秋の箱根神社、「平和の鳥居」にて  
                                         heiwanotoriihtml.
        
        〜「たつご教室・中世板碑について」の代役を終えて 〜
2025・11・25/運用を開始する
   
     平和の鳥居由来碑
まえがき
 2025年11月23日(日)の午前中、孫たちとともに箱根神社に着いた。昨日は「たつご教室」で、「中世の板碑」と称して、おこがましくも三宅先生の代役を努めさせて戴いた。
 この夏は、先生立ち会いのもと、旧城山町の民俗収蔵庫に保管されている15基ある板碑の検分調査を行った。
 収蔵庫とは云え何年も、利用されてこなかったので、室内は完璧とは程遠く、荒れ果てていた。室内に入ると忽ちに体中が汗にまみれ、板碑にも汗がひたたり落ちて、その流れ落ちた汗が石の模様のようにも見えた。
 旧城山町郷土資料室に板碑があった頃は、板碑が見やすくなるよう渡邉先生によって木枠も作られ立て掛けられていたが、今はその木枠もなくなり板碑は分散されていた。
 田舟や養蚕用具等の民俗用具は、旧城山町の皆さんからご寄贈を受けたものだが、埃にまみれ残念としか云いようのない状態であった。
 こんな状態ではあったが、三宅先生は違っていた。92歳とは思え
ない、少年にような眼差しは一段と輝き、「これは、あれは」とひっきりなしの言葉の連続に私もまた心が踊った。
 時間は、あっという間に過ぎ、外に出た。外も暑かったが空気はそよ風のように流れた。予め用意して下さったリンゴがとても美味しかった。
 そして、この日から先生との交流が始まった。先ずは先生の研究史とも言える年譜も作成した。驚く程の歩みだった。私は、講演をして下さる日を楽しみに時を過ごしていたが、現実は厳しいものとなった。持病が悪化し御入院をされてしまった。
 そして、私にと云うことになった。送られた原稿を読むと、仏教との関係性を重視した内容に感じられた。
 私は、難しかったけれど先生が特にカラー刷りでご用意されていた高野山奥の院の経塚から出土したと云う、梵字による「両界曼荼羅図」、また、友人から譲り受けたと云う「當麻曼荼羅図」等 があったことから、その部分も中心にお話できたらと思った。特に当麻曼陀羅図の下段に注目し最右「上品上生」図の来迎菩薩数と最左に描かれた「下品下生」図の菩薩数の変化についてお話したらどうか、そんなことも考えて見た。どこかに、中世の人々の願いや思いが叶えられるような仕組みはないか、宇治平等院仏後壁の構造や「山越えの阿弥陀図」等も示して見ることにした。そして、究極のこととして阿弥陀様の手から赤い糸を延ばし臨終の情景を寝転んでみせることにしました。
 中世の人々が思いを寄せた板碑にはそんな深い願いが込められていると云うことを分かって戴きたっかった。 多分、先生もそんなふうなことを、熱望されているのではないかと試行錯誤を重ねました。
 そうして、私は急に「観無量寿経」を思い立ち、かなり昔に読んだ講座本のページをめくりました。「光明偏照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と、その部分には赤の蛍光ペンがひいてありました。板碑に多い経文の一説だった。歳をとり、今回のこともあって、経文を読みかえし、当時の人々のこころに触れた一時だった。また、その頃の自分が懐かしく思えた。
 そして、「たつご教室」の当日を迎えた。自分なりの話しかできなかったが、終わってみてある種の満足感があった。
 武蔵型板碑は緑泥片岩で作られている。私は高校3年生の夏、念願の姫川沿いに日本海に出たが、その途中で、河原が 妙にキラキラと輝やいでいる情景に出会った。不思議に思いながら、自転車を止めて、誘われるように、そのキラキラと輝く、河原を歩き周った。後で分かったことだがその時の輝いた石こそ、緑泥片岩そのものであった。
 故郷にいる時に見た板碑は、板碑と行っても緑泥片岩ではなく苔むした中の安山岩であった。緑泥片岩で出来た出来たての板碑は、恐らくはキラキラと輝いていたと想像する。その輝きは、きっと、人々が初めてみた金色仏の輝きにも似ていないか。
 先生の、一日も早い、ご快癒を願っています。そして、次に、またお話をお聞かせて下さい。
 ありがとう ございました。
   










平和鳥居の由来

鳥居遍額の題字は前宰相
吉田茂氏の墨跡であります
氏は曩に平和条約を締結して  
太平の基を開かれその偉勲は
炳として日星の如く輝き
一世の欽仰するところであります
今茲箱根神社は鎮座千二百年
世界平和祈願祭に当り適々
オリンピック東京大會開催に
際し特に平和の二字を
題して奉献せられたものであり
ます
遍額は湖上正面大鳥居に掲げ
この平和鳥居を新日本
発揚の記念にして永く後世に
伝えるものであります
一九六四年十月二十五日

