26 巻 296 号 p. 63-65」に「本邦に於ける動物崇拜追加」を発表する。
    また、同号に柳田國男が「アイヌの家の形」を発表する。

12月、山中共古が「集古会誌 庚戌(1) 集古会」に「糸印譜(其二十一) ・三河國鳳來寺鏡堂の鏡」を発表する。  pid/1589005
   
  注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けていないので注意が必要。 2020・4・1 保坂
1911 44 61 1月、山中共古が「集古会誌 庚戌(2) 集古会」に「糸印譜(其二十二)」を発表する。  pid/1589006
7月、山中共古が「集古会誌 庚戌(3) 集古会」に「糸印譜(其二十三) 」を発表する。  pid/1589007
7月、山中共古が「集古会誌 庚戌(4) 集古会」に「糸印譜(其二十四)」を発表する。  pid/1589008
7月、山中共古が「集古会誌 庚戌(5) 集古会」に「糸印譜(其二十五)」を発表する。  pid/1589009
  また、同号に石井泰次カが「日光山料理」を発表する。
2月、南方熊楠が「東京人類學雑誌 26 巻 299 号 p. 189-196」に「山神「オコゼ」魚を好むと云ふ事」を発表する。
(略)昔し人有り、十津川の奥白谷の深林で、材木十萬を伐わしも、水乏くて筏を出す能はず、因て河下なる土小屋の神社に鳥居(現存)を献じ、生たる(オコゼ)を捧げ祈りければ、翌朝水夥く出でて其鳥居を浸し、件の谷より此處迄、筏陸續して下り、細民生利を得る事維れ多し、其人之を見て大に獣び、徑八寸有る南天の大木に乗り、流れに任せて之く所を知ずと、本誌二八八號、二二八頁、山中氏が、柳田氏の記を引たるを見るに、日向の一村には、今も「オコゼ」を霊有りとし、白紙一枚に包み、祀して曰く、「オコぜ」殿、「オコぜ」殿、近く我に一頭の猪を獲させ給はゞ、紙を解き開きて、世の明りを見せ参らせんと、扠幸ひに一猪を獲たる時、又前の如く言て、幾重にも包み置き、毎度「オコぜ」を給きて、山幸を求る風存すとなり(略)
7月、山中共古が「集古会誌 庚戌(3) 集古会」に「糸印譜(其二十三) 」を発表する。  pid/1589007
7月、山中共古が「集古会誌 庚戌(4) 集古会」に「糸印譜(其二十四)」を発表する。  pid/1589008
7月、山中共古が「集古会誌 庚戌(5) 集古会」に「糸印譜(其二十五)」を発表する。  pid/1589009
  また、同号に石井泰次カが「日光山料理」を発表する。
1912 大正元年 62 3月、吉原教会の牧師を引退する。
証言:(略)先生は牧師の職について居られたが、自分の信仰を他人に押しつけるようなことは決してなさらなかった。牧師とは真に信仰を必要とする人だけを導けばよいのであって、信者の数などは問題ではないという態度であらわれた。このことは先生に最も近かったお弟子の一人である三輪善之助先生がよくお迎るとおりで、そのため先生が静岡県吉原教会の牧師として在任中、メソジスト教会の年会の席上で、監督の某氏が名指しで先生の態度を非難されたため、先生は直ちに辞表を出して東京に引き上げて来られたのだそうである。これは青山学院大学の図書館に長く勤務され、一時は共古先生と一緒に仕事をされたことのある故増田金四郎氏から詳しく伺ったことであった。(略)  共古先生のこと/馬場錬一 「「武蔵野」 昭和46年11月 50巻3・4号」より
4月1日 隠居牧師となる。その後(大正8年4月から)、青山学院図書係となり、本格的な民俗学・考古学研究に専念する
4月4日〜一週間、大野雲外が東海道の行(静岡県庁→遠州・惡ヶ谷→同村・船渡→桑名郡・温泉→度會郡・二見町・林→→・子持曲玉→山田市高倉山→豊受太神宮東大宮院敷地→同豊受太神宮五丈殿後林)を行う
  
 大池から出土した斎瓮(いわいべ)
 今回銅鐸發見に就ては、山中笑君が静岡に於て友人より其銅鐸の眞爲を贈られしを見て、直に余に其次第を通信がありました。豫て本誌上に銅鐸に就て記載せしことあれば、其材料ならんとの意に出たるものである、故に早速坪井先生へ御相談いたし、公然現瘍を實査するの必用あれば、其手続をいたして、出張の許可を得ましたのは、四月四日でありました。其日午後十一時發車にて静岡に着し、翌五日縣廳に出頭して、知事よりの紹介を得て、舟橋參事官に面語の上、氣賀町方面に趣くことに成った。(中略) 遠江國磐田郡於保村大字大原字大池、この池の周圍は二十
五丁、反別十五丁深三尺其泥士中から、種々の古物が發見されることは、山中笑君よりきゝ、今回亦倉田君よりもきゝて、是非調査して貰ひたいとの勧誘もありましたが、時の都合にて他日に譲ることにした、其發見された齋瓮(8・上図は其大池から發見したのである、山中君もこれと同様のものを献納された、誠に面白き場所と考へられる、この機子をきゝて推測するときは、昔し雨乞のために神を祈り、其他種々の神事の上の為に池に祭器類を沈めると云ふこともありそうな考がする、山中君もこの考を持っておられるが、私は未だ實地を踏査しないから断言は出來ぬが、或はさもありそうなことにも考へられる、亦洪水等の作用にて變動したか、如何なるや、他日實見した上で報導したいと考へてをろ、只その話しのまゝを記して參考に供へておく(略)
 斎瓮(いわいべ): 神に供えるための忌み清めた容器。  大野雲外著「東海道一週間の行」 人類学雑誌28巻6号 より               
4月、大野雲外が「人類學會雜誌  28 巻 4 号 p. 221」に「米子旅行記」を発表する。
6月10日、大野雲外が「人類學會雜誌  28 巻 6 号 p. 339-343 」に「東海道一週日の行」を発表する。
9月、山中共古が「集古会誌 辛亥(1) 集古会」に「糸印譜(其二十六)」を発表する。 pid/1589010
9月、山中共古が「集古会誌 辛亥(2) 集古会」に「糸印譜(其二十七)・絶板古状揃に就て」を発表する。 pid/1589011
      注 「山中笑」と 「山中共占」を使い分けていないので注意が必要。 2020・4・1 保坂
9月、山中共古が「集古会誌 辛亥(3) 集古会」に「糸印譜(其二十八)」を発表する。 pid/1589012
12月、山中笑 ; 沼田ョ輔が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 3(4) 日本考古学会」に「考古學會記事 本會十一月例會」を寄せる。  pid/3548174
  また、同号に南方熊楠が「雜纂 十三塚の事」、梅原末治が「雜纂 河内蹈査報告―(三)」を発表する。
   
参考 附録(會員限添付) 考古學會々員名簿 / p1〜15
1913 2 63 2月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 3(6) 日本考古学会」に「論説 板碑に就て」を発表する。 pid/3548176
4月、山中共古が「集古会誌 辛亥(5) 集古会」に「和蘭文字の千社札」を発表する。  pid/1589014
9月、山中共古が「集古会誌 壬子(2) 集古会」に「麻布で氣が知れぬの解」を発表する。  pid/1589016
1914 3 64 1月、K板勝美 ; 山中笑 が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 4(5) 日本考古学会」に「考古學會記事 本會十一月例會」を寄せる。pid/3548187
3月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 4(7) 日本考古学会」に「論説 千社參り納札に就て」を発表する。pid/3548189
  また、同号に梅原末治が「雜纂 河内打上村石寶殿」を発表する。また、「彙報 高安城址の發見」も掲載される。

