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仁者が山を楽むのはどんな方法によるか知らないが、吾々が山を楽しむには、少なくとも二つのやり方がある。その一は山に入り山に登って之を楽むので、其の二は山を見て楽むのである。「来て見れば左程でもなし富士の山」といふ句は、山を愛し山を敬し、山を楽むことを知らな
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い人の言葉であるといふ評もある様だが、一面の眞理を穿って居るに相違ない。之に反して、富岳を望み、富岳を仰いだ美しさは、邦内十餘州何れの地に於ても、亦他れの方面、何れの人を問はず一致して居る。尤もこれは※八面玲瓏(はちめんれいろう)な富士の形態によること論を俣(ま)たないが、他の多くの山岳も、之を遠望し、之を仰望する時の美しさ、貴
※八面玲瓏(はちめんれいろう): どの方面も美しくすき通っているさま。心に何のわだかまりもないさま。
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さ気高さ、厳しさは、寔(まこと)に嘆美に價するものである。
望見した山岳は、四季によって其の色彩に変化を呈する。是は気候の変化によって、山上に生ずる植物に変化が起るのと、冬には降雪によって、著しい色の変化が見られるからである。山岳には此の外気象上の変化が起るから、日々必ず何等かの変化を見ないことはない。日光照
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射の強弱と角度、空中の塵埃の※多寡(たか)、水蒸気の多少によって起る霧とか霞とか雲の量や形状によって、時には驚く可き変化が現はれる。
雲や霧が山岳全部を蔽(おお)ひ隠すに至れば、平常望見し得るものが消滅したと同様な変化しか齋(すま)されないが、是等微細な水滴の集合軆が、山岳の一部を被(おお)ひ、且つ風によって変化移動する場合には、山岳の
※多寡(たか):多いか少ないかということ
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形態に一時的変化を及ぼし、※加之(しかのみならず)静物である處の山岳に、何等か動的の性質を附与するに至るものである。
山岳を観望するに際して、晴天を選ぶは勿論であるが、之に配するに※幾何かの雲を以てすれば、其の美観は更に数倍さるゝものであること、善く人の知る處である。
山岳に懸かる雲には、霧雲(むうん)・雨雲(ううん)
※加之(しかのみならず):そればかりでなく、の意。
※幾何( いくばく):数量・程度の不明・不定なことをいう語。どれほど。 2
(「いくばくか」の形で)ある程度。若干。
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雪雲(せつうん)の三種あるを認むることが出来るが是等は元より形態上の区別ではなくて、性質に由ったものである。そして夫等は主として気温の高低に因るものと考へられる。
又雲の形状は、大部分山岳の形状によって左右されるものと思はれる。一般から言へば、連亘(れんこう)した山脈と、孤立した山岳とによって差異のあるもので、殊に後者に属す
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る富岳は、其の形態と高度と位置と※四周に坐する山岳と関係に於て、比類稀なものであるだけに、呼ぶ所の雲も又特殊のものが現れるのである。
雲を起すには大抵の場合風を必要とする。そして其の方向と強弱によって大に差異がある上に、山岳の位置形状其の他が更に多大の影響を及ぼすものである。
※四周(し しゅう):四方を取り巻くこと。また、まわり。
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富士山は孤立した大円錐軆であって、山頂は平均約三千七百五十米(メートル)を算し、平野に等しい地に孤立し、周囲の山岳は一千七八百米(メートル)に過ぎず、又三千米(メートル)級の山岳とは直径にしても五十粁(キロ)(十三里半弱)以上を距たって居る為め、夫等の山岳は殆んど気流に影響を及ぼさないから、富岳に起る處の雲には特種のものがあることは想像するに難くな
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い。且つ南麓には黒潮(くろしお)の流れる太平洋を直接控へて居るからして、南風を得れば直に大量の雲が湧き立って来る。
富士山に現れる雲の中で、他に餘り見られないものゝ一つは、あの緩(ゆる)い(く)弧(こ)を長く引いた美しい斜面の線に沿うて、一流の雲が絶頂目がけて這ひ上ることである。○時は西北の風の吹く快晴の日で、
注 ○時→成時? 判読不明なため検討要す その時は、と云うような意味か
10 1挿絵
碧空には一點の雲もないといふのに、風とは反對の方向から、風の下を潜(くぐ)る様にして白雲が這ひ上って、山嶽へ出るや件(くだん)の西北風に吹き拂はれて飛散する状の面白さ! 千裂(ちぎ)れて飛んだ雲は直に消滅するが、中腹には復(また)も白雲が現れて、勇ましくも追ひ掛け(く)山頂に駈り上る。之を見て龍虎相闘ふとでも形容出来やうかと思はれ程である。