箱根神社宮司 脇山時孝
発願人氏子総代 川邉儀三郎 共撰 
前駐英大使 西春彦 書

                 4          ↑3   ↑2 ↑
1 曩(ノウ):さき さきに
※2 炳
(ヘイ):あきらか。あかるく輝く。はっきりしている。
3 適
(たまたま)
   @かなう。ふさわしい。あてはまる。「適応」「適正」
   A心にかなう。こころよい。「快適」「自適」
   Bゆく。おもむく。「適従」
   C
たまたま。偶然。
4 発揚
(はつよう)::(気力・威力などの)勢いを、それと見えるほど高々と現すこと。
 翌日の日曜日、孫たちと箱根に遊んだ。大勢の人たちが「平和の鳥居」の前で整然と並んでいた。みんなが、当たり前のように穏やかに並んでいた。やがて、順番が来て写真を撮る時には、次のお客さんが、ポーズする人たちに写真を撮って上げていた。だれかれと、時間が過ぎても、また、登場する人物が違っても同じだった。
 赤い鳥居に、太陽の光を浴びながら、それぞれが思い思いのポーズを撮っている。心地よい最近の日本の風景に感動した。
 これは、平和の鳥居がおりなす光景か、もう「平和鳥居の由来」がなくても、大丈夫ではないか、私はたまらなく嬉しくなった。
        


  


 
  

     
   鳥居の扁額は吉田茂揮毫による「平和」だそうだ。

 参拝を済ませ、「賽の河原」近くの船着き場に、一回、1500円のスワン丸に乗って孫たちが赤い鳥居に向かって漕いで行った。鳥居の正面の扁額が写っていればと思う。そして、世界よ「平和」であれと。
 昼は、何十年ぶりかのカレー南蛮を食べた。午後は博物館に行くことになっているが、どこに行くかは聞くこともなく後を着いて行くと、ゴッホを特集するポーラ美術館だった。あたりにはヒメシャラの木々が目に映る。
 夜に、孫たちから手紙をもらい、サプライズの「誕生日祝」もしてくれた。涙がこぼれた。
 この日は相撲の千秋楽、安青錦の優勝。翌日のスポーツ紙の見出しに「戦禍ウクライナに勇気」と、あった。
昭和28(1953)年、皇太子殿下(今上陛下)立太子礼、湖上大鳥居が建立される。
昭和38(1963)年、箱根神社社務所炎上。
昭和39(1964)年、昭和天皇箱根行幸 幣帛料御下賜
             御鎮座1200年式年大祭
             吉田茂揮毫「平和」額掲げる。    
資料 御鎮座奉祝式年大祭 千二百年大祭(全文)  
 昭和三十九年(1964)は御鎮座千二百年式年大祭を迎えました。その前年末、社務所の炎上という前代未聞の不祥事が発生、このため、記念事業はもちろん頓挫し、意気消沈してしまいました。
 強気の脇山宮司は、ある日東京日枝神社にやってきて、宮西宮司と語り、私濱田を召しだして「箱根にきて社務所の建て直しを手伝ってくれ」とのご託宣です。私は若気の至りで余りよく考えもせずに応諾しました。確か、湖水祭・例大祭を目前に控えた若葉の映える頃でありました。

箱根神社(表紙)
 箱根に来てみると驚きました。予想を反してすべてを失った当神社では、その大事な祭典をどうするか見当もつかない、という状態でしたが、私はいわれるままに資金集めに奔走しました。
 幸い、わずか、一ケ月有半の裡
(うち)に、東京方面の中央募金が功を奏し、一千万円のめどができましたのは奇跡でした。万全の対策を講じて、この夏祭りを終えることができました。
 しかし、延期した千二百年大祭へと引き続き取り組むことになり、記念事業はともかくその第一は社務所の復興・再建でしたが、これは当分先送りと決し、
翌二十五日は御神火を棒持し、悠久の神秘と伝説とを青々とたたえた芦ノ湖の御神火巡幸祭に始まり、湖上の鳥居から上陸して箱根神社本殿に遷御、式年大祭の盛儀が厳かに執り行われました。
 
この吉辰にあたり、喪くも皇室より神饌料・幣帛料が御下賜になり、御神前に奉献されました。神社本庁より奉(たてまつ)る幣帛は、神社本庁役員が参向、脇山宮司以下役員総代関係者一同、真心からなる奉仕のもとに世界平和の祈願祭を併せて厳修しました。
 
引き続いて、「平和鳥居額」除幕式を厳修し、湖上の浮舞台に「舞楽」と「演能」を奉納しました。御能の演目は「猩々乱(しょうじょうみだれ)・双之舞(そうのまい)」で、観世流の奉仕になるものでしたが、山と湖の緑に映えて、素晴らしいものとなりました。このほかにも、大名行列や、水上スキー等多彩な行事で賑わい大盛況でありました。
 二十五日は、各家ごとに揚げられました国旗日の丸の旗波と、氏子崇敬者の歓迎を受けて、世紀の祭典はいやが上にも盛り上がり、鼓笛隊の演奏の下、市中行進した御神火巡幸祭は観光客の惜しみない歓迎を受けて、歩々堂々。いずれも当神社へ還御されました。

                  濱田進著「御鎮座1250年大祭記念箱根神社 P324〜p326」
濱田進著「御鎮座1250年大祭記念箱根神社」 箱根神社 発行 平成19年3月1日
濱田進著「箱根の歌謡物語」 箱根神社 発行 平成8年6月1日
濱田進著「龍神物語」 箱根神社 平成17年5月13日 3版 

「たつご教室」にようこそ
板碑とその研究史 〜三宅宗議さんの歩み〜 
御霊谷念仏帳
満州の大地に月のひかりを(満州開拓の歴史)

戻る