5月、山中共古が「集古会誌 壬子(5) 集古会」に「てんこうの千社札に就て」を発表する。 pid/1589019
月、山中笑が「集古会誌 1 集古会 」に「尻取文句考」を発表する。  pid/1589020
5月、山中笑が「集古会誌 2 集古会」に「尻取文句考(承前) 」を発表する。 pid/1589021
6月、太田福藏 ; 山中笑 が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 4(10) 日本考古学会」に「考古學會記事 本會五月例會」を寄せる。 pid/3548192
  また、同号に喜田貞吉が「論説 再び古墳墓の年代に就て 附棺槨の意義に就て」を発表する。
11月、山中笑 ; 高橋健自が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 5(3) 日本考古学会 」に「考古學會記事 本會十月例會」を寄せる。 pid/3548197
  また、同号に梅原末治が「雜纂 近時調査せる河内の古墳――(上)」を発表する。
彙報 民俗と石地藏/都新聞
彙報 平安宮址保存/新大和
彙報 名勝史籍保存方法調査 / 土陽新聞

〇この年、山中共古が和装本「長鮑集 [1〜4]」を刊行する。 pid/2592136〜pid/2592139 閲覧可能
1915 4 65 1月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 5(5) 日本考古学会」に「論説 本邦最初の泉貨に就いて」を発表する。  pid/3548199
  また、同号に山田孝雄が「隅田八幡宮藏古鏡につきて」を発表する。
1月、山中共古が「風俗圖説 1(3) 風俗圖説社」に「繪馬に就て」を発表する。  pid/1492570
  また、同号に久保田米齋が「笑ふ門―(大阪俄の變遷)」を発表する。
2月20日、山中笑が「人類學會雜誌 30 巻 2 号 p. 35-40」に「繪馬と土馬の關係」を発表する。

月、山中共古が「風俗圖説 1(4) 風俗圖説社」に「正誤と問答」を発表する。  pid/1492571
  また、同号に紙魚堂が「大津繪考(上)」を発表する。
     
大津道則筆大津繪奴の圖
7月、山中共古が「浮世絵 (2) 浮世絵社」に「女夫石の行衞」を発表する。  pid/1499133
  また、同号に小島烏水が「二代目豐國は國重か豐重か」、三村竹Cが「菱川師宣寄進の鐘」を発表する。
8月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 5(12) 日本考古学会」に「論説(講演) 江戸時代の庚申塔」を掲載する。pid/3548206
月、山中共古が「風俗圖説 2(4) 風俗圖説社」に「御錠口と七ッ口」を発表する。  pid/1492577
     
菱川師宣筆嵯峨大念佛の圖 歌川國安筆駱駝見世物の圖
11月、山中共古が「浮世絵 (6) 浮世絵社」に「カツト代り」を発表する。  pid/1499137
〇この年、山中笑が江戸記念博覧会編 「江戸記念博覧会案内」に「八代将軍吉宗公鷹野ノ足袋及草履  各一足」の出品されたことが記録される。 pid/916882  閲覧可能
1916 5 66 1月、山中共古が「浮世絵 (8) 浮世絵社」に「ばくとしたこと」を発表する。  pid/1499139
2月、山中共古が「浮世絵 (9) 浮世絵社」に「浮世繪の名稱」を発表する。  pid/1499140
  また、同号に小島烏水が「廣重晩年の狂歌繪本(上) 」を発表する。
3月、山中共古が「浮世絵 (10) 浮世絵社」に「深大寺に於ける河鍋曉齋の畫」を発表する。  pid/1499141
  また、同号に小島烏水が「廣重晩年の狂歌繪本(下) 」を発表する。

11月、山中共古が「風俗 1(3) 風俗社」に「菊合の記事を讀みて」を発表する。  pid/1492483
1917 6 67 2月、塚本靖 ; 山中笑 ; た、い、が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 7(6)(209) 日本考古学会」に「彙報 考古學會一月例會記事」を寄せる  pid/3548224
  また、同号に富岡謙藏が「論説 漢代より六朝に至る年號銘ある古鏡に就いて―(第二囘)」、梅原末治が「雜纂 再び河内打上石寶殿に就て」を発表する。
    
彙報 天壽曼陀羅の破片發見 / 奈良電話
6月、三宅米吉 ; 高橋健自 ; 山中笑 ; 關保之助 が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 7(10)(213) 日本考古学会」に「彙報 考古學會第二十二囘總會記事」を寄せる。  pid/3548228
    
彙報 河内の古墳發掘 / 大阪毎日新聞 ; 網引     插繪 上總木更津稻荷塚發掘琺瑯花鳥文丸玉(口繪)
8月、山中笑が「古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 7(12)(215) 日本考古学会」に「論説 日本に於ける古錢研究の沿革」を発表する。  pid/3548230
10月、山中共古が「錦絵 (7) 綜芸書院」に「浮世繪に就て」を発表する。 pid/2787421
    
十返舎一九忌法要   廣重の音樂/野口米次郎 歌麿の建碑追善  吉澤の常設陳列室
10月、高橋健自 ; 山中笑 ; 津田敬武が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 8(2)(217) 日本考古学会」に「彙報 考古學會九月例會記事 」を寄せる。  pid/3548232
  また、同号に山中共古が「雜纂 傘地藏」を発表する。
  また、同号に梅原末治が「論説 塚原の群集墳と福井の海北塚―(攝津古墳墓續編一) 」を発表する。
   
