第1回目の「雨水の日に日の出を観賞する会」は平成7(1995)年2月19日の早朝に行われ、雪の日も曇りの日も欠かすことなく来年で連続21回目を迎えます。また、観賞会の途中から「霜降の日」にも重なることに気づき、現在では年2回の日の出観賞会を行っています。
この「「日の出を観賞する会」のきっかけとなったのは1985年7月に「城山地域史研究会(会長:山口清)」が発行した「春林文化第2号 特集・川尻八幡神社の研究(一)」に記されていた「はじめに」の中の問いかけにありました。
↑900メートルも続く川尻八幡宮の参道 |
「二 川尻八幡神社にはいくつかの特徴がある。自然のままの鎮守の森、一キロにも及ぶ参道、石室のある古墳などがそれである。それらのひとつひとつが関連し合って村人の信仰を支えあってきたように思われる。会員の今成泰一氏は明治時代に描かれた八幡神社の背後に金毘羅神社のある龍籠(たつご)山がかかれていることに注目した。私たちは航空写真や地図から一の鳥居、八幡神社、小松城址、龍籠山が一直線上に並ぶことを確かめるとともに、そこに何らかの意味があるのではないかと考えてみた。四 私たちが疑問に思うのはなぜ長い参道を建設したかということである。しかも、むらはずれに向かって、勿論その頃は原宿の市は設けられていない、とすると漠然とした相模の原に向かって、大き |
な労働力という負担を負いながらなぜ参道を建設する必要があったかということである。龍籠山―神社― 一の鳥居と一直線上に並ぶことからさらにその線が東に延びて春分や秋分の日の日の出の位置に連なるのではなかろうか、あるいは冬至の日の・・・と考えてみたが一致しなかった。また参道の線は東西線から南東18度にぶれた方向にある。その方向の延長線上に川尻八幡と並び称される上溝の亀ヶ池八幡が、それとも遠く鎌倉八幡宮に向かっているのでは、などと好奇心は次々と新たな発想を生んだがそのどれにもあてはまらなかった。それ以来神社と参道の方向が気にかかり、いろいろ調べてみたが社殿の向きは東から南に面しているが参道の向きは地形に応じてさまざまであることもわかった。」
こうした問いかけに、村田公男(郷土史研究家)さんは「牡龍籠山信仰圏」を、宮田太郎(歴史古街道研究家)さんは「高麗若光王と文化の交流するゴールデンクロス構想」を提唱、松本司(自由民権資料館)さんも歴史地理学の立場から様々な考察を重ね今日に至っています。また、保坂は「日の出」と云う問いかけに着目、参道の延長上から何時に日が昇るかを考察するため、参道の角度を求め、また冬至の日の方位角が緯度によって微妙に変化していることなどを考慮にしながら、理科年表などの数値をグラフ化させました。そして、見かけ上の太陽の運行速度をケプラーの第2法則から考察、参道の延長上から太陽の昇る日が二十四節気の中の「雨水の日」であることを確定させました。そうして、平成7年2月19日、200人が集まった第一回、「雨水の日の日の出観賞会」が始まり今日を迎えています。
その後、茂木慶三(城山エコミュージアム)さんから「この参道と同じような角度を持った所は他にないか」との、問いかけがあり各地を探して見ましたが中々見つかりませんでした。参道は「神(太陽)の通る道なのでしょうか。」謎は深まるばかりでした。そうして、単なる偶然か、遠くエジプトのギザにあるカフラー王のピラミッドと河岸神殿を結ぶ参道の角度が、川尻八幡宮の参道とほぼ同じであることを発見しました。古代エジプトには三つの正月(元旦)があり2月19日頃を収穫季、6月21日頃を洪水季、また10月23日頃を播種季の正月と云って神聖な日としていました。三つの正月は、夏至を中心に年間を、三分割(120度)した日でもありました。日本でも伊勢神宮をはじめ主要な神社ではこの時期、祈年祭、月次祭、神嘗祭とそれぞれに重要な祭祀が行われていることも分かりました。エジプトでは麦を、日本では米の生産が行われている農耕社会です。その共通点は第一に太陽であり、参道は太陽の通る道ではないかと・・・。 こうして、参道の不思議な角度から様々なことが連想されていることも事実です。
雨水ー霜降ラインの、点と点との関係については無数に存在していることを伊藤雄一(相模原市立博物館プラネタリウム解説員)さんの研究によって報告がなされ、その主なところでは鼓岳→伊勢神宮内宮→国崎にあたる鎧岬のラインを掲げ「鼓岳の地名が、かつての太陽崇拝の痕跡地ではないか。」と指摘、北斗七星を含めた星座との関連を重ね、新たな研究段階へと話を進めています。
「雨水の日」の日の出観賞会は、これまでも多くのみなさまのご支援によって支えられて来ました。当日の社務所内では、川尻八幡宮からのご厚意による温かな甘酒が振る舞われ、毎回の研究発表会も行われ論議を続けて来ました。
この機会に古代のロマンを訪ね、ご一緒に時空の旅を楽しんで見ては如何でしょう。
(保坂記)
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