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上述の雲は主に※鵝毛(がもう)の如くに軽く、集まっては消え、消えては復道に集まるか、山腹を這ひ上る雲には、此の外尚奈保ほ黝黒(いうこく)色を呈して、鉛の如く重いものがある。是は概ね大穹(そら)が暗澹(あんたん)たる目に出現するもので、雲脚(くもあし)も重く風に乗じて徐々と山頂に推し上る。雲の頭がいよ(く)絶巓(ぜってん)に達すること、今迄乗じて来た風の力が勝(か)って横様に彼方に吹き靡(なび)いてしまあうこともあるが、
※鵝毛(がもう):ガチョウの羽毛。また、白いものやきわめて軽いもののたとえ。がぼう
※暗澹(あんたん):暗くてものすごいさま。
※絶巓(ぜってん):山の絶頂。いただき。
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時とすると依然として山頂を越えて向側にのしかかって行く事がある。
以上は事実であるが、此處で一寸想像の領分に這入ることにする。今假に甚しく想像力に富んだ者が、上記の如き雲を見たとすると、之を徒(たゞ)の雲と考へないで、其の中には龍でも潜んで居るのだらうと思った事がないでもあるまい。更に一歩を進めて、雲中に龍を見たとさへいふ人があったかも知れない。
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科學知識の進歩した明治大正の世には動物學上龍の存在を肯定する者もあるまいが、元々※假空のものである處の龍を、※仮令(けりょう)幻視であるにせよ、見得る人がないとは限られない。況(ま)して維新前、万人殆んど龍の實在を信じて居た時代に、龍の出現には附随して起る筈の雲霧を見て、其の中に龍が居ると想像したり、或は之を見たと考へた者があったらう
※仮令(け りょう):@考えてみたところ。大体。おおよそ。 /Aたとえば。/Bさいわいに。偶然。
※假空→架空 作者の勘違いか 検討要
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とは、想像し得ないでもなからう。
一方富士山は、日本一の霊山として世人から崇拝されたもので、登拝者は※垢離(こり)をとり、※精進潔斎(しょうじんーけっさい)して登山したのは勿論、山中に用ひる語(ことば)にも忌み語(ことば)があって、登るをサスといひ、下るをハシルといひ、雨をオタレ、風をオイキ、雲をオワタなどと言って山霊を恐れ、又南から登って北へ下るのと、北から登
※垢離(こり):神仏に祈願する際、水を浴びて体のけがれを去ること。水ごり。
※精進潔斎(しょうじんーけっさい):肉食を断ち、行いを慎んで身を清めること。
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って南に下ることを「山を裂く」といって禁じた位で、到底近代の登山家がやゝもすると日本アルプスを踏破したの、何岳を征服したのと豪語したり、到る所へ空罐や※残片等を散乱して来るのとは雲泥の差あったものである。
斯(か)かる霊山に、異常な、
※残片(ざんぺん):使い残りや、こわれてあとに残った、きれはし。
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そして龍でも潜んで居さうな雲が推し上り、殊に山巓うぃ越して行くといふ様な場合、千山万岳の長である霊山富士を、鱗虫(りんき)の長で而も神霊なる處の竜が之を登り之を越すといふ容易ならざる現象であるし、又ひどく威勢もよい處から、是に種々の説が※附會されて、
※附會(ふかい):@付け加えること。つなぎあわせること。
A関係のない事柄を理屈をつけて結びつけること。無理にこじつけること。
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事件そのものが目出度いとか、又は之を見たものは運(うん)がよいとか或はよくなるとか、出世するとか、何れにしても善い意味に解釈する事が行はれたのであらうと考へられる。
やがてこれは繪画に現れた。「富士越し龍」は即ちそれで大抵狩野派の畫家の筆になったものである。
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其の時代は今明確(いまめいかく)に知ることが出来ないが、少なくも富岳と龍の関係や、その迷信が世間的になったのは、恐らく徳川の治世も安泰期間に入った元和(げんな)頃ではあるまいかと考へられる。そして無論江戸に発達したもので、「出世」といふ意味から、縁起を祝ふ人々の間には大に珍重されるに至ったのであらう。維新前には、六月朔日(ついたち)即ち富士
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の山開きの當日には、富士越し龍の掛軸を掛け、是に神酒や供物をそなへた例もあるし、又江戸駒込の富士で當日麥藁(むぎわら)の蛇(じや)を賣って、後には蛇(じや)が富士みやげの中の※尤物(ゆうぶつ)となったのは、此の富士越し龍を形取ったものではあるまいか。