彙報 怡土城址現地講演會 / 柴田(常恵?)  彙報 陵墓の御治定   插繪 傘地藏の不捧
12月、東京帝国大学編 「日本石器時代人民遺物発見地名表 増訂第4版」を刊行する。pid/936125 閲覧可能 「第四版ノ増訂ニ就テ」/柴田常恵  「石器時代総論要領」/坪井正五郎
No 遺物発見地 (甲斐国 四〇箇所) 遺物の内容 発見者名  記録 「甲斐の落葉(二)」より
1 東山梨郡勝沼町 土器・石斧 人類學會 勝沼村の裏にも土器石器を出すところあり。
2 東山梨郡等々力村 石斧 山中笑
3 東山梨郡日下部村〇八日市場 石鏃・土器・打石斧・磨石斧
石棒
人類學會
山中笑
東山梨郡の日下部村字八日市場の桑畑には、縄紋土器、石斧類多くあり、石鏃を得ざりしが納岩村の人にて、川より拾ひたりとて、黒曜石の石鎌を持ち居たれば出るどと覺ゆ。
4 東山梨郡日下部村〇地蔵原 土偶 柴田常恵
5 東山梨郡平等村 石鏃・石斧 土屋□助
6 東山梨郡岩手村〇大久保 石器 人類學教室
7 東山梨郡神金村〇一ノ瀬馬、場澤 石鏃 村高幹博
8 東山梨郡岡部村 石鏃・石斧 土屋慶助
9 東山梨郡三富村〇川浦 土器 山中笑 川浦へ入る道に、縄紋土器の断面屑顯はれ居るを發見せり、石器類は見出されず。
10 東山梨郡三富村〇諏訪、川浦温泉道 土器・石斧・ 山中笑
11 東山梨郡松里村 土器 山中笑
12 東山梨郡加納岩村〇石森 石鏃 山中笑
13 東山梨郡諏訪村〇成澤 土器・打石斧 人類學會
14 東山梨郡七里村〇上於曽、菅田天神社内 人面附土器把手 野中完一
15 西山梨郡・千塚村・千塚〇金塚 石斧・石鏃屑 人類學會
16 西山梨郡大宮村〇湯村・地蔵尊ノ裏山 石鏃屑 山中笑
17 西山梨郡里垣村、酒折神社境内 石鏃屑 山中笑
18 西山梨郡甲運村 土器 人類學會
19 東八代郡豊富村〇木原 石棒 人類學教室
20 東八代郡豊富村〇大鳥居、山宮附近 石棒 野中完一
21 東八代郡竹野原村・大野寺 石鏃 山中笑 同郡大野寺村にも石鏃を出す地ありと。
22 東八代郡御代咲村〇鹽田 石鏃屑・土器 人類學會
23 東八代郡英村 土器 人類學會
24 西八代郡大塚村〇大塚 土器・石斧・石匙・凹石
石棒・有孔石器
人類學會
野中完一
25 中巨摩郡平林村 石棒 古谷清
26 中巨摩郡野牛村〇赤山、御勅使川添ノ山 土器・石屑 山中笑 中巨摩の野牛島村字赤山といふは、御勅使川に添ひたる山なり、此地に星のくそ及び赤色土器の破片あり。
27 北巨摩郡小笠原村〇厚芝 土器・石器 山中笑
28 北巨摩郡小笠原村・三ノ蔵 石鏃屑・土器・石斧・ 人類學會
29 北巨摩郡上手村〇上手 土器・石器・凹石 山中笑 北巨摩郡上手村三の倉村、大草村、山高大櫻の邊等より土器、石器種々發見したり、
30 北巨摩郡若神子村・若神子 ・石斧・ 山中笑
31 北巨摩郡穂坂村、小學校敷地 人面附土器把手 柴田常恵
32 北巨摩郡津金村 石鏃屑 山中笑 又星のくそといふもの、石鏃の欠と製造の時の破片などの出る地は厚見村、津金村等ありと聞く。
33 北巨摩郡熱見村 石鏃屑 山中笑
34 北巨摩郡日野春村〇日野原 土器・石鏃・石斧 山中笑
35 北巨摩郡小淵澤村〇小淵澤 土器・石鏃・石錐・石斧・石棒 吉田文俊
36 北巨摩郡菅原村〇臺ヶ原 石斧 山中笑
37 北巨摩郡大草村、秋山氏宅地附近 土器・石器 山中笑 北巨摩郡上手村三の倉村、大草村、山高大櫻の邊等より土器、石器種々發見したり、
38 北巨摩郡山高 土器・石器 山中笑
39 南都留郡西桂村〇下暮地 打石斧 山中笑 南都留郡の谷村つゞき、桂村内字下暮(しもぐれ)地の山畑にて、十數年前に素焼の、土管様のもの(壼なり)の内に、星のくそにて詰めたる石劒ありしとの傳説あり、此地は昔漆長者の屋敷跡とて、大つぼ數個掘出したるとありと、此村の人の話にきけり。
40 北都留郡冨澤村〇鳥澤驛ノ入口 土器 林若吉
  注 遺物発見地欄の赤字については出典を未確認 調査要 20202・4・17 保坂
○縄紋土器の出所  上図と照合できなかった遺物の出土地(再確認要)
東八代郡御代咲村三枝芳太郎氏裏地に、縄絞土器、石斧、石鏃を出す地あり。
西八代郡大塚村の山上に縄紋土器、天狗の飯がひ、石斧を出す所あり、これは土屋彦六氏の登見されしなり。
○木の葉底土器 石和の南方田の邊にて、木の葉底の土器を得しものあり。
北都留の山野原地方に、縄紋土器及び石器を出す地あり。
石和宿より御坂道六町程入ると、一里塚の跡より土器出ると聞く。
1918 7 68 2月、喜田貞吉 ; 沼田ョ輔 ; 山中笑 ; 勇が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 8(6)(221) 日本考古学会」に「彙報 考古學會一月例會記事 」を発表する。pid/3548236
  また、同号に住田正一が「雜録 武藏府中古瓦考」を発表する。
4月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 8(8)(223) 日本考古学会」に「論説 馬に關する貨幣に就いて」を発表する。  pid/3548238
5月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 8(9)(224) 日本考古学会 」に「彙報 東京の烏八臼」を発表する。pid/3548239
  また、同号に富岡謙藏が「論説 九州北部に於ける銅劍銅鉾及び彌生式土器と伴出する古鏡の年代に就いて」を発表する。
7月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 8(11)(226) 日本考古学会」に「彙報 烏八臼の諸説を聞て」を発表する。 pid/3548241
8月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 8(12)(227) 日本考古学会」に「雜録 烏八臼諸説の追加」を発表する。  pid/3548242
  また、同号に大西源一が「論説 日本産水銀(特に伊勢水銀)の史的研究―(三)」を発表する。
  また、同号に「插繪 甲斐國東八代郡K駒村大字上K駒發掘の石器時代土偶(口繪コロタイプ版)」が掲載される。
12月、原田淑人 ; 山中笑 ; 喜田貞吉 ; 沼田ョ輔が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 9(4)(231) 日本考古学会」に「彙報 考古學會例會記事」を寄せる。  pid/3548246
12月、山中共古が「武蔵野 1(3) 武蔵野文化協会」に「平林寺の鐘」を発表する。 pid/7932431
   また、同号に春山才次郎が「高坂村の古跡と轉住民に就て」を発表する。
1919 8 69 1月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 9(5)(232) 日本考古学会」に「論説 六地藏の板碑」を発表する。
 また、同号に南方熊楠が「彙報 烏帽子の名稱に就て」を発表する。また、同号に「彙報 對馬國新發見の銅鉾」もあり。pid/3548247
2月、山中笑・關保之助・高・勇が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 9(6)(233) 日本考古学会」に「考古學會例會記事」を寄せる。また、同号に「彙報 富岡謙藏氏の訃」ある。  pid/3548248
3月、山中笑が「武蔵野 2(1) 武蔵野文化協会」に「武蔵野の板碑に就て」を発表する。
  また、同号に大野雲外が「武蔵に於ける先住民の遺したる土偶」を発表する。 pid/7932432
4月
、現青山学院の図書室に勤務する。
4月12日、山中共古編(自筆・和綴本) 「吾恋和歌集」を刊行する。
4月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 9(8)(235) 日本考古学会」に「論説 武藏國の鐘」を発表する。 
  また、同号に柴田
(常恵)が「彙報 肥後玉名郡井手の石人/插繪 肥後玉名郡井手の石人(口繪、コロタイプ版)」を発表する。 pid/3548250 (常恵)か? 確認要 2020・3・31 保坂
7月、山中笑が「武蔵野 2(2) 武蔵野文化協会」に「府の江戸と町の江戸・山の手の童謠
」を発表する。
  また、同号に三好學が「江戸時代の櫻」、田村剛が「江戸の庭園」を発表する。 pid/7932433
11月、K川眞道 ; 沼田ョ輔 ; 山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 10(3)(242) 日本考古学会」に「彙報 考古學會十月例會」を寄せる。  pid/3548257
  また、同号に梅原末治が「論説 所謂王〔ボウ・モウ〕鏡に就いての疑問」を発表する。
12月、山中笑が「武蔵野 2(3) 武蔵野文化協会」に「板橋附近農家の副産物と酉の市」を発表する。 pid/7932434
1920 9 70 1月、 山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 10(5)(244) 日本考古学会」に「論説 釘ぬきに就てK川・沼田兩君にヘを乞ふ」を発表する。   pid/3548259
3月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 10(7)(246) 日本考古学会」に「雜纂 武藏國分尼寺址といふ地」を発表する。 pid/3548261
  また、同号に中山平次カが「論説 海獸葡萄鏡の發達に就て」を発表する。
4月、K川貞道 ; 山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 10(8)(247) 日本考古学会」に「彙報 考古學會例會記事」を寄せる。 pid/3548262
  また、同号に南方熊楠が「論説 釘ぬきに就て」を発表する。 
新刊紹介 古境の研究/後藤
4月、山中共古が「集古 庚申(2)(127) 集古会」に「歌謠松盡考」を発表する。 pid/1890702
6月、山中共古が「集古 庚申(3)(128) 集古会」に「歌謠松盡考(完)」を発表する。 pid/1890703
  また、同号に大西源一が「伊勢の御田祭」を発表する。
7月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 10(11)(250) 日本考古学会 」に「雜録 淺草公園六地藏石燈籠」を発表する。  pid/3548265
  また、同号に大山柏が「雜録 尾張國呼續村山崎の貝塚に就て」を発表する。
8月、山中共古が「集古 庚申(4) 集古会」に「松盡し踊の考」を発表する。  pid/1890704
8月、山中笑が「武蔵野 3(2) 武蔵野文化協会」に「淺草公園の石燈籠形六地藏」を発表する。 
  また、同号に田村剛が「滅されたる江戸の名園」を発表する。 pid/7932436

9月、山中共古が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 11(1)(252) 日本考古学会」に「插繪 山中共古翁拓本臨模の鎌」を発表する。  pid/3548267
1921 10 71 3月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 11(7)(258) 日本考古学会」に「彙報 雜報 五鈴鏡 ・插繪 五鈴鏡 」を発表する。 pid/3548273
4月、山中笑が「武蔵野 4(1) 武蔵野文化協会」に「石〔神〕井村月待の古碑に就て」を発表する。 pid/7932438
  また、同号に鳥居龍藏が「武藏野及び其附近の有史以前人骨に就て」を発表する。
4月、山中共古が「集古 辛酉(3) 集古会 」に「花押のつきたる鐘銘」を発表する。  pid/1890709
  また、同号に/南方熊楠が「なぞ[ナゾ] 」を発表する。
6月、 入田整三 ; 津田敬武 ; 山中笑 ; 後藤守一 ; 櫻井秀 が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 11(10)(261) 日本考古学会」に「彙報 學會 本會二十六囘總會記事」を寄せる。 pid/3548276
  また、同号に阿部正巳が「雜録 再び八幡森の發掘品に就きて」を発表する。
11月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 12(3)(266) 日本考古学会」に「雜録 牛臥山の經塚」を発表する。  pid/3548281
12月、山中笑が「武蔵野 4(4) 武蔵野文化協会」に「お月様の童謠」を発表する。 pid/7932440
  また、同号に關口小助 が「武藏野の逃水」、村高擔風が「武藏野の旅--國分寺から府中、百草 吉見から松山、高坂」を発表する。
12月、山中共古が「集古 壬戌(1)(134) 集古会」に「小唄に現はれたる迷信」を発表する。  pid/1890712
  また、同号に南方熊楠が「なぞ[ナゾ]」を発表する。
〇この年、和装本「納札史 フレデリック・スタール 著,藤里好古 訳 」が刊行され山中共古所藏の納札三品が掲載される。 pid/1240271
標題/目次/諸論
納札發達の過程
納札者の現況
納札史之原史時代
納札材料の變化
題名の功徳
納札史之中古時代
天愚孔平傳
天愚孔平以前の納札
てんこうが事
麹五吉が事
會合の變遷
大間冨が事
田てうが事
納札史の近代
明治初年の納札者又會合の變遷
大正初年の大會
會合の種々
會費の今昔
納札の種類
題名札/遠乗札/川流札/額面札
同朋札/千社札/府内遍路札
冨士講札/簪子札/菩提札/御礼札
連札
色刷に就て
連札構圖
連札構圖の意匠に就て

納札の方法/納札の文字
外國文字の札
阿蘭陀文字の札/羅馬字札
外國人の納札者
納札者の職業
納札者の術語
納札に對する迫害
納札と美術の関係
納札繪師/彫師/摺師
納札塚/所在地名表
納札に関する書籍
雜誌に出たる納札に関する記事
結論/跋文


第一圖 古銅製礼(天文十五年在銘 石山寺藏)
第二圖 阿蘭陀文字札ノ一(山中共古氏藏)
第三圖 阿蘭陀文字札ノ二「梅忠拜」(山中共古氏藏)
第四圖 阿蘭陀文字札ノ三「亜細亜人」(山中共古氏藏)
1922 11 72 9月、山中笑が「武蔵野 5(2) 武蔵野文化協会」に「隅田堤の七福神」を発表する。 pid/7932442
  また、同号に田村剛が「公園系統と向島」を発表する。

12月、山中笑が「武蔵野 5(3) 武蔵野文化協会」に「四谷伊賀町と天王神社」を発表する。  pid/7932443
  また、同号に鳥居龍藏が「武藏野の人々より見たる富士と筑波」を発表する。 
1923 12 73 5月、山中笑が「七星1巻3号」に「〇内容不明」を発表する。 参考 島田筑波所収 6300円
  また、同号に淡島寒月が「梵雲庵漫録」を発表する。

〇この年から、昭和3年にかけて山中笑が和装本「續共古日録[1〜14]」を著す。閲覧可能
續共古日録 [1]
續共古日録 [2]
續共古日録 [3]
續共古日録 [4]
續共古日録 [5]
續共古日録 [6]
續共古日録 [7]
pid/2568065
pid/2568066
pid/2568067
pid/2568068
pid/2568069
pid/2568070
pid/2568071
續共古日録 [8]
續共古日録 [9]
續共古日録 [10]
續共古日録 [11]
續共古日録 [12]
續共古日録 [13]
續共古日録 [14]
pid/2568072
pid/2568073
pid/2568074
pid/2568075
pid/2568076
pid/2568077
pid/2568078
                續共古日録 [9] 誉田八幡宮 朝顔にうすきゆかりの木槿かな 蕪村  加世田児踊歌等を所収
1924 13 74 2月、山中共古が「集古 甲子(1)(145) 集古会」に「當磐津巽八景略解」を発表する。  pid/1890721
3月、
鳥居龍藏が「人類學會雜誌  39 巻 3 号 p. 113-121」に「人類學、考古學より見たる武藏國立石村第一篇立石村の立石に就て」を発表する。
(四)山中笑 氏 より借用 しまし た古 松軒 著『葛 西郡筆 記』によると立石に就て、左の如 く 圖記して居ります。 此の書は『四神地名録」ご題せしものと同 一で、著者が徳川家齊公の属を受げ 、郡部を巡 親せし時の筆記です、(山中氏に據る )。即ち
立石村  此村に立石と稱せる奇石あり、是によつてむかし近郷四五村の村名とし立石村といひしよし。分郷となりし今は此村のみを立石村と稱せるなり。名主の云。此石ば寒氣にいたむ石にて、寒中には此處かしこ欠損し春へこし暖氣をもやうす頃よりそろ〔く〕と欠し所 ふく れて元 の形となるよし。
7月、山中笑が「武蔵野 7(1) 武蔵野文化協会」に「江戸の名物とされし野菜類 」を発表する。 pid/7932445
  また、同号にK板勝美が「帝都復興と史蹟の保存」、井下Cが「史蹟保存と公園計畫」を発表する。
  また、同号に「帝都復興に際し史蹟名勝天然紀念物保存に關する建議書 」も掲載される。
8月、山中笑が「武蔵野 7(2) 武蔵野文化協会」に「千田庄兵衛の石像と女夫石」を発表する。 pid/7932446
  また、同号に稻村坦元が「武藏武士の文學と三田氏・府下に於ける假指定天然紀念物・目Kより調布へ…研究旅行記 」を発表する。