『江戸塵拾』には麥藁蛇の起原に就いて「寶永の頃、此わたり」の百姓喜八と云へる者、ふと是を作りて祭礼の日市に賣りける、諸
※尤物(ゆうぶつ):すぐれた物。
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人珍しく思ひて求め帰り云々」と見えて居るが、百姓喜八が偶然思ひついたのか、夫共(それとも)富士越し龍からでも考へついたのか、考証するに容易ではない。
又※『續江戸砂子』には「・・・・麥藁の蛇は延寶始の頃、□の女童麥わらにてつくれり、ねぢり龍とかや いふのもの、やうに長くあみつゞくれば、自然と龍の形に似たり云々」
※『續江戸砂子』:続江戸砂子温故名跡志. 巻之1-5 / 菊岡沾凉 纂
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とあるが、寛永から四五十年を経た延寶始の頃殊の外に流行となりかけて来たのであらう。
富士越し龍の流行は、啻(ただ)に掛軸や麥藁細工に止めを刺さないで、やがては焼物の繪模様に応用されるに至った。そして之を主として朝顔形(なり)の茶碗に見るのである。迷信は更に擴大されて、富士越し龍の茶碗を三年(ねん)三月(みつき)傷(いた)めずに使へば、出世すると謂はれて、殊に御殿女中
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の愛用する處となった。御殿女中が縁起を祝ひ御幣をかつぐことは近代の人には到底想像もつかない程度に於て行はれたものであるから、万一偶然にも類似の実例でもあったことなあら言ふ迄もないが、假説であったにせよ、恐らく人も吾も皆之を眞似たことであらう。
かくて富士越し龍の茶碗は上下を通じて廣く江戸に行はれた。
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大抵瀬戸焼の粗末なもので、それにだ簡易な繪模様が染付(つ)けられてそれに現今では此の迷信は破れ、又世人の嗜好も変遷したので、甚しく稀となった。夫れでも時には之を見掛けるが、現に京製の上等なのさへあるから、此の模様は関西でも用ひられたものかと思はれる。
富士山特有の雲で、そして山に獨特の風致を添へるものに、所謂(いわゆる)「笠雲」なるものがある。これも大抵晴天の日に現はれるもので、初
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は山頂附近に僅な雪が屯ああ(たむろ)し、夫れが漸く濃原となって行く内に、山自身が円錐形であるが為めに、その輪郭に沿うて段々に笠形となって来る。雲の量が甚だしく多い時には、横に平に伸びて、笠といふよりも寧(むし)ろ大きな傘の様になるが、雲が適量である場合には、見事な笠となってしまふ。又時とすると雲が横に伸びずに、竪に重なる事があって、笠が二重に若しくは三重
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にさへなる事がある。
笠富士は甚だ優美な容である、されば世人の注意する處となったものと見えて※坊間(ぼうかん)に有觸(ありふ)れた書物では、古くは河村岷雪の『百富士』にも其の繪が載って「嶺は雲の笠着る日也富士詣」の句が添へてある。又近くはポンティングの『富士山』にも笠富士の写真が出て居る。しかし前記の『百富士』に描く處の野田尻(のたじり)の富士、駒橋(こまばし)、上井出(かみゐで)からの富士は、皆笠雲の一※階梯(かいてい)を表はしたも
参考 河村岷雪の『百富士』/静岡県立中央図書館 富士山関係資料デジタルライブラリー(絵図・絵画)
※坊間(ぼうかん):まちのなか。
※階梯 カイテイ:《本来は「はしごだん」の意》 /1 学問・芸術などの手ほどき。また、それを説いた書物。入門書。
2 学問・芸術などを学ぶ段階。また、物事の発展の過程。
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のに外ならない。
笠雲は多分霧雲(むうん)の一種であらうか、笠の現れた當時には、富士山上に降雨や降雪を見ないらしい。然(しか)し雲は漸を追うて増加して、遂には富士を中心として四囲に擴がり、富士は申す迄もなく、附近十數里の地に降雨か降雪が起る。而(しか)も早い時は其の日の中に、遅くも翌日か翌々日に天候に変調が起るのが常で
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ある。同じく『百富士』に浮島から見た繪に「半空につもるものあり時雨(しぐれ)不二」としてあるのは、即ち此の状を写したものである。
富士山に掛る雲にはまだ幾種もある。腰雲と言って半腹以上は畫く現はれるにかゝはらず、以下の部分は雲に浸(ひた)る場合もある。又雲の海だとか、雲に写る影富士などを初めとして、一々○○し難い
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種類が現れる。しかし是等は大抵他の高山でも見られる處のものであるから、今は夫等に説き及ぼさないことにする。
十五字詰 約三百行
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