8月、山中共古が「集古 甲子(4)(147) 集古会」に「洒落本を通して見たる深川」を発表する。 pid/1890724
9月、山中笑が「武蔵野 7(3) 武蔵野文化協会,武蔵野会」に「思出多き蒲櫻の[板〕碑」を発表する。  pid/7932447
  また、同号に三好學が「石[戸]蒲櫻」を発表する。
〇この年、 山中笑が芳賀矢一 編 「日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇 文教書院」に「六 古錢の話」を発表する。pid/1016927
1925 14 75 4月、山中笑が「集古 乙丑(3)(151)/集古会」に「六津繪節通解」を発表する。 pid/1890729
  また、同号に南方熊楠が「朝鮮の公孫樹」を発表する。
6月、山中笑が「考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 15(6)(308) 日本考古学会 」に「記念論文 畫錢考」を発表する。 pid/3548323
6月、東京市役所ヨリ史蹟名勝天然記念物調査ヲ嘱託サレル。
10月、山中共古が「集古 乙丑(5)(153) 集古会」に「數へ唄解義 」を発表する。  pid/1890731
   また、同号に南方熊楠が「裝飾として持つ杖」を発表する。
〇この年、山中笑が柳田国男著「郷土会記録  大岡山書店」に「四谷舊事談」を発表する。 pid/983172
標題 /目次 序 / 郷土會第十四囘記事 /同 第十五囘記事 /同 旅行記事 /同 第十七囘記事 /
伊豆の白濱と丹波の雲原(二宮徳君) /郷土會第十八囘記事 /三本木村興立の話(新渡戸博士)郷土會第十九囘記事 豐後の由布村(石黒忠篤君)湯坪村と火燒輪知(同上) /郷土會第二十囘記事 / 大山及び三峰の村組織(小田内通敏君) / 郷土會旅行記事 同 例會記事 /信州延徳沖水災の話(小田島省三君) / 郷土會例會記事 鹿島の崎の新田(石黒忠篤君) /鹿島の崎(田中楳吉君) / 小笠原島の話(中村留ニ君) / 郷土會第二十七囘記事 黒川能の話(横井春野君) /屋久島と中硫黄島(草野 士) 郷土會第二十九囘記事 /代々木村の今昔(那須皓君) / 那須博士追記 /郷土會第三十一囘記事 /同 第三十四囘記事 /汐入村の變遷(有馬頼寧君) /最近の汐入部落 /郷土會第三十五囘記事 / 櫻島罹災民の新部落(新渡戸博士) / 郷土會第三十七囘記事 /刀鍛冶の話(小此木忠七郎君) /郷土會第三十九囘記事 /伊豆新島の話(尾佐竹猛君) /三宅島の話(辻村太郎君) /富士講の話(中山太郎君)隅田川の船(有馬頼寧君) 四谷舊事談(山中笑翁)
1926 昭和元年 76 6月、山中笑が「武蔵野 8(1) 武蔵野文化協会」に「江戸に於ける石棒」を発表する。 pid/7932450
7月、林若樹 ; K木勘藏 ; 山崎樂堂 ; 山中共古 ; 三田村鳶魚 ; 木村仙秀 ; 鶴岡春盞樓 ; 池田孝次カが「彗星 : 江戸生活研究 第1年(5) 朝日書房,春陽堂」に「金々先生 榮華夢―黄表紙 輪講 p1〜11」を発表する。 pid/1481003
11月、山中共古が「彗星 : 江戸生活研究 第1年(9) 朝日書房,春陽堂」に「鮫ケ橋の今昔」を発表する。  pid/1481007
  また、同号に南方熊楠が「蚊帳の雁金」を発表する。

11月、山中共古が「炉辺叢書 33 甲斐の落葉  郷土研究社」を刊行する。   pid/1904778
12月、山中共古が「武蔵野 8(7) 武蔵野文化協会」に「吉利支丹屋敷に於る二美談」を発表する。 pid/7932456
  また、同号に山笑生が「江戸人の隱語」を発表する。
1927 2 77 3月、山中共古が「江戸時代文化 1(2) 江戸時代文化研究会」に「忘れ殘り」を発表する。 pid/1499638
  また、同号に鶴岡春盞樓が「江戸の稻荷」を発表する。

3月、山中共古が「彗星 : 江戸生活研究 第2年(3) 朝日書房,春陽堂」に「四谷の杉大門」を発表する。 pid/1481011
3月、山中共古が「武蔵野 9(3)/[(4)] 武蔵野文化協会」に「狹間の地下壙を見て思ひ出る」を発表する。pid/7932459
歴史上より見たる高尾山 / 稻村坦元 /
高尾山鎭守飯綱權現に就て / 矢吹葉人
山村發見の土偶土盤 / 榊原幸雄

7月、山中共古が「江戸時代文化 1(6) 江戸時代文化研究会」に「忘れ殘り」を発表する。 pid/1499642
10月、山中笑が「 武蔵野 10(3) 武蔵野文化協会,武蔵野会」に「向島観月の記 」を発表する。 pid/7932463
根岸肥前守のこと / 森銑三
金澤山稱名寺と金澤文庫との關係に就て / 小林憲住
多摩の野に就て / 石井正義

〇この年、山中共古が「砂払 春陽堂」を刊行する。  pid/1189073
標題 /目次 /砂拂録(大正二年夏編) / 續砂拂(大正三年春編) / 權蒟蒻 左右(大正五年春編) / 殘蒟蒻(大正十年八月編) / 俚謠解 (大正十年七月著)/ 尻取文句考(大正十二年十月著) /
                「砂払」の初版は1926年12月か、内容未確認
1928 3 78 3月、山中共古が「江戸時代文化 2(3) 江戸時代文化研究会」に「忘れ殘り(三)」を発表する。  pid/1499648
4月、山中共古が「武蔵野 11(4) 武蔵野文化協会」に「常盤津巽八景略解 」を発表する。 pid/7932469
板碑の原始形に就て / 三輪善之助
國學院大學附近の一住居跡について / 樋口C之
八王子附近の板碑(二) / 逸見敏刀
普濟寺ご狹山の池 / 力幸太郎
6月9日、山中共古が「共古随筆」出版記念祝賀会に出席する。
6月、山中笑が「武蔵野 11(6) 武蔵野文化協会」に「共古齋漫筆」を発表する。 pid/7932471
  また、同号に/逸見敏刀が「コ本上人」を発表する。
一 江戸の童歌の言葉、  二、坂の名前   三、江戸市内の擬寶珠銘
7月25日、山中笑がシベリア・満蒙旅行より帰国した鳥居龍蔵夫妻の歓迎会にて挨拶を述べる。

 鳥居博士歓迎会 (赤坂三会堂於東洋軒) 
↑鳥居博士 ↑山中笑 
8月、山中共古が「武蔵野 12(2) 武蔵野文化協会」に「涼蔭漫談」を発表する。 pid/7932473
9月、山中共古が「彗星 : 江戸生活研究 第3年(9) 朝日書房」に「コ川の大奧―(山中共古翁講演) 」を発表する。 pid/1481029
9月、山中共古が「武蔵野 12(3) 武蔵野文化協会」に「石神の話」を発表する。 pid/7932474
編輯たより/〇 山中共古翁の「石棒談」は三輪氏の筆記に係り、翁の校閲を経たものである。謹んで氏の勞を謝し、、この際改めて翁の健康を祈る。
〇 『趣味の蜘蛛譚』を寄せられた、鈴木重光氏は爐邊そう書の「相模内郷村話」の著者であり、氏の如何に趣味豊富な人であるかの一面が□はれる。尚ほこの鈴木氏が前に發表した「蟹に關する土俗譚」に對して、共古翁の親切な投稿をいたゞいてゐるが、誌面の關係上次號に譲ることにした。(略)
10月、山中笑が「武蔵野 12(4) 武蔵野文化協会」に「蟹に關する土俗談に就て」を発表する。 pid/7932475
  また、同号に石野瑛が「猿が又あたり」を発表する。 
10月、山中共古が「民俗芸術 1(10) 民俗芸術の会」に「四谷の祭り」を発表する。 pid/1524776
村々の祭り/折口信夫
南津輕のオシラ神/中道等
現存せる諸方の田樂に就いて/岩橋小彌太
王子神社の祭禮と田樂/九重左近
惡口祭 中山太カ
神樂組から田樂花祭へ/早川孝太カ
秋祭と獅子
民謠樂譜―(宮崎神宮神輿渡御行列の唄・廣島祭囃子)/藤井C水
K平三番叟/中川公
諸國祭祀歴
12月10日、山中笑なくなる。79歳
〇この年、山中共古が「芋蔓草紙 第4編 共古随筆  温故書屋」を刊行する。  pid/1187261
標題 / 目次 / 土俗談語 /神社に就て / 三猿塔 / 影守雜記 卷之一 / 影守雜記 卷之二 / 影守雜記 卷之三 /
1929 4 1月、 考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 19(1)(350) 日本考古学会」に「彙報 考古學會評議員山中笑君の訃報」が掲載される。  pid/3548366
  また、同号に石田茂作が「論説 正倉院御物年表と其の解説」を発表する。 
1月、「旅と伝説 第2年(1) 三元社」に山中共古著「西浦田樂 一、牛天神の牛石  二、高力の松(傳説寫眞)」が掲載される。pid/1483480
  また、同号に早川孝太カが「西浦田樂に於ける翁詞章」を寄せる。
1月、 「武蔵野 13(1) 武蔵野文化協会」に「相談役山中笑氏の訃」が掲載される。 pid/7932476
史考古學上より見たる横濱 / 鳥居龍藏
品川の海藻 / 岡村金太郎
2月、鈴木三重吉編「赤い鳥 22巻2号」が刊行され、北原白秋、山田耕作、鈴木三重吉、山中笑、水木京太、下村千秋、大木篤夫他が作品を寄せる。 内容未確認 調査要 2010・4・5 保坂 赤い鳥社、B5版78頁
2月、「武蔵野 13(2) 武蔵野文化協会,武蔵野会」に 山中笑著「神使考」が掲載される。 pid/7932477
秩父浦山の土俗其他 / 鳥居龍藏
秩父の一品名物 / 稻村坦元
平賀源内と秩父 / 金澤文麿
 
4月、「江戸文化 3(4) 江戸時代文化研究会」が中笑の追悼号を刊行される。pid/1468480
山中共古翁を悼む/山下重民
履歴書/山中笑
御廣敷勤―(遺稿)/山中笑
自然笑話―(遣稿)/山中笑
山中先生の著述并編纂未刊本の略解説/山田一
山中先生の話/三村C三カ  
山中先生の考古學と信仰/原胤昭
山中先生の學問/折口信夫
故山中共古翁/廣田星橋
御殿女中研究の指導/三田村鳶魚
山中翁の藏書印 /鈴鹿二十一生
山中先生のことども/高木好次
猿若町/大槻正二
江戸に二つ無い物追加/伊川梅枝
金々先生榮花夢に暗示を與へた作品/高木好次
山中笑先生小照
山中笑先生筆蹟と雅友帖表紙
山中翁の藏書印影―(一)
山中翁の藏書印影―(二)
 
5月、「集古 己巳(3)(170) 集古会」に山中共古翁著かつほ賣り」が掲載される。  pid/1890750
共古先生略年譜/三村C三カ   三峯神社と和同開珍/淺田澱橋
9月、武蔵野 14(2/3) 武蔵野文化協会」が山中笑の追悼号を刊行される。 pid/7932482
口繪 山中共古翁の肖像 / 巻頭の辭 / 中島利一郎
武藏野の鐘物語 / 山中笑
古銭商に就て / 山中笑
維新當時の江戸 / 山中笑
共古齋漫談 / 山中笑/
私の見た山中先生 / 鳥居龍藏
山中先生著述編纂本井雑誌所載文目録/山田一  
思ひの外/三田村鳶魚 
山中先生の一句/三村清三郎
狂歌日記より / 春野山兵衛

懐しき山中先生 / 川島つゆ
山中共古先生 / 三輪善之助
共古翁に關する拙詩 / 淺田澱橋
共古先生の墓 / 小陽生
山中先生について / 服部清五郎
共古先生を憶ふ / 天野佐一郎
山中笑翁を忍びて / 島村龍造
山中笑翁の思ひ出 / 村高擔風
故山中共古翁記念號に就て / 大野雲外
山中共古翁と私 / 逸見敏力
編輯たより

10月、三輪善之助が「武蔵野 14(4) 武蔵野文化協会」に「上野と不忍池展覧会を見る」を寄せる。

    
同号の口絵 芝離宮恩賜公園に於ける本会観月会
〇この年、河野桐谷編 「江戸は過ぎる 万里閣書房 」が刊行され「 幕末の大奧(山中笑氏) /伊賀衆の話(山中笑氏) 」が掲載される。 pid/1170660
〇この年、東京市立日比谷図書館編「江戸城物がたり」が刊行され、昭和3年8月1日、三越ホールで行われた「江戸城に関する講演会での講演記録「江戸城の大奧・山中笑」を所収する。 pid/1187077
◇ 山中笑氏を悼む/「江戸城の大奥」を講演せられた山中笑氏は過ぐる昭和三年十二月十日、自宅に於て俄に長逝せられました。この御講演が最後のものにならうとは、思ひだにせなかったことでした。哀悼に堪へず。     御本の末尾に記されてありました。 2020・4・1 保坂
〇この年、考古学会編「考古学論文集  考古学会」が刊行され、「晝錢考 故山中笑」が掲載される。 pid/1189455
三國時代朝鮮に於ける唯一の金銅佛 文學博士 K板勝美 
南洋蠻族間に見らるゝ一種の龍文樣に就て 移川子之藏
方格規矩四神鏡に就いて 梅原末治

〇この年、彗星編輯部編「江戸生活研究 第貳輯  春陽堂が刊行される。  pid/1750026
江戸生活研究 彗星 三月號/輪講 東海道名所記 林若樹 笹川臨風 山中共古 三村竹C 三田村鳶魚 河竹繁俊 池田孝次カ 鶴岡春盞樓 松本龜松
江戸生活研究 彗星 四月號/一抱輪講 屠龍之技 林若樹 山中共古 木村仙秀 三田村鳶魚 鶴岡春盞樓 勝峰晉風 松本龜松 柴田宵曲
江戸生活研究 彗星 五月號/抱一輪講 屠龍之技(續) 林若樹 山中共古 木村仙秀 三田村鳶魚 鶴岡春盞樓 勝峰晉風 松本龜松 柴田宵曲
江戸生活研究 彗星 六月號/三馬輪講 浮世風呂 林若樹 笹川臨風 山中共古 三田村鳶魚 木村仙秀 鶴岡春盞樓 松本龜松

江戸生活研究 彗星 九月號/輪講 鹿の卷筆 林若樹 水谷不倒 山中共古 三田村鳶魚 河竹繁俊 木村仙秀 鶴岡春盞樓
                                       合本か内容未確認 2010・4・1 保坂
〇この年、彗星編輯部編「江戸生活研究 第壹輯  春陽堂」が刊行される。  pid/1749512
江戸生活研究 彗星 七月號 /黄表紙輪講 金々先生榮華夢 林若樹 K木勘藏 山崎樂堂 山中共古 三田村鳶魚 木村仙秀 鶴岡春盞樓 池田孝次カ
江戸生活研究 彗星 八月號/黄表紙輪講 金々先生榮華夢(續) 林若樹 K木勘藏 山崎樂堂 山中共古 三田村鳶魚 木村仙秀 鶴岡春盞樓 池田孝次カ
江戸生活研究 彗星 十二月號/俳文輪講 旅の賦 林若樹 野々村蘆舟 山中共古 寒川鼠骨 三田村鳶魚 吉田里子 勝峰晉風 木村仙秀 松本龜松 池田孝次カ 鶴岡春盞樓

                                       合本か内容未確認 2010・4・1 保坂
〇この年、山中塩編「趣味と嗜好 : 共古翁記念文集, 岡書院」が刊行される。  pid/1223667
 
「武蔵野」S4・10月号より
標題 /目次
序に代へて 山中鹽 卷頭
紋章雜爼 沼田ョ輔
チギリコッコ考 柳田國男
愛泉雜感 貫井銀太カ
伊勢比事記餘録  三村C三カ
簓村訪問 三田村鳶魚
蕎麥の昔話 淺田澱橋
信州川路村訪問―七世團十カの遺墨 河竹繁俊

善光寺に就て 三輪善之助
鷽の研究 尾佐竹猛
手澤本に就て コ富猪一カ
「おあし」の東洋言語學的考察 中島利一カ
私の幼時と當時の其世相 鳥居龍藏
我が山中先生 結城禮一カ
ヘを受けた山中先生 荻原又仙子




1930 5 2月、三村C三カが「集古 庚午(2)(174) 集古会」に「共古日録の中より」を発表する。 pid/1890754
1931 6 11月、「民俗学 3(11) 民俗学会」が刊行され白根喜四カが「山中共古先生」を寄稿する。  pid/1583623
ぬくめ鳥/南方熊楠
額より妙相を現ぜし事/南方熊楠
足を薪とした怪婆/南方熊楠
源爲朝一箭で船を射沈めた事/南方熊楠
七夕祭の起源的諸相と展開のあと(二)/栗田峻
熊のあたま/金田一京助
正誤及び〔カマキリ〕に就て/南方熊楠
夜ばいの話/矢頭和一
山中共古先生/白根喜四カ
紙上問/中平ス磨 ; 南方熊楠 ; 藪重孝
1932 7
1933 8
1934 9
1935 10
1936 11 3月、「集古 丙子(2) 集古会 」に山中共古翁 ; 三村C三カ の「江戸の地名に關する洒落言葉」が掲載される。 pid/1890784
〇この年、竹内尉著「撫石庵随筆  象文閣」が刊行され「山中共古著「砂拂」」が所収される。  pid/1222688
1937 12 〇この年、倉長巍編「加奈陀メソヂスト日本伝道概史  加奈陀合同教会宣教師会」が刊行される。 pid/1109306 閲覧可能  山中笑の静岡、山梨での状況が多数記述されている。
1938 13
1939 14 〇この年、日本メソヂスト下谷教会六十年史編纂委員会編「日本メソヂスト下谷教会六拾年史」が刊行される。   pid/1116110  閲覧可能
四章 發展期 第三第牧師浅川廣湖 第四代牧師 山中笑 が分担執筆
七章 整備期 第八代牧師山中笑   第九代牧師飯沼権一 が分担執筆
     
1940 15 6月、加藤盛男が「書物展望 10(6)(108) 書物展望社」に「本欄 山中共古翁」を発表する。 pid/3555520
7月4日、中沢厚と馬渡静夫が「武田久吉博士 宅訪問の約束」についての「絵はがき(速達)」(五反田消印を投函する
御多用の中を わざ()/御通知いたゞきまして恐縮/致して居ります/お言葉に甘へて明五日夜 七時頃お伺ひいたします/三日夜 /中澤厚/馬渡静夫」 「横浜開港資料館 久吉(書簡)目録 1114」より
7月5日、中沢厚(1914−1982)が武田久吉博士邸の書斎で、初めて「甲斐の落葉」と云う本に出会う。
1941 16 〇この年、小山有言著「維新前後の静岡  安川書店」が刊行され「 クラークと勝安房  マクナルドと山中笑」等が掲載される。 pid/1042151
1942 17
1943 18
1944 19 7月、山中共古齋の名で「集古 昭和18年(4/5)(189) 集古会」に「古書談四則」が掲載される。  pid/1890821
  また、同号に貫井銀次カが「「集古」最終號貌に」を記す。
1945 20
1946 21
1947 22
1948 23 〇この年、斎藤昌三著「少雨荘交游録  梅田書房」に山中共古が掲載される。  pid/3454241
少雨荘交游録/目録 序
一 横濱時代/今井卯木 頑愚洞可山 小島烏水 山崎紫紅 曽我部一紅 安藤幻怪坊  鎭目桃泉 牛田〔ケイ〕村 長尾桃郎
二 駿河台時代/橋本春陵 秦テルオ 大信田落花 小倉清三郎  保篠龍緒 竹久夢二  中川紀元 河村目呂二  内田魯庵 淡島寒月 山中共古  石川耽竒樓 宮武外骨 澤田例外  スタール博士 平凡寺  出口米吉 湯浅竹山人 湯浅半月 香取緑波 岡本文彌  北野博美 秋田雨雀 富士崎放江 山田三子 大曲駒村 其の他
三 浪人時代/神代種亮 井上和雄 柳田泉  木村毅 花園歌子 吉野作造 尾佐竹猛 石井研堂 坪内逍遥  小杉放庵 濱本浩 谷崎潤一郎 P夜雨 斎藤茂吉 梅原北明 添田知道 辻潤  伊藤靜雨  其の他
四 書痴時代/徳富蘇峰 柳田國男  土岐善麿 新村出  石川三四郎  河井醉茗 横光利一 南方熊楠 宮川曼魚 西澤笛畝  市島春城  長谷川伸  平山芦江  永井荷風  木下杢太郎  北原白秋 西村貞 大谷句佛 飯塚友一郎  川島つゆ女 馬場孤蝶  森田草平 高橋邦太郎 冠松次郎  河竹繁俊  藤田嗣治  白柳秀湖  式場隆三郎  岡村梅〔□〕 道重信教  丹羽文雄 等々々
五 還暦時代 / 富田冬嶺 牧野英一 稲村垣元 筆谷等観 高木蒼梧
1949 24
1950 25
1951 26
1952 27
1953 28 1月14日、鳥居龍蔵が「考古学の回顧」を絶筆として東京でなくなる。(享年82歳)
〇この年、丸山季夫編「蔵書名印譜 第2輯  白雲洞」に中山共古の蔵書名印が紹介される。 pid/2935484
1954 29
1955 30
1956 31
1957 32
1958 33
1959 34
1960 35
1961 36 6月、「甲斐路 No1 山梨郷土研究会」が創刊され上野晴朗が「甲斐「おかぶと」考 (上)」を発表する。
9月、「甲斐路 No2 山梨郷土研究会」が創刊され上野晴朗が「甲斐「おかぶと」考 (下)」を発表する。
1962 37
1963 38
1964 39
1965 40
1966 41
1967 42
1968 43
1969 44
1970 45
1971 46 3月、新宿区立新宿図書館編「新宿区立図書館資料室紀要5」に「四谷南町界隈」のことが掲載され、山中笑のことが紹介される。
11月、馬場錬一が「武蔵野 50巻3・4号 「武蔵野」発刊50周年記念号」に「共古先生のこと」を発表する。
1972 47
1973 48 1月、上野晴朗が「やまなしの民俗 −祭りと芸能− 上巻」を「光風社書店」から刊行する。
〇この年、広瀬千香著「山中共古ノート 第1・2集 」が青燈社から刊行される。
1974 49 〇この年、中沢厚が「甲斐路 No.24 山梨郷土研究会」に「山中笑翁略伝」を発表する。
1975 50 9月、山中共古著「甲斐の落葉 有峰書店」が復刻される。 pid/9536728
   
 甲斐ノ落葉 巻ノ上  甲斐ノ落葉 巻ノ下 後文 坪井正五郎 柳田国男 
〇この年、広瀬千香著「山中共古ノート 第3集 」が青燈社から刊行される。
1976 51
1977 52
1978 53
1979 54
1980 55 7月、広瀬千香が名著出版編「歴史手帖 8(7)(81)」に「『共古日録』とのつきあひ」を発表する。 pid/2246741
  また、同号に郡家真一が「捕鯨と近世の社会組織」、上村久雄が「維新期のキリシタン弾圧と復活」を発表する。
1981 56 4月、広瀬千香編、山中共古著,が「本書誌学大系 ; 15 共古日録抄」が「青裳堂書店」から刊行される。
1982 57
1983 58 12月、服部 清道が「日本古書通信 48(12)(653) 日本古書通信社」に「山中共古翁と土俗学」を発表する。  pid/3362967
1984 59
1985 60
1986 61
1987 62 〇この年、志摩阿木夫が、青少年のための山梨県民会議編「郷土史にかがやく人々 集合編」に「山中笑(共古)」を発表する。
〇この年、山中共古著,中野三敏校訂「砂払 : 江戸小百科 上・下 岩波文庫」が刊行される。
1988 63
1989 64 5月、根岸茂夫が「武蔵野 67(1/2)(314/315) 武蔵野文化協会 特集 武蔵野ゆかりの人びと号 」に「武蔵野ゆかりの人びと 山中笑」を発表する。  pid/7932706
1990 平成2年
1991 3
1992 4
1993 5
1994 6
1995 7 9月、坪内祐三が「思想の科学 第8次 (32)(528)」に「「共古日録」と広瀬千香」を発表する。 pid/2315006
1996 8
1997 9
1998 10
1999 11
2000 12 2月、後藤総一郎監修、遠州常民文化談話会編、山中共古著「見付次第/共古日録抄」が パピルスから刊行される。
2001 13 〇この年、山口昌男が「内田魯庵山脈/<失われた日本人>発掘」を「晶文社」から刊行する。
目次/1 その始まり/失われた知の原郷を訪ねて  「杏の落ちる音」  女の肉の告白  江戸の残り香を嗅ぐ  岡田村雄への追悼
2 明治の逸人―西沢仙湖/滑稽雑誌『團團珍聞』  実業界を経て道楽生活  一人一品の会『仙湖随筆』  江戸前通人のデカダンス
3 野のアカデミー―集古会/逸民の気分  集古会の成り立ち  沿革史  江戸派と考古派  ヒエラルキーを脱け出る学問
4 和綴の雑誌―『集古』/集古会の人々  柳田国男と「集古」  博物館一つ分の出品  耽奇会―神話的原型  文明国には遊民あり
5 蒐集家の筆頭―林若樹/好古趣味の一生  若樹が寄稿したメディア  輪講雑誌の発行  読書家  珍奇図書の蒐集
6 人類学の祖にして趣味の人―坪井正五郎/心性の人類学へ   「もの」の学問   日本先住民コロボックル説  玩具に熱中
7 精神の系譜(ジエネアロジー)を捏造する―フレデリック・スタール/松浦武四郎の一畳敷  徳川頼倫と南葵文庫  お札博士
  スタールの通訳  ICU―多磨墓地―富士山 魯庵にアフリカの話をしたならば
8 神田の玩具博士―清水晴風/オモチャの絵  課題を設けて展示会  玩具に表われる人情風俗  『うなゐの友』  涅槃之碑  
9 江戸百科全書派の美校教授―竹内久一/岡倉天心の理想を具体化  提灯屋の息子  奈良に遊学  骨董から博物誌へ  
  神田を拠点にした国柱会  フェノロサ、岡倉天心との出会い  親友に母を託す  江戸っ子芸術家・学者
10 三村竹清の日記/百四十五冊の日記  川喜田半泥子の風流  幸田成友が語る大阪の裏文化  石井研堂の話  意外な人物が登場する日記の面白さ
11 古本屋の二階で/古本屋という隠れ里  玉屑会  文行堂  史学に専心した旧軍人  古本屋と著作家
12 労働運動と銀座・箱館屋の頃―横山源之助/   文学のブの字も語らず  『日本之下層社会』  佐久間貞一との関係  旧幕臣のキリスト者
   アイヌの現状、労働者の身上
13 ヤマトノフになった日本人―橘耕斎/「ヤマトノフ一代記」  橘耕斎の物語  大槻文彦の垂涎  ロシアでのヤマトノフ  魯庵のロシアへの関心
14 現代と背馳せよ―大槻磐渓・如電・文彦/大震災から持ち出した『洋学年表』  仙台藩の佐幕派家臣  学の幻視者(シヤーマン)の漢詩人
  成島柳北の碑文をめぐる大喧嘩  ふと立ちあがって久米舞  山本東次郎の狂言  我が文庫は日本の宝庫なり
15 本と物への執着の話―沼波瓊音/俳書コレクションの仲間  芭蕉の木像  国文学者から国士に
16 「天下未出の珍書」をめぐって―井上通泰/内田君、僕が井上だ  穂井田忠友『高ねおろし』  歌学を学ぶ開業医  詩材は宇宙より求むべく
17 図書の通人の交わり―市島春城/
2002 14
2003 15
2004 16 〇この年、杉本仁が「甲斐路 No.116 山梨郷土研究会」に「『甲斐の落葉』と『見付次第』―山中共古が残したもの―」を発表する。
2005 17
2006 18
2007 19
2008 20
2009 21 〇この年、杉本仁が「甲斐 第118号 山梨郷土研究会」に「山梨県におけるキリスト教と民俗学 −山中共古から中沢新一まで−」を発表する。
2010 22
2011 23
2012 24
2013 25
2014 26
2015 27
2016 28
2017 29 3月、小林真美が「東京理科大学紀要(教養編)第49号」に「折口信夫と山中共古 −接点と影響を中心に−」を発表する。
2018 30
2019 令和元年
2020 2
2021 3
2022 4
2023 5
2024 6
2025 7
   〇この年、 梵鐘供出に就て・鐘の説所載書目録 丸山瓦全 [編並著] 丸山瓦全手写
   発行年 不明 乱丁あり 鐘の説所載書目録,石鐘,武蔵野の鐘物語(山中笑) 梵鐘供出に就て,梵鐘献納に就て1900 pid/3438530
   「日本及日本人」に発表された作品は全未確認
参考資料
稲の祭と田の神さま  坂井卯作 戎光祥出版 発行 2004年2月
甲斐の落葉  山中共古 有峰書店  昭和50年9月10日(復刻)
山梨の考古学 萩原三雄 末木健  山梨日日新聞社  発行 昭和58年6月17日
農村の年中行事 武田久吉 龍星閣  発行 昭和十八年十二年 
鳥居龍蔵伝 ーアジアを走破した人類学者ー  中薗英助  岩波書店 1995年9月14日 4刷発行
東京理科大学紀要(教養編)第49号  東京理科大学  発行 2017年3月20日
    小林真美著「折口信夫と山中共古 −接点と影響を中心に−」
季刊どるめん 座談会 丸石神と考古学 中沢厚・武藤雄六・小林公明・島亨・平出一治 JICC(ジャック)出版局 昭和56年2月
桜ケ池の伝説 遠州七不思議のお櫃納め 桜ヶ池池宮神社社務所 発行昭和56年9月 発行
改訂綜合日本民俗語彙 第一巻〜三巻き 平凡社 昭和45年10月  再版

(参考)坪井正五郎 人類学雑誌 追悼号(内訳)
人類學雑証誌第貳拾八巻第拾壹號 1913 年 28 巻 11 号 p. 623 発行日: 1913/01/20
故坪井正五郎君小傳 1913 年 28 巻 11 号 p. 624-627_3 発行日: 1913/01/20  PDF形式でダウンロード
故坪井理學博士論文目録 1913 年 28 巻 11 号 p. 627-654 発行日: 1913/01/20
追悼會開會の辭 小金井 良精 1913 年 28 巻 11 号 p. 655 発行日: 1913/01/20
故坪井會長を悼む 追悼會上にて講演 臼井 光太郎 1913 年 28 巻 11 号 p. 655a-661 発行日: 1913/01/20
故坪井會長を悼む 追悼會上にての講演 三宅 米吉 1913 年 28 巻 11 号 p. 661-665 発行日: 1913/01/20
故坪井會長を悼む 追悼會上にての講演 山崎 直方 1913 年 28 巻 11 号 p. 665-671 発行日: 1913/01/20
故坪井會長を悼む 追悼會上にての講演 佐藤 傳藏 1913 年 28 巻 11 号 p. 671-677 発行日: 1913/01/20
故坪井會長を悼む 追悼會上にての講演 小金井 良精 1913 年 28 巻 11 号 p. 677-682 発行日: 1913/01/20
坪井博士を追悼して(二條) 二條 基弘 1913 年 28 巻 11 号 p. 683-684 発行日: 1913/01/20
故坪井博士の研究法 足立 文太郎 1913 年 28 巻 11 号 p. 684-685 発行日: 1913/01/20
坪井君はもう還らない 鈴木 券太郎 1913 年 28 巻 11 号 p. 685-686
風習研究に對する故博士の恩恵 出口 米吉 1913 年 28 巻 11 号 p. 687-689 発行日: 1913/01/20
THE UTILITY OF PROF. TSUBOI'S WORK N.G Munro 1913 年 28 巻 11 号 p. 689-690 発行日: 1913/01/20
龍鱗一片 伊能 嘉矩 1913 年 28 巻 11 号 p. 690-696 発行日: 1913/01/20
故坪井博士を憶ふ 石橋 臥波 1913 年 28 巻 11 号 p. 696-699 発行日: 1913/01/20
坪井博士が江見君の有髯土偶を否定せられし論文を讀む 大野 雲外 1913 年 28 巻 11 号 p. 699-701 発行日: 1913/01/20
坪井先生最後の遺跡調査 松村 瞭 1913 年 28 巻 11 号 p. 701-703 発行日: 1913/01/20
坪井博士の美點と缺點 八木 奘三郎 1913 年 28 巻 11 号 p. 704-709 発行日: 1913/01/20


川尻八幡宮ヒサカキの木の御蛇様出現縁起
文化財と郷土史研究への道を開いた柴田常恵の生涯
武田久吉博士(年譜)からの写